非国民通信

ノーモア・コイズミ

昔は良かった、かな

2010-09-30 22:57:57 | ニュース

麻生氏が谷垣氏に活=船長釈放で「ちゃらちゃらするな」―自民(時事通信)

 「野党第1党の党首として、怒らないといけない。ちゃらちゃらしたことは言わないことだ」。28日、自民党の麻生太郎元首相が衆院議員会館の自室をあいさつに訪れた谷垣禎一総裁に苦言を呈する場面があった。

 発端は、中国船衝突事件で船長釈放が発表された24日に谷垣氏が「小泉政権は国外退去にした。そういう処理の仕方もあり得た」と発言したこと。2004年に中国人活動家が尖閣諸島に不法上陸した際、当時の小泉政権が日中関係悪化を考慮して強制送還した例を指したもの。

 ただ、党内からは「言い方が生ぬるい」との不満が噴出。27日には安倍晋三元首相に「党員や支持者の士気を鼓舞する行動を」とクギを刺されていた。麻生氏との面会後、記者団から「総裁が首相ならどう対応する」と繰り返し聞かれた谷垣氏の口から、「国外退去」の言葉は出なかった。

 中国船衝突事件に関して「直ちに国外退去させた方が良かった。最初の選択が間違っていた」と船長を逮捕したことを批判していた谷垣ですが、党内からも色々と非難を浴びているようです。この辺の反応を受けて谷垣は軌道修正しつつあるようですが、何かに付け煮え切らないのが彼の個性なのでしょうね。総裁選の時は構造改革路線の見直しを掲げつつ結局は小さな政府論を採り、あるいは極右系議員とは距離を取りながらも靖国に参拝してみせるなど、どっちにアピールしたいのかはっきりしない、どの側面から見ても中途半端なのが谷垣という政治家です。今回の件もまた同様、現内閣を批判するにしてもどっちの面から責めていくつもりなのか、今ひとつ方向性が定まっていないように見えます。

日中間で紛争防止の仕組みを=政府・検察の対応支持―経団連会長(時事通信)

 日本経団連の米倉弘昌会長は27日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件について「早急に沈静化させる努力を日中双方が行うべきだ」とした上で、「(紛争になることを)未然に解決する仕組みを両国政府で考えるべきだ」と指摘した。特に経済面での悪影響を避けるため、問題発生時に対話を行うパイプづくりが不可欠との考えを強調した発言だ。

 米倉会長は、漁船船長の釈放に関して「国際社会では、日本が弱腰との批判はない」と擁護。中国による謝罪と賠償の要求を拒否した菅直人首相の姿勢も「正しい」と支持した。

 経団連会長が春、秋の年2回訪中する方針については「われわれはわれわれなりに、対話を継続しなければいけない」と述べ、経済界として対中交流を見直す考えはないことを明言した。 

 菅内閣の対応は野党や世論ばかりでなく、与党内部からも非難囂々であるわけですが、数少ない味方がこの経団連のようです。これを契機に菅内閣と経団連が一層の仲良しになるなんて可能性もあるでしょうか。必ずしも経済合理性に沿って動いているとは言い難い財界の代表者たる経団連ではありますが、一応は日中関係から得られる利益を重視する立場を取っていることが窺われます。経済が外需頼みになることにも何か利点があるとしたら、財界が穏健派に傾くことなのでしょうね。総じて右よりの経済界ではありますが、外国と良好な関係を築かないことには利益が得られない、そういう状況の中では平和を志向せざるを得ませんから。

 小泉にしろ経団連にせよ私にとっては不倶戴天の間柄と言える存在ではありますが、今回のような問題に関しては小泉や経団連の対応の方が、諸々の与党批判勢力よりも私との立場が近いような気がします。ことの善悪に関してはまた別の観点があるのでしょうけれど、損得という面では小泉や経団連の方がクレバーな判断を示しているように思えるのです。いくらか過去を美化し過ぎているかも知れませんが、昔は損得を基準に行動する与党と理想を追う野党とで、少なくとも今よりはずっと相互補完性の高い政治上のパワーバランスが築かれていたのではないでしょうか。それが急激に自民党も理想ばかりを追うようになってきた、典型的なのが安倍晋三で経済や社会上の重要問題を放り出して自分の趣味を押しつけるような政治に走る、そういう輩が幅を利かせるようになってきたわけです。与野党がそれぞれの理想を追いかけるばかりで損得勘定のできる人がいなくなってしまったその結果として、日中間の問題を深刻化させずに丸く収められるような人材が払底した、そういう見方もできるのではないでしょうか。時に私は「古い自民党」を「汚い大人」に擬えることがありますが、昨今の政界には理想に燃える青年はいても大人がいないような気がしてなりません。「昔は良かった」と同レベルの言説になってしまいますが、なんだか保守本流の政治家が懐かしくなってきます。

 

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どの口がそれを言うか

2010-09-29 22:59:38 | ニュース

専制君主でやる、責任も100%負う(日経BP)

 実際に牛丼は世界で通用する商品だという哲学を持っています。米と牛肉というのは究極の組み合わせです。人類が開発した最高の肉が牛肉で、食品中のたんぱく質の品質を評価するプロテインスコアが一番高い穀物が米なんですね。そして最高の調味料がしょう油。これらを結びつけた単純明快な商品が牛丼。だからシンプルで飽きがこない。

 日経でゼンショー(すき家)の社長の連載インタビューが始まりました。いつまで続くのかはわかりませんが、早くもツッコミどころが満載です。しょせん経営者の話なんてこんなものなのでしょう。偉くなると周りは太鼓持ちばかりになる、それでどんどん勘違いを深めてしまうものなのだという思いが一層深まりました。

 ……で、牛丼に関する「哲学」が語られています。何をもって「究極」だの「最高」だのと称しているのかわかりませんが、とりあえず牛肉と醤油に関しては好みの問題ということにしましょう。しかし米はどうでしょうか、理由として「プロテインスコアが一番高い穀物」ということが挙げられています。う~ん、狭義の穀物ということで豆類は除外するとして、まぁ米は小麦よりもプロテインスコアが高いですが、ただ母数となるタンパク質の含有量が米は小麦より少ないわけで、米がタンパク質の補給源として他の穀物より優れているとは言い難いはずです。そもそもソバの方が米よりタンパク質の含有量もプロテインスコアも高いですし、プロテインスコアという指標自体が卵を基準としたものであって人体のアミノ酸必要量に基づいているわけではないため、現在ではあまり使われない代物です(代わりにアミノ酸スコアが使われます)。社長は自信満々に語っていますが、無知を晒しているだけのようにしか見えません。

