非国民通信

ノーモア・コイズミ

王将を守るため、歩は捨て駒にされるものです

2010-04-30 23:00:29 | ニュース

新入社員「スパルタ研修」に批判  「餃子の王将」が釈明文掲載 (J-CAST)

   過酷な新入社員研修の様子がテレビで放送され、「ブラックすぎる」などと批判されていた「餃子の王将」の王将フードサービスがサイト上に釈明文を掲載した。内容が「誤解を受けやすかった」とし、「無難な研修では学生気分を脱却できない」などと研修の真意を説明している。

   2010年4月11日、情報番組「TheサンデーNEXT」(日本テレビ系)で、同社新入社員研修の様子が放送された。携帯電話からテレビ、新聞、タバコも禁止。朝は6時半からランニングを行い、夜は23時に消灯。研修では、ことあるごとに怒号が飛び交う――。

スピーチで絶叫、涙流して抱き合う
   神奈川県の山中にある施設で、軍隊のような生活を5日間送る。挨拶などの接客基本動作や、オリジナルの「王将体操」などで合格点を取らないと修了が認められない。

   その中でも特に強烈なのが、3分間の「私の抱負」スピーチだ。他の社員の前で「私の抱負は1年後チーフになり、店長になることです。絶対になります!」などと絶叫。「70点 合格!」と言われ、最後には役員と涙を流して抱き合う。まるで自己啓発セミナーのようだ。

  「餃子の王将」では、メニューの工夫や、イベント企画を行うなど、社員一人一人が存分に力を発揮し、併せて仲間とも協力することが必要とされる。その前に、挨拶や礼儀を社会人として身につけなければならない。「現代の若者」は、家庭や学校でこうした躾をされることが少なく、叱られたことのない人も多い。そのため、「通り一遍の無難な研修だけでは、学生気分から脱却させることはできません」というのだ。

   また、今の若者には「汗をかかない」「涙を流さない」「感謝を知らない」といった傾向があり、研修では「感謝を知ること」を一番教えたいのだという。仲間に励まされながら自分の弱さに向き合い、最後に感動を分かち合う。仲間あっての自分を知り、感謝を知ることが真の目的だとし、「ご理解頂きたく、お願い申し上げます」としている。

   王将フードサービス経営企画室によると、このような研修は10年以上前から行っており、途中で脱落者が出ることもある。放送後、「感動した」という意見だけでなく、「やりすぎ」といった批判もメールで寄せられたため、4月中旬に釈明文を掲載した。

 テレビ放送されたこともあって結構な話題にも上った王将の新人研修、「軍隊のような生活」とのことですが、実際に研修と称して自衛隊に体験入隊させる企業が増加の一途でもありますから、それほど特異ではないのかも知れません。学生や主婦層、新人研修とは無縁の中途採用者や中小企業の人間からすれば異常な世界に見える一方で、研修をみっちりと受けてきた人の中には、「これくらい社会人として当たり前」と感じた人もいるのではないかと思います。十年以上も前から同様の研修を続けてきたにも関わらず今まで話題にならなかったのは、それが当然のことと受け止められてきたからでもあるでしょう。何はともあれ、思わぬ波紋を呼んだことで王将側としては釈明文を掲載したわけです。

 釈明文の中身はと言えばカビの生えた俗流若者論といった感じで今さら相手にする気にもなれない代物なのですが、報道でも力点の置かれた「新入社員研修を通じて、一番彼らに教えたいことは『感謝を知ること』」という部分だけ、ちょっと考えてみましょうか。この手の教育でどうやって「感謝」を知ることができるのか、そもそもどこに向けての「感謝」なのかとか、その辺は明確にされていません。研修を通じて雇う側と雇われる側の上下関係を徹底的に叩き込むことで、会社への「感謝」を知らしめようという辺りでしょうか。将軍様ならぬ王将様への感謝を教えているわけですね。

 少なくとも、一緒に働く仲間たちや「お客様」への感謝を教えるのは、この研修では無理です(まぁ「感謝」以前に業務上で求められる諸々の能力を身につける上でもこの研修は無意味……)。そうなると消去法的に雇用主への「感謝」しか残らないような気がするのですが、王将側は何を想定していたのでしょう。「お客様は神様です」という言い回しがありますけれど、たぶん王将でもそういう建前を現場の従業員に押しつけているものと思われます。これだったら「お客様」への「感謝」を教えようとしているものと解釈できるかも知れません。しかし、こうした考え方が日常から「感謝」を奪っているとも考えられないでしょうか?

 日本の場合「お客様」が絶対的に偉いわけです。「お客様」は神様であって、応対する従業員は下僕みたいなものです。少なくとも対等な関係ではない、王将に限らずとも自社従業員と「お客様」を対等な関係として扱うところは皆無に近いと思います。お客様は神様――それゆえに「お客様」は店員に感謝しない、そういう環境が作られてきたのではないでしょうか。神様が下僕に感謝するはずがありませんから。金を払っているのに何で感謝しなきゃいけないんだ、と。ならば「お客様」と従業員は対等な関係であると教えてこそ、お互いに感謝しあう環境に繋がるような気がしますが、店員側が一方的に感謝するばかりで利用者は感謝などしない、そういう環境を王将は再生産し続けています。それでいて「感謝を知ること」を教えたいと宣うのなら、まぁ欺瞞もいいところです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (16)

無能な経営者の考えそうなこと

2010-04-29 22:59:44 | ニュース

国家公務員の採用を半減 来年度、出先機関中心に(共同通信)

 鳩山由紀夫首相は27日の閣僚懇談会で、11年度の一般国家公務員の新規採用数を09年度実績(9112人)比で半減させる方針を指示した。あっせんを伴う天下りの禁止で退職者数が減ることを受けた人件費抑制策で、主に地方の出先機関の採用絞り込みで対応する。しかし、新規採用抑制が続けば、いびつな年齢構成による組織全体の士気低下も懸念され、各省との調整には難航も予想される。

 何かにつけてジリ貧の鳩山内閣ですが、そのせいもあってか国民ウケの良さそうな部分はかなりスピーディに打ち出されているようにも見えます。夫婦別姓とか外国人参政権とか猛々しい反対者の存在するテーマがいつになるのかわからない一方で、時効廃止は異例の即日施行だったりしますし、こちらの公務員新規採用半減もまた世論を視野に収めてのことなのかも知れません。主に地方の出先機関の採用絞り込みとのことで、この辺も都市部への一極集中の流れを加速させるのかなと思ったりしますが、ともあれ公務員の数を減らすと宣言すれば国民のウケは悪くないのでしょうね。

日本の人口1億2751万人 09年、過去最大の減少(朝日新聞)

東京都、1300万人を突破 区部の人口増目立つ(朝日新聞)

 日航の路線削減とか話題に上っていますけれど、採算がとれないからと安易に切り捨てればその地方は永遠に衰退し続けるだけ、赤字でもインフラを維持することは将来への投資でもあるはずです。利益とか採算性、財政のことだけ考えているならば赤字部門を切り離すのが最も簡単なのでしょうが、公共交通機関を含む「公」の世界では採算性よりも大切なものがありますよね。それはさておき、朝日新聞にて上述の公務員採用半減に関する各閣僚のコメントが載せられていました。

国家公務員の採用半減 省庁「総論賛成、各論不安…」(朝日新聞)

 原口総務相「真に必要な国家機能を確保しつつ、厳しい抑制を行う
 川端文科相「業務に支障ない範囲で、できるだけ人員を減らすのが望ましい

 この辺は初めに削減ありきという感じがしないでもありませんが、一応は本来機能の維持を念頭に置いてあるわけで、まぁ政権の方向性に水を差さない範囲での優等生的回答と言えるでしょうか。

