非国民通信

ノーモア・コイズミ

良い政策ほど撤回される

2024-09-08 21:16:45 | 雇用・経済

 さて自民党と立憲民主党のトップ争いが本格的に始まりました。率直に言って誰が勝っても日本社会にとってプラスにはならないと判断するほかないですが、それでも新総裁誕生で総理大臣が代替わりすれば、内閣支持率は一時的に上昇するのでしょう。政策の根本的な方向性は変わらずとも顔ぶれさえ変われば国民の期待は高まる、それが日本の失われた30年間で続いてきたことだと言えます。

 ただ一つだけ肯定的に評価したかったのは石破が持ち出し、そして速やかに撤回された「金融所得への課税強化」です。悪い政策ほど断固として決行されるのとは裏腹に、たまに良い政策が出れば政財界とそれに迎合する人々のからの非難が巻き起こり、容易く撤回されてしまいますね。消費税など逆進性の強い税は撤廃し、富裕層優遇の根源になっている金融所得にメスを入れるのは格差是正のためだけではなく日本経済の発展のためにも欠かせないのですが。


“1億円のカベ”の崩し方 (富裕層と金融所得課税)

 こちらは所得層別にどれだけの所得税が課されているかを表したグラフで、1億円を超えるところから課税率が低下してくことが示されています。何故こうなるかというと日本は分離課税が徹底されており、給与所得などには累進課税が行われているものの金融所得は定率かつ低率であることから、給与所得が中心を占める1億円未満の階層は年収に応じて課税率が上がっていく一方、金融所得が中心になる年収1億円超の層は課税率が低下していくためです。

 つまりは金融所得が多い、投資に回せる資金を多く持っている階層ほど税制面で優遇される仕組みであり、これが格差の拡大や固定化にも一役買っています。公平性の観点からも、そして格差が経済の停滞を招いていることを是正する意味でも分離課税から総合課税への移行は避けられない、金融所得への税制優遇を停止していくことは日本社会が前に進むためには絶対にやらねばならないことです。

 富裕層優遇の税制によって恩恵を受けている層からは、当然ながら反発を受けることになります。石破のごとき政治家が思いつきで金融所得への課税強化を口にしたところで、それを現実にするだけの実行力は期待できません。そしてさらなる問題は、富裕層優遇税制の恩恵とは縁遠いはずの「庶民」の間からも反対の声が大きかったことでしょうか。ボロは着てても心は錦と言いますが、とかく我が国の有権者は経営者目線、為政者目線、富裕層目線でしか物事を考えられない人が多い、その弊害が強く出たわけです。

 月収20万で消費も20万なら、消費税は約2万円が課されます。月収2000万で消費が200万なら、消費税は約20万円が課されます。これで富裕層の方が消費税を多く負担しているのだと主張すれば、立派なエコノミストのできあがりでしょうか。そして金融所得への課税も同様で庶民も富裕層も課される税率はNISA枠などを超えたところは同じ、だから金融所得への課税が抑えられていることは庶民にもメリットが大きいのだと、そう主張すればもう立派な経済の専門家です。

 「勤労から投資へ」、それが岸田政権の大方針でした。給与所得の大幅な引き上げが望めない中、金融所得だけにフォーカスした倍増計画が大きく掲げられ、優遇枠が拡張されるなど庶民が投資に走ることを国策として奨励してきたわけです。要するに「真面目に働いても豊かになれないけれど、何とか種銭を作って投資で儲けてください」というのが政府のメッセージであり、労働よりも金融商品の転売の方に価値を置くものだと評価することが出来ます。

 そもそも日本企業にしてから人件費増や設備投資を惜しみ内部留保を積み上げるばかり、異例のマイナス金利が延々と続く中で資金調達需要は乏しく、むしろ余剰資金を海外資産の購入や自社株買いに回している傾向が鮮明です。庶民がなけなしの懐から金融商品を買うようになったところで、その結果として日本企業が栄えることはありえません。個別の破綻企業はともかく全体の合計として日本企業は資金調達に困っているどころか、むしろダブつかせているのが現状なのですから。

 ただ、岸田政権下の投資奨励策は日本国内株に対象を限定するものではなく、外国株を買っても適用されるものでした。結果として、アメリカの株高を日本の庶民の投資が支える一助になったとは言えるのかも知れません。宗主国への貢献、という意味では岸田は目的を果たしているとも考えられます。アメリカの世界戦略のために軍拡路線へと大きく舵を切った、日本国民がアメリカ株に投資するよう誘導した、「主人」から見れば岸田内閣は実によくやっている扱いになるのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弊社でも起こり得ること

2024-06-09 21:43:44 | 雇用・経済

 じゃんけんのグーで勝ったら「グリコ」と叫んで3歩進む、チョキで勝ったら「チヨコレイト」と叫んで6歩進む、パーで勝ったら「パイナツプル」と叫んで6歩進む、ずっと昔から伝わる子供達の遊びです。勝った手によって進める歩数が違うことで単純なじゃんけんとは異なる駆け引きの要素が生まれる──等と言えば格好が付きますけれど、どうにも私の住む地域では独自の発展を遂げているようで、じゃんけんや歩数の要素を切り捨て、その場に立ち止まってひたすらに「パイナツプル」と絶叫し続ける遊びへと進化していたりします。子供達にとっては駆け引きなんて興味ない、ただ単純に大声を張り上げることが楽しいのでしょう。

 そんな知名度抜群のグリコですが、看板商品であるプッチンプリンなどチルド商品が4月より軒並み出荷停止となっており、2ヶ月を経た今もなお復旧時期は明らかにされていません。発端は4月3日からのグリコ社基幹システムの切り替えにあると伝えられています。このシステム更改は2022年に交代した新社長の肝いりのプロジェクトだったそうで、グリコ社内でどんなことが起こっていたか、ありありと想像できるところです。