 往々にして経済系の言説とはこういうものなのでしょう。事実かどうかは気にしない、社会的に成功した人が何かを断言すればそれで十分、いかなる矛盾をも意に介することなく財界人の言葉をありがたがってこそ経済誌と言えます。付け加えれば、これが「食」に関するものであったことも適当さを加速させているのかも知れません。とかく「食」に関しては思い込みで語られることが多く、かつ無批判に受け止められることも多いですから。「食」に関する分野では何かと外国を侵略者と見なして門戸を閉ざすことを訴え、自国の食文化を神聖視していたりする、日本人の優位性を主張するような言説を差別心の表れと見る人であっても日本食の優位を説くような言葉には何の疑問も感じていなかったり、あるいは外国人排斥を唱える輩には眉を顰める一方で食生活の欧米化を糾弾する、そういう人も多いのではないでしょうか。「経済」と「食」は矛盾だらけの思い込みが無批判に罷り通る二大領域です。その両者がクロスすれば、結果がどうなるかは言うまでもありません。

 だから店舗のオペレーションにおいても、スピードは非常に重要な作業軸です。店舗だけではなく、本部の社員にもスピードを求めています。全社員に配布する、ゼンショーグループ憲章では「歩く時は1秒2歩以上」と規定があります。

 さて写真は別の会社(キヤノン電子)のものですが、ゼンショーも似たようなもののようです。こういう社長の自己満足でしかないカイカクごっこを止めればもうちょっと生産性が上がりそうですけれど、ジャパニーズビジネスマンたるもの、社長のご機嫌取りも仕事の内なのでしょう。しかるにこの社長、連載の第一回で「世界から飢えと貧困をなくす」などと豪語しています。えぇ? ゼンショーで働いている人の中にどれだけ貧困層がいると思っているんですか?

―― 食のリスクを徹底的に排除したとしても、働く人の気持ち一つで再び組織は不安的になってしまうこともあります。2008年4月、仙台市の従業員が、残業代が未払いだったとして、ゼンショーを訴えました。

 何万人の人がそれぞれ目標を持って働いている。これだけ多くの人がいるから自分の思いが伝わらないこともある。色々不満やトラブルが出てきてしまうのが普通です。

 ただ訴訟は他社と比べてものすごく少ない。もちろん少ないからいいのではない。いきなり裁判となるのではなく、きちんと議論をしたい。それが日本のいい伝統なのではないかと思う。「百かゼロか」ではない落としどころを探しています。

 インタビュアーが指摘するように、ゼンショーは賃金の不払いで従業員に訴えられています。これが同業他社と比べてどうなのかは寡聞にして知りません。もしかしたら、本当に他社と比べて少ないのかも知れません(しかし平気で嘘を吐くのが財界人というものであり、平気で嘘を載せるのが経済誌というものです)。ただ報道された訴訟のケースだけでも、ゼンショー側の対応はかなり悪質に見えます。まず残業代の不払い、これは日本中どこの会社でもあることですが、その次は支払いを求めた従業員との話し合いを拒否、この結果としてやむなく裁判に至ったわけです。これに対してゼンショー側はあろう事か原告(従業員)を逆提訴、商品用のご飯どんぶり5杯分を無断で食べたとする窃盗などの疑いで告訴に踏み切るという暴挙に出ました(参考)。飢えをなくすなどと言いつつ、賄いを食べたら刑事告訴とは……

個人請負という名の過酷な”偽装雇用”(東洋経済)

 「『アルバイト』と称する者らの業務実態を精査した結果、『アルバイト』の業務遂行状況は、およそ労働契約と評価することはできないことが判明した」「会社とアルバイトとの関係は、労働契約関係ではなく、請負契約に類似する業務委託契約である」――。つまり「すき家」のアルバイトは会社に雇用されているのではなく、個人事業主として業務委託契約を結んだ個人請負だというのだ。
 
 06年に「すき家」渋谷道玄坂店のアルバイトが不当解雇を訴え組合に駆け込んだことで、同社の残業代の割増分の不払いが判明した。解雇は撤回され、ゼンショーは彼らに謝罪。過去2年分の割増賃金も支払われたが、その後、組合に加入した仙台泉店のアルバイトに対する支払いは拒絶。組合との団体交渉も拒否するようになった。組合が救済申し立てを行った東京都労働委員会の審理の場に提出されたのが、上記の主張である。

 それ以前の問題に際しても、ゼンショーは「アルバイト」ではなく「請負契約」だと称して雇用者責任から免れようとしていたことが伝えられています。すき家の店員はゼンショーが雇用する従業員ではなく業務委託契約を結んだ個人事業者である――ゆえにゼンショーは責任を負わないとの態度を取ってきたわけです。こういう悪質な偽装雇用に手を染めておきながら、平然と「世界から飢えと貧困をなくす」などの美辞麗句を並べる、そして掲載誌も平然とそれを垂れ流す、いやはや呆れるほかありません。

 

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うちの父親の場合なんだけど

2010-09-28 22:59:17 | 編集雑記・小ネタ

 これは私の父親の場合ですが、1990年代前半、当時は課長職にあった父の給与は年間で900万円台でした。その後にバブル崩壊だの色々とあって、まずは給与の高い中高年を対象としたリストラの嵐が吹き荒れたことは歴史修正主義者でもなければ記憶しておられるかと思います。幸いにして父はリストラの対象とはならず、給与の一律5%カットなんてこともあったながら(経済誌には正社員の給料は下げられないと書いてありますが、現実はそう甘くなかったようです)、なんとか定年まで勤め上げました。そして父のいた会社でも採用抑制が続き、年下の社員(=部下)が増えていく時代ではなくなった中でも父はそれなりに昇進を重ね、一般的な職位で言うなら事業部長相当のポジションで定年を迎えたわけです。その時の給料はと言えば、年間で900万円台でした。

 戦後最長の景気回復局面というものは確かに存在して、それは世界経済の成長ペースに比べると随分と緩慢で、かつ外需への依存度の高いものではありましたが、それでも景気回復は長々と続いていたのです。その結果として、バブル期を上回る過去最高の収益を上げる企業が続出、GDP全体で見ても経済規模は大きくなったのですが――給与所得の平均は一貫して下がり続けました。父のように昇進しても年齢を重ねても給与は据え置きのままになる人がいる一方で、リストラされたり、あるいは定年を迎えた人と入れ替わりで雇用された新入社員の給与が低いまま据え置かれたり、そういう結果として給与の平均は下がっていったのでしょう。

