非国民通信

ノーモア・コイズミ

それでも教えてエロい人

2009-05-31 22:12:47 | ニュース

性暴力ゲーム規制強化へ、与党が流通歯止め検討チーム(読売新聞)

 少女らをレイプして妊娠・中絶(←筆者注、やや誇張アリ)させる過程を疑似体験する日本製パソコンゲームソフトに、国際人権団体などが抗議を行っている問題で、自民党は29日、同種のゲームが多量に流通している状況に歯止めをかける方策を検討するチームを発足させた。

 公明党も今月中旬に検討チームを作っており、与党内で規制強化をめぐる議論が本格化しそうだ。

 自民党で29日に発足したのは「性暴力ゲームの規制に関する勉強会」。先進国のなかでも性暴力関係のゲームや児童ポルノへの規制が緩いと指摘されていることを踏まえ、関係省庁からヒアリングを実施。今後も会合を重ね、規制強化の必要性を検討していくことになった。

 出席した野田消費者相は「子どもを守るバリアが日本ではきわめてルーズだ」と指摘。座長の山谷えり子参院議員も「日本のコンテンツ産業をさらに発展させていくにも、こうしたゲームで信頼を損ねてはいけない」と話した。

 公明党も性暴力ゲームの問題を考える合同プロジェクトチームを今月中旬に発足。太田代表や国会議員らで秋葉原のゲームショップの視察を行い、有識者のヒアリングも行った。

 また、自民党の会合に出席した経済産業省幹部は、パソコンソフト業界の自主審査機関によるこれまでの対応として、〈1〉問題の性暴力ゲームの販売中止を流通関係企業へ要請し、国内で購買はほぼ不可能になった〈2〉「陵辱系」と呼ばれる性暴力もののゲームソフトは製造・販売を禁止する検討を行っている--と説明した。

 局所的に話題になっているこのニュースですが、なにしろ男性向けアダルトゲーム(以下、エロゲー)には知識のない人が圧倒的多数を占めることから、色々と的外れな批判や論議が続き、空回りしている印象も拭えません。もうちょっと批判の対象のことを「知った上で」評価して欲しいところです。

参考、今夜も教えてエロい人

 詳細は上記リンク先にて扱ったことですが、まず2月の段階でイギリスの議員が日本のエロゲー「レイプレイ」を取り上げて規制を要求しました。その後は小康状態かと思いきや、5月に入って国際人権団体による抗議があり、問題が再燃したわけです。そして山谷えり子など政府与党筋でも規制を検討、業界団体であるコンピュータソフトウェア倫理機構(以下、ソフ倫)がいち早く自主規制に走ると伝えられています(TBSによるトバシ記事らしいですが)。この辺までは「普通の」人でも知るところでしょうか。

 そこで、もう一つ知って欲しいことがあります。まず槍玉に上げられた「レイプレイ」というゲームは2006年4月の発売です。まるで生鮮食品のように発売直後のゲームしか店頭に並ばないこの業界では、まぁ入手困難ではないにせよ過去の作品です。そしてこのゲームを発売したメーカー、当該策を最後に、陵辱色のある作品は一切、発表していません。物議を醸すよりもずっと前から、自主的に凌辱系のタイトルの開発を中止しているわけです。それなのに今さら人権団体からの抗議を受けても困惑するばかりでしょう。何しろ3年前の話です。今頃になって「あんな真偽の疑わしいメールを裏も取らずに国会に持ち出すとは何事か、前原氏は責任を取って民主党代表を退くべきである」と批判されるようなものです。お前はいったい、いつの時代に生きているのか、と。

 人権団体の抗議よりも政府の規制よりも業界団体の自粛よりも先に、各メーカーが凌辱系タイトルの開発を取り止める、エロゲー業界ではよくあることです。なぜなら、それがファンの声だからです。アダルトビデオにヌードグラビア、官能小説や成年向け漫画とポルノも色々ありますが、そんな中でもエロゲーの際立った特徴は、その購買層が極めて性的に保守的である(参考)ということなのです。

 実際のところ「凌辱イラネ」という声が2ちゃんねるのエロゲー板や(あれば)大手メーカーの掲示板あたりでは完全に多数派だったりします。メーカーもそういう「お客様」を相手に商売するわけですから、売上を伸ばしていくに従って、自然と性表現も保守的で穏やかなものにシフトしていくのがエロゲー業界の常なのです。私などは前衛派ですから、「ファッキンなクソ野郎どもの声なんか気にするこっちゃねーですよ、このままもっと、イカレたクレイジーなエロを追い求めてくださいな」と、毎回アンケートに書くわけですが、どうしてもメーカーの規模が大きくなると、売れ筋の路線――陵辱色ナシ、男(主人公)一人が選り取り見取りの女の子とイチャイチャするだけのハーレム路線――にシフトしたきり、もう戻ってこなくなるのです。

 問題の発端になった「レイプレイ」の制作元がそうであったように、エロゲー業界では、売れれば売れるほど性表現は大人しくなる――父権的になる傾向にあります。だから抗議などせずとも、過激な性表現は広がらない、放っておいても同様の変化は期待できたはずなのです。それが無知ゆえに誤った対象に抗議しているのが実態でしょうか。人権団体(Equality Nowだそうで)の主張そのものは筋が通っているにせよ、なんとなく場違いな印象を拭えません。時期的なものも含めて、ですね。喩えるなら、今頃になってカナダ人を相手に「ブッシュ政権の存続を許していいのか?」と問いかけるのと同じくらい……

 問題の「レイプレイ」にしても、エロゲー購買層の主流派である「凌辱イラネ」という声に対応すべく「凌辱シーンをスキップできる」システムが組み込まれていました。それでもファンの評価は今一つでした。「嫌なら見なければいい」で済まされるものではなく、凌辱シーンが含まれていること自体に嫌気を感じるファンが多かったのです。だから開発元は次回作以降、陵辱色を完全に排除するに至ったわけですが、通常はこうした「ファンの声」によってもたらされる変化が、今回は人権団体や政府の「外圧」によってもたらされようとしています。

 規制の方向性自体は、エロゲー購買層多数派の望んできたものと変わらないように見えるのですが、日本の場合はサブカルを好む層、オタク層が極右と重なる傾向が強いわけで、そうした人々は排外主義や人権への憎悪から、今回の規制に反発しているようです。日頃の主張を忘れて、ですね。

 極右サイドからのエロゲー擁護の中には、エロゲーなどのアダルトメディアの存在が、ガス抜きとなって性犯罪を抑制している、というものがあります。日本の性犯罪は少ないじゃないか、と。ただ、例えば強姦件数を見ると、日本より強姦件数が少ない国は軒並みイスラム教国だったりします。つまりレイプも「誘惑した女性の罪」になる社会でこそ性犯罪は少ない、同様に「女性にも落ち度があったのではないか」と政治家ですら口にするような国だからこそ、日本の統計上の性犯罪は少ないのです。「ガス抜き」の影響は希望的観測に過ぎません。むしろ保守的なエロゲーの性道徳観が、日本的なるものを育てている可能性だって考えられるのではないでしょうか。

 私が保守的と呼ぶところのエロゲー、端的に言えば「ハーレム型」なのですが、売れているのはそういうものです。作中で性行為に及ぶ(権利がある)男性は主人公一人、そして主人公を待ちわびるヒロイン達、ヒロイン達が主人公以外の男から触れられることは厳禁です(大手がそれをやったら、「地雷」とか「鬱展開」と呼ばれ、マジで脅迫状が送りつけられる業界なのです)。ヒロイン達の性は男主人公の後宮に留め置かれ、それが男女双方にとっても幸福なものとして描かれる、それが売上ランキング上位を占める主流派エロゲーです。「凌辱系」を規制してこういう世界観を残すとしたら、山谷えりりんのような父権主義者には望ましいかもしれませんが、人権団体にはどうでしょうね?

