非国民通信

ノーモア・コイズミ

未来がないなら

2014-01-30 00:10:35 | 雇用・経済

日本の転職希望者に多い「甘い願望」 彼らに見えていない垂直型キャリアとは(J-CAST)

   日本の方とお話しすると、将来何がやりたいか、というと、たいがいは、こういう答が返ってくるんですね。

「戦略的なシゴト」

   これは十中八九そうなんです。もちろん日本企業だと、意思決定の中枢にかかわるようなポジションに上がれるまでに何十年とかかるわけで、いつまでも末端の仕事に関わっているうちに痺れを切らしているというのもあります。

   が、では戦略的な仕事ってなんですか?ときくと、たいがいは

「戦略立案や、財務、マーケティング」

だといいます。いわゆるMBA的なものなんですよね。今やっている仕事はITだったり、原材料の調達だったり、製品の設計だったり品質管理だったりするんですが、やりたいことは、みんな、戦略、財務、マーケティング、もうこの3つしか喋りません。

 

 とまぁ、こんな話もあるわけですが、日本的雇用の慣行を鑑みるなら無理からぬことではないでしょうか。大半は「MBA的な」仕事に携わることなくキャリアを終えるであろう社員に対しても「経営的視点を持て」と要求するのが我が国の職場というものです。そして「MBA的な」ポジション「以外」は非正規に置き換えたい、トウが立ったらリストラしたいという欲望を全く隠せていないのが財界筋ですから。年金受給年齢まで生き残りたければ必然的に「MBA的な」キャリア志向になってしまうのは致し方ありません。日本の会社に適用した結果が上記引用した回答となって表れただけの話です。

And when we were good

 アメリカで3.11同時多発テロが起こったとき、社会的な嫌疑の対象となったのは「ブッシュ家とも付き合いのある富豪一家」ではなく「イスラム教徒あるいは中東系の人」でした。そしてコロンバイン高校で銃乱射事件が起こったときに問題行動とされたのは犯人がマリリン・マンソンのCDを聞いていたことであって、犯行直前までボウリングに興じていたことではありませんでした。世間の耳目を集める事件の容疑者が浮かび上がったとき、周りの人間が何に注目したがるかは世情を映す鏡と言えます。

You just close your eyes

 容疑者の国籍に注目したがる人もいれば、容疑者の趣味志向(たいていはゲームかアニメ)に注目したがる人もいて、その辺は純然たる「受け止める側の好み」でしかないのですけれど、何となく「流れ」が作られてしまうこともあるわけです。かつてJTが中国の工場に作らせていた冷凍餃子から毒性の強いメタミドホスが検出されたとき、日本人の多くは「JT」という販売者ではなく「中国」という工場の所在地に注目することを選びました。そして今度はマルハが群馬県の工場に作らせていた冷凍食品から、本来であれば農薬のマラチオンが検出されました。容疑者の身柄が確保されたとのことですが、我々の社会は容疑者の何に焦点を当てたがっているでしょうか?

So when we are bad

 冷凍食品に農薬を混入させたとされる容疑者は契約社員であったとのこと、その雇用形態と給与を主とした待遇面に着目した報道が目立つところでもあります。事件との因果関係は改めて調べられることではあるのですが、まぁ働いても報われることのない従業員が会社側に恨みを持ち、かつ将来に絶望して犯行に及んだとすれば筋は通りやすい、納得のいく犯行動機として理解されるものとは言えるでしょう。今回の犯行が別の要因によるものであったとしても、類似の動機で類似の事件が起こるのは決して不自然なことではありません。

 We'll scar your minds

給与上がらず、賞与減額=会社への不満背景か―阿部容疑者(時事通信)

 冷凍食品に農薬を混入した疑いで逮捕された阿部利樹容疑者(49)は、8年前にアクリフーズに契約社員として入社し、群馬工場で一貫してピザ生地の生成を担当していた。同社によると、契約社員は時給制で、同容疑者の給与は2年前から上がっていなかったが、業務評価の結果、今年度の賞与は減額されていた。

 

農薬混入容疑者、好待遇求めた転職失敗 上司に直訴も(朝日新聞)

 マルハニチロホールディングスの子会社が製造した冷凍食品から農薬が検出された事件で、子会社アクリフーズの契約社員、阿部利樹容疑者(49)=偽計業務妨害容疑で逮捕=が好待遇を求めて転職を試みたが失敗していたことが、捜査関係者への取材でわかった。上司に待遇改善を直訴していたことも判明。群馬県警は蓄積した待遇への不満が事件の動機になった可能性があるとみて調べる。

 

 ここで中国人だったら、集団で蜂起して工場を封鎖、工場長を監禁して賃上げを迫るぐらいはやってくれそうです。ところが日本人はガバナビリティすなわち統治「される」能力が高いですから、そこまでの強硬手段には出ない、何か行動を起こすにしても個人的に解決に動くわけです。その一つが転職活動なり上司への直訴で、こんな程度は会社としては恐くも何ともない、労働者側の団結を防ぐことができて会社としては社員の管理に成功していたと、そうふんぞり返っていたのではないでしょうか。しかし、世界に冠たる超軍事大国のアメリカでも自爆テロまでは防げないように、社員の押さえ込みが得意なつもりの会社でも従業員が非合法な手段に踏み込んできたらただでは済まないということが今回の件からも分かります。

 「誠意は言葉ではなく金額」とは偉大なる野球選手・福留孝介の言葉です。雇用側が誠意を見せないのですから、雇われる側の士気が下がるのは当然です。「And when there's no future, how can there be sin?」と、セックス・ピストルズは歌いました。8年も継続して働き続けてきたのに、いつ追い出されるかも知れない契約社員のまま留め置かれている、しかも本人が結構な年齢にさしかかっているとあらばヤケを起こす人がいても当然と言えます。冒頭で挙げた「戦略的なシゴト」の外にいる人の給与を抑え込み、雇用の保障や昇進・昇給の機会まで剥奪することで日本の企業は利益を確保してきましたが、そのツケを様々な形で払わされるケースは将来的に増え続けることでしょう。

 

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社会保障が嫌いなら細川へ清き一票を

2014-01-27 21:31:34 | 政治・国際

 さて東京都知事選が告示されました。事前に予定されていた公開討論会が細川の欠席でドタキャンになったりと色々あったものの、正式なスタートラインに並んだ顔ぶれは概ね事前の予測通りとなっているようです。ネタ要因のはずのマック赤坂が最も「普通」の主張をしているようにに見えるとかも言われるところ、そして民主党の忠実な支援組織で会ったはずの連合が党と袂を分かって舛添支援に回るとか。

 ただ民主党も元々は自民と相乗りで舛添の予定であったのが、より親和性の高い細川ー小泉ラインの登場で鞍替えしただけ、むしろ当初の姿勢を貫いた連合の方が筋は通っているでしょうか。影響力を及ぼせたはずの民主党政権時代に何一つ誇れるような実績を残せず、賃上げ姿勢に関しては安倍政権にすら大きな後れを取る連合ですけれど、一応は労働組合なだけに細川ー小泉系と組まないのは最低限の良識を示した結果とも言えます。

 先日も触れたところですが、天下国家を語るのは案外に簡単なものです。むしろ難しいのは小さな問題、地域に特有の問題の方でしょう。国政上の課題は新聞やテレビ、インターネットを通じて誰しもある程度の知見は有している一方で、地元の問題ともなると知名度は格段に下がるわけです。国政上の論争点は、それこそ公のメディアに限らず個人ブログでも盛んに語られているもの、ちょっと受け売りしてやれば誰でも立派な政治評論家になれます。しかし、よりローカルな問題、地域の課題ともなるほど説明できる人は少なくなるのではないでしょうか。

 大きな問題ほど細部を語らずとも大方針だけで「それっぽく見せる」ことができる、逆に小さな問題ほど具体的に踏み込んだ知見が問われるとも言えます。もちろん地方の課題は特定の地域限定にならざるを得ない、全国区では通じない話題として、とりわけ地域性の薄まるネット上などで語られにくいところではあります。そうは言っても地方自治体の選挙である以上は、地元の住民に向けて地域の課題をまず一番に語って欲しいなと、そう思うわけです。

 この観点からは、やはり細川ー小泉が最悪で専ら「居直り」のごとき態度を取り続けていますけれど、まぁ東京からも政界からも距離を置いて久しいご隠居と、現役時代から徹底した現実無視を貫いてきたデマゴーグのコンビに東京で何が問題なのかを語れと言っても、それはまさに木に縁りて魚を求むという話なのかも知れません。なにせ原発のコストを大仰に語る一方で原発を止めた結果として必要になったコスト――原発が事故を起こした場合の処理費用をも凌駕するコストから力強く目を背け続ける人たちでもありますし。