 結果として2ヶ月を超えてグリコの一部商品は欠品継続中、既に売り場の棚には他社の商品が陳列されています。このプロジェクトはコンサルティングファームのデロイトトーマツが指揮し、「SAP S4 HANA」へと移行するものであったそうですが、この責任はどこに問われるのでしょうか。SAP社の製品は私の勤務先でも幾つか導入されていますけれど、例外なく品質が悪くどの部署からも歓迎されていません。それでもSAP製品を根付かせるために利用サポートの専任チームが作られたりもしていますが、もうちょっとマトモな他社のサービスを選ぶ良識があれば、こんな無駄は省けたはずです。

 一方デロイトトーマツに関しては職務上で直接の関わりはないものの、同業他社は私の勤務先にも入り込んでおり、業務の攪乱に勤しんでいます。いかにコンサルの影響を最小限にとどめ、職場を守るかに苦心させられるところですが、しかし問題のコンサルは幹部社員の強い推薦でねじ込まれたもののため、社員の声よりもコンサルの提言の方が優先順位が高かったりします。コンサルが阿呆な改革案を提示する、社員がコンサルの案を何とか実現させ、そこで生じた歪みの尻拭いをする、最後にコンサル主導の改革の成功を上長が役員に報告する──これが我が社のサイクルです。

 グリコも、実際に業務を回している社員であれば誰一人としてデロイトトーマツに指揮を任せるようなことは望んでいなかったことでしょう。しかし同様に社長もまた、現場の社員に主導権を与えるようなことは望まなかったのだと思います。新社長としては、むしろ社員の抵抗を振り切って改革を成功させる、そんな実績が欲しかったはずです。だから社外のコンサルに権限を持たせて必要のない変革に大枚を叩いた、グリコに限らずどこの会社でも普通に見られる光景ではないでしょうか。

 結果としてグリコの場合は大惨事を招いています。株主の批判は社長に向かうかも知れませんが、しかし社内ではどうでしょう。往々にして、社長や役員の信頼は社員ではなくコンサルの方に寄せられるものです。コンサルを招いて事態が悪化したのであれば、その責任はコンサルではなく現場の社員にある、よりコンサル主導で物事を変革していく必要がある、世の中そう考えられがちです。だからグリコの場合も、社内では「コンサル以外の誰か」が責任を問われていることと推測されます。デロイトトーマツは正しいことをしているのに、上手くいかなかったのは何故なのか──デロイトではなくグリコ社内のシステム担当者の方がより厳しい立場に置かれている可能性が高いです。

 プロスポーツでもフロントが大金を投じて獲得した選手の起用が優先で、勝手に伸びてきたユース上がりの選手は蔑ろにされる、なんてことがよくあります。「上」の人間が己の実績を作るためには、そうするしかないのでしょう。社員が現場の創意工夫で事態を改善させたとしても、そんなものは会社役員の業績にはならないわけです。「上」の人間がやりたいのは「自ら」ねじ込んだコンサルによる改革であり、まさに「自分の」業績を作ることです。その結果として現場に即した声ほど蔑ろにされ、太鼓持ちコンサルの浸食を許すことになる、グリコの失敗は決して他山の石ではなくどこの会社でも起こりうることと思います。

 

・・・・・

 

6/11追記

 間が悪いのかどうか分かりませんが、グリコの「一部商品」は6/25から出荷再開予定と発表されました。ただしプッチンプリンなどは相変わらず未定だそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何が給料を引き上げるのか

2024-04-07 23:09:30 | 雇用・経済

 さて連合などの発表によれば「定期昇給を含む」賃上げ率は5%を上回るところが多い、中小企業でも4%台後半が平均なのだそうです。私の勤務先も定期昇給を含めた賃上げ率は結構な高い数値となっていますが──残念ながら誰もが定期的に昇給するわけではなく、昇進するのは一部の人に限られる、微々たるベアの上昇で我慢せざるを得ない人もまた多いのではないでしょうか。私も成果手当に関しては決して悪くない評価をもらっていますけれど、入社当時と大差ない給料のまま働き続けています。

 ここで私は思ったのですが、御用組合の連合傘下にある企業と、戦う組合が多数派を形成している企業、そして組合のない企業と、それぞれ賃上げ率に目立った差はあるのでしょうか? 大企業と中小企業という会社規模に分けて賃上げ率は発表されていますけれど、組合の方向性の違いや有無による分類があるのなら、それは興味深いところです。

 時には組合の要求に対する満額回答どころか、組合要求を上回る賃上げ率を発表する企業もあります。あるいは組合が会社のイエスマンで、微々たる賃上げでも「苦渋の決断」であっさり受け入れてしまうケースもあります。一般には組合がなければ会社への要求を通しにくいとされるものですが、しかし組合のない企業の賃金水準が組合のある企業に比べて大きく劣るかと言えば、同程度の事業規模であれば顕著な差はありません。賃上げと組合の因果関係はどこまで実存するのか、そこも気になります。

 かつてヘンリー・フォードは低コストな自動車生産で市場を席巻しましたが、それは日本企業が得意とする人件費削減によるものではなく、むしろ大幅な賃上げを行っていたわけです。フォードは賃上げだけではなく1926年には早くも週40時間労働を取り入れるなど労働時間の削減においても時代の先端を歩んでいたと伝えられます。しかしフォードは一貫して労働組合の結成には否定的で、フォード社における組合の完全な結成は社長の代替わりを待つしかありませんでした。