 成果主義だの実力主義だのと言うのなら、私はともかく私の父の収入は、もうちょっと増えても良かったように思います。父は私と違って会社人間でしたし、同業のライバルに押され気味ながらも上場企業であり最終的にはバブル期よりも利益が上がっていた会社でそれなりに出世したわけですから、成果に見合った報酬が支払われていたって良さそうなものです。しかるに、他の年代の社員と同様、給料は据え置かれたままだったわけです。私だったら確実にやる気をなくしていますね。まぁ今だってやる気があるワケじゃありませんけれど。

 週刊ダイヤモンドとかその手の経済誌には、中高年や正社員が若年層あるいは非正規雇用を搾取していると書いてあります。確かに若年層や非正規雇用の賃金は随分と低いまま据え置かれているわけですけれど、若年層が貧しくなった分だけ中高年が豊かになったかと言えば、その辺は甚だしく疑わしいものです(ちなみに経常利益は増えていますね!)。若い世代であれば自分の父親もしくは母親がどう遇されてきたか、経済誌に描かれるフィクションを鵜呑みにする前に、もっと身近な人の姿に目を向けてみるべきではないかと思ったりしないでもありません。

 

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何かと危機は煽られるが

2010-09-27 22:57:21 | ニュース

尖閣問題で熱い中国ネットメディアや愛国者をスルーする人々(ASCII.jp)

 沖縄県尖閣諸島で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突し、日本側が中国漁船の拘置期間延長を決めたことに対し、中国政府は「強烈な対抗措置」として、日中間の閣僚など高官レベルでの交流を停止した。

 尖閣諸島について、領土問題ではないことは日本国外務省のページで書いてあるが、この問題について中国メディアと中国サイトの反応はどうだったのか。

 人気動画共有サイトの「優酷(YOUKU)」や「土豆(TUDOU)」などはトップページの目立つ場所で掲載。中国で著名なポータルサイト「QQ」「新浪(Sina)」「捜狐(SOHU)」「網易(NetEase)」のニュースページでもトップ記事で掲載した。

 ところがネットがすべてこうした論調かというとそうでもなく、国営の新華社による新華網では控えめな場所にトピックが掲載されている。また各都市の新聞もトップでこれを掲載せず、1面ではないページでそこそこのページを割いてこのトピックを紹介している。日本で言えばニュース番組での紹介とワイドショーでの紹介の差(関連記事1)というのだろうか、このトピックに対する力の入れ具合が、ネットユーザー御用達のサイトと、あまり見向きもされないメディアによって違うわけだ。

(中略)

 「1万人の観光客一団が訪日中止」という中国の報復が「経済に影響あり」と日本で話題となっている一方、中国でもここ数日「日本の粉ミルクが買えなくなると困る。愛国者は毒粉ミルクでも子に飲ますつもりか」というブログも散見した。

 中国国内では、日本の粉ミルクの空き缶にニセモノの粉ミルクを詰めて販売するニュースが最近伝わったばかり。日本からホンモノの商品を取り入れない限り安全確実とはいえない状況で、日中関係が冷たくなるのは非常に困るようだ。

 何となく日本だけではなく中国の政治も、ネット世論に振り回されるところがあるような気がします。ネット世論を多数派の声と勘違いしてネット世論に阿る方向へと舵を切り、本当の多数派である無党派層からは冷めた目で見られる、日本の政治にはよくあることですが、ああ見えて中国政府も世論を気にする、そして世論を取り違えて失態を犯すケースは少なくないのではないでしょうか。公害問題や食品安全問題では何かと日本の轍を踏んでいる印象のある中国ですが、政治面でも同様に「熱い」ネット世論を気にするあまり判断を誤るケースが増えてくる、中国側としても徒に対立を深めることは国益を損ねるだけに本来なら避けたい事態のはずですが、国内世論との対立の方を恐れて外交上の失策を犯してしまう、そんな可能性が危惧されます。

船長釈放 中国人観光客の街は 「騒いでいるのは一部」「日本の常識通じない」(産経新聞)

 沖縄・尖閣諸島付近で起きた漁船衝突事件で、釈放された中国人船長が帰国した25日、東京・秋葉原の電気街や池袋の“チャイナタウン”など中国人が多く集まる場所は普段通りのにぎわい。こじれる一方の日中関係を横目に買い物に励む中国人観光客と、迎える日本人店員らに聞いた。

 日本人向けと中国人向けの店のすみ分けが進んだ秋葉原電気街。この日も「免税」と書かれた派手な看板の中国人向けの店にはツアー客を乗せた大小のバスがひっきりなしに横づけし、両手に買い物袋を下げた中国人客が往来していた。

 免税店の中国人店員の男性(33)は「事件の影響は全然ない。客の大半が中国人。きょうも朝から炊飯器が18台売れた。ニュースで騒いでいる中国人はほんの一部ではないか」。

(中略)

 日本人靴店で働く日本人の男性店員(48)は「商売への影響は少ない」とし「釈放はあしき前例を作ってしまった。経済への影響を我慢してでも圧力は突っぱねるべきだった」。

 禁輸措置だの交流事業の停止だのが盛んに報道されている一方、観光客は普通に訪れているとか。特に客足がにぶるでもなく、免税店では普段通りに商品がさばけているようです。しかるに日本人靴店(ちょっと意味がわかりません、普通の靴店と何が違うのでしょうか)の日本人店員曰く「経済への影響を我慢してでも圧力は突っぱねるべきだった」と。昨日の記事では、日本外交が損得よりも勝ち負けばかりを追いかけるようになったと書きましたが、それもまた国民の声に沿ったものなのかも知れません。経済的な利益を追うのは悪いことだとばかりに精神論に走りたがる日本社会では、自分たちの「正義」を押し通すことが何よりも大事になってしまうのでしょう。欲しがりません勝つまでは!