 かつて「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」と小泉は言いました。構造改革とは何であったかを、これほど端的に表わしている言葉はないと思います。そして細川は都知事選出馬に際して「今までのような大量生産、大量消費、経済成長至上主義ではやっていけないのではないか。腹いっぱいではなく、腹7分目の豊かさでよしとする抑制的なアプローチ。心豊かな幸せを感じ取れるそういう社会をめざして~」と述べました。まぁ、似た者同士なのかなと。

 実際のところ日本は経済成長を長らく止めてきたわけです。確かに企業の内部留保は増えた、非金融法人の現金・預金は急上昇しました。しかし日本のGDPは低迷を続け、世界経済の成長から完全に取り残されてきたのは私が語るまでもありません。それはやはり改革の成果と言いますか、「普通に」やっていればもう少し世界経済に引きずられていたところを小泉の尽力によって成長を回避してきた、成長を犠牲にした改革に打ち込んできた結果であり細川もこの路線を継ごうと決意しているのでしょう。

 ただ経済成長否定が、あたかも現状への批判であるかのような語り方で持ち出されてくるところに細川の政治音痴ぶりが表れているとも言えます。経済成長の否定は小泉の時代から既に始まっていたことであり、ようやく安倍内閣下で変更の兆しが見えてきたとはいえ十数年来の日本の変わらぬ方針であったはずです。ところがまぁ時計の針が止まっている人もいるもので、未だに「古い自民党」を敵視している人もいれば「日教組」を影の支配者であるかのごとくに語る人もいるように、現代日本が経済成長を追ってきたかのような幻にしがみつき続けている人もいるわけです。

 しかるに古い自民党が既に変質を遂げて久しいように経済成長路線も放棄されてから随分と年月を経ているのですが、細川のように頭が化石化している人にとっては、今なお日本は経済成長至上主義ということになっているようです。しかし、それは過去の幻想であって日本の現在に符合するものではありません。細川の経済成長否定はまさにシャドーボクシングであり、現実ではなく妄想上の「敵」と闘っているに過ぎないものです。

 現状を維持するためにも改革は必要になる、とも言えます。例えば日本はかつて世界に冠たる紡績大国でした。しかし当然ながら時代は変わるもの、紡績業が中心であったトヨタも今は別の事業が主力です。あるいは、かつて隆盛を極めたはずの欧米の家電メーカーは新興の日本メーカーに市場を奪われ、産業構造が変わらざるを得なくなったりもしました。時代と共に「変わる」ことは避けられません。しかし、何かを「変える」ための改革もあれば「変えない」ための改革もあって、より低コストの新興国メーカーと同じ土俵で張り合うために、国内で働く人の賃金を抑え込めるよう規制を緩和していく、こうした「改革」によって本来なら市場から退場すべきメーカーを延命させる、すなわち産業構造を「変えない」ための改革もあるわけです。

 あるいは、お金が動けば動くほど貧しい人が成り上がったりして貧富が逆転することも起こります。それを行政の尽力によって格差を広げるだけではなく固定化する、既存の上下関係を「変えない」ための改革もあって、それもまた小泉の実績の一つであるはずです。改革は何かを「変える」ためではなく「変えない」ためでもあります。現政権の経済政策は、落ち着いてみれば当たり前のことを当たり前にやっただけであって決して「アベノミクス」などと持ち上げられるべき筋合いではない、単に今までが異常だっただけと思わないでもありませんが、ともあれ十数年来続いた低成長路線からは舵を切ったと言えます。これもまた「改革」と見なすなら、では何を「変えない」ために有用なのでしょう。

 株価が上がっても庶民には恩恵がないと力説する論者も目立つところですが、公的年金の運用益が過去最大を記録するなど、社会保障の財源を潤す意味では確実に成果は上がっています。元より景気が回復すれば社会保障の世話になる人も減るという点では二重にプラスですし、そもそも日本の年金制度は経済成長を前提に設計されたもの、福祉を「変えない」ためには経済成長は不可欠です。一方で細川が説くように小泉以来の経済成長否定の帰結は何だったでしょうか? 経済が成長しなければ社会保障の財源はたちまちの内に枯渇してしまうもの、経済成長なくして福祉の存続なし、です。社会保障制度を「改革」して高齢者の面倒を親族が個人的に負担する未来を望むなら、どうぞ細川ー小泉を応援して経済成長を呪ってください。

 

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【都知事選】細川氏、心ないヤジに「…ハイ」(スポーツ報知)

 その後、北口での演説には約5000人が集まったが、今度は小泉氏の口から思わぬ言葉が。「東日本大震災は、天が与えてくれた大事なチャンスだ」と明言した。「東北の人には怒られるかも知れないけど、犠牲を無にしてはいけない」とフォローしたものの、きわどい言葉で原発ゼロを訴えた。

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人物重視で選考された結果

2014-01-25 16:04:21 | 社会

 先週は大学入試センター試験もありまして懐かしさに涙が出てきそうになるところでしたが、まぁ近年の「学力テストの点数には一喜一憂するくせに学力軽視」の流れに則り、今後は人物重視云々とも言われているわけです。センター試験当日の報道でも、どこの大学かは覚えていませんけれど学力よりも人間性を云々と述べる大学側の担当者もいました。もちろん政府も例外ではなく、こうした流れの先頭に立ちたがっているところ、とりあえず現行の採用基準によって選別された学生に不満もあると言うことでしょうか。

 

 こちらは、2013年度の新卒者を対象とした就職情報サイトの広告です。全員が同じ服装、同じポーズに同じような髪型と画一化された姿は流石に気持ち悪いと受け止められることも少なくありませんでした。就活を始める前まで4割ぐらいは茶髪であったろうと思われますし、生まれつき髪の色が薄い人もクラスに一人くらいはいたように記憶していますが、それが就活生ともなると全員が綺麗な黒髪で統一されるのですから凄いものです。中学や高校の生徒指導の先生は、この辺から学んだ方が良いでしょう。

 

 そしてこちらも少しばかり話題になった記事で、日本航空の現代と1986年の入社式を写したものです。これは特定企業に限定されるものなのでしょうか、それとも日本ではよくあることなのでしょうか。Japan as №1と呼ばれた時代と現代では、明らかに現代の方が画一化が進んでいることが分かります。超・買い手市場において、一時は傾いたとはいえJALというナショナルブランドには求職者も殺到したであろうことは想像に難くありません。しかし数多の応募者の中から選りすぐられたのは、上記のように完全に規格化された人々だったわけです。

 学力テストの点数によって合否を決めた場合、どんな生徒が集まるでしょうか。当たり前ですが、一定以上の点を取れる生徒が集まる、概ね学力の面では似たような学生が合格することになります。では「人物」は? それはもうランダムとしか言い様がありません。学力「だけ」で選別するのなら、保証されるのは学力のみ、学力の面では似たり寄ったりの生徒が集まる一方で、人柄に関しては選別していない以上、何が出るか分かりません。社交的な人もいれば内向的な人もいる、要領のいい人もいれば不器用な人もいて、流行を追う人もいればマニアックな人もまた出てくることでしょう。

 一方で、こうした選考によって合格した学生の姿に不満足な人もいて、現状に対して「改革」を訴える人もまたいるわけです。教育再生会議の面々にもその手合いは多いですし、京都大学総長の松本紘なんかは典型的な一人と言えます。曰く「受験勉強ばかりでなく、高校時代にやっておくべきこと、例えば音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる」とのこと。こうすれば、従来に比べて「学力の面では多様な」人材が集まるのかも知れません。今までと違って、それほど勉強ができな人でも京大生になれる等々。

 一昔前の人は、いい年をして独身では世間体が悪いとの判断から結婚を望むなんてこともあったのでしょうか。そして次世代の学生は、京都大学(に限らず)受験を有利にするために異性と付き合おうとする、みたいなケースが出てきても不思議ではありません。音楽活動みたいに「モテそうな」趣味を経験していないと、あるいは恋愛経験に乏しかったりすると、人間性の面で低い点数を付けられて、たとえ勉強ができたとしても就学機会から排除されてしまうことも「改革」が進めば十分にあり得ると言えますから。

 ともあれ昨今の採用が何を重んじて行われているのか、その帰結として表れたマイナビやJALの写真を見ながら考えていただきたいのですが、端的に言えば「選別基準になった分野では画一化が進む」わけです。つまり「学力重視」で応募者を選り分けようとすれば、必然的に一定の学力を持った人の集団ができるように、「人物重視」で合否を決めようとすれば同様に似たようなタイプの人間ばかりが集まることになります。人物重視へのシフトを語る論者は、特に権限を持つ人は、その結果へのビジョンを果たして持っているのでしょうか?

