非国民通信

ノーモア・コイズミ

読者の皆様の勤務先はどうですか?

2022-01-09 22:46:33 | 雇用・経済

 先週は「何事も正しい現状認識があってこそ」と書きました。現状認識が間違ったままでは、誤診したまま処方箋を出すようなものです。もっとも現状認識の重要性までは大半の人に受け入れられると思いますが、では現実に向き合っている人がどれだけいるかと言えば、そこは少数派に止まる、現実よりも信念に沿って動く人の方が多いのではないでしょうか。

 アメリカでは先の大統領選挙で不正が行われた、本当の勝者はトランプであると信じる人が結構な割合に上ると伝えられます。選挙不正については全く根拠のない陰謀論に過ぎませんけれど、信者にとって事実関係は重要ではないわけです。それはキリストの復活を信じるのと同じことで、実際にそうであるかよりも自身が何を信じるかという選択の方がずっと重いと言えます。

 経済に関しても、事実とは矛盾する信念が世を覆っているところがあります。グローバル化で働く人が貧しくなる、経済成長によって格差が拡大する、成熟段階に達している先進国はそれ以上は成長しない──いずれも現実世界で起こっていることとは相容れませんけれど、それを信じている人もまた少なくありません。現実よりも、人は自らの信念を大切にするものです。

 そして日本の経済、とりわけ雇用分野を巡る言論で槍玉に挙げられる第一は「新卒一括採用」でしょうか。これが悪習として、日本経済の停滞を招いた戦犯であるように言われ続けたまま長い年月が経過しています。ある種の定番として、新卒一括採用の否定は経済誌の枕詞になっているとも言えますが、それは果たして正しいのか現実を振り返る必要もありそうです。

 読者の皆様にも就労している方は多いと思いますが、お勤め先の採用形態は新卒一括採用でしょうか、それとも中途・通年採用でしょうか。私の勤務先は、中途・通年採用です。ただし私の勤務先の親会社は新卒一括採用です。グループ内の他企業の採用情報を見ても、上位の会社は軒並み新卒一括採用で、末端の会社は中途・通年採用となっています。

 どうして親会社は新卒一括採用なのに、子会社はそれに倣わないのでしょう。理由の一つとしては「できない」ことが挙げられます。何しろ親会社と異なり子会社の方は離職率が高いため、年間を通じて人員補充の必要性に迫られているわけです。年に一度の採用では必然的に人手不足による破綻が不可避、そうならないためには年間を通して人を採用する必要があります。

 後は時間をかけて社員を教育することができないため、業界研究というおままごとしか知らない新卒学生は育てられない、多少なりとも就労経験のある人を採用するしかない、という事情もあります。裏を返せば新卒一括採用を「できる」のは離職率が低く年に一度の人員補充で運営できること、新卒者を一から育成できる制度と余裕がある会社に限られるわけです。それが無理なら、中途・通年採用しかありません。

 中小企業は、どこでも同じではないでしょうか。極一部の例外的なホワイト企業、大企業だけが新卒一括採用を「できる」のであり、多数派である中小ブラック企業は新卒一括採用など「できない」、望むと望まざるとに関わらず中途・通年採用しか選択肢がないのが現状ではないかと思います。皆様の勤務先の事業規模と採用形態はいかがでしょう?

 問題は一部の大企業のみが為し得る例外的な形態に過ぎない新卒一括採用が、あたかも標準的な採用方法であるかのような前提で語られ続けていることです。もし大企業だけではなく中小ブラック企業も等しく新卒一括採用オンリーで人を募っているのなら、経済誌の主張も分からないことではありません。しかし、現実に新卒一括採用を行っている会社が多数派であるかと言えば、それは違うはずです。

 新卒一括採用が、悪い採用形態であるかは分かりません。確かなのは、中途・通年採用が専門の中小ブラック企業が成長を続けて新卒一括採用を中心とする大企業との力関係を逆転させる、なんてケースはほぼ「ない」と言うことですね。それでも新卒一括採用にダメ出ししておけば格好は付く、それが日本の経済言論です。誤診を続けたまま処方箋を出していれば、衰退は必然でしょう。

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それが現実だ、と思う

2022-01-02 21:46:24 | 雇用・経済

 彼を知り己を知れば百戦殆からず──とは、孫子の言葉として有名です。まぁ当たり前と言えば当たり前のことではあるのですけれど、それだけに現代でも他分野においても当てはまることではないでしょうか。何事も、正しい現状認識があってこそ成功に繋がるもの、逆に現状認識が誤っている限り遠からず失敗が待ち受けています。

 

日本円の力、半世紀前の水準まで弱体化 急激な円安で暮らしに影響も(朝日新聞)

 ほかの国の通貨に比べ、日本円はモノを買う力が強いのか弱いのか。そんな通貨の購買力を示す国際指標で、日本円が約50年前の水準まで下がっていることが分かった。この1年で急激に円安が進んだのも一因だ。その分、輸入に頼る原油や食材などが値上がりするなど、暮らしへの影響も広がり始めている。