 組合潰しのためには暴力の行使すら厭わなかったヘンリー・フォードが、従業員に対しては同業他社を大きく上回る賃上げを提示してきたことは、賃上げのメカニズムを考える上で興味深い例と言えます。組合側は当然のこととして賃上げを自らの成果と誇るところですけれど、しかし組合がなければ賃金が上がらないかと言えばそうでもありません。労働者の代表として組合の存在意義がなくなることは考えにくい一方で、本当に組合が役目を果たせているのかは問われるべきものがあるでしょう。

 また新卒社員の初任給に関しては、5%どころではない大幅な賃上げが発表されるケースが相次いでいます。既存の社員は1万円の賃上げでも大幅アップなのに、新卒初任給は3万アップ、5万アップ、なかには8万アップなどという企業も出ているわけです。こうした企業の中には一定の勤続年数を重ねた社員よりも初任給の方が上回る事態も発生しているようで、確かに勤続10年の私の給料よりも高い給与で新卒を募っている会社が今となっては珍しくない、何だかなぁと思います。

 新卒社員の初任給の引き上げもまた、組合の要求によって実現されたものではないはずです。組合が会社と微々たる賃上げを巡ってプロレスを続けているのを尻目に、若い社員を確保したい会社は初任給ばかりを大きく引き上げているわけで、ここでもやはり組合の有無なんかよりも会社側のニーズや市場原理の方が人件費を動かすのだなと意識させられます。雇用側からすれば何も知らない新卒の若者の方が勤続20年の氷河期中年よりも価値がある、そう思ったら組合の要求などなくとも賃金は(一方だけが)上がる、そういうものなのでしょう。

 採用抑制が絶対の正義だった時代に入社した人々は20万程度の横並び初任給から昇給とも無縁で働き続けてきた一方で、企業が若い子の確保を競う時代に入社した人々は最初から25万、30万と景気の良い給料を提示されています。もっとも世界に目を向ければ10万円以下の月給で働く人もいる、パートタイムの外国人労働者でも日本円で50万円以上の月給を得られる国もあるわけです。高い給料を得るために必要なのは組合の交渉でも本人の努力でもない、時と場合の巡り合わせが最も大切なのだと断言する他ありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に孤立しようとしているのは

2024-03-31 22:15:30 | 雇用・経済

林官房長官がロシアを非難 国連北朝鮮パネル延長めぐる拒否権行使(朝日新聞)

 林芳正官房長官は29日の記者会見で、国連安全保障理事会で北朝鮮に対する経済制裁の履行状況を監視する「専門家パネル」の任期延長が否決されたことについて、「遺憾だ」と語った。拒否権を行使したロシアを「理事国の重責に反する」と非難した。

 パネルの任期は4月30日までで、延長には決議の採択の必要があった。常任理事国で北朝鮮との関係を深めるロシアが28日の安保理会合で拒否権を行使し、パネルの活動停止が決まった。

 林氏は専門家パネルについて、「関連安保理決議の実効性を向上させるための重要な役割を果たしてきた」と評価。ロシアの対応を「国連および多国間主義の軽視であり、グローバルな核不拡散体制を維持するという安保理理事国としての重責に反する行為で残念だ」と強く非難した。制裁の完全履行に向けて、「米国、韓国をはじめとする同志国とこれまで以上に緊密に連携しながら、更なる対応を検討していく」と語った。

 

 イスラエルを巡ってはアメリカも国連で拒否権を行使したばかりですが、それを日本政府が非難したという話は聞きません。林官房長官曰く「理事国の重責」とやらが存在するらしいですけれど、これは果たして全ての理事国に等しく課されるものなのでしょうか。ある国が拒否権を行使したときは沈黙を守り、別の国が拒否権を行使したときは政府の代表が公然と相手国を非難する、両者の違いをまずは説明する必要があるように思います。

 アメリカによる拒否権の行使については黙認する一方で、アメリカの傘下にない国による拒否権の行使を認めないのであれば、それこそ国連の存在意義を否定するものです。異なる立場の国々が話し合うからこそ国際的な枠組みには意味があるのであって、アメリカという特定の国の見解だけを優先するのであれば、わざわざ国の代表が集う必要などありません。アメリカの意向に付き従うだけならば、国連ではなくワシントンから指令を受け取れば済む話でしょう。

 ともあれ結果として日本は「米国、韓国をはじめとする同志国とこれまで以上に緊密に連携」と、今まで以上に身内での排他的な結束を高めていく方針を表明しています。日本からすればアメリカとその衛星国こそが「国際社会」であって、「同志国」の間で連携できてさえいれば国際協調ということになるのかも知れません。しかし現実には日本の思い描く「国際社会」は少数派に過ぎず、とりわけアジア地域においては顕著である、かつての経済や軍事面での先進的地位も失われつつある中、本物の国際社会から日米欧が孤立していると言った方が現実に近いところすらあるはずです。

 フィンランドとスウェーデンが正式にNATO入りし、これをロシアの戦略が裏目に出た結果だと囃し立てる論者は少なくありません。しかし元からアメリカの衛星国に過ぎなかった国が中立の建前を捨てただけとも言えますし、逆に非NATO諸国の関係はどうなったかも考えてみる必要があるように思います。今回の引用に現れているようなロシアと北朝鮮の関係強化などを見るに、むしろ非NATO諸国の連携が強まっている、日米欧の一層の地盤沈下を招いているところはないでしょうか。

