非国民通信

ノーモア・コイズミ

周りの大人が変わるべきと言える

2024-06-23 22:05:37 | 社会

 近年、理工系の学部を中心に「女子枠」を設ける国立大学が増えているそうです。その他にも「女性限定」で教職員の募集をするケースもあるようで、一部で話題にもなっています。後者に関しては、特に国公立の大学ともなるとコストカットが最優先事項である中「女性の活躍推進」みたいな旗印がないと新規での採用が許されないという話も聞くところ、教育への公的投資を惜しむ日本政治の帰結でもあるでしょうか。

 この「女子枠」が増える以前から大学には推薦枠も多く、十分な学力がなくとも入れてしまうケースはあります。その辺を批判的に見る人もいるわけですが、しかし勉強は出来ずとも要領よく周囲の評価を勝ち得るタイプの方が就職には強いことでしょう。大学のネームバリューは入試難度によって担保されることが多く、一見すると推薦組はそこにただ乗りしているようにも見えます。ただ実は要領の良い推薦組が就職実績の方で大学を牽引している、みたいな構図もあるのではないかな、というのが私の感想ですね。

 

「女子枠」国立大初採用から30年 名工大副学長「経過措置だったが」(朝日新聞)

 女子枠で入学した学生は、大学院への進学率が低いことも気になっています。就職状況が好調である以外に、女性は大学院まで行って学ぶ必要がないというバイアスがいまだ残っていると考えています。

 優秀な女性研究者、女性技術者を多く輩出するという状況には、残念ながら、まだまだ達していないと感じています。

 

 では女子枠についてはどうなのかというと、30年の歴史を持つ名古屋工業大学では入学する女性の割合を増やすことにこそ成功したものの、その先では成果が上がっていないようです。現実問題として学部によって男女の差は顕著であり、卒業後のキャリアにおいても男女で大きな隔たりがあります。それを是正しようとする意図は理解できるところですけれど、今のやり方は妥当なのでしょうか。女子枠で入学する人は増えても、卒業した先に繋がっているかと言えば明らかに不十分で、ここでさらに事実上の女子枠ポストを設ける動きも見られ……

 一時期のアメリカでは「我が社は人種差別をしていません」というアピールのために受付に黒人を置いていた、なんて話を聞いたことがあります。私の勤務先でも男性よりは少数であるものの女性の役員は一定数いて、会社HPにも掲載されています。ただ、そんな女性役員が有能かと言えば同僚の女性社員からも裏では非難囂々の無能であったり等々、まぁ男性役員も無能ぶりでは負けていないのですが、能力によって平等に登用された結果よりも社外へのアピールのために椅子を与えられている印象が拭えなかったりします。

 それはさておき「女子枠」に応募する要件は何なのでしょうか。やはり戸籍上の性別が重要なのか、それともLGBTQにも配慮して性自認によって選択することが可能なのか、この辺は気にならないでもありません。一口に「女子」と言っても要するに人口の半分ですから内訳は様々、文化的資本と周囲の理解に恵まれた女子もいれば、そうでない人もいるわけです。後者に関してはアファーマティブ・アクションの対象とされるべきと考えられる一方、前者はどうなのかという議論はあっても良さそうです。

 高齢者の中には富裕層もいれば貧困層もいるわけですが、そうした区別をせず高齢者をひとくくりにしてバッシングの対象とする類いの主張は大いに支持を集めています。富裕な高齢者に重く税を課し貧しい高齢者に福祉を厚くする──という区別は行わず、高齢者全体を富裕層に見立てて現役世代と対立させるような議論は幅広く受け入れられています。「女子枠」もそれに近く、女性の中でも置かれた環境の違いを考慮するのではなく、女性をひとくくりにするところに一つの本質があるのかも知れません。

 男性の方が進学に関して周囲の理解や協力を得やすいというのは、長年の進学実績から明らかです。しかし高齢者の全てが富裕層ではなく実際は貧困層も多いように、男性もまた文化的資本や周囲の理解に恵まれずに育った子は少なくありません。そうした男子から見れば、女子枠のために一般入試の椅子が減らされてしまうのは腹立たしいことでしょう。男か女か性別で合格枠を限定するくらいなら、出身地方や家庭の所得で枠を設けた方が公平感はありそうです。