 この指標は、国際決済銀行(BIS)が毎月公表しており、「実質実効為替レート」と呼ばれる。約60カ国・地域の通貨を比較し、各国の物価水準なども考慮して総合的な通貨の実力を示す。数値が低いほど、海外からモノを買う際の割高感が高まる。円安が進むと、海外旅行で何かと割高に感じるのと同じだ。

 この指標をみると、日本円は昨年5月に80以上だったが、海外でコロナ後の景気回復への期待が先行して円安基調となり、下落傾向が続いた。今年10月に70を割り込み、11月に67・79まで下落。これは同様に円安が進んだ2015年6月以来の水準で、1972年8月と同じ値だ。過去最高だったのは、一時1ドル=79円台まで円高が進んだ95年4月で150・85だったので、その当時と比べ、大幅に海外のモノが高く感じる状態になっている。

 

 朝日新聞ですので近年の円安が否定的に語られているわけですが、いかがなものでしょう。確かに円高であれば他国からモノを買うのに有利である一方、円安になると逆です。勿論、他国にモノを売る場合であれば反対になりますので一概にどちらが日本社会全体にとって好ましいとは言い切れないのですけれど、取り敢えず今の「円の価値」こそ実態を適切に表していると、私は思います。

 円の価値が過去最大であったのは1995年4月とのこと、当時であればまだ日本が世界経済のトップランナーの一員でしたので、この評価は妥当です。しかしその後の凋落を思えば円の価値が暴落しない方がおかしい、実体経済がこれだけ低迷しているのに円の価値が高止まりするとあらば、むしろ何かが間違っていると疑問を持たなければならないでしょう。

 改革の旗の下、日本経済は成長とは逆方向にアクセルを踏み込んでいくようになりました。その「成果」が国民の生活に襲いかかるようになってようやく有権者も危機意識を持ったのか、一度は自民党が政権を追われることにもなったわけです。しかるに民主党政権が構造改革路線からの転換を図ったかと言えば、むしろ再スタートになっていたのは何故か、そこには当時の為替レートも一枚噛んでいたように思います。

 民主党政権時代は1ドル=75円という空前の為替レートを記録するなど異常な円高の時代でした。この結果、相対的に円の価値は著しく高まりましたが、これが実態を適切に反映したものかは甚だ疑問です。諸外国が自国の通貨安を誘導する中、日銀白川体制が断固として無策を貫き日本だけが何もしなかった結果、実態からかけ離れた異常な為替レートが出来上がってしまったと言えますが、では何故当時の政権も日銀同様に放置を決め込んだのでしょうか。

 円高とデフレを放置することで、実質賃金という虚妄の指数は改善されます。円高で外国のものが安く買える、デフレでの国内のサービスが安く手に入る──名目賃金を引き上げることが出来ない政権にとって、この上なく都合の良い世情であったのでしょう。もっとも、円高とデフレに甘えた実質賃金の上昇が永遠に続くはずもないのですが。

 再びの政権交代後、日本の金融政策も諸外国と歩調を合わせるようになり極端な円高は是正されました。ただ財政出動は安倍政権発足直後に止まり、その後は緊縮財政へと逆戻り、消費の低迷が成長を阻害していると正しく理解していたにも関わらず消費への課税を強化するなど、180°必要であった転換は、せいぜい30°程度に止まっていると言えます。

 結局は低成長が続き、日本円の購買力も50年前の水準まで低下するに至ったわけですが、それはもう受け入れるしかないでしょう。これが日本の現状なのですから。デフレと円高の結果でしかないものを実質賃金の上昇と言い繕っていた時代に比べれば、むしろ己を知ることが出来る今の為替レートの方が、まだしも未来に希望はあります。

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需要の問題

2021-11-14 23:00:13 | 雇用・経済

 少し前の話ですが、サントリーの社長が「45歳定年制」を主張して物議を醸しました。まぁ会社なんてのは性風俗産業の類と似たようなもの、年を取った人は嫌われ、若い人が求められるわけです。堅物を装った企業も水商売も価値観は同じ、ちやほやされるのは若い間だけ、年を取って放り出されるのが嫌なら経営側に回れということなのでしょう。

 会社の経営者もキャバクラの店長も、年増を追い出して若い人に置き換えたいと共通の望みを抱えているところですが、その一方で「若い人がすぐに会社を辞めてしまう」との嘆きも頻繁に耳にします。厚労省の調査によれば、若年層の3年以内の離職率は全体で3割超、従業員が30人未満の零細企業に至っては半分以上が離職するそうで、これもまた経営側の悩みの種のようです。

 なぜ若者は会社を辞めるのでしょうか。理由の一つは、市場の需要によるものです。つまり日本の会社は年齢を重視して人を採用するわけで、すなわち若いほど転職にも有利であることから、若者には「今の会社を辞めて、別の会社に移る」という選択肢があります。他社が欲しがる若い人材ほど、当然ながら転職のために今の会社を辞める理由が強まる、若年層の雇用が流動化するのは自明のことですね。