 アメリカを再び偉大な国とすべく、バイデン政権は自国に従属しない国々との対決姿勢を強めてきました。結果として日米欧の排他的結束は大いに強まりましたけれど、それ以上にアメリカに傘下に入らない国々の関係を深める結果を招いているとも考えられます。元来ロシアからすればNATO諸国もビジネスパートナーであり、その意向には気を遣わねばならないものでした。しかし日米欧からの一方的な非難を前に「吹っ切れた」ところがあるわけで、これまでアメリカとその衛星国との関係に配慮して控えてきた国々──イランや北朝鮮など──との協力関係を深めているのが現状です。

 中国からしても、ロシアとは互いに牽制し合う相手であって、必ずしも友好的な関係ばかりではありませんでした。むしろ空母の調達などソ連時代の兵器技術の入手ルートであるウクライナの方が関係性は深かったとすら言えます。しかし同様にアメリカからの一方的な非難や不当な制裁を科され続ける中で、生存戦略としてロシアとある程度までは協力せざるを得ないところまで中国が追い詰められているのが実態ではないでしょうか。

 つまり世界をアメリカの敵と味方へ明確に線引きしてきたバイデン外交が、アメリカに従わない国々の結束を深める結果を招いている、実態として非ドルでの決済も急速に広まりつつあり、「アメリカ(及び衛星国)なしの」独立した国々の連合が浮かび上がりつつあるわけです。そして現在のところ日本の外交はバイデン政権へ全面的に乗っかっている状況ですが、支離滅裂なトランプが大統領の座を取り戻せば、恐らく日本は「はしごを外される」結果になることでしょう。そうなったときアメリカの尖兵として振る舞ってきた日本は周辺のアジア諸国とどう向き合うのか、必然的に問われることになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定期昇給とはなんぞや

2024-03-24 22:20:20 | 雇用・経済

春闘の賃上げ率、2回目集計も5・25%と高水準…中小は4・50%(読売新聞)

 連合が22日発表した2024年春闘の第2回集計結果(21日午後5時時点)によると、平均賃上げ率は前年同期比1・49ポイント増の5・25%だった。15日に公表した初回集計の5・28%とほぼ同じで高い水準を維持している。

 賃上げ率は、基本給を底上げするベースアップ(ベア)と定期昇給を合わせた額で集計した。回答数は1446組合で、初回から倍増した。ベア分は3・64%となる。賃上げ額は4825円増の1万6379円で、ベアは4668円増の1万1262円だった。

 大手に続き、中小企業の交渉が始まっている。組合員数300人未満の企業の賃上げ率は1・11ポイント増の4・50%だった。初回集計の4・42%よりもわずかに上昇している。

 

 さて春闘も結果が揃いつつありますが、これまでに比べれば随分と良い数値が並んでいるようです。大企業であればベースアップと定期昇給を合わせて平均5.25%、中小企業でも4.5%とのことですので、このペースが続けば多少は希望も見えてくるでしょうか。私の勤務先の親会社グループも今年は業界平均を上回る賃上げを行ったらしく、その企業名が紙面を賑わせたりもしていました。しかるに組合から渡された資料に記載の賃上げ額とメディア報道で伝えられている賃上げ率がどう一致しているのか、今ひとつ私には分からなかったりします。

 私の勤務する企業グループの場合、純粋にベアと呼べる基本給部分については数百円程度の増に止まり、比率としては「ほぼ0」でした。一方で評価に応じて支払われる成果給については8000円超のアップだそうで、これをベースアップに含めて良いのかどうか疑問に思うところですが、平均的な評価であれば恩恵にあずかれるとは言えます。これに家族構成に応じた扶養手当の増額を含めると総額で1万円に到達する計算になり、大幅な賃上げを勝ち取ったと、組合はそう誇っているところです。

 単身者も今は珍しくないだけに、扶養手当を満額で計算して成果をアピールする組合の姿勢には疑問を感じないでもありません。でもパワハラ上等で接待漬けの古い体質が抜けない御用組合からすれば、結婚して世帯を持ち家族を養う、それが「普通」なのでしょう。ともあれ組合の公表するモデルケースでは1万円の賃上げ、一応は私が入社して以来の最大幅ではあります。しかしメディアの報道によると、勤務先グループの賃上げ率は組合の誇るよりもずっと大きいらしいのです。

 冒頭の引用のように、賃上げ率はベアと定期昇給の合算で発表されるのが通例です。私の勤め先の場合も、組合の発表額に「定期昇給」を追加すれば新聞やテレビで報じられているような賃上げ率に合致するものと推測されます。ただ定期昇給の「定期」とは、「誰でも定期的に」という意味ではありません。社員としての等級が一つ上がった場合の昇給分と組合のアピールする賃上げ分を合算すれば、だいたいメディアで伝えられている賃上げ率に近い計算結果が得られます。しかし昇進しなければ「定期昇給」分などないわけで、この場合はどういう計算になるのでしょうか?

 近年、初任給ばかりを大きく引き上げようとする会社も見られるようになりましたが、それまでも初任給は横ばいが基本で少なくとも下がっては来ませんでした。ただ初任給が維持されてきたにも拘わらず、日本で働く人は30年前よりも貧しくなってしまったわけです。それは結局のところ入社した後の賃上げがなかったからで、昔は入社10年もすれば給料は倍になった、一方で氷河期の採用ともなれば入社10年でも新人時代と大差ない給与のまま据え置かれているケースが珍しくありません。定期昇給が重なっていれば親世代と同じ程度の賃金を得られたはずの人が、定期昇給とは無縁で入社当時と変わらない賃金で働き続けている、日本が貧しくなった原因はそこにあるように思います。