 

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嫌でも避けては通れまい

2014-01-22 23:14:54 | 社会

親の介護を「したくない」は12%。介護問題を考えたこともない人は21%に(マイナビニュース)

日本法規情報は2013年12月20日~2014年1月15日にかけて、「親子の介護問題」についてのアンケートを実施した。有効回答件数は1,305人(男性536人 女性769人)。

○トラブル悪化の原因は「精神的苦痛」

まず、親子間に何らかのトラブルを抱えていると答えた人を対象に、トラブル悪化の原因について尋ねたところ、最も多い回答は「精神的な苦痛を味わったため」(20%)だった。2位は僅差で「親(若しくは子)と性格が合わない」(19%)、3位は「金銭問題」(18%)、4位は「子供時代のトラウマ」(12%)という結果になった。

上記の設問の回答では、相続・介護問題が深刻化する前に親子の確執があることや、親子関係が希薄化しているケースが多いことが浮き彫りとなった。そこで、将来親の介護は誰がするかと尋ねたところ、「親の介護は自分がする」と回答した人は37%と、半数にも満たないことが明らかとなった。

その他の回答として、「親の介護問題について考えたことはない」(21%)、「親の介護は自分ではしたくない」(12%)、「親が自分で老後を考えているので関係ない」(9%)といった意見が寄せられた。また、「親の介護は他の兄弟がする」など、自分以外の兄弟に任せるという意見も12%見られた。

 

 ……とまぁ、こんなアンケートがありました。「親子間に何らかのトラブルを抱えていると答えた人」の内訳が伝えられていたりもするわけですが、果たして全体の何%の人が「親子間に何らかのトラブルを抱えていると答えた」のか、その辺を抜きに報道するのは甚だ不足ではないかと思われるところでもあります。「相続・介護問題が深刻化する前に親子の確執があることや、親子関係が希薄化しているケースが多いことが浮き彫りとなった」とのことですけれど、その母数である「親子間に何らかのトラブルを抱えていると答えた人」の多寡が分からないことには問題の程度も推し量りようがありません。

 一方で以下の集計結果は色々と考える材料になるでしょうか。

「親の介護は自分がする」と回答した人は37%
「親の介護問題について考えたことはない」(21%)
「親の介護は自分ではしたくない」(12%)
「親が自分で老後を考えているので関係ない」(9%)
「親の介護は他の兄弟がする」など、自分以外の兄弟に任せるという意見も12%

 遅かれ早かれ、まず自分が老いる前に「親」が年老いていくものであり、そうなったときに何が自分に降りかかってくるのか、その辺の意識の持ち方は若年層の政治意識にも大きく影響しているように思います。

 とりわけ高齢者向けの福祉・社会保障を悪し様に語る人も昨今は目立つわけで、その多くは専ら「若者の味方」を称しており、かつその立ち位置は概ね受け入れられているところですし、反対に高齢者向けの社会保障重視を訴えれば、若者を蔑ろにしているとして社会的に糾弾されることも多いと言えます。国政選挙が迫ってくると、大いに賑わしくなってくるところでもありますね。高齢者向けの福祉を、さも若者に負担を強いるものであるかのごときに見せかけ、若年層に虚妄の被害者意識を植え付けようとする人は後を絶ちません。

 医療や年金などの公的保険を多く負担しているのは現役世代であり、反対に公的保険の世話になる機会が多いのは老齢世代です。これをあたかも不公平であるかのように語る、高齢者によって若年層が搾取されているかのように印象づけようとするのが近年のトレンドです。まぁ、今時の若者が親の腹からではなく木の股から産まれたのであれば、それも間違っていないのかも知れません。しかし、その筋の論者に煽られるがままに高齢者向けの福祉が削られていったら若者は楽になるのでしょうか?

 「親の介護は自分がする」、「親の介護問題について考えたことはない」、「親の介護は自分ではしたくない」、「親が自分で老後を考えているので関係ない」、「親の介護は他の兄弟がする」――それぞれの回答者毎に、高齢者向けの社会保障を重視すべきかと聞いてみたらどうかと思います。単に多数決で得られた世論よりも、もう少し「聴くべき人」を絞って耳を傾けた方が建設的ですから。「親の介護は他の兄弟がする」と答えた人の声と、「親の介護は自分がする」つもりでいる人の声、高齢者すなわち親世代の福祉を考える上で、傾聴すべきはどちらの意見であるかは言うまでもないことです。

 「親の介護は自分がする」つもりでいるのなら、自分の親世代向けの社会保障が充実するのか、それとも削減されるのかは現役世代である己にとってこそ重大な問題です。親が金銭的あるいは身体的に困窮するようになったとき、それを公的に支える制度が整っているかどうかは現役世代の負担を大きく左右します。現役世代に課される社会保障費が僅かに軽くなる反面、老親の世話を個人で負担せねばならない場合と、社会保障費は増えるが高齢者向けの公的なサポートは万全の場合、果たしてどちらが若者にとって楽なのでしょうか?

 しかるに「親の介護問題について考えたことはない」、「親が自分で老後を考えているので関係ない」、「親の介護は他の兄弟がする」と答えた人も多いことが伝えられています。日本では親も子供も自立が大変に重んじられるだけに、そういう側面もあるのでしょう。子供が経済的に成功しても、それを頼るのは忍びないと社会保障の受給を選ぶ親世帯というのも時に見られるものです。ともあれ親の面倒を「自分が」見ることを己の将来設計に織り込んでいない人にとって高齢者向けの福祉とは、自分が支払った税金が「他人のために」使われてしまう「損な」仕組みでしかないのだと思われます。そしてこういう人に向けて「若者の味方」を装う輩が耳元で囁きかけるわけです。

 

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Honorary Caucasian

2014-01-20 23:02:37 | 社会

 さて東京でオリンピック開幕が決まって久しいところですが、少し前の長野オリンピックの時を思い出してみましょう。長野オリンピックの開会式では、イタリアの作曲家プッチーニの「蝶々夫人」が使われていたわけです。楽曲の流れる中、伊藤みどりが珍妙な衣装(当時の映像からは笑い声も?)で聖火に火を付けたりもしたもので、ああいう格好をさせるんだったら小林幸子の方が似合うのではないかという気がしないでもありません。2020年まで小林幸子が現役であったなら、次の開会式はメガ幸子に口から火を吐いて点火して貰えば素敵だと思います。

 人選はともあれ、長野オリンピック開会式のテーマ音楽の一つがプッチーニの「蝶々夫人」でした。ではこの「蝶々夫人」とはどういう作品だったのでしょうか。以前にも触れたことがありますが、あらすじをお伝えしますと長崎在住の日本人女性「Cio-cio-san(登場するアメリカ人からは"Butterfly"と呼ばれる)」15歳が、Kami Sarundasicoの罰が下るぞと警告する親戚を振り切って在日米軍兵士ピンカートンの現地妻になることから始まります。当然のようにピンカートンはアメリカに帰国、Cio-cio-sanはピンカートン帰国後に子供を出産します。周囲の再婚を勧める声を頑なに断ってCio-cio-sanは幼児と共にピンカートンの帰国を待ちます。数年後にピンカートンは本妻を連れて再来日、Cio-cio-sanが未だに自分を待っていたことにショックを受け、「じゃぁ子供は引き取るから」と申し出ます。そしてCio-cio-sanがharakiri自害して終わり、と。音楽のすばらしさとは裏腹に、救いようのない酷い話です。

 この「蝶々夫人」をモチーフにした映画に「危険な情事」という作品があります。遊び心で一夜を共にした女性が別れてくれず、次第にストーカー化していく、という筋書きですね。作中では主人公の不倫男とストーカー女が一緒に「蝶々夫人」を見に行くシーンがあったりします。まぁ、アメリカ人から見た「蝶々夫人」像にはそういう側面が強いのかも知れません。その場限りの関係であることを理解しない、未練がましく付きまとってくる聞き分けのない女――それが蝶々夫人です。長野オリンピックの開会式は、「それでもアメリカに着いていきますよ」と演出側が世界に発信したかったのでしょう、きっと。

 

東京五輪 「お・も・て・な・し」 英国の演出者が誕生秘話明かす(産経新聞)