 一方、敢えて年増を採用しようとする会社は多くありません。中高年社員は若手と違って他社からの需要がないわけです。そうすると当たり前ですが、中高年社員には「他社に移る」という選択肢がない、「今の会社に残る」しかなくなります。経営側がどれほど中高年を就職市場に供給しようと努めても、それに釣り合う需要がないのですから必然の帰結です。

 そこでサントリーが自らリーダーシップを取って日本的経営を変えていこうとするならば、どうすべきでしょうか。一つは今年で62歳になる新浪剛史社長が若者にポストを譲り、介護や清掃、警備など高齢者向けの求人が多い業界へ転職して自ら範を示すのが市場の需給を満たす良い手であると言えます。これなら有言実行、誰も文句は付けられません。

 もう一つ考えるとしたら、サントリーが採用基準を変えることですね。若者の採用は中止し、採用は原則として45歳以上とすれば、今の会社を辞めてサントリーに転職することを考える中高年も出てくることでしょう。そして他社もまたサントリーに倣って採用基準を変え45歳以上を優先的に採用するともなれば、必然的に中高年の雇用は流動化します。

 少子高齢化ばかりが世界トップクラスに信仰する日本において、45歳以上の人間が軒並み経営者になってしまえば、それを支える若者の負担もまた増すばかりです。中高年には経営者ではなく、労働者として現場で働いてもらわなければ社会を持続させることが出来ません。そのためには、サントリーの社長に代表されるようなキャバクラ型の価値観ではなく、中高年をいかに活用できるかという知恵の方が求められると言えます。

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日本の特異な働き方は変わるか

2021-08-02 00:07:33 | 雇用・経済

「テレワークで生産性低下」は日本だけ? 通勤との“ハイブリッド”で重要な施策とは(ビジネス+IT)

 総務省は2021年6月1日、「令和2年通信利用動向調査」の結果を公表した。同調査では、2020(令和2)年8月末時点における世帯・企業での情報通信サービスの利用状況が取りまとめられている。

 その結果によると「在宅勤務を中心とするテレワークを導入する企業の割合は、前年比で倍以上の47.5%に達した」(2019年は20.2%)という。産業別では「情報通信業」が9割以上導入し、導入目的としては「非常時(感染症の流行など)の事業継続」が7割近くと最も高かった。

 この数字から何が読み取れるのか。レノボ・ジャパンでワークスタイル・エバンジェリストを務める元嶋 亮太氏は「緊急事態対策としてテレワークが浸透したものの、その場しのぎだった企業は少なくない。政府の感染症対策が少しでも緩和すれば、オフィスに出勤する従業員は増える傾向にある」との見解を示す。

 その理由について、同氏は「テレワークが生産性を低下させている」ことを挙げる。レノボが2020年に世界各国で実施した調査によると「テレワークでは、オフィス勤務時よりも生産性が下がる」という回答結果が得られたからだ。他の主要国がすべて10%台なのに対して、日本だけが「40%」と異様に高い。

 

 さて新型コロナウィルスの感染者数が急増する昨今ですが、日本は諸外国と比べ突出してテレワークに否定的な傾向を示す調査結果が発表されています。テレワークで生産性が下がるという回答は普通の国ですと概ね10%台で少数派に止まる一方、我らが日本は40%と一国だけ全く別の価値観を持っていることが分かりますね。

 効率的なものよりも非効率的なスタイルに道徳的な正しさを見いだす文化もあるとは思います。楽な働き方と苦しい働き方であれば、前者に何かしらの「ズルをしている」かのような印象を抱く人も日本には多いのではないでしょうか。テレワークで諸々の負担が軽減されるからこそ、それをネガティブに捉えている人も多いはずです。

 なお引用元のレノボ調査によると回答者の46%が「同僚との対面コミュニケーションがなくなったことで、ストレスや不安を感じる」とのことでした。詰まるところ日本の職場は諸外国と比べ突出して、対面コミュニケーションとやらに依存した働き方を続けてきた、と言うことなのかも知れません。

 時代や状況によって、求められる能力は異なります。棍棒での戦闘能力が重視される時代もあれば、弓馬に巧みであることを求められる時代もある、そこから鉄砲の扱い方を問われるようになれば、家柄や学歴、技術力や容姿に若さ等々と評価されるものは時代とともに変遷し、そして「コミュニケーション能力」に至上の価値を置くに至ったわけです。

 業務遂行能力よりもコミュニケーション能力が優先される中で、社会的に強い立場にあった人たちは対面コミュニケーションによる問題解決に長けていたであろうことは容易に推測されます。ところがテレワークで得意技が使えなくなってしまい焦りを感じている、コロナ前のような成果を上げられなくなっている人も多いのではないでしょうか。

 反対に、これまでのコミュニケーション能力至上主義の中で評価されてこなかった人々、対面コミュニケーションに依存しない問題解決能力を持った人々が、代わりに台頭している職場もあるように思います。コミュニケーション能力一本足打法で幅をきかせてきた従来の主流派が、傍流に追いやられて行ったとしても不思議ではありません。