参考、年功序列でないことだけは確かだ

 もちろん私の勤務先でも昇進を重ねる人はいます。そういう「定期昇給」を重ねる人であれば、報道にあるような大幅な賃上げと矛盾しないのでしょう。しかし、長く働いていても昇給の機会から遠ざけられている人もまた少なくありません。その場合はメディア上で流布される華々しい賃上げ率とは大きくかけ離れた給与しか得られないわけです。長く真面目に働いていれば定期的に昇給する、そんな仕組みがあれば社員も希望がもてる、仕事へのモチベーションも上がるのでしょうけれど、現実は真逆です。人件費を減らして内部留保を積み上げる上では効果的であったのかも知れませんが、その結果として日本社会はどうなったのか、日本の経済的地位はどうなったのか、顧みられるべきものは少なくないと言えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これを機に悪法を撤廃してはどうか

2024-03-17 21:59:41 | 雇用・経済

アマゾン、ふるさと納税に来春にも参入へ 仲介競争さらなる過熱か(朝日新聞)

 ネット通販大手のアマゾンが来年春にも、ふるさと納税の仲介事業へ参入することを調整していることがわかった。仲介市場は現在、楽天など国内4社がほぼ占めており、自治体向けに設定する手数料も高止まりしている。外資系の巨大プラットフォームが参入すれば、競争環境に変化が起きそうだ。

 今年に入りアマゾンから提案を受けたという複数自治体の関係者によると、同社は「アマゾンふるさと」というサービス名で専用ページをサイト内に開設すると説明しているという。2025年3月にサイトをオープンする予定とし、「早割プラン」など他社よりも低い手数料や独自の配送サービスをアピールしている。

 

 これまでふるさと納税の仲介市場は楽天など国内4社がほぼ占めていたそうですが、アマゾンが参入予定とのことで局所的に話題になっています。早くもアマゾンには勝ち目がないとみられているのか競合する国内の仲介事業者の株価が軒並み下がっているとも言われるところ、高止まりしていた仲介手数料が引き下げられることに繋がれば自治体の支出は減るでしょうか。国民の納税額は変わらないのに仲介手数料と返礼品の費用の分だけ自治体の税収を減らすのがふるさと納税の仕組みでしたけれど、これを機に見直しが図られれば、少しは世の中がマトモになるのかも知れません。

 アマゾンが儲かっても日本社会が豊かになるかと言えば微妙ではあります。ただ、筆頭に挙げられている楽天など国内の仲介事業者が儲かれば(アマゾンの場合とは違って)国民の生活が楽になるかと言えば、決してそんなことはなかったわけです。どうしても外資であるとそれだけで反感や警戒感も生まれますけれど、国内企業であっても中抜きビジネスにはもう少し厳しい目が向けられても良いのではないでしょうかね。

 

ふるさと納税厳格化のその後 仲介サイトはノーダメージ、憤る自治体(朝日新聞)

 ふるさと納税の経費ルールが昨年10月に厳格化され、自治体が返礼品や人件費の費用削減に追われている。手数料の引き下げを仲介サイトに働きかける動きもあるが十分に進んでいない。仲介サイト事業者の間では、返礼品を提供する企業からも手数料をとる「二重取り」の仕組みが新たに広がるなど、規制側とはいたちごっこの状態だ。

 「仲介サイトへお金が流出する割合が増えただけ。『サイト栄えて地域滅びる』だ」

 

 こちらはアマゾン参入が話題になる1ヶ月ほど前の記事ですが、仲介者が「日本の会社」であっても問題は大きいことが伝えられています。根本的には、ふるさと納税という制度に救済の余地がない、ふるさと納税という悪法を続けている限り歪みは大きくなるだけで、そこに外資の参入を阻んだところで救いはありません。まぁアマゾンという外資への反感が導火線になって制度そのものに疑問が持たれるようになることが、最も世の中を好転させるルートになるような気がします。

 地方の財源をどうにかしたいのであれば、地方交付税を拡充すれば済む話です。しかし自己責任を奉じる我が国は、ふるさと納税という制度を作り、各自治体の自己責任で税金の獲得競争を行わせています。そんな税金の奪い合いの勝者にばかり光が当てられている現状ですけれど、ふるさと納税を集めるためのコストは決して小さいものではない、積極財政派の自分から見てもムダ以外の何物でもない支出が増えていると言わざるを得ません。

 そしてふるさと納税で「選ばれなかった」自治体の税収は当然ながら減ってしまうわけです。これに限らず市場競争における敗者の存在を無視しがちな我が国ですけれど、いくら無視したところでその存在が消え去ることはありません。日本社会全体の底上げを図るためには自己責任と自由競争ではなく、対象を選別しない分配こそが必要であって、それはふるさと納税とは対極に位置するものです。もちろん対象を選別しない分配ならば事務的なコストも安く済む、仲介事業者を介在させる必要もない、何もかもがメリットと言えます。

 しかるに国民に歓迎されるのは自己責任と自由競争による格差であり、敗者を救済「しない」ことの方でした。ならば楽天その他の仲介事業者がアマゾンとの競争に敗れて衰退していくとしても、それは自業自得として受け入れるのが筋なのだと言えます。結果としてアマゾンが市場を独占し、その後に仲介手数料が大きく引き上げられる可能性もあるわけですが、そうなったときには改めてふるさと納税の全廃を議論したら良いのではないでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巷で喧伝されるほど投資が儲かるなら

2024-02-04 22:16:04 | 雇用・経済

 安倍内閣時代には何度か、公的年金の運用で損失が発生したとの報道を見かけました。そら見たことか、株価が上がっても良いことはないのだと、したり顔で評する人もいたものです。ここには複数のミスリーディングが含まれており、どこから語って良いところか迷うところでしょうか。