 ともあれ「凌辱系」のエロゲーは、そう滅多に売上上位には来ません。業界団体からすれば、切り捨てても大した痛みのないジャンルです。右翼団体が押しかけてくる前に、映画「靖国」を自主的に上映中止にする映画館が相継いだ一件が思い出されますが(参考)、大して利益にならないもののために批判を被るリスクを冒すより、強制的な手段が取られる前に「自主的に」業界側で規制してしまおうと、どうもそういう方向で話が進んでいるとも聞きます。日本のサブカルには、カウンターカルチャーとしての側面なんて微塵も存在しないですから。

 そもそも、エロゲー業界なんてニッチな世界です。誰もロクに知らないからこそ危険視される、規制論議もスムーズに進むわけですが、そんな小さな業界の、その中でも「売れない」ジャンルを規制することの意味ってどうなのでしょうか? そりゃ、時にはフィクションが悪い影響を及ぼすこともある、「凌辱系」のエロゲーに全く問題がないわけでもないのでしょうけれど、そこまで重大なものでもないような気がします。むしろ「小さい」上に「知られていない」からこそ規制もかけやすい、表現規制の第一歩としての意味合いの方が大きくなるような……

 

 ←エロは力です

 

 ちなみに、業界団体は速やかに自主規制を決定しましたとさ。人権団体の抗議は決して受け容れないのが美しい国の流儀ですが、エロゲー業界だけは例外のようです。 → 意思決定の早さだけは超一流

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「気持ち悪い」ですって

2009-05-30 23:11:49 | ニュース

「気持ち悪い」7割批判的 クローン食品に市民意見 内閣府、調査会で再審議へ(産経新聞)

 クローン食品を安全と結論づけた内閣府の食品安全委員会に、1カ月で172件の意見が一般から寄せられ、そのうち7割程度が「気持ち悪い」など批判的意見だったことが26日分かった。委員会ではこうした意見に配慮して、下部組織の専門調査会で、安全性評価について再審議を行うことを検討している。クローンをめぐっては、消費者の違和感や宗教・倫理面から反対論が根強く、委員会の審議も影響を受けた形になった。

(中略)

 その結果、寄せられた172件の意見のうち、「気持ち悪い」などクローン食品への反対・消極論や、「検討不足の点がある」など評価書案への批判が7割程度を占めた。評価書案に賛成する意見は2、3割だった。

 この結果を受け、委員会では厚労省への答申を延期し、専門家で構成する「新開発食品専門調査会」で評価書案の内容を再審議することを検討している。委員会では年間平均100件以上の食品・薬品の安全性を審議・評価し、答申前に一般意見を募集しているが、通常、意見は数件程度。専門調査会で再審議することもないため、今回は異例の展開。

 ただ、委員会関係者によると、評価書案の内容を根本的に覆すような科学的な指摘は一般意見でもなかったため、再審議しても、クローン食品の安全性を認める結論は変わらないとみられる。

 クローン食品をめぐっては、委員会は推進でも反対でもなく、厚労省の諮問を受け、安全性を科学的に検証・評価する立場。「気持ち悪い」などの感情論や宗教・倫理的な意見は「排除する」としてきたが、実質的にはこうした意見に配慮する形で、慎重審議を行うことになりそうだ。

 「気持ち悪い」からお断りなんだそうです。まさに宗教的と言えますね。一種の攘夷論とも呼べるでしょうか。食品安全委員会は科学的な検証・評価をする立場とのことですが、結局はこうした「国民感情」に配慮する方向に進むようです。国民の声、と言えば聞こえはいいですが、結局は「気持ち悪い」に端的に示されるように、何か正当な理由あっての拒否ではなく、私的な嫌悪感に基づく拒否感だから困ります。こう言うのを偏見と呼び、偏見に基づく排除を差別と呼ぶわけですが、一度その偏見が多数派の地位を獲得してしまうと、偏見を正そうとするよりも偏見に迎合した方が「国民の目線」と評価されるものですから、なおさら事態は深刻です。

 何より「クローン」と一括りにして扱うのが間違いでしょう。例えば黒人(orガイジン)の顔は全て同じに見えると言う人がいます。無理解に基づく偏見を通してみれば、そういうもののようです。あるいはゲーム機だって全く関心がない(というより偏見を持って蔑視している)人からすれば、どれも一緒の「ファミコン」でしょう。私の好きなヘヴィメタルだって、興味のない人からすればどれも同じ様な曲に聞こえるのかもしれません。一方で電車なんかはどれも同じように見えるわけですが、その道のマニアから見れば違いははっきりしている、そういうものです。理解があれば区別は付くが、無理解な人には見分けが付かない、そういうものなのです。

 そこでクローン技術はどうなのでしょうか? クローン技術の研究者にしてみれば、実に幅広い、多岐にわたる領域である一方、それに嫌悪感を抱き、「気持ち悪い」と拒絶している人からすれば、クローン技術など全て同じものに見えているはずです。そしてこの段階で「偏見」は形成されているわけです。

 「農薬を解禁すべきか、禁止すべきか」という議論があったとしたらどうでしょう? 普通はこう考えると思います――「農薬」と一括りに語るのはあまりにも乱暴、個別に検証して、安全なものと規制すべきものを分ければよいはずだ、と。クローン技術にしたって、本来ならそういう受け止められ方をしなければいけないはずです。ところが、少なからぬ人々にとって「クローン」とは一括りで容認か禁止、all or nothingの問題のようです。

 そもそもクローン技術は道具に過ぎないわけです。結果ではありません。そりゃ日本は結果よりも過程を重視したがる社会かも知れませんが、我々が口に入れるのは「結果」です。結果的に良いモノが出来れば、その過程でクローン技術が使われていようと豚由来の酵素が使われていようと大歓迎です、逆に結果的に健康を害するモノが出来たなら、いかに伝統的な手法で生産されていようと「お断り」です。ところが、大方の世論はそうではない、結果よりも過程を重視する、生産プロセスの中に自分達の倫理観、価値観、世界観にそぐわない道具が使われていることが許せない――その辺もまた、宗教的と言えますね。

 未知への恐怖、今まで触れる機会のなかった(その実、知らず知らずのうちに親しんでいるものですが)異文化への恐怖もあるでしょうか。既知の危険とは上手くつきあえても、未知の危険には過剰反応する、そういうものです。食品添加物やこれから生み出されるであろう新技術(クローン含め)の中には有害なものも当然あるわけですが、それ以前から存在する伝統的なもの、「天然」由来のものにも有害なものはいくらでもあります。アルコール、ニコチンにカフェイン、あるいは食塩や砂糖、カルシウムやイソフラボンだって、害になるときは害になる、深刻な健康被害をもたらすことはあるわけです。だからと言って、そこに排除の論理が振りかざされることはない、「適度な摂取を心がけましょう」というだけのことです。ところが、理解されていないものに関しては、科学的な根拠よりも嫌悪感に基づいてこそ恐れられる、「適度な~」では済まされないのです。

 クローン技術は、それが悪魔の技ではないのと同様、万能の魔法でもないですから、上手く行くこともあれば上手く行かないこともあるでしょう。それは伝統的な方法論と変わらないはずです。ただ、新たな可能性を「気持ち悪い」というような理由で潰してしまうのは感心できませんね。とかくノスタルジーや排他的なナショナリズムが幅を利かせがちな「食」の世界に関わることではありますが、伝統的なやり方に固執したところで、心を満たすことは出来ても胃袋を満たすことは出来ないでしょうし。