 例えばサッカーでも、戦術が変わることで選手の序列が変わることがあります。4バックが3バックに変わっただけで、ファーストチョイスだった選手が構想外のトレード要員になり、干されていたと言われる選手が絶対のレギュラーに君臨したりと、状況が変わって求められる能力が変われば、そういうことも普通にあるわけです。

 全員がオフィスに出勤する業務形態とテレワークとでも、同じように求められる能力が変わってくるのではないでしょうか。そして働き方が大きく変わっていく中で、対面コミュニケーション能力に依存した人間はテレワークへの対応が難しく、生産性を実際に落としてしまっている人も少なくないと思われます。

 60歳未満のワクチン接種に関しては絶望的な状況が続きますが、いずれは新型コロナウィルスの感染拡大も止まることでしょう。そうなったときに、テレワークを継続できるか従来型の出社勤務に回帰するか、問われるものがあるはずです。世界の潮流に沿って日本も先進的な働き方を導入できるか、アンシャン・レジームの復権を許すか、ですね。コミュニケーション能力至上主義でのさばってきた人が働きやすい環境を選べば、日本は今以上に進歩から取り残されることでしょう。

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マネジメント不在

2021-07-18 21:30:06 | 雇用・経済

会社にとって「一番お荷物になる社員」5つの条件(東洋経済)

 まず、最初に意外だったのは、ほぼすべての回答者が社員の「年齢」を問題にしていなかったことです。

 世間では、給与水準が高い割にパフォーマンスが低い高齢社員が“働かないオジサン”と揶揄されています。また、最近の早期希望退職の募集では、「45歳以上の社員が対象」といった年齢制限を付けるのが一般的です。しかし、今回「年齢は関係ない」という意見が寄せられました。

 「本当はパフォーマンスの悪い社員を指名解雇したいのですが、(日本では、ほぼ)不可能。何らかの基準を設けて早期退職を募集するなら、年齢ということになります。当社は50歳以上の構成比が高いので50歳で区切って早期希望退職を募集しましたが、別に50歳以上が他の年齢層と比べてパフォーマンスが低いというわけではありません」(素材)

 「世間と同じように、給与水準が高い高齢社員を対象に早期希望退職を募集しました。ただ、年齢に関係なく、我々が『是非とも辞めて欲しい』と思う社員はいます。大して仕事ができない人事部の若手が高齢社員を“働かないオジサン”とか揶揄しているのを見ると、『本当は君たちに辞めて欲しいんだよ』と言ってやりたくなりますね」(電機)

 

 アメリカでは差別と判定される可能性のある解雇は訴訟リスクが高いので、差別を受けにくい層から整理解雇されるとも聞きます。一方で差別に甘い日本の場合はどうしても、まずは特定の年齢層を狙い撃ちにするのが一般的です。ただ今回の引用元では、意外やリストラしたい対象と年齢はあまり関係ないとのこと、少なからず新鮮な印象を受けます。

 引用元ではその後、「年齢に関係なく辞めて欲しい」という社員として「職務遂行能力やパフォーマンスの低さ」「能力やパフォーマンスが低いことへの自覚がない」「自責的に考えることができない」「自発的に行動しない」「周囲に悪影響をまき散らす」が挙げられています。突っ込みどころがないでもありませんが、いかがなものでしょう。

 特に「自発的に行動しない」については違うだろうという気がしないでもありません。能力が低く、かつ自覚のない社員に自発的な行動などさせようものなら、どんな結果が待ち受けているかこの論者は予測できないのでしょうか。能力が低く、かつ自覚のない社員に自発的な行動をとらせているからこそ、周囲に悪影響が及んでいるのが真相のような気がします。

 もちろん指揮官不在の組織――それは我が国における「普通」とも言えますが――では、全社員に自発的な行動を要求することだけが唯一の選択肢になってしまうのでしょう。適切に指揮命令を行う管理者がいない、ただ「自分で考える」ことを要求するだけで完結してしまっている組織では「自発的に行動しない」ことがネガティブな扱いになってしまうわけです。

 判断力のない社員に自発的に行動させたらろくなことにならないのですが、そうなったら「自責的に考えること」を要求すればコンサル的にはOKなのかも知れません。しかし、余計なことをやる人、訳の分からないことをやる人の尻拭いを余儀なくされるのは別の社員だったりします。責任は、トリクルダウンで誰かの肩にのしかかってくるものですから。

 非正規への置き換えが進んだ21世紀の日本では、たかだか正規雇用と言うだけで特別な能力を要求されるようになりました。しかるに、世界市場で競合する中国や韓国の大企業よりも給与水準で下回る日本企業の従業員に、そんな特別な能力の持ち主はいるのでしょうか。現実は、安い賃金に見合った平凡な人々が集まっているに過ぎないはずです。

 本物のスターは、どの世界でも高額の報酬を要求するものです。同業の他社より格段に高い給与を払っている例外的な会社であれば、その従業員に高い能力を求めるのも間違いではないのかも知れません。しかし賃金水準が低いまま据え置かれている中では、集う社員も給与相応だと考えるのが筋でしょう。