 昨年の流行語大賞になった「お・も・て・な・し」。何気ない一語が、なぜ人々の胸を打ったのか-。2020年東京五輪招致委員会のプレゼンテーションを指導した英国人のマーティン・ニューマン氏が16日、東京都内で秘話を明かした。

 声に出すだけでは、国際オリンピック委員会(IOC)委員に意味が伝わらない。そのため、ニューマン氏は「子供に教えるように言葉を分解し、身振りを添えることにした」。最終プレゼンで登壇した滝川クリステルさんのたおやかな所作が実に効果的だった。

 両手を合わせるジェスチャーを加えたのは「日本だけでなくアジア圏として世界を歓迎する意味」。多くのIOC委員の共感を得たのは「アーティスト(登壇者)の仕事です」と滝川さんを持ち上げた。

 

 前振りが長くなりましたが、今度は東京オリンピックです。プレゼンを担当した滝川クリステルが珍妙なアクセントと日本では見られない不思議な所作で「お・も・て・な・し」などと語ったわけです。率直に言って気持ち悪いと私は感じたのですけれど、概ねウケは良かったようです。この日本的ではない奇怪なパフォーマンスを指導したのは英国人のマーティン・ニューマン氏とのこと。曰く「日本だけでなくアジア圏として世界を歓迎する意味」だそうで……

 でもそういう狙いなら、もっと他の選択肢があったような気がしないでもありません。日本人でもアジア圏にルーツを持つ人、在日韓国人あるいは朝鮮人2世や3世を日本の代表として登壇させれば、滝川クリステルを起用するよりも格段に「アジア圏」を意識したものとして合理的と言えたでしょう。ハリウッド映画に出てくるエセ日本人みたいな合掌パフォーマンスも、アジアを意識したものよりも「西洋」を意識したもの、西洋の目から見たオリエンタリズムを演じて見せたものという印象が拭えません。それだったら中国の抗日映画に出てくる日本人みたいなパフォーマンスの方がよほど、アジア寄りのはずです。

 演技指導に当たる人の国籍が何であろうと構いませんが、滝川クリステルのルーツも含めて、むしろ説明とは裏腹に「(日本以外の)アジア」が避けられている印象もあります。結局のところ長野オリンピックでの「蝶々夫人」と似たようなものと言いますか、オリエンタリズム迎合と言った方が筋は通りやすいくらいです。「世界」と称しつつ「西洋」向けの「西洋人の思い描くアジア人」像を演じて見せた、それが「日本だけでなくアジア圏として世界を歓迎する意味」になっているように思われます。むしろ勝手に代弁される「アジア圏」にとっては礼を失したパフォーマンスと受け止める人がいても不思議ではなさそうですけれど。

 

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営業を敬遠する学生は正しい

2014-01-18 10:34:05 | 雇用・経済

ノルマがキツい、頭を下げたくない、騙す感じがイヤ
学生が営業を嫌う3大理由の誤解と真実 (DIAMOND online)

 営業=ノルマがきつい。だからつらく厳しそう。

 …ノルマを「目標」「納期」と言い換えてみましょうか。およそ仕事の中に、「目標」「納期」のない仕事はありません。この点では、営業は特別に厳しい仕事ではありません。

 

 とまぁ冒頭に引用しました表題の記事が、お笑いダイヤモンドのサイトで公開されているわけです。「誤解と真実」云々とのことですけれど概ね学生側の理解の方が正しいだろうと言いますか、社会に出て経済誌に書いてあるようなことを現実に目にするようなことはあるのかと首をひねらないでもありません。確かに正社員ともなりますと専ら営業への配属から始まることが多いですが、果たして日本社会はこれほどまでの営業職を必要としているのか、本当に必要な営業担当者は少数で、残りは競合する事業者間で顧客の奪い合いをしているだけではないのかと、私などはそう思うところです。不毛な国内競争を抑制して営業同士の綱引きを止めさせれば、もうちょっと他にリソースを回せそうな気はしないでしょうかね。

 ともあれ、ノルマのイメージから営業は嫌がられます。そこをダイヤモンドでは「『目標』『納期』のない仕事はありません」と言い張るのですが、本当でしょうか。納期はさておくにしても「目標」というのは随分と多義的で、広い意味での「目標」はともかく営業ノルマ的な意味での目標ともなると無縁のポジションも多いはずです。それもさることながら営業の場合と管理部門や生産部門あるいは技術部門とでは相手にするものが根本的に違います。営業は結局のところ客商売、本人がどれだけ誠意を尽くしたところで客先都合で大きく左右されるもの、営業担当者個人の労力ではどうにもならないところで成果を左右されるものでもあります。「やるべきこと」をやっていれば一定の評価が得られる部門と、「やるべきこと」をやっても顧客次第でノルマ未達の責めを負わされる営業職とでは、後者が敬遠されるのは当然のことです。

 

 なにかモノを無理やり押し付けて、騙すような感じがする。

 …無理やりモノを押し付けたり、だまして買わせるような商法が、世の中にないわけではありません。ただし、一度や二度なら通用しても、そういうやり方は長期継続的には成り立ちません。すなわち、それは真っ当な企業とは呼べない。「モノを無理やり押し付けて、騙す」ような会社は、よほど企業研究を怠らない限り、あるいは間違った情報収集をしない限り、みなさんの就職先候補に入ることはありません。

 

 「だまして買わせるような商法~は長期継続的には成り立ちません」と、この辺は営業担当者個人のレベルでは理解されていると思います。ただし、より権限を持つ人間はどうなのやら。営業経験者であれば、意に沿わぬ強引な営業を「上」から迫られた経験は誰にでもあるのではないでしょうか。末端の営業は「ここで無理に売り込んでも後が気まずくなるだけだな」と長期的な視野で考えていても、上司は役員に呼び出されて部門のノルマを必ず達成するよう厳命されていたりする、そして後先考えずに目先の売り上げを確保するよう担当者に強いるみたいなケースは営業部門なら月末、期末に恒例の風景です。

 「モノを無理やり押し付けて、騙すような会社は(中略)みなさんの就職先候補に入ることはありません」などとも断言されていますが、まさに今、ノバルティスファーマという世界的に名声のある会社の営業が世間を騒がせてもいるところです。ノバルティスの複数の営業社員が臨床データを回収するなど不正な関与を続けてきたことが連日のように報道されているわけで、それは特定企業もしくは営業個人の資質の問題、偶発的な問題なのでしょうか。それとも「営業」という職種に携わる以上は必然的に手を染めざるを得ない行為だったのでしょうか?

 

ノバルティス 営業社員を競わせる内部文書(NHK)

 NHKが入手した問題となった臨床試験を巡って、ノバルティスファーマの内部文書からは、営業担当の社員にアンケートの回収などを競わせていた実態がうかがえます。

 対抗戦と記された文書では、アンケートを1回回収すると1ポイント、もう一度回収すると1.5ポイントなどと書かれています。

 高いポイントを獲得したチームは、コーヒーチェーンの金券を受け取ることができるとなっています。また、回収したアンケートの数などを基に、月ごとにポイントを集計した一覧もあります。

 ポイントを多く獲得した社員への表彰状には、「白血病の薬のシェア向上にチョットだけ波及」と記載されていて、販売促進のため臨床研究に関わった可能性があることがうかがえます。

 

 もとより昨今は新卒者に中小企業を勧めるのがブームです。業界経験など皆無の新卒者に知名度の低い中小企業を勧めるのは、新兵を地雷原に突入させるようなものに等しいと思われるところ、経済誌やコンサルタントの戯言に騙されて痛い目を見た人も多そうな気がします。どこの職場に移っても必ず不動産投資の勧誘電話をかけてくる迷惑営業の老舗みたいな会社もあるわけですが、そういう世間の鼻つまみ者でしかない会社もまた昨今は新卒者向けの求人を盛んに出していたりするものです。安易に中小の営業職を選んだ結果として「人に迷惑をかける仕事」をする羽目になった人もまた多いことでしょう。 

参考、胡散臭い就活ビジネスで学生をカモにする輩へギャラを払うのをやめろ

 ……で、当然のことながら営業として働くことを嫌がる人も多い、これは大いに理解できるところです。努力が報われるとは限らない仕事、時には他人のニーズを無視して強引なねじ込みを繰り返さなければならない仕事は真面目な人からほど厭われるものでしょう。もっとも、そうである分だけ営業職の価値は認められるべきと言えます。営業して受注を獲ってくる、新規顧客を開拓することの価値は、その難しさと共にもっと評価されて良いはずです。しかし実際はどうなのか、営業をあまりにも軽く考えている人も多いように思います。