 当たり前ですが、世の中で起こっていることの全てが報道されるものではありません。紙面に載るケースもあれば、載らない話もあります。例えばロシア軍の損失は大々的に報道される一方でウクライナ軍の損失には露骨に言及を避けるメディアも多い、反対にロシア民間人の犠牲はフェイクニュースと切り捨てつつウクライナ民間人の犠牲については一面に持ってくる等々、情報は取捨選択されるものであり、時にそれが読者・視聴者に誤った印象を与えるものとなっているわけです。

 犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになると言われます。公的年金の運用に関しも、利益が出てもニュースにならないが、損失が出ればニュースになるところがあったのかも知れません。結局のところ一時的に損失が膨らむことはあっても長い目で見ればプラスになっているのが実態で、株価上昇による庶民への恩恵は限定的であるにせよ、少なくともマイナスではない、ぐらいが妥当な評価でしょう。

 そして個人の資産運用も公的年金の運用も同じではないか、と私は思うのです。つまり「長期的に見れば収益は上がる」が、「状況により損失が膨らむこともある」と。これが公的年金のように一時的な損失など痛くも痒くもない、損失を取り戻すためにさらなる投資を行えるような立場であれば、資産運用は有効であると言えるでしょう。一方で投資で損が出るとライフプランが狂う、損を取り戻すためのさらなる資金を調達できない人にとっては、リスクのある活動と判断できます。

 新型コロナウィルスの感染拡大で航空会社や旅行会社などは大きな打撃を受けましたが、これを2019年の段階で予測できた人はいないはずです。未来は誰も分からない、どれほど市場を分析したところで予期せぬアクシデントによって投資先が破綻してしまうことは一定の確率で起こります。運が良い人は世界経済成長の恩恵を受けて資産を増やすことが出来るかも知れない一方で、運の悪い人は疫病の拡大や自然災害など人知の及ばない要因で損をする、それは防ぎ得ないことです。

 我が国では投資に関する税制優遇措置が次々と進められています。いわば「勤労から投資へ」と国策的に推されているわけですが、いかがなものでしょう。勤労所得ではなく資産所得の方を税制面で優遇してしまえば労働へのモチベーションを下げる結果に繋がりますし、投資に回せるだけの資産を多く持っている人ほど得をする、格差を広げる方向に作用する政策と言えます。そもそも巷で喧伝されるほど投資が儲かるならば、まず公的年基金の運用を増やして、その結果を国民に還元すれば済むはずです。

 国が年金を運用して資産を増やし、それを年金加入者に還元する、国民の生活を考えるならばこれで完結します。しかるに日本独自の「新しい資本主義」では年金を当てにせず個人で投資して稼げと、そう唄われているわけです。岸田内閣による庶民を投資へと誘導する政策は、国民の生活を公共が支えるのではなく、個人の自己責任によって担うものへとシフトさせていく、そんな強いメッセージが込められているように見受けられます。

 (金融政策で)日銀まで株を買い、皆さんの年金の金で株を買っているのはご承知の通りだと思いますけれど、株を政府が買い支えをしている。値段をつり上げている。その結果、日本における最大の機関投資家は、日銀まで含めれば政府です。政府が最大の株主である国って、社会主義じゃないですか。安倍さん、日本を中国にしたいんじゃないかと思います。社会主義化をさせているとしか思えない。

 これは、立憲民主党の当時は代表であった枝野幸男による2018年の発言です。曰く年金で株を買うのは社会主義であり「日本を中国にする」振る舞いとのこと。年金で株を買って、それで年金を増やして国民に還元すべきと言うのが上述の通り私のスタンスですが、こと経済政策面では自民党以上に立憲民主党とは相容れないものを感じます。野党第一党が自民党以下という有様では、選挙という名の多数決を通した社会の好転を望むのは難しい状況と言わざるを得ません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雇用流動化における「プッシュ型」と「プル型」

2024-01-28 21:57:24 | 雇用・経済

 今回の北陸の地震で、岸田総理が「プッシュ型の支援」云々と語っていました。その支援が十分なものであるかどうかは議論の余地を残すものですが、「プッシュ型」があるからには「プル型」もあるのでしょう。この「プッシュ型」と「プル型」、使われる場面次第で指し示すところは一定でもなさそうですけれど、雇用の流動化を巡っても対照的な分類が当てはまりそうに思いました。

 一般論として日本国内の若年層における雇用流動化は「プル型」と呼ぶことが出来ます。若年層を対象とした求人は充実しており、労働市場から「プル」されている、求人環境に牽引される形で若年層の雇用が流動化しているわけです。新卒で採用しても3年以内に3割が辞めてしまうと雇用側の嘆きも聞かれるところですが、若者には転職先も十分にある以上、そこは企業側が引き留めに努力するほかないと言えます。

 もっとも政財界からは雇用の流動化は経済成長に繋がると、肯定的に発信されてきたわけです。ならば新卒で採用された若者がすぐに会社を辞めて別の職場に移ってしまうことは、もっとポジティブに受け止められなければ整合性がとれません。全年代で雇用の流動化を促進したいのか、それとも若年層は職場に定着させつつ、「若くなくなった人」の雇用を流動化させたいだけなのか、この辺を具体的に語る論者を私は見たことがないです。

 若年層の雇用流動化が「プル型」であるのとは対照的に、若くなくなった人──すなわち中高年は「プッシュ型」であると言えます。中高年向けの求人は至って限定されており、基本的には市場からの需要は乏しい、一方で雇用側は中高年の追い出しを望む傾向にあり、それは即ち退職へと背中を押す「プッシュ型」で雇用流動化を図っているわけです。若年層は他社からの「プル型」で、若くなくなった人は勤務先からの「プッシュ型」で、雇用流動化が進んでいるといえますが、それは全く別のものでしょう。