「私だったら中国首相と話し合えた」鳩山氏自負(読売新聞)

 鳩山前首相は25日、中国漁船衝突事件に関し、「私だったら事件直後に、この問題をどうすべきか中国の温家宝首相と腹を割って話し合えた」と述べ、菅首相の対応を批判した。

 鳩山氏は、首相だった時に温首相との間で「ホットライン」(直通電話)を作ったと明かし、「ホットラインは菅首相にも引き継がれているはずだ」と指摘した。

 首相時代には米軍普天間飛行場移設問題で迷走した鳩山氏だが、対中外交では強い自負心があるようだ。

 ……で、呆れたのがこちら。鳩山兄が「私だったら中国首相と話し合えた」と豪語しているわけですが、それが本当なら今からでも遅くないのでさっさと話し合いの席について欲しいと思います。首相の座を退いたとはいえ。まだ現役の与党議員なのですから、他人事のように「私だったら」などと吹かしていないで手を尽くしてください。菅の無策ぶりも酷いものですが、だからといって閣外の政治家が何もしないで待っていることが許されるわけではありません。現閣僚が何も有効な手を打てないでいるのなら、そこは閣外からでも協力できるはずです。確かに政治主導の元では閣僚ではない議員は軽視されがちですけれど、無位無官の議員だってやれることはある、ましてや前・首相ともなれば外国に対しても相応の影響力があるわけです。本当に鳩山が温家宝との間にコネを持っているのなら独自に動いてでも仲介に走るべきではないでしょうか。

 結局、厳しい国際競争云々などと言って外国の脅威を煽りつつも国内で過当競争を続ける日本経済と同様、政治もまた外国の脅威を煽りながら国内で競争することが好まれているのかも知れません。本当に中国との関係が危機的なものであるのなら、中国政府筋とのツテがある議員が閣外から協力してくれても良さそうなものですが、むしろ菅内閣の失敗を待っている議員の方が多いように見えます。「私だったら~」と豪語しつつ、実際には何もしない鳩山はその典型と言えそうです。菅の失敗を待って復権でも狙っているのでしょうか。そして同様の思惑は自民党筋にも少なからずあるような気がします。とりあえず現役の政治家諸氏にとって現在の日中関係は、挙国一致で当たる必要があるほどの危機的状況ではないとの認識なのでしょう。私もそこまでの危機的状況とは思っていませんけれど、日頃は国益だの何だのと喧しく、同時に隣国の脅威を強調してやまない連中が、その隣国からの圧力に対して国内の協調ではなく国内の権力争いの方にこそ関心を向けているとしたら、まぁお里が知れるというものです。

 

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外交能力がない

2010-09-26 22:58:26 | ニュース

中国船長釈放、仙谷官房長官が政治介入を否定(朝日新聞)

 仙谷由人官房長官は24日夕の記者会見で、那覇地検が尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で逮捕した中国人船長の釈放を発表したことについて「検察の決定後、本日午後に那覇地検が記者会見という方法で発表するという連絡を法務省から受けた。検察が捜査をとげた結果、身柄を釈放するという報告だ」と述べ、釈放は那覇地検独自の判断であり、政治介入はなかったとの認識を示した。

 那覇地検が会見で「(釈放は)日本国民への影響や今後の日中関係を考慮した」と発表したことについては、「検察官が総合的な判断のもと、身柄の釈放や処分をどうするか考えたと言えば、そういうことはあり得ると考える」と語り、検察の判断を容認する考えを示した。

 なんと言いますか、民主党の語る「政治主導」とはどういうものかを端的に表しているような気がします。実際に政治介入があったかどうかはさておき、国民のウケが悪いことは官僚や検察のせいにして済まそうとする、これぞ政治主導の典型です。「何を」決めるかではなく「誰が」決めるかにこだわってきた、官僚や司法ではなく官邸が物事を決めなければならないのだと主張してきたにも関わらず、難しい局面では検察の決定ということにしてしまう、いやはや政治主導とは便利なものです。

「政府は間違った判断した」=中国人船長の釈放決定を批判―石原都知事(時事通信)

 東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、尖閣諸島沖での中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件で、公務執行妨害容疑で逮捕された中国人船長の釈放を那覇地検が決めたことについて「政府は非常に間違った判断をした」と批判した。また「尖閣で向こうから体当たりしてきたという保安庁の言い分が正しいかどうか、保安庁の持っているビデオを公表してもらいたい」と語った。

 さて、この辺は橋下とか自民党をはじめとする野党議員とか、そして民主党内部からも似たような非難が出ているわけですけれど、とりあえず代表して慎太郎さんのコメントを取り上げます。「政府は非常に間違った判断をした」と中国人船長の釈放に噛みついているのですが、どうしたものでしょうね。確かに民主党政府の対応はクレバーとは言いがたいものですけれど(ちゃんと裏で取引しているんでしょうか?)、ただ国内に向けて日本政府側の対応の正当性を訴え続けるよりは、ずっとマシな対応のような気がします。慎太郎さんを初めとして国内世論的には、ひたすら自国の正当性を(国内に向けて)訴え続けていた方がウケが良さそうですが、それこそ政治の責任放棄というものですから。

日本は“船長トラップ”に乗せられた!? 
尖閣沖衝突に「自民党ならこうはならなかった」の声も(DIAMOND online)

 「売られたケンカはかわすのが普通、だがそれを買ってしまった」――。

 上海では、在住の日本人からも中国人からも「自民党ならばこんな展開にはしなかったはずだ」という発言が聞かれ、民主党への批判も高まっている。

 巡視船と中国籍漁船の衝突事故は7日に起こったが、8日後に迫る民主党代表選挙で配慮が行き届かず、「政治的解決」が後回しにされてしまったことも想像に難くない。

 「結局この間、判断を現場に任せざるを得ず、当の現場は責任問題を恐れ、“ごく普通の司法手続き”を踏んでしまったことが問題をこじらせる発端になった」(前出のA氏)。

 また、同氏は民主党内のタカ派がこれを利用していると見る。

 「『中国漁船も来るから沖縄には基地が必要だ』と、タカ派は沖縄にも米国にも強いシグナルを送ることができる。一石二鳥だ。」

 2004年に中国の活動家が尖閣諸島に「不法」上陸した際、当時の首相であった小泉は「大局的な判断」と称して拘束した中国人活動家を送検せずに帰国させています。何かと外交面でも後退が目立った小泉時代ですが、そういう側面もまだ残されていたようです(今の自民党ですら谷垣は「問題を深刻化させないことが一番大事だ。直ちに国外退去させた方が良かった」と述べていますし)。そして当時の野党や世論は、この小泉の判断にどう反応していたのでしょうか? あまり大きな問題にはならなかった、とりたてて当時の内閣が非難を浴びるようなことはなかったような気もしますが……