 一方、地方の出先機関が多い農水省の赤松大臣は「事実上8割減になってしまう。戸別所得補償制度の実施にあたって、体制や要員の問題が出てくる」とのこと。意外にしっかりとした回答ですね。人員不足で業務が回らなくとも省庁の職員を非難して自分は被害者面しておけば大臣への非難は避けられるような気もしますが(首相にふさわしい人№1に選ばれた舛添はその手で激動の時代の厚労相を勤め上げたわけです)、赤松氏は一応の責任を持って仕事をやり遂げるつもりのようです。

 そして福島消費者担当相「消費者庁は国会で機能強化や人員増を野党からも言われている。強気で人員要求したい」と。良いことを言えば突っぱねられている印象が強い社民党/福島氏ですが、まぁ頑張ってもらいましょう。ちなみに直嶋経済産業相は 採用抑制の方針は認める一方で、不況下での人員削減に疑問を示した そうです。これももっともな意見ですね。不況だからと安易に採用抑制を行うことの悪影響は当然、心得ているものと思いたいです。

 そんな中、一人だけ脳天気な回答をしたバカもいました。人民裁判の司会者にして行政刷新相の枝野です。曰く「日本の財政状況を考えれば、民間企業で言えば採用がゼロでもおかしくない」と。う~ん、まぁ「民間では~」と言い出す輩は他にもいるわけで、たぶん橋下でも阿久根の竹原でも、機会があれば枝野と同じようなことを口にすることでしょう。しかし、政府の中枢にいる人間がこの有様では救いようがありません。

 無能な経営者ほど、業績が悪化したときは真っ先に人員削減に走ります。それが一番簡単な方法であり、誰にでも思いつく方法ですから。もちろん、人員削減によっていびつな人員構成、従業員の士気低下、人手不足などの弊害が出てくるわけで、ちょっとは頭の回る経営者なら安易な人員削減に走らず、もっと他の問題解決を模索するものでしょう。しかし、何も考えずにまずは人員削減、それが当たり前だ、みたいな人もいるわけです。こういう愚か者が組織を弱体化させるものですが、意外や政治家となると人気を集めがちだから困ります。業績不振、財政悪化なのだから人員削減が当たり前、みたいな無能者は責任ある立場から速やかに退場してほしいのですが。

 そもそも、公務員の世界は民間企業とは違います。営利企業ならば財務状況などの「経営上の理由」による人員削減も、あくまで経営上は合理的な判断と言えますが、「公」の世界の場合はどうなのでしょうか。民間企業=営利企業の目的は「利益を上げること」ですから、そのために必要であれば人員削減も(たとえ非人道的であったとしても)経営上は合理的です。しかし公務員の世界は違います。富国強兵の理念に沿って国庫にお金を貯め込むのが目的ではなく、公共サービスを支えることが目的のはずです。まずはその目的があるからこそ、人員削減の必要に迫られたとしても「必要な国家機能を確保しつつ」「業務に支障ない範囲で」と留保をつける必要があるわけです。営利企業ならばサービスの継続よりも黒字確保が優先される、それが当たり前かも知れませんが、「公」の世界では優先順位が違う、まずは必要性が勘案されるべきものです。「民間では~」と言えばウケはよいのかも知れませんが、それは政治家としての資質を欠いた発言でもあります。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (11)

経済系のコラムって……

2010-04-28 22:57:32 | ニュース

<経済気象台> 政治家の三方一両損(朝日新聞)

 今、企業も家計も不況の痛みに一生懸命耐えている。そうした中で政府の財政運営も、やりくりが難しい状況になっている。民間需要の不足を当面、公的需要で補おうとすると、歳入面の手当てが必要となるが、歳入は歳入で法人・所得税とも落ち込み、勢い国債に依存せざるを得なくなっている。

 足下の景気対策として効果的な分野で財政支出を実行すると共に、中長期の財政運営計画をきちんと内外に打ち出していくことが必要になる。その場合、国民(企業、家計)にも重い負担を強いるが、ぜひとも国民的議論を経て、思い切った政策を打ち出して欲しい。

 その際に重要なのは、こうした政策立案及びその議論に加わる政治家の覚悟である。政治家が国民を納得させるには、自分たちの身を削る覚悟が必要である。議員定数は、日本の国会議員が衆・参両院で722人、アメリカは上・下両院で535人。人口100万人当たりの議員数は、日本がアメリカの3倍となっている。議員定数を3分の1とまでは言わないが、せめて半分にするくらいの覚悟がないと、国民に増税を納得してもらうわけにはいくまい。

 落語の三方一両損は、3両入りの財布を拾った人と財布の持ち主が共に、「自分がもらうわけにはいかない」ともめているのに対し、大岡越前守が自分のお金を1両出して二人に2両ずつ渡し、「二人とも3両もらうところが2両になるので1両の損。自分も1両出すから1両の損」と言って、納得させる話であるが、まずは政治家が身を削ることが必要である。その上で、企業、家計にも相応の負担に応じるようお願いするのが筋というもの。政治家、企業、家計の三方一両損が望まれる。

 まぁ「経済」と銘打たれたコラムはどこも同じようなものですが、朝日新聞の「経済気象台」のアレっぷりは週刊ダイヤモンドに勝るとも劣りません。よくもここまで粒よりの馬鹿を集められるものだと、むしろ感心してしまうほどです。とりあえず1、2段落目は普通の話なのですが(こんな「普通」の話で原稿料がもらえるとは羨ましいですね)、3段落目から先はどうでしょうか。「三方一両損」などと本人はうまいことを言ったつもりかも知れませんが、経済以外の領域でこんな与太を垂れ流そうものなら、それこそいい笑いものだと思います。

 まず前提となっている議員定数の件ですが、日本の人口当たり議員定数がアメリカの3倍というのは間違っていないにしても、アメリカ以外の国と比較した場合はどうなのでしょう。日本の人口当たり議員数はOECD30カ国中29位です。そしてアメリカは30カ国中30位です。最下位グループに属するドイツでも日本の2倍、英仏でも日本の3倍程度は議員がいるわけで、日本の議員数が多く見えるのは議員数が極端に少ないアメリカと比べた場合に限ります(ちなみにスウェーデンやフィンランドとなると日本の10倍程度)。単にアメリカとだけ比較して高低や多寡を論じるのであれば、日本の法人税は低いということにもなりますが(アメリカの方が日本より法人税が高いですから)、この辺をどう考えているのでしょうか。法人税の国際比較ではアメリカを比較対象から外し、議員定数の国際比較ではアメリカとだけ比較する、経済に「詳しいフリ」をしている人はしばしば都合の良いデータだけを抽出して物事を論じる傾向がありますが、引用したコラムもその類のようです。

 そもそも「三方一両損」と言いつつ、それぞれに課される負担と、負担に応じる余力は全く異なっているはずです。議員定数削減にしても大政党や党幹部には痛くもかゆくもない一方で、小政党や新進の政治家にとっては死活問題になります。「企業」「家計」に課される「損」はどうせ消費税が想定されているのでしょうけれど、富裕層と貧困層では税の重みも全く変わってきますし、輸出戻し税で逆に儲けが出る輸出企業と国内産業とでは消費税の持つ意味は全く異なるわけです。「三方一両損」が本当に「全員に等しく」負担を求める構想なのかどうか、その実態は極めて怪しいと言わざるを得ません(そもそも政治家が減る=国民の声を吸い上げる人が減るわけで、むしろ国民には二重の損に繋がります)。

 たしかに、国民性にあった考え方には違いないのでしょう。この国の世論の動向を見ていると、どうも求められているのは結果の平等は元より機会の平等ですらなく、「負担の平等」であるような気がしますから。(それが事実かどうかはさておき)税金を払っていない人や、過剰な業務を課せられていない、楽な仕事をしている人(=世論が想定するところの公務員)などへの風当たりの強さは、「負担の平等」を求める心から来ているのではないでしょうか。金額面では微々たる問題に過ぎない給食費の未納なんかに過剰に反応するのも、それが「負担の平等」の理念に背くものであるからだと考えれば納得がいきます。負担を「負わない」人が存在することにこそ我々の社会が最も強い憤りを見せるとしたら、「三方一両損」という言い回しは国民感情に合わせたものなのかも知れません。経済論議は情に訴えてナンボの世界のようですね。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (5)

