非国民通信

ノーモア・コイズミ

予想された判決ではありますが・・・

2007-02-28 23:19:11 | ニュース

君が代のピアノ伴奏命じた校長の命令は合憲 最高裁判決(朝日新聞)

 東京都日野市立小学校の99年の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した。5裁判官中4人の多数意見で、藤田宙靖(ときやす)裁判官は反対意見を述べた。

 何故か左寄りと言われている朝日新聞から持ってきましたが、これのタイトルが少しおかしいですね。今回の裁判で争点になっているのは命令の合憲性ではなく、憲法に違反する職務命令を拒んだことに対して戒告処分を加える行為が妥当かどうかであって、敢えてタイトルを修正するとしたら「職務命令に従わない奴は処分してやる、最高裁のお墨付きだぞ!」 ・・・ってとこでしょうか。式を円滑に進めたいのだったら初めっからテープを使えばよさそうなものですが、嫌がる女教師に無理矢理ピアノを弾かせる、新手の羞恥プレイでしょうか?

 昨日、裁判は上に行けば行くほど判決が保守的、体制寄りになると書きましたが、例によって最高裁の結果はごらんの通り。高度に政治的な問題には介入しないと、三権分立の放棄を公然と宣言してはばからない日本の司法のどん底ぶりをよく表した判決かもしれません。

 しかし公務員削減が要求されるこの御時世(ただでさえ日本は公務員が少ないのに、これ以上減らしたらとんでもないことになりますが)、都民、県民の血税を使って学校の式典に監視員を送り込む行為にはもう少し疑問を持たれてもいいような気がします。自治体には国歌の斉唱状況を監視するよりも、もっと他にやるべきことがあるはずですが。

 そもそも、国歌を歌わなかったくらいで処分されるのは日本の他には中国と北朝鮮くらいですし、日本でもわざわざ公金を投じて監視員を送り込み、処罰を重ねているのは東京都と広島県だけ、地方分権とはいうものの、あまりに勝手なことをやっている自治体には歯止めをかけて欲しい気もするのですが。

 タカ派の軍拡論者は北朝鮮が攻めてきたとき、中国が攻めてきたときに、戦えなくてどうするのかと仮想的を前に熱弁を振るいます。ところが実際に我々を脅かしているのは外国ではなく日本政府である場合がしばしば、東京都が監視員を派遣して「歌わない奴は処分する」と迫るとき、つまり国民に対して権力が何かを強要したときに、戦えなくてどうするのかと私は問いたい。今回処分された教師は生徒達に、自分たちを侵害する相手と戦うことを教えた良い先生だったと思いますね。

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北海道新聞:君が代伴奏*軽視された内心の自由

「村八分」訴訟、地区長らに賠償命じる判決 新潟の集落(朝日新聞)
 「集落の決定に従わなければ村八分だ」

「全体の奉仕者」の「全体」とは「全体主義」の「全体」なのでしょうか?
 藤田宙靖裁判官の意見はこちらに掲載されています

愛国心より忠誠心?

 

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学生無年金訴訟、仙台高裁でも国側敗訴

2007-02-27 23:55:41 | ニュース

学生無年金訴訟、仙台高裁でも国側敗訴 不支給取り消し(朝日新聞)

 国民年金への加入が任意だった学生時代に統合失調症と診断された岩手県内の男性(43)が、未加入を理由に障害基礎年金が支給されないのは違法だとして、国に不支給処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決が26日、仙台高裁であった。井上稔裁判長は「20歳前の発症が医学的に明らかで、発症日を初診日と拡大解釈できる」と判断。一審の盛岡地裁判決を支持し、国の不支給処分を取り消す判決を言い渡した。

 統合失調症に苦しむ男性に対して障害基礎年金を支給してこなかったのが違法であるとの判決が出たようです。私は法律の専門家ではないので法解釈を巡る議論はさておくといたしまして、ここは人間の情の面からちょっと見てみたいと思います。現に統合失調症で苦しんでいる人がいるわけです、それが諸々の理由で障害基礎年金の支給が受けられず困窮している、困っている人がいるのであれば助けてやりたいと思うのが人の情でもあります。私はひねくれ者ですが、それでも今回の判決には「良かったね」と思うわけです。しかるに被告のコメントはこちら、

 社会保険庁は「国のこれまでの主張が認められず、大変厳しい判決と考えている。今後は、判決内容を十分検討し、関係機関と協議して決定したい」とする運営部長コメントを出した。

 そりゃ立場もあるのでしょうが、そんなに苦々しく思うべきことなのでしょうか。病気に苦しんでいる人が手当を受けられるようになったのだから、いたわりの言葉の一つも欲しいところです。この判決で助かった人がいるのですから。立場上、制度に沿って動かなければならないのはわかりますが、一人の人間が救われたこと、それを苦々しく受け止める、国側の代弁者として役目は果たしたのかもしれませんが、その態度は人としてどうなんだろう、と思うわけです。

日本国籍確認:フィリピンの子供9人逆転敗訴(毎日新聞)

 未婚のフィリピン人母から出生し、日本人の父の認知を受けながら、日本国籍がない子供9人が、国籍法3条に基づき日本国籍の確認を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は27日、全員の請求を棄却する原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。宗宮英俊裁判長は「3条は嫡出子に対する規定で(非嫡出子の)原告らが3条を根拠に国籍取得することはできない」と述べた。原告側は上告の方針。

▽法務省民事局の話 国の主張が認められた妥当な判決だ。

 地裁では原告勝訴も高裁では敗訴、どうも上に行けば行くほど判決が保守寄りに偏る気がするのですが、気のせいでしょうか? ともあれ、今もなお根強く残る婚外子差別と日本国籍の排他的性質を感じさせる判決です。こちらも、法解釈の妥当性に関しては保留します。しかし、日本で暮らし、父親からも認知されている子どもが制度上の理由で国籍のないまま放り出されている、それを追認しようとする気分ってどんなものなんだろう?と。

