非国民通信

ノーモア・コイズミ

PCからは見づらいサイトが増えていくのが嫌だなと

2013-10-31 23:15:15 | 編集雑記

 「かわいそうに、本当の○○を食べたことがないんだな」みたいな言い回しがあるわけです。元ネタは漫画の「美味しんぼ」で、連載初期に主人公の山岡が「かわいそうに、貧しい吸い物しか飲んだことないんだな」とか「かわいそうに、本当に旨いおかゆを食べたことがないんでしょう」みたいに言い放っていた辺りですね。連載当初は山岡も雄山も、食の知識は凄いがちょっと頭のおかしい人として描かれていて、それが漫画としてのバランスを取っていておもしろかったようにも思いますが、いつの間にか山岡も雄山も高台の説教者として読者に(原)作者の教えを説くだけの退屈な(かつ内容の誤った)漫画になってしまったのは惜しまれるところでしょうか。

 ……で、タブレット端末のシェアが拡大する一方で、従来のPCは軒並み売れ行き不振なのだそうです。将来的には主役交代もあるだろうと、まことしやかに語られているところでもあります。どうしたものでしょうかね、この手の機械は好きなので私も安い端末ならタブレットも何枚か買いましたけれど、率直に言って「使っていてイライラする」のがタブレットの特徴のように思えてなりません。ところが、スマホを含めたタブレット端末にかじりついて離れられない人も少なくないと伝えられています。う~ん、PCに関しては間違いなく長時間利用者であろう私からすれば、30分以上タブレット端末を使い続けるなんて拷問だという感じなのですが。

 そこで冒頭のフレーズです。「かわいそうに、本当のPCを使ったことがないんだな」と。まぁ人それぞれ好き勝手はあるのでしょうけれど、マトモなPCに触れたことがない人だとタブレット型の端末にも満足できるのかなと思うのです。率直に言ってタブレットの貧弱な入力環境にはストレスが溜まる私ですが、職場の粗悪なキーボードとマウスも使っていてストレスが溜まる――というより指や手首が痛くなってくるわけです。腱鞘炎製造装置みたいなキーボードしか触ったことがない人にとっては、タブレットの入力環境は決して不快なものではないのかも知れないな、と。

 そして表示画面にしても、職場のPCのモニタが比較対象だったら、タブレット端末が綺麗に見えてしまう人もいるのだろうなと。画面の上半分とした半分で全く色合いの違う、しばしば何が映っているのかよく分からなくなるような煤けた液晶モニタに比べれば、幅広く流通している大手メーカー製のタブレット端末の方がマトモな表示環境を備えているとは言えます。よく真っ青な画面のスマートフォンと睨めっこしている人もいて、それでブルーライト対策だのなんだのと世間で騒がれているのですから肩をすくめてしまいますが、職場のモニタも工場出荷時の色温度のまま、工場出荷時の輝度MAXのまま使われているケースが多いので、あまり気にされないものなのでしょう。むしろ白が青くない液晶を尿液晶とか呼ぶ人もいるくらいですし。

 起動の早さ、というのもどうでしょうか。スマホやタブレットは起動が速い、使いたいときにすぐ使えると言われることも多いです。シャットダウンした状態から起動するまでの時間は、どう計っても私の自宅のPCの方が手持ちのどのタブレット端末よりも早いのですが、例によって会社のPCは圧倒的に遅いです。その辺はハードの構成やセキュリティソフトの選定に問題があるというのはさておき、毎回シャットダウンされるPCと、スリープ機能を使ってもらえる端末との違いもあるはずです。WindowsでもVISTA以降は概ねスリープ機能が実用的な水準に達しており、わざわざシャットダウンしないでも済むように作られているにもかかわらず、あまり使われていません。スリープからの復帰なら性能の低いPCでもタブレット端末に大きく後れを取ることはないはずですが、その機能を「使ってもらえていない」のは何とも。

 レガシーを切り捨てられるか、と言うのは大きいですよね。PC環境ではWindowsXPというレガシーOSが奇妙な神格化の対象となっていると言いますか、これが進化の足枷になっているところもあるかと。一方でタブレット端末は旧世代の遺物にしがみつきたがるユーザーが少ないのか、新しいものがすんなりと受け入れられているように見えます。WindowsXPですとスリープ機能が不安定で使いにくい、毎回シャットダウンをせざるを得ないから起動が遅いと言えなくもありませんが――シャットダウンしない運用を念頭に置いて開発されたはずの後継OSでもユーザーの使い方はどうなんでしょう。タブレットやスマホでは当たり前に使われる機能がPCではユーザーから無視されているのは不条理でもあります。

 私の勤務先でも管理職以上にはiPadが配布されたりしまして、まぁ流行に乗り遅れるなということなのでしょうけれど、その金でマトモなPCとマトモなモニタとマトモなキーボードを買ってくれたら、もうちょっと仕事も捗るのにと思ったものです。でも、安いだけの粗悪なPC環境で仕事が滞っても上の人は気にしないもの、流行のファッションアイテムを社員に持たせることの方に満足感を覚えるのが偉い人というものなのかも知れません。タブレットやスマホと同じくらい金をかけることがPCにも許されていれば、もうちょっとPC人気は高かっただろうと、タブレットが流行ることもなかっただろうなと10年くらい前に秋葉原の会社でタブレットPCを売ったりもしていた私は思うのでした。その当時に比べて使い勝手が向上したようには全く見えないですし。

 気になるのはPCとタブレットで歩調が合っていないこと、それぞれ別の方向に向かっていることですね。ひたすら解像度を上げまくるのがタブレット端末のトレンドと言えますが、まぁ在りし日のCPUクロック競争を彷彿とさせるところ、とにかく数値を増やしていって箔を付ける路線が続いている中でタブレットの表示面積は増やせない(増やしたら持ち歩けなくなっちゃいますから仕方がありません)、それでも解像度ばっかり上がり続けるわけで、PC向けにデザインされたコンテンツとの互換性が気になってきます。まぁPCと違ってタブレット端末ではブラウザの拡大機能も使ってもらえるようですので当面は目立つことがないのかも知れませんが、スマートフォンでの閲覧に最適化するかのようにデザイン(レイアウト)をリニューアルするサイトも昨今は少なくありません。逆にPCからは見づらいデザインに「改悪」されてしまうこともしばしばです。まぁ、そういうものなんでしょう。

 

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菅直人がそう思うんならそうなんだろう 菅直人の中ではな

2013-10-29 22:48:03 | 社会

みの会見「責任は父である私にあります」(日刊スポーツ)

 タレントみのもんた(69)が26日都内で会見し、次男が窃盗容疑などで逮捕されたことや、TBS系報道番組「みのもんたの朝ズバッ!」を降板したことについて説明した。

(中略)

 そして次男逮捕について「父親の責任」を認めた。

 「(次男を)女房と懸命に育ててきて社会に送り出したはずなのに、何かが狂ってきた。どこかがおかしかった。そんな思いが強くなりました。確かに、あの子は私の子です。しかし成人して社会人になったはずなのに、こんなことをしでかす、どこかが子育ての中で間違っていたのではないか、不完全な形で世の中に送り出してしまったのか。だとしたら父親としての責任があるなと、思い至りました」

 そして続けた。「親子の縁は切れない。間違いなくわが子だ。どこかが狂ってて社会に送り出した。その責任は父親である私にあります。申し訳ございません」とまた頭を下げた。次男の心情について「多くのものを彼は失いました。苦しんでいると思います」と話した。

 

 みのもんたの暴力二男が窃盗で逮捕されたそうです。似たようなケースとしては大阪市特別顧問で占い師の高橋洋一による犯行が頭に浮かぶところですが、あれは実質的にお咎めなしでしたね。それに比べるとみのの次男の場合はどんなものでしょうか。ともあれ、次男の逮捕を受けてみのもんたが謝罪会見をするに至ったわけです。いかに「我が子」とはいえ成人して職もあって別に世帯を構えてもいる大人の行為に親が責任を持つ必要があるとは思えませんが、まぁ次男が現在の地位を得る過程では親のコネも相応にあったでしょうから、その辺の絡みもあるのかも知れません。職があると言えど親に世話してもらったものなら、何となく扶養家族っぽい、責任があると言えばあるのかも知れないと、そんな風に見えてしまいますから。