続・ただし性的なものは除く

2010-04-27 22:55:34 | 編集雑記

 取引先との営業トークで政治ネタはタブーだと、そう会社で教わった人も多いのではないでしょうか。時にはスポーツネタでも応援するチームの違いによって印象を損ねることがあるので避けた方が良いなんて話も聞かされましたが、最も基本的な「避けた方が良い話題」はやはり政治の話であると、そう教育している職場は多いと思います。つまり政治的な見解の違いによって、お客さんとの関係が悪くなる可能性が非常に高いからですね。たとえば取引先担当者が極右思想の持ち主で、一方の担当営業が明確な左派であった場合、政治ネタを振られた途端に両者の関係が悪化するであろうことは目に見えています。だから何かと対立しやすい政治の話題は避けて、できるだけ無難な話題を選ぶよう営業の基本として教えられるわけです。

 「ゾーニング」とか「棲み分け」という発送もまた、こうした考え方から生まれていると言えます。お互いに交わることを避ければ、対立は生まれません。もちろん変化も生まれませんが、ともあれ交わりを避けることで表面的には対立のない、平和な関係が築けるわけです。こうした在り方をお互いを尊重した関係と見るか、それとも欺瞞に過ぎないと見るかは人それぞれなのでしょうか。現状を乱したくない(変えたくない)のであれば前者、現状を変えたいという意志があれば後者に傾くような気もします。

 たとえば外国人に対して偏見と憎悪を抱くように、性表現に対して偏見と憎悪を抱き、「私たちの目の届くところから出て行け」と主張して憚らない人もいるわけです。この場合、レイシストの目の届かないところに隠れて交わらないよう心がけるのもまた平和的な解決方法と呼べるのかも知れません。別にそこから煙が漂ってきて否応なしに吸い込まされるとかそういう代物でもあるまいにと私なんかは思うものですが、ともあれ自分たち(子どもたち)の生活圏に性表現が存在することを許せないと感じる人もいるわけです。ならば性表現をゲットーなり出島なりに隔離しておけば、つまりはゾーニングを徹底すれば余計な対立は避けられるのだと考える人も、追う側と追われる側の双方から出てくるでしょう。

 共産党のビラをポストに投函して、それで警察沙汰になるなんてこともありました。ゾーニングの考え方からすれば、ビラを投函した人の方が悪いことになってしまうはずです。ビラを投函された住民の中には多かれ少なかれ極右思想の人もいるでしょうから、そうした人からすれば「見たくない権利」を侵害されたとも言えます。お互いに棲み分けを徹底していれば避けられた対立を、ビラの投函という越境行為によって引き起こしたわけです。性表現規制に賛同してしまうような人は「見たくない人が見ないで済む権利」をやたらと主張するものですが、この辺はどうなんでしょうか。たとえば私が日頃のエントリを、右派系のブログに宛ててトラックバックでも送りつければ「見たくない人が見ないで済む権利」を侵害していることになります。ゾーニングの徹底、という考え方からすればこれは良くない行為になるでしょう。

 その辺は「ただし性的なものは除く」という立場の人が多いのかも知れません。人種や国籍、そして思想信条に基づいたゾーニングには反対の立場を示しながら、性表現に関しては全く別の態度を取る人も多いように見受けられます。ゾーニングへの評価にかかわらず、「性」が絡むと全く立場が正反対になるケースは枚挙に暇がないのではないでしょうか。日頃は冤罪など気にしない人が痴漢に関してだけは冤罪の可能性を危惧する一方で、それ以外の場面では冤罪の危険性を声高に訴えておきながら痴漢に関しては冤罪やむなし、細大漏らさず犯人を罰することの方が重要だと平然と主張しているのを見てゲンナリしたことがあります。別にここで個人ブログを晒し挙げるようなことはしませんが、こういうダブスタは何なのだろうと思うわけです。

 小沢一郎とか好みの政治家が疑惑に晒されているときは「マスメディアを信用しすぎるべきでない」とか言いつつ、「性暴力ゲーム」云々の素性の怪しい報道が出てくるやメディア報道を全面的に信頼し、日頃は公権力の乱用に警鐘を鳴らしておきながら、性表現規制に関しては「お上」の審判に委ねることに躊躇いを感じない等々、まぁ酷いものです。私から見れば何ともいいお笑いですけれど、それでいて自分自身は良識派を気取っているとしたら、たぶん彼らはポルノではなく自分自身をオカズにしてオナニーしているのでしょう。自分に酔える人は幸せです。

 拉致被害者(家族含む)とか殺人被害者(遺族)とか性犯罪被害者とか、別に本人が悪いわけでも本人に落ち度があったわけでもないのですが、だからといって「被害者」の主張することが真理であるとは限らないものです。真っ当なことを言う人もいれば、とんでもないことを口にする輩もいますから。闇雲に被害者の要求に応えれば万事解決というものではないわけです。しばしば被害者に仮託する形で厳罰化や強硬論が唱えられますけれど、それが本当に妥当かどうかは被害者への同情や共感とは切り離して考えられる必要があります。

 しかるに「被害者」とは異なる見解に立てば何かと非難を浴びるのはご存じの通りです。拉致被害者や耳目を集めたセンセーショナルな殺人事件の被害者遺族の要求に反するような主張を繰り広げれば、さも加害者側に立っているかのような非難を受けるものです。被害者に対して「冷たい」とも言われますかね。それでも被害者感情に流されるのを潔しとせず、その主張するところが妥当かどうかを冷静に判断する人もいるわけです。ところが、拉致や殺人に関しては冷静に判断する一方で、性犯罪に関しては全く反対、全面的に被害者の主張に寄り添って、その妥当性を問うこともなければ、日頃の主張を覆して厳罰化が意味を持つかのように語り始める人もいたりします。う~ん、性犯罪に関しては被害者に完全に同調する一方で、殺人や拉致の被害者には同調しないとしたら、それは確かに「冷たい」のかも知れません。

 朝鮮学校への差別的取り扱いを強めたところで拉致問題とは全く関係ないように、性表現規制を強めても現実の性犯罪等々には何ら影響を及ぼさないであろうことは間違いのないところですが、この辺もダブルスタンダードがまかり通っているものです。たぶん、憎悪や偏見に駆られた人にとっては「何となく関係がありそうなもの」への攻撃が問題解決に繋がるように見えているのでしょう。それが本当に意味のある行為なのかは問われることもなく、というより意図的に無視されることによって敢行されるわけです。対象が何であれ、このような振る舞いは軽蔑されてしかるべきことなのですけれど。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (7)

富国強兵

2010-04-26 22:57:07 | ニュース

新入社員、陸自で鍛える 参加企業、年々増加(中日新聞)

 陸上自衛隊守山駐屯地(名古屋市守山区)で、民間企業の新入社員を対象にした研修が実施されている。駐屯地内で隊員と同じ生活をしてもらい、自衛隊への理解を深めてもらうのが本来の狙い。だが企業には、規律の厳しい陸自に体験入隊することで、学生気分が抜けない新人に礼儀やしつけを教えられると人気。年々参加が増えている。

 研修は主に2泊3日が多い。費用は一人一日1300円程度(食事代など)とお値打ち。参加者には着隊後、作業服を貸し出し、まずは敬礼や方向転換の基本動作を指導。部屋のベッドメークや掃除もする。早朝に突然たたき起こされて整列したり、重さ20キロ近い荷物を背負って10キロ以上、ひたすら行進したりする訓練もある。

 陸自第10師団司令部によると、東海北陸地方の各駐屯地での研修に参加した企業は、2009年度は73社で、07年度より5社増えた。守山駐屯地でも4社増の11社。年間の7~8割が3、4月に集中する。