 

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目の付け所が違う

2009-05-29 22:59:25 | ニュース

年金受給、共働き・男単身世帯は現役の4割以下…厚労省試算(読売新聞)

 厚生年金の受給額について、厚生労働省がまとめた新たな試算結果が明らかになった。

 妻が専業主婦のモデル世帯では、政府・与党の「現役世代の5割確保」という公約が2050年度時点でも辛うじて達成できるものの、それ以外の世帯はすべて5割を切り、共働きや男性単身世帯では4割を下回る。さらに、いったん受給が始まった年金の実質価値が次第に低下し、現在65歳のモデル世帯の場合、10年後には月1万8000円も目減りすることがわかった。

 これはちょっと新鮮な発表ですね。相変わらず年金に関しては将来の目減りを伝える試算、報道が繰り返されるわけですが、力点がいつもとは少しだけ違います。なんでも働く夫と専業主婦のモデルでは「5割確保」できるものの、共働きや男性単身世帯では下回るそうです。女性単身世帯や事実婚世帯はどうなのかとか、そういうツッコミは留保するとして、とにかく「働く夫と専業主婦」世帯の年金支給額が多めということです。それはそれで問題ですが、新しい切り口が出てきたことは評価しましょうか。何しろ今までの論調ですと、判で押したような論じ方でしたから。例えばこちら、

年金給付額:世代間・世帯間格差 70歳6.5倍/30歳2.3倍--厚労省試算(毎日新聞)

 厚生年金受給額を世代別にみると、来年70歳となる1940年生まれの人は生涯に保険料を900万円納めるのに対し、年金はその6・5倍、5600万円を受け取る。片や今30歳未満の人は保険料の2・3倍止まり。来年45歳になる65年生まれの人でも、保険料負担は2100万円なのに対し給付は5600万円で、倍率は2・7倍にとどまる。

 全く同じ厚労省試算を報じているのですが、その見出しからわかるように、力点を置こうとしているポイントが全く異なります。読売は「新たに浮上した」問題点をクローズアップしたのに対して、毎日は「従来通りの」視点への拘りが強いようです。こっちの方が世代間対立に落とし込みやすいので、政府与党を守りたければこちらに注目を集めておくのが有効なのかも知れません。まぁ、これはこれで問題であり、未解決でもあるだけに無視はできないのですが。

  さて、年金とは全く無関係ですがもう一つ、力点の置き方が面白いと思ったのがこちらです。

イケメンひいき、自慢話ばかり…ダメ大学教師の実例ビデオ(読売新聞)

 イケメン学生をひいきする。自慢話で授業を中断する--。

 学生が不満を漏らすダメ教員をなくそうと、山形大など4大学の教職員や学生がビデオ「あっとおどろく 大学教師NG集!」を制作した。来月7日の大学教育学会で発表する。

 授業の質の向上に取り組む山形大の小田隆治教授が発案。静岡、東京工芸(神奈川県厚木市)、北星学園(札幌市)を加えた4大学の教職員が、学生の声をもとにダメ教員像を代表的なパターンに分けて脚本化した。撮影は山形大で行われ、学生約40人が出演した。

 論文の締め切りに間に合わなかった学生を厳しくしかる一方で、イケメン学生には「あなたの論文を待っていたの」と猫なで声を出すエコヒイキ教員、専門用語をまくしたてた後、ぼうぜんとする学生を「どうせ君たちにわからない」と見下す教員、家族の自慢話で学生をしらけさせる教員……。12の寸劇が次々と展開され、どんな点がダメなのか一目でわかる。

 イケメン役を演じた男子学生(21)は、「ビデオに出てくるような先生は実際にいます」と苦笑していた。

 内容は他愛ないものですが、見出しからもわかるように「イケメン」に力点が置かれています。サッカーファンからすればイケメンと言えばこの人しか思い浮かびませんし、メタルの世界でイケメンと言ったらこの人を指すわけですが、ともあれイケメン学生を贔屓する先生がいて、それがダメなんだそうです。これもまぁ、切り口としては新しいですよね。

 伝統的な論じ方をするなら、「美人を贔屓する」教員はいつの時代も問題視されてきたわけです(程度の多少はさておき)。そこでは暗黙裏に、品定めする側の教員として男性を、品定めされる側として女性を想定して語られるのが普通でした。実際、そういう関係が圧倒的多数、男女の役割が入れ替わっているケースはレアですから当然の帰結なのでしょう。しかるに今回の調査、贔屓される対象として「イケメン」と、明確に男性が想定されています。「あなたの論文を待っていたの」「やらないか」「ここは初めてか、力抜けよ」「布団を敷こう、なっ」と、そういう流れかも知れませんが、贔屓されるのが男性であるならば、贔屓する側として想定されているのは当然、女性なのでしょう。

 「可愛い女の子を贔屓する」と書けば、まぁそれが多数派ですから普通です。「美男美女を贔屓する」と書けば、まぁ隙がないでしょうかね。ところが「イケメンを贔屓する」となると、かなり恣意的なものを感じます。女性教員の方が多い小学校ならいざ知らず、なんだかんだ言って男性社会である大学の話なのに、ですよ。この調査を主導した小田隆治教授については何ら知るところではありませんが、男女平等の取り扱いや是正措置に「逆差別だ」「男性差別だ」と怒りを撒き散らすミソジニストの様な印象を受けます。きっと、夫から妻へのDVは気に留めないけれど、妻から夫へのDVには大仰に騒ぎ立てるタイプなのでしょう。男性教授による女子生徒の贔屓は素通りして、女性教授による男子生徒への贔屓を前面に掲げているくらいですから。

 

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お金を動かせ、お金は疲れない

2009-05-27 22:53:41 | ニュース

クルーグマン教授「給付金は0点だ」 与謝野氏と対談(朝日新聞)

 ノーベル賞経済学者で米プリンストン大のポール・クルーグマン教授と与謝野財務・金融・経済財政相が対談した。クルーグマン氏は定額給付金の支給について「0点だ」と指摘するなど、日本政府の景気対策に辛口の評価もした。

(中略)

 2兆円の定額給付金については「他の国で失敗している。米国では歴史的にみて給付金は使われず、ほとんど貯金される」と批判。省エネ家電への買い替えを優遇するエコポイント制度に対しては「評価は保留。現時点でポイントが何に使えるかわからないのに、ポイントが与えられる理由がよくわからない」とした。

 定額給付金は「0点」だそうです。こちらでkojitaken氏が紹介したところに拠りますと、高速道路の値下げに関しては「40点」との評価だったそうで、いかに定額給付金への評価が低いかわかりますね。そもそもこの定額給付金、野党支持層からは「選挙目当てのバラマキだ」と批判されがちな一方で、国民の生活よりも政府の財政を重視する自民党支持層からも「無駄遣いだ」と非難される、そんな不幸な代物ですから。方向性自体は、そんなに悪いものだとは思わないのですけれどね。

 クルーグマン氏が定額給付金を評価しない理由として挙げたのは「他の国で失敗している」「ほとんど貯金される」ということでした。台湾でも定額給付金と似たようなことをやって、それは大賑わいだったと聞いていますが、日本ではどうなんでしょう。「宵越しの銭は持たない」社会であったならば消費を増やす効果は高そうですけれど、消費を悪徳と見なす、何よりも倹約を尊ぶような社会では貯金に回る割合も高いでしょうか。