 昔、営業をやっていた頃、毎朝営業成績の発表があったわけです。「昨日の売り上げは¥○○、粗利¥○○です!」「おめでとう!(パチパチパチ)」と。他所の会社でも似たようなことはやっていると思います。当時の上司は税務署でもやっているはずだと主張していました。つまり、税務署がチェックに来て、追徴課税など色々と取り立ててくる、それを署に戻って徴収額を報告、我々の営業と同様に営業成績を競い合い、それを祝福しているはずだ、と。税務署云々はネタですが、どこも自分の所属する組織の利益を競い、好成績を上げた人を賞賛しているはずだというのは間違っていないかもしれません。

 もしかしたら、リストラ真っ最中の人事部では首切の成績を競い合っていたかもしれません。「昨日は○○人、自主退職に追い込みました!」「おめでとう!(パチパチパチ)」とか。この成績が悪ければ怒鳴り散らされ、過酷なノルマを負わされていたかもしれません。あるいは、生活保護の「水際作戦」、あの手この手で生活保護の申請を取り下げさせる、日弁連から違法だと指摘されているアレですが、その「水際作戦」の成績でも似たようなことが起こっているかもしれません。「昨日は○○人、生活保護申請を断念させました!」「おめでとう!(パチパチパチ)」、逆に追い返した数が少なかったり申請を通してしまったりすると、自治体の業績を悪化させる輩として給料泥棒呼ばわりされたりもするのでしょうか?

 ちょっと話が飛躍しましたが、素直に人の幸せを願える人間でありたいな、と思います。制度に欠陥があってそこから漏れる人がいる、だけど恣意的に制度を変えるべきではない、それももちろん当然のことで、被告である国にも言い分はあるでしょう。しかし、国の主張が認められても、それで放り出される子ども達がいることに心を痛め、逆に国の主張が退けられても、それで助かった人がいることに良かったと思える、国側の人にもそういう感性は持っていて欲しいと思います。勝って満足、負けて憤慨ではなく、それで人が幸せになれたかどうか、そういう基準を持って欲しいのです。それこそが公共の精神と呼ばれるべきものでしょう?

勝訴男性、判決前日自殺か 岩手の学生無年金訴訟(共同通信)

 学生無年金訴訟で26日に1審に続き仙台高裁で勝訴した原告の統合失調症の岩手県の男性(43)が、判決前日の25日、同県遠野市の川で死亡していたことが27日、分かった。男性は25日午前から行方不明になっており、川の中で倒れているところを同日午後見つかった。目立った外傷がないなど現場の状況から遠野署は自殺の可能性が高いとみている。水死とみられ、遺書などは見つかっていない。

 

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安倍内閣は同質の閣僚ばっかり?

2007-02-26 23:20:30 | ニュース

「日本は同質的な国」「人権メタボ」と文科相発言(朝日新聞)

 伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で、「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」と発言した。「教育再生の現状と展望」と題して約600人を前に講演し、昨年12月に改正された教育基本法に触れて「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とも語った。

 ダブル中川やヘナギサワ厚労相などの、何ともツッコミどころ満載の発言が続いています。そして今回の放言は伊吹文部科学相によるもの。この人達の意図がわかりませんね。わざわざ物議を醸しては安倍首相の足でも引っ張りたいのでしょうか。無用な諍いは避けるのが大人というものだと思うのですがねぇ。

 でもまあ、この手の発言に怒りを感じるのは元より自民党には絶対に投票しない人々であろうと思われるわけでして、どれほど反自民の人を敵に回そうと自民党の票が減るわけでもない、旧来の自民党支持層のご機嫌さえしっかり取っておけばOKという判断でもあるのでしょうか。確かに一部の自民党支持層から見れば喝采を浴びる余地もありそうですし、右でも左でもない普通の人々はこんな発言のことなんてすぐに忘れてしまいそうでもあります。やれやれ。

 まぁ何でしょうかね、リベラルな目で見れば三都主だって闘莉王だって秋山成勲だって、みんな等しく日本人ですから、血統主義を持ち出さない限りにおいて日本は日本人がずっと治めてきたのかもしれませんね。マッカーサーというアメリカ人が治めていた頃もあった気がしますが、うん、あの頃はアメリカの占領地の一部であって日本という国は存在しなかったのでしょう。60年ほど前までは他民族帝国を標榜していた頃もありますが、あの頃に存在したのは大日本帝国であって、日本なんて国はなかったですし。

 同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについては、「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」と説明。人権をバターに例えて「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。

 どうやら伊吹文科相にとって人権とは制限されるべきもの、コントロールされるべきもののようです。人権とは誰もが生まれながらにしてもっている権利で、人間が人間らしく生きていくための、誰からも侵されることのない基本的権利と思っていましたが、どうなんでしょうか。扶桑社の教科書には載っていないのかもしれませんが、この辺は中学生でも習うところ、その程度のことも知らないとはゆとり教育の弊害でしょうか? 大日本帝国や北朝鮮あたりでは、人権とは政府によって人民に与えられるものであって必要に応じて調節されるものなのかもしれませんが、民主主義国家における人権はいかなる状況においても尊重されねばならないものであり、国家といえどこれを侵害することは許されません。伊吹文科相は民主国家の中学校に入り直して勉強し直してきなさいってところですね。

 