 この手のニュース、以前にも何度か取り上げたような気がしますね。こちらは2007年に同様の事例を紹介したものですが、3年後の2010年となっても自衛隊を研修に利用する企業は増え続けているようです。その内容はといえば相変わらずと言うべきか、「敬礼や方向転換の基本動作」「部屋のベッドメークや掃除」等々、仕事とは全く関係のないことばかりです。大半の国には軍隊があるわけですけれど、日本のように軍隊を新人研修に利用することが一般化している国はどの程度あるのでしょうか。アメリカでは肥満児の矯正とか、中国ならゲーム中毒の矯正とかで軍隊風キャンプもしくは軍隊そのものを利用するケースがあるみたいですが、「仕事に直接関係ないこと」を教えたがるのは日本企業の特徴であるような気もします。

 昨年に続き参加した日鉄物流名古屋(東海市)の人事担当服部宣明さん(37)は新入社員と一緒に研修。「企業では難しいしつけ教育が可能で、社会人としての自覚を持ってもらえる。きついけど良い思い出になるようです」と効果を話した。

 名三工業(千種区)の波多野旭さん(22)は「就職活動も厳しかったのでこれくらいできないと社会で通用しない。やり切った達成感があります」。指導教官の宮田勇一三等陸尉は「最近の若者はバーチャルな体験が多いが、24時間、寝るまで規律を課すことで、連帯感や協調性を学んでもらえると思う」と話していた。

 ここで注目すべきは自衛隊による「しつけ」が「社会人としての自覚」と結びつけられていることですね。自衛隊的な感覚を身につけることが、すなわち社会人になるということなのでしょう。自衛隊/軍隊こそが社会人としての範であり、逆に学生的な価値観は捨てるべきものとして位置づけられてもいるわけです。建前として自衛隊の役割は「国防」なのでしょうけれど、その実態は「災害支援活動」「米軍の後方支援」そして「教育」なのかもしれません。この社会では、軍隊こそが「あるべき姿」であり、「24時間、寝るまで規律を課すこと」によって作られた「連帯感や協調性」を美徳と呼ぶようです。

 市民であることよりも軍人であることを教え(農民や町人ではなくサムライでなければならないのでしょう)、勤務時間外すなわちプライベートな時間にまで規律を課そうとする、こうした傾向が強まる一方の社会は、いったいどこへ向かうのでしょうか。世の中には「小さな政府」と「大きな政府」みたいな枠組みがありますけれど、日本の場合はどちらを目指しているのかよくわからない、矛盾した点ばかりだとの指摘もあります。もしかしたら日本が向かっているのは、大きな政府でもなければ小さな政府でもない、もっと古い「富国強兵」的な枠組みなのかも知れません。

 たとえば定額給付や子ども手当に代表される国民向け直接給付は「バラマキ」と呼ばれて非難されるわけです。その一方で、「成長産業」と認定した特定産業への公的支援は概ね肯定されているように思われます。何を「成長産業」に認定するかという点で賛否が分かれることはあっても、「成長産業」への公的支援という方向性が表だって批判されることなど滅多にないのではないでしょうか。なぜ国民に向けての直接給付は「バラマキ」なのに、特定産業への公的支援は産業政策として肯定されがちなのか、「小さな政府」ならば両方に否定的なはずであり、「大きな政府」志向ならその反対になるはずですが、日本の場合は一方にのみ反対してもう一方には肯定的、矛盾した傾向があるわけです。たぶん、日本社会において政策が評価される基準は「小さな政府/大きな政府」というものではないのでしょう。キーワードは「富国強兵」です。「富国強兵」に適った政策であるかどうか、それを基準に政策の賛否が分かれていると考えれば、それなりに辻褄が合うように思われます。

 「政府の借金」を国民がやたらと気にするのも、「富国強兵」が基準になっているからと言えそうです。別に債権者(=国民)が債務者(=政府)に「今すぐ借金を返せ」と迫ることでもない限りは問題にならないにもかかわらず、不思議と債務者であるはずの国民が政府の借金を己の借金であるかのごとくに憂いているのは、やはり「富国強兵」の方針にあわないからでしょうか。公的な社会保障の受給者を「負担」と見なし、むしろ財政の方を心配したりするのもその一環かも知れません。

 あるいは何が何でも公務員を削減せよと叫ぶ一方で治安、徴税部門の強化、公権力による監視にはむしろ賛同を示すのはどうでしょうか、本当に筋の通った「小さな政府」を望むなら、治安や徴税部門、ひいては軍隊だって小さくあるべきと唱えるものです。アメリカの「小さな政府」論者だったら「自分の身は自分で守る」という方向になりがちですが、しかるに日本の場合は公的サービスの面で経費削減を望む一方で、国民を監視し支配する存在としての「公」にはむしろ大きくあってほしいと願っているように見えます。「小さな政府」と「ビッグブラザー(ビッグシスター?)」を同時に待望するこの矛盾を一言で説明するとなると――「富国強兵」という言葉がもっともきれいに当てはまるのではないでしょうか。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (16)

実現するかはわかりませんが

2010-04-25 23:01:11 | ニュース

【スクープ】政府「法人税ゼロ」検討 成長戦略で外資の参入促進、シンガポール並み優遇に(日経BP)

 政府が6月にまとめる成長戦略の目玉として、新たに日本に進出する外国企業を対象に、法人税を大幅に減免する外資導入促進策を検討していることが明らかになった。

 日本の法人税率は主要国で最も高い水準にあり、日本企業の国際競争力を減殺するだけでなく、日本市場に進出するチャンスをうかがう外国企業にとっては最大の参入障壁となり、日本経済が閉鎖的と批判される要因ともなっていた。

 鳩山由紀夫首相は日本企業の法人税負担も軽減する方針を示しており、自民党政権下では手が付かなかった法人税改革が進む機運が高まってきた。

 日経新聞の「スクープ」だそうです。元より意見にまとまりがない上に方針が二転三転するのが民主党政権ですから、この「戦略」が具現化するかどうかは微妙なところですけれど、とりあえず首相の鳩山を筆頭に法人税を下げたがっている人は少なからずいますので、こういうプランが出てくることは不思議ではありません。日経新聞の期待も込めての「スクープ」なんでしょうね。

 経済産業省の調べによると、主要企業の法人課税負担率(2006~08会計年度平均、連結ベース)は日本が39.2%でダントツに高く、米国、フランス、英国、ドイツは30%前後。台湾、シンガポールにいたっては13%台と、日本の3分の1程度だ。

 とかく経済系の論議では実態が無視されがちなもので、ネットのコピペレベルでは国税と地方税を合算した日本の法人税と、諸外国の法人税の国税部分を比較して「日本の法人税は高い」とする主張がまかり通っています。しかるに、日経新聞も同程度みたいですね。アメリカの法人税が30%前後って、それはいくら何でも無理があります。所詮は経済誌、典型的なためにする議論と言えます。アメリカの場合は州によって法人税額に結構な差がありますので地方税相当分については一概に言えないところもあるのは事実ですが、財務省がモデルケースとして提示しているカリフォルニア州の場合は40.75%と日本よりも法人税が高い、その辺を無視するのはどうなのでしょうか。ニューヨーク市に至っては実効税率は45.67%に上ります。これでアメリカが法人税の高さのために企業が国外に逃げ出している、ニューヨーク市が深刻な不況に陥っているとか言うならまだ話は成り立ちますが、そんなことはないはずです。企業の進出に与える法人税の影響なんて微々たるものですから。

ちなみに日本の「税+社会保険料負担」は低いです

・・・・・

 政府が今回、法人税減免の対象と想定しているのは、国境を越えて活動する多国籍企業が、アジア域内の拠点を日本に新設するケースだ。「日本のアジア拠点化」を旗印に、海外、特にアジアの新興市場の活力を取り込むことで、日本経済の新たな競争力の核となりうる企業を積極的に誘致する考えだ。