 私としては、成人した人間の犯行に対して「親」が責任を持つべきとは考えないですし、ましてや世帯を別にしているとあらば親がどうこうできる問題でもないでしょう。親子が同居している家屋の内部で行われた犯行ならいざ知らず、「外」で行われたことは親が制止できるはずもありません。もっとも、みのもんたは私とは別の立場だったでしょうか。みのが日頃から、「子供」の犯行がある度に「親」の責任を追及してきた、離れたところに住む親のところに押しかけては咎め立てする取材陣の背中を押し続けてきたのなら、彼なりに筋は通っているのかも知れません。親の責任を問うてきた人間が、自分の子供の犯行に対して親としての責任ありと語る、その人なりに一貫性はあります。

 なお上記の高橋洋一が泥棒で捕まったときには、色々と陰謀論をささやく人もいたものです。彼が日本経済をずたずたに引き裂いてきた小泉/竹中の取り巻きの一人であったこともあってか、その信奉者の中には「財務官僚の陰謀だ」みたいに力説する正気とは思えない人もいました。傍目には守られて当然の他人の権利を「既得権」と呼び、その剥奪に道徳的な正しさを見いだしてきたのサークルの一員が高橋氏であるわけで、その「改革」の実践として窃盗行為に至ったのは少しも不自然なことではなさそうですけれど、別の世界に生きている人もいるのでしょう。そしてみのもんたの場合ですが――

 

みのもんた氏に対する陰謀説 - 菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」

 みのもんた氏は汚染水問題など原発問題で東電と安倍総理を厳しく批判していた。この発言に対して原子力ムラがみのもんた氏失脚の陰謀を仕掛けたという説が流れている。

(中略)

 批判する政治家もかつての福島県知事のように陰謀によって失脚させられてきた。今も原発稼働に慎重な知事や議員を引きずりおろすため、一部マスコミを使ってスキャンダルをでっち上げる陰謀がたくらまれているという、うわさが流れている。原発ゼロ実現のためには、原子力ムラのマスコミ支配をまず打ち破らなくてはならない。

 

 日本に住む一員として、これほどまでに愚かな人間が首相の座を手にすることを許してしまったことを恥じ入るばかりです。もちろん、民主党には一度たりとも投票したことはありませんが、日本の有権者として責任を感じますね。さて、引用の中略した部分では相も変わらず国会事故調査報告書と矛盾した自己弁護を繰り返していたりするのですが、ともあれ伝聞を装いつつ陰謀説をまことしやかに流そうとしているわけです。子供の窃盗と本人のセクハラのどこに陰謀の入り込む余地があるのやら。この辺の人が語る「原子力ムラ」ってのはレイシストの語る「反日工作員」とか「在日特権」みたいなもので、ある種の世界観を共有している人の頭の中では強大な存在でありながら、普通の人には見ることができないもの、と言えるでしょうか。

 裸の王様・菅直人が語るような「原子力ムラ」が実在してマスコミを支配しているのなら、なぜ原発や電力会社はおろか福島ばかりか東北全域をも排除の対象にするかのごとき論調の新聞が闊歩しているのか首を傾げるところです。少なくとも朝日や毎日、中日/東京などの電力会社を叩くためなら誇張や歪曲を厭わないメディアなどはとっくに潰されていても良さそうなものです。むしろ原子力ムラが世論を統制して、反原発に名を借りて諸々の偏見を広めては福島を差別の対象に仕向けるような言動を封じ込めていてくれた方が今よりはマシだったのではとすら思わなくもありませんが、実態は逆ですし。

 みのもんたの主張を逐一追いかけてきたわけではないですけれど、みのの語るような行き当たりばったりの道徳論や幼稚な正義感で脱原発を語るのは、原発利用を「真面目に」減らしたい人にとっては迷惑な話なんじゃないかとも思います。エセ科学べったりの反原発論、福島を忌避の対象として風評被害を広めることを厭わない脱原発論、荒唐無稽な陰謀論を捏造して止まない人々からは距離を置かないと次第に相手にされなくなる――ことは昨今の自民党が勝利した衆参両院の選挙からも明らかではないでしょうか。しかし、脱原発無罪、反原発でありさえすれば構わないと、民主やみんな、社民は元より共産党までもが小泉に尻尾を振るような時代です。まさにカルト化と言いますか、反原発の教義を信奉する人にとっては電力会社を罵ってさえいれば現実味のない陰謀論でも通用してしまう、そういう世界に元・首相までもが浸かっているわけです。

 

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カエンタケでも食ってろ

2013-10-27 11:50:12 | 社会

山本太郎議員「国会議員に出す弁当はベクレてる」 西日本、九州、海外から食材「お取り寄せ」(J-CAST)

 問題の動画は山本議員の密着ライブ映像ホームページに24日の午前11時50分に「ツイキャス」を使ってアップされた。映像は5分弱で、「作業着に着替えています」と、スーツを着用しているシーンから始まる。この後、参議院内閣委員会の理事懇談会に出席するという報告と、内閣委員会の委員長室に向かうスケジュールが語られた。そして、お昼のお弁当が出る、と伝えられると「いいですね」と笑い声をあげた。「一気にご機嫌になりましたね」などと周りから茶化されると、そんなことはないという表情になり、「ベクレてる(放射能汚染されている)んやろなぁ、国会議員に出すお弁当は」と無愛想な口調で吐いた。動画の終わりの部分では、懇談会に参加する他の議員から愛され、可愛がられたほうが良いといった話になり、「ビックリするほど頭を下げますよ。山本でございます~」と思いっきりの笑顔を見せた。

(中略)

 山本議員は「脱原発」を掲げ2013年7月に無所属で東京選挙区に立候補し初当選を果たした。これまでも原発関連の発言では物議を醸していて、12年12月に衆院選に出馬して落選したときに円形脱毛症になったことを聞かれ「被ばくの影響でしょう」と答えた。12年6月には放射能から逃れるためフィリピンに家族で移住する計画があることをツイッターで明かし、12年3月には「東京の放射能汚染が深刻」として大阪への引っ越しを計画。13年2月には大阪の母親が体調不良になったのは「震災がれき焼却のせい」などと主張している。

 今回の騒動に関して山本議員の参議院事務所に話を聞いた。「ベクレてる」というのは放射能汚染されている、ということで間違いないのかと質問すると、動画は見ていないためどんなやり取りの中で発したのかはわからないが、「ベクレてる、というのは放射能汚染されているという意味で使っています」と答えた。また、国会で出される弁当も汚染されていて危険だと考える山本議員は普段はどんな食事をしているのか、については、「産地に気を付けて食材を取り寄せ料理などをしています。西日本産、九州産が多いですが、海外からも取り寄せることもあります」ということだった。

 

 色々とアレな政党から統一会派の結成を呼びかけられたりもした山本太郎ですが、こういう人を当選させてしまう東京の有権者には猛省を求めたいところでもあります。まぁ、山本太郎の次点だった人がマトモかと言えば、その辺は微妙かも知れませんが…… ともあれ「ベクレてるんやろなぁ、国会議員に出すお弁当は」などと宣ったそうです。もし本当に国会議員に出される弁当が「ベクレてる」なら、有権者はそれをどう受け止めるべきなのでしょうね。

 一昔前には「高級」料亭を称する船場吉兆が食べ残しを再利用して客に出していたとかで話題になりました。高級料亭を接待されてそうな政治家や財界人に残飯を食わしていたとすれば、これほど痛快な話は無いと思ったものです(参考)。では皆様、国会議員の先生方はお好きですか? アホな議員連中に一発食らわしてやりたいと思っている人も多いのではないでしょうかね。そういう議員に「ベクレてる」弁当が出されているとしたら、まぁ胸の空く話です。