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誰が権力者にふさわしいか

2007-02-25 21:22:10 | 非国民通信社社説

 今年は参議院選挙があります。私の住んでいる田舎でも2ヶ月後に市議会議員選挙があります。そして今の段階で最も盛り上がりを見せるのは東京都知事選を巡る一連の動きでしょうか。都知事選についてはまだ候補者が出揃ったとは言えない状況ですので、具体的なことは一端、保留することにします。

 今回語ってみたいのは、いったい誰に投票すべきなのか―――選挙ごとに候補者も違う、地域情勢も違うわけですが、そのように違いのある中でも一貫して通用する候補者選びの基準はあるのか、ということです。

 選挙で誰に投票するべきかを巡っては、左派陣営の間でも意見の分かれるところです。自分たちに主張の近い候補に投票すべきか、それとも野党第一党に票を集めるべきか、一つの答えしか当選を許されない小選挙区制の世界では、どちらに投票すべきかを巡る意見はしばしば相容れないものとなります。

 一つには、良心に基づいて投票する考え方があります。そしてもう一つに、選挙戦略に基づいて投票する考え方があります。有権者がそれぞれの良心に基づいて投票するのが本来の姿とも言えますが、それによって自らに近い立場の候補者を当選させることができるのか、という点で弱みがあります。多数決主義の下では与党側を過半数割れに追い込まない限り、行使できる影響力は大きくありません。それならば与党側を過半数割れに追い込むことを重視、選挙戦略を重視して投票すればいいのでしょうか。選挙戦略を重視して投票した方が、与党側を過半数割れに追い込み影響力を行使する面では効果的に見えるかもしれません。しかし、与党候補に勝てそうだからという理由で選んだ候補が当選後に我々の意思を代弁してくれる可能性は、非常に低いものであるかもしれません。

 よりよい社会(曖昧な表現ですが)を築くためには2つの条件が揃わなければなりません。一つには過半数を確保して影響力を行使すること、その過半数を占める勢力が遺漏なく良心的に振る舞うこと、このどちらかが欠けても意味がありません。つまり与党を過半数割れに追い込むことも条件の一つなのですが、それと同時に必要とされる条件を満たしていない限り、ただ政権交代が起こるだけでは決して充分ではないのです。

 ある意味で小泉純一郎の登場は自民党内部での政権交代でした。今までの「古い自民党」ではもう限界、これをなんとかして変えなければならない、そんな思いに乗じて登場したのが小泉であり、その後の惨状は言うまでもありません。そして石原慎太郎もしかり、無策な青島都政に対する何とか変えなければならないという危機意識に乗じて権力を掌握した面がある訳ですが、その後の惨状は言うまでもなし、トップの顔ぶれが変わるだけでは世の中は良くなりませんでした。

 そこで今の自民党政権にしろ石原都政にしろ、いずれも国民や都民にとって非常に有害、何とかして変えなければならない、そんな機運はあると思います。けれどもそこで「変える」ことを至上命題としてしまうと、いつまで経っても彼らの2世3世を生み出すだけ、変わるのは政権担当者だけ、世の中は相変わらず悪い方に進み続けることになるかもしれません。

 ではいったい誰を選べば、どんな基準で選べばいいのか?

 一つの指針となるのは、自分と異なる弱者へのまなざしではないでしょうか。自分がそこに属する、自分と同じ弱者へのまなざしではなく、自分がそこに属さない、自分と異なる弱者へのまなざしです。

 極論すれば、女性が女性の権利を主張する、部落が部落の権利を主張する、外国人が外国人の権利を主張する、労働者が労働者の権利を主張する、若者が若者の権利を主張する、自分が弱者であればその弱者である自分の立場を改善しよう、生きやすい社会を築こうとするのは当たり前のことです。現にあの石原慎太郎だって花粉症対策の面では頑張っているわけで(石原慎太郎も花粉症)、誰だって自分及び自分の属する層のためなら良心的になれるものなのです。

 問題はそれが自分とは関係のない弱者の場合であったときにどうするのか? 女性の権利に男性としてどう向き合うのか、外国人の権利に日本人としてどう向き合うのか、同性愛者の権利に異性愛者としてどう向き合うのか、労働者の権利に経営者としてどう向き合うのか、自分とは直接の関係がない弱者の立場にどのようなまなざしを注ぐことができるか、そこで人の価値が分かれます。

 花粉症患者の石原慎太郎は花粉症対策の面では良き指導者ですが、自分が当事者ではない側面においてはどうでしょうか? 富裕な日本人男性である彼が低賃金労働者、外国人、女性に対して向けるまなざしはどんなものでしょうか? 自分が花粉症だから花粉症の問題は真剣に対応するけれど、自分は日本人だから外国人は蔑ろにする、男性だから女性は蔑ろにする、金持ちだから貧困層は蔑ろにする、そのような人物であるならば、もし彼が花粉症でなければ花粉症患者のことだって蔑ろにしていたであろうことは容易に想像できますね。

 小泉以来の暴政の結果、とりわけ若年層を中心に貧困の問題が深刻です。貧困に追いやられた層からの怒りの声は強まりつつあり、ここに来て従来の自民党支持層からも離反する人が増え始めているようです(天才的な嘘つきが無能な嘘つきに変わったことで、ようやく納豆を食べても痩せられないことに気づいたのでしょうか)。そしてそんな経済的に追い詰められた階層が一定の力を持ち自民党政権に立ち向かおうとしています。

 特権階級に便宜を図る安倍政権に貧困層が不満を持つのは当たり前のことで、これを代弁する候補を推すのは理に適ったことであるように見えます。しかし、そこだけを見ていると危ういことになるかもしれません。自らが貧困層の代表者として、その利害を代弁してくれる候補者は貧困層から見ればありがたい存在ですが、最終的に彼が権力の座に就いたときに、つまり彼が弱者である貧困層から強者である為政者に変わったときに、彼が変わらず貧困層の利害を代弁してくれるかどうか、それを見極める必要があります。

