非国民通信

ノーモア・コイズミ

野党は記録することを求めるべきじゃないのか

2018-03-25 23:23:15 | 政治・国際

自民・和田氏の「政権おとしめる」発言、会議録から削除(朝日新聞)

 自民党は20日、参院予算委員会理事会で、和田政宗参院議員が19日の委員会で、財務省の太田充理財局長について「民主党政権時代の野田総理の秘書官も務めており、増税派だからアベノミクスをつぶすために、安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁をしているのか」と述べた発言の一部を会議録から削除するよう求め、了承された。

 発言について、19日の理事会で野党が「公僕への侮辱」と抗議していた。これを受け、和田氏が削除することに同意したという。20日の衆院財務金融委では、「部下が辱めを受けたことに抗議すべきだ」とただした希望の党の大西健介氏に対し、麻生太郎財務相が「その種のレベルの低い質問はいかがなものかと、軽蔑はします」と和田氏を批判した。

 自民党は、渡辺美樹参院議員が過労死の遺族が出席した13日の予算委中央公聴会で、「週休7日が人間にとって幸せなのか」などと述べた発言についても削除を求め、了承された。渡辺氏は遺族から抗議を受け、謝罪。自ら会議録からの削除を求めたという。

 

 この会議録なり議事録なりからの「削除」という対応は昔から存在してきたわけですが、不思議なのは「発言した側」よりも「批判する側」の方に主体性があるところでしょうか。批判されそうな発言だったから、あるいは不都合な発言だから――そうした理由で発言者が「自主的に」削除するのではなく、批判する側の抗議によって「削除」という結果に至るわけです。非難する側にとって「(発言を)削除させる」というのは一種の勝利でもあるのかも知れませんが、しかし問題を削除によって「なかったこと」にしてしまえるのなら、むしろ「幕引きに成功」したのはどちらなのやら。

 昨年末には維新の議員が自民党、立憲民主党、希望の党の議員3人を「犯罪者」などと述べ、その発言が議事録から削除されました。発言には相応の批判もあったわけですけれど、結果は「削除」です。削除“させられた”維新の議員にとっては敗北感の一つもありそうな気はしますが、しかしながら客観的に見て恥ずかしい発言が記録されるのではなく削除されることによって最大の利益を得ているのは、発言を批判する側ではなく、批判された側であろうと考えられます。

 まぁ国会議員みたいな晒し者に敢えてなろうという人は、それこそ「家業」を継いだだけの世襲議員までをも含めて、良くも悪くも「奇特な人」ばかりです。自分を客観的に見ることが出来ていない、何が起ころうとも自分の正しさを信じて疑うことを知らない、そういう強さを持った人こそが政界で生き残っているのではないでしょうか。傍目には「削除された方が得」な発言も、実際の発言者からすれば何一つ間違った言葉ではない、むしろその人の頭の中では紛れもない「真実」であり、発言の削除は屈辱なのだろうな、という気はします。

 ともあれ日本経済の危機を招く「増税派」に比べればオトモダチへの利益供与なんて可愛いもの、「増税派」がやったことに比べれば近畿財務局のやったことの国民生活への影響なんて微々たるものではあります。それだけに逆進課税増税派と戦う意思のある政治家は応援したいところですけれど、さりとて「後ろから弾を撃ってくる味方」は時に敵よりもやっかいです。どうにも安倍内閣は色々と緩いと言いますか、身内が「野党に攻撃材料をプレゼントする」ケースが目立つところ、財政ではなく党内(ついでに家内)にこそ規律を求めるべき、引き締めを図るべき必要があるんじゃないかな、とは思います。

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まぁ財務省が公正なわけはない

2018-03-18 22:53:54 | 政治・国際

「財務省、なんていう省庁だ」与党からも批判(読売新聞)

 学校法人「森友学園」との土地取引を巡る決裁文書の書き換えが問題化する中、14日に開かれた参院予算委員会で、財務省は平身低頭でおわびに徹した。

 13日夜には同省近畿財務局が情報公開時に文書の一部を削除していたことも新たに判明し、野党6党は3日連続で開いた合同ヒアリングで同省の姿勢を厳しく問いただした。

 野党6党が欠席する中、午前9時過ぎから開かれた参院予算委では、財務省の太田充・理財局長が、昨年2~4月に行われた14の決裁文書の書き換えについて報告。新たに判明した3年前の削除についても説明すると、出席議員から「なんていう省庁だ」というヤジが飛んだ。

 

 それはもう財務省なんてのは逆進課税をゴリ押ししてきた不公正の権化みたいな組織ですから、国有地売却にしても相手次第で差を付けているだろうな、とはずっと前から思っていました。諸々の追及を受けて予想が現実に変わりつつあるわけですが、責任を財務省に押しつけたいであろう政府与党だけではなく、「野党6党」からも財務省への非難の声が上がるというのは、少し意外な気もしますね。故・民主党なんて自民党以上に財務省ベッタリでしたし、そうでなくとも野党側はこの問題を与党切り崩しの口実にしたいでしょうし。