 政財界が推し進めているのは後者の「若くなくなった人」を対象とした「プッシュ型」の雇用流動化であり、若年層の「プル型」の雇用流動化はむしろ嘆いているのが実態です。プル型の方こそ健全な市場競争の結果と考えられますが、必ずしも我が国は市場原理に肯定的ではない、むしろ人為的に競争を抑制して雇用側優位の環境維持に腐心しているところもあるでしょう。それもまた、(一部の人にとって)理想の世界を作るための努力ではありますが……

 一口に「雇用流動化」が必要である云々と説かれるとき、その内容が「プル型」であるのか「プッシュ型」であるのかは問われるべきです。「プル型」の雇用流動化は健全な市場競争の結果であり、私は良いと思います。一方で「プッシュ型」の雇用流動化は若くなくなった人=中高年=子供を育てている最中の世代の収入を不安定化させるものでしかなく、日本社会全体の経済活動を停滞させるものです。この30年間の世界でも類を見ない日本経済の凋落の要因の一つには、「プッシュ型」に偏りすぎた雇用流動化があるのではないでしょうかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代の申し子

2024-01-07 22:04:45 | 雇用・経済

11万人分の情報持ち出しか 国委託事業、パソナ元派遣社員(共同通信)

 独立行政法人「中小企業基盤整備機構」は26日までに、助成事業の事務局を委託していた人材派遣大手パソナの元派遣社員に貸与していた業務用パソコンから約11万人分の個人情報が持ち出された可能性があると発表した。元派遣社員が業務で知り得た企業に対して補助金の申請を有料で支援するとメールで持ちかけていたことが分かり、調査の過程で発覚した。

 同機構によると、持ち出された可能性があるのは「中小企業等事業再構築促進事業」の補助金が採択された約7万5千事業者(約11万人分の氏名などを含む)の情報。元派遣社員が保存、閲覧していたほか、ファイルが外部に持ち出されていたことが確認された。

 

 私の勤務先でも実務は業務委託先の派遣社員が担っているところが多く、まぁ日本中どこも同じようなものなのだろうな、と思いました。では実務は委託「先」が引き受けるとして、委託「元」の会社の人間は何をやっているかと言えば「変革」が主たる業務でしょうか。例えば従来は内製していたものを外注し、代わりに外注していたものを内製に切り替えるなど、飽くことなく変革を求める経営層の求めに応じて成果をプレゼンし続けるのが本社社員の役割と言えます。

 こうした変革の繰り返しによって経営層を満足させることには概ね成功しているように思うところではあるのですが、結果として日本は内戦状態にある国と同レベルの低成長を達成しました。私の勤務先と同様に不毛な変革ごっこを繰り返しているだけの会社も多いのか国内シェアでは上々の地位をキープしてこそいるものの、その国際的な地位は30年前に比べて凋落が顕著で、まぁ何が間違っているのかは考えるまでもない状況でしょうか。

 ともあれ私の勤務先グループでも、個人(顧客)情報の管理を業務委託先の派遣社員に丸投げしているところは少なくなく、ここで引用したパソナと同様の事例は他でも普通に起こりうるものです。ただ厳格な管理が求められる個人情報であろうとも、直接雇用の正社員に実務を担わせるのは無駄と、そう感じている経営層は多い、どのような事件が起ころうとも、そこは変わらないように思います。代わりに行われるのは監視体制の強化ですとか実効性のないルールの追加ぐらいのものでしょう。

 ちなみに私の勤務先の話を続けますと、近年は急速に副業に関する規定が緩和され、簡単な申請で通るようになりました。昨年の春闘は会社側の完勝に終わるなど賃金の引き上げには消極的な我が社ですが、その代わりか副業で稼ぎやすい環境作りに力を入れているようです。報道される「パソナ元派遣社員」も本業とは別に個人での営業活動を行っていたようで、これは無許可であるのかも知れませんが、「賃金を抑制する代わりに副業を容認する」私の勤務先グループに当てはめれば、賢い行動であったと考えられますね。

 そもそも岸田内閣の方針からして「資産所得倍増プラン」であって、決して本業の稼ぎを増やそうとするものではないわけです。より多く投資するだけの「資産」を得た人ほど儲けられる、そんな社会を現政権が築こうとしている中では、「真面目に本業に従事するよりも、何か別の手段で資産を築く」ことが現代日本を生き抜くための方策にならざるを得ないと言えます。ましてや派遣社員とあらば仕事で成果を上げても自身の給与が上がる可能性は皆無に近いわけです。そこで職務上で知り得た情報を駆使して個人営業に走った人がいたとしても、果たして道を誤ったのは誰なのかと問いたくもなります。

 一見するとGDPが低く見える国でも、実は捕捉されない地下経済が盛んで意外に住民は裕福な社会もあると言われます。日本のGDPは諸外国に次々と追い抜かれていく状況ですが、しかし地下経済の規模はどうなのでしょう。闇バイトや転売、売春など公的な統計に表れにくい経済活動は日に日に身近なものとなりつつあります。「表」の仕事を地道にこなしても給料は上がらない、その代わりに投資で儲けてください、というのが国策になっている中では、「裏」の仕事で投資に回すための資産を獲得しようとする人が増えたとしても必然ではないでしょうか。今回のパソナの一件も、個人が時代に適応しようとした結果だと言うほかありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

打つべき手は明らかなのだが

2023-12-10 21:30:40 | 雇用・経済

介護現場、働き始める人を離職が初めて上回る 担い手不足が危機的(朝日新聞)