 「古い自民党」の元、日本はアパルトヘイト政策で国際的に孤立していた時代の南アフリカと付き合い続けて「名誉白人」の称号を贈られるなど、外交面では「理」よりも「利」を優先させてきたわけです。何が正しいか間違っているかではなく、その外交関係が日本の国益に叶うかどうか、後者の方を大事にしてきたはずです。それがいつの間にか損得よりも勝ち負けを優先する外交に変わってきてはいないでしょうか。どこの国とどのように付き合えば得になるか、それを考える代わりに「自分は正しいのだ」と主張することに重点がシフトしてきているように思います。

 かつて北朝鮮がミサイル実験を強行したとき、安倍内閣の支持率は大きく上昇し、当時の外相であった麻生太郎は「金正日に感謝しないといけないな」と漏らしました。私からは外交上の失敗にしか見えない結末だったのですが、国内世論的にはむしろ外交とは失敗した方が好ましいものなのかも知れません。そして現役の外相である前原はと言えば、尖閣諸島は日本領であり領土問題は存在しないとの建前にしがみつき、今回の問題を国内問題として処理する、すなわち外交を放棄する構えを見せるなど、相変わらず政治が役目を果たしていないわけです。

 ここで仮に日本側の主張が全面的に正しいとしても(往々にして領土に関する当事国の主張は怪しいものですが)、現に他所の国と揉めている以上、これは外交問題なのです。ひたすら自国の正当性だけを訴えておけば国内の戦意は高揚するかも知れませんが、国益を考えればこそやるべきことは別にあります。しかるに、今や外交を損得ではなく勝ち負けで考える時代であるとするなら、たとえそれがどれほど日本の経済や社会に悪影響を与える結果になろうとも、相手国に一歩も譲らないことの方が望まれるものなのかも知れません。

 日中の関係が本当に互恵的なものであれば、日中関係の悪化は中国にとっても打撃になります。とりわけ輸出入によって利益を得ている財界筋からすれば、領土問題などさっさと幕引きしろ、我々の商売の邪魔をするなといった思いが少なからずあるでしょう。しかるに日本側ばかりが利益を得るような関係であったならば、日中関係の悪化によって困るのは日本側ばかりということにもなります。日本への輸出や日本からの輸入によって中国サイドが利益を得ているのであれば必然的に中国側の行動にもブレーキが掛かりますが、中国側に利の薄い関係であったのならば、中国にとって日本を切り捨てることなど簡単です。経済面でも勝ち負けを競う、自国優位の関係を築きたがるところは少なからずあるはずですが、自国優位の関係(=日本側ばかりが利を得る関係)になるほど外交面では弱みを握られることにもなる、その辺のバランスの取り方も考えるべきでしょうね。

 ともあれ、今回の一件で露呈したのは日本の外交力の不足、とりわけ菅内閣の前政権にすら劣る外交力の弱さと言えます。そしてこの外交力の不足を、軍事力によって補おうとする輩も出てくるわけです。引用元でも挙げられているような民主党内のタカ派に限らず、自民党を初めとする野党筋やネット世論もまた、外交力ではなく軍事力をこそ積み増すことを説くでしょう。そして世論の支持を失うであろう菅内閣が、それに靡かない保証などどこにもありません。

 

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失業者に紹介する仕事か?

2010-09-25 22:57:32 | 編集雑記・小ネタ

 前の派遣先が意外と長かったこともあって、就職活動をするのは割と久しぶりになったのですが、3~4年前と比べると格段に状況が悪くなっているように感じてなりません。以前ならばある程度まで妥協すればそこまで苦労せずとも仕事は見つかったものですが、何しろ昨今の有効求人倍率は0.5前後と、選ばなくても仕事はないわけです。5年前だったら書類選考の段階で落とされることなんてほとんどなかったのですが、今となってはハナも引っかけられない有様です。この辺は景気動向もさることながら年齢的な要因も大きいのだろうなと思われるだけに、何かと手詰まり感が漂ってきます。

 で、先日ある派遣会社から求人案内のメールが届きました。

「本日は○○区役所様に常駐いただく、キャリアカウンセラー募集の案件を御案内いたします!」

 ……ですって。

 ちょっと遠いなりに通勤可能なエリアではありますし、時給も前職に比べると低いですが許容範囲でしたので、つべこべ言わずに応募できるものはと応募してみました。たぶん、週明けには向こうからお断りのメールが帰ってくるでしょう。募集要項には人材紹介会社や学校の就職課、あるいはハローワークで3年以上働いた経験がある人を募集とありましたので、万に一つも見込みはありません。そもそも派遣会社には私の職歴を登録しているわけで、今回の募集で要求されている職務経験を満たしていないってことはわかりそうなものですが、たぶん派遣会社側は通勤可能圏の登録者に一斉送信しているのでしょう。

 ハローワークの窓口相談の人は基本的に非常勤であると以前から聞いていましたが、そうした仕事の口が、まさか私にまで紹介されるとは思っても見ませんでした。普通に考えれば就職に関して相談に行く側である失業者に対して、そうした相談を受け付ける仕事を紹介するという行為は、もはや派遣会社からすれば当たり前なのかも知れませんが、私からすればシュールにすら感じられます。まぁ身をもって失業を経験している人であればこそ、仕事を探している人の置かれた状況を理解できるフシがあるとも言えるのかも知れませんね!

 以前に、セクハラでクビになった大学の就職課職員の話を取り上げました(参考)。その時の職員もまた、当初は人材派遣会社からの派遣で働き始めたことが報道されていたものです。ハローワークの窓口相談役にせよ学校の就職課にせよ、そして役所の「キャリアカウンセラー」にせよ、この手の就職相談を受ける人の非正規雇用率は相当に高そうです。定年退職した人が年金受給年齢までのつなぎとしてハローワークのバイトをしているくらいならまだ理解できますが、それなりに若い人も少なからず目にします。詰めかける求職者の相談に応じているのは、実はいつクビを切られて失業するかわかったものではない、そんな不安定な立場に置かれた人たちでもある、何とも不思議な光景ではないでしょうか。

 どこの世界も営業は激務が多いのか、派遣会社の営業も結構頻繁に辞めていくイメージがあります。それこそ私が雇い止めに遭うより、担当営業が退職していく頻度の方が高いくらいです。今回のキャリアカウンセラーの募集要項にあるような類の勤務経験なんてどこで得られるのか、それこそ普通の派遣社員では得られないような職務経験を派遣の求人において要求されているように見えるわけですけれど、たぶん派遣会社の元営業などの元・正社員が派遣として働くことを想定しているのでしょう。日本の雇用は流動的ですから、それなりにキャリアのある人でもどんどん下に落ちてくるものです。