 せっかくの定額給付金を有効化させるためには、これを1回限りのことにするのではなく、定期的に支給することにしたら良さそうな気がします。日本の場合は極めて貧弱な社会保障もあって、将来への備えとしての貯蓄性向が異常に強いわけですが、確実な収入源が保証されていれば、その分は安心して消費に回せるようになりますから。膨大な事務コストを投じて一度きりの花火を打ち上げるよりも、3ヶ月毎に1万円支給、2ヶ月毎に2万円支給と、将来的なベーシックインカム実現への入り口とするなら、景気対策に加えて社会保障の不備を(少しだけ)カバーする役目も期待できるでしょう。政府筋やエコノミストは財源となると消費税増税しか視野に入れられないようですが、ベーシックインカムと組み合わせれば消費税の逆進性も緩和できますし。

 とはいえ笛吹けど踊らず、社会的なインフラが整ったとしても(なかなかそうはならないでしょうけれど)、国民が「モッタイナイ精神」を克服できない限り、消費は増えない、内需だって伸びないわけです。いくらお金があっても、それが貯め込まれるばかりで使われない限り(内部留保にせよ個人の貯蓄にせよ)経済は停滞します。だから何とかしてお金を動かす、「使わせる」ための知恵を絞らなきゃいけません。それを考えると、高速道路の料金値下げやエコポイントは幾分「日本向け」なのかも知れません。

 ほら、高速料金を値下げされても、高速道路を利用しない人にとっては何らメリットがないわけです。高速道路を利用しないと、値下げの恩恵は受けられない、一見すると不公平に見えますが、ここが重要なのです。値下げが行われたことで他の人が「得をしている」、そこから生じる「不公平感」、ここで高速道路を利用しないと「損をしている」、そう感じさせることが出来たら景気刺激策としては成功です。誰もが浪費は悪徳と信じているとしても、「損はしたくない」との思いから必要が無くとも高速道路の利用に走ることは十分に期待できるのではないでしょうか。そして必要がないドライブにも、高速道路を割安の料金で使用したことに「得をした」、いつもより安い金額を支払ったことで「節約した」気分を味わえるとなれば尚更です。節約が大好きな国民にお金を使わせるためには、「使うことで」同時に節約したかのような錯覚を与える工夫が必要なのです。

 そこでエコポイントです。省エネ家電を購入しないと、このポイントはもらえません。「ポイント分を差し引いて考えるなら」割安に製品購入できるこの制度、節約気分を味わいたい消費者にはそれなりの魅力があるような気がします。買った人だけが恩恵を受けられるからには、買わない人は「損をした」気分になる、浪費は避けたがる消費者も「損はしたくない」でしょうし、本来の値段より(ポイント分だけ)安価にモノが買えるなら、買えば買うほど「節約した」気分になれるわけです。実際に損か得かはさておき、消費者心理とはそういうものでしょう。実は必要がなかったにもかかわらず、格安の特売品を購入して、なんだか「得をした」気分になった経験は誰でもあるでしょう? 普段は1000円の商品を600円で購入して「400円分、得をした」と、そう錯覚するようなものです。

 だからエコポイントは日本人の感覚には合っていると思うわけです(エコロジーの面はさておき)。クルーグマン氏が指摘するように「現時点でポイントが何に使えるかわからない」というのはちょっとアレですが。じゃぁ、何に使えるようにしたらいいのでしょう。基本的にポイントは、それぞれ販売店の商品購入に割り当てられるもの、そこで国が定めたポイントであるからには、国が取り扱っている「商品」が妥当ですね。ならば――「国債」辺りはいかがでしょうか? これなら原資を最小限に抑えてお金を回すことが出来ますから……

 

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何が小泉や橋下の同類を当選させるのか

2009-05-26 23:02:22 | 編集雑記

 今日は他所様のブログを引き合いに、ちょっと思ったことを書いてみます。

「河村たかしと鳩山由紀夫」…THE FACTSと憲法審査会容認と九条と - dr.stoneflyの戯れ言

 名古屋市長選では民主推薦の河村たかしが開票前当確をはたし、ぼちぼちと市政をしているが、市長選最中ワタシはエントリーで「居酒屋談議のような公約をしている」ことと、「THE FACTSに署名している歴史修正主義者」であること、さらには「新自由主義」だろうことを書き、牽制した。さらには、民主と言うだけでFACTS河村を推す全国のブロガーを批判した。そしてFACTSが許せず、ワタシ自身はやはり「死に票」を投じた。

 ……私もまぁ、思うところは大体同じ様なものです。もっとも私は名古屋市民ではないので、河村たかし本人よりも専ら「民主と言うだけでFACTS河村を推す全国のブロガー」を論じる文脈でしか取り上げていないわけですが。

 で、ツレでありお客様であるW氏に何を叱られたかというと、名古屋市政と今直接関係ないFACTSにこだわるのはおかしい、官僚のためと箱物と大企業べったりのアホ市政を打破できるのは河村しかいない。自分も別に河村は好きではないが、とにかく今、アホ松原の金をドブに捨てるアホ市政を崩壊させなければならない、FACTSという一面もあるかもしれないが、人は変われるんだ、……と叱られたのね。う~~ん、毒をもってドクを制す、かぁ~。

 赤の他人である私が、公人でも何でもないdr.stonefly氏の知人を論じるのもナンですが、このW氏の見解には少なからず問題があります。要するにW氏の言っていることはアレですよね、今の政治状況を「どげんかせんといかん」から、その状態を「改革」するための「痛み」には目を瞑れ、と。こういう考え方が小泉を生み、東国原を生み、橋下を生み、そして同類である河村たかしを当選させたわけです。この手の「考え方」が変わらないことには、それこそどうにもならないような気がします。

 先日は手段が目的化している云々という話を書きましたが、また別の問題として「目的が手段を正当化する」パターンもあるでしょうか。構造改革が必要なのだから、その目的を達成するためには「痛みを伴う」方法論=手段もやむを得ないものとして受け容れられるべき等々ですね。しかし「目的」に正当性、必然性があったとしても、その目的を果たすためならば諸々の犠牲も許される、「犠牲」を省みないことが許されるのでしょうか? 仮にその犠牲が避けられないものであったとしても、「犠牲」を生まないように努力することは当然、求められてしかるべきです。

 ところが、しばしば起ることですが「目的」に対する熱狂は人々を盲目にします。「目的」を果たすことが最優先であり、そのための手段は問わない、いかに目的を実行できるかが全てになってしまう。そして「目的」を実現するための手段の是非を語ると、往々にして「目的」に反対しているのかと論難されるものです。例えば政権交代を目的とする場合――政権交代のための最短経路として民主党に票を集めろ、共産党は民主党に道を譲れと、こうした「手段」が説かれるわけです。そこで共産党/支持層は「手段」に対して異議を唱えます――その方法はどうだろうか?と。すると返ってくる答えはこうです――「お前達は政権交代に反対しているのか!」

 その辺まで至ると、おそらく「目的が手段を正当化する」というより「目的を掲げることで手段を正当化する」と呼んだ方が良さそうです。小泉/竹中の構造改革だってそんなものではなかったでしょうか。何でもかんでも「構造改革」のためと称して、無理を押し通していたものです。その「無理」に反対の声を上げれば、改革に反対する「抵抗勢力」と呼ばれたわけですから。錦の御旗で異論を封じ込める、そうやって「敵」を排除して権力を確立する、それも改革の一種なのでしょう。