 まぁ野党側は財務省を批判しつつも政府側の関与を追及するほうが本筋と思われますが、国民生活への影響はどうでしょう。この問題で他の重要な国会審議が止まってしまうのは困るものの、それもこれも疑いを招くような行為をする方が悪いのだとも言えます。正規の手続きを踏んで(例えば消費税増税や雇用規制緩和のような)日本の経済を脅かす悪法が成立することに比べれば「オトモダチ」への便宜など可愛いものとも考えられますし、とはいえ私的な利益供与が議論の余地のない不正行為であることには否定のしようがありません。

 野党筋(及び野党支持者)にしてみれば、格好の攻撃材料ではあります。私としても、財務省への攻撃材料としてなら盛り上がった欲しいかな、と思わないでもありません。今の与党が倒れて政権交代に繋がったとしても何かが好転するとは考えられないですけれど、財務省の影響力が失墜するのなら、それは日本の政治にとっては良いこと何じゃないかな、という気がしていますので。積極的あるいは消極的を問わず野党よりは安倍内閣を支持しているような人の中にも、財務省には否定的な人は結構いるのではないでしょうか。財務省には、厳しく責任が問われて欲しいな、と。

 一方で形式的なものではあるとは言え財務省の「トップ」である麻生大臣の立場は注目されるところです。なんだかんだ言ってトカゲのしっぽには「出来ない」、政府に「かばわれる」であろうと予想されますが、それもまた政府が国民の支持を失う結果に繋がる、副総理として閣内に残されている限り「火種」として残り続けると思われます。この麻生と安倍内閣を救えるものがあるとすれば――北朝鮮と金正恩くらいでしょう。北からのミサイルが日本近海に飛んでくれば、森友問題ぐらいは簡単に吹き飛ばされるはずです。「金正日に感謝しないといけないな」とかつて麻生は語りましたが、いつかは金正恩に感謝することも?

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とりあえず麻生は感謝しないと思う

2018-03-11 22:46:40 | 政治・国際

 さて先日は金正恩が突如としてアメリカとの首脳会談に応じる姿勢を表明し、トランプもそれに応じたわけです。首脳会談が実現しても物別れに終わりそうな気がしないでもありませんが、この急展開は誰にとってプラスであり、マイナスになるのでしょうか。とりあえず今は、「これから」首脳会談をやるのだと宣言しているに過ぎません。それでも「話し合いの場」に金正恩を引っ張り出したあたり、第一ラウンドの小さな勝者は韓国政府と言えそうです。

 もう10年以上前ですが、当時の外相であった麻生太郎は「金正日に感謝しないといけないな」と述べました。金正日が国際的な非難の中でミサイル発射実験を強行した結果、日本の内閣支持率は上昇した、そのことへの率直な感謝であったと言えます。そして昨年の総選挙での勝利後に麻生太郎は「北朝鮮のおかげ」とも述べました。「選挙前」には北朝鮮が色々と物議を醸していたもので、何はともあれ結果としてやはり内閣支持率は回復していたわけです。内閣の一員として、感謝せずにはいられなかったのでしょう。(今だって北のミサイルがあれば森友学園や財務省の問題から政府を救ってくれそうではないかと……)

 往々にして外交上の破綻は、国内の支持を高めます。いざ戦争にでも突入となれば、国民は熱狂的に政府を支持するものですし、日頃は反政府系メディアとして活動する朝日新聞だって戦争が迫れば翼賛メディアへと転身してきました。太陽は支持率を引きはがし、北風が支持率をつなぎ止める、内向きの団結は「敵」を前にしてこそ得られるものなのです。トランプ政権も然り、「外」に敵を描き出し、それに対して強硬姿勢を見せることで国内の支持を保っている部分は少なくないでしょう。では、「北」が柔軟姿勢に転じたならば?

 北朝鮮への強硬姿勢をアピールして支持を得てきた政党、政治家にとって、北朝鮮の軟化は大きな痛手となります。凧と支持率は向かい風が強いほどに高く上がるもの、しかし向かい風が止んでしまったら転落の危機です。日本なりアメリカなりの「国」にとってはいざ知らず、それぞれの国の「政権」にとっては、北朝鮮の対話路線こそが脅威になるところもあると思います。トランプもしくは日本の首相が金正恩と会談して友好を深めたとして、それが国内の支持向上に繋がるかどうか? むしろ有権者の中には「対決姿勢」を望んでいる人も多い気がします。

 逆に北朝鮮政府からするとどうなのでしょう。対話路線でもプロレス路線でも、金正恩体制の維持という面ではあまり差がないようにも見えます。金正恩体制に危機が迫るとすれば、北朝鮮経済が発展して中産階級が育ち市民革命に至ること、ぐらいでしょうか。国民が「今日を生きるのに精一杯」ならば革命の恐れなどありませんが、市民が豊かになって力を蓄えるようになると独裁体制の維持は難しくなるわけです。それを避けるためには適度に経済制裁を受けておく方が良い、ぐらいの判断がこれまでには働いていたように思います。それでも敢えて金正恩が交渉のテーブルに着くことを選んだのはなぜか、なにしろ相方はトランプですから、常識では計れない展開もありそうです。