 そうでなくとも職責に特別の献身を求められる公人たる国会議員である以上、「自分だけ安全地帯に避難する」がごとき振る舞いからは距離を置くことが求められます。では金銭的な余裕を活かして安全(と本人が思い込んでいる)地域からの食材を厳選したライフスタイルを実践するのと、大人しく出されたものを食べるのと、どちらが公人としてふさわしい行為でしょうか。むしろ本当に弁当が「ベクレてる」、危険だと信じているのなら、そこから政治家が真っ先に逃げ出すのは最低と言えます。

 まぁ、実際のところ「放射能汚染」されている食材の入手は著しく困難で、むしろ西日本や日本国外の方が自然放射線量が高いところが多いですし、そもそも東日本の食材や東北の震災ガレキなんぞよりも国会議事堂を覆う花崗岩の方が放射能はずっと強いわけです。放射能バリバリの御影石で作られた国会議事堂というプチ・ホットスポットを職場に選んだ山本太郎は、それなりの被曝リスクを冒しながら見えない何かと闘っているのかも知れません。

 ……で、ヘイトスピーチはなんぞや、と。特定の人種や特定の国籍を対象としたものばかりがヘイトスピーチとして意識されることが多いですが、そればっかりでもないでしょう。偏見を広める、憎悪を扇動する、デマを拡散させて対象を貶める、そうして社会から排除される対象を創り出そうとする行為は、特定の国籍を対象にしたものに限らずともヘイトスピーチとして大いに懸念されてしかるべきものと考えます。そして昨今で最も深刻なものが、反原発あるいは脱原発と称した反東北、反福島のヘイトスピーチではないかと思うわけです。

 シムシティというゲームがあるのですが、これを「火力発電所と原子力発電所の選択があり、~このゲームは原発をたてないと絶対に人口が増えないことになっている」などと全くの事実無根のデマをブログに綴っていた人がいました。被害妄想に駆られた人とは、そういうものなのでしょう。ヘイトスピーチ系の論者は、しばしばエピソードを捏造します。在日外国人による架空の蛮行、それによる「日本人」の被害を喧伝したりといったパターンが広く知られるところですが、山本太郎の「被ばくの影響でしょう」云々もまた然りです。身の回りの(事実かどうかは不明な)不都合を、憎悪する相手のせいであるかのようにアピールしているだけの話です。

 結局のところ山本太郎やその同類の言動は、東北とりわけ福島に纏わるものが何もかも危険であるかのような印象を広め、その産品や人が敬遠される要因であり続けています。レイシストが在日外国人とりわけ在日韓国人を「日本」に対する脅威であるかのように言い募るのと同じように、反/脱原発サークルの連中は東北や福島の諸々を、「自分たち」にとって危険であるかのごとき偏見を広めようと活動を続けてきたわけです。

 食材の取り寄せ先として「西日本産、九州産が多い」と語る山本太郎の頭の中では、東日本全域が「危険」なのでしょうか。彼の支持層である東京の人間は東北エリアぐらいに絞っている人が多そうですけれど、ともあれ特定地域から来たものを危険であるとして、忌避と排除の対象とする、それが当然の振る舞いなのだという世界観を広めるべく行動している人がいるわけです。私にはこの種の人間(及び賛同者)が在特会の類と違いがあるとは思えませんね。

 

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コミュニケーション能力の高い人、とは

2013-10-25 00:24:47 | 非国民通信社社説

 ニクラス・ベントナーというサッカー選手がいます。数年前までは期待の若手として注目されていた選手でもあるのですが、年齢的に中堅へとさしかかった現在、彼はワールドクラスの自信家として知られています。「ベントナーの凄いところは、どれほどゴールを外しても自信を失わないことだ」と賞賛され、チームドクターの語るところでは心理テストの自信を問う項目で「測定不能」を記録した、まさに規格外のタレントです。ガーディアン紙のインタビューでも「なぜそんなに自信を持てるのかって? 簡単なことだよ。俺は良い選手だからね。」と答えてファンの度肝を抜きました。

 残念ながら近年は出場機会を減らすばかりでゴールからも遠ざかり、所属クラブからも放出候補に挙げられている選手だったりします。ここで並みの選手であれば、出場機会を求めて中堅以下のクラブへと移籍先を探すところ、しかし彼の自己評価には微塵も揺るぎはなく、ベントナー獲得に手を挙げたクラブはいずれも条件面で合意に至らず、移籍の成立しないまま年月が経過しているわけです。「この選手を評価する人がいるとすれば、それは本人だけ」と語られながらも決して自分への評価は下げない、格下のクラブへの移籍は受けない、年俸が下がるような移籍は拒絶する、まさに鋼の意思を持ったアスリートと言えるでしょう。

 試合で活躍を続けている間は自分に自信を持っていようとも、満足にプレーできなくなったり出場機会を減らしてしまうと自信をも失ってしまう、そんな選手を自信家と呼べるでしょうか。好成績を上げているときに自信を持てるのは当たり前です。その程度では到底、自信家とは呼べません。根拠があれば自信を持てるのは当たり前、自信が問われるのは結果が出ないときこそです。ベントナーのようにゴールを外し続けてもベンチにすら入れずクラブから戦力外扱いされても、己への自信を決して失わない、根拠はなくとも自信を持てる、それが本物の自信家というものです。

 そこで問いたいのは、日本社会において最も重要視されている「コミュニケーション能力」についてです。業種の如何に寄らず要求されるコミュニケーション能力って、いったいなんなのでしょうか? ポイントの一つは「内容が無い話でも盛り上がれる」ということではないかと、私は思います。フットボール界随一の自信家であるベントナーは自信を持つのに理由を必要としません。それと同じようにコミュニケーション能力の強者は「盛り上がるために話の内容を必要としない」、そういうものなのだと説明できます。

 「箸が転んでもおかしい(年頃)」なんて言い回しがありますけれど、これぞまさしくコミュニケーション能力が問われる場面であるように思います。つまり箸が転んだレベルの退屈な話題でも大いに盛り上がれる人もいれば、「こいつらの話は、本当につまらん」と輪に入れない人もいるはずです。そして両者を分けるのがコミュニケーション能力である、と。自分が活躍しているときに自信を持てるのが当たり前であるように、興味深い話題が語られているときに盛り上がることができるのは当たり前のことです。しかし偽物の自信家は結果を出せないと自信を失ってしまうように、コミュニケーション能力弱者は内容のない話題には加わることができないわけです。

 真の自信家は根拠などなくとも自信を持つことができます。そしてコミュニケーション能力の高い人は仲間内どころか大して親しくもない人と盛り上がるのにさえ内容を必要としません。すなわちコミュニケーション能力とは、燃料などなくとも自家発電を続けられる、話の内容を必要としない能力なのだと言えます。逆に言えば、常に内容を必要とする人は遠からずコミュニケーション能力不足として就業機会などから排除されることもあるはずです。「今」の時点では、自分は別にコミュニケーション能力弱者ではないと、そう考えている人もいることでしょう。かつての私もそうでした。しかし……

 ともすると友人にも不足はない、周囲の人間関係にも問題はなさそうに見えても、その実は脆いケースがあるように思います。たまたま周りに同好の士や、同じ志向を持った人がいるだけ、噛み合う相手がいるだけということもあるわけです。同じ趣味を持ったオタク同士では盛り上がれる人、同じテーマを研究する学生/院生仲間では会話が絶えない人、あるいは応援するスポーツチームなり(色々な意味での)信仰の対象なりを同じくする人の間では円滑にコミュニケーションをとれている人は多いでしょう。しかし、この「相通じる点」が失われたときはどうなのか、そこで「能力」が問われると言えます。

 ゲーマー仲間では話の輪の中心にいたり、研究室の中では盛んに意見を交わしたり、タイガースを応援するときにはともに声を嗄らしたりと、まぁ周囲に内容のある会話ができる人が揃っている間は、自身のコミュニケーション能力の不足に気づかない人が多いのではないでしょうか。近年、「大人の発達障害」が注目されるようになりました。高校や大学までは何ら問題のなかった人が、会社勤めをするようになって初めて「障害」が発覚するケースも少なくないそうです。コミュニケーション能力の欠如もまた然り、高校や大学までは友達が多かったのが会社社会では話の輪に加われない、そんな人もいるのではないでしょうかね。