・・・・・・

 後は細かいことになりますが、W氏の「名古屋市政と今直接関係ないFACTSにこだわるのはおかしい」というのも、ちょっと都合のいい発言ですよね。歴史修正主義者であっても、それを隠しているような人物であれば、市長在任中も継続して隠し通すかも知れませんが、河村の場合は歴史修正主義者であることを世界に公言しているわけであり、決してそれを改めていないわけですから。そして歴史修正主義者であることは、その人物が知的に誠実であると「期待できない」ことを保証するはずです。起ったことをありのままに受け止める人物であれば歴史修正主義者ではいられない、そうではなく、起ったことを「自分に都合良く解釈し、自分に都合良く塗り替える」人物だからこそ歴史修正主義者なのです。過去に目を閉ざす人であれば当然、眼前に展開される「現在」に対しても、歪んだ目でしか見ることができないわけです。「知的で誠実であればナチでは無い」「知的でナチであれば誠実では無い」「誠実でナチであれば知的では無い」という小ネタは哲学者のヤスパースが語った、あるいはドイツのジョークだとか、元はソ連のアネクドートの変形だとか言われますが、いずれにせよナチではなく歴史修正主義者にも当て嵌まるでしょう。

 それから「~を打破できるのは河村しかいない」というのもまた、小泉や橋下を歓迎した時と全く同じ言い分です。まず「とにかく現状はダメなんだ」という非常事態宣言から始まります。橋下の時は顕著でしたね。橋下や支持層だけではなく、メディアも一斉に「大阪の危機」を演出しました。そして「非常事態」であるからには「普通の人(政治家)ではダメ」→「多少の問題がある人物でも、何か型破りなタイプではないと危機を乗り越えられない」となるわけです。実際のところ、政治に特効薬があるはずもなく地道に問題を一つ一つ片付けていくしかないと思いますが、しかるに煽られた危機に狂奔する人々は、弱い薬ではもうダメだと特効薬に手を伸ばすのでしょう。そうして、劇薬を掴むわけです。それで失敗したら? いつものことです。「官僚(抵抗勢力)が悪い!」と。そうやって自分の選択基準など省みないわけです。

 

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仕事が上手く運べば暇になるものです

2009-05-25 22:49:34 | ニュース

なぜPCの利用時間の3割は「ムダ」なのか(プレジデント)

「『息抜きのために私用でネットやメールを使うのは、使った社員が悪い』というのは誤り。もっと深い原因がある」。そう話すのはキヤノン電子社長・酒巻久氏だ。

 PC導入以前は給湯室など社員のサボる場所は決まっていたが、ネットサーフィンが自席でできるようになり、一見しただけではサボっているか否かがわかりにくくなってしまった。

 キヤノン電子では、PC操作をリアルタイムで監視するソフトを商用化した。このソフトで就業中にネットやメールで遊んでいる社員をあぶり出すことができる。

 酒巻氏曰く、「調査すると、一般にPC利用時間の3割程度は私用で使われていることが多い」という。

 特に経営層や管理職までがネットで遊んでいる会社は、業績が悪くなりがちだ、と酒巻氏は指摘。「銀行から出向してきた人など、職務があいまいな人ほど遊んでいる」(酒巻氏)。

 この酒巻氏には「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」という著書があるそうですが、氏が社長を務めるキヤノン電子には当然パソコンがあるわけで、その代りに監視ソフトを常用しているようです。椅子は本当にないそうですね(参考)。それ以外に目を惹くのは「5メートルを3.6秒以内に通り過ぎないと警報が鳴る廊下」辺り、まぁいずれ氏のアイデアはどこかの収容所で採用されるのではないでしょうか。こうした環境に人間を閉じこめると、人間はサル以下に堕ちるようですが。

 まぁ、キヤノン製の監視ソフトなど使わずともサーバーのアクセスログなどからインターネット利用状況は割り出せるもので、その辺は解雇理由としてよく用いられるのはご存知のことと思います。普通はクビにしたい人を狙って監視する、目的があって監視するのでしょうけれど、キヤノン電子の場合は監視そのものが目的なのかも知れませんね。椅子に座らせず社員を立たせておくことに快感を覚える社長であるなら、社員を監視することにも喜びを感じるでしょうから。

 さて、私用でPCを使うのは「暇があるから」と引用元の記事の後半にあります。この「暇」をなくそう、社員の労働力を使い尽くそうとするのが日本式の効率化、「カイゼン」であるわけですが、それで業績が伸びるかどうかは微妙なところです。そもそも「仕事が上手く運んでいる」からこそ「暇になる」訳で、むしろ「暇がない」会社ほど無駄が多い、無駄が多いから仕事に時間が掛かり、それゆえ結果的に「暇がない」会社も多々あります。これを効率化すると、仕事に掛かる時間が減って「暇になる」訳ですが、この状態を「カイゼンすべきである」と勘違いする経営者も多くて、余計な仕事を増やして現場を混乱させる、まぁ珍しいことじゃありませんよね。

頑張らないから11年連続で増収増益(日経BP)

―― 売り上げが減るのは経営者にとって恐怖感のあることだから、普通は何とかして売り上げを増やそうとします。

 いや、その何とかするとか頑張っちゃうのが、やはり良くないんです。

(中略)

 輸出産業は大変でしょうけど、日本の売れ行きはそんな何割も変わっていない。全体で数%しか下がってません。うちは数%の落ち込みで全体がびびるような仕組みじゃない。

 確かに、既存店だけを見れば、なかなか伸びないですよ。ただ、よそよりはましでしょう。なぜましかというと、よそは普段売り過ぎているから(笑)。いつも、うちは普段売ってないからあんまり落ちないと言っているんだけど。

―― それはどういう意味ですか。

 頑張ってないからです。頑張って売り上げをつくってきた人は、こういう環境になった時にそれ以上の頑張りができないから、落ち込みが大きく出ちゃうんです。普段から無理をしていると、足元を揺らされたら厳しい。

 こちらはケーズデンキの社長の話です。ケーズデンキはケーズデンキなりの問題もあるのでしょうけれど、ここで文章に起こされている分に関しては、なかなか見所があるように感じます。ヨドバシやヤマダとは対極ですね。で、曰く「普段から無理をしていると、足元を揺らされたら厳しい」と。

 大半の会社がそうでしょうけれど、目先の利益を最大化することが求められる、今月は予算を達成したから、後はのんびりしていればいいや、では済まされないわけです。成果主義などといいつつ、「結果さえ出せば許される」会社などほぼ皆無でしょう。そうではなく、ノルマ達成だろうが未達だろうが、限界まで売上を伸ばすよう絶えず迫られる、営業の世界ではよくあることです。

 今月は売り上げ好調で予算を達成したから、後は無理に売り込みするまでもない、そうなると「余裕」「暇」が出てくるわけです。それこそネットサーフィンでもして時間を潰そうかというような。ところがこの「暇」をなくそう、くつろいでいる余裕があるならもっと売れと、普通の職場だったらそうなります。しかるにこれをやっていると、つまりいつも全力で営業していると、そこから先がないわけです。不況になってもそれ以上の余力がない、落ちていくしかない、「普段から無理をしていると、足元を揺らされたら厳しい」ことになるわけです。

 好況時にも無理をして大幅利益、不況時には無理が利かず大幅減益、あるいは好況時には余裕を持って小幅の利益、不況時には余力を活用して小幅でも利益確保、前者も後者も、もしかしたらトータルで見れば収支はトントンなのかも知れません。私には後者の方が、景気に振り回されて右往左往する無駄がない分、クレバーに見えますけれどね。

 