 米欧企業がアジアのビジネスを統括する地域本部を置く場合や、研究開発(R&D)を担う研究拠点を設ける場合は、国や自治体が法人課税の減免を柱に、さまざまな恩典で対日進出を支援する新法を作り、来年の通常国会に提出する。5~10年程度の時限措置とし、なるべく早く成果が上がることを目指す方針だ。

 ただ今回の政府案で目新しいのは、対象を海外企業が日本国内に進出する場合に絞っているところです。優遇策によって企業誘致を目指すというわけですね。まぁ、新 興 国ではよくあることです。しかし発展途上国や未開発国が新興国を目指す過程でこのような優遇措置を定め、外国企業の誘致を目指すのは決して珍しいことではありませんけれど、曲がりなりにも先進国であるはずの国が、その前段階である新興国を目指すかのような政策を採るというのは極めて異例なことと考えられます。日本は「これから」新興国を目指す国ではなく、すでに新興国の段階を終えた国なのですが。

国税がアマゾンに140億円追徴 日本事業は課税対象(共同通信)

 米国のインターネット通販大手「アマゾン・コム」の関連会社(本部・米シアトル)が東京国税局の税務調査を受け、2005年12月期までの3年間で140億円前後の追徴課税を受けていたことが5日、分かった。アマゾン側は不服として日米間の協議を申請している。

(中略)

 関連会社は「アマゾン・コム・インターナショナル・セールス」で、北米以外の各国の事業を統括。日本では物流などを日本法人2社に委託した上、契約や売上金計上などは同社で行い、納税先も米国側に集中させていた。

 そしてこの辺を見ると、日本側がわざわざ優遇措置など設けるまでもなく、独自に課税逃れを行っている企業もあることがわかります。今後は課税していく方向性と思われますが、だからといってアマゾンが日本から撤退するという話など全く出ていません。法人税の有無や高低によって、日本に進出したり逆に撤退したりする会社は、そう多くないのではないでしょうか。市場として魅力があれば、自然と営利企業は集まってくるものです。

「プラダ」で不当解雇と訴え 日本法人元部長の女性(共同通信)

 高級ブランド「プラダ」の日本法人「プラダジャパン」元部長の女性が、外見に関する上司の発言や、売り上げを伸ばすため社員が自社製品購入を要求されていることなどをイタリアの本社に報告したため不当に解雇されたとして、近くプラダジャパン側に慰謝料などを求める訴えを東京地裁に起こすことが15日、関係者への取材で分かった。

 この詳細についても色々と考える余地はありそうですが、今回は「外資系企業」における「解雇」の一例として捉えてください。世間一般のイメージとして、「外資」は高給だが業績が上がらないとすぐにクビを切られるとされています。プラダの例も、その類と言えるでしょう。一方、「日本では正社員は解雇できない」とも言われているはずです。どちらが正しいのでしょうか? まさか「外資系企業は正社員の解雇を自由に行えるが、国内企業はその限りではない」などということもないはずです。

 外資系企業による一方的な解雇が許されているなら国内企業における同様の行為も黙認されるでしょうし(=実態)、国内企業による正社員の解雇が厳しく制限されているのなら外資系企業の場合だって同様の制限を受けているはずです(=建前)。それなのに、簡単にクビを切る外資のイメージと、正社員は解雇できないという矛盾したイメージが併存しているのはどうしたわけでしょうか。しかるに、外資系企業は免税にしようという今回のプランが現実化するのなら、ダブルスタンダードが公認のものになるわけです。外資は税金を払う必要がない、外資は解雇が自由、今までの「イメージ」に合わせて現実の法律の方が修正されていくことになると言えます。

 そして、外国企業向けの法人税減免策の延長線上には、企業全体を対象とする法人税減税構想が浮かんでいる。

 直嶋正行経済産業相は19日の講演で、法人税について「私も高いと思っている。消費税との関係や将来の財政が議論されているが、日本を成長させるために何が必要かとの観点から法人税を改めてとらえ直すべきだ」と語った。

 もっとも、新規参入の外資系企業を対象とした法人税減税案は一時的なもので、将来的には企業全体を対象とした法人税減税を既定路線とする人もいるわけです。そして法人税減税の財源となるのはやはり、消費税のようです。二度あることは三度あるとはよく言ったものですね。財政再建を目的とした消費税増税論と、社会保障財源としての消費税増税論があって、前者はダメだが後者は悪くないみたいなことを言い出す人もいるわけですが、どちらも最終的な到達点は同じなのではないでしょうか。消費税は、今後とも法人税減税の財源に回される可能性が極めて高いです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (6)   トラックバック (1)

試金石

2010-04-24 23:02:40 | ニュース

あしなが募金に理解を 高校無償化… 育英会が影響懸念 (産経新聞)

 ■奨学生、授業料以外の支払い困難

 交通事故や病気で親を亡くした遺児たちの進学資金支援を目的とした「あしなが学生募金」が、24日から全国で行われる春の活動で40周年、通算80回を迎える。一方、主催する「あしなが育英会」(東京)では、今回は高校授業料無償化の影響で募金が減るのではないかと心配している。授業料以外にもさまざまな教育費が必要になるにもかかわらず「募金はもう必要ないのでは」という声も寄せられているといい、担当者は「引き続き必要だということを理解してほしい」と呼びかけている。

 あしなが学生募金は、昭和45年に前身の「秋田大学祭募金」として行われて以降、年2回のペースで続けられてきた。近年は不況の影響が心配されたが、平成21年度の募金額は18年度の1・2倍となる3億6275万円。一方、21年度の奨学金申請者数は、18年度より239人多い2819人に達した。

 40年間の募金総額は約91億円で、延べ約8万人の遺児の進学を助けてきた。だが、高校授業料無償化の政策が具体化するとともに、あしなが育英会には寄付の必要性を疑問視する声や、支援者から「無償化を機に辞退したい」という連絡が寄せられているという。

 同会によると、奨学金を受けている遺児世帯の約6割は、すでに授業料免除の措置を受けており、無償化の直接的な恩恵はない。一方、教育費としては授業料以外にも、通学定期代や教材費、修学旅行の積立金などさまざまな費用が必要となる。文部科学省の平成20年度調査によると、授業料以外に必要な教育費は、公立高生で年間平均約25万円、私立高生で約47万円にのぼるという。

 「授業料が減免されている家庭では、授業料以外の費用の支払いが困難なため、奨学金を受けている。無償化になってもこれまでと現状は変わらない」と、同会の工藤長彦理事。「制度自体がきちんと理解されないまま、無償化という言葉だけが先走りしているのではないか」と懸念する。

 高校「授業料」無償化に関しては、元から授業料免除の対象になるような貧困世帯には恩恵がないと以前より指摘がありました。高校が実質的に義務教育化している(最低でも高卒でないと就業面で著しく不利になる)ことを鑑みれば、高等教育の無償化は当然のことと言えますが、貧困層への就学支援としては無償化とは別の対策が求められます。しかるに「無償化」というイメージが一人歩きした結果として「募金(奨学金)はもう必要ないのでは」という声も寄せられているそうです。

 日本以外の、高等教育が実質的に無償化されている国では似たようなことが起こっているのでしょうか? 国によって多少の差はあれ、概ね日本よりも奨学金制度が充実している、金額が大きい、貰いやすい、貸与ではなく給付が多いとも聞きます。高等教育の授業料負担が軽いだけでなく奨学金制度も整っている国がある一方で、日本では授業料が無償化された途端に奨学金への支援が途絶えるとしたら、たぶん美しい国ならではの何か特殊な事情があるのでしょう。

 最近、局所的にベーシックインカムの話題が盛り上がったそうです。政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で支給するという構想ですね。アイデア自体は悪くないですし、麻生内閣時代の定額給付や現政権の子ども手当がベーシックインカムに発展していったら面白いなとも思ったものです。しかし、今回の授業料無償化とあしなが育英会のエピソードを見ると、日本でベーシックインカムが機能するには色々と課題があるように感じます。