 そこで、自身とは関係のない弱者へのまなざしが問われるわけです。男性であれば女性に対して、日本人であれば外国人に対して、健常者であれば障害者に対して、どのようなまなざしを向けるか? 自分が貧困層に属するから貧困へは真摯に立ち向かう、しかし自分は男性だから女性は蔑ろに、日本人だから外国人は蔑ろに・・・ というのであれば、彼は石原慎太郎の同類、自分が貧困層から抜け出した暁には、彼は貧困層の代弁者ではなくなっているでしょう。男性であっても女性の権利に配慮し、日本人であっても外国人の権利に心を尽くし、花粉症でなくても花粉症対策に本気で取り組む、そのように自分とは異なった弱者に対しても、自身が属する弱者に振り向けるものと同質のまなざしを向けられること、それが権力者になっても貧困層の代弁者であり続けるために必要な資質ではないでしょうか。

 これらは曖昧で迂遠な理想論に聞こえるかもしれません。しかし、根本的なことを浚わずに対処する、すなわち自民党を今の自民党たらしめているもの、石原慎太郎を石原慎太郎たらしめているもの、それを見据えることなくただクビをすげ替えるだけではいつまで経っても彼らの亜流が再来するだけです。ダメなものを取り替えるのは必要なことですが、新しく取り替えられるものは以前のものよりも上等でなければならないわけで、そのためにはそれがどれほど困難な目標に見えようとも、理想を追い続けることを忘れてはならないのではないでしょうか。

 

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懲りない人々

2007-02-24 15:20:49 | ニュース

自民の高知市議、福島社民党首を批判 福島党首は抗議へ(朝日新聞)

 自民党高知市議の島崎利幸氏(72)が22日、自らの講演会で「社民党(党首)の福島さんは機械のさびきった、子どもの産めないおばさん連中を引き連れて『大臣辞めろ』と言っている」と発言した。福島氏は23日、「こういう発言はあらゆるレベルで許していけない」と強く批判、社民党高知県連を通じ島崎市議に抗議するという。

 今度は「子どもの産めないおばさん連中」だそうです。色々とツッコミどころはありますが、とりあえずこの発言はアッキーに失礼だと思います。晋三も自分の奥さんがバカにされてるんだからもっと怒りなさい。こういう反省のない奴にはガツンと言ってやらなきゃいけませんよ、と。

首相、労働者派遣法改正に含み 「偽装請負」問題で(朝日新聞)

 安倍首相は22日、日本経団連会長の御手洗冨士夫氏が会長を務めるキヤノンで違法な労働形態「偽装請負」をしていた問題に関して、「偽装請負は法律に反している。労働法制自体にもし、偽装との関係で問題があるのであれば、当然、検討していくということになる」と述べ、違法な労働形態への規制を強めるための労働者派遣法の見直しに含みを持たせた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

ここに至るまでの流れをまとめると、

・キヤノンで偽装請負が発覚
→政府側が是正を勧告
→御手洗ヽ( ・∀・)ノ ウンコー●が偽装請負にあわせて労働者派遣法の見直しを要求
→へなぎさわ厚労相が「労働者派遣法の趣旨と反している」と反論、見直しを否定
→御手洗ヽ( ・∀・)ノ ウンコー●は新卒者らの正社員採用を優先する方針を発表

 違法行為を働いておきながら、自分のために法律を変えろと要求する御手洗ヽ( ・∀・)ノ ウンコー●、柳沢大臣に注意されたくらいでは全く意に介さず反省の色を見せません。そんなわけでついに総理大臣が登場しました。安倍総理に何か言われたところであの御手洗ヽ( ・∀・)ノ ウンコー●がおとなしくなるとは思えませんが、とりあえずこの件に関しましては「がんばれ、晋三!」と、応援してみたいと思います。やはり言うべき時にはガツンと言ってやらなきゃいけません。

安倍首相、「赤ちゃんポスト」に「抵抗感じる」(朝日新聞)

 安倍首相は23日、保護者が育てられない新生児を預かる「赤ちゃんポスト」について、「ポストという名前に大変、抵抗を感じる。親として責任を持って産むことが大切ではないか。すでにそういうお子さんたちに対応するための施設等もある。匿名で子供を置いていけるものをつくるのがいいのかどうか。大変抵抗を感じる」と述べ、慎重な見方を示した。

 私も「赤ちゃんポスト」という名前には抵抗を感じますね。ここまで、晋三に同意。しかし、「すでにそういうお子さんたちに対応するための施設等もある」という辺りからは疑問を感じます。そのような施設も探せばあるのかもしれませんが、対応できる数が絶対的に不足しているから新たな「赤ちゃんポスト」による解決策が模索されているわけで、今まで育児を母親に押しつけてきたツケが回ってきたのではないかと。誰にだって自分の人生がある中で、それが母親になると子どもの人生を守るという役割が一方的にのしかかってくる、その辺の負担を周りが分担するようにならない限り、負担に耐えかねて投げ出す人が出てくるのは当然の成り行きではないかと。産んだ人が責任を持って育てるべきだ、なんてのは安直な自己責任論でしかありません。

 まあ、海外でも母親は子どもを育てる機械、みたいな発想はありそうなんですが。

【こぼれ話】子持ち発覚で失格に=スペインの美人コンテスト優勝者(AFP)

 このコンテストはスペインのカンタブリア州で開催された「ミス・カンタブリア」。22歳のアンヘラ・ブスティーリョさんが優勝したが、実は3歳の子供がいたことが分かったため、主催団体はタイトルをはく奪した。ブスティーリョさんは、失格は不当だとして、主催団体を相手取り提訴するとしている。
 ブスティーリョさんは、同じ団体が主催する「ミスター・カンタブリア」には、子持ちの男性の出場を認めないという規定がないのに、「ミス」の方だけ、妊娠中もしくは子持ちの女性を排除するのは差別的だと主張している。