参考、カッコーの巣の上へ

 内容のある会話しかできない、というのはコミュニケーション能力不足――就業機会を大きく左右する、ある種の障害の予兆と言えます。同好の士の間では中心的人物であろうとも、場面が異なると途端に沈んでしまう人もいるはずです。内容がなくとも盛り上がれるコミュニケーション能力強者と、盛り上がるためには内容が必要なコミュニケーション能力弱者がいるわけです。まぁ自分がそのどちらかと早めに気づいたところで何か対策が取れるはずもなく、せいぜいが「覚悟を決めておく」ことぐらいでしょうか。中身のあることだけを話していられれば楽だと私などは思うところですが、我々の社会で望まれているのは違いますから。

 

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社民党がこの先生きのこるには(追記あり)

2013-10-22 22:54:50 | 政治

社民新党首に吉田忠智参院議員 党首選で豊島区議破る(朝日新聞)

 【大野亨恭】17年ぶりに選挙戦となった社民党の党首選が14日開票され、参院議員の吉田忠智氏(57、比例区)が、東京都豊島区議の石川大我氏(39)を破り、第4代の新党首に選ばれた。任期は2016年初めの党大会まで。

(中略)

 吉田氏は選挙戦で、地方議員や国会議員の経験を生かし、党内融和や雇用政策を重視する姿勢を訴えた。ゲイで豊島区議の石川氏は39歳という若さをアピールし、党の変革を前面に出したが及ばなかった。

 

 17年ぶりに社民党の党首選が行われました。日本の首相は短期政権が相次ぐのを尻目に、その辺の独裁政権にも負けないほどの長期政権が社民党では敷かれていたわけで、まぁ社民党の内部が強権的云々というものではなく単に「争えるほどの規模がない」だけではとも思っていたものですけれど、何とか選挙は成立して新党首が誕生したようです。あまりにもエセ科学路線に傾倒しすぎた前任者を脱して真っ当な方向性を打ち出せるか興味深くもありますが、どうしたものでしょう。

 なお朝日新聞報道によると落選したのは「ゲイで豊島区議の石川氏」とのこと。こういう書き方をする必要性はあったのでしょうか? 当選した吉田氏の性癖も併せて語られているのならいざ知らず、一方をのみ記すところに差別意識というものは存在するように思います。なぜ「ヘテロ(かどうかは知りませんが)で参院議員の吉田氏」とは書かないのに、「ゲイで豊島区議の石川氏」なのか。この辺は問われるべきものがあるはずです。まぁ、芸ならぬゲイを売りにした芸能人が売れる時代ですから、ゲイとはそういう扱いなのかも知れません。

 

社民党首選、労組が市民派を圧倒 険しい再建の道(朝日新聞)

 【大野亨恭】社民党の党首選は、吉田忠智参院議員(57)が石川大我・東京都豊島区議(39)を破り、第4代党首に就いた。労働組合が推す吉田氏と、市民派の結集を狙った石川氏という党内の二つの流れが激突する戦いでもあった。「労組頼み」が党の衰退を招いた、と指摘される中で、吉田氏がその流れを止められるか。前途は極めて険しい。

 党首選では、吉田氏が9986票を獲得し、党の変革を訴えた石川氏の2239票を大きく引き離した。「労組」が「市民派」を圧倒した結果とも言える。

 

 ……で、同じ記者による別の記事がこちらです。曰く「『労組』が『市民派』を圧倒した結果」とのこと。本当にそうなのでしょうか? 確かに労組からの支持を否定的に捉える風潮は強いです。2010年に当時の民主党幹事長であったアホの枝野は「国家公務員の労働組合が支持しているのは、大部分が共産党だ。国家公務員の組合で民主党を支持しているところはほとんどない」などと事実無根の発言を行い、共産党と国公労連から抗議を受ける事態となりました。もちろん民主党が連合加盟の国家公務員労組から組織ぐるみの支援を受けているのは、よほどの民主党支持者でもなければご存じかと思います。しかるに、どれほど裏切られようとも民主党に忠誠を尽くす連合(労組)を枝野は公然と「(自分たちの)支持層ではない」と切り捨てて見せました。

参考1、民主こそ労組に支持押しつけ(しんぶん赤旗)

参考2、フジテレビ新報道2001での民主枝野幹事長の「国家公務員労組は大部分が共産支持」発言の撤回求める(国公労連)

 まぁ自身の直近の発言すら覚えていないのではと思わせるフシが枝野には多々あって、それだけに自分の所属政党の支持母体すら覚えておくことができなかった可能性も一概に否定できませんが、ともあれ枝野は労組からの支持を隠したがったばかりではなく、それを最も嫌いな政党に押しつけようとしたわけです。現代日本の政界において「労組からの支持」とはそういうものなのかも知れません。枝野のように公然と嘘は吐かないまでも、「好ましくないもの」として労組からの支持を扱う、そういう風潮はあるのでしょう。

 そして今回、引用した記事のように「労組」と「市民派」を二項対立の図式に据えるケースも当たり前のように存在するわけです。つまり、労組から支持を受けている⇒市民派ではない!と。社民党にとっての市民派とはエセ科学系の反福島サークルなんじゃないのかというツッコミはさておくにしても、「労組」と「市民派」は相容れないものなのかがまず問われるところです。労組の主張は市民派のそれと対立するものなのか、市民派の主張は労組(所属の組合員)の利益を損なうものなのか、労組と市民派を対立するものとして当たり前のように位置づける今回のような記事は珍しくありませんが、初めにミスリードありきとも言えます。

 むしろ、労組を市民の利害と対立するものとして忌んできたこともまた衰退の原因ではとも。もっと堂々と「労働者のための政党」と前面に出して、労組(所属の組合員)を守る政党として胸を張るという選択肢もあり得たはずです。しかし、労組は市民(派)の対立軸として置かれるばかりで、枝野のように労組との距離の近さを否定する、民主党がそうであったように労組にとって利になるような政策を避ける、そうやって労働者側を退けることで市民(国民)目線を気取る政治家ばかりが増大しているのが現状と言えます。労働者だって国民であり市民なのですけれど、あまりにも疎んじられてはいないでしょうか。社民くらいの小政党ともなれば、労働者というニッチな(本当は多数派なのに)ニーズを代弁する政党として他党との差別化を図ることも有効に思われます。それこそ、最も既成政党に欠けている部分でもあるのですから。

 

以下は10/23追加

小泉元首相に脱原発で会談要請 社民党首(共同通信)

 社民党の吉田忠智党首は23日の記者会見で、脱原発の主張を繰り返している小泉純一郎元首相に会談を要請したと明らかにした。共闘関係を構築して党の存在感アップにつなげる狙いで、小泉氏の回答待ちという。

 吉田氏は「方向性や考え方は一緒だ。脱原発に向けて、どう取り組んでいくかを話し合いたい」と期待を示した。

 

 ……ということで、どうやら社民党は今後もトンデモ路線を継続、小泉に擦り寄って反労働者路線にも傾倒していくものと予測されます。今後の政界再編があるとしたら「民主/みんな/維新の反労働者連合」「社民/生活/みどりのエセ科学同盟」「地方議会でも野党の共産」みたいな枠組みかなと思っていたものですが、「自民党をぶっ壊す」の小泉が核になる日もあるのかも知れませんね。安倍内閣が多少なりとも小泉改革の過ちを修正しつつある中、反動勢力の結集もあるのでしょうか。一時は橋下が引く手あまたで自民、民主、みんななど諸々からラブコールを送られていたものですけれど、今や小泉が野党のアイドルのようです。

 

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欠地王ジュン一世

2013-10-20 11:42:11 | 政治

小泉元首相「首相決めれば脱原発進む」 渡辺代表に吐露(朝日新聞)

 【今村尚徳】小泉純一郎元首相とみんなの党の渡辺喜美代表らが27日夜、都内で会食した。同席者によると、小泉氏は「安倍首相には勢いがある。首相が脱原発を決めれば前に進むのに、残念だ」と語るなど、脱原発の話題で盛り上がったという。