 例えば農業の6次産業化云々と、よく言われるわけです。現状は1次産業として生産が専らの農業ですが、加工や流通と言った2次及び3次産業部門も含めていくべき云々と。確かに農家が生産オンリー、後は農協任せというのも限界が来ているのかも知れません。農協を通さずに購買者と直接に繋がれば利幅も大きくなるように見えるところもあるのでしょう。とはいえ、そのためには生産以外の分野での働きも当然ながら求められます。ただ単に作物を育てる技術ではなく、高い営業力をも兼ね備えているのなら6次産業化に挑む資質有りと言えますが、営業職が敬遠されている実態を見るに「営業力自慢」の人は決して多くないのではないでしょうか。そして自ら営業して市場を開拓できないのであれば、その役割を誰かに代わって貰うしかない、農協なり諸々の中間業者なりの出番です。

 建設業でも似たようなものです。腕の良い職人達の小さな会社があっても、「仕事を取ってくる」過程をスルーするわけには行きません。もし技術だけではなく高度な営業力をも兼ね備えた社長がいるならまだしも、そうでないならやはり「代わり」が必要です。営業力に乏しい職人達に代わって仕事を受注してくる人が必要になる、そうである以上は元請け会社の営業の役割が欠かせない、と。そして「仕事を取ってくる」という現場作業と比べても決して楽ではない営業の仕事の分として、相応のマージンは支払われるべきものなのでしょう。誰もが楽な仕事として営業をやりたがるのならいざ知らず、負担の重い仕事として営業職が敬遠される時代ならなおさら、職人のために仕事を取ってくる営業の取り分が増えるのは致し方のないことです。

 まぁ営業したくない人が多い分だけ、営業として働く人の取り分は多くあっても良いと思うわけですが、もちろん程度というものはあります。明らかにダメなのは以下のようなケースで、こういう不正の温床を放置していることは国の恥であると政治家諸氏には自覚して欲しいところです。

 

隠匿容疑:実習生の給料着服…受け入れ団体元理事長を逮捕(毎日新聞)

 外国人技能実習制度を悪用し、不正に再入国したカンボジア人実習生の給料を中抜きして自身が管理する口座に隠したとして、警視庁が茨城県下妻市の実習生受け入れ団体「いなほ協同組合」元理事長、稲富浩一容疑者(64)を組織犯罪処罰法違反(犯罪収益の隠匿)容疑で逮捕していたことが同庁への取材で分かった。

 同庁は稲富容疑者が偽造戸籍を使った旅券で再入国させ、不正に働かせて給料の一部を着服していたとみている。

 逮捕容疑は、派遣先から実習生5人に支払われた約2年分の給料の一部計数百万円について、管理する口座に隠したとしている。稲富容疑者は昨年2月、不正に再入国したカンボジア人を農家などで働かせたとして、警視庁に入管難民法違反ほう助容疑などで逮捕され、執行猶予付きの有罪判決が確定した。【林奈緒美】

 

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猪瀬じゃダメなんですか

2014-01-16 00:01:16 | 政治・国際

 先日の記事でも触れましたが、細川護熙まで東京都知事選に出てくるわけです。原発立地自治体でも国政選挙でもなく、あくまで東京都知事選で脱原発を訴えるとのこと、民主党、小泉純一郎、河村たかしと頭の悪い連中が続々と支持を表明してもいるところですが、東京の有権者の反応はどれほどのものなのでしょう。石原に続いて猪瀬を当選させ、国政選挙でも山本太郎を当選させてしまうような有権者ですから、また愚かな選択を繰り返さないとも限りません。

 前任者である猪瀬が尻尾を巻いて逃げ出した結果として、2011年、2012年12月、そして来月と短いスパンでの都知事選挙が続く形になりました。膨大な税金が選挙のために投じられることとなります。まぁ、それもまた民主主義のコストと言えますし、任期満了まで役目を果たすにふさわしい人を選べなかった有権者の責任であるのかも知れません。では、次なる候補としては誰ならまだマシなのでしょう。猪瀬の後釜として、細川を選ぼうという人は特に、この辺を考えて欲しいと思います。

 細川は東京で脱原発を訴えるつもりでいるようですが、それは前任者と比べて何が違うのでしょうか。つまり猪瀬と原発/電力会社との関係はどうであったのか。猪瀬だって脱原発系ポピュリストの一人として東京電力へ子供じみた嫌がらせを繰り返してきたわけです。原発立地自治体でもない東京の都知事が脱原発を標榜して何をするのか、細川がやれそうなことと猪瀬がやってきたことにどれほどの違いがあるのか、その辺は問われるべきものでしょう。

 「脱原発」でありさえすればデマを吹聴するのも気にしない、風評被害を広めることに何ら罪悪感を持たない人も多いわけです。だから細川が佐川急便から「説明できない金」を受け取ったとしても、民主党や支持層は気にしないものなのだと思います。しかし、そうであるならばなぜ細川支持層は猪瀬をかばおうとしなかったのか。脱原発なら細川の金の問題も許されると考えるなら、猪瀬が徳州会から受け取った「説明できない金」はどうなのでしょう。特定企業グループから受け取った金について説明できない政治家に代えて、同様に説明できない政治家を支援する、そのどちらも脱原発系ポピュリストと来ている、猪瀬と細川では何が違うのか、わざわざ選挙に税金を投じてまで同類を後任に据えようとするのは、まさしくムダの極みです。細川を支持するくらいなら、同類の猪瀬を応援していた方が良かったのでは?

 

細川氏、都知事選立候補を表明 小泉氏が支援約束(朝日新聞)

 小泉氏は細川氏を支援する理由に「原発問題」を挙げて「東京が原発なしでやるという姿を見せれば、必ず日本を変えることができる」と強調。「この戦いは、原発ゼロでも日本が発展できるというグループと、原発なくしては発展できないというグループとの争いだ。私は原発なしでも発展できるという考えで、細川さんもそうだ。それが支援する最大の理由だ」と語った。

 さらに小泉氏は、「今回の都知事選ほど国政に影響を与える選挙はない。細川さんが知事になれば、エネルギー問題、原発の問題で、国政を揺るがす、大きな影響を与える知事になる」と訴えた。

 関係者によると、細川氏は14日までに、立候補した際の公約についてほぼ調整を終えている。細川、小泉両氏は昨年10月から連絡を取り合っており、小泉氏が細川氏に立候補を勧めてきた経緯があった。細川氏に近い関係者は「小泉元首相が何回、選挙カーに乗って街頭演説に立つのかなど、細かい調整をすでに行っている」と話している。

 細川氏の立候補に関しては、地域政党・減税日本代表の河村たかし名古屋市長も同日、支持する意向を表明した。河村氏は細川氏が代表の日本新党で衆院議員に初当選している。

 

 河村たかしは民主党のイメージが強かったですけれど、初当選時は日本新党だったんですね。それはさておき細川出馬を受けて一部の支持層からは先に候補を立てていた共産党へ「道を空けろ」と迫るような言動も聞こえるところ、全くの不当要求と言えますが、まぁ共産党も小泉に関しては「考え方が大変近く一致点が多い~」などと賛辞を惜しまない様子ですから、小泉シンパ同士の連合というのは有りなのかも知れません。

参考、確かに共産党は小泉に考え方が近いのかも知れない

 小泉は「この戦いは、原発ゼロでも日本が発展できるというグループと、原発なくしては発展できないというグループとの争い」云々と相変わらず架空の設定で二項対立に持ち込もうとしているわけですが、これは有権者の好むところなのでしょうか。劇場の芝居みたいな感覚で政治を見ている人は、その虚構性に騙されないように努めるよりも、舞台に立つ人のパフォーマンスに積極的に乗じる方を選ぶものとも言えます。小泉の語っているのは要するにプロレスのアングルみたいなもの、しかし敢えて気づこうとしない人も多い、と。

 「誰がやっても無理だろう」みたいな自治体もあれば、「誰がやっても上手く行くだろう」と言うほかない自治体もあるわけです。有能な首長でも八方ふさがりの地方自治体で石もて追われる羽目に陥る人もいれば、無能な首長が勝手に富の集まる豊かな自治体で我が世の春を謳歌することもあるでしょう。一極集中の恩恵を受ける東京都はまさに後者の典型で、よほどのヘマをしなければ失政とは言われないもの、地方からの人材や富をかき集めて東京は繁栄し、それを東京都知事が自らの功績であるかのごとくに奢るものと言えます。