 国際的に競争できる賃金水準で人を募るのなら別ですが、そうでない圧倒的多数の日本企業は現実を直視し、給与に見合った平凡な人をいかに活用していくかを考えるしかありません。そこで凡人を相手に「自発的に行動しろ」と漫然と要求するのが正しいのか――答えは日本の経済成長という形ですでに現れていると言えます。

 無能であることを前提に行動しなければいけないと、私は思います。そんなに能力の高い人はいない、自力で正解に到達できる人などいない、だから自分で考えさせるのではなく、適切に指揮命令を下すことで、従業員が指示通りに動けば収益を増やせるような仕組みを作っていくことが重要なのではないでしょうか。

 プロスポーツでも、監督や戦術が変わることで活躍する選手も出てくれば逆に埋没する選手もいます。それは選手本人の問題もあるのかも知れませんが、起用する側が能力を引き出せているかどうかの問題でもあるわけです。企業組織も、そういう観点は持つべきでしょう。社員のパフォーマンスが低いのは本人の問題なのか起用法の問題なのか、そこで本人の自主性に原因を求めてしまう組織は、マネジメント不在であると言われても致し方ありません。

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そんな段階ではないのは確かだが

2021-05-23 23:46:47 | 雇用・経済

「そんな段階ではない」 テレワーク要請の西村氏に反論(朝日新聞)

 もう、そういう段階ではない――。20日、テレワークへのさらなる取り組みを要請した西村康稔経済再生相に対し、経済界側が「反論」する場面があった。経済界は新型コロナウイルスワクチン接種の加速化や、迅速な経済支援策などを相次いで注文。西村氏は「私の立場からも努力をしていきたい」としつつ、重ねてテレワークへの協力を求めた。

(中略)

 テレビ会議に参加した各団体は、西村氏の要請に協力する考えを表明したものの、感染拡大防止策としてテレワークを強調する西村氏に対しては異論が噴出。名古屋商工会議所の山本亜土会頭は「もう、そういう段階で解決できるのはちょっと厳しい」と反論。「現状を打破する唯一の手段はワクチンの接種だ。これ以外に有効な手立てがないんじゃないか」と訴えた。

 

 むしろテレワークに関して「できない」「やれない」と宣う企業側に対してこそ「そんな段階ではない」という言葉が向けられるべきと思われるところですが、いかがなものでしょうか。企業側からすれば(今まで通りの変わらぬ出社体制で)現状を打破する唯一の手段はワクチン接種しかないのかもしれませんけれど……

 この新型コロナウィルスの感染拡大に関しては、敗戦以来の大きな社会変革の契機であるとも私は思っています。戦争に敗れたおかげで民主化が進んでその後の発展の基礎が築かれたように、コロナのおかげで立ち後れの著しかった日本の労働習慣が先進的なものに変わるのであれば、それは社会として正しい方向に進んでいると言えるでしょう。

 小池百合子の公約の一つに「満員電車0」なんてものがありました。公約なんて選挙が終われば気にされることもなくなりがちですが、これもまた「コロナのおかげで」一時的に達成されていたわけです。夢物語でしかなかった満員電車0が一時的にでも実現されたならば、それをいかに維持するかも真面目に検討されるべきと言えます。

 テレワークに関しては地域ごと、企業ごと、あるいは企業内でも組織ごとに取り組みの温度差が大きいところです。ただ自分の会社を鑑みると、いざ政府の号令で「初めてのテレワーク」を開始したら幹部社員の予想に反して支障なく業務が回るなんてこともありました。「できない」「やれない」と言い張る企業も実際にやってみたらどうなのかと思わないでもないです。

 もちろんワクチン接種も状況を改善する有力な手段ですけれど、それで全ての感染が防げるものではありません。公衆衛生の改善や、テレワークなどを駆使して過密状況を避けることも継続して必要です。しかるに、特定の要因だけを挙げて完結してしまう言論もまた常態化しているわけです。複合的な要因の結果として事象が発生しているのに、何か一つ「犯人」を見つけて、そこで思考を止めてしまう等々。

 「現状を打破する唯一の手段はワクチンの接種」という主張も然り、ワクチン接種のみでの解決を期待するのは安易ですが、しかし経済界からすれば「ワクチン接種が唯一」の解決策であってくれれば好都合なのでしょう。テレワーク「も」解決策であるならば、そこは企業側にも努力義務が生じてしまいます。それを避けるにはワクチン接種が「唯一」でなければならない、と。

 従来型の労働習慣を「続けさせたい」と願っている経営側もまた少なくないのでしょう。利益よりも社員の支配を優先する日本的経営においては、テレワークの成果を測る代わりに社員を監視するためのソフトを導入する企業もまた少なくありません。だからこそテレワークへの取り組みを求められても「そういう段階ではない」となるわけです。

 伝染病の感染拡大を抑止する面でテレワークは効果的ですが、決してそれだけではありません。企業の指定する勤務場所に拘束され、満員電車に揺られて通勤する生活から労働者を解放するのもまたテレワークです。これはコロナがなくとも働き方の未来として進めてもらいたいものと言えます。行政にはGHQにでもなったつもりで、アンシャン・レジームの担い手たる経済界と戦って欲しいところですね。

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消費者が気にしないこと

2021-04-11 22:05:01 | 雇用・経済

アマゾン労組、結成ならず 従業員の反対多数(時事通信)

 【シリコンバレー時事】米インターネット通販大手アマゾン・ドット・コムがアラバマ州ベッセマーで運営する物流倉庫の従業員らが、労働組合結成を問う投票を実施し、9日に反対多数で否決された。全米で第2位となる80万人超の従業員規模を誇るアマゾンで、労組が結成されるか注目されていた。

 投票実施の背景には、過酷な労働環境の是正を求める声が高まったことがある。アマゾンは新型コロナウイルス禍で加速した巣ごもり消費を追い風に利益を伸ばす一方で、感染対策の強化が不十分として従業員が各地でストライキを起こしていた。
 投票は郵便で3月29日まで実施。独立政府機関の全米労働関係委員会(NLRB)が今月9日、反対が1798票となり、賛成738票を大きく上回ったとの集計結果を発表した。

 

 同じアマゾンでもヨーロッパ拠点では組合が結成されているところも多いそうですが、アメリカでは反対多数で否決されたことが伝えられています。労組もピンキリ、日本の多数派労組のように会社の決定を追認するだけ、従業員の待遇よりも民主党の応援の方が大事な組合もありますが、どうしたものでしょうね。

 大手企業の問題が報じられるのは有名税的な部分もあって、実際には世間の注目を集めることのない中小企業においてこそ本当の問題が潜んでいる場合も少なくありません。客観的な事実としてアマゾンは競合他社よりも高めの賃金水準を設定しており、その辺は労働環境も悪ければ賃金も低い無名のブラック企業よりはマシとも言えます。

 一方で今回の投票を前に会社側の露骨な組合潰しがあったとも伝えられている他、過酷な労働環境を示す一例として「プラスチック瓶に用を足すしかない状況になった」との証言まで出てきたわけです。後者については会社側も事実として認めている状況で、まぁ労務面の問題は否定できないところなのでしょう。

 非人道的な労働の結果として消費者まで届けられる商品をどう扱うべきか――これに対する市場の回答は極めて政治的です。アメリカが強制労働云々との口実で中国/ウイグル製品の輸入を禁止したとき、これに追随する流れは日本でも見られます。しかし技能実習と称して外国人を非人道的な環境で働かせて生産された商品を日本市場が拒んでいるかと言えば、答えは否です。

 フェアトレードという、ままごともあります。フェアトレードとは理念こそ尊いものの、その実はチョコレートやコーヒー、手芸品など適用される範囲は限定的なまま絶望的に広がりを見せない運動でもあるわけです。例えば消費者がiPhoneを買うとき、その生産工場では従業員が自殺にまで追い詰められるような過酷な体制が組まれていたことなど誰も気にはしませんから。

 「かわいそうな子供たち」へのこれ見よがしの同情心や、アメリカの覇権を脅かす存在を潰すのに好都合だから、そうした理由で商品が選ばれたり排除されたりすることは至って普通の光景です。一方で、負けず劣らず激務であったり薄給であったり差別的であったり等々、ブラックな労働によって作られた製品が市場に受け入れられるのも日常的な風景です。

 従業員の待遇が悪いから――そうした理由で問題のある企業の商品やサービスが消費者から忌避されるようであれば、もう少し世の中は変わったことでしょう。アマゾンで買い物をするとき、その物流倉庫で働いている人の待遇をほんの少しでも考えてみる人が増えてくれればな、と思います。まぁ、競合他社がアマゾンよりまともかと言えば、そこは別問題ですけれど。

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今年も人事は平常運転

2021-03-28 21:55:05 | 雇用・経済

 さて皆様のお勤め先でも、4月からの人事が発令されたところは多いのではと思います。私の勤務先でも一部を除いて公表されているわけですが――例年通りシャッフル人事が目につくところだったりします。まぁ、とにもかくにも「変える」ということが評価に結びつく組織では、シャッフル人事も改革意欲の表れと見られるのでしょう。

 新型コロナウィルス感染者の再拡大が明白となる中、帰省や観光を控えるようにとの意見も聞こえる中ではありますが、「転勤を控えるように」みたいな声明は昨年と同様に耳にする機会がないわけです。転勤命令は神聖にして侵すべからざる雇用主の権利であり、それは帰省や観光とは次元の違うものとして扱われていることがわかります。

 弊社でも4月からは東北の人間を東京に、東京の人間を大阪に、全国各地で従業員を大移動させることが決まっています。転勤を命じられた社員は新居探しや業務の引き継ぎのために県をまたいで飛び回る日々を過ごしているわけですが、どうしたものでしょうね。頓挫したGoToトラベルの埋め合わせというものでもありませんし……

 私の会社は基本給は低いですが転勤者への手当は割と手厚いところがありまして、それは人員増以上にコストのかかりかねない部分であったりもしますが、社員を転居させることにはそれだけの価値があると判断されているようです。まぁ本当の幹部社員ともなれば各地で見聞を広める必然性もありそうですけれど、そうでない人はどうなのでしょう。

 一方で、転勤はおろか同じ部署から永遠に異動しないでいる人もいたりしまして、相変わらず人事の意図はわかりません。2年と待たずに勤務地の変わり続けるジャーニーマンもいれば、私が入社するよりずっと昔から同じポジションで働き続けている人もいて、謎は深まるばかりです。

 全国を飛び回りたいか、それとも同じ部署で働き続けたいか――そういう意向を問われたことは入社して一度もありませんので、たぶん本人の望みによるところとは関係がないものと思われます。本人の選択とは無関係に、高頻度で飛ばされる人もいれば一貫して不動の地位にいる人もいる、人事とは人知を超えたものなのでしょう。

 全国各地に飛ばされる人々が幹部候補のゼネラリストかといえば、そういう風でもありません。そして決して異動の対象にならない人が特定部署になくてはならないスペシャリストかといえば、やはりそうでもなかったりします。ずっと同じ仕事を続けているけれど、必ずしも頼れる存在ではない、ところがどうして会社の評価は低くなかったり……

 ヨソから異動してきた上司は落下傘候補よろしく部署の仕事を知らない、一方で異動とは無縁な人はローカルルールだけは知っている。そうした中で異動とは無縁な人が「リーダーシップを発揮している」かのごとく人事の目には映る場面があるのでしょうか。人事と無関係な人には、別なものが見えている気もしますけれど。

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ニッポンの技術力

2021-02-28 22:04:58 | 雇用・経済

 電化製品や半導体を始め世界市場における日本製品の優位は90年代には崩れ出し、今に至るも巻き返しの機運が皆無であることは周知のことかと思います。問題は、そうした状況に日本の経済界がどう対応してきたか、ということですね。正しく対処できていたのであれば状況は変わった、間違った対応を続けていれば事態は悪化する一方となりますが、まぁ結果は既に明らかなことでしょう。

 T型フォードは1,500万台以上が販売され、自動車を金持ちの道楽から市民の交通手段へと変化させました。もちろん自動車そのものはT型フォードが市場に出る以前から普通に販売されていましたが、売れ行きは全くの別次元だったわけです。発売当時における競合他社の製品を性能で上回るところもあったかも知れません。しかし明白な強みは、他社の同クラスの自動車よりも安価であったことです。

 日本製品も、中国や韓国の(日本製より)安価な製品に市場を奪われ続けてきました。「安い」という点はどの時代でも消費者にとって重要です。ではどうして競合国の製品は自国の製品より安いのか――その原因を正しく認識できないと、必然的に対応策もまた正しくないものを選択してしまうと言えます。

 T型フォードが安価であったのは、少なくとも「人件費が低いから」ではありませんでした。それどころかフォード社は人手を確保するために賃金水準を倍増させ、退屈な流れ作業でも従業員の離職を防ぐべく世に先駆けて8時間労働や週休2日制の導入を進めていたわけです。当然ながら、フォードは他社よりも人件費が高くなります。しかし発売される製品の価格は下がり続け……

 伝統的に日本では、日本製品が中国製品よりも割高な理由として「人件費が高いから」と説明されています。この信念に基づき日本企業は四半世紀にわたって人件費の抑制に挙国一致で取り組み、主要国中では最も賃金上昇率の小さい国であり続けてきました。その結果として日本の人件費は先進国レベルから中堅国水準へと推移したわけですが――日本製品が市場でシェアを取り戻すには至っていません。

 人件費が高いはずのフォード社が自社製品を安価で販売できたのは、「コストを下げる技術」を産み出したからです。技術があるからこそ、より良い製品をより低コストで製造できたのです。一方で技術のない会社あるいは国は、コストを下げるためには人件費を下げる以外の選択肢を持つことが出来ません。製品を安くできないのは、人件費もさることながら技術がないからだ、と言えます。

 サムスンなりファーウェイなり、技術力で日本企業を上回る会社は実のところ日本企業のそれを上回る給与水準で人を募っているわけです。人件費は、日本企業よりも中国や韓国の企業の方が高い、そう言える状況は着々と進み続けています。しかし日本企業より給与水準が高い中韓メーカーの製品は日本の同等製品よりも安価で市場に供給されており、人件費の高さは製品の価格に必ずしも比例していません。

 我が日本の技術は世界一ィィィィーーーーッ!!!! ……という信念は日本国内で幅広く共有されていますが、一方で人件費が安いにも関わらず中韓よりも割高な製品しか作れないという状況もまた続いています。まぁ日本の人件費が高いという信念もまた技術力に関する自惚れと同様に根付いていると言えるかも知れませんが、現実に向き合えない者が状況を改善することはないでしょう。