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読んでりゃいいって もんじゃないことを 肝に命じておいてください

2018-03-04 22:38:30 | 社会

大学生、読書時間ゼロが過半数 「読む」層は時間延びる(朝日新聞)

 1日の読書時間が「ゼロ」の大学生が2017年、初めて5割を超えたことが26日、全国大学生協連合会の調査で分かった。一方、「読書をする」という大学生の平均読書時間は1日あたり51・1分で前年より2・5分延びており、「二極化」が進んでいるようだ。

 調査は昨年10~11月、大学生協を通じて、全国の国公私立30大学の学生を対象に実施し、約1万人から回答を得た。その結果、1日の読書時間が「0」と答えた学生は53・1%で、前年より4・0ポイント増加。この5年間で比較すると、18・6ポイントも増えていた。

 読書時間を「120分以上」と答えた学生は5・3%で、10年以上にわたってほぼ横ばいで続いている。同連合会は「大学生になって本を読むかどうかは、高校生までの読書習慣で決まっているのではないか」と分析している。(杉原里美)

 

 大学生の読書時間が云々という報道は定期的に出てきますが、その世間の理解はどうなのでしょう。曰く「大学生になって本を読むかどうかは、高校生までの読書習慣で決まっているのではないか」とのことです。ならば高校生になって本を読むかどうかは中学生までの読書習慣で、中学生になって本を読むかは小学生までの読書習慣で決まっているのでしょうか。いずれにせよ、読書時間が「ゼロ」の大学生が5割を超えたそうです。時代の流れはである、とまでは言えるように思います。

 この辺は私がことある毎に書いてきたことですけれど、勉強したくて勉強する学生は、どこの国でも至って少数派のはずです。勉強するのは「良い会社に入るため」「偉くなるため」等々、何らかの「目的」のための手段として勉強するのが普通ではないでしょうか。では勉強しても就職には関係ない、勉強しても偉くなれない社会であったなら――例えば見た目や「コミュニケーション能力」ばかりが偏重される社会であったなら――学生が何に熱心になるかは言うまでもありません。

 親の言うことは聞かないけれどクラスの人気者には付き従う子、先生の言うことは聞かないけれど先輩の言うことには絶対服従の子、どこにでも見られる光景です。では大学関係者が「本を読め」と言ったら学生は本を読むでしょうか。普通の学生は教員や職員のいうことなんて、さして気にもとめないと思います。しかし「就職先」の要求することだったら? もし日本の企業が、読書量に応じて採用の基準を緩和する、読書量に応じて待遇に差を付ける、そうした社会であったなら日本の学生の読書量は劇的に伸びるであろうと私は確信しています。しかし企業が求めているのは別のことなのです!

 結構な昔になってしまいますが、よそのブログで「ネトウヨの良いところは、ちゃんと選挙に行くところ」と書いている人がいました。確かに、そうなのかも知れません。「普通の」人よりも差別意識の強い人の方が(方向性はともかく)政治への関心は深い、投票率も高いところはありそうです。例えば2014年の東京都知事選でも若年層の投票率は低かったわけですが、その若年層に限っては田母神俊雄が高い得票率を記録しました。「普通の若者」は投票に行かない人が多い一方、田母神を支持するような若者は欠かさず投票所に足を運ぶのですね。

 ……で、もう一つ私が付け加えるなら「ネトウヨの良いところは、本を読むところ」でもあると思います。一時ほどの勢いはありませんが、書店ではレイシスト向けの本が独立したコーナーを設けられて山積みされていることも多いわけです。よく売れるからこそ、本屋も大量に仕入れ、目立つところに陳列するのだと言えます。売れない本なら、徐々にコーナーを縮小されて脇に追いやられていくものですから。「普通の学生」より排外主義者は本をよく読む、だからそういう人向けの本が書店でも多く取り扱われていると考えられます。

 まぁ、昔から「売れている本」が良書であるとは限りませんでした。エセ科学本だったり新興宗教の教祖の本だったり、陰謀論者のトンデモ本だったり芸能ゴシップネタばかりだったり等々、職にも知にも貴賤はありませんけれど、本と言ってもピンキリなのです。堅い本だけが本ではありませんし、ファッションで本を読んでいるだけの意識高い系ではなく真性の本好きほど、「くだらない本」だって相当な数を読んでいるのではないでしょうか。栄養豊富で健康に良いものだけを食べるのが美食家ではありませんから。

 一般論として投票に行く人の方が行かない人よりは真っ当に思えるかも知れません。しかし田母神に投票する人と選挙に行かない人のどっちがマシなのか、それは皆様の判断にお任せします。そして本を読まない学生より本を読む学生の方が好ましいと見えるかも知れませんが――極右向けのヘイトスピーチ本を乱読する人と本を全く読まない学生のどっちがマトモかも、まぁ皆様の判断にお任せします。ただ私が思うのは、本を読んでれば偉いと言うこともない、読書量を人に誇るような輩こそむなしい、本を読まない人を見下す人ほど卑しい、それぐらいですね。本を読む量が多いってのは、単に本が好きだと言うことを示すだけです。

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