 冒頭に引用した例からもわかるように、授業料の無償化だけでは不足する人がいる、授業料以外の面でも援助が必要な人がいるにもかかわらず、一律の授業料無償化だけで就学支援が打ち切られてしまうと、かえって経済的な事情による落伍者を増やすばかりです。同様にベーシックインカムによる給付分だけでは不足する人もいるのではないでしょうか。つまり、自身もしくは家族が障害や疾病を抱えている場合など、最低限の生活費用だけではなく医療などプラスアルファの費用が必要になる人もいるわけです。しかるに社会保障相当分が全てベーシックインカムによる一律給付で賄われるとなったらどうでしょう? ベーシックインカムによる給付が増えても、それと入れ替わりで社会的弱者向けの保障が打ち切られてしまうと、むしろセーフティネットからこぼれ落ちる人の数は増える可能性が出てきます。

 ベーシックインカムは国民(対象は住民にまで広げられるべきですね)の当然の権利であり、それとは別に社会的弱者への個別の保障が必要だと見なされる社会であればベーシックインカムも機能するのでしょう。しかしベーシックインカムさえ給付すればその他の社会保障が「もう必要ないのでは」と思われてしまうような社会では、ベーシックインカムは福祉の否定、社会的弱者の切り捨ての役割を果たします。そこで今回の授業料無償化は、日本社会の試金石となっているのかもしれません。授業料が無償化されたのだから「募金はもう必要ないのでは」と考える人が多数に上る(結果として貧困層の就学機会が狭められる)ようであれば、日本社会には一律給付型の社会保障は向いていないと考えられます。むしろ一律の保障によって「手打ち」を行い、一律の保障では網から漏れる弱者を見捨てることになるのですから。

 

 ←応援よろしくお願いします

 

<あしなが学生募金>あすスタート 遺児の進学、就職「八方ふさがり」(毎日新聞)

 学生募金は70年に始まり今年で40周年を迎えた。あしなが育英会が今年2月、同会の奨学金を利用する高校3年生(1036人)の進路を調査したところ、大学・短大への進学率は41・2%で、前年同期の3年生に比べ9・3ポイント下がったことが分かった。就職率も23・5%で前年より4・3ポイント下がった一方、進路未定者の割合は8・4%で前年の1・9%から大幅に上昇した。

コメント (3)   トラックバック (2)

セーフティネットを拒む自立心

2010-04-23 23:01:17 | ニュース

ホームレスの約6割はうつ病!? “路上に引きこもる”人々が生活保護を嫌がる理由(DIAMOND online)

 IT企業に勤務していた30代のシミズさんは、一生懸命に頑張って働いてきたものの、うつ病になり、働けなくなって、家で引きこもっていた。

 しかし、同居していた親から「家を出ろ!」と言われ、アパートで一人暮らしを始めた。シミズさんは、自立しようとして、一生懸命頑張ってみたものの、うまく生活できなくて、アパートも出ざるを得なかった。

 アウトリーチで出会った森川医師は、「これまで頑張ってきたんだし、世の中がこういう状況なんだから、一旦、生活保護を取って、そこから働く基盤をつくってみたらいかがですか?」と勧めてみた。

 しかし、シミズさんは、
「いや、働きます。自分で頑張ってみます」
と、あくまで他者の助けを借りず、自立することにこだわった。考えていくうちに、どんどん自分の未来が見えてきて、今のままではまた路上に戻ると考えたからだ。

 何しろダイヤモンドなので引用元で主張されていることに関しては疑問を感じないでもないのですが、紹介されている事例は注目に値すると思います。まず最初に登場する「シミズさん」は「自立」にこだわり、生活保護を拒んでいるわけです。本人だけではなく親御さんもまた「自立」にこだわって子どもを追い出したようで、本人の適性や近年の労働環境もさることながら、強すぎる「自立心」がトドメを刺している部分もあるのではないでしょうか。若い男性が生活保護を受給するには何かとハードルが高いですけれど、そのハードルを「自立心」によって自ら高くしているとも言えます。

 「生活保護は絶対に嫌だ」
と、ヤマザキさんもまた、セーフティーネットの生活保護を拒み続ける。

 「生活保護を受けたら、ヤクザに利用されて、お金を全部取られる」

 生活保護は、ヤクザがベンツを乗り回すためにやるものだと、ヤマザキさんは本気で思っている。

 「俺は、あいつらとは違う」

 次に出てくるのは「ヤマザキさん」、ネットで真実な人たちでなくとも、こういう世界観の持ち主は少なくないのでしょうか。「生活保護=ヤクザが不正に受給するもの」と固く信じ続ける人もいるものです。まぁ信教の自由は憲法で保証されていますけれど、それに殉じて自分の首を絞めるのはどうなんだろうと思いますね。暴力団などによる不正受給が蔓延していると、事実とは異なったイメージを広めるのに血道を上げている輩は後を絶ちませんが、実際のところ不正受給は総額の0.3~0.4%程度しかなく、その半数以上は単に「収入を申告していなかった」だけのことであり(参考)、不正受給による損失と漏給(必要な人に行き渡らないこと)は無関係でもあるわけです(参考)。しかるに「生活保護=ヤクザが不正に受給している」との誤解が蔓延した結果として自ら生活保護への道を閉ざそうとする人まで現れているとしたら、たぶん生活保護に関する誤ったイメージを蔓延させてきた連中の罪は不正受給者よりも何倍も重いような気がします。「生活保護に関する誤ったイメージを広めようとする輩」への対策も福祉の一環として必要なのかも知れません。

 家族が孤立して、地域で守れなくなっているため、家族の負担が大きくなっている。しかも、雇用状況が悪いため、働かない大人が家にいることに対し、家族が悪いとは言えない。しかし、社会は「甘やかしだ」「家族が面倒を見るべきだ」などと、家族のせいにする。

 家族は、自立させなければいけないと焦る。すると、言うことを聞かない本人のせいになって、「おまえなんか、出ていけ!」と、家を追い出されることもある。

(中略)

 生活保護に対するイメージの悪さから、「税金の世話になりたくない」「税金で食べていると思われたくない」という考え方が、社会復帰のネックになっている。一方で「生活保護ではなくて、働きたい」という勤勉意識の強さも反映されている。

 で、再び「自立」がキーワードになってきます。公的なセーフティネットの不備を家族の繋がりによって補わせるにも限界がありますが、それ以前に家族がセーフティネットとして機能することを否定する気運もまたあるようです。とにかく自立しなければならない、自立させなければならない…… セーフティネットの拡充もさることながら、強すぎる自立心を克服することもまた必要なのではないでしょうか。自主独立、自給自足、日本は何が何でも自立しなければならない社会と言えますが、これをお互いに頼りあえる社会に変えていかねばならないと思います。

 ある70代のホームレスは、生活保護を申請した。生活保護の認定には、別居する家族から「面倒を見ない」と言ってもらうことが条件になる。

 役所は、電話や手紙で家族に問い合わせる。「あなたの父親が相談に見えていますけど、経済的な援助とかできませんか?」

 ところが、会社社長の息子は、本人には「面倒を見ない」と言いながら、役所には「自分が援助します」と言ってしまう。結局、その人は経済的な援助を受けることができず、ずっと路上で生活せざるを得ない。

 引用の順番が前後しますが、最後に「ある70代のホームレス」の場合を見てみましょう。別居する家族から「面倒を見ない」と言ってもらうことが条件になるそうですが、息子は本人に「面倒を見ない」と言いながら、役所には「自分が援助します」と言ってしまうとのこと、これはひどい。申請者の収入や資産状況については実態を確認する一方で、親族からの援助の有無に関しては自己申告だけで済ませるとはダブルスタンダードも良いところです。せめて息子が「実際に」援助しているかどうかを調べるべきではないでしょうか。まぁ、今時の窓口担当者に求められているのは申請を水際で追い返し、少しでも歳出を削減して財政再建に貢献することなのかも知れませんけれど……