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運動はいかにして失墜するのか

2009-05-23 22:51:35 | 編集雑記

 昔々、家が貧しくて苦労している青年がいました。それでもいつの日か成り上がってやろうと苦学を重ね、ついには松下政経塾に入塾、時の為政者達と同様の価値観を身につけ、彼は政治家としての一歩を踏み出しました。しかるに自らが信奉する政府与党の門を叩いたものの、5代にわたる名門中の名門にして後の総理大臣である某議員から「キミのような貧乏人の小倅を日本の総理にはできないわなあ」と一蹴され、彼は挫折します。失意の中、やむなく野党第一党に合流、自民党に加わるのではなく、自らが自民党になることを目指すことになりました――民主党、前原誠司の誕生の瞬間です。

 ……というのは勿論、全部です。部分的に当たっている箇所はありますが、あくまで捏造です。でもまぁ、麻生だったらそれくらいは言いそうですし、政策面から判断すれば前原氏は生粋の自民党政治家に見える、ただ政治家の子供に生まれなかっただけ、そういうフシはありますよね。そんな前原氏が、先の民主党代表選では岡田氏を推していたせいなのか、前原氏の政策=自民党の政策に否定的な人の中には、岡田氏をも否定的に見る人が少なからずいました。あの前原が推しているからには、岡田も同類に違いない、と。

 確かに岡田氏にも微妙なところが多々あるわけですが、しかるに対立候補であり、結果として勝利した鳩山兄はどうなのでしょうか? 岡田とは反対で、実質的に小沢が推していたところが大きかったのかも知れません。前原が推す候補となると怪しいが、小沢が推す候補なら…… このように政権交代論者から際立って嫌われているのが前原であるわけですが(その反動で自民党筋や極右層からは一目置かれていたり)、しかし河村たかしや土屋たかゆきなど、言語道断な歴史修正主義者や極右扇動家は民主党内にも少なくありませんし、鳩山にしたって自民党と一緒に改憲を目指す仲です。それでも前原だけが嫌われるとしたら、ある意味で氏は民主党の問題を矮小化するためのスケープゴートの役割を果たしているのかも知れませんね。党そのものへの批判をかわすための。

・・・・・・

 手段と目的、理由と口実、この辺を区別すべきだと何度となく書いてきました。しばしば両者は入れ替わるものですから。

 「目的」が同じであれば、「手段」が異なっていても同志と呼べるでしょう。ところが、当初は同じ目的を共有していたはずの人々の中でも、手段が目的化することで次第に溝が生まれることがあります。例えばそう、昨今の政治情勢に対する問題視、後先を考えない企業優先の政策や目的としての軍事力行使(それが手段であるならば、もっと安価な方法が選択されていなければなりません)を止めるため、不利な立場にある人々でも安心して暮らせる社会の実現のため、そういう「目的」が共有されていたとしましょう。これが運動の第一段階です。

 次に、この「目的」達成のための「手段」が問われます。どうしたら? ある人はこう答えました「自民党にこれ以上、政権を持たせていてはダメだ、もっと他の党がタクトを握る必要がある」すなわち「政権交代が必要」だと。では、政権交代のためには何が必要でしょうか? ある人はこう答えました「最も政権交代に近い位置にある政党に力を託すのが有効である」すなわち「民主党を勝たせよう」と。私はもうちょっと別の手段もあると思いますが、まぁそういう考え方もアリでしょう。ちゃんと元来の目的を見据えていれば、ですけれどね。

 というのも昨今の政治ブログ界隈では、どうみても当初の目的を見失っているとしか思えない言論が目立つわけです。政治を良くするための手段としての政権交代ではなく、政権交代そのものが目的になっている、政権交代の手段としての民主党集中制が、いつの間にか民主党の勝利自体が目的になっている、そうとしか読めない言論が急速に増えています。かつては手段として支持した民主党なのに、いつのまにか(民主党を支持した)自分の正しさを証明するために躍起になっているかのように見えるケースもちらほら。こちらで書いた「トルシエサッカー」的なる状態に嵌り込んでいる政権交代論者も少なくないのではないでしょうか。

 アフリカの内戦ではしばしば、「どうして戦っているのか誰も知らない」場合があるそうです。ちょっと誇張されているかも知れませんが、そう言うこともあるでしょう。戦っているうちに、理由なんてどうでも良くなってしまうものです。ただ、目の前の勝利を目指すのみ、と。昔年の左翼運動の終末期って、たぶんこういうものだったのではないかとも思います。何のための革命か、そんなことはどうでも良くて、気がつけば自らの党派や組織の勝利のために戦っているわけです。

 私のように明示的に左翼を称していると、昔年の左翼的なるものの負の部分にも自覚的であらざるを得ませんが、逆に自称中道(=反左翼)やガチガチの民主党支持者(=反共産党)ですと、無自覚であるがゆえに轍を踏みやすいところもあるのではないでしょうか。自分はこれだけ左翼を否定している、共産党に批判的なのだから、その失敗とは無縁に決まっている、そう思いこんでいるかも知れませんが、実態は逆です。極右層の考え方がが北朝鮮や中国の政府と似るように、しばしば人は憎悪している対象と似るものです。ならば中道を称して、政権交代のために共産党は民主党に道を譲れと訴えているような人ほど……

 「クリーンな政治」の実現が目的であるなら、その手段として何を訴えるかはさておき、小沢一郎にも批判的にならざるを得ないはずですし、歴史修正主義に反対しているのなら、河村たかしの当選を喜ぶなど論外です。そして新憲法制定議員同盟が掲げるような路線での憲法改正に反対であるならば、言うまでもなく鳩山など話になりません。それでもその議員が「民主党だから」「政権交代のため」といって無批判になる、あるいは宗旨替えして擁護するのなら、その時点で間違いなく、当初の目的は失われているのです。それが元々の目的に矛盾しようとも躊躇しないわけですから。何のために民主党を推していたかなど、とっくに忘れているのでしょう。

 まぁ、所詮は狭いブログ界の話です。選挙の勝敗を決めるのは、もっと「軽い」人々の票なのでしょう。民主党支持(往々にして「自分は別に民主党支持ではないが」と中立ぶるものですが)の一部ブロガーがどれだけ迷走したところで、大勢に影響はないのかも知れません。ただ、当初は「目的」を共有する同志(私は共産党支持、彼らは民主党支持と目的実現のために選んだ手段は違ったにせよ)だと思っていた人々が、その目的を見失って「党の勝利」のため盲目的になっている様を見るのは、いい気分はしませんね。

 

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社会的には強毒性

2009-05-21 23:07:51 | ニュース

 今年は花粉の飛散量が多かっただけではなく、例年になく飛散期間が長いようで未だに花粉症の症状が治まりません。至る所で30℃を超える酷暑の中、マスクを付けるのも苦痛になってきたのですが、不思議と世の中にはマスク着用者が増えていますね。たぶん流行のファッションなのでしょう。

マスクが買えない 薬局空っぽ、ネットでは高値取引(朝日新聞)

 「マスク・パニック」のような状況が起きている。神戸で新型の豚インフルエンザの国内初感染が確認された16日から、兵庫、大阪を中心に店頭から消え始め、品薄地域は一気に全国に拡大した。入手方法はあるのか。入らなかったらどうすればいいのか。

 神戸市東灘区に住む会社員の女性(44)は20日朝、大阪へ向かう通勤電車で肩身の狭い思いをした。乗客の8割ほどがマスクをしていたのに、自分はしていなかったからだ。「非常識と思われているようで。でも、品切れで手に入らない」。大阪府豊中市の会社員の男性(37)は高松市の知人に買って送ってくれるよう頼んだが、「どこも品切れ」との返事。会社からマスク着用の指示が出ているのに「どうしようもない」。

(中略)