 介護職から離職する人が働き始める人を上回る「離職超過」が昨年、初めて起きていたことが厚生労働省の調査でわかった。この傾向が続けば人手不足はいっそう深刻化する。高齢者数がほぼピークとなる2040年度までに介護職を69万人増やす必要があるとされるが、先行きは厳しい。

 厚労省の雇用動向調査によると、入職率から離職率を引いた「入職超過率」は22年に介護分野でマイナス1・6%に。マイナスは「離職超過」を意味する。慢性的な人手不足が続いてきた分野だが、離職超過となったのは今の方法で調査を始めた09年以来、初めて。

 

 いわゆる団塊ベビー世代が要介護者になる2040年度までには69万人の増が必要との目論みと伝えられていますが、早くも介護職員は離職超過に転じてしまったそうです。これまでは曲がりなりにも就業者を増やしてきた分野であったものの、その必然的な綻びは誤魔化し続けられるはずもなく、(まぁ介護に限らず日本の就業環境全般に言えることですが)根本的なところからの方針転換が求められていると言えます。

 日本国政府の経済対策の一環としては介護職の賃上げも含まれており、その額はなんと「月額6000円!」と一部で話題にもなりました。物価上昇に追いつくことが出来ていないとは言え、2023年の全産業平均では3.6%の賃上げが行われたとも報じられており、月6000円の賃上げですと他業種の賃上げには遠く及ばない、今まで以上に介護職員が経済的に厳しい状況に置かれることは避けられません。

 「賃金水準は何によって決まるのか」と考えたとき、比例関係にあるものの一つには「就職難易度」が挙げられます。就職が難しい仕事は給料が高く、就職が容易な仕事は給料が低い、もちろん例外はあるにせよ当てはまるケースは多く、介護職はまさに典型でしょう。(仕事を続けることは難しくとも)人手不足で就職することが容易な業界は、往々にして給料が低く抑えられている、それが当たり前のこととして社会に受け入れられている傾向があると言えます。

 もし仮に「社会的な必要性が高い」ことと給与水準が比例するのであれば、介護職は高級取りになる、逆にコンサルタントなどは最低賃金が当たり前になると考えられます。ところが往々にして社会的な必要性と給与水準は反比例する、世の中に欠かせない職種ほど低い賃金で募られているのが現状で、そこで志のある人々がより報われる仕事を目指せば目指すほど、介護職の従事者は不足し、社会を支えるインフラが維持できなくなるわけです。

 もし世の中に介護職がいなかったなら──年老いた両親は「現役世代」が自らの手で世話をしなければなりません。高齢者向けの福祉の縮小は、その子世代すなわち現役世代の自己負担増に繋がります。ただ現役世代のなかには「たまたま」親が元気でいるから何もしなくて済んでいる人、あるいは親の介護を別の兄弟や配偶者に押しつけている人も少なからずいるわけです。そうした人からすれば親の介護は他人事、介護職のありがたみなど理解できないのでしょう。

 高額報酬が約束されれば、性産業にだって人は集まります。周りが羨むような高給が保証されれば、介護職だっていくらでも人は集まるはずです。しかし現実は賃金抑制が続いています。単純な市場原理が働くならば需要が供給を上回るときは価格が上がる、不足する介護人員を獲得するべく給与水準は上がらねばなりません。しかるに「そうさせない」力が働いているのが現状と考えられます。

 公共性の高い分野に独立採算制の発想を当てはめようとすると、何が起こるでしょうか。どれほど社会的な必要性が高くても採算が合わないのであれば、人件費を筆頭にしたコストカットか値上げが選択肢になる、介護の場合は前者が選択されていると言えます。しかし、消防や警察、自衛隊はどうなのでしょう。彼らは、何の収益も上げていません。それでも世の中に必要と見なされているからこそ相応の賃金が設定されているわけです。では介護は? 世のため人のために働いているのならば採算性とは別の観点から給与水準が定められるべきと言えますが──我が国では一部の聖域を除けば公共サービスにも独立採算を求めたがるわけです。

 また人材確保の手段も給与水準による健全な市場競争によってではなく、「選択肢を奪う」ことが主流になっている節も見受けられます。もちろん志を持って介護職を主体的に選択する人もいるところですが、そんな奇特な人だけで必要数をまかなえるはずもありません。しかし給料は上げたくない、そこで「介護士か就職先がない」状況が作り出されれば、薄給のままでも「他に選択肢がないので仕方なく」介護職に応募してくる人も出てくる、それが現状ではないでしょうか。

 実際のところ、年齢を重ねるほど転職先や再就職先は限られる、ホワイトカラーでの就職は困難になります。シニア向けの求人は肉体労働ばかり、しかも低賃金のものばかりです。若い間であれば(少なくとも介護よりは)楽で給与水準の高い就職先が選択肢として普通に存在します。しかし世間の経営者が欲しがるのは若い人材ばかり、敢えて中高年を採用しようとする会社は多くありません。中高年でも採用してくれるような職種となると低賃金の職ばかりで、その一つが介護職になっているところは否定できないはずです。

 介護職の低賃金には様々な要因がありますけれど、それは意図して作られたものでもあるようにも思います。中高年は会社のお荷物と政財界がキャンペーンを繰り広げ、そうしてホワイトカラーの世界から追い出すことで介護職へ人を誘導しようとしている、これが政府や経済誌の言う雇用の流動化でありリスキリングなのではないでしょうか。介護職は一種の流刑地をも兼ねており、そうなると志のある若い介護士の賃金も巻き添えで抑制される、誰もが不幸になるような手口が国策として続いている印象です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする