ヨーロッパ人が忙しくない3つの理由(WIRED VISION)
前回、マクドナルドの裁判を足がかりにして、管理職の範囲の問題や忙しさなどについて浅知恵を巡らしてみました。それにしてもですね、なんで日本人はこんなに疲れているのでしょうね。ワタシの勤め先はかつて通常残業省などと揶揄されたりしたところですが、今もあんまり状況は変わっていないです。
しかし、ブラッセルに赴任して欧州委員会の官僚を相手に仕事するようになった時、いや驚いたのなんのって。彼らの優雅なこと!昼は2時間かけてランチ。6時にはオフィスは無人状態。夏は一ヶ月間バカンス。おまけに給料ははるかに多い。ワタシ心に誓いました。来世も役人やるとしたらヨーロッパ人に生まれて欧州委員会に勤めようって。
ということで、当然のこととして何が彼我の差を生むのか、非常に関心をもったわけです。そこで仕事で彼らに会ったついでにいろいろ質問してみることにしました。その甲斐あって大体わかりました、そのわけが。
ズバリ、欧州官僚が忙しくない3つの理由!
理由1:自分に甘く他人にも甘い
ワタシが仕事で追いかけていたEUのある法律に「○年○月までに見直しをすべし」と規定されていました。にもかかわらず担当部局からドラフトも出てこないし、待てど暮らせど何の反応もない。聞いても要領を得ない。結局、何もしないまま期限が過ぎてしまいました。日本だったら担当局長はクビですね。国会で大騒ぎになって新聞は書き立てる。でも彼の地では...
欧州委員会は説明しました。「担当がバカンスもあり忙しかったため」!
議会はこう反応しました。「じゃ、仕方ないですな」!!
(中略)
ま、理由1は日本じゃ真似できないですね。日本の社会ほど自分に厳しく他人に厳しいという社会、他にあんまりないような気がします。ヨーロッパと日本を対極にしてその間に日欧以外の全世界が入るような(笑)。もう価値観のちがいとしか言いようがない。
長くなりましたが、引用ここまで。要するに、日本は自分に厳しいことを美徳とし、他人にもそれを求めるが故に、当然の報いとして他人からも厳しく接される、それが巡り巡って息詰まる日々が続くわけです。だったら他人に優しくすればいいじゃないのと言いたいところですが、それを望まないのが日本人の道徳でもあります。
職務柄、PCのモニタとにらめっこの日々で大いに目も疲れるわけですが、私の雇用契約書には、しっかり書いてあります「VDT連続操作の場合1時間までとし、1時間連続操作した場合、当該業務において、少なくとも10分間の休止時間を設ける。」と。これは当然、守って欲しい事項でもありますし、相互に契約を交わした以上は守る義務もあります。しかし、守られていません。
こうした契約が適正に守られている職場、あるいは守られているとされる職場を私は知っていますが、その職場は賞賛されるどころか日本中の非難の的です。ふむ、雇用契約を遵守することや労働者の健康管理に配慮することは、この国では非難の対象であり、むしろ契約を反故にすること、健康を害することを恐れず無理を強いることが国民の望みのようです。
戦後最長の景気回復が続く中で労働分配率は下がり続けていますが、それでも高い労働分配率を維持し、勤務者にしっかりと報酬を払い続けている業界もあります。よく頑張った!と褒めてやりたいところですが、こうした業界も挙国一致で非難の対象です。この国民の非難に応えるためには、労働分配率の高さを改める必要があるというわけですね。
待遇がよい、恵まれていると言うことは非難の対象です。そして反対に、給与の引き下げや業務負担の増大といった待遇の悪化は歓迎されます。例えば同意のない一方的な給与カットや、トイレ掃除などの契約外の業務の強要といった行為は、基本的に歓呼の声を以て迎えられますし、「いいぞ!もっとやれ!」とさらなる継続すら求められるわけです。それが他人のものであるならば。
あなたの隣人は待遇面で恵まれすぎており、甘えている、それは悪しきことであると考え、隣人の給与削減や仕事量の増加、諸々の不当労働行為に脅かされたときに、それは当然のことだと考えるとしましょう。ところが、隣人を道徳的に断罪しているつもりでも、実はあなたもまた隣人から道徳的に断罪されており、あなたの待遇の悪化は隣人によって当然視されているのです。
待遇改善に反対しているのは、実は政財界だけではなく、国民もしくは世論なのです。そうでしょう? どこかの業界なり職種なりが、高い給与を受け取っていたり、ゆとりある働き方をしていたり、あるいはどこかの組合なり団体なりが、待遇改善を勝ち取ったり、経営側の不当要求をはねのけたり、そうしたときに最も声高に道徳的な非難を掲げるのは誰でしょうか? それは政界でも財界でも、御用学者ではないのです。
他人の労働の価値を認めず、その待遇改善を非難し、より厳しい環境で働くことを切望する、こうした「国民の声」を聞き届け、応えた結果が今に至るわけです。(相対的にではありますが)最も国民から支持されている政党が国民の声に応え、その切望したものを与え続けることによって自らは支持を獲得し、国民達はその隣人が絶望したとおりになる、その繰り返しが今日なのです。誰か顔の見えない「悪い奴」のせいでこうなったのではなく、自ら望んだからこそ……
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