 

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都合のいいつまみ食い

2007-02-22 23:42:52 | ニュース

勝ち組が勝ち組を再生産(東京新聞)

 「今や日本の経営者の視界から一般国民の姿が消えうせ、あるのは市場のみです。米国をまねるなら、マイクロソフト社を起こしたビル・ゲイツに代表される成功者のフィランソロピー(慈善活動)も見習ったらどうでしょう」

 格差問題が広く語られている折、財界OBからこんなメールをいただいた。日本経団連の中期展望「希望の国、日本」、いわゆる御手洗ビジョンが所得の再分配に否定的な立場を貫いていることに驚き、傲慢(ごうまん)さすら感じたという。

 再分配政策は財政再建などの改革を中断させるものであり、格差は改革で生み出される成長の果実を広く行き渡らせることによって克服しなければならない、とビジョンは主張する。

 人件費の安い中国製品が日本に押し寄せるなど、経済のグローバル化も格差拡大の一因なので、企業はぜい肉をそぎ、政府も郵政民営化などで筋肉質の組織に衣替えする。

 こうした改革を推し進めれば国際市場での優位性が保たれて格差も縮小するのだという。それでは、派遣労働などの非正規社員はぜい肉をそぐための踏み台ではないか。

 格差が広がり、国民が将来不安を抱く結果を招けば、是正手段のひとつとして税制や社会保障を通じた所得再分配こそ出番となるはずだ。その安全網ですら改革に逆行するというのでは、格差を生み出す雇用形態を正当化するのか、と言わざるを得まい。

 「経団連は米国経済を都合よくつまみ食いし、ゲイツらが巨額の私財を社会還元する米国の文化には目をつむる。ビジョンの本質は勝ち組による勝ち組の再生産です」。後日、くだんのOBが第二信を寄せてきた。

 ゲイツなどアメリカの大富豪が寄付などの社会還元に熱心なのに比べ、日本の財界人が富の分配を頑なに拒む姿勢が批判されています。この違いはどこから来るのでしょうか?

 一つには制度の違いがあります。アメリカの場合は基本的に寄付金が課税控除の対象に算入されるため、寄付すれば寄付しただけ納税額を抑えられる、寄付が税金対策の一環でもあるわけです。だから大富豪が税金逃れのために積極的に寄付をするように仕向けられるシステムなのですね。これはアメリカという社会保障制度に欠陥を抱える社会を補完する意味合いがありまして、つまりアメリカでは公的な社会保障がきわめて貧弱である反面、超格差社会の勝ち組である大富豪からの莫大な寄付金による慈善事業が盛んであり、公的な社会保障では救われない階層に対するセーフティネットの役割を肩代わりしているわけです。一方、日本では寄付金が課税控除の対象になるケースが極端に限定されており、金持ちが税金逃れのために寄付をするケースが発生しないわけであり、これが日米の差を生む一つの要因となっています。

 ただ、そのような制度、金持ちが単純に善意からではなく、税金逃れのためであれ積極的に寄付をするように仕向けるシステムが作られ、受け容れられた文化的背景にも注意を払っておかねばならないでしょう。すなわちアメリカでは分権意識が非常に強く、国家に強大な権限を与えてこれに委ねようとするのではなく、各州がそれぞれ独立した権限を持とうとする、あるいは今なお民兵組織が強大な勢力を誇るなど、警察による安全保障ではなく、自ら銃を持って身を守ろうとする、国家権力の拡大に対する警戒感が民衆に根付いており、何事も自らの手でやろうとする文化が根強いわけでして、これが寄付金による社会還元を選択する要因となっているわけです。大富豪が莫大な額を納税し、それを財源として社会保障に当てることも可能なわけですが、国家権力による税と社会保障のコントロールに対して不信と抵抗がある、それよりも自分の手でやりたい、費やす額は同じでも、自分の手で社会保障をコントロールしたい、だから課税される前にどんどん寄付をする、自分の選んだ慈善事業にどんどん資産を注ぎ込む、そういう構造になっているわけですね。

 対して日本はどうでしょうか? 上辺だけはアメリカの「小さな国家」を模倣して社会保障を削減しているものの、アメリカでその補完として存在する寄付=慈善事業による社会保障の存在が完全に無視されてはいないでしょうか? そして国の意思で金が使われるくらいなら、慈善事業にでも費やしてやろうという考え方がどれだけ存在するでしょうか?

罰金払ったほうが(労働相談110)

あまりにひどい会社なのでやめたいという相談。有給休暇も全然とってないようなので、その分を消化して退職する方法を教えてあげました。さっそく、「これから有給消化をしたのち退職する」という届けをだしたところ、会社は「わが社にはそのような先例はない。」という返事。そこまでなら珍しくはないがそれに続けて「罰金を払ってもあなたに払う金はない」と・・・・

 どうも御手洗ヽ( ・∀・)ノ● ウンコーだの奥谷禮子だの丹羽宇一郎だの、柳沢厚労相でさえ呆れかえる財界のお偉いさんの言葉を聞く限りでは、労働者を慈しみ善を施そうという発想はないように見えます。逆に、どれだけ搾り取れるかを考える、労働者にゆとりを与えることは「もったいない」と考えているように見えるわけです。労働者に余分な富を与えるのは「もったいない」ことであり、もし富が余ったならば何か他のことに使わねばならない、その結果として「罰金を払ってもあなたに払う金はない」という発想に辿り着くのです。

