非国民通信

ノーモア・コイズミ

捏造はお家芸みたいなものではありますが

2012-03-29 23:36:43 | 社会

 大阪市職員、リスト捏造認める 「労組告発したくて」(朝日新聞)

 昨秋の大阪市長選で前市長の支援者拡大を職員労働組合が徹底させる内容の職員リストが捏造(ねつぞう)された問題で、架空の文書を作成した疑いがもたれていた市交通局の非常勤嘱託の男性職員が27日、同局の事情聴取に対し、捏造を認めたことが分かった。職員は「文書を大阪維新の会の市議に持ち込んだ」とも話しているという。取材に対し、同局が認めた。同局はこの職員を27日付で解職するとともに、刑事告発を検討する方針。

 捏造と判明した文書「知人・友人紹介カード配布回収リスト」について、男性職員は27日、交通局の調べに「誰かに作成を依頼されたものではなく、自分が作った」と説明しているという。

 動機については、昨秋の市長選では職場内で労組による紹介カードが配られているのを目撃したと主張。そのうえで「ひどいと思い、何かしらの形で告発したいと思った。正義感からやったがだめなことをしてしまった」「明るみに出れば、騒ぎになると思っていた」などと話しているという。文書を送った維新市議については「以前から面識があった」と説明しているという。

 

 さて、橋下率いる維新の会が市職員労組に噛みついていたわけですが、そのネタ元になっていた内部告発文書は捏造であったことが伝えられました。永田メール事件を思い出しますね。信憑性の低いネタを手に、自信満々で相手に迫れる神経が私には信じられないのですけれど、それくらいの無神経さがなければ当選できないのが議員の世界なのでしょうか。小泉純一郎は「鈍感力が大事」と語りましたが、自分たちに不都合な事実には一切目もくれずに平然としていられる、そういう感覚こそが有権者にアピールするものなのかも知れません。

 なにはともあれ、大阪市交通局の調査によって捏造であったことが明らかになりました。維新の会には情報の真偽を判断する能力がない、維新の会の主張がいかに世論の共感を呼ぼうとも、まずは自分で事実関係を調べてみる必要があるということを、よくよく示しているようにも思います。しかしまぁ、刑事事件に喩えるならば容疑者が自らの調査で真犯人を捜し出したみたいな状況なわけです。何ともドラマチック――という以前にお寒い状況ではないでしょうか。組織的な調査や反論ができない個人が標的にされていたら、橋下一派によって言いがかりを付けられたまま、名誉回復されることもなく職を追われていたであろうことも考えられます。ポピュリズム系の首長なり自衛隊なり体罰を振るう教師なり、世間の支持さえあれば法律を逸脱した行為までもが容認もしくは期待されがちな時代の空気を如実に表しているようです。

 

非常勤職員、捏造・流出認める 市長選リスト 交通局、解雇へ(産経新聞)

 一方、橋下徹市長は27日、報道陣に対し、この職員と大阪維新の会にリストを“内部告発”した人物との同一性について「客観的証拠からすれば高い蓋(がい)然(ぜん)性(確率)で認められる」「維新はもう当然視しているんだろう」と述べ、職員が維新にリストを提供したとの認識を示した。

 一方、維新市議がリストをもとに、市議会で交通局と労働組合が不適切な政治活動をした可能性を追及したことについては「何も追及しなかったら捏造の事実すら出てこなかった。捏造ということで組合のぬれぎぬをはらしたのだから問題ない」と話した。

 

 なお橋下曰く「何も追及しなかったら捏造の事実すら出てこなかった。捏造ということで組合のぬれぎぬをはらしたのだから問題ない」とのこと。この人の非論理にはなかなか付いていけないものがあります。ある意味で議論に強いのも、そういうところから来ているのかも知れませんね。常識が通用しないわけですから。ともあれ、橋下理論を実践するなら、例えば私が橋下の女性問題とか金銭問題を捏造して、それを民主党とか脇の甘そうな党に情報提供する、この創作ネタを元に市議会や週刊誌上で橋下が攻められることになっても、結果的にガセと判明すれば「何も追及しなかったら捏造の事実すら出てこなかった。捏造ということで市長のぬれぎぬをはらしたのだから問題ない」ということになるのでしょうか。

 一方で捏造に手を染めた人は「(労組を)何かしらの形で告発したいと思った」と話しているそうです。その人が見たことが事実であるなら、あるがままに伝えれば良さそうなものですけれど、敢えて捏造という手段に頼ったのは、創ることでしか証拠「みたいなもの」を提示できなかったものと推測されます。今回の捏造犯は非常勤嘱託の職員とのころ、ルンペンプロレタリアートは革命に非協力的みたいなニュアンスのことをマルクスは語っていたとされますが、まぁ確かにそうだな、と思わないでもありません。むしろ所得が低い人ほど、国民をより貧しくする政治家、政策を支持する傾向がないでもないですし(近年の日本では反労働者の立場を取る政治家ほど「改革」を称するだけに錯綜しているところはあるにせよ)。

 前市長の平松と橋下の関係は、首相で言えば橋本龍太郎と小泉純一郎に似ている気がします。つまり、政策的には同一路線上にあるけれど、それを実現させる「手法」の面で大きな変化があるわけです。「たばこを吸いながら『この仕事は僕に合わないから』みたいな人は、大阪市から出て行ってくれ」と宣った平松前市長(参考)が橋下とは異なる志を持った政治家であるとはとうてい思えないですし、人件費削減の実績なら平松だって十分なのではないでしょうか。そうした橋下の先駆者たる平松市政下で非正規に甘んじてきた一人が今回の捏造犯と言えなくもなさそうですが、しかるに彼が憤りを感じる相手は、人件費削減を推し進め、非正規(非常勤)への置き換えを断行する政治家ではなかったようです。

 ちょっとばかり猟奇的な殺人事件などが起こると、しばしば容疑者の書棚が漁られます。ゲームソフトとかアニメとか、漫画でもエロ関係が見つかると、決まってそれが大きく取り上げられるものです。その手のフィクションが容疑者を犯行に至らしめたみたいな、暗黙裏の誘導が繰り返されてきたわけです。じゃぁ、今回の捏造犯の場合はどうなのでしょうか。もちろん違法行為になってしまいますけれど、こういう人の書棚も漁ってみたらどういう結果になるのか興味深いところです。

 お笑いダイヤモンドとかプレジデントとか、ああいう自称経済誌の類とかでも読むのかな、と思わないでもありません。まぁ書籍で読まないまでもweb上で見たとか、あるいはそこで連呼される類の主張を受け売りする経済知ったかぶりブログの熱心な読者だったとか。とにかく自分が(非正規雇用に甘んじるなど)冷遇されているのは、雇用主以外の誰かが悪いからだ、もっと雇用主が自由に振る舞えるようになれば、無能なあいつらを解雇して自分にチャンスが与えられるのだと、そう信じ込まされている可哀想な人も少なくありません。フィクションは現実に影響を与えるものだと、強く思います。世間では性表現や暴力表現だけが影響を与えるかのように誤解されていますが、むしろ上述の自称経済誌やAERAに東京新聞などの煽りメディア、聖書にコーランといった類の方がよほど人々を狂気に駆り立て、我々の社会を脅かしてきたのではないでしょうか。まぁ、捏造犯の書棚に関しては私の知るところではなく純然たる憶測ですけれど、労組に対する奇妙な被害妄想を持つ人もいる、そういう人間が育った背景も考えられてしかるべきではないかという気がします。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (7)

非正規雇用を取り巻く現実と世迷いごと

2012-03-27 22:43:00 | 雇用・経済

初職場「正規」は結婚率高く=28~42歳の男女1万人余調査―厚労省(時事通信)

 学校を卒業したり中退したりした後に、初めて就いた仕事が正規の社員や職員だった人は、非正規の人と比べて結婚する割合が高くなっていることが21日、厚生労働省が公表した「21世紀成年者縦断調査」で分かった。同省は「安定した雇用、収入が期待できる正規の社員、職員に卒業後すぐに就くことが、結果的に結婚にも有利に働いた可能性がある」としている。

 調査は2002年10月にスタート。毎年、同じ人を対象に質問票を郵送している。9回目となる今回は10年11月3日に実施し、当時28~42歳だった全国の男女1万3063人から回答を得た。

 今回は、初めて就いた職を尋ねた03年調査時点で、正規か非正規かが判明した男女1万77人を分析。正規だった人のうち、男性は66.7%、女性は74.7%が結婚していた。一方、非正規で結婚したのは、男性が40.5%、女性は59.4%にとどまった。 

 

 こういう「その後」までを追った調査には好感が持てますね。その場限りで投げっ放しのいい加減な調査も目立ちますから。何はともあれ、卒業もしくは中退後に初めて就いた仕事が正規か非正規かで、結婚割合に大きな差が出たことが伝えられています。最初はフリーターでも後に正社員として働くようになる人もいるわけですが、一口に正社員と言ってもピンキリです。新卒ならば「マトモな」会社の正社員として働く人が多い一方で、元フリーターや派遣社員を正社員として雇うところとなると、どうしてもブラック色の濃いところになりがちなのでしょう。結局、新卒時点での差は挽回されないと言うことです。社会が成熟すればするほど人生が決まるタイミングは後になると何度か書いてきましたが、日本の場合は卒業/就職の時点が決定的な転機になるようです。

 

契約社員も上司も追い詰める“改悪法”の実態
ホントに困っている人たちの声に耳を傾けているか(日経BP)

 そう。3月16日、厚生労働相の諮問機関である労働政策審議会が、小宮山洋子厚労相に答申した労働契約法改正案の要綱についてだ。同じ職場で5年を超えて働く有期契約のパートや契約社員について、本人が希望した場合に契約期間を限定しない「無期雇用」、すなわち、正社員に転換することが盛り込まれた。
 
 現在の労働契約法は有期雇用について、1回の契約で働ける年数を原則3年以内と定めているが、契約更新を重ねた場合の上限規定はない。それを改めて、新たに有期雇用の通算期間の上限を5年に設定し、それ以上は「正社員へ」との道筋を示したわけだ。

 

 さて労働者派遣法の改正に関しては「野放し状態を堅持する」との結論が下された一方、「有期雇用の通算期間の上限を5年に~」という指針もありました。元より現行の派遣法では派遣契約期間に定めのない政令26業務というものがあって、まぁホワイトカラーの派遣の場合はだいたいがここに該当するもので、私自身も26業務「しか」やったことがないのですけれど、3年以上の長期にわたって契約が更新されたことは一度もありませんし、そんなに長く同じ職場での契約更新が続いた人は知り合いに一人もいません。パートや契約社員を含めたって5年とは暢気な話に思えますが、民主党ではその辺が限界なのでしょう。ともあれ、雇用形態の如何に関わらず3年なり5年なりの期間にわたって任せるべき仕事が存在するなら、それは臨時的な雇用ではなく恒常的な雇用、即ち正規雇用にしても変わらないわけです。しかし、非正規への置き換えが自己目的化している人にとってはその限りではありません。全ては雇用主の御心のままにと信じている人からすれば、なんであれ雇用に規制を設けるのは許しがたい冒涜に映るようです。

 

 例えば、リーマンショックの後、連日メディアで取り上げられた「派遣切り」。その「派遣切り」を防ぐという名目で、製造業への派遣を原則禁止する労働者派遣法改正案が2010年の通常国会に提出されたことがあった。
 
 ところが、「派遣社員」を守るためのルールであったにもかかわらず、派遣社員の労働市場は安定するどころか、「雇ってもらえない」ようになってしまった。多くの企業が派遣社員を減らし、パートやアルバイトを増やしたのだ。
 
 2009年で108万人だった派遣社員は、96万人にまで減少。一方、パートやアルバイトは、1153万人から1192万人に増加した。さらには、「派遣切り」と非難されることへの危惧が、円高や節電といったほかの要因以上に製造業の海外進出に拍車をかけているとの指摘もある。
 


 言うまでもなく、製造業派遣(それから登録型派遣も)を原則禁止する規定は案として存在しただけで最終的には削除されました(シナリオ通りの展開と言ったところでしょうか)。案に含まれていただけで法律として施行されたことがない規定の影響で派遣社員が減ったと訴えるのも奇妙な話です。加えて、ここに挙げられた数値はいかがなものでしょう、「108万人だった派遣社員は、96万人にまで減少」「パートやアルバイトは、1153万人から1192万人に増加」したことが伝えられています。派遣は12万人減ったのに対し、アルバイトは39万の増加、合計ではむしろ雇用が増えているわけです。もちろん、正規雇用の増減を考えなければ意味がないところではありますが、ともあれ非正規カテゴリの中では間接型の雇用から直接雇用へとシフト傾向が見られると言えます。

 しかるに、この数値を元に「派遣社員が雇ってもらえないようになってしまった」などと引用元の作文には書かれています。いったい、どういう考え方をしたら、そういう結論に到達できるのでしょうか。初めに結論ありきでものを書いているとそうなってしまうのかも知れませんけれど、せめて印象操作に走るなら派遣社員の減少分だけを提示するなどの細工をした方がいいように思います。繰り返しますが、引用元で挙げられたデータでは「雇用は増えている」、しかも「直接雇用が」増えているのですから。持ち出されたデータを元に考えるなら、派遣規制は有効に作用していると結論を出した方が自然なくらいです(繰り返しますが、正規雇用から非正規雇用へのシフトという側面を勘定に含めない限り正確なことは言えません)。

 

 さらに、「不満がある」と答えた人にその理由を尋ねたところ、トップは、「頑張ってもステップアップが見込めないから」(42.0%)、次いで「いつ解雇・雇止めされるかわからないから」(41.1%)、「賃金水準が正社員に比べて低いから」(39.9%)となっている。
 
 つまり、厚労省の作業部会が参考にしたという「契約社員の実態調査」から考えても、即座に改善が求められるのは、正社員との格差問題と言っても過言ではない。

 

 そして輪をかけて理解に苦しむのが、この行です。有期雇用契約であることに起因する「いつ解雇・雇止めされるかわからないから」が41.1%を占めているにも関わらず、どうやったら「即座に改善が求められるのは、正社員との格差問題」との結論に飛躍できるのでしょうか。まぁ、初めに結論ありきで書いている人にとって、着地点は決まっているものなのだとは思います。確かに正社員との格差もまた問題であり即座の改善が求められますけれど、だからといって非正規であるが故の安易な雇い止めのリスクの問題を後回しにすることが許されるのか、賃金格差の問題を重視するフリをして非正規雇用の問題をどこかに追いやろうという意図の見え見えなお為ごかしには、苛立ちを覚えるばかりです。正規化か格差是正かの二者択一を迫るのは悪質なミスリーディングでしかありません。

 そもそも非正規で働く人も千差万別です。たとえば旦那が正規雇用で自分はあくまで家計扶助的な立場で働きたい人と、自分の稼ぎで暮らさなければならない人、前者であれば派遣やパートなど非正規雇用は使い勝手がいいのかも知れませんが、後者にとっては全く別です。あるいは、まだ若くて責任を負わされる職よりは楽な仕事でいたい人と、トウが立ってきて将来への目途を付ける必要を感じている人、前者であれば派遣や契約社員は悪くない選択しかも知れませんけれど、後者にとっては全く違うわけです。そして「ホントに困っている人たち」とは、それぞれ前者と後者のどちらなのか? 派遣法を本来の趣旨に戻すことへ頑なに反対している人たちが目を背けているのは、その辺です。

 しばしば、というより私の個人的な経験からすれば「必ず」ですけれど、派遣でもアルバイトでも「できるだけ長く働いて欲しい」と当初は言われるものです。しかし、切られるときは切られます。そして毎回、もっと若い人が代わりに雇われたりしますね。私と同姓代のいわゆる氷河期世代にはいまだに「中高年は若年層に席を譲れ」的な主張を繰り広げる人がいますが、派遣社員の世界で氷河期世代といったらむしろ年寄りの部類、より若い人に席を譲らされる年代ですから! それはさておくにしても、まだ若く経験に乏しい人の中には、「できるだけ長く働いて欲しい」との派遣先企業の声を本気にして、派遣法の規定がなければ「永遠に非正規のまま」雇い続けてもらえると信じているナイーブな人も少なくないと思います。一方で、齢を重ねて切られることに慣れている人もいることでしょう。後者であれば、非正規でいる限り必ずや切り捨てられるときがあると理解しているものですが(正規雇用だって切られるときは切られるというのはさておき)、前者は違います。その違いが、派遣法改正への反応を「割る」ことにも繋がっているはずです。

 育休取得者のせいで「正直者」が犠牲を強いられると説くような論者にとっては(参考)、正社員に育休の権利を行使されるより、非正規雇用で勤務時間を減らして子育てをしてもらいたいというのが本音なのかも知れません。育休取得に周囲の理解がなく、それでいて子供に手間がかかるとあらば正規でフルタイムの就職は至難、ならば非正規で……みたいな流れが期待されているわけです。こういうところで非正規雇用のニーズは作られ、そうした人々の回答結果から「非正規雇用を望む人も多い」みたいな調査結果が作られるものでもあります。しかし、それでは「ホントに困っている人たち」は埋もれてしまうのではないでしょうか。相異なる立場の人が回答した結果を均質化して「非正規雇用を望む人も~」といった結論が出されることによって、非正規では困る人の存在は隠されてしまいます。もちろん、調査する側は意図して隠しているのかも知れませんけれど!

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント

脱原発のコストを負担する気のない人々

2012-03-25 11:30:32 | 社会

「企業向け電気料金 値上げ拒否可能」 東電が再説明(産経新聞)

 東京電力は21日、4月からの企業向け電気料金の値上げについて、契約期間が残っている契約者は値上げを拒否できることを十分に説明していなかったと発表した。同日から契約者に郵送で再度、通知するとともに、営業担当者が全ての契約者に対して、個別に訪問するか電話するかして説明する。契約者の75%、16万8千件が値上げを拒否できる対象となる。

 東電は4月1日から企業向け料金を一律平均17%値上げする方針。ただ、料金契約の更新日が4月2日以降の場合、1日に値上げすると「契約期間中の値上げ」となり、契約者の了承が不可欠となる。契約者が拒否すれば、期間満了日まで現行料金が維持される。

 しかし東電は、2月に発送した「料金値上げのお願い」の中で、「契約期間にかかわらず、4月1日以降は新しい電気料金」を顧客に要請。異論がある場合のみ、専用の電話番号まで連絡するよう求めていた。

 

 まぁ一般論として契約期間中の料金変更は同意ナシでは難しいのかも知れません。もっとも契約が切り替わるタイミングでの値上げともなると契約期間の区切り次第で不公平も生じる、加えて個別に交渉できる場合とそうでない場合とでの不公平も生じると言えそうです。そもそも電気料金の値上げに関しては「具体的根拠を示さない一方的な値上げ」なんて批判もあるみたいですが、しかるにこれが給与カットなり年金削減など労働条件の不利益変更の類であればどうだったでしょう? だいたいの場合「経営が悪化しているのだから賃下げやリストラは当たり前」と法的な建前とは裏腹に社会的には是認されてきたわけです。それに比べれば電力料金を引き上げざるを得ない理由は説明されている、説明されなくてもどういう状況かは子細に報道されているとしか思えないのですけれど、ガレキ受け入れ問題がそうであるように説明「される」側の姿勢に問題があるような気がしないでもありません。

 

 東電は、2月から担当地域内22万4千件の大口契約者に、文書で値上げを通知。電気で鉄スクラップを加工する電炉業界などでは4割の値上げにつながるなど、中小企業からは「経営が成り立たない」との反発が噴出した。3月初旬からは営業マンが電話や個別訪問で値上げへの「理解」獲得に乗り出した。

 東電の意に反し、値上げ拒否の運動が広がり始めたのは3月中旬。埼玉県の川口商工会議所は13日、契約期間中の値上げは「お願い」にすぎないことを加盟7600事業所に知らせた。自民党の河野太郎衆院議員も15日に自身のブログで「東電の値上げは断れます」と紹介した。

 値上げに反発する世田谷区の保坂展人区長を東電の営業担当が訪れたのは16日。同区によると、東電側から「当然だと思い込んでいた」(広報)4月1日の値上げに了承するかどうかを尋ねられ、そこで同意しなければ所管の約100施設で計1500万円となる電気代値上げが回避できることを知ったという。

 同区は、すでに111施設で新年度から特定規模電気事業者(PPS)と買電契約を結び4400万円を浮かせるが、「さらに電気代の圧縮ができる」(同)と、4月1日からの値上げは拒否する構えだ。

 

 一部業界が料金に関して個別に交渉してきたのは当初より報道されてきたことで、この報道や河野太郎の妄言に関しては何を今さらの感を免れませんが、電力使用量の多い特定業種からの反発と、単に電力会社への反感から行動している人との違いは意識されてしかるべきでしょう。それが死活問題になる人もいれば、単なるパフォーマンスに終始している場合もあるはずです。例えば世田谷区で挙げられている1500万円や4400万円という金額、単体で見れば大きく見えるかも知れませんけれど、区の財政規模からすればどうでしょうか? 流行の議員定数削減だって単体で取り上げれば結構な額に見えそうですが、国や自治体の財政規模からすれば誤差の範囲にもなりません。それでも、それが改革への一歩みたいに持ち上げられることもあるわけです。実効性はないのに有権者のウケは悪くない、典型的なパフォーマンスと言えますね。

 だいたい特定規模電気事業者(PPS)は「東京電力とは違って」信用できるのでしょうか。自民がダメだから民主、既存政党がダメだから橋下みたいな、安易な反動的期待の産物のような気がしないでもありません。それ以前にPPSの供給力には限界があって、世田谷の場合でも目論見通りの入札はなく当初の狙いほどには成果を上げられなかったと伝えられています。供給量に限りがある中でPPS需要は高まり、激しい競争の中で卸電力取引所の取引価格は震災前に3倍以上に高騰、自前の発電設備を持たない事業者は大赤字だとか。競争=消費者の利益みたいな誤った理解の横行する時代ですけれど、むしろ破綻するPPSや、PPS契約者への電力供給の不安定化と言った側面が強く出てくるのではないかと予測されます。

 三井住友銀行などメガバンク3行は原子力損害賠償支援機構が要請した東京電力への追加融資の条件として、電気料金の引き上げや、原発の稼働再開などによる収支改善を挙げました。まぁ、回収が困難になりそうな相手に融資をするほど金融機関も物好きではないのでしょう。金を貸すからには収支を改善させろと、それは当然の話です。一方で電気料金の値上げや原発再稼働に強く反発する向きもあるわけです。じゃぁ、どうしたらいいのか。その手の連中はいつでも簡単に「リストラでやって」「リストラをすればいい」と迫ります。だいたいの国民にとってリストラは最初の手段、まずそこで働いている人に負担を押しつけるのが当たり前の感覚なのかも知れません(もっとも多くの人が目を背けているだけで、東京電力のリストラは着々と進められており、それでも足りない分が問題になっているわけです)。しかし、公務員の賃金を下げても国の財政が好転しないのと同様に、電力会社社員に労働条件の不利益変更を一方的に強いたところで問題は何も解決しません。リストラは打ち出の小槌ではないのです。ただただ、ある種の人々が精神的な満足感を得るだけの話です。

 ほとんどの企業にとって、支出に占める電力料金の割合は決して多くありません。ただ、引用した記事でも挙げられたような電炉業界など例外もあって、電力料金次第で大きくコストが変わってくる企業もあります。化石燃料の価格が高騰すれば火力発電の採算性が悪化するのと同様、電気料金の値上げで経営が立ちゆかなくなる企業も出てくることでしょう。では、どうしたらいいのか? 城南信金が融資してやれよ、と思わないでもありません。脱原発を脳天気に唄って一部で注目を浴びた城南信金ですが、原発停止の結果として発電にかかるコストは上昇を避けられません。電力会社が慈善事業者でない限り、料金の値上げもまた避けられなくなります。こうなることを嫌って原発を認めるのならともかく、あくまで脱原発と称するのなら、その煽りを食って経営が悪化した企業に城南信金は融資すべき責務があるはずです。脱原発を掲げるなら、それに伴うコストを負担する意思も示すべきではないでしょうか? それができないなら、城南信金もまたくだらないパフォーマンスで国民(顧客)のウケを取りに走っただけと言わざるを得ません。

 以前より主張してきたことではありますが、やはり「税金で」というのが最も無理のない解決であるように思います。世論的には「(電力会社の)リストラで」なのでしょうけれど、それは現実問題として不可能ですし(加えて労働者の権利についてあまりにも無頓着に過ぎると言わざるを得ません)、では「電気料金引き上げで」ともなると一部の電気料金に大きく左右される業界に負担が集中するわけです。「原発再稼働で」というのは現実的な策ですが、世論のクールダウンにはもう少し時間がかかりそうなだけに、「今」を乗り切るための手段は別に考える必要があります。事故とは無関係な原発まで停止させては再稼働を阻み、西日本にまで電力不足を広げてしまった中、そのコストは誰が負担するのか? 何でも電力会社のせいにしておけば、政治家としては用が足りる、次の選挙でも安心できるのかも知れませんが、電力会社としては破綻するわけにはいかないでしょうし、破綻されては利用者である国民もまた困るものです。脱原発に伴うコストは、どうしても我々の社会に降りかかってくる、そのコストをどこが負担するのか? 特定層へのしわ寄せを避けるには、やはり「税金で」とならざるを得ません。しかし、脱原発のコストを支払う意思もないまま、ただ電力会社を罵倒するだけの無責任な政治家を支持する有権者や、脱原発の美名を宣伝に使うばかりの金融機関が闊歩しているのもまた現状なのです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (9)

経済界が反発しているのなら、たぶん良い政策なのだろう

2012-03-22 23:26:34 | 雇用・経済

65歳まで雇用、企業猛反発「若者にしわ寄せ」(読売新聞)

  希望者全員を65歳まで再雇用することを企業に義務づける高年齢者雇用安定法改正案に対し、経済界が強く反発している。

 改正案は、より長く働いてもらうことで、年金制度を維持しやすくするのが狙いで、2013年度導入を目指す。経済界は、一律に全員再雇用を義務づければ職場の士気が下がり、人件費負担も膨らみかねないと訴えている。

 改正案は、労使が合意した場合は企業が再雇用対象者を選ぶ基準を設けられる現行規定を廃止する規制強化が柱だ。3月9日に閣議決定され、今国会に提出された。年金支給開始年齢の段階的引き上げによって、定年後に給料も年金も受け取れない人が出るのを防ぐ狙いがある。

 現在、企業は、定年後の再雇用を希望する社員に対し、健康状態や働く意欲、人事考課などを目安とする社内基準に沿って選んでいる。希望者の大半を再雇用しているが、厚生労働省の11年の調査によると、定年を迎えた約43万5000人のうち、1・8%にあたる約7600人は再就職が認められなかった。

 改正案で全員再雇用が義務づけられることに対し、「仕事に手を抜いても再雇用されるという雰囲気が広がり、社員の士気が低下しかねない」(高島屋人事部)などの懸念が広がっている。60歳以上になると、意欲や能力などの個人差も大きくなるためだ。製造業の海外移転に拍車がかかる中、雇用規制が厳しくなれば国内雇用の維持がさらに難しくなるため、「若年者の雇用を減らすなど若者へのしわ寄せが生じる」(自動車大手)との声も出ている。

 

 これは、日本の制度改正に伴う措置としてはかなり例外的なものと見るべきでしょうか。年金支給開始年齢が加入者の同意なく引き上げられることの穴埋めなのか、かつて一般的であった60歳定年で終わらず年金支給開始年齢となる65歳までを再雇用すべしとの法改正案が出ているわけです。基本的に、日本では制度改正に伴い新たに生じた負担は個人が負わされるものであって、今回のように定年から年金支給開始年齢までの空白期間を埋める役割を雇用側に求めるというのは、極めて異例のことと言えます。十数年に渡り、雇用側に便宜を図ることを以て改革と称してきた中で、このような政治判断が表れたことは青天の霹靂ですね。まぁ、そんな年齢まで働きたくないなと思わないでもありませんけれど、平均寿命がこれだけ長く伸びた時代には、それに応じて働く期間も後ろにシフトしないと釣り合いが取れないのかも知れません。

 それはさておき、行政から便宜を図られるのが当たり前という感覚がすっかり染みついているであろう経営側からは、当然のように反発が出ています。しかし、厚生労働省の11年の調査によると現状でも再就職が認められなかったのは1.8%なのだそうです。再雇用と称して大幅に減給した社員を1.8%くらい追加で拾い上げても、コスト的にはそう大きな問題はなさそうですが、それでも嫌なものは嫌と言ったところでしょうか。曰く「仕事に手を抜いても再雇用されるという雰囲気が広がり、社員の士気が低下しかねない」云々。その辺は詭弁と言いますか、じゃぁ反対に必死で会社に尽くさないと切り捨てられるという焦燥感に包まれた職場の士気は高いのか、会社が男性正社員の人生を保証してくれるという雰囲気のあった高度経済成長期の日本の大企業の士気は低かったのかとか、反論はいくらでも出てきます。

 例によって記者による補足も無茶です。何でも「60歳以上になると、意欲や能力などの個人差も大きくなる」そうですけれど、60歳以下ならば個人差は小さいのでしょうか? そんなはずはないですよね。いかにもとってつけた、再雇用義務化否定のための口実としか言い様がありません。加えて「製造業の海外移転~、雇用規制が厳しくなれば~」とのことですが、そもそもモノを大切にするばかりでモノを浪費しない日本に製造業が止まる必然性はないわけで、よりモノを新規に購入してくれる市場へ製造業が流れていくのは自然なことです(加えて電力不足という負の要因も追加してしまいましたし、あろう事か西日本にまで!)。そこで雇用規制を緩和すれば製造業が国内に止まるのかと言えば、規制緩和を続けた日本の現状が雄弁に物語る通り、自治体は補助金を毟り取られるばかり、増える雇用は非正規ばかりで働く人の取り分は減るばかり、日本人ひいては日本社会は貧しくなるばかりです。もう十年以上にもわたって規制緩和を続けてきたのですから、それがもたらした惨状を直視した上で口を開いて欲しいと思います。もう実験の段階は終わった、いい加減に失敗を認めなければいけない時期です。

 そして最も滑稽なのは「若年者の雇用を減らすなど若者へのしわ寄せが生じる」との戯言です。まず普通に会社に勤めたことがある人なら誰でも分かると思いますが、60歳を超えて再雇用された人と若年層では任される仕事の領分は全く異なるのが一般的です。60歳以上の雇用と若年層の雇用は競合しません。ましてや中高年層を切り捨てることによって浮いた人件費がそのまま若年層の雇用に回るみたいなことは、自称経済誌の描く夢物語の中にしか存在しないわけです。加えて中高年層をターゲットにしたリストラの横行と規制緩和の結果として若年層の雇用は増えたのか? 増えた、と小泉一派はふんぞり返ったものですが、それは専ら非正規雇用でした。そして昨今の新卒者の就職難はエスカレートするばかりです。どうして? 結局のところ若者が就きたがるのは年金受給年齢まで働き続けられるような、そんな仕事です。自分が中高年になったら若者に席を譲らされるであろうことが確実な会社もまたブラックと呼ばれて敬遠されている、そうでなくとも年金受給年齢までの空白期間を心配しなければならないような雇用を若年層が望んでいないことは意識されなければなりません。

 実際のところ年代に関わらず雇用の増減は景気に左右されるところが大きく、円高やデフレの方が、あるのかないのか分からない日本の雇用規制なんかよりもずっと影響してしまうものです。今よりずっと雇用規制が厳しかったバブル期と、規制緩和が進んで野放し状態の現在、就職の機会が多いのはどちらの方ですかね? それ以上に問題なのは、再雇用されなかった場合に年金が支給される65歳までの期間をどうしたらいいのか、です。無収入でも暮らせる裕福な世帯ならいざ知らず、そうでない家庭は? 無職で無年金、即ち無収入の親の生活を、子供が働いて支えればいいのでしょうか。やれやれ、そうなったら子世代は大変です。晩婚化の時代、親が60でも子世代はまだ20代でもおかしくありません。そんなに若くして親を養わなければならないなんて……

 親世代の雇用は、子世代の生活に直結します。中高年になった親世代がガンガン解雇されるようになったら、その世帯はどうやって生きていけばいいのでしょうか? 自立を重んじる日本人として、子供は親を放り出して家から出て行く、親はやせ我慢して子供には頼らないというのも大いにありそうです。ただ世帯単位で考えると、親世代の失業はどうあっても深刻な問題です。時には子世代が、進学を諦めて早期に就職しなければならない事態にも陥るでしょう。そうでなくとも、「若者の雇用機会のため」と称してリストラされた親世代の代わりに子世代が働き、その収入で失業した両親を経済的に支えるようなケースは今後ますます増えるものと予測されます。子が親を助けるのは概ね妥当としても(でも誰だって良好な親子関係を構築できるわけではありませんし)、やっぱり釈然としないものがありますね。

 未開の社会では、子供のうちから労働力として駆り立てられ、50にもならないうちに死んでいきます。少し進んだ社会では、10代後半くらいに生き方が決まり、20前後から働き出して、60を過ぎたくらいで死んでいきます。社会が成熟するにつれて、将来が決まる時期、働き始める時期は後ろにシフトしていくものです。日本のように平均寿命の長い社会であれば、もっと大胆な後方へのシフトがあってもいいような気がします。つまり、30くらいまで(学校通いに限らず)勉強して、本格的に働き出すのは子供が生まれるぐらいの年代(この年代にしても、社会が成熟するほど後ろにシフトするわけです)からでもいいのではないでしょうか。その代わり、寿命も延びて健康になった60歳過ぎの親世代には、もう一頑張りしてもらう必要がありますが。もし、「若者の雇用機会のため」と称して中高年世代を解雇し、その代わりに若年層を働かせ、若者に席を譲らされて失業した親世代を子供が私的に支える、そういう未来を望むのならば現状の改革路線を支持し続け、自称経済誌を読んでは夢を膨らませておけばいいでしょう。その反対を望むなら、若年層を支えるため、あるいは若年層に負担をかけないため、その親世代の雇用をきっちり保証していくことを考えなければなりません。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (5)

無責任な報道の一例

2012-03-20 18:40:06 | 社会

「デートDV」調査…言葉も意味も知らず55%(読売新聞)

 山形県が昨秋、県内の若者を対象に初めて実施した交際相手間の暴力「デートDV」の実態調査で、約2割が何らかの暴力を受けていたことがわかった。

  一方で、「デートDV」という言葉の意味を知っていたのは3割強にとどまっており、県では、若年層を啓発するため新年度から、高校生向けに出前講座を行う予定。
 
 調査は昨年9月、20~21歳の男女3000人を対象に郵送で実施。男性215人、女性260人、不明1人の計476人(15・9%)から有効回答を得た。
 
 このうち、「暴力を受けたことがある」と回答したのは96人(20・1%)。男性35人、女性61人だった。96人に、暴力を初めて受けた時期を尋ねると、中学が9・4%、高校が32・3%、大学が28・1%だった。
 
 暴力の種別に見ると、女性の回答者260人のうち8・8%が「殴られたり、蹴られたり、物を投げつけられたりした」、11・9%が「大声でどなられたり、傷つく言葉を言われたりした」と答えた。
 
 「デートDV」の認知度は55・0%が、「言葉も意味も知らなかった」と回答。意味を知っているとしたのは34・0%だった。学校の授業で「デートDV」の話を聞いたことがあると答えた人は23・3%にとどまり、「DV」の相談窓口を、66・2%が「知らない」と答えた。
 
 調査結果を受け、県男女共同参画課は、「若年からデートDVについて伝え、具体的な相談方法を知らせていく必要がある」として、新年度から県内の高校に出前講座を行うという。

 

 さて、球団の金銭問題を朝日に攻められて旗色の悪い読売新聞です。もっとも日本の(アメリカの場合はもっとですが)プロ野球界は球団経営という面での競争に無頓着すぎる、むしろルール遵守を建前に怠惰な運営に終始しているお荷物球団こそ非難されるべきではないかと思わないでもなかったりします。これだけ日本社会が競争賛美であふれかえっているのに、プロ野球の世界では関しては手を拱いてクジを引くだけみたいな球団経営が罷り通ってしまうと言うのも、考えれば不思議な話ではないでしょうか。この頃は低迷してもいるわけですが、確たる人気を築き上げてきた読売球団の運営は、他の球団にも(我らが阪神にも)見習って欲しいくらいです。

 それはさておき、上に引用した読売新聞の記事を見てください。「デートDV」という言葉の意味を知っていたのは3割強にとどまっているそうです。山形というローカルな、しかも有効回答が15・9%という甚だ微妙な調査ではありますけれど、ともあれデートDVの認知度が低いと伝えられています。調査結果を受け、山形の男女共同参画課は、「若年からデートDVについて伝え、具体的な相談方法を知らせていく必要がある」としているようですが、報道する側の問題意識はどうなっているのでしょうね? 県としては担当部課が動くと言うことで、それなりに問題視しているであろうことが窺われます(有効かどうかはさておき)。しかるに、それを伝える側はいかに?

 山形の若年層に(他の地域でも大差はないと思いますけれど)、「デートDV」という概念が認知されていないことは記事から分かります。では、この読売新聞の読者に(というより全国の国民に)「デートDV」は理解されているのか、その辺もまた考えられる必要があるでしょう。とりあえず、web公開分を見る限り読売新聞では「デートDV」について説明していません。もしかしたら紙面では付記されていたのかも知れませんが、ともあれ引用した記事では「デートDV」とは何なのか説明されていないわけです。山形の若者が「デートDV」を知らないことだけは伝えられている一方で、読者に「デートDV」とは何かを伝えていない、これは細かいようでも重要なポイントであると思います。

 新聞読者のほぼ100%が「デートDV」というものを心得ていることが想定されるのなら、この読売報道でも問題ないでしょう。しかし、そうした想定は現実的なのか? 果たして山形の若者だけが「デートDV」を知らないのか、あるいは日本中の大半で「デートDV」が理解されていないのか、その如何によって報道に期待されるものも異なってくるはずです。

参考、大丈夫、有権者はもっと分かってないから!

 上記エントリで取り上げたことですが、「大学生が『平均』の意味を理解していない」という調査と報道があったわけです。しかし、その報道に接する読者層が「平均」の意味を理解しているのかどうか、私には甚だ怪しく思えたものでした。そして概ねどこの報道でも、「大学生が『平均』の意味を理解していない」ことを大きく伝えている一方、調査において問われた「平均」の意味合いについて解説しているところは皆無でした(地方紙までは目を通していませんけれど)。どうなんでしょうね、「デートDV」にしても「平均」にしても、調査対象が「理解していない」ということを伝えるばかりで、読者が理解しているかどうかは全く気にしていない、何とも不思議な話です。

 ある種の需要があるのかも知れません。つまり、調査対象が「わかっていない」ことを大々的に報道し、それを読者がしたり顔で馬鹿にするみたいな、そういう繰り返しもあるのではないでしょうか。実は読者もまた同様かそれ以上に「わかっていない」にも関わらず、そこは問わない、ただただ調査対象を小馬鹿にして優越感に浸るみたいなフシもあって、メディアはそれを仲介しているところもあるように思います。ただ「平均」の場合がそうであったように、「デートDV」もまた読者は調査対象に負けず至らず「理解していない」としたら、調査対象の不出来を嘆く素振りをしている場合ではありません。

 ちなみに、「デートDV」という、いかにも和製英語くさい表現もアレな気がしますね。Dating abuseとか、Teen dating violenceとかが元の表現のようです。たぶん、先に普及した「DV」という言葉に乗っける形で「デートDV」という言葉を作ったのでしょうけれど、「DV」の「D」は「家庭内」を表すdomesticの頭文字ですから、これに「デート」を付け加えられると不思議な感じがします。造語のセンスの悪さが、理解の妨げになっているところはないでしょうか? とりあえず私は初めてこの言葉を聞いたとき、「デート」の最中で行われる暴力行為のことかな、と思いました。実際には、まだ家族の範疇に入らない、基本的には交際している人の間での暴力を指すわけです。ちなみに暴力とは身体的な暴力のみを指すものではない、と。まぁ、その辺のことはこんな場末のブログではなく、もっと部数の多い報道機関などで伝えられるべきとも思いますが。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (2)

エコノミーなきエコロジー

2012-03-18 11:55:09 | 雇用・経済

日本企業の革新を阻むのは、日本の「モノづくり」文化(サーチナ)

  中国網日本語版(チャイナネット)は2日、日本の「モノづくり」信仰が災いになったと論じる記事を掲載した。以下は同記事より。

  日本企業の革新を長期的に阻んでいるものは、日本に根付いた「モノづくり」文化である。多くの日本人が、日本はソフトウェアや金融の才能はないが、「モノづくり」には適していると信じてきた。しかし、製造業がひとたび困難に陥ると、戦後日本の成長の大部分を担った産業が不可逆的な衰退に陥りかねず、日本が20年間にわたる経済停滞から抜け出す機会や大量の労働者、日本の尊厳までもが道連れになって失われる恐れがある。

  「日本全体のアイデンティティーが製造業と結びついている」。ソーシャルゲーム大手グリーの創業者、田中良和氏はこう言う。「実際に形のあるモノを生産していなければ、何か怪しいことをやっているかのように扱われる」。

  これは日本社会のソフトウェア文化に対する冷淡さの表れである。ソフトウェア文化とハードウェア文化はまったく異なるものだ。ハードウェア文化は他社と最後まで勝ちを争うが、ソフトウェア文化は他社と手を組むなどして自社製品の市場シェアを獲得する。相手との競合をさけつつ、利益を出すのがソフトのやり方だが、これは明らかに日本の得意とすることではない。

  政策を制定することで有名な日本政府でさえ、この肝心な問題に関しては方向性を見失っている。政府はこの支離滅裂な電子産業の再編を通じて「チャンピオン企業」を生み出そうとした。政府はここ最近、ソニーや東芝、日立などの子会社を統合させ、韓国や中国、台湾などの企業と競争させようと狙った。

  これは日本のハイテク産業が直面する難題である。日本のハイテク企業はライバルと張り合おうという意識がない。現在、日本企業は中国の華為や中興を仮想のライバルとしており、ノキアやシーメンズ、ルーセントなど世界の大手企業との競争を諦めている。しかし、中国の企業も日本企業を最も重要なライバルだとは考えていない。

 

 まぁ、概ね妥当な記事であって私が今さら付け加えることもないでしょうか。問題は、こうした状況から抜け出せない日本経済の方ですね。グローバル経済から取り残された日本では「経済成長の時代は終わった(キリッ」みたいな論調が幅を利かせていますけれど、それこそまさに日本特有の現象なのですから。確かに北朝鮮や内戦が収束しないアフリカの一部国家など日本と同様に成長する気配を見せない国もありますが、だいたいの国は浮き沈みを繰り返しながらも成長を続けている、日本を追い上げたり、追い越したり、日本を突き放したりしているわけです。それでも日本はひたすら内向きになって「経済成長の時代は終わった(キリッ」と念仏を唱え続けるばかりのようですけれど……

 おそらく、限界に達しているのはここで指摘されているような「モノづくり」であったり、資本を蓄積させる段階を終えてもなお一方的に輸出するばかりで他国の売り込みには門戸を閉ざすような重商主義路線の方でしょう。そうした古すぎる経済感覚と心中しようとしているのが日本経済と言えそうです。より「儲かる」道を模索するのではなく、「モノづくりこそが正しい」との信条に殉じようとする、経済合理性よりも道徳的な正しさを追い求めてきたのもまた日本経済なのかも知れません。その結果として犠牲になるのは国民でもあるわけですが、しばしば経済的な豊かさを道徳的に正しくないことであるかのごとく語られてきたのが現代日本だとすれば、まぁ因果なものです。

 引用元でもう一つ重要な指摘は、日本が張り合おうとしているのが先進国ではなく中国など新興国の企業であるという点ですね。この辺はムキになって否定する人もいそうな気がしますが、少なくとも日本の政策的な判断はそういうものでした。つまり、低賃金からなる低コストを武器に低価格でシェアを広げる新興国の製造業と張り合うべく、負けずと日本企業もコストを下げられるよう規制を緩和して従業員を使い捨てにできる社会へと突き進んできた、日本よりもずっと給与水準が高い国の企業と張り合うべく高付加価値産業への移行を進める代わりに、新興国と張り合えるよう労働者を安く買い叩けるよう「改革」が続けられてきたわけです。そうして非正規などの低賃金労働に依存することでかろうじて経営が成り立つような生産性の低い企業を延命させてきた、イノベーションから逃げ続けてきたのが日本の「改革」であったと言えます。それでも、製造業中心でありさえすれば「正しい」方向に向かっていると感じてしまう人が多いのではないでしょうか。日本は新興国への階段を、後ろ向きに駆け下りているように見えます。

 そう言えば、かつてはエコポイント制度をさんざん批判していた人がいました。購買力のある人にしか恩恵のない制度だとか、そもそもまだ使えるモノを捨てて買い換えを促す、モノを大切にしない制度だとか云々。そうした指摘自体は全くの筋違いというわけではないのかも知れませんが、もっとも日本人がモノを大切にするばかりで買い換えないからこそ、いくら国内でモノを作っても売れなくなるわけです。こういうモノを大切に長く使い続ける文化が強い国はモノづくりに向かないと思うのですけれど、それはさておきエコポイント制度を批判していた人が震災後は省エネのためにLED電球に買い換えようなんて声に賛意を表明していたりして、まぁ苦笑せざるを得ません。

 震災、というより原発事故後は、輪をかけて文明論が幅を利かせるようにもなりました。「昔は良かった」的な退行志向の言説も左右双方で盛り上がりを見せています。「昔」には「昔」で色々と不便なものや困難なものがあったはずですが、「原発のなかった時代のように暮らせばいいんだ」みたいな主張はある種の人々のトレンドのようです。「昔」のような生活を送れば原発がなくてもエネルギーは足りると、そういう論理もまた垣間見られます。ただ、賞賛される「昔」には今よりもずっと、切り捨てられる弱者は多かったのではないでしょうか。文明が進んで潤沢にエネルギーを消費することが可能になってようやく生きられるようになった人も少なくないのに、とかく強者目線で語る人が増えたのには辟易させられるばかりです。震災後は長らく駅の照明が落とされ、「全く不便ではない、今までが明るすぎたのだ」などと言われることも多かったですけれど、視力に障害のある人にとっては非常に深刻な事態だったと聞きます。

 端的に言えば、環境保護は金持ちの道楽です(スローフードだのロハスだのの類も同様ですが、それは別の機会に)。環境保護に理解があるのは、概ね経済的に豊かな国であって、これから豊かになろうとしている国ではむしろ反発の方が強いでしょう? その社会が飢餓レベルに貧しいのでもない限り、むしろ貧乏人の方が太っていたりするものです。ヘルシーな食事とフィットネスは金持ちのもので、貧乏人は安価で高カロリーなジャンクフードを食べては仕事に拘束される日々ですから。エネルギー消費にしたところで、LED照明や省エネ家電への買い換えやソーラーパネルなど自家発電システムの導入に踏み切れるのは中産階級以上ですよね? 地球に優しくしていられる余裕があるのは、むしろ経済的に豊かな人の方なのかも知れません。

 経済の発展と環境保護は対立するものであるかのごとく語られがちですけれど、それは根本から間違っている、環境保護は経済的な豊かさがあって初めて成り立つのだ、エコノミーなきエコロジーなどあり得ないと、そう思います。ウクライナを初めとした東欧諸国がチェルノブイリ後も原発の稼働を続けたのはなぜか、その理由は考えられてしかるべきでしょう(まぁ、おんぼろ火力発電所をフル稼働させるよりは環境に優しい気もしますが)。しかるに日本では経済成長に背を向けることを以て「成熟」などと称する輩が闊歩しているわけです。既にもう始まっているとも言えますが、これが破綻しないはずはありません。地球環境のことを考えるなら、経済的な豊かさを追い続けることもまた必要なのですが、日本ではひたすら退行志向の人が左右双方から盛り上がっている、そして政治家もそれに媚びるのです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (8)

みんな大好き自衛隊

2012-03-15 23:00:07 | 社会

自衛隊「良い印象」9割超=震災支援評価97.7%-内閣府調査(時事通信)

 内閣府が10日発表した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」によると、東日本大震災に関わる自衛隊の災害派遣活動を「評価する」と答えた人は97.7%に達した。自衛隊の印象について「良い」と答えた人は91.7%で、1969年の調査開始以来、過去最高。震災活動の評価が自衛隊の好印象につながったとみられる。
 調査は1月5日から同22日まで全国の成人男女3000人を対象に個別面接方式で実施し、有効回収率は63.1%。
 自衛隊の印象について「良い印象を持っている」と答えた人は、「どちらかといえば良い印象」と合わせて91.7%で、3年前の前回調査より10.8ポイント増加した。「悪い」は5.3%で8.8ポイント減少した。