 国政でも時期に恵まれた人と、そうでない人がいるのではないでしょうか。いしいひさいちの漫画で、故・小渕首相が景気の上向き傾向を見て奮起するシーンがありました。「もう少し頑張って首相で居続ければ、景気を回復させた首相になれる!」と。この辺はギャグとしても、日本国内はいざ知らず世界経済の動きは一国の首相の手には余るものでありつつ、しかし世界経済の浮沈がまた日本の景気をも左右するものだったりする、その在任当時の世界経済次第で過大に評価された首相もいるのではないかと思うわけです。

 小泉時代は「戦後最長の景気回復局面」と被る範囲が長いですけれど、それは小泉の功績ではなく諸外国の経済成長から「おこぼれ」を貰った結果に過ぎません。非金融法人の現金・預金を軸とした内部留保が増大を続ける中、小泉時代も一貫して日本で働く人の給与所得は下がり続けましたし、経済成長が続くと言っても緩やかに過ぎて世界経済の成長からは取り残される一方であった、そして金融危機で日本の「外」の景気が悪化すると金融依存と呼ばれた国なんかよりも格段に大きな落ち込みを見せたのが日本経済でした。

 小泉の語る「発展」とは何なのでしょうか。小泉時代の「実績」を発展と考えるなら、それは日本で働く人にとって一層の苦難の時代を意味します。より「働かせる」側が恣に振る舞えるよう規制緩和して企業側が強い社会を作ること、企業の内部留保を際限なく増やし続けること、国内の購買力を蔑ろにして外需依存度を高めること、そうして諸外国の成長の「おこぼれ」に期待すること、これを発展と考えるなら国内産業が衰退して原発は不要になる可能性も高そうです。それを歓迎するなら、どうぞ小泉――細川に投票してください。

 

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とりあえず、受け取った金を説明できない人にはNOと

2014-01-13 23:02:03 | 政治・国際

 2008年のアメリカ大統領選における共和党の候補であったジョン・マケイン氏は党の集会でブーイングを受けることもあったそうです。支持者が「オバマは米国を社会主義にする」「オバマ大統領なんて恐ろしい」などと語る中、マケインは「オバマ氏は立派な人だ。大統領になっても恐ろしがることなどない」「戦うと言っても礼儀をわきまえないといけない」などと発言。ある女性が「オバマなんて信用しない。アラブ(のテロリスト)でしょう」と批判すると、マケインは首を激しく横に振り、「いいえ、奥さん、彼は立派な家庭人、国民です。たまたま意見の相違があるだけです」と質問をさえぎったとのこと。

 こうしたマケインの姿勢は共和党員の反感を買うところでもあったようですが、(マケイン自身の発言として虚妄もあった、サラ・ペイリンを担ぎ出すなど支持層に媚びる面もあったりしたのはさておき)傍目には良心の表れであるように思われます。しかし支持者を喜ばせるものではなかった、と。翻って日本ではどうでしょうか。自分の支持層が何か誤ったことを繰り返したときに「それは違う」と窘められる候補がどれだけいるのやら。少なくとも差し迫る東京都知事選の主立った候補には見当たりませんね。

 例えば原発事故後には盛んにデマが流されたものです。被災地から離れたところで妄想をたくましくする人も多くて、根も葉もない思いつきの放射能禍を喧伝しては福島周辺地域の住民や生産物が危険であるかのような風評を流し、「福島」が人と物とにかかわらず忌避の対象となるよう仕向けてきた、そんな最低最悪の糞野郎だっているわけです。この風評被害を広めようとする加害者達の誤りを指摘する人もいましたが、そうした人々は原発利用への賛否とは無関係に「御用学者」だの「原発推進勢力」だのとレッテルを貼られてきたりもしました。

 そこで共和党とマケインの関係を思い浮かべてください。原発という国政上のテーマを東京都知事選で第一に語りたがる候補もいるわけですが、自らの支持団体が嘘偽りを語り、対立する側を誹謗中傷する、あるいは福島周辺域への偏見を広めようとしたときに、果たして冒頭のマケインのように振る舞える候補がいるのか。結局のところ自分と同じ側に立ってさえいれば、事実に基づかない言動によって気に入らない相手を誹謗中傷し、そのイメージを貶めるような言動に頷く候補ばかり、「憎悪」を向ける相手こそ異なれど根本的には似たようなのが揃っているのではないかという気がしてなりません。

 地方選挙を、国政選挙の代理戦にしたがる人は多いです。この点で最も卑劣なのは言うまでもなく民主党で、地方議会ではオール与党の一員として首長を支えつつ「巨大野党」共産党と対決しているはずが、東京での選挙など注目度の高いところでは唐突に「野党でござい」と偽装して、与党への批判票を攫いに来るのが常です。このような恥知らずの行動に私などは大いに呆れるところですけれど、それでも与党に対する不満への受け皿としてある程度は機能してしまうのが悲しいところ、有権者もまた地元の議会でのことなんて気にしないまま国政上のイメージだけで投票先を決めてしまうのでしょうか。

 何はともあれ、本来ならば国政上のテーマであろう事柄を看板に掲げて地方自治体の選挙を争う候補も相変わらずながら目立つわけです。もっと地域の課題を語ったらどうかと思うところですが、それは大半の有権者の関心の外にあるのでしょう。あくまで東京都のことではなく国政選挙の代理戦として、東京都以外の住民からの関心を集めるものであるのかも知れません。天下国家を語るのは案外に簡単なもの、一方で地に足の付いた政策を語れる人は希少で、しかしながら希少性が評価されることもない、有権者の関心が高い国政上のテーマを語りたがる政治家の方が機会を得ると言えます。

 

続・都知事選 - 菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」

 自民党にとっては細川元総理の出馬が実現することは悪夢だろう。自民党が原発ゼロ候補に乗ることはできないからだ。また舛添氏も出馬に当たって原発政策をはっきりさせることを迫られる。

 宇都宮さんは良質な候補者だが、社共の支持だけでは当選は難しい。

 細川さんが立候補を決めれば原発ゼロを求める都民は、当選可能な細川さん応援に集中すべきだ。細川さんであれば、たとえ舛添さんが出馬しても、十分当選できる可能性があるからだ。

 

 ……で、色々と投票したくない候補がクビを揃えている中で、この人だけは絶対にダメだろうというのを挙げるとしたら、やはり細川護煕をおいて他にないと思います。当初は事実上の相乗りで自民党と共に桝添を押す方向で固まりつつあった民主党が、この細川を推すとのこと。2011年に支援していた候補が今も政治家をやっているのですから再度の出馬を打診したらどうかなどとも思っていたところですが、紆余曲折の末に細川が上京することとなったようです。それにしても徳洲会から受け取った金について何一つ説明できずに逃げ出した都知事の後釜に、佐川急便からの献金をやはり説明できずに逃げ出した元総理を宛がおうというのは、あまりにも頭が悪すぎるのではないでしょうか。まぁ、金銭授受について説明できずとも辞職してほとぼりが冷めるのを待てば良い、そうした前例を作りたいのなら細川氏へどうぞ。

 なお共産党との対決姿勢を崩さない民主党の政治家らしく、菅は共産党候補へ暗に「道を空けろ」と迫っているところですが、(東京という地域の課題ではなく)脱原発が第一なら先に出馬を表明していた宇都宮候補に「相乗り」しても良さそうなものです。まぁ、そうしないのはやはり民主党として絶対に相容れないものがある、絶対に組めない党があると言うことなのだと思います。消費税増税とか生活保護切り下げとか朝鮮学校への無償化適用除外とか、色々と共通するところの多い政党が勝つのは容認できても、この党にだけは伸びて欲しくないというものがあるのでしょう。

 どのみち私は千葉都民であって選挙権はないのでどうすることもできませんが、この菅に加えて小泉という、疑いようもなく日本の戦後史上で最悪を争う二人の総理から支持を受ける候補が票を伸ばすことだけは、あって欲しくないなと。これを地方自治体の選挙ではなく国政選挙の代理と見ても、小泉の影響力を退けることができるかどうかは日本経済の今後を占う上では試金石になるのではないでしょうか。虚妄の改革に酔いしれることを選ぶのか、現実に立ち返ってもう少し実利を追うのか、その辺の分かれ道にもなることと思われます。

  

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おまけ、
都知事選に宇都宮弁護士が出馬!! の巻 ‐ 雨宮処凛がゆく! ‐ マガジン9

 第一印象で強烈に覚えているのが「パンと牛乳」だ。  ~(中略)~ そんなふうに思っていると、宇都宮弁護士はおもむろに持参したコンビニの袋からアンパンと牛乳を出し、食べ始めたのだった。

 それを見た瞬間、私はなんだか感動していた。メディアなんかで「庶民の味方」などと取り上げられてはいても実態は違う人などザラにいる。というか、そっちの方が多数派だろう。しかし、目の前の、非常に社会的地位が高いはずの弁護士さんは、当たり前のようにアンパンを食べ、牛乳を飲んでいる。またその姿が、妙に似合っている。アンパンと牛乳という昭和っぽいセレクトもいい。この人は、本気でいい人に違いない。私は一瞬で宇都宮弁護士を信頼し、なついた。

 

 一見するとどうでも良いエピソードですが、この辺に共感する人は麻生太郎がコンビニでアイスを買って食べているのを見れば、同様に信頼しちゃうんですかね?