 一貫性して小さな政府志向であるアメリカの大富豪ならば「慈善団体に払っても国に納める金はない」と考えるところですが、困ったことに日本では大きな政府を目指しているのか小さな政府を目指しているのか、一貫性がないどころか悪いところを寄せ集めています。一貫性のある小さな政府志向であれば納税額を抑える一方で社会保障を国に丸投げはしない、一貫性のある大きな政府志向であれば納税額が高騰する一方で社会保障の責任は国が負う、しかるに日本の場合は納税額は抑えるが、社会保障は国に丸投げする、我々国民にとって最悪の選択が行われているわけです。やれやれ。

 

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野党共闘という陥穽(見出し)

2007-02-21 23:52:35 | 編集雑記

 いつの間にやら毎日50件ほどのブログを巡回しておりまして、最近では読むだけで手一杯で書く前から疲れてしまうという本末転倒の有様、とはいえ私個人の情報収集能力と知識には限りがあるので他人様のブログにも常にアンテナを張り巡らせておかねばなりません。そこで昨日、巡回ブログの一つにちょっと気になるエントリがあったわけです。「コレは素晴らしい!」てなエントリであればさりげなくリンクを張ったりして誘導して終わるのですが、今回は「コレはちょっと危ないのでは?」と。コメント欄に何か書こうと思ったのですが、長くなりそうだったので一旦は保留、一晩ゆっくり考えてみたわけですが、やはり見過ごすことはできないなと思った次第です。前置きが長くなりましたが、今日のエントリは私が「同志」だと思っている人への批判になります。不愉快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、ページを分けて書きます。

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やっぱり、未来なんてあるわけがない

2007-02-20 23:13:06 | ニュース

入所者を金具や布でベッドに拘束 千葉・浦安の介護施設(朝日新聞)

 千葉県浦安市の介護施設「ぶるーくろす癒海館(ゆかいかん)」で、入所者をさくに入れたり、金具をつかってベッドに拘束したりしていたことが、わかった。同施設は、有料老人ホームとしての届け出を県に行っていなかった。千葉県と浦安市は、虐待防止や発見者の通報義務などを定めた高齢者虐待防止法に基づいて施設を調査している。今後、虐待の有無について調べる。これに対し同施設は「やむをえず行ったが、虐待ではない」と話している。

 よくある介護施設での虐待、いや、介護施設でなくても珍しいことではないのでしょう。介護する側のおかれた過酷な状況を考えれば手間のかかる相手は拘束でもしないと処理が間に合わない、そんな現状を何とかしない限り、施設側ばかりを咎めたところで問題は解決されないままです。

介護放棄:寝たきりの夫死亡…遺棄致死罪で起訴 広島(毎日新聞)

 寝たきりの松田洋一さん(当時60歳)が介護を放棄されて死亡した事件で、広島地検は20日、「確定的な殺意までは認められない」として、殺人容疑で逮捕された妻由美子(63)、長男博之(37)両容疑者=ともに広島市安芸区中野3=を保護責任者遺棄致死罪で広島地裁に起訴した。次男(31)については、由美子被告らに介護を任せており関与が低いとして、起訴猶予処分とした。

 こちらは、家族が介護の負担に音を上げてしまった事例、そりゃもちろん介護を放棄した側も悪いのですが、その介護がどれほど彼らにとって大きな負担であるかを考えて欲しいわけでもあります。起訴された奥さんだって高齢で自分のことだけでも大変でしょうし、長男だって仕事があり自分の生活がある中で親の面倒を見る、片手間で済むようなことならまだしも、あいにく介護の負担とはそんな生やさしいものではないのがほとんど、私の身内にも介護の負担から過労で倒れてしまった人もいますし、正直、自分も今の仕事に加えて親の介護をしなければならなくなったとしたら、それを両立できる自信はありませんね。

 ちなみにこの記事で奇妙に感じられるのが、介護を任せており関与が低いと起訴猶予処分になった次男の扱いです。介護したけれど挫折して放棄した人は起訴され、最初から他人任せにした人は起訴猶予、別に次男が悪いことをしたとは思いませんが、起訴された奥さんと長男がなおさら不憫に見えてきます。

 そもそも冒頭で問題になった施設「ぶるーくろす癒海館」は無届けの施設、本来なら儲かるはずのない介護の仕事を公的な支援もなしにやっている施設であるわけで、26人の入所者をわずか4人で担当しているとか、これでは手が足りるはずもなく、従業員も過酷な状況におかれた挙げ句の措置として柵の中に閉じこめたり拘束したりを選択したのも当然の帰結と推測されます。そして入所者を拘束した施設従業員が介護を放棄した奥さんと長男の立場であるならば、この施設に介護を委ねてしまった入所者の身内は起訴猶予されている次男の立場でしょうか。

 介護を他人任せにする人もいれば、介護に音を上げる人もいるわけですが、たとえ確固たる意思を持ってそれを引き受けたとしても、その介護を担う側への負担はあまりにも重く、それに押しつぶされたとしても責めるのは無慈悲ですし、その過大な負担を追わせた側の責任だって問われねばなりません。とはいえ介護を他人に任せる側にしたところで一概には責められません。自分で介護に当たることだってできるのかもしれませんが、困ったことに介護だけしていれば済むものではなく、自分の生活のためにも働かなければいけない、仮に労働と介護が両立できたとしても、そのために自分のために使えるはずだった時間や労働の報酬を介護のために捧げなければいけない、身内の面倒を見るのは尊いことかもしれませんが、そのために支払わねばならない対価はあまりにも重いのではないでしょうか。

埼玉の2歳児焼死 スノボの母書類送検(産経新聞)