 ともあれ「世間」の感覚からすれば、これも必然的な流れなのでしょう。とにかく公務員を減らすことが是とされる中では、ハローワークや役所の、国公立の学校でも正規職員から非正規への切替が進められる、そうなると就職相談を受ける係も非常勤に置き換えられるものです。あるいは善意の人に「貧しさ」を求める風潮もあるはずです。貧困や格差の問題に取り組む人に対して、その人自身が貧しくあることを求める風潮はないでしょうか? 貧困層や社会的弱者のために活動している人に対して、その人が裕福であることを非難めかして強調する輩も少なからずいる、自らも貧しくなければ貧困問題に言及する資格などない、みたいな態度を取る連中は珍しくないわけです(参考)。そういった点では、失業して仕事を探している人の相手を、これまたいつ失業するかもわからない不安定雇用の人に任せるのは国民の感覚に沿ったことなのかも知れません。

 

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しつけという名の虐待

2010-09-24 23:01:11 | ニュース

【なぜ親は一線を越えるのか】(2)しつけと虐待の境界 体罰容認で判然とせず(産経新聞)

 いやがる娘を引きずり出して鍵をかけた。泣き声が家の中まで響いていた。東京都の会社員、福岡由美子さん(45)=仮名=は長女(21)が小学生だったころ、しつけのつもりで玄関の外へ出していた。

 「おもちゃを片づけなかったり、ほしいものをしつこくねだったりしたとき外へ出していた。殴っていないから虐待ではないという安心感もあった」

 通院した精神科の病院で虐待の勉強会が開かれた。「自分の行為が虐待に引っかかると知ってびっくりした。でも、あとで大学のセミナーでしつけと虐待の境目を尋ねたら教授も言葉に詰まってしまった。専門家でも難しいのでしょうか」

 「子どもの虹情報研修センター」研究部長の川崎二三彦さん(59)は「しつけは子育てに必要とされるものであり、虐待は明確に禁じられている行為だ。両者は本来、交わるはずがないのに、線引きが難しいといわれるのはなぜか」と自問し、こう述べた。

 「それは、しつけと虐待の境界に『体罰』が割り込んでくるためだ。体罰によって、明らかに別物であるはずのしつけと虐待の区別がつかなくなってしまう」

(中略)

 わが国の児童虐待対応の先駆者の一人、故坂井聖二医師によれば、児童虐待の本質は次の2点だという。

 「加害者の動機・行為の質によらず、子供が安全でないという状況判断」

 「あるコミュニティーの中で最低限、親に要求される育児の範囲を逸脱したもの」

 川崎さんは「2つの調査が示すのは、日本社会というコミュニティーがしつけの手段として体罰を容認していることだ。むろん体罰イコール虐待ではないが、社会の中に体罰を肯定する考え方がある限り、しつけや愛のムチと主張される暴力を毅然(きぜん)として否定することは難しくなる」と話す。

 産経新聞にしては、なかなか良い着眼点を紹介しているのではないでしょうか。まず社会的な慣習として「しつけ」と称した体罰が容認されている、だからこそ「しつけ」のつもりで体罰が振われている、そして「しつけ」をしたつもりの親はと言えば「自分の行為が虐待に引っかかると知ってびっくり」するわけです。児童虐待の事例が大々的に報道されれば、その虐待を加えた親に対してこれ見よがしに憤ってみせる一方で、体罰に関してはその必要性を説く、こうした矛盾に無自覚であることもまた、児童虐待の問題が世間を賑わせ続ける一因と言えます。

 なお引用記事の見出しには「【なぜ親は一線を越えるのか】(2)」とありますが、これはシリーズものの記事でして、シリーズの(1)では児童虐待に走る親たちが挙って「しつけのため」と口を揃えることが伝えられています。親たちからすれば純然たる「しつけ」のつもりでも、実質的に虐待である場合が多い、しかし親たちからすれば「しつけのため」なのだから、そこで子供に加えている体罰は虐待ではない、しつけとして許されるものだと思い込みがちなようです。そうして徐々に「しつけ」がエスカレートしていった結果として、新聞沙汰になったりするのでしょうね。

 ◆「温かみあれば」

 夫と離婚し母子家庭で小学生の娘2人を育てる東京都の公務員、山川陽子さん(36)=仮名=は「しつけで子供に手を上げたことのない親は、それこそネグレクト、育児放棄だと思う」と話し、こう続けた。

 「けれど、同じ手を上げるにしても、子供に説明して納得させる親は虐待にはならないと思う。それがないと威圧と恐怖だけが積み重なり虐待になっていく。子供から見て、しかられている中にも温かみがあれば虐待にはならないのではないか。うちの子は『お母さんは怒ったら怖いけど、でも優しい』と言ってくれる」

 しかるに、やはり掲載誌の社是として体罰容認があるのか、こういう形で留保も付けられているわけです。「温かみあれば」虐待にはならない、と。ともすると真っ当に聞こえるところもあるかも知れません。ただこういった形で抜け道を用意しておくからこそ、虐待への順路が開かれているようにも思えます。結局のところ上記引用の山川陽子さん(36)=仮名=は子供を使って体罰を正当化しているに過ぎない、果たして本当に「温かみ」とやらが子供と共有されているのか、体罰を加える側の単なる自画自賛ではないのか、疑念は尽きません。DV夫から離れられない女性も結構いるようですが、そうなる理由の一つは「夫は怒ったら怖いけど、でも優しい」みたいに思い込むことで、現状の関係を肯定してしまうからではないでしょうか。ここで免罪符のように掲げられた「でも優しい」という言葉は、体罰による威圧と恐怖を覆い隠す言葉でもあるはずです。

 虐待防止活動を続ける民間団体代表、森田ゆりさんは「体罰は、大人の感情のはけ口であることが多く、恐怖感を与えることで子供の言動をコントロールする。即効性があるため、ほかのしつけの方法が分からなくなり、しばしばエスカレートして虐待になる。ときに取り返しのつかない事故を引き起こす」と話す。

 よく「憎いから叱るのではない、可愛いから叱るのだ」みたいな言い回しがあるわけですけれど、そんなわけはありませんよね。実際は、本人がムカついたから叱るのです。上司から部下、先輩から後輩への「指導」も、親から子への「しつけ」も、要するに一方の感情のはけ口でしかなく、恐怖によって相手をコントロールする行為でしかありません。そして本人は愛の鞭のつもりであり、かつ節度を弁えているつもりでありながら、いつの間にか箍が外れて行為はエスカレートしてゆく、そういうものなのでしょう。