 インターネットはどうか。「楽天」では、在庫がある店舗でも、高価なマスクしか残っていないことが多い。ヤフーオークションでは「新型インフルエンザに有効」などとアピールする品に入札が集中。16日夜に出品された「医療用マスク」50枚1箱は64件の入札があり、開始価格1980円が1万7千円で落札された。神奈川、千葉、札幌など、感染が広がっていない地域からの出品がめだつ。

 マスク一箱が1万7000円で売れるみたいです(挙句の果てにはタミフルまで転売されているとか)。何しろ私は重篤の花粉症患者ですから、それこそ特売のティッシュやトイレットペーパーを買い込むような勢いでマスクを大人買いしているわけです。「余ってもどうせ来年、必要になるから」と常時100枚くらいはマスクを備蓄してます。わざわざオークションのIDを取得するのも面倒ですが、これを機会に小遣い稼ぎでもした方が良さそうですね。

「マスク」 新型インフルエンザで需要急増 予防効果なし!?「過剰防衛」(産経新聞)

 新型インフルエンザの感染拡大で、マスク姿の人があちこちで目立つ。手のアルコール消毒に加え、マスクの着用を求めるケースもみられる。しかし、日本などアジア諸国で見られるそのマスク姿も、欧米ではほとんど見られない。「予防対策にはマスク」という衛生習慣を持つ日本との認識のズレか。それともマスクには予防効果がないのか-。

(中略)

 予防アイテムとして、マスクの効果はどうなのか。新潟大学大学院の鈴木宏教授(公衆衛生)は「第一義的には(新型インフルに)かかった人が他の人にうつさないことに効果があり、自分に感染するのを完全に防ぐものではない」と指摘。さらに、「マスクを外すこともあり、鼻や口を完全に覆っていないなど正しい付け方をしていない人もいる。それより、せきをしている人が外に出ないようにすることが効果があるのではないか」と分析する。

 多くの人がマスクをつけて生活している日本。鈴木教授は「街中にウイルスがウロウロしているわけでもなく、みんなが(新型インフルエンザ)にかかるわけでもないのにマスクをしている人が多いのは過剰防衛に映る」。

 このインフルエンザを巡る日本社会の狂奔ぶりを見ていると産経新聞すらまともに見える昨今です。マスクでウィルスが防げないことなんて常識だとばかり思っていましたが、そんなことは委細構わず非常事態ごっこに没頭する人が続出しています。まぁ他人の趣味をとやかく言うつもりはありませんが、中には業務命令としてマスク着用を指示する職場も多いとか。まぁ会社ってのは「メラビアンの法則」に代表されるエセ科学の王国ですから、実際の効用なんて関係ないのでしょう。

 あるいは、マスクがネクタイのような役割に収まろうとしているのかも知れません。ネクタイそのものは何の機能性も有さない単なる拘束具ですが、この首枷を着用することで、そのコミュニティーの「常識」に沿った人間であることを示すことが出来ます(女性の場合は「化粧」が該当するでしょうか)。これと同様にマスクも「社会人/日本人の常識」として着用すべきもの、そういう地位を獲得しつつあるようです。

57年以前生まれに免疫か CDC、新型インフルで指摘(共同通信)

 米疾病対策センター(CDC)のジャーニガン・インフルエンザ部副部長は20日の記者会見で、57年より前に生まれた人の一部に、新型インフルエンザに対する免疫がある可能性を指摘した。さまざまな年齢層から採取した血液の分析で、57年より前の世代の血清から、新型インフルエンザのH1N1型ウイルスに対する免疫反応を示唆する結果が得られたという。

 こういう報道を見ると「新型」インフルエンザではなく「旧型」インフルエンザと呼びたくなりますね。あるいは「香港型」「ソ連型」に倣って「メキシコ型」くらいでしょうか。まぁ、恐れるに足りない、恐れるに足らないものですが、一方で「根絶」は不可能なものでもあるでしょう。もっとレアな病気だって、感染者0には出来ないわけですから。要は通常の季節性インフルエンザと同様に対処すれば済む話なのです。むしろ抵抗力の弱い高齢者に感染するリスクが小さいなら、もうちょっと気楽に構えて良さそうなくらいです。

 ところが、我らが美しい国(orとてつもない国)で行われているお祭り騒ぎは何なのでしょうか。昨年辺り(一昨年でしたっけ?)、結核が流行した際には、こんな騒ぎにはならなかったはずなのですが?

 新型インフルエンザの感染者は百人単位、しかるに結核の感染者は万単位です。あなたの隣に立っている人が結核患者である確率は新型インフルエンザ感染者である確率の100倍です。「当たる」確率には天と地ほどの差があります。症状の深刻さだってインフルエンザと結核では比べものになりません。それでも結核の流行には冷淡、インフルエンザの流行には熱狂する、全く妙な生き様です。

 一般に「既知の」存在より「未知の」存在の方が危険視されるものです。煙草と大麻、餅と蒟蒻ゼリー、囲碁や将棋などの伝統的な娯楽とテレビゲーム、製造業と金融業、往々にして毒性やリスクの多寡ではなく、それがどれだけ社会に根付いているか、そこが基準になります。危険性の度合いによって警戒されるのではなく、未知への恐怖からこそ警戒宣言は発令されるわけです。

 ところが、新型インフルエンザの場合は「新型」という「未知」の部分と「インフルエンザ」という「既知」の部分が融合、突然変異してしまったようです。たぶん、結核は我々にとって縁が遠すぎる、どれほど流行しても自分とは無関係なものとして無視されてしまうレベルだったでしょう。例えば少なからぬ日本人は戦争や武力行使に恐怖や忌避感を抱かない、むしろ戦争を肯定的な比喩として使う、軍隊を賛美するわけですが、これは戦争とは無縁だったから、リアルなものとして思い描けなくなって初めて可能になるわけです。同様に結核もまた、大半の日本人にとっては「ピンと来ない」話だったのかも知れません。リアルなものとして思い描けない以上、戦争が恐怖ではないように、結核もまた恐怖ではない……

 一方で「インフルエンザ」は実に身近な病気です。誰だって罹患するものです。だから「身に迫った」「自分にも感染の危険性がある」ものとして「リアルに」受け止められるのでしょう。そこで「インフルエンザ」の身近さと「新型」という未知への恐怖、この2つが相互に作用し合うことによって小さな危険が増幅されてきた、(人体ではなく社会に対して)強毒性に変容してしまったわけです。こっちの「毒」に対する抵抗力が――非常に弱い国もあるようですね。

 

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5/22追加、ご参考までに

「屋外でのマスク着用は不要」=他人への感染防止が目的-厚労省(時事通信)

 新型インフルエンザの感染拡大で品切れ状態になっているマスクについて、厚生労働省新型インフルエンザ対策推進室の難波吉雄室長が21日、記者会見し、本来の使用目的は予防ではなく、他人にうつさないことだとした上で、「人込みの少ない屋外などで着用する必要はない」と述べた。

 難波室長は「マスクは感染者のウイルス飛散を防ぐためのもの。せきが出るようだったら使用してほしい」と強調。予防目的の購入に注意を促した。 

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極左党は自己犠牲を賞賛しません

2009-05-20 23:05:27 | 編集雑記

 昨日のエントリなんですが、当初は「子供のために母親が犠牲になるのは仕方ない」という標題にするつもりでした。ただ、それですとあたかも私自身が「子供のために母親が犠牲になるのは仕方ない」と主張しているかに見えてしまいますので、土壇場で怖じ気づいて改題した結果がごらんの有様です。