  相変わらず、自衛隊はどこでも好意的に迎えられているみたいですね。自衛隊員だって公務員なのですが、武装の有無でこうも違うのでしょうか。公の場で官僚なり自治体職員なりを罵倒しては喝采を浴びる政治家に事欠かない昨今ですが、紛れもなく公務員であるはずの自衛隊員を前に同じパフォーマンスを披露した政治家を、私は見たことがありません。政権交代直後、驕り高ぶる民主党議員の中には早速、報道陣の前で官僚を詰って見せたバカ閣僚もいたものですが、それが自衛隊員の前となると随分と恭しい対応であったのが印象に残っています(参考、みんな自衛隊が好き)。ワシントンは父親が大切にしていた桜の木を切り倒してしまいましたが、斧を持ったまま謝りに行ったら許されました。一般の公務員も政治家に会うときは武器を携えていった方がいいのかも知れません。迷彩服と小銃がすぐに準備できなくとも、取り急ぎ金属バットとか鉄パイプとか角材とか、その辺を手に構えて接するようにすれば、自衛隊員と同じようにしかるべき敬意を以て扱われるようになる……と良いですね。

 それにしてもまぁ、どうしてこう自衛隊ばかりが肯定的に評価されるのでしょうか。被災地では自衛隊以外の公務員も電力会社の社員も活動したわけですが、決して好意的には見られていないように思います。まず先に軍隊ありきの思想が根底にあって、軍人さんの活躍を日頃から期待しているところもあるのかも知れません。災害派遣活動に当たったのは自衛隊だけではないにも関わらず、あくまで賞賛を集めるのは自衛隊なのです。これがもし、自衛隊ではなくレスキュー活動専門の部隊であったならどうなのか? 「人殺しの練習(埼玉県知事上田清司談)」に時間を割いている人ではなく、元から救援活動に特化した集団であればさらなる効果を上げられたのではないかとも考えられるところですが、しかるに自衛隊と同等の動員力を誇るレスキュー部隊が組織されていたなら、さぞかし無駄だと糾弾されていたことでしょう。事業仕分けの格好のネタにされ、その削減や人件費カットを唄う政治家が支持を集めていたであろうことは想像に難くありません。日本中の誰からも愛されている自衛隊だからこそ、その規模を維持することができているのだと言えます。

 研修と称して新入社員を自衛隊に体験入隊させる企業は決して少なくありません。大学なり専門学校なりで教育を受けてきた人を、わざわざ自衛隊に入れて再教育する、それが日本の企業のトレンドです。あるいは道徳家の中にも若者を自衛隊に入れよと説く人は珍しくない、加えて「40歳代くらいの職員を対象に自衛隊での研修を検討したい」と述べた知事すらもいます(参考、一つだけいつもと違うところがあるね)。結構、不祥事で警察のお世話になる自衛隊員も多いのですが、それでもなお我々の社会にとって自衛隊とは日本人の鑑であり教師なのでしょう。自衛隊員のような立派な人になって欲しいと社会が願っている、そんな風に元から尊敬を集めている自衛隊員だからこそ、その活動が感謝されている部分も少なくないように思います。

 ことによると、本来業務「ではない」ことが重要なのかも知れません。自衛隊が災害時に支援活動に当たれば大いに感謝されるものですが、それが本来業務だと思われている人々が同じことをやった場合はどうでしょう。「それが仕事なのだから当たり前だ」ぐらいに扱われるばかりで、むしろ仕事の不手際を咎め立てされるのが関の山、というケースも多々あるはずです。(自衛隊を除く)公務員が住民のために奉仕するのは当たり前と我々の社会では考えられていますし、東京電力と関連会社社員がいかに献身的に原発事故収束のために行動しようとも、自衛隊と違って感謝されることなどあり得ないですよね? それは当然のことをしているだけだ、もっと早く片付けろと、そういう罵りしか浮かんでこないわけです。一方で自衛隊が軍隊と認識されているからこそ、軍事行為こそ本分と認められているからこそ、災害時の活動は「本来ならやらなくても良いことなのに手伝ってくれるなんて、なんて立派な人達だ、偉い!」と輪をかけて好意的に評されているところもあるのではないでしょうか。

 「企業の社会的責任」だとか「(企業の)社会貢献」みたいな、流行のフレーズがあります。日本では専らCSRと称して非営利の慈善事業や社会活動などへの寄付や支援(そこに社員を強制的に参加させるなど)が行われているわけです。何とも、馬鹿げた話ではないでしょうか。企業にできる最大の社会貢献、社会的責任の果たし方とは、即ち雇用の拡大、賃金の増大に他なりません。CSR活動に積極的と対外的にはアピールしつつ、人員削減と賃金抑制を進めて失業者を街に溢れさせる、そんな企業のどこが社会に貢献している、責任を果たしていると言えるのか。むしろ社会の寄生虫と言ってすら過言ではないように思います。

 だいたいの場合、CSRとは企業のアリバイづくり、単なるパフォーマンスに過ぎません。社会貢献のために頑張っていますよ、お金も出していますよ、社員も参加させていますよとポーズだけ取って、その実は社会の構成員たる労働者を食い詰めさせているのですから。それでも、社員の雇用を守ろうとする企業、社員の賃金を高く保とうとする企業よりは、CSRに積極的な企業の方が対外的なイメージは悪くないように思います(むしろ組織が従業員を守ろうとすればするほど、社会的な非難の対になることの方が多いとすら言えないでしょうか? 国民にとってリストラとは「最初」の手段であり、従業員の削減や賃下げを大々的にアピールしないと世間の非難から逃れられないのもまた現実なのですから!)。利益を上げて、社員を増やし、賃金も増やす、こうした本業で頑張るような企業よりも、売り上げが減った以上に社員を減らし、賃金をカットすることで利益を確保しつつCSR活動をアピールする、そんな企業の方が世間のウケは悪くないとしたら、まぁ色々と間違っています。でも、企業なり組織なりの本分から外れたところでの活動を見せるほど、無償で社会に貢献しているみたいなイメージが膨らみ、「善」の体現者として好意的に受け止められがちなのかも知れません。本来業務より、本来業務「ではない」ところで頑張る人(企業/組織)を、我々の社会は肯定的に受け止めてはいないでしょうか。自衛隊とは、そうした我々の社会の「ツボ」を突いた存在とも言えそうです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (18)

返せと言われても所有者であるわけじゃないし

2012-03-13 23:02:02 | 社会

「ふくしま返せ」「すべて廃炉に」=50人が東電前で抗議-東京(時事通信)

 東京電力本社(東京都千代田区)では、市民団体のメンバーらが全原発の廃炉や避難者への十分な賠償を改めて訴えた。
 本社前には、インターネットでの呼び掛けに応じた50人ほどが参集。「ふくしまを返せ」などと書かれた横断幕を掲げた。参加者の1人が「すべての避難者に賠償しろ」と訴えると、大きな拍手が上がった。

 

 福島が「ふくしま」とひらがなで書かれているのは何でなのでしょうね。福島を「フクシマ」とカタカナ書きにする嫌らしさについては指摘する人もいたものですが、平仮名で書かれると何だか政治家の名前みたいで間が抜けた印象です。それはさておき、参加者の1人が「すべての避難者に賠償しろ」と訴えると、大きな拍手が上がったそうです。避難指示対象区域は元より原発に距離の近い福島の23市町村までは全住民が賠償対象に含まれているはずですが、その辺の実態には関心がない人の集まりなのかも知れません。あるいは、東京とか神奈川とか、どうでもいい地域から思い込みで避難した人に賠償しろとでも言いたいのでしょうか。その手の人って、むしろ被害者であるより加害者として振る舞うことの方が多いのではないかと思うのですけれど(参考)。

 

大手銀3行、東電融資を了承=原発再稼働など収支改善条件(時事通信)

 原子力損害賠償支援機構が大手金融機関に要請した東京電力への総額1兆700億円の追加融資について、三井住友銀行などメガバンク3行は条件付きで応じる方針を5日までに固めた。電気料金の引き上げや、原発の一部稼働再開などで確実に収支を改善させることを条件とし、機構が設定した回答期限の7日までに正式に伝える。

 

 結局のところ民間企業である金融機関が融資の是非を判断する以上、収支改善の見込みがあるかどうかは当然ながら問われます。このまま火力発電所をフル稼働させて赤字を続けるのであれば、銀行も二の足を踏むわけです。そこで原発停止や廃炉を訴える人が勝手だなと思えるのは、それにともなう負担を他人事としか考えていないように見える点です。全原発停止なら電力不足に伴い産業も市民生活も大きなリスクを負いますし、電力会社は大赤字が続くこと必至です。だからといって「発電すればするほど損になるだけなので、もう廃業します」とケツをまくるわけにも行きません。そうなると、誰かが赤字を埋めなければならなくなります。原発再稼働や値上げで収支改善の見込みがあるなら、民間の金融機関が動くでしょう。しかし、原発が使えない、値上げもできないとなれば赤字からの回復は見込めない、銀行も慈善事業ではないですから、融資するわけにもいかなくなります。そうなってしまえば税金で穴埋めするほかありませんが、公的資金の投入に反対している人はしばしば、原発の再稼働にも電気料金の引き上げにも反対してはいないでしょうか。それは両立し得ない、原発に反対するなら、それに伴うコストは自らが負わねばならないことを意識してもらいたいものです。それができないなら、単に電力会社憎しで我儘を言っているだけと変わりません。

 「ふくしまを返せ」と猛々しく叫ぶ人はいるわけですが、一方で被曝に関する諸々の偏見を植え付け、放射「能」の恐怖を煽っては福島の住民を怯えさせ、福島の産品が敬遠される状況を作ってきた人はどうなのでしょう? むしろ私には、完全ではないながらも賠償を進める東京電力に対してだけではなく、風評被害を広めるのに躍起になってきた人々の前でこそ、賠償を求めるデモをやった方がいいように思えます。曲がりなりにも非を認めて賠償に応じている相手を前に凄んでみせるよりも、紛れもない加害者でありながら全く反省する姿勢を見せない連中に対して抗議の一つもして見せた方が建設的ではないでしょうか。もし、「ふくしまを返せ」と荒ぶっている人々が福島の住民や産業を追い詰めるのに一役買ったAERAや東京新聞などの「同志」でないならば、ですけれど。