 技術力は日本が最高であるという幻想にしがみつき、製造コストが高い理由の全てを人件費に求め、賃金水準の抑制に全力を注いできた結果が今に至るわけですけれど、それに政財界が満足しているのかどうかは興味深いところです。国際市場における日本メーカーの存在感は薄れゆく一方ですが、まぁ労働者が弱い社会、雇用主優位の力関係を築いたことに精神的な喜びを見出している人もいるのかも知れません。

 例外的に「ニッチな」領域で日本企業が高いシェアを残しているものは存在しますし、それをことさらに強調したがる人もいます。ただ、こうした分野が莫大な収益をもたらし日本経済を牽引しているかと言えば、残念ながら微塵も気配がないわけです。儲かる分野ではシェアを取れず、儲からない分野での高いシェアを誇っているとしたら、それもまた悲しい話ではないでしょうか。

 以前に働いていた職場で、ある町工場が製造している部品の不足から全体の工期が遅れるなんてことがありました。ただ、全体の工期を左右しているはずの町工場の部品は、至って安価なものでもありました。ヨソの工場からは調達できない部材でもあるからには市場での優位性を発揮して価格も上昇しそうなものですが、そうはならなかったわけです。

 問題の町工場でしか作れない部品だったのならば、販売価格の上昇もあり得たかも知れません。しかし「儲からないから作る人が少ない」だけの部品であったならば話は別です。安値で買い叩かれる部品なんて大手はどこも作りたがらない、その分だけ小さな町工場でも高い市場シェアを有することが出来ていたと言えますが――シェアが高いのに全く儲からない状態もまた続いていたのです。

 日本企業が世界トップクラスのシェアを占めている領域は、探せば幾つか見つかることでしょう。しかし、それに胸を張れるのかどうかは別問題です。収益性が高く他の国が羨む領域でならば、それは自慢できるものです。しかし収益性に乏しく「日本ぐらいしかやろうとしない」領域であれば、徒にシェアを誇るのは失笑を誘う行為でしかないと言えます。

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偉い人がボトムアップと勘違いしているケース

2021-01-24 21:40:36 | 雇用・経済

 会社で、自分の意見が反映されないと感じたことのある人は多いと思います。その一方で会社の偉い人は、社員に広く意見を求めているつもりになっていることもまた多いのではないでしょうか。実際のところ「意見を出せ」と言われること自体は、末端のヒラ社員でも実は多かったりするのかも知れません。よくよく考えると、私の勤め先もそんなものであるような気がしました。

 ではどうして「意見が反映されない」と感じるのか、それは意見を求められる大元の問いがナンセンスなものであるからだと言えます。つまり「どうでもいい」事柄への意見を出すことを強いられるばかりで、当事者が本当に意見を持っている部分に関しては問われることがない、そのために上記のような乖離が生まれている、と。

 実際のところ大方針は偉い人の間だけで決定され、そこに現場を担う社員の声が反映されることはありません。一方でこの大方針をいかに達成するかという実運用の部分においては現場に丸投げされがちです。「上」の人間は現場に丸投げすることによって、その先で幅広く意見を求めているつもりになっていると言えますが、当然ながら当事者達の受け止め方は異なります。

 「できない理由を言うな」「(偉い人が決めた大方針を)いかに達成するか考えるのがお前らの仕事だ」――そんな風に言われるのは至って日常的なことですけれど、実は「できない」という現場の判断こそが真実だったりすることは珍しくありません。実態を知る人間ほど偉い人の判断に疑問を抱かざるを得ない、しかし「できない」という真実の言葉が受け入れられることはないわけです。

 組織の偉い人が、とんでもなく愚かな判断を下したとします。例えば「アメリカと開戦する」と上の人が決めたとして、そこで現場を担う人々に求められる意見とは何でしょうか? そんな愚かなことはやめておくべきだ、勝算などあるはずがない、意見は諸々あるはずです。しかし「できない理由を言うな」「いかにアメリカを倒すか考えろ」と言われたらどうでしょうか?

 このような場合、「上」の人間は「下」の人間にも意見を求めたつもりになっていると考えられます。アメリカに戦争で勝つ方法を現場から汲み上げていこうと、自分たちはボトムアップ式に組織を運営しているとすら勘違いしているのかも知れません。しかし大元である「アメリカと開戦する」という部分については、いかなる意見も許さない――そんな組織も多いように思います。

 アメリカと戦って勝つ方法については何も思いつかないし意見も何もないけれど、そもそもアメリカ相手に開戦するのが愚策では?という意見を現場が持っていたとしましょう。しかし「上」の人間が聞く耳を持つのは前者に限ってのことであり、後者を寄せ付けることは許さないとしたら、当然ながら「下」は自身の意見が反映されない純然たるトップダウン式と感じるわけです。

 かくして偉い人が社員に広く意見を求め現場の声に耳を傾けているつもりであっても、実際は許される意見が極度に限定されており、社員が本当に言いたいことに対して会社は聞く耳を持っていない……というのがよくあるパターンではないでしょうか。まぁ現場の声を真面目に聞こうとしたら、偉い人の面子が潰されるばかりですから仕方がありませんね。

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