長時間労働、飲みニケーション…オッサン文化が日本をダメにする。筋金入りのオッサンを変えるには?(FNNプライムオンライン)
――とはいえ、自分がパワハラをしていることにさえ無自覚な、筋金入りのオッサンを変えるにはどうすればいいんでしょう?
青野氏:
お勧めはその人の下でもう働かないことですね。いま日本の企業で大問題になっているのは、人材を採用できない、採用しても定着しないということです。ですから社員がどんどん離れていけば経営者も変わらざるをえなくなる。それが僕は大事だと思います。“失われた30年”の理由の1つは「終身雇用」という考え方です。1社に入って長く勤める文化が、企業の変化を遅らせました。人生100年時代を考えると転職、副業や兼業をするスキルの方が大事ですね。
表題に掲げられているような「長時間労働、飲みニケーション」が害悪でしかないこと自体は同意するところですが、それを「オッサン文化」と定義して良いかは疑わしくもあります。以前に「いじめ」の成立要件として私は「周囲の支え」を挙げました。元から問題児として扱われている人間が誰かに暴行を加え、結果として処罰するのであれば非行でしかありません。しかし加害行為自体は同質でも級友の賛同や教員の黙認が加わると、「いじめ」として刑事罰の対象からは外れるわけです。
パワハラも似たようなところがあって、「会社の評価」が成立要件であると言えます。最初から問題社員として認定されている人が何らかの加害行為によって懲戒処分を下されるのであれば、それがパワハラと呼ばれることはないでしょう。会社から評価されて一定の権力を与えられてる人が誰かを傷つけてこそのパワハラです。その前段には必ず、ハラスメントを行えるだけの「パワー」がどこかで与えられている、という点に注目が必要だと思います。
問題のある人間に「パワー」を与える、すなわち社内での立場を強くさせる人事があってこそのパワハラです。加害傾向のある社員に「パワー」を与えないことこそが雇用側の責務と言えますが、上記の引用でインタビューを受けている青野氏は大企業の社長ですから、自社にパワハラが存在するのであれば責任を問われるのが筋でしょう。パワハラは「オッサン文化」のせいなのか、そうではなくハラスメント傾向のある社員に地位と権力を与えた側の問題なのか、少なくとも私は青野氏とは違う見解を持っています。
終身雇用が悪であると、30年ばかり言われ続けてきました。同じことを30年言い続けてきた結果が“失われた30年”ですから、その辺の認識にも何らかのアップデートが必要だと私は考えていますけれど、財界人の論調は私が子供の頃から何ら変わることがないようです。そして青野氏は同時に「日本の企業で大問題になっているのは、人材を採用できない、採用しても定着しないということ」と語もっています。さて──
もとより若年層の3割は入社から3年以内に離職するのが現状で、その割合は緩やかな増加傾向にあるわけです。ただ、雇用の流動化とはそういうものでしょう。なんだかんだいって若ければ転職先は見つかるもので、生産性の低い会社から生産性の高い会社へと転職を考えるのは至って自然なことです。日本国内のどの会社も若い人材を欲しがるのならば、他社に移るために辞める若者は増えるのが当然、若年層の雇用流動化は避けられないと言えます。
一方で「終身雇用」が悪であると認定する人の望みはどこにあるのでしょうか。終身雇用の否定を換言すれば、すなわち終身「ではない」雇用です。つまりは「若い間だけ」雇用したい、水商売と同じようなものです。しかるに我々の社会では経験より若さの方に価値があるだけに、年齢が上がるほど転職は難しくなります。紐では押せない──市場の需要に乏しい中高年ほど会社に止まる傾向が強まるのは必然です。
現実問題として年齢が上がるほど転職先は頭脳労働から肉体労働へとシフトする傾向があります。若い人は頭を使って働き、老いた人は体を動かして働くことが求められているわけですが、その合理性はどれほどのものでしょうね。中高年社員が転職することも多い介護・福祉や運輸関連は社会的な必要性が高い反面、賃金水準は他業種よりも低いことが一般的です。
人件費を低く抑えるのが“失われた30年”における国是のようなものでしたから、実績の乏しい若者を安く雇用し、実績を積み上げて昇給した中高年には低賃金の業界に転職してもらう、というのが日本の財界人の理想なのかも知れません。ただ公然と経営側の都合の良い思惑を語るのは憚られることでしょうから相応に切り口も変わる、だから「1社に入って長く勤める」ことを悪玉視し、給料が上がる頃には辞めることが世のためであるかのように語るわけです。