 ・・・・・

 「避難」に関して今から振り返ると、もうちょっと慎重であるべきではなかったかと思います。住民の生活を行政が制限するような行為は可能な限り避けられるべきもので、ごく一時的なものであるならともかく中長期にわたるものであるならば、政府はその執行に対して最大限、慎重であることが求められたはずです。にも関わらず、原発事故に伴う混乱の中、強制的な避難に対して批判が寄せられるどころか、むしろそれを後押しするような声ばかりが目立ったわけでもあります。どこのソ連政府だ、と当時は感じたものです。私にとってソヴェト政権の判断というのは失敗の記憶であり反省材料という認識だったのですが、「ソ連(ウクライナ/ベラルーシ)では~」と、まるでソ連政府の対応を見習えと言わんばかりの論調すら聞こえたくらいで、まぁ開いた口がふさがりませんでした。

 本当に原発近隣の一部地域はともかくとして、別に避難するほどでもない地域というのも少なくなかったわけです。放射線量が多少増大したとしても、安易な移住という極めてリスクの高い行動を取ってまで避けねばならないものであったか疑わしい、そういうケースも多々あったはずです。たぶん、避難する必要がない地域に対して政府が取るべきは、喫煙に対するそれと似たようなものであったように思います。つまり、どうしても避難/喫煙したい人の行動を強制的に阻止することはできないけれど、「避難はあなたの(そして家族の)生活を損なう恐れがあります」と、早急な避難に伴うリスクも告知して、可能な限りそれを抑制するよう努めるべきだったのではないかと。

 リスクは比較されなければ意味がありません。どちらがより安全か、より危険かが正しく判断される必要があります。自分が住んでいる場所の放射線量から最大限に予測されるリスクがどの程度で、仕事や人間関係を放り出してまでどこかへ移住することのリスクはどの程度なのか、そこで優先的に避けるべきはどちらなのか…… しかるに、放射「能」の影響が絶対視されるばかりで放射線「以外」のリスクは著しく蔑ろにされてはいなかったでしょうか。結果として、不要不急の避難/移住で生活を破綻させた人もいるはずです。こうした人たちの「被害」を賠償すべきは誰なのか? 金額の多寡は問われるにせよ避難指示対象区域の住民は電力会社から賠償を受けることが決まっています。その周辺地域の住民もまた同様ですね。一方で、その対象に含まれない「避難者」は、果たしてどう扱われるべきなのでしょう。自分に脅しをかけてきた連中に対して、もうちょっと怒っても良さそうに思えるのですが。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (8)

競争しないワタミ

2012-03-11 11:55:57 | 雇用・経済

被災地のワタミ系コールセンター 時給を645円にした理由(NEWSポストセブン)

 被災地では、どこも仕事がなく、雇用と収入が大きな問題になっている。失業給付が支払われるのは、最大6か月間。厚生労働省によると、2月の段階で失業給付が切れた被災者3510人のうち、約74%が再就職先が決まっていない。
 
 岩手県陸前高田市などを管轄する「ハローワーク大船渡」によると、昨年12月の求人倍率は0.65倍と依然厳しい。中でも「希望が多いのは、サービス業や事務職。ただ、求人は少ない」(ハローワーク大船渡)状況だという。

 

 まぁ、圧倒的に優遇されているはずの新卒者ですら就職難なのですから、失業して再就職しようとする人の行き場がないのは当たり前、ましてや震災前から首都圏に比して求人の少ない東北の話です、むしろ再就職先が決まらない方こそ普通なのかも知れません。求人倍率0.65倍というのは昨今の日本であれば相対的には悪くない数値に見えますけれど、復興に伴う建設業などの臨時雇いによって押し上げられている数値と推測されます。いかに規制緩和によって非正規雇用の口が増えようとも新卒者がそれを避けるように、被災地の求職者もまた将来的な保証のない仕事は敬遠するものです。真面目に働こうと考えている人であれば、それもまた当然のことですね。しかし、長期雇用が見込める就職先は減るばかり……


 
 そんななか、2月1日に同市竹駒町に「陸前高田受付センター」が開設された。居酒屋チェーンを展開するワタミグループが高齢者や子育て家庭向けに始めた食事の宅配サービス「ワタミタクショク」が運営するコールセンターだ。

(中略)

「時給は最低賃金の645円でした。でも、この沿岸部に、コールオペレーターの仕事をつくってくれるだけで感謝です。月曜から金曜まで、朝9時から昼3時まで働いています。子供が学校から帰ってくるころに、家に戻れるのがうれしいですね」(金野さん)
 
 陸前高田受付センターでは、2月の開業に合わせて被災者72人(うち男性1人)が採用された。同社の川村功統括センター長がこう説明する。
 
「会長の渡邉美樹が陸前高田市の参与に就いた関係から、雇用を創出しようと高田につくることになったのです。時給を最低賃金の645円でスタートさせたのは、周辺の需給バランスが崩れると、他の企業が参入しにくくなるからです。時給は就労状況で上がっていくシステムになっています」

 

 コールセンターは業務の性質上、顧客との地理的な近さを必要としないため僻地に設けられがちです。人件費の安い沖縄に作られたり、時には中国など海外に作られたり。業界によって(PC関係とか)はサポートセンターが海外で日本語が通じないなんて話も珍しくありません。しかるに中国の人件費はうなぎ登り、ましてや電話だけで日本人顧客の話すことを正確に理解できるだけの語学力を持った人材を雇おうとなると当然のように給与相場は上昇してしまいます。時には現地のコールセンターで働いてくれる日本人を、現地水準の給与で募集していたりする会社も多々あるのですが、言うまでもなく中国人と同等の給与を得るために敢えて中国へ渡る日本人は決して多くないようです。

 そんなわけで、低賃金で容易に日本語ネイティブを確保できるとして沖縄県はコールセンターの誘致に力を入れていたりもします。しかしまぁ、低賃金を当て込んだ事業者を招かなきゃならないってのも嫌な話です。そして沖縄の強力なライバルになりそうなのが、東北の被災地域なのでしょうか。なんと時給は645円、しみったれた雇用主でも端数は切り上げて650円で人を雇うところが多いであろうと推測される中、ぴったり最低賃金の645円で被災者を買い叩こうとしている事業者がいるわけです。

 電力会社だったら、もうちょっと出してくれるだろうなと思うのですが、限度いっぱいまで賃金を抑え込む事業者もいます。しかし、被災地には十分な仕事がありません。そのせいもあってか「コールオペレーターの仕事をつくってくれるだけで感謝です」と感じる人もいるようです。まぁ、派遣などの非正規雇用もそうですけれど家計扶助的な立場で働く人にとっては必ずしも悪くないように見えるところはあるのかも知れません。収入が年間103万円を超えない程度に働きたい人には、昨今の雇用情勢は意外と悪くないのでしょう。しかし、自分の稼ぎで生活しなければならない人にとっては暗澹たる状況が続いています。

 どのみち、他に選択肢と呼びうるものがあるわけでもないのなら、時給645円の仕事でも受け入れざるを得ない状況ができあがるわけです。他に就職先があるのなら、より高給の職場に労働力は流れていくものですけれど、他に仕事がない、あるいは他所も同レベルなら時給645円という超低賃金が成り立ってしまうのです。そしてワタミの担当者曰く「時給を最低賃金の645円でスタートさせたのは、周辺の需給バランスが崩れると、他の企業が参入しにくくなるから」とのこと。

 基本的に日本人は競争が好きなのだと思います。とかく「競争原理を導入せよ」みたいな言説は、内容もろくに検討されないまま受け売りされがちですし、競争させれば物事が良くなると素朴に信じている人も少なくありません。一方で国際競争には否定的、外国企業を日本に対する侵略者として脅威を煽っては身勝手な保護主義を振りかざす人もまた目立ちますが、そんな人でも国内の競争に晒されて「いない」とされる業界/職種に対して一貫した態度を取っているかは怪しいものです。例によって公務員や電力会社など、競争に晒されていないとされる企業や組織に対しては、安易な競争原理の導入に懐疑的な態度を取っている人でも、いわば別腹扱いなのでしょう。公務員は/電力会社は競争に晒されていない――と、そういう枕詞から対象の全否定に走る人も多いわけです。

 しかるにワタミの「周辺の需給バランスが崩れると、他の企業が参入しにくくなる~」は、いかがなものでしょうか? 実に率直な、競争否定でもあります。端的に言えば、カルテルの発想ですね。価格カルテルとかは普通に耳にしますけれど、これは給与カルテルとでも呼ぶべきものです。普通に考えれば労働力の確保だって競争であり、高い給与を出したところが優秀な従業員を集め、競争に勝ち抜いていくものですけれど、そう「ならないように」ワタミは配慮しているわけです。こうしたワタミの気配りのおかげで、同地域の他の事業者も最低賃金ギリギリの給与で労働者を集められる、従業員確保のために賃金を増額する必要もなくなる、待遇を競う必要もなくなります。これで雇用主の利益はバッチリですね!

