日本の労働環境の劣悪さは今に始まったことではありませんが、とりわけ小売りや飲食など消費者と直に接する職場の過重労働は際立つところです。では諸外国ではどうなのかと視点を変えれば、日本「以外」の国では店員が不親切であると、よく言われますね。日本のように、高級店でもないのに店員が全身全霊を尽くしてサービスに当たるような文化は、なかなか例を見ないのではないでしょうか。では、客を大切にする日本は住みよい国なのかと言えば――そこはまた別問題になっているわけです。
消費者であり続ける限りにおいて、日本は良い国に違いありません。日本ほど、微々たる対価で高度なサービスが当然のように受けられる国は他にないでしょう。しかし、日本人の大半は消費者であると同時に労働者でもあります。24時間365日を消費者でいられれば話は簡単ですが、むしろ消費者であるよりも労働者である時間の方が長いのなら、評価の基準は変わらざるを得ません。消費者に廉価で質の高いサービスを提供するためには、低賃金の労働者に過剰な労働を強いることになりますので。
お客様第一の日本式と、もうちょっと労働者側が手を抜いている国、どちらが良いかは好みの問題かも知れません。ただ「労働生産性」という指標の面では、残酷なほど明白な結果が出ています。言うまでもなく、日本の労働生産性は先進国中最低であり、中でも大きく足を引っ張っているのが小売りや飲食業界です。「日本流」がある種の人々の理想に適ってはいるとしても、合理性の面では否定のしようがない劣位にあるわけです。果たして、このやり方を続けるべきなのかどうか――「働かせる人」には、もう少し損得勘定が求められます。
日本的な消費者重視が労働者に過大な負担を強いるように、特定の何かを優先することで、他に歪みを生んでお互いに不幸な結果を招いているケースは色々とあります。例えば日本ほど子供を大切にする社会もないと思いますが、子供優先のあまり「子供の周りにいる大人」に求めるものが重くなるわけです。日本ほど、母親が子供にかかり切りになることを当然視する社会も他にないでしょう。子育てに手を抜くことを許さない、周りの大人の都合を尊重することを許さない、万事が子供第一の社会では、子供を持つことが大きな負担になると言えます。よほどの余裕か覚悟のある人か、よほど無計画な人しか子供を作らなくなるのも致し方ありません。
あるいは「新卒一括採用」は日本の奇習として知られますが、見方を変えれば日本ほど新卒者を優遇する社会は他にないことを示すものだったりします。なにしろ単純に求職者の能力を見て採否を決めるのではなく、あらかじめ「実務経験のない新卒者」専用の採用枠を設けておく、しかも優良企業ほど新卒専用の採用枠が大きいわけです。よその国では経験に乏しい新卒者が会社に入るのは色々と大変とも聞きますが、むしろ日本では経験のない新卒の方が大手企業に入りやすいのですから、外国出身者の目には驚きでしょう。
ともあれ日本では新卒専用の優先枠が大きく設けられており、新卒ほど就職に有利なのが当たり前だったりします。しかし、超が付くほどに優遇されているはずの新卒者が我が世の春を謳歌しているかと言えば、そこまで良い思いをしているようにも見えないわけです。卒業時期の景気に左右されるところも大きいですけれど、それ以上の問題は「卒業してしまったら就職が圧倒的に不利になる」という現実が待ち構えているからではないでしょうか。日本では新卒が優先されている分だけ、「既卒」には冷たい社会です。大手優良企業ほど新卒者で採用枠を埋めてしまう、新卒時点で就職できなければ入れる会社は限られてくる、ならば「新卒時点で就職を決めなければ」という強いプレッシャーが必然的に発生します。
そして日本は、とりわけ日本の労働市場は、圧倒的な若者優遇社会です。リストラの標的にされるのは第一に中高年ですし、「若年層の長期的なキャリア形成を~」と、おまじないを書いておけば採用における年齢差別も許されます。不況でも、専ら若者向けの非正規・パートタイムの求人は減りません。中高年になるまで会社で働き続けても給料はロクに上がらない時代になりましたが、若者の初任給は日本が豊かであった時代と変わらない水準に維持されています。現代の中高年は昔の中高年より稼げない時代ですけれど、若者の取り分だけは確保されていると言えます。
では、日本は若者にとって夢溢れる幸せな社会なのでしょうか? 既卒者の運命を知る新卒者がプレッシャーに苛まれるのと同じように、若者も自身の未来を理解しているほど、希望を持ちにくいわけです。いかなる若者も、例外なく中高年になります。若い内は職に困らなくても、年を取ったらリストラの標的にされる、若い間限定の非正規雇用ばかりで中高年になった先の雇用の保障がない、若い間の給与水準はさておき働き続けても賃金が上がる見込みがない、こうした社会に若者が希望を持てないとしても、それは当然です。
中高年を切り捨てて若年層の雇用機会を創出する――、そんなことは「ブラック企業」の類いであれば昔からずっとやってきたことです。トウの立った人間は切り捨てて、代わりに新しく若者を雇い入れる、そういう会社が増えれば増えるほど若者の就業機会は広がりますが、それは若者にとって希望の持てる社会なのでしょうか。とかく政治家も「若者のため」と掲げたがるものですけれど、実は「若者のため」が若者の将来を奪う、若者が「若くなくなったとき」を脅かすものだったりしないかどうか、その辺は立ち止まって考える必要があるはずです。
消費者であったり子供であったり、若者であったり企業や財界であったり、特定の何かを大切にしようとする制度や考え方は、往々にして歪みを生むものです(今回は踏み込みませんが、企業優先で人件費削減を容易にするような経済政策を採れば、国内の消費者の購買力が下がり消費が低迷して企業業績に悪影響を及ぼす等々)。その歪みまでを踏まえて総合的に判断した結果として下された判断なら、賛否はともかく異論としてでも尊重されるべきなのかも知れません。しかし、この歪みの部分を全く考慮しないまま何かを優先しようとしているのなら、そこは見直されるべきでしょう。でなければ、巡り巡って優先しようとしたはずの相手をも苦しめることになるのですから。