 小泉氏は「脱原発は政治がリーダーシップを発揮しないと進まない。自分は数十年後には死んでいて、原発のない日本は見られないかも知れないが、それをするのが本物の政治家だ」と語った。また、今年8月にフィンランドを訪れ、高レベル放射性廃棄物を地下に埋めて10万年かけて無毒化する核廃棄物最終処分場「オンカロ」を視察したことに触れて「フィンランドには原発が4基しかないが、日本には50基もある。いますぐ止めないと最終処理が難しくなる」と即時原発ゼロを訴えた。

 

 朝日新聞は全国紙で最も小泉政権に翼賛的なメディアだったと記憶していますが、往事の小泉賛美とは裏腹に小泉改革の「結果」に対してはどうでしょうかね。小泉純一郎を支持する一方で、小泉政権が残した「結果」には不満を露わにしている人(及びメディア)が少なくないように思います。その残した成果を見れば欠地王ジュン一世とでも呼ばれるべき日本史上屈指の愚かな為政者は、後任者に膨大な爆弾を残しつつも自身は名声を保持し続けた迷惑な前任者に似通っているのかも知れません。

 なお、「フィンランドには原発が4基しかないが、日本には50基もある。いますぐ止めないと最終処理が難しくなる」とのこと。ちなみにフィンランドの人口は僅か500万人超、日本の約25分の1です。日本の25分の1位程度の人口しかいないのに原発の数はどうでしょう? 人口当たりの原発の数で考えると、フィンランドは日本の2倍です。そもそも日本の「稼働している」原発の数はフィンランドと大差ないのですけれど――そういう現実を一蹴して省みないのが小泉なりの一貫した政治姿勢ですから仕方がありませんね。

 

小泉元首相発言 「原発ゼロ」掲げる見識を疑う(10月8日付・読売社説)

 小泉氏は原発の代替策について「知恵ある人が必ず出してくれる」と語るが、あまりに楽観的であり、無責任に過ぎよう。

 現在、火力発電で原発を代替している結果、燃料の輸入費が増え、電気料金は上昇を続けている。このままでは、家計や経済活動に与える影響が大きい。

 火力発電は、二酸化炭素(CO2)を多く排出し、地球温暖化が進む大きな要因である。

 太陽光や風力を利用した再生可能エネルギーは、天候に左右されるなど弱点があり、主要電源になる展望は見えていない。原子力、火力を主力にバランスの取れた電源構成を目指す必要がある。

 

 似顔絵まで披露して小泉をヨイショし続ける朝日とは裏腹にまともなことを書いているのは読売で、まぁ私が何かを付け加えるまでもないでしょう。小泉(菅も同路線ですが)体制であれば日本経済は失速を続け、産業向けの電力需要が減っていく、脱原発も可能に……みたいな道筋も考えられなくもないですけれど、普通に日本社会を回していく上では原発の代替が求められるものです。そして原発の代替が可能なのは火力しかない、そして火力発電比率を引き上げる代償として燃料輸入の増大(そこから必然的に導かれる電気料金の値上がり)と化石燃料のゴミたる二酸化炭素排出量の増大があります。

 廃棄物を小さく固めて、どこかの地下にでも保管しておけるようであれば、まだしも打つ手はあるでしょう。一方、二酸化炭素のように大気中に排出されて回収もままならないものもあるわけです。原発のゴミは拡散しない、どこかに保管して封をしておける、これはむしろ原子力発電のメリットでもあります。逆に火力発電のゴミは、保管しておくことができません。大気中へと垂れ流し、気候変動の要因を増大させていくのを眺めるほかない代物です。私には火力発電の増大の方が、より緊急性の高い不安要因に見えます。廃棄物を保管できない発電手段と保管可能な発電手段、どちらがベターなのやら。

 

小泉元首相、読売社説にブチ切れ!「原発ゼロ」批判に異例の反論(zakzak)

 「政治で大切なことは、目標として大きな方向を打ち出すことだ」

 小泉氏が19日付読売に掲載したのは、「『原発ゼロ』を目指して」と題する論文。怒りの矛先は、「小泉元首相発言 『原発ゼロ』掲げる見識を疑う」と題した8日付読売の社説に向けられた。

 論文は、社説での小泉批判を引用し、これに反論するスタイル。原発の代替電源・火力発電で電気料金が上昇し、経済に悪影響を及ぼしているという読売社説の指摘には「蓄電技術の開発が進んでいるではないか」などと強調した。

 「必要は発明の母」

 「過ちては改むるにはばかることなかれ」

 「『やればできる』は、魔法の合言葉」

 

 ……で、残念ながら本家本元たる読売掲載分はweb上で公開されていないようですが、また小泉が妄言を連ねていることが伝えられています。曰く「蓄電技術の開発が進んでいるではないか」とのことですけれど、この辺の技術に関心がある人なら、まだまだ先は遙かに遠いことを理解していると思います。進んでいるからと言っても、火力や原子力及び水力の安定発電に肩を並べ、太陽光や風力を趣味の世界ではなく実用レベルに持って行くには、それこそ放射性廃棄物を短期間で無害化するのと同じくらいの画期的なブレイクスルーを必要とするわけです。筋金入りのお花畑系政治家の脳内ではどうか知りませんが!

 挙げ句の果てに「『やればできる』は、魔法の合言葉」と根性論を持ち出しています。真っ当な批判をマジックワードでことごとく退け、暴走を続けては日本社会に大いなる爪痕を残した小泉らしい発言と言えるでしょう。まぁ、世間で「脱原発」と認識される人は、そういうものなのかも知れません。原発の利用や拡大にネガティヴな人でも、まともなことを言う人は軒並み御用学者だの工作員だの原発推進勢力だのと、脱原発を称する人から悪罵されてきたわけで、この「脱原発サークル」のお仲間に入れて貰うためには、ある種の「愚かさ」が必要なのでしょう。

 

脱原発、小泉氏との連携期待=志位氏(時事通信)

 共産党の志位和夫委員長は17日の記者会見で、小泉純一郎元首相が原発ゼロを主張していることについて、「理が通っている。私たちとも接点はある。原発ゼロの一点でどんな立場の人とも大いに協力を図っていく」と述べ、脱原発に絞っての連携に期待を示した。 

 

 脱原発を掲げていれば中核派とも手を組もうとしたりエセ科学系の論者を機関誌に登場させたり、あるいは福島に対する事実無根の誹謗中傷を拡散・擁護したりと、まぁ脱原発無罪を党是としている政党は数あります。 ……とりあえず、共産党は脱原発無罪で誰とでも手を組む、脱原発のためならば国民の生活を破壊して何も反省しないような人でも歓迎する、脱原発のためなら国民を犠牲にすることを厭わない、そんな党だと認識しておきましょう。安倍政権下での景気回復の動きに専らネガティヴな評価を投げかけ続け、経済面では協力しないとの姿勢を表明してきた共産党ですが、脱原発ならば手を携えるとのこと、党の姿勢が伝わってきますね。

 

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就職支援業者の落とし穴も語れ

2013-10-18 00:03:06 | 雇用・経済

「就職支援サークル」の落とし穴 過度の依存は禁物…臨機応変欠く(産経新聞)

 大学3年生・大学院1年生の就職活動開始まで約2カ月を切った。後期授業が始まり、いよいよ重い腰を上げ、就活に向けた準備を始める学生多いだろう。しかし、「就活の準備」といわれても、まず何から取り掛かればよいのか分からない学生もいる。そんな学生たちが救いを求める場所として「就活支援サークル」がある。大学のサークルといえば、テニス、バスケットボールといったスポーツ系、あるいは文化系サークルが頭に浮かぶところだが、ここ数年、大学にこの「就活支援サークル」が急増している。

 例えば、流通経済大学の就職支援サークル「R↑KU」は、既に就職活動を終えている4年生が中心となり、就職支援センターの協力の下、毎週1~2回定期的に勉強会を開催している。勉強会の中では、グループディスカッションや面接練習はもちろん、SPI対策やプレゼンテーション練習などを行っている。さらに、サークル内での活動報告をまとめたブログの更新や定期新聞の発行、夏・秋合宿の実施など、かなり本格的な活動を行っている。他にも、茨城大学の「Bridge」、弘前大学の「弘ナビ」、沖縄地方の就活生を応援する「ジョブズ」など、全国各地の大学に就活支援サークルは広がりを見せている。