 親の面倒を見ない会社社長の息子もどうかとは思いますが、この辺は個人的な事情もあるかも知れませんので留保しておくことにしましょう。そもそも親や子どもに面倒を見させるのは道徳的には正しく見えるとしても、政治が何もしなくて良いはずがありません。親子関係が良好な人もいれば、親子関係に深刻な問題を抱えている人もいる、あるいは親族も全て貧乏な人もいれば、全く身寄りのない人もいるわけです。家族関係に頼らないセーフティネットは政治が何とかしなくてはなりません。息子が裕福なら息子に面倒を見させればよいと考えるのではなく、息子が裕福ならばそこに適正な課税を行い、それを原資として公的な保証を手厚くする、これが政治の基本であるはずです。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (9)   トラックバック (2)

当世就職事情

2010-04-22 22:57:42 | ニュース

氷河期で人気回復した「重厚長大」 しかし、安定志向で志望する学生は欲しくない(日経BP)

 ―― 重厚長大産業の人気が高まっていますね。

 水本 少し高まっているというところでしょうか。それは学生が安定志向を強めているからです。しかし、そんな学生ははっきり言えば、欲しくないです。

 機動力があり、変化を求めるような意識の高い学生を採用したいのですが、当然のことながら他社との奪い合いになります。他社の人事担当者と情報交換しますが、求めている人材像は同じですね

 この水本氏はIHIの人事担当者ですが、「そんな学生ははっきり言えば、欲しくない」「求めている人材像は同じ」と語る辺りがポイントでしょうか。たぶん、別の会社の人事担当者も似たようなことを言うと思います。これだけ圧倒的な買い手市場になっているにもかかわらず(新卒採用説明会の予約は受付開始から15分で満席、締め切られてしまうケースすらあるとか/参考)、思うように採用活動が進まない、求める人材が集まらないなどと嘆く声が企業側から聞こえてくるわけですが、その理由はこの辺にあるのでしょう。どこの会社も「求めている人材像は同じ」なのですから。一部の企業好みの学生を数社で奪い合う一方で、「普通の」学生を生かせないのでは採用難も必然です。

 ―― 三菱重工として優秀な学生を採用するために、どのような工夫をされているのでしょうか。

 安田 以前は大学の推薦で技術者をほぼ全員採用してきましたが、最近はそれが少し崩れています。学生も研究室の教授にどこに行けと言われるよりも、自分たちで行く会社を探したいと思っているようです。

 こちらは三菱重工の担当者の話です。大学の就職予備校化が顕著な昨今ですが、理系の専門職ですら例外ではなく、大学の推薦で就職が決まるとは限らなくなってきた、やはり就職活動に振り回されざるを得ないようです。私の両親はどちらも文系ですけれど、二人とも教授のコネで就職しています。特にデータがあるわけではないので印象論になってしまいますが、昔はそういうケースも決して少なくなかったのではないでしょうか。教授あるいは研究室のコネで就職するケースも多々あって、三菱重工の技術者などはその枠が大きかったものと推測されます。大学の就職対策というなら、こう言うのもアリですよね。就職活動を頑張る子を応援するのではなく、しっかり勉強した学生をコネで企業に送り込む、大学の本文からすれば後者の方がむしろ望ましいとすら言えます。でも、そうした流れも崩れつつあるのですね……

他人事ではない100人の『転落』 ~30代独身者はホームレス予備軍?(日経BP)

 東大卒の高学歴者や、元一流企業社員、元経営者など「勝ち組」だった人が少なくない。しかも、酒やギャンブルと無縁の人も多い。かつては全身垢だらけの人が大多数だったが、今は、「いつでも働きに出られるように」と、ヒゲを毎日剃るなど身ぎれいにするホームレスが増えた、と著者は言う。

 名だたる上場企業が、正社員の早期希望退職者を募集する「年齢条件」を、「50歳以上」から「40歳以上」に低く設定するなど、なりふり構わぬリストラ策に出ている。

 いいように切り捨てられるのは非正社員だけではない。正社員も今や「末端」である。しかも、不慮のケガや病気といった災厄は誰にも予告なく降り掛かる。

 すべての人にとって収入が完全に途絶える危機は、すぐそこにある。

(中略)

 著者は次のように指摘する。

〈ホームレスには何事も一歩引いて譲ってしまう人が多く、他人と争ってまで強引に仕事を得るような人は少ない〉

〈おとなしい性格で、人を押しのけてでも生きていくのが苦手な人や、人付き合いが苦手な人などが、非常に生きづらい時代である〉

 つまり、〈無口で少し変わり者を許容しない〉のが現代だ、と。

 以前なら、無口でおとなしくても、普通に仕事ができれば共同体の一員として認められた。しかし今では、キャラが立ってない人、押しの弱い人、他人とのコミュニケーションがとれない人は、存在価値が小さいと評価され、共同体からつま弾きにされてしまうことさえあるのだ。

 理不尽極まる。彼らは影が薄かろうと、働く意欲はあるのだ。前述のように、小ザッパリした身なりで社会とのつながりを失うまいと懸命な人が多いのである。

 にもかかわらず、職は与えられない。住所不定者は生活保護を申請しても通りにくい。

 引用が長くなりましたが、たぶん「今の基準」では採用されないような人が路上に放り出されているのだと思います。今ほどには雇用側の求める人材像が画一化しておらず、安価な非正規の形での人材確保が難しかった時代には、「普通の」人でも正社員としての就職は難しくなかったのかも知れません。では入社後も安泰かと言えばそんなことはなく、「普通に仕事ができる」だけでは共同体からつまはじきにされてしまうわけです。働く意欲があるくらいじゃ何の意味もありません。そして「今の基準」では再就職先など見つかるはずもなく、路上に放り出される、と。

 最後に、もうひとつ。本来、ホームレスにならなくてもすむ人が転落してしまう想定外の理由があった。

 それは、実家問題である。

 本書に登場する、リストラや三行半を宣告されて身寄りのないホームレスの多くは、異口同音に「実家には世話にはなれない」と言う。例えば、実家を継いだ兄の一家、嫁や甥、姪が住む空間に、自分のような落伍者が入っても肩身の狭い思いをするだけだ、と。

 確かに迷惑者だが、「ちょっとだけ緊急避難を」と彼らは言えない。

 同時に迎える実家側も、かつては居候や出戻り、食客などを含め「家族」とみなす余裕があったが、今ではそんな精神的なゆとりは失われたことに著者は気づく。

 日本人の家族観や絆が変容する中で、「最悪の場合は、実家に戻る」というは機能しなくなったというのである。

 「精神的なゆとりは失われた」「家族観や絆が変容」と引用元の著者は理由を挙げていますが、それだけではないでしょう。見出しに掲げられている「30代」の親世代ともなると不況の最初期にリストラの対象とされた世代ですから、「経済的なゆとり」もまた失われている可能性も考える必要があります。親世代にも経済的なゆとりがないから実家に帰れずホームレスになるしかない、そういうケースもあるはずです。

 「家族観」の方もどうでしょうか。単に疎遠になった云々で片付けられるものではと思います。たとえば「自立心」の延長線上に「実家には世話にはなれない」という感覚もあるとは考えられないでしょうか。サザエさん夫妻のように結婚した世帯が親元で暮らし続けるなんて、今時は非常識なこととして扱われているはずです。子どもは親元から離れるもの、独立するものである――そうした刷り込みの結果として、実家に戻るよりホームレスを選ぶ人の増加もあるような気がします。