 

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死刑判決のようなもの

2010-09-23 22:59:59 | ニュース

橋下知事、弁護士会に逆懲戒請求へ 「処分内容を漏洩」(朝日新聞)

 弁護士の橋下徹・大阪府知事(41)が知事就任前の2007年5月、山口県光市の母子殺害事件の被告弁護団の懲戒請求を呼びかけ、大阪弁護士会(金子武嗣会長)から17日に2カ月の業務停止処分とされた問題で、橋下氏は21日、「事前に報道機関に懲戒内容を漏らしたのは品位にかける」として、同弁護士会の会長や副会長らに対し、近く逆に懲戒請求する考えを明らかにした。

 大阪弁護士会は「弁護士の品位を害する行為にあたる」として2カ月の業務停止処分を決定し、17日午前に橋下氏側に処分内容を通知した。その処分内容は同日付の朝日新聞朝刊に掲載された。

 橋下氏は処分を受け入れる方針で、橋下綜合法律事務所によると、21日に同弁護士会に弁護士バッジを返還した。近く弁護士法人の役員からも外す手続きを取るという。バッジは処分が終わった2カ月後に返還される。

 一方で橋下氏は、事前に報道された点を問題視し、「業務停止は弁護士にとって死刑判決のようなもの。事前に判決文が漏れたことは前代未聞。道頓堀でケツを出すより下品な行為」と述べた。

 なにやら橋下が逆ギレ的な対応をしているようです。確かに事前に懲戒方針の決定と大まかな内容が報道されたこと、つまり懲戒内容が正式決定より先にメディアに伝えられていたことに関しては議論の余地はあるのかも知れません。もっとも、これが本当に前代未聞なのかどうかは、何しろ橋下の言うことなので鵜呑みにはしづらいところです。裁判所の判決ならいざ知らず、あくまで弁護士会の決定ですし、懲戒の対象は私人ではなく大阪府知事という公人ですから、取材に応じて弁護士会の方針が説明されるくらいのことは取り立てて異例のことではないような気もします。

 もっとも先に橋下が呼びかけた懲戒請求の経緯からもわかるように、法律論上の是非は何かと世間に通用しにくいものです。弁護士会側に非はなくとも、世間が橋下側に付いて弁護士会を非難することは十分にあり得ます。橋下側に非があると司法が判断したところで、それが世間の評価と一致するとは限らない、阿久根市においてもそうであるように、住民の支持があれば不法な振る舞いを繰り返しても許されてしまう風潮もあるわけです。今回の橋下サイドからの懲戒請求が受け入れられることはないでしょうけれど、これに扇動される人は少なからず出てくるのかも知れません。ある意味、世論を背景にした脅しとも言えそうです。

 それはさておき「業務停止は弁護士にとって死刑判決のようなもの」だそうです。たかだか2ヶ月のことですし、そもそも現在の橋下は弁護士としての活動などしていないのですから傍目には大したことがないように見えますが、橋下に言わせれば「死刑判決のようなもの」とのことです。ふむ、何かと厳罰化が求められる、懲役○○年あるいは無期懲役では軽すぎるとの声が途絶えることがない昨今ですけれど、じゃぁ今後は懲役刑では軽すぎると思われる被告に対して「死刑判決のようなもの」を導入したらどうでしょうかね。重大な罪を犯した被告は、被告の職務上に必須となる資格を2ヶ月にわたって剥奪するという「死刑判決のようなもの」に処するわけです。素人目にはおかしく見えるかも知れませんが、何しろ大阪府知事という立場にあり、かつ弁護士資格も持っている人間が資格停止は死刑判決に相当する重い罰と評価しているのですから、ここは専門家の判断を尊重することとしましょう。とりあえず光市の殺害事件の被告も「死刑判決のようなもの」に処したらいいと思います。

 

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毎日新聞も結構酷い

2010-09-22 23:01:14 | ニュース

<明日はある…か?>どうする負担増/1 社員の社会保険料、正直に払えない(毎日新聞)

 「まじめに社会保険料を払ってたら、会社がもたないよ」。健康食品会社の女性社長は、いら立ちを抑え、語り始めた。保険料を節減するため手を染めた「偽装工作」。指南したのは、決算を相談していた会計士だった。

 手口はこうだ。従業員約10人を表向きには退職させ、厚生年金と健康保険の加入対象から除外。実際には、新たに設立した派遣会社で再雇用し、保険料の会社負担がない国民年金と国民健康保険に移ってもらった。退職させなかった社員4人も給料を半分に過少申告し、年200万円の保険料を節減した。それでも、本業では主力の高級輸入食材の売上高がリーマン・ショックで半減し、09年度は約700万円の赤字に陥った。「悪いことだとは思うけど、やらなきゃつぶれる」

 法人企業は厚生年金、健康保険の保険料を従業員と折半で負担しなければならず、個人事業でも常時5人以上が働いていれば加入義務がある。だが、総務省が06年9月に公表した調査結果では、厚生年金に加入すべき事業所のほぼ3割に当たる63万~70万カ所が加入漏れの可能性があり、これらの従業員は約267万人に上る。東京都内の社会保険労務士は「社会保険料を払わなくて済む抜け道はいくらでもある」と話す。

(中略)

 会社が保険料を節約する一方、生活苦から国民年金にも国民健康保険にも加入しないケースも多い。従業員が社会保険に入っていない茨城県の建設会社の女性役員(35)は「若い社員は目の前の生活費確保で精いっぱい。保険料を払う余裕はない」と話す。

 国民のセーフティーネット(安全網)であるはずの社会保険だが、保険料負担の重さが中小・零細企業や働き手を苦しめ、その役割を果たせなくなりつつある。

 少子高齢化など社会構造の変化で増え続ける社会保障費。今の日本の社会保障を維持するなら、医療・介護・年金の社会保険料の引き上げか、増税を国民が受け入れるしかない。しかし、「消費税10%」を打ち上げた菅直人首相は、参院選大敗後、沈黙を決め込んでいる。税制論議が進みそうにない中、保険料をさらに引き上げる余地はあるのか。負担にあえぐ、現場を歩いた。