 同地域で人を安く雇いたい事業者にとって、ワタミの配慮はありがたいものなのかも知れません。ワタミの提唱する賃金カルテルに他の事業者も同調すれば、まさに競争することなく労働力を買い叩ける雇用主の楽園ができあがることでしょう。とはいえ、いかに人件費を抑え込むことが簡単になっても、他の企業と競わずに済むのは人を安く雇おうとする場面だけ、自社の売り上げを伸ばす上では競争からは逃れられません。ワタミのような大企業に潰される会社も少なくないはずです。果たしてワタミのビジネスが被災地の小規模事業者とぶつかり合う場面はないと言えるでしょうか。競合他社を圧迫しつつ、賃金抑制の面では率先して談合を呼びかける、そうしたワタミの手法が許されるようなことがあって欲しくないものです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (10)   トラックバック (1)

会社を甘やかし、社会を甘やかす論理

2012-03-08 22:49:34 | 雇用・経済

育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈
 「働き方の多様化」では済まされない取得者たちの軽さ(日経ビジネスONLINE)

 ところが、その一方で、育休を取得した人の仕事は、周りの人が肩代わりすることになる。

 「やっぱり~、子供って3歳までにどれだけお母さんと一緒に過ごしたか、ってことが将来にものすごい影響を与えるじゃないですか~。仕事の代わりはいても、母親の代わりはいないですから~~」
 
 これは夫が休める、休めないに関係なく、女性たちに育児に集中する権利が与えられている大手保険会社で、ある若い女性社員がつぶやいた一言だ。これを聞いた職場の先輩の女性は次のようにブチ切れた。
 
 「育休だの、時短だの、ワークライフバランスだの、あれやこれや制度ができるのは悪いことだとは思いません。でも、会社員なんですから与えられている仕事の責任を全うして、初めて権利を主張すべきだと思うんです。なのに、最近の若い世代は、明らかに仕事よりも家庭の優先順位が高い。仕事から逃げてる。私にはそういうふうにしか思えないんです」

(中略)

 「なぜ、若い女性たちは母親の代わりはいないと断言し、仕事の代わりはいて当然と信じ込んでいるのでしょうか。何か違うんじゃないかって、思えてなりません。休んだ彼女たちの仕事は、誰かが穴埋めしなきゃいけない。だったら、子育てに保育園とかベビーシッターとか、公的な機関も含めて利用して、できる限り早く仕事に復帰すべきです。たとえ自分の稼ぎのほとんどが子供を預けることに使われることになったとしてもです」

(中略)

 実は、彼女自身も、産休と育休を利用している。しかし、制度をフルに利用すれば出産前後で1年半以上も休むことができたにもかかわらず、出産予定日の3週間前まで働き続け、産後10週間で復帰したそうだ。
 
 「子育ては大切。でも、自分はしょせんサラリーマン」――。こんな思いがあったから、そうしたと言う。「サラリーマンの義務」を、できる限り果たそうとしたわけだ。

 ところが、最近はその「義務」を果たそうとしない人があまりに多く、「子育て」という、誰も反論できない理由を盾にする社員たちに、ほとほと嫌気が差していた。そこに、「仕事の代わりはいても、母親の代わりはいない」との発言が、とどめを刺した。
 
 子育てのために会社があるわけじゃない――。

 

 権利を行使する前に、まず義務を果たせと、どうにも産経新聞かと見紛う主張が掲載されていますが、掲載誌は日経の系列メディアです。まぁ、根底的なところでは差がないのかも知れませんね。それにしても、こんな産経文化人みたいな先輩社員が幅を利かせている職場の人には同情を禁じ得ません。お局が「サラリーマンの義務」を果たしてきたと自画自賛するのは結構ですけれど、同じことを他人に強制しようというのは単なる我儘でしかないでしょう。会社に尽くすために社員の人生があるわけではない、社員それぞれにも自分の人生があるのですから。

 

 「私たちの時は、男女雇用機会均等法が施行されたといっても、現実にはまだまだで、制服はあるわ、『女の子』としか呼んでもらえないわで、ひどかったですよ。残業規定が厳しくて、午後7時以降の会議には出ることすらできない。昼間の会議でも、重要事項を扱う会議には、出させてもらえなかった。だから、『会議に参加させろ!』って、上司に何度も掛け合いました」
 
 「ですから、参加OKの指示が出た時には、必死でしたよ。どうにかして自分の存在価値を示さなきゃってね。でも、最近はそういう『女の子』枠はないでしょ。女性だろうと何だろうと、そのポジションにいればどんな会議にも参加できる。どんな仕事だって任される」
 
 「途中から何とかして獲得した仕事と、最初から当たり前のようにある仕事とでは、『重み』が違う。私からすれば、『そんな責任ある仕事を任されるなんて喜ぶべきだ』と思うんですけど、彼女たちはそうは思わない。女性たちが進出したことで、女性の仕事観が軽くなったような気がしています」
 


 以前にも何度か触れたことではありますが、男性社会でのし上がった女性は往々にして、男性以上に男性的であるケースが目立つように思います。結局のところ、男性原理が支配する中では女性であることが不利に働くわけですけれど、そこで女性が男性を差し置いて出世の階段を上るためには、周りの男性よりも男性原理もしくは会社の論理に忠実である必要がある、ゆえに男性社会に「進出」した女性とは選りすぐりの社畜根性、マッチョイズムを身につけた女性である場合が少なくないのではないでしょうか。男性であればガチの社畜でなくとも長く勤めていれば出世できる機会があったかも知れません。しかし、女性は周りの男性を圧倒する社畜魂を披露しないことには抜擢されることもなく、寿退社を期待される時代もあったわけです。その結果として、冒頭やこちらで引用したような社会進出した女性が生まれたと言えそうです。

 元始、女性は太陽ならぬ労働力でありました。別に現代だって、農村部を思い浮かべてみれば一目瞭然ですが、専業主婦なんてあり得なかったわけです。それが経済の発展と成熟に伴い、亭主一人の稼ぎで家族が暮らせるようになると「女性は家庭」というモダンな価値観も成り立つようになりました。昨今では経済の退行に伴い「女も働け」という気運が強まる一方ですけれど、甲斐性のある男を捕まえることが困難になればなるほど希少価値も高まるもので、女性の専業主婦志向はむしろ上昇傾向にあります。そんな中、時代に取り残された真性保守とでも呼ばれるべき立場をとっているのが、引用した『そんな責任ある仕事を任されるなんて喜ぶべきだ』と思う女性達なのかも知れません。仕事を任されて喜ぶかどうかなんて、個々の勝手だろうとしか言いようがないですけれど。何を喜ぶべきか、それは他人に指図されるようなものではないでしょう。

 

 例えば5人のうち1人でも育休で欠ければ、4人で5人分の仕事をする羽目になる。時短勤務をしている人が1人いると、その人がやり残した仕事を他のメンバーがやり繰りせざるを得ないわけで。
 
 しかも、よほどの単純な作業でない限り、1人分の仕事を4人に均等に割り振ることなどできやしない。さらに残された4人の中には、「子供を迎えに行かなきゃならないから」と残業を一切しない人もいれば、見て見ぬ振りをしてさっさと帰る人だっているかもしれないのだ。
 
 こんな時に最大の犠牲者となるのは、生真面目な正直者だ。

 

 さて、産経文化人みたいな女性社員の言い分が長々と紹介された後に、引用元コラムの著者は上のように書いています。育休取得者のせいで「生真面目な正直者」が「最大の犠牲者」にされているんですって。へー。元より見出しには「(育休)取得者たちの 軽さ 」と掲げられているわけです。このコラムの著者にとって育休取得者とは、不真面目で不誠実な存在なのでしょう。たしかに、部署に育休取得者が出ることによって人員が減る、その分を他のメンバーが補わねばならないことになる局面は少なからず出てくることがあるかも知れませんけれど、だからといって育休取得者のせいで「正直者」が「犠牲者」にされているかのように語るのはミスリーディングもいいところです。

 これは育休に限らず有休の取得にも当てはまります。いずれにせよ、誰かが勝手に設定した「与えられている仕事の責任」を果たそうが果たすまいが、有給や育休は当然の権利として行使が認められるものです。そして権利が行使されたからといって業務に支障が出ないような体制を構築するのは、本来なら会社の役割ではないでしょうか。もっとも日本の企業はその辺を怠っている場合が多く、有給や育休を取得する人がいないことを前提にギリギリの人数で回していることも少なくありません。有給や育休の使用で業務が滞るとしたら、会社の管理に問題があるのですが、しかし会社の管理を問う前に部門に属する個人が自主的に責任を負う、あるいは社員にプレッシャーをかけて有給や育休を取得することを自粛させるのが当たり前になっているために、経営側が甘やかされているだけです。

 むしろ、社員はもっと無責任に自分の権利を行使すべきでしょう。「正直者」が勝手に「犠牲者」になるから、経営側が漫然と人員不足を放置することにもなるのです。法的にも雇用契約の上でも認められている権利は使われることを前提として会社が運営されるべきなのに、権利が使われたら綻びが出るような状態が放置されている、それが経営側の怠慢、責任放棄でなくてなんだというのでしょうか? 社員が自主的に経営責任を背負い込む必要はありません。しかし、この引用したコラムで説かれているように、権利が行使されることによって生じる綻びの責任を、権利を行使した人に向けようとする論調もまた根強いものがあります。こうした論調が平然と垂れ流されている辺りに、有給や育休の取得が進まない背景が窺われるというものです。

 ちなみに、「仕事の代わりはいても、母親の代わりはいない」と語ったとされる若い女性社員にも、一つ考えを改めてもらいたい点があります。もちろん、仕事の代わりはいて当然です(そして、それを用意すべき責任は会社にあります)。しかし、母親の代わりはいないのでしょうか? 母親の代わりだって、いていいと思います。何でも母親が育児に責任を負う必要はないわけで、家族や親戚、隣人だけではなく公的機関による支援等々、別に母親だけで子供を育てなければならないことはないはずです。むしろ仕事と同様に、時には母親という役割を休んだっていいでしょう。保育園やベビーシッターは仕事に復帰するためだけではなく、母親を休むために利用しても構わない、そう考えて欲しいなと。仕事の代わりはいないと信じる社畜が経営側を甘やかすように、母親の代わりはいないと断じる母親は社会を甘やかします。その結果として会社は人が抜けた後でも業務を変わらず維持する責任を社員に背負い込ませ、社会は子育ての責任を母親に背負い込ませる、それが当たり前だと思うようになるのですから。母親を支えるべきは周囲ですが、母親が勝手に子育ての責任を背負い込めば背負い込んだ分だけ、我々の社会は怠慢になり、子育てを母親に任せるようになります。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (15)