 埼玉県和光市のアパートで昨年12月、母親がスノーボードに出掛けた留守中に2歳の長男が焼死した火災で、朝霞署は19日、保護責任者遺棄の疑いで無職の母親(24)=同県川越市=を書類送検した。

 調べに対し、母親は「子供ができてから世話にかかりきりで、1日くらい大丈夫だろうという安易さがあった。子供に申し訳ないことをした」と反省しているという。

 このニュース、ブログ検索でおおざっぱに目を通した限りでは、母親に同情的な意見はさっぱり見当たりませんでした。たった2歳の子どもを放置して遊びほうけているなんてけしからん! なんてひどい親だ! と。だけど母親だって人間です、母親は子どもの面倒を見る機械ではありません。そりゃ子どもの世話にもやりがいはあるのでしょうけれど、それさえやっていれば幸せか、それだけで満足すべきなのか、母親だって時には子どもから解放されて自由な時間を持ちたい、そう思ったところでそれは責められるべきことではないはずです。

 どの新聞を見ても、この母親のことを無職と書いているのですが、朝日新聞によると「平日は東京都内の居酒屋で働いていたため、午後10時ごろから翌朝まで家を空けていた」そうで、フリーターと書いてやっても良さそうなものです。ともあれ、この母親はまだ24歳、自由な身であれば会社に入ってホワイトカラーとして働くこともできそうですが、この人には子どもがいるわけで、そうそう家を空けるわけにはいかない事情がある、だからこそ子どもの寝静まった夜間に居酒屋で働いていたわけです。このあたりから察する限りでは、子どものために自分の望む生き方を犠牲にして必死に生きてきた母親のように見えるのですが・・・

 「子供ができてから世話にかかりきりで、1日くらい大丈夫だろうという安易さがあった。子供に申し訳ないことをした」そう、母子家庭で子どもの世話をしつつ、自分たちの生活のためにも働かねばならない、子どもが大きくなれば少しは楽になるかもしれませんが、それはいったいいつのこと? 2年間ずっと、子どもの世話にかかりきり、1日くらい抜け出したくなるのは当たり前のこと、私にはこの母親よりも、365日24時間にわたって母親を子どもに縛り付けようとしている世間の目の方がよほど残酷に見えます。

 

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ろくでなしばっかりだ

2007-02-19 23:14:43 | ニュース

「閣僚や官僚は首相に絶対忠誠を」と中川・自民幹事長(読売新聞)

 自民党の中川幹事長は18日、仙台市で開かれた宮城県連大会で講演し、「(閣議前に)首相が入室した時に起立しない、私語を慎めない政治家は美しい国づくり内閣にふさわしくない。自分を最優先する政治家は内閣や官邸から去るべきだ」と訴えた。
 また、「閣僚や官僚は首相への絶対的な忠誠や自己犠牲の精神が求められる」と強調した。

 党指導者に絶対の忠誠を誓え・・・ さすがに与党を支持しているであろう保守的な人からも呆れかえる声の方が目立つようです。そもそも、「絶対的な忠誠や自己犠牲」云々という中川幹事長の発言自体が大いに物議を醸すものであり、これもまた安倍内閣の威信を失墜させる、足を引っ張るもののようにすら思われるのですが。まぁ安倍総理が周囲の閣僚から舐められているのは誰もが薄々感じているところでしょう。そのあたりを憂いた中川幹事長が忠義の士を気取ってみたところ、このような発言に結びついたのでしょうか。

 ある意味で安倍総理は国民からも舐められているように見えます。「漢字一文字で表すなら『責任』」「ミヤケさん(誰?)」など諸々のオマヌケ発言のせいもあってか、従来の自民党支持層からの尊敬さえ失っているのではないでしょうか。こんな状況を前に「国歌斉唱時に起立しない国民はうつくしい国にふさわしくない、行き過ぎた個人主義に走る輩は日本から去るべきだ」「国民には国家への絶対的な忠誠や自己犠牲の精神が求められる」などと憤っている自民党閣僚もいるでしょうかね? 民主主義社会では公僕の長である政府が主権者である国民に献身的に忠実に尽くすのが当然であり、忠誠と自己犠牲を以て尽くされるのが国家や党指導者である場合は全体主義や独裁制などと呼ばれるべきものだとは思いますが。

 ともあれ、安倍総理は舐められています。機械から産まれた柳沢大臣の、子ども二人が健全云々の発言も、国民に配慮していないのと同様に、子どものいない安倍総理夫妻への配慮も欠いていたはずです。あの発言でアッキー夫人が傷ついたかどうかは知りませんが。

厚労相また失言? 「労働時間だけ売り物」(産経新聞)

 柳沢氏の発言は、15日の参院厚生労働委員会で答弁したもの。柳沢氏は事務職の一部を残業代の支払い対象から外すホワイトカラー・エグゼンプションに関連し、「工場労働というか、ベルトコンベヤーの仕事。もう労働時間だけが売り物ですというようなところでなく働いている方々の現実に着目した労働法制をつくることが課題だ」と述べた。

 さて、そんな柳沢大臣がまたもや問題発言、ブルーカラー労働者を指しているのでしょうか、いずれにせよ自分と異なった階層の人々への敬意を著しく欠いた表現です。とりあえず柳沢大臣は工場労働の現実に着目し、もう少し現場を知った上で発言なさった方が良さそうですね。

柳沢厚労相、経団連会長の発言を批判 労働者派遣法巡り(朝日新聞)

 柳沢厚生労働相は16日の衆院予算委員会で、日本経団連の御手洗冨士夫会長が製造業などへの派遣期間を制限している労働者派遣法の見直しを求めていることについて、「(派遣社員という立場が)固定化してしまうのはいいことではない。労働者派遣法の趣旨と反している」と批判し、見直しに否定的な考えを明らかにした。