 上記の例、私にはかなり悪質な手口に思われるのですが、報道は企業側にかなり同情的なようです。「保険料負担の重さが中小・零細企業や働き手を苦しめ」とのことで、偽装行為に手を染めた経営側を非難する代わりに、別のところに責任を擦りつけようとしている様子が窺われます。往々にして右派は大小問わず経営側に立つものですし、左派は「弱い」企業には甘い傾向にありますので(しかし弱い企業ほど雇用主としては悪質なケースが多いのですが)、こうした中小零細企業は誰からも非難されない存在なのかも知れません。

 たぶん、こういう記事を書くような記者は最低賃金の引き上げに関しても同じようなことを言うであろう気がします。ちゃんと社会保険料すらマトモに払えない会社に同情するように、最低賃金ギリギリの給与しか出せないような会社にも同情的になる、そうして暗黙裏に最低賃金の引き上げに反対するようなことを語るのではないでしょうか。正直なところ、社会保険料さえ払えない、1000円程度の時給すら出せないような会社は営利企業としては欠陥品であり、これを延命させることこそ将来にツケを回す行為に見えるのですが、しかるに最低賃金を先進国としては異例の低い額に止めることで欠陥企業を守ってきたのが日本でもあります。社会保険料を誤魔化すような企業だって、温情をもって見守られてゆくのでしょう。

 社会保障のための財源を増やす必要があるのは確かなのかも知れません。ただ「医療・介護・年金の社会保険料の引き上げか、増税を国民が受け入れるしかない」との毎日新聞の結論には、少なからぬミスリーディングがあるようにも思います。引用元では負担増を「国民が受け入れるしかない」と言い切っていますけれど、もっと別の選択肢だってあるはずですから。たとえば社会保険料の企業負担分です、日本は最低賃金同様、この社会保険料の企業負担分も低く据え置かれているわけです。この辺をヨーロッパの水準に合わせていくこともまた、ありうる選択肢と言えます。もっとも企業負担が増えるような施策は好まれないだけに、冒頭で取り上げられているような現時点での社会保険料さえ支払えない「弱い」企業を持ち出して企業負担の増大に反対する人が後を絶たないことでしょう。

 また引用元では「増税」と称して暗に「消費税増税」を示唆しているようにも見えます。これだって法人税や所得税など、別の選択肢はあるはずです。「保険料負担の重さが中小・零細企業や働き手を苦しめ」などと書いておきながら、返す刀で逆進性の強い消費税を財源として示唆するとしたら、欺瞞もいいところです。「中小・零細企業や働き手」に負担をかけずに財源を確保したいならば、累進性の高いものが挙げられるべきではないでしょうか。現時点ではほとんど累進制が機能しなくなっている所得税の仕組みを見直す、というより高度経済成長期の制度に戻すことも有効な手段となりますし、法人税率だって同様です。儲かった分にだけ課税される、儲かっていないところには課税しない、そういう仕組みの税もまた弱者に優しい税であり、社会保険料の企業負担分を低く据え置くのであれば法人税の方にシフトを進めるのも有用な選択肢と言えます。何も「国民」と称して持てる者にも持たざる者にも一様に負担を求めるばかりが財源確保の手段ではないのですから。

 

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好きで選んだワケじゃない

2010-09-21 22:59:18 | 編集雑記・小ネタ

 昨日の補足として、「積極的」あるいは「主体的」な選択と、「消極的」もしくは「やむにやまれぬ」選択の違いを考えてみたいと思います。「自分の都合の良い時間に働けるなどの理由で就業形態を選ぶ者が少なくない」として非正規雇用は自己責任、だから逸失利益は低く見積もるべきだとの論文を発表した裁判官がいたわけですが、こうした想定にはどこまで妥当性があるのでしょうか。逸失利益を低く見積もることが許されるかどうかについては昨日のエントリで述べたところですが、この「選ぶ」という行為が果たしてどこまで本人の責任に帰せられるものなのか、そこもまた問われる余地があるはずです。

 なかなか理想的な就職先は見つからない、元より労働環境が悪く、かつ不況も相まって異常な買い手市場でもある日本においては、就業に当たって諸々の妥協を余儀なくされます。賃金、拘束時間、、勤務シフト、職場環境、休日数、福利厚生、業種に職務内容、職場の規模など、色々と問われるべきものがある中で何もかも条件にあった仕事というのはなかなか存在しないものです。どこかしら、妥協せざるを得ません。そうした中では、雇用形態という面で妥協することを選んだ人だって出てくるわけです。できれば正規雇用の方が望ましいが、どこかしら妥協しないと就職できない、仕方がないから雇用形態の面では妥協する――そういった経緯で非正規雇用として働いている人が多数を占めているのではないでしょうか。

 確かに、それは本人が選んだものだと言えるのかも知れません。ただその選択は消極的なものであって決して主体的なものではない、選びたくて選んだ道ではなく、限られた選択肢の中でやむなく選んだ道です。そうした選択に対して「本人が選んだのだから」と自己責任として切って捨てる、逸失利益の引き下げが認められるとしたら、それ「以外」の選択だって同様に扱われてしまうことになりかねません。正規雇用だからこそ時給に換算すればバイト以下の仕事がごろごろ転がっている、あるいは飲食業を筆頭に異常な超長時間労働によって鬱病や自殺に追い込まれる、過労死する人だって少なくないわけです。しかるに非正規雇用で働くことが本人の選択の結果であるとするのなら、薄給の職場で働くのも超長時間労働が常態化している業界で働くことだって本人の選択の結果ということになってしまう、その結果も甘んじて受け入れよということになってしまいます。

 「自分の都合の良い時間に働けるなどの理由で就業形態を選ぶ者が少なくない」として非正規雇用並びに非正規雇用が押し進める格差の固定を是認するならば、雇用形態以外の要因からもたらされる各種の不利益もまた本人の選択の結果として肯定されてしまうことでしょう。健康で文化的な生活には支障が出るような薄給の仕事だって、「○○の理由で選ぶものが少なくない」と言うことは可能ですし、鬱病や自殺、過労死が頻発する業界だって「○○の理由で選ぶものが少なくない」と言えます。ですがその選択は、本人が真に望んだものだったのでしょうか。できれば正規雇用が望ましいが非正規しかなかったから雇用形態は妥協した、できればマトモな給料の会社で働きたかったが薄給の仕事しかなかったから妥協した、できれば余裕のある仕事に就きたかったが就職できそうなところがそれしかなかったので勤務時間の面で妥協した――これを本人の選択として片付けるようなことは、あってはならないと思います。

 

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