(中略)

 このように、学生にとって非常に利便性の高い「就活支援サークル」だが、企業の人事担当者からの意見は意外と厳しい。確かに、「就活支援サークル」の存在は、就活を始めるきっかけや、就活への知識・技術の向上につながる場合が多いが、一歩使い方を間違ってしまうと内定への道のりから大きく外れてしまいかねない。これから就活支援サークルへの入部を考えている学生も多いと思うが、利便性が高いからといって、その存在に依存することなく、適度な距離を保ちながら、上手なかかわり方を模索していく必要があるだろう。(「内定塾」講師 川尻早貴)

 

 学校ぐるみで「就職するための技術」を教える大学も多い中、就職支援を謳った業者も跋扈する昨今ですが、「就活支援サークル」もまた急増しているそうです。引用元では、その辺りを紹介しつつも「過度の依存は禁物…臨機応変欠く」とか「一歩使い方を間違ってしまうと内定への道のりから大きく外れてしまいかねない」とネガティヴな評価を付け加えてもいます。まぁ、いかに日本企業の採用が一面的と言えど、そういう面もあるのかも知れません。

 ただしこの「就活支援サークル」にネガティヴな評価を付けているのは文末に署名のある通り「内定塾」という業者だったりするわけです。つまり、求職者から金を巻き上げつつ「就活支援サークル」と同様の目的(=就職)を掲げている業者、競合する事業者です。むしろコンサル連中がカモを無償の学生サークルに奪われそうになっている、そうした危機感が今回のような記事を書かせているのではないかと訝しく思えてくるフシもあります。

 むしろ大学だったらアレですね、宗教団体とか過激派の類が就活支援サークルを装って学生を勧誘する類に警鐘を鳴らした方がという気がしないでもありません。その手の偽装サークルは昔からあったわけですけれど、原発問題を煽り立てるヒステリーを背景に過激派が息を吹き返したようなところもありますし(中核派の支援する候補が参院選で当選したとか!)、単なる趣味のサークルならいざ知らず、就職という重要性と難易度がともに高く学生を大いに悩ませる問題が餌になっている分だけ、つけ込まれる余地は増えてくるものと思われるところですから。

 

「採用したくない」残念すぎる履歴書 6選(Googirl)

新しい仕事を得る際に自分の「顔」となってくれる履歴書。大切なツールなはずなのに中には結構ぶっ飛んだ一枚がたくさんあるのです。今日は筆者が実際に遭遇した「採用したくない」履歴書をお教えします。

間違いを修正ペンで消してある

「一カ所や二カ所の間違いなら、書き直すのも面倒くさいし修正しちゃえ♪」ということでしょうか。綺麗に書き上げた履歴書の最後の最後で痛恨の誤字…、確かに修正ペンやテープで直して仕上げてしまいたい気持ちはよくわかります。しかし中には上から間違いをぐちゃぐちゃっと塗りつぶしてある強者も。また契約書ではないので二重線の上に訂正印を押すのもNGです。

 

 ……で、この手の話は定期的にメディアに掲載されるわけです。「契約書ではないので」云々とまで書かれていますけれど、契約書ですら許されることが履歴書に関しては通用しないというのが、何とも我が国のガラパゴス・スタンダードの凄まじさを痛感させてくれます。冒頭に出てきた「内定塾」にしても、履歴書(というかエントリーシート)を綺麗に作ることに関してはグダグダと能書きを垂れているところです。就職ビジネスの世界では、「履歴書を綺麗に手書きすること」は常に重要視されているのでしょう。

 たぶん、日本の学生は「世界で一番、履歴書を綺麗に手書きする能力が高い」と思います。学力テストの数値や語学力やITスキルとかその辺は微妙でも、履歴書を手書きするスキルで日本人が他国の学生に負けることはないでしょう。でも、それって世界に誇れるようなことなのかな、とも。履歴書を綺麗に手書きできなければ日本での就業機会は大きく制限されます。しかし、履歴書を綺麗に手書きできたところでビジネス上の貢献が期待できるのか、それは誰の目にも明らかなことです。もうちょっと他に問われるべきものがあるはず――とマトモに就職できないおじさんは思うのですが、我々の社会は学生に「就職するための技術」を教えるのに躍起になるばかりです。

 

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なぜ自民党は民主党の過ちを正そうとしないのか

2013-10-15 22:24:54 | 政治

「安倍内閣の花、種まいたのは野田内閣」藤村前官房長官(朝日新聞)

 「いま安倍内閣で花が咲いているのは、野田内閣で種をまき、芽を出させた部分も多い」

 野田内閣で官房長官を務めた前民主党衆院議員の藤村修氏(63)が2日、安倍内閣が最優先で進める経済再生をこう評価した。政界引退を正式表明した大阪府庁での記者会見で語った。

 野田内閣が道筋をつけ、安倍晋三首相が実施を表明した消費増税は「世界の中で日本の信頼をきちんとつないだ。本当に立派なことをしたと将来評価される」と指摘。一方、政界の現状については「今後、日本での二大政党制が民主党と自民党で成り立つとは思いにくい」と述べ、退潮した民主党が再び2大政党の一翼を担うことは難しいという考えをにじませた。

 

 ……などと意味不明な供述をしており、報道機関には余罪について追及していく方針をしっかりと持っていただきたいと思うところです。概ね民主党はデフレ脱却、超円安の是正、株価の回復と言った安倍内閣の正の功績に関しては否定的であったように記憶していますが、民主党の宿願であった消費税増税を素通しすることが決まった途端、「あれは我々の手柄」とばかりに胸を張り出したわけです。何というかまぁ、救いようのないバカの集団ですよね、民主党って。「今後、日本での二大政党制が民主党と自民党で成り立つとは思いにくい」という点については全くの同意です。民主党は消滅するのが歴史的使命であり、最大の貢献でしょう。

 

「首相の座より消費税」…野田前首相が語る(読売新聞)

 消費税率が来年4月から8%に引き上げられることが決まったが、民主党の野田佳彦前首相は読売新聞のインタビューに応じ、消費増税を決定した民主、自民、公明3党の3党合意の内幕や「近いうち」解散の真相などを明らかにした。
 
 野田氏は消費増税について「消費税をとるか、総理大臣をとるか。党をとるか、消費税をとるかも含めて、政治生命をかけるというのは(失敗したら)議員を辞めるということだった」として、実現できなければ議員辞職する考えだったと述べた。

 

 消費税増税によって公約すなわち国民との約束を反故にした民主党ですが、自民党(及び公明党)との3党合意は忠実に守り、自民党にとってまさにベストと言えるタイミングで解散総選挙を決定したという点では、野田内閣をどう評価すべきか迷うところです。利敵行為、反党行為じゃないのかと訝しく感じるところもある反面、任期満了まで民主党政権を続けられても迷惑極まりないですから。まぁ、野田のお膝元である千葉県は船橋市を含めて、地方議会レベルでは民主党と自民党は常に手を携えて首長を支える盟友であるだけに、民主党の政治家として「自民になら譲っても」ぐらいの思いはあったのかも知れません。そして何よりも消費税増税、逆進課税こそが望みであったと。

 

客離れ危機感で「実質値下げ」の動き 消費増税前に流通・外食など(サンケイビズ)

 来年4月の消費税増税を前に、流通や外食などの企業で、増税分を商品やサービスの価格へ上乗せしない「実質値下げ」を決める企業が出てきた。消費者の節約志向が根強い中、増税分の価格転嫁は客離れにつながりかねないと判断。実質値下げによる差別化で、売り上げ減を最小限にとどめたい考えだ。

 「98円のペットボトルのお茶は、(消費税が)8%になろうと10%になろうと98円で提供するのが(小売りの)務め」。ダイエーの村井正平社長は3日の会見で、プライベートブランド(自主企画、PB)商品などの価格について、増税分の価格転嫁に否定的な考えを示した。

(中略)