 医学部入試を見れば分かるように、女性の受験者が理系科目を苦手とするようなことはなく、「その気にさえなれば」女子枠などなくとも女性が理工系の学部に進学することには何の障壁もないと言えます。問題はいかに「その気にさせるか」ですね。医学部でも外科医の道に進もうとする女性が少なくて問題視されたり等々ありますが、結局は能力ではなく本人の志向の問題です。本当は女性に下駄を履かせる必要なんてない、ただ女性の志向を変えるべきであって、そのためには女性を取り巻く環境を変えていくことがスタートなのだと思います。

 

女性起業家比率が高い中東、STEM進学率や学習習熟度の高さに見るポテンシャル(AMP)

サウジアラビアでは大学で理系学位を取得する女性の割合は50%ほどといわれている。ユネスコの調査では、イランの大学でSTEM(科学・技術・工学・数学)分野に進む学生の男女比率は女性が67%と圧倒的に高いことが明らかになっている。同調査によると日本は25%ほどにとどまっている。

(中略)

この現象について、Atlantic誌の取材が興味深い実態を伝えている。ヨルダンでは、男子生徒はそこそこの成績であっても、高校卒業時点で警察や清掃などの仕事を容易に見つけることができるが、女子生徒はそうは行かないという。親の目が厳しく、教師や医師などのプロフェッショナル職業のみが選択肢として与えられるというのだ。

そのため、女子生徒の多くは大学に行く必要があり、厳しい卒業試験を乗り切るために猛勉強をしているという。サウジアラビアでも状況は似ており、男性は一定の年齢になれば政府から仕事が与えられるため、学校で猛勉強するインセンティブがないという。

 

 実のところ、女性の権利が抑圧されているかに見える中東諸国では理系学部に進学する女性の比率が高いことが知られています。ここから何か学ぶべきところはあるでしょうか。日本の場合、非正規や一般職など昇進に縁のない仕事であれば女性の方が職を得やすいわけで、引用元で挙げられているヨルダンのケースとは真逆です。家計の中心は夫が担い、妻は補助的に働くのが理想ならば日本は良い国ですが、女性がビジネスで活躍できる社会を目指すのであれば日本は中東よりも立ち後れている部分があるのかも知れません。

 私が小学生の頃、休み時間は男子は校庭でドッジボールをするのがクラスのルールでした。時に理不尽な校則が巷の話題になったりもしますけれど、校則ならぬクラスのルールはどうなのでしょう。ともあれ「男子は」必ずドッジボールをやらなければならず、教室で本を読んだりすることは許されていなかったのです。こういう環境で育つと、男子よりも女子の方が勉強が得意になると考えられますが、でもそれは性別による適性の結果ではなく、周囲の大人の押しつけが隔たりを作り出しているだけです。

 子供は当然ながら、育っていく過程で家庭で周囲の大人から影響を受けます。周りがダメな大人ばかりであれば子供はステレオタイプに嵌って育つわけで、結果として理系の学部に女性は進学したがらなくなっているのが現状でしょう。そこで女子枠を設けて入試のハードルを下げれば、かろうじて学生だけは増やせるのかも知れませんが、その先に繋がっているかどうかは疑わしいと言わざるを得ません。多分、本当に変えるべきは大学の「枠」ではなく、受験生の周りにいる大人の態度です。

 男性向けのフィクションには、男の子っぽい趣味のヒロインが多いです。この辺の設定に眉をひそめる人は、特に女性の側には多いように見受けられますが、そう馬鹿に出来たものでもないように思います。むしろ典型的な「女の子っぽい」育ちだからこそステレオタイプに嵌って偏った進学先を選んでしまうのであって、「男の子っぽい」趣味嗜好で育った方が学部の偏りも減るのではないでしょうか。男の子にはお人形遊びをさせて、女の子にはゲームやプラモデルを与えるぐらいで良いのではないか、そんな気もしますね。

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