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嫌になる人の気持ちなら分かるね

2014-01-11 10:22:33 | 社会

 しばしば障害者や高齢者の入居施設とかで虐待がニュースになることがあります。まぁ、行為は褒められたものではないのは言うまでもありませんけれど、そうしたくなる気持ちは理解されるべきなのかも知れません。面倒を見る側の人間が金銭や社会的名誉によって報われるものではないですし、障害や加齢で何かと不自由な人間の振る舞いは、時に不自由ではない人間を苛立たせるものではあります。この「イラッとする」部分を認めた上で「何とかできないか」と考えるしかないだろうと思うところですが、逆に「イラッとする」部分を「あってはならないもの」として道徳的な断罪を加えることに終始しているケースもまた多いのではないでしょうか。

 

飛行機内の迷惑な客ランキング1位「子供の面倒を見ない親」-エクスペディア調べ(マイナビウーマン) 

オンライン旅行サイト エクスペディアは、2013年11月、調査会社Northstar協力のもと、過去5年間で飛行機の利用がある1,000名のアメリカの成人を対象に「飛行機内でのマナーに関する調査」を実施。

飛行機内で迷惑だと思う客について質問をしたところ、1位は「子供の面倒を見ない親」(41%)という結果に。2位は「後ろからシートを蹴る客」(38%)、3位は「香水臭い客」(28%)と続いた。

また、米国人旅行者の63%が、子供と一緒に旅をしている親に不快を覚えると回答、その中の49%が「追加料金を払ってでも静かな席を予約したい」と思っている事がわかった。

 

 こちらはアメリカでの調査ですが、迷惑と感じるものの1位は「子供の面倒を見ない親」で2位は「後ろからシートを蹴る客」とのこと、後ろからシートを蹴っ飛ばしてくるのは子供が多くて、それを親が放置しているケースも結構な割合を占める気がしますね。日本では他人の子供を叱れる大人がいなくなった(代わりに「後から」ネットで文句を言うとか、役所に苦情を申し立てるとか諸々)とも聞きますが、アメリカの場合はどうなのでしょう。親子関係にしても溺愛(他人に迷惑をかけても好き放題させる)か虐待かで、感情の振れ幅が両極端な感じの人も多くなっているのかな、とも。

 

「どの親でも自分の赤ちゃんが世界で一番カワイイと思わなきゃいけないというようなプレッシャーがあるんだ。そう思わないことは親としてタブーとされているため、実はブサイクと思っていても他と同じことを言わなければと感じているんだよ」

 

 ……と、PromotionalCodes.org.ukなる団体の調査に、匿名希望の2女の父親は回答したそうです。この辺は日本でも似たようなものでしょうか。子供を可愛いと「思わなければならない」というプレッシャーは我々の社会でも、むしろ我々の社会でこそ極めて強いと言えます。この辺は仕事に対してもそうですし要介護者に対してもそうなのですけれど、圧倒的に強い圧力がかけられるのはまさに「(他人の子を含めた)子供」を前にした場合です。時には自分の心にフタをしてでも、「子供は可愛い」という仮面を被ることを強いられるわけです。

 さて、ホリエモンこと堀江貴文が色々と叩かれているようです。泣き叫ぶ子供に嫌な顔をした人を咎め立てするツイートがあって、そこに堀江が「それくらい良いじゃないの」みたいに返したところ、案の定と言いますか噛みついてくる人が次から次へと。猫を大変に神聖視した古代エジプトでは、猫を盾にくくりつけて攻め寄せたペルシア軍に刃を向けられず敗れたなんて伝説がありますけれど、子供を大切にする日本ではどうでしょう。反原発デモなんかでも子供を盾にして自らの(≠子供の)主張を押し通そうとする人は多い、子供を盾にして相手の口を塞ごうとする人は後を絶ちません。

 そんな社会だからこそ「子供」に嫌な顔をすれば断罪される、不満を持つことへの寛容さを示せば同様に叩かれることは堀江の例を見るまでもないと言えます。内心ではどう思おうと「子供は可愛い」という態度を取り続けなければならないわけです。何とも窮屈な話、息苦しい時代です。その辺に疑問を呈する堀江に私は共感しますけれど、ただ堀江が社長を務めていた時代のライブドア社はどうだったのでしょう。ライブドアでも不本意な業務命令や異動は多々あったはずですが、そこで「嫌々ながら」従うことが許されていたのか、それとも「仕事はやりがいがある」との前提に基づいて「ハイ喜んで」と言わねばならなかったのか……

 

 堀江に対して投げかけられた難癖はどれも取るに足らないものですが、例えば上記などどうでしょう。似たような言辞は過去に何度となく繰り返された紋切り型の一つですけれど、こういう考えが罷り通る辺りに、まさに親が追い詰められる要因があるような気がします。つまり「子を持つ親でないと分からないものがある=子育てしていない人には分からないのだ」という意識が蔓延るほど、社会全体での子育てなどできなくなるわけです。「子を持つ親でないと分からないものがある」限り、子供のいない人には何ができるというのでしょうか? 子供がいない人間には理解できないのなら、子を持つ親を助けることなどできようはずがありません。子を持つ親でしか理解できない以上は、子を持つ親に頑張って貰うしかないですから。

 

 そしてこの辺りも紋切り型パート2と言えます。自分は大人しい子供で、周りの要求する「子供らしさ」をあまり満たさず「子供好き」を喜ばせるタイプではなかったようなのですが、それはさておき子供は泣くものであるとしても誰もが野放しにされて育った人ばかりではないと思うんですよね。騒ぐことを全面的に歓迎されて育った、子供が騒ぐことに不平を申し立てることが許されない環境で育った人ばかりではない、子供は泣くものであるとしても、それを周りの全員が「ハイ喜んで」と歓迎しなければならないわけではない、と。泣く子を「何とかする」ことは当然ながら許されてしかるべきですし、その方が堀江も語るように「親だって楽」なはずです。

 この辺の「何とかする」ための手段の具体例として堀江が睡眠薬に言及した辺りで、これまた非科学的な人から噛みつかれたりもしたようですが、まぁ現代人は野蛮な人が多いと言いますかとかく「人工」的なイメージのあるものは致命的な毒みたいな錯覚に陥っている人が多いように思います。原発事故後の放射能フィーバーやワクチン否定論よろしく、睡眠薬にもまた同様に事実とは無関係なところから諸々の害毒を妄想している人も多いのではないでしょうかね。その内、酔い止め薬ですら似たようなことになるのかも知れません。隣の子供にゲロを吐きかけられて嫌な顔をしたら罵倒される、酔い止め薬でも使ったらどうかと言えば盛大なバッシングを浴びる、子供はゲロを吐くもの、子供は可愛いに決まっている、むしろご褒美だ云々と、そう盛り上がったとしても私は驚きませんね。

 まぁ大人に対しても同様、薬を使ってQOLを高めるような考え方にも否定的な人は多いのではないでしょうか。楽な方より、より大変な方、より負担の重い方を選んだ方が是とされる傾向は強いように思います。粉ミルクとか使い捨ての紙おむつとか、子育てを楽にしてくれる偉大な発明がある一方で、反対に母乳育児原理主義や布オムツ派の喧しい主張が結構な市民権を得ているところも、残念ながらあるわけです。だから「スーパー子供寝かせマシーン」とか発明されて、それで子供を簡単に寝かしつけられるようになったとしても「そんなものを使うなんて子供が可哀想だ」という人は少なくとも日本では絶えないし、その利用を勧める人が今回の堀江のように叩かれるなんてことも続くことでしょう。