キヤノン、派遣・請負の正社員化後回し 新卒採用を優先(朝日新聞)

 違法な「偽装請負」の是正策の一環として、請負・派遣労働者の一部を正社員に採用すると昨夏に表明していたキヤノンが、その後半年間の検討を経て、当面は高校新卒者らの正社員採用を優先する方針に転換した。政府は、新卒一括採用システムの見直しや非正規労働者の正社員化の推進を重点課題にしているが、キヤノンの方針転換は、こうした流れに逆行しそうだ。

 しかるに、かの柳沢大臣も経団連、というか御手洗からはすっかり舐められているようです。偽装請負などの違法行為を堂々と働いていたキャノンですが、さすがにやり過ぎと言うことで行政指導、それに対して逆ギレしたのか御手洗ヽ( ・∀・)ノ ウンコー●は労働者派遣法の見直しを要求する始末、これには柳沢大臣も賛同しかねる、見直しに否定的な考えを明らかにした次第です。そしてその柳沢大臣へのヽ( ・∀・)ノ ウンコー●の回答がコレ、偽装請負の是正策を放棄することを表明したわけでありますね。厚生労働省及び柳沢大臣もすっかり舐められたものです。

 「労働基準監督官が査察した時に反省しない、姿勢を改めない経営者はは美しい国づくり社会にふさわしくない。経営陣の利益を最優先する財界人は会社や経済財政諮問会議から去るべきだ」「経営者は被雇用者の幸福への絶対的な忠誠や自己犠牲の精神が求められる」くらいのことを、誰か言って欲しいものですが。

 

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Battle of JOYTOY

2007-02-18 18:35:20 | ニュース

18歳グラビアアイドル 名門女高退学騒動で「炎上」(J-CAST)

  「名門」として知られる桐朋女子高校に通っていたタレント(18)が水着写真集を出版したとして、退学処分を受けた。それに対して、タレント側は処分の無効確認を求めて提訴、学校側も全面的に争う姿勢だ。このタレントのブログには訴訟を巡って賛否両論が殺到、半ば「炎上」状態だ。そんな状況でも、「ファンの方々にはご迷惑・ご心配をおかけしてしまってごめんなさい。。。」と、ブログの更新を続けるなど、冷静な対応が続いている。

   渦中にあるのは、グラビアアイドルの小泉麻耶さん(18)で、「東京スポーツ」が2006年10月26日に1面トップで報じた「厳罰名門女子校 女子高生アイドル 退学処分」という記事が騒動の発端だ。

 前にもちょっと触れました小泉麻耶さんの訴訟の続報です。芸名小泉麻耶さんがグラビア写真集を出して桐朋女子高校から退学処分、この処分の無効を求めて訴訟を起こしたところ、非難囂々という流れにあるわけでして、彼女のブログのコメント欄には学校のルールに違反したのだから退学は当然、それを訴えるとは何事か! みたいな意見も多数見られるわけです。

 それでまあ私が「小泉麻耶」で色々と検索していきましたところ、ワンクリ詐欺のページに飛びまして¥45,000ほど請求されました。さて、この請求はいかがでしょうか? 仮にページの下の方に小さく「小泉麻耶さんの画像をクリックした場合、利用規約に同意したものと見なされ~」と案内があったとしても、やはりこの請求は無効です。契約は当事者双方の意思が合致しないと成立しませんので、意に反して契約の申込みをさせようとする行為は不当であり、この請求にはなんの拘束力もありません。

 そこで小泉麻耶さん退学の根拠となっている校則による芸能活動の禁止、『学校生活の手引き』の隅っこに小さい字で書いてあるだけでは双方の合意が成立したとは言えそうにありません、そうでなくとも学校側がそのローカルルールを守って欲しいのであれば学生に対してしっかり説明する必要がありそうなもの、このあたりが裁判の争点の一つになりそうです。

 もう一つ、問われて欲しいのは学生から教育を受ける権利を奪うようなルールが許されるべきかどうか、全くの合法行為であるグラビア写真集を出したことに対して教育を受ける権利を剥奪するような規定が認められていいのか、ということです。傷害や窃盗、恐喝などの犯罪行為を日常的に行っている生徒への出席停止処分さえ慎重な運用が要請される中で、なぜ刑法犯罪に手を染めたわけでもない学生が退学という最も重い処分を下されねばならなかったのでしょうか。性的な表現が法的にも悪として表舞台から排除される、そんな宗教国家ではないはずなのですが。

 まあ一口に芸能活動といっても色々あるわけでして、セクシーなグラビアによる芸能活動もあれば伝統芸能の世界での芸能活動もあり、あるいは甲子園のヒーローがアイドル扱いされることで結果的に芸能人と同じように遇される、いろいろな形でメディアに露出するケースがあるわけです。そんな中で小泉麻耶さんのメディアへの露出度などおとなしいものでしたが、それでも退学処分が下されました。ではこれがもし、出版社がアイドルを作ろうとして小泉麻耶さんに芥川賞を出し、メディアが現役女子高生作家として祭り上げて彼女がより頻繁にメディアに露出するようになったとしたらどうだったのでしょうか? やはり、性的な表現に対する否定的な意識が決定的な要因になったように思われるのですが・・・

トライ・オブ・ジョイトイ(?)エクストラレポート・ルーム

 長くなるので引用はしませんが、私の言いたいことの8割ぐらいは書いてくれているので、是非上記リンク先のエントリは一度お読みください。

 結局、彼女への否定的な意見のほとんどは差別心、性的なものを後宮に閉じこめておこうとするマッチョな意識、性的なものを卑しいものと見なし下に置こうとするエセ道徳心から来ているように見えます。だから、慎ましく奥座