 外食でも、サイゼリヤが一部メニューで価格を据え置く。決算会見で堀埜一成社長は、「値上げする商品もあるが、500円の日替わりランチなどは、現在の価格を死守するかどうかでイメージが異なる」として、実質値下げで値ごろ感を演出。「消費税を追い風にする」(堀埜社長)と意気込む。

 

 総額表示が義務付けられた当時、私は家電量販店で働いていました。それまで「980円(税込1,029円)」で販売されていた製品に「980円(本体価格933円)」と値札を付け直していったことを覚えています。値上がりしたと思わせないために店舗側が自腹を切ったケースは少なくなかったはずです。安倍内閣はこの辺、総額表示の見直しなど多少なりとも対策を示しているところですが、弥縫策との印象を免れるものではありません。そして来年に迫った消費税増税を前に、小売り/飲食店の中には早くも価格維持――本体価格ではなく消費税を含めた総額の維持を表明するところが出ています。消費税が上がったのに総額は据え置き、すなわち本体価格は値引きして販売と言うことですから、これも結構なデフレ要因となることでしょう。

 上記の引用元ではイオンやダイエー、省略した箇所にもイオンやニトリなど、各業界の大手が名を連ねています。それだけの大手でありながらも、「増税分の価格転嫁は客離れにつながりかねないと判断」しているわけです。では、より小さな、より競争力が弱い企業においてはどうなるのでしょうか? 大手ですら価格転嫁できないところを中小零細が価格転嫁できるのか、結局のところ増税分を価格転嫁できるかどうかは「力関係次第」です。価格転嫁しても売れるだけの立場の強さがあればともかく、価格転嫁しては売れなくなってしまう、客が離れてしまうような弱い立場の事業者は消費税増税分を自ら負担せざるを得ないであろうことが容易に予想できます。かくして、机上論ですら逆進的な消費税の負担は、立場の弱さに応じて実質的な負担を強いるという二重の逆進性を披露するわけです。逆進課税の強化に精神的な満足感を覚える人にとってはいざ知らず、多少なりとも公正性や経済合理性を重んじる人にとっては、全くの愚策でしかないのですけれど……

 

「消費増税決断」でも垣間見えた「沈む維新」「浮かぶ公明」(時事通信/フォーサイト)

 安倍首相は10月1日の記者会見で、ついに来年4月からの消費税率の8%への引き上げを表明した。昨年成立した新しい消費税法が予定していた通りの引き上げ表明にようやく漕ぎつけられたわけだが、安倍首相が上機嫌だというわけではない。良く知られた事実だが、安倍首相は喜んで税率を引き上げたわけではなく、むしろ消極的だったからだ。

 

 なお、一部報道では「本当は上げたくなかった」と、安倍内閣が消費税増税に消極的であったと伝えるところもあります。まぁ、民主党ほど逆進課税への拘りは感じられないところですが、どうでしょうか。前政権下で決まった法律の縛りが云々と上記の引用元では語られているのですけれど、歴史や憲法を歪めようとするときの安倍総理の強い意志を持ってすれば、民主党との合意を反故にすることがそこまで難しいとは思えませんね。史実や国の在り方を塗り替えるよりは、消費税増税を止めることの方がずっと簡単だろうとしか。

 

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闇の京都大学方式   ……とか、ならなければいいけど

2013-10-13 10:55:28 | 社会

大学入試:国公立大、2次の学力試験廃止 人物重視、面接や論文に−−教育再生会議検討(毎日新聞)

 政府の教育再生実行会議(座長、鎌田薫・早稲田大総長)が、国公立大入試の2次試験から「1点刻みで採点する教科型ペーパー試験」を原則廃止する方向で検討することが分かった。同会議の大学入試改革原案では、1次試験で大学入試センター試験を基にした新テストを創設。結果を点数グループでランク分けして学力水準の目安とする考えだ。2次試験からペーパー試験を廃し、面接など「人物評価」を重視することで、各大学に抜本的な入試改革を強く促す狙いがある。実行する大学には補助金などで財政支援する方針だ。【福田隆、三木陽介】

 同会議のメンバーである下村博文文部科学相が、毎日新聞の単独インタビューで明らかにした。

 同会議は「知識偏重」と批判される現在の入試を見直し、センター試験を衣替えした複数回受験可能な新しい大学入学試験と、高校在学中に基礎学力を測る到達度試験の二つの新テストを創設し、大規模な教育改革を進めようとしている。11日の会合から、本格的な議論に入る。

 下村文科相は「学力一辺倒の一発勝負、1点差勝負の試験を変える時だ」とし、新テスト創設の必要性を強調。さらに、大学ごとに実施する2次試験について「大学の判断だが(同会議では)2回もペーパーテストをしないで済むよう考えたい」「暗記・記憶中心の入試を2回も課す必要はない」と述べた。私立大も新テストを活用するのであれば、同様の対応を求める方針だ。

 

 これに先立って京都大学の総長が似たような企てを語っていたのを思い出します(参考)。要するに従来の学力テスト中心の評価のウェイトを減らして、「人物評価」を重視するとのこと。まぁ、ある意味では整合性がとれているのではないでしょうか。今や日本の大学は勉強をするところとしてではなく、就職予備校として期待されているわけです。そして就職のために必要なのは学力ではなく、コミュニケーション能力云々に代表される、要するに「人物評価」ですから。就職には影響の少ない学力を問うよりも、将来の就職活動において才能を発揮できそうな人を最初から選抜する、大学が社会から求められている役割を果たすためには、こういうシフトが必然となってしまうと言えます。

 

入試面接0点、なぜ 今年医学部不合格「採点基準は」(朝日新聞)

 【伊藤あずさ】秋田大医学部医学科の今年春の入試で、筆記は高得点だった女子受験生(18)が、前後期とも面接で0点で不合格になった。受験生は「結果は仕方ない」としつつ、中学時代から患った病気や高校に進学しなかったことの影響ではと気にし、「採点基準が知りたい」と訴える。大学は「総合的に判断した」と説明している。

(中略)

 受験生は「実力を出せた」と感じていたが、試験後に希望者に届けられた「入学試験成績」の面接の評価は前後期とも3段階で最も低い「C」。Cは「満点の70%未満」で、家族が大学に情報公開を求めると、2度の面接とも0点と分かった。順位は黒塗りされていた。

 

 ……で、冒頭の「人物重視」との関連でか、こちらに引用した報道へのアクセスが増えているみたいです。まぁ、面接なんてそんなものですよね。公務員採用の世界ならまだしも民間企業の採用面接であればブラックボックスが当然の常識であり、情報公開されただけでもマシなくらいでしょう。ちなみに私は、小論文でならば0点を取ったことがあります。下らない文明論だ云々と、お題の文章を(このブログと同じような調子で)批判したところ、出題者の怒りを買ってしまったようです。小論文を含めた国語という教科の眼目は出題者(≠作者)の意図を察することですから、それも仕方ないのかも知れません。

 ともあれ、学力テスト(小論文除く)と比べると面接中心、人物重視ともなると採点基準は曖昧になるばかりです。得をする人もいれば、納得のいかない落とされ方をする人もいることでしょう。いったい何が「人物として高得点」なのか、尺度が示されなければ受験生も努力のしようがありません。学力テストのように明白な合格の指針があれば、勉強が苦手な人でも目標がクリアな分だけ努力で埋め合わせる余地があるわけです。しかし、基準がブラックボックスの中であれば何を磨けば良いのか分からない、生まれつきの素養で選ばれるのを待つほかなくなってしまいます。

 この教育再生実行会議の先駆者と言える京都大学総長の構想によると「例えば音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる」そうです。京都大学的には、それが「点数の高い人物」の在り方として規定される日が来るのでしょうか。逆にマイナーな(異性からのウケが悪いタイプの)趣味を持ち、人付き合いを好まないタイプは人物として低い点数を付けられ、入り口の段階で篩い落とされてしまう。これが京都大学総長の愚かな妄想である内はともかく、政府筋からまで同旨のプランが打ち上げられるとあらば、まぁ嫌なものだなと。

 日本企業の歓心を買える人材を育成する、産業兵卒を養成するという面では、企業の採用基準を模したような「人物重視」の合格基準を大学にまで設けるのは、冒頭で書きましたようにある意味では整合性のあることなのかも知れません。もっとも、この日本的な採用基準で高得点をマークした人材が日本経済を牽引して景気を浮揚させてくれているかと言えば、誰もが首を傾げるところではないでしょうか。大学名は問うが学力は問わずに人物重視、それは成功しているのやら。これに倣って大学入試も人物重視に切り替えたところで、得られるものは何なのでしょう?