 さて引用した記事で取り上げられた調査項目は「子供のために自分が犠牲になるのは仕方ない」というものでしたが、「自分」とは何を指していたのでしょうか? 「幼稚園・保育園児を持つ保護者を対象に実施」と銘打たれている一方で、その明細を見ると「母親」としか書いてありませんでした。調査対象に父親は含まれていないようです。すなわち、「子供のために自分が犠牲になるのは仕方ない」の「自分」とは「母親」を指すわけです。だったら、質問項目をこう書き換えても、意味するところは一緒でしょう。「子供のために母親が犠牲になるのは仕方ない」と。勿論ニュアンスは変わります。しかし、「自分」=「母親」なのです。指し示しているものは変わりません。

 ・・・・・・

 自己犠牲は安易に賛美されがちです。他人を犠牲にしてどうこうしようとする企てを激烈に糾弾する一方で、自己犠牲を讃えて止まない道徳家もいます。しかし両者に大した差はないと思います。どっちも、誰かを犠牲にしていることに違いはないでしょう。ただ一方には「自分の意思でやったことだ」との免罪符が付与されているだけのことです。

 その人の「自主的な」判断の結果ならば犠牲も許されるのでしょうか? たとえば「自主的に」児童労働に従事する子供や、「自主的に」自らの命を絶とうとする人のことを考えてください。そりゃ本人の意思もある程度までは尊重されるべきなのでしょうけれど、「当人自ら望んでいるのだから」といって何もかも望むがままにさせておくとしたら、それはやっぱりおかしいわけです。自己犠牲だって、そういうものだと思います。その人自身が満足しているとしても、やはり犠牲を生む行為は容認されるべきではない、阻止されるべきではないでしょうか。

 ・・・・・・

 子供のために自分を犠牲にする母親(あるいは何らかの目的のために我が身を省みず行動する人々)を悪く言う必要はないかもしれませんが、そうした母親を褒め称える人には一定の留保が必要だと思います。例えば働く子供を見て「この子は家計を支えるためによく頑張っている」と賞賛するとしましょう。この場合は当人の頑張りを認めているようでいて、その実もっと重大な問題から目を逸らしているわけです。往々にして美談は背景を霞ませるものです。

 子供のために自分を犠牲にする母親を「この母親は実によく頑張っている、まさに母親の鏡である」などと評するとしたら、その論者は暗に「自分を犠牲にしない母親」にも犠牲を要求しています。そして自己犠牲を賛美する人/組織/社会というのは、自己犠牲を「避けるべきもの」ではなく「そうありたいもの」として位置づけている、結局は他人に犠牲を期待しているわけです。そうしない人は賞賛に値しないわけですから(日本風に言えばサムライじゃないってところでしょうか)。そうならないためには、価値観の転換が必要ですね。自己犠牲が賛美されるのではなく、せいぜいが「自己犠牲」=「社会的貧困のバロメータ」に見られるようになるぐらいの。

 

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子供のために○○が犠牲になるのは仕方ない

2009-05-19 22:37:20 | ニュース

幼児のしつけ、熱心に=「子育て優先」の母増加-民間企業が意識調査(時事通信)

 就学前の子どもに読み書きや早寝早起きをしつける母親が5年前より多くなったことが、ベネッセ教育研究開発センターが2008年に行ったアンケート調査で分かった。「子供のために自分が犠牲になるのは仕方ない」との回答も増えており、子育てに対する意識が高まってきたようだ。

 調査は昨年9~10月、3~6歳の幼稚園・保育園児を持つ保護者を対象に実施。このうち、03年の前回調査と比較可能な東京都、埼玉、千葉、神奈川各県の母親3069人分を集計した。

 「規則正しい生活リズムをしつけている」と答えた割合は、前回調査に比べて14.3ポイント増の70.7%。「テレビゲームなどで遊ぶ時間を決めている」は11.0ポイント増の29.8%。食育への関心も強まり、「手作り料理を食べさせる」は9.9ポイント増の50.6%、「家族で一緒に食事する」は5.4ポイント増の48.2%となった。

 子供に平仮名・片仮名を週1日以上教える母親は6.4ポイント増の51.1%。数字・算数も6.1ポイント増の37.3%だった。 

 こういう調査、父親を対象に同じ質問で集計してみたら面白いと思います。母親と父親の意識の差が具体的にどう言うところで、どの程度かあるのかを明示してくれるでしょうから。ちなみに調査の<速報版pdf>は左記リンク先にて公開されています。時事通信が取り上げたポイント以外にも、ネタにできそうなポイントは色々とありますね、2003年の前回調査と今回調査とで「母親の就業状況」を見ると、フルタイム勤務の母親がわずか5年で30%程も減っている辺りとか(女性差別は「今はもうない」と言い切る人が目立つわけですが、立場の弱いところからクビが切られていくわけです)、語学教室系が減ってスポーツクラブ通いが増えている辺りとか(体育会系志向は強まるばかりですね)。

 で、引用記事でも指摘されているように、しつけにうるさい母親が増えた、「規則正しい生活リズムをしつけている」などその他諸々の項目に○をつけた母親が5年前と比べると全般的に増えているようです(pdfの4ページ参照)。この辺を理由に調査元のベネッセは「家庭でのしつけや教育を心がける母親が増えている」と結論し、時事通信は「幼児のしつけ、熱心に」と見出しに掲げたわけです。

 人間の体はナトリウムが不足すれば健康を損ねる一方で、逆に過剰摂取によっても高血圧など疾病に繋がりますが、このように少なすぎても多すぎてもダメ、というものがあります。そして現代では塩分不足より塩分の取りすぎの方を心配した方がいいですよね。では子育ての場合はどうでしょうか? 勿論、子供をほったらかしにするのも拙いわけですが、干渉しすぎるのも問題があるはずです。私にはむしろ、子育てに熱心になりすぎることの危険性の方が認識されるべきだと思われます。しつけに熱心だからこそ、思うように子供が育たないことへの苛立ちも強まる、熱心さに応えてくれない子供への怒りも高まるのではないかと。子供が思い通りにならなくても「ガキなんだからしょうがない」ぐらいの感覚を備えていないと、思い詰める母親が増えるばかりのような気がします。

 「手作り料理を食べさせる」「家族で一緒に食事する」、この辺が良いことなのかどうかも微妙なところです。社会通念上はそうなんでしょうけれど、なかなかそうも行かない人だっているわけです。自民党の偉い人はしばしば「子供を産むのは母親(女性)の義務」みたいなことを言いますが、「そうできない人」「そうしたくない人」を無自覚に咎め立てしているわけでもあります。「手作り料理を食べさせる」「家族で一緒に食事する」という項目にも似たような印象を受けますね。それが悪いこととは言いませんが、そればかりが子供のために出来ることでもないでしょうし。「こうあるべきだ」と型を押しつけるより、もうちょっと人それぞれのやり方を認めても良いように思います。まぁ、社会的な「こうあるべき」を無批判に受け容れる母親が増えているのかな、と。

 そして「子育ても大事だが、自分の生き方も大事にしたい」とする回答が減って、「子供のために自分が犠牲になるのは仕方ない」との回答が増えたわけです。たぶん、周囲が母親に要求するのは後者なのでしょう。父親が家族を顧みず仕事に没頭すれば美談ですが、母親が同じことをすれば非難囂々、ちょっとぐらいは息抜きをと子供から目を離した好きに事故でも起れば、やっぱり母親に対して非難囂々ですから。「子供のために母親が犠牲になるのは仕方ない」、そういう社会なのです。そういう社会に対して、より従順な母親が増加傾向にあると調査結果は示しているのかも知れませんね。

 

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