 親(及び周りの大人)が楽をするための装置は、常に否定されてきたと言えます。泣き叫ぶ子を「何とかする」方法があったとしても(あるいはこれから発明されたとしても)、それを用いることが許されるのかどうか。泣き叫ぶ子供は、周りの血縁関係のない大人にとってだけではなく、本当は親にだって不快なはずです。そこで「楽になる」ための手段は歓迎されるのでしょうか。結局のところ「楽にする」装置を使うと言うことは、それなしでは負担と感じていることを意味します。布おむつを洗うのは負担だから使い捨ての紙おむつを使う、あるいは泣き叫ぶ子供が不快だから「スーパー子供寝かせマシーン」を使う、それは子供/子育てを重荷と感じるからこそです。

 別に構うまいと私は思うところですけれど、一方で子供を不快と感じることを「許さない」人がいて、それが今回であれば堀江に噛みついている人だと言えます。泣き叫ぶ子供を不快に思うことが許されない社会では、それを「何とかする」こともまた否定されるものです。故に親もまた「楽をすること」が許されない。泣き叫ぶ子供をも可愛いと「思わなければならない」、時には自分の心にフタをして「子供思いの自分」を演じなければなりません。不本意でも「ハイ喜んで」と言わなければならないわけです。子供を不快と感じることを道徳的に断罪して他人の心の中までを縛り上げていくことに何の躊躇いも感じていない人の多いことは堀江発言に対する反応からも窺われるところですが、何とも窮屈な話ではないでしょうか。それはもう、耐えられなくなって虐待に走る人が出るのも頷けます。

 

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偏向報道は毎日のこと

2014-01-09 00:03:43 | 社会

福島原発事故避難:東電 社員に賠償金返還を要求(毎日新聞)

 東京電力福島第1原発事故による避難に伴う賠償金を巡り、東電が昨春以降、社員に対し既に支払った1人当たり数百万円から千数百万円の賠償金を、事実上返還するよう求めていることが関係者の証言で分かった。確認されただけで、総額は1億円を超えるとみられる。中には、東電が尊重すると公表している政府の「原子力損害賠償紛争解決センター」(原発ADR)による和解案を、自ら拒否したケースもある。返還請求により、20歳代の若手社員らが次々と退社しており、原発の復旧作業に影響が出かねない対応に批判の声が上がっている。

原発避難賠償:東電、家族にも返還請求(毎日新聞)

 

 原発事故に伴う避難者へ東京電力から賠償金が支払われているのは周知のことですが、その賠償金の支払い対象から東京電力社員(及び親族)を除外しようとする動きがあるらしく、何でも支払われた賠償金の返還を求められている人がいるとか。まぁ、原発事故後の東京電力は身内に厳しいと言いますか、給与カットやリストラに止まらず、甲状腺被曝線量の検査でも自社従業員を後回しにしていたと推測されるところもありまして、そういう形で電力会社の「自己犠牲」が支払われているのもどうなんだろうと首を傾げるところです。

参考、ゆりしーず

 もちろん勤務先の如何に関わらず、原発事故で避難を余儀なくされた人は被災者として賠償を受ける権利があります。そして犯罪者でも守られるべき人権があるように、重大事故を起こした会社の従業員でも同様に守られるべき労働者としての権利があるわけです。東京電力はもっと自社の従業員の権利を尊重すべきではないでしょうかね。しかるに、何らかの点で負い目のある人の権利を蔑ろにする人は後を絶ちませんし、そうした人に権力が媚びる傾向もまた広く見られるものです。加害者側の人権を無視した厳罰論よろしく、電力会社で働く人の権利を無視した反原発論もまた根強い、そうした声に応えた結果が今回の東京電力の対応に繋がってもいるように思います。

 今回の賠償金返還云々で東京電力経営側を詰る声は少なくないようですけれど、そうした人々が同じ口でどのような主張をしてきたのかは興味深いところです。この毎日新聞にしたところでどうでしょうか? 元々は東京電力締め付け論を煽り立てていた人々、もっとコストカットできるはず、社員に払う金があるなら賠償に回せと要求していた人々、そうした人々の背中を押してきたような人々が、その「結果」である今回の対応に際しても「東京電力を咎める好機」とばかりに非難の声を上げているとしたら、それは実に滑稽なことです。

・・・・・

 昨年の3月末、国土交通省は公共工事の発注予定価格を決める時に使う賃金の基準(労務単価)を、2013年度は全職種の平均で前年度より15・1%引き上げると発表しました。なお国土交通省が公開する「平成24年度公共工事設計労務単価について」との資料には以下のように記載されています。

公共工事設計労務単価は公共工事の工事費の積算に用いる
ためのものであり、以下の点について十分留意すること。

・ 下請契約における労務単価や雇用契約における
 労働者への支払い賃金を拘束するものではないこと

 まぁ、特にどうと言うこともないでしょうか。労務単価の引き上げが直接的に作業員の手取りに反映されれば嬉しい話ですが、なかなかそうも行かないものです。「仕事を取ってくる人」の取り分もありますし(これが決して楽な仕事でないことは営業経験者なら誰でもご理解いただけると思います)、下請けに渡す工賃を増やしてやっても、下請けの社長が社員や連れてきた一人親方に払う金額までは元請け会社でも介入できない世界ですから。まぁ全体のパイが大きくなれば「それなりに」下流へ辿り着く額も増えることを期待したいところ、昨今の買い手市場から売り手市場へと転換されて作業員の確保が難しくなれば多少は状況も変わるでしょう。

 ……で、上記の国土交通省の公表を念頭に置いた上で、以下の報道をご覧ください。

 

東電:福島原発作業、日当「中抜き」容認…元請けに文書(毎日新聞)

 東京電力が福島第1原子力発電所で働く作業員の賃金を改善するため、工事発注時に計算する人件費の単価(労務費)を1日1万円増やすと発表した後、元請け各社に「(作業員に渡される日当が)1万円増額されることを示すものではない」と説明する文書を配布していたことがわかった。発表の趣旨を事実上変え、元請けや下請けによる人件費の「中抜き」「ピンハネ」を容認する内容で、作業員から反発の声が上がっている。【前谷宏】

 

 これはもう完全に毎日新聞の悪意あるミスリードと言いますか、こういう記事が罷り通ってしまう辺りに色々と問題を感じるところです。結局のところ東京電力が説明しているのは国土交通省のそれと同じことで、やっているのは至って普通のことでしかありません。国土交通省の示した労務単価の引き上げ分がそのまま作業員の手取りに反映されるものではないのと同じように、東京電力が発注する労務費の増額分もまた然りということです。とかく日本の労働現場全般に共通する問題が、さも原発労働に固有の問題であるかのごとくに矮小化されて語られることも少なくありませんが、今回のケースも典型的ですね。

参考、日本の職場の平均的な値

 厚生労働省の調査によると、労働基準法や労働安全衛生法に違反している事業所の割合は7割程度だとか。それが放置される日本の無法地帯ぶりも凄いなと思うところですが、業界によって差が出るものでもあります。福島労働局によれば除染作業をしている福島県内の業者の違反率は昨年の前半こそ68%と平均的な値でしたが、そのさらに半年前までは違反率45%と、他業種に比して法令遵守意識の高さが窺われる結果が出ていました。何かと世間の目が厳しいだけに、そういうものなのかも知れません。

 原発作業の場合も同様で、世間の目が厳しいが故に他業界に比べると「法律を守らなければ」という意識が高かったのではないでしょうか。「普通の」工事では国交省が明示するように労務単価の引き上げ分を「そっくりそのまま」作業員の手取りに乗せる必要はありませんし、業者側も躊躇うことはないわけです。しかし原発作業の場合は? 原発作業員ともなると通常通りではいけないのではないか、今回は「例外的に」労務費の引き上げ分を「そっくりそのまま」作業員の手取りに加えなければならないのかと、そんな問い合わせが東京電力サイドに寄せられた結果として、「国土交通省の場合と同じですよ」との説明がなされたものと推測されます。

 まぁ、分配のパイを大きくするのは良いことです。しかし、その先まで踏み込むのはなかなか難しくて、引き上げた労務単価をいかに作業員の手取りに反映させるかについては、なかなか強制力を伴う措置は出てきません。下請けに対して「作業員に○○円の日当を払いなさい」と命令する、下請けの社長に代わって東京電力が下請け会社の従業員の賃上げを決めるだけの権限を東京電力に与えれば不可能ではないでしょうけれど、それをやったら東京電力の横暴と、この毎日新聞辺りが詰り出すであろうことは想像に難くありません。私はそれくらいやっても良いように思いますが、今度は下請けイジメだの何だのと言われることでしょう。

 

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コメント (2)
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