 

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都会の報道は相変わらず

2013-10-09 23:29:03 | 社会

試験操業の魚店頭に 11魚種すべて検出下限値未満(福島民報)

 相馬双葉漁協が再開した沖合底引き網漁の試験操業で水揚げした魚などが26日、相馬市の松川浦漁港から県内外に出荷された。

 同漁協の放射性物質サンプル検査の結果、水揚げした11魚種は全て検出下限値未満だった。このため、毛ガニやマイカ(スルメイカ)など9魚種計約1・5トンが同日朝、相馬原釜魚市場買受人協同組合を通して県内と仙台方面に出荷された。

 

 まぁ大した話ではありませんが、現地では着々と安全が確認されているわけです。一方、福島から遠く離れた地域でヨタ話を量産しているブルジョワ新聞の報道はいかほどのものでしょう。

 

(プロメテウスの罠)給食に福島米:7 正確に20ベクレル測れるか

 2012年12月14日の一般質問を皮切りに、福島市議会での大内雄太(30)の質問が始まった。

 福島市は、学校給食に使うと決めた市産米は「玄米1キロ当たり20ベクレル未満」の米だけにする、としている。大内は、二つのポイントでその「信用性に問題がある」とした。

(中略)

 その検査で一定以上の数値が出た米について、県はより精密なゲルマニウム測定器で測り直す。これは厳密に数値を測る検査だ。機器を開発したメーカーの実証実験では、両者の値に最大で21ベクレルの差が出た。

 つまり、県の検査器では一定の誤差が出うる。県の検査で玄米1キロ当たり25ベクレル未満の数値を得ても、詳細検査をすれば25ベクレルを超える可能性が否定できないのではないか。

 

 生物にとっての必須栄養素であるカリウムには0.0117 %の放射性カリウムが含まれています。地球人はこの放射性カリウムの摂取により、生まれてから死ぬまで一貫して被曝を続けているわけですが、カリウムを摂取しなければ人間は死んでしまいますので、これは仕方ありません。成人では約140g程度のカリウムを体内に蓄える必要があるとのこと、これはベクレルに換算すると4200ベクレルくらいになりますね。ちなみにカリウムが豊富な食品として頻繁に挙げられるのはバナナで、1kg当たりのカリウム含有量は3,600mg、ベクレルで言うなら1kg当たり110ベクレルです。わーお、朝日新聞的にはバナナは安全な食品に入りますか?

 ……で、プロメテウスの罠という朝日新聞の頭の悪さを端的に表わすシリーズが延々と続けられているわけです。そして福島市では学校給食に地元で収穫された米を使うことになったようですが、これまた頭の中身が朝日新聞レベルの議員があれこれと噛みついていることが伝えられています。曰く「信用性に問題がある」とか。何でも測定器では「最大で21ベクレルの差が出た」ことを根拠にしているそうで。しかしまぁ、1kg当たり21ベクレル程度の増減があったとして、それで人体に影響を及ぼしうるのか、私にはその辺からして疑問です。そこまで小さな値に意味があるのかもまた問われるべきでしょう。レシピに書かれた分量よりも1gだけ塩分量が多かっただけで健康を害するのではと大騒ぎしている人がいるとすれば、やるべきことは厳密な測定――ではありませんよね?

 

 県の検査は、玄米1袋30キロ単位で測る。袋の中に汚染米が偏在したときの検査値はどう出るのか。

 あくまで極端な例、として大内はこんなふうに質問した。

 30キロの袋の中に29キロの0ベクレル米と1キロの750ベクレル米が存在した場合、検査では1キロ当たり25ベクレルと出る可能性があるのでは?

 

 もし大ジョッキ一杯の醤油を飲み干せば、死の危険に直面します。では醤油は危険なのでしょうか。「安全だというのなら飲んでみろ」と大杯になみなみと注がれた醤油を突きつけられたら、「無理です」と断るほかありません。醤油の安全性を、自ら飲み干すことで証明してくれる人などいないでしょう。そこで「ほら見ろ、やっぱりお前だって危ないと思っているじゃないか」などと言い張る人がいたら、まぁ食の安全よりも別のものを心配してしまいますよね。ましてや醤油を飲んでみろと迫る人が、あろうことが政治家であったりした日には思わず日本の未来を憂いてしまうところです。

 もちろん醤油1kg中に含まれる塩分量は、安全の域を完全に超過しています。他でも微妙に知られているところではヒジキとヒ素などはどうでしょう。ヒジキにはヒ素含有量が多く、ヨーロッパでは食用に適さないものとして扱われています。まぁ主食をヒジキにするのは、私も安全ではないと思います。コップには醤油、丼にはヒジキ――食品の安全基準値を完全に凌駕する、実に危険な食生活です。そんな「1kg当たり」に直せば安全基準に収まらない醤油やヒジキですけれど、特に不安に思われることもなく我々の食卓に並んでいるわけでもあります。なぜでしょうか?

 結局のところ、我々にとって意味があるのは特定の食材を抜き出しての基準値ではなく、数日単位で見た場合の合計した数値でしかありません。特定の一食、特定の一皿、特定の一口で基準値に目を光らせても無意味です。1日だけ塩辛いものを食べても高血圧にはなりませんし、1日だけ脂っこい物を食べても肥満にはならない、1日だけカロリー制限しても痩せたりはしないのは誰の目にも明らかなことのはずです。何事も続けなければ意味がないのは言うまでもないでしょう。ところが朝日新聞報道では「偏在」が白面で問題視されているのですから、もう笑うしか。

 別に偏在していても、まとめて炊かれてしまえば一緒です。たとえば味噌汁の原料にさかのぼれば、味噌と野菜なり豆腐なり出汁なりがありますが、材料の一部に塩分が偏在しているわけです。では材料の一部に、1kg当たりの塩分量が安全とは言いがたいものが含まれていれば、味噌汁は危険なのでしょうか? ヒジキご飯を全体で見れば、ヒ素の含有量が基準値を超えてはいないでしょう。しかし材料の一部にヨーロッパの基準値を超過するヒ素を含んだ食材が「偏在」しているとしたら? 率直に言って、ここでの「偏在」の問題視はまさに無意味な難癖でしかなく、馬鹿げた議員による妄言を都会のブルジョワ新聞が持ち上げては福島の食材に不当な嫌疑を投げかけているだけの偏見を煽る記事でしかありません。

 

汚染灰「人の住めない福島に」 桜田・文科副大臣が発言(朝日新聞)

 福島第一原発事故で放射能に汚染されたごみを焼いて出た焼却灰の処理をめぐって、桜田義孝・文部科学副大臣が千葉県北西部の市長や国会議員らとの懇談会の席上、「(焼却灰は)原発事故で人の住めなくなった福島に置けばいい」と発言していたことがわかった。

と発言していたことが七日、分かった。指定廃棄物は発生した都道府県が処理することが国の方針となっており、関係者から批判が上がりそうだ。

 

 ……ちなみに、こんな救いようのない発言もあったそうです(朝日新聞以外の報道によると「原発事故で人の住めなくなった福島の東京電力の施設に置けばいい」とのこと)。他紙でも概ね問題発言として取り上げられているようですが、しかし朝日新聞はこの手の主張を繰り広げてきた「市民」や「ジャーナリスト」「(自称)専門家」を、これまで肯定的に取り上げてきたのではなかったかな、と首を傾げるところでもあります。朝日とか毎日とか、中日/東京新聞など表現の自由をはき違えている反福島系メディアの世界観には、むしろ合致している発言にも見えます。早川由紀夫擁護の論陣を張っていた東京新聞辺りなら、この発言を正当化する論説の一つも出さないと筋が通らないでしょう。あーあー、発言した人の所属政党とか、新聞社が態度を決める上ではそっちの方が大事ですかね。

 

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