 サザエさんの次はドラえもんです。第1話では、ダメ人間であるのび太君の未来を変えるためドラえもんがやってくるわけですが、のび太君の修正前の未来はどう語られていたでしょうか。就職できなかったので、やむなく自分で会社を始めた(そして失敗して借金を抱えて子孫が貧乏になった)という設定になっていたはずです。起業ですね。昨今では何かと起業が推奨されていますけれど、昔はどうだったのでしょう? 起業なんて、のび太君のようなどこにも就職できないダメな奴がすることである、そう思われていた時期もあったのかも知れません。ところが今や経済に「詳しいフリ」をしている人は何かと起業を奨めます。どうしてでしょう。この辺もまた過剰な「自立心」が作用しているように思えます。つまり雇われて働くよりも、独立してやっていくのが良いことだ、と。

 公的なセーフティネットに頼る人への冷ややかな視線もまた、自立心の産物なのかも知れません。家族であれ会社であれ「公」であれ、とにかく何かに「頼る」ことは悪とされがちです。何にも頼らず「自立」して生きていくこと、それこそが絶対に正しいのだと、そういう価値観が形成されてきた結果が今に結びついているのではないでしょうか。一人で何でもできる人が一人前、助け合わなきゃ生けていけない人は弾き出される、そういう時代です。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (17)

それでも消費税に固執する人たち

2010-04-21 22:54:14 | ニュース

増税路線へ転換模索=削減限界、与野党協議に活路-鳩山政権(時事通信)

 鳩山政権が増税路線への転換を模索し始めた。衆院選マニフェスト(政権公約)で約束した歳出削減による財源捻出(ねんしゅつ)という基本方針が行き詰まりをみせているためで、3月中旬から持論を展開し始めた菅直人副総理兼財務相に加え、仙谷由人国家戦略担当相も13日、消費増税を含めた税制抜本改革の必要性を強調した。消費増税を掲げる自民党を取り込み財政健全化の道筋を議論することで、今夏の参院選での争点化を防ぐ狙いもありそうだ。

 鳩山由紀夫首相に菅、仙谷の両氏を加えた「新トロイカ」。毎週のように昼食をともにし、官邸主導の政権運営を目指す3氏だが、13日は仙谷氏が消費税論議を一歩前に進めた。同氏は「今の税収のままなら(財政的に)大きな壁にぶち当たる」と危機感をあらわにし、消費増税を争点に任期途中での衆院解散も選択肢になり得るとの考えを打ち上げた。

消費税率、15年に10%…衆院財金委員長(読売新聞)

 民主党の玄葉光一郎衆院財務金融委員長は、18日のフジテレビの番組で消費税率について、「次の総選挙までは引き上げない。年金抜本改革も含めて1、2年で制度設計し、4年後くらいには確実に上がっているという姿にしなければならない」と述べた。

 税率については「基礎年金を全額税でやるなら4%分ぐらい必要になる。2015年の段階で10%が、ひとつの数字ではないか」と指摘した。

 さて、公務員(官僚)叩きや議員定数削減、「官」の縮小という方向性に関しては主立った与野党間で意見が一致しており、もはや「カイカクを競う」状態にある、それぞれどの党が最も主張をエスカレートさせるかを争っているような状態ですが、税制論議も似たような傾向が見えてきました。一応、菅は所得税に関しても増税の可能性を示唆したことがあるとはいえ、同時に消費税増税の可能性も除外しないと明言していただけに、やはり周囲と合意の形成できる税制、つまりは消費税増税が決着点となりそうです。民主と自民で一緒に消費税増税を主張すれば、どちらか一方だけが有権者の反発を買うことはなさそうですし。

 仙谷は税制再建を重視して消費税増税を考えているようで、この辺は「たちぽん」の与謝野氏の同志と言えますね。舛添と法人税論議で意気投合していた鳩山だったら、さらなる法人税減税の原資として消費税増税を考えているでしょうか。一方で玄葉財務金融委員長は年金を例に挙げ、基礎年金を全額 消 費 税 でまかなった場合は4%ほど必要になると語っています。別に消費税でなくとも法人税や所得税でも年金財源に回すことは可能なはずですが、政財界で「増税」と言ったら消費税のことを指すのがお約束です。

 財政再建のために消費税増税しようという連中に比べれば、年金を含む社会保障財源として消費税増税を訴えるのは、とりあえず使途の面ではマシと言えますけれど、過去の実績はどうでしょう? 社会保障目的と称して消費税額を増やしておきながら、結局は法人税減税の財源に回されたことがあったようななかったような…… まぁ過去の繰り返しになるとは限りませんが、そもそも消費税のような逆進性の強い課税形式を社会保障の財源とするなら、その逆進性を埋め合わせるためにはより一層の社会保障の充実が求められるわけです。そうなれば、さらなる財源が必要になってしまいますよね。菅は菅で「増税をしても使い道を間違えなければ景気は良くなる」と主張しているそうですが、それはあくまで貯蓄性向の高い富裕層に課税して、その分を公的支出に回した場合の話です。消費性向の高い低所得層に負担の重い消費税では、税の逆進性によって相殺される部分も多くなります。何とも非効率的ですね。

 日本の場合は消費税率の最高税率こそ5%と抑えられている一方で、軽減税率が設けられておらず、生活必需品だろうがお構いなしに一律5%の消費税が課されています。一見すると消費税率が高く見える国でも、最高税率が高いだけで生活必需品に課せられる消費税は著しく税率が低かったり無税であったりして、実は消費税の税収はそれほど多くなかったりするものです。中には10%に止まらず、15%、20%まで消費税率を引き上げろと要求する論者もいますが、この軽減税率を設けず一律20%の消費税など課そうものなら、一気に日本は世界トップの消費税大国に躍り出てしまうことになります。世界随一の「超」逆進税制国家の誕生ですね。こうなると生半可な社会保障では埋め合わせが利かなくなることでしょう。スウェーデンよりも福祉を手厚くしても、やっぱり格差が埋まらないことに……

 ところがこの軽減税率に関してすら否定的な声もあるもので、中には「レジで手間がかかる」みたいな思わず目眩のしてくるような理由を持ち出してくる人すらいるから大変です。まぁ「最低賃金を引き上げると経済が破綻する」などと、実際に最低賃金を大幅に引き上げた国では起こった試しのないことが日本では起こるかのように語る輩もいます。だから実際に軽減税率を設けている国では発生しなかった問題が、日本に限っては大問題になるかのごとく主張する人が出てくるのは不思議なことではないのかも知れません。ついでに「税制はできるだけシンプルで効率的に~」とか言い繕う人もいるわけですが、それなら間接税なんてやめて直接税に一本化してしまったらどうかとも思いますね。

 そもそも日本では消費税導入以前に「物品税」があったはずです。生活必需品には課税を控え、奢侈品には高めの税率を課す――ヨーロッパの「最高税率は高いけれど生活必需品はその限りではない」消費税に近いのは、日本の場合は消費税ではなく、消費税と入れ替わりで廃止された物品税の方ではないでしょうか。もうこの際、「消費税廃止、物品税復活」とか言ってみたら面白いような気もしますが、まぁ逆進的な課税方式の方が何かと好まれるのかも知れません。抜本的な議論とか言いつつ、ひたすら消費税増税を考え続けるだけなのが慣例ですから。

 そうでなくとも、酒税とかたばこ税とか品目別に間接税が課されているものはそれなりにあります。一部の喫煙者を見るとむしろ治療の対象と見た方が良いのではないかと思えたりもしますが(ほんの1時間も喫煙を我慢できなかったり、喫煙に良い顔をしない人をファシストと罵ったり)、ともあれ嗜好品には多めに課税するなど一律ではない課税方式は日本でも機能してきたはずです。間接税に執着するにしても、単に税収を増やすことだけではなく、徴税もまた格差是正の一環であることを踏まえた議論でないと聞くに値しません。軽減税率を設けると思うように税収が増えないので、何が何でも消費税を税収の柱にしたい人、どうしても消費税ではないと嫌とばかりに駄々をこねている人には受け入れがたいものなのでしょうけれど、そうした人の「趣味」に振り回されてはたまりません。

 

 ←応援よろしくお願いします

コメント (6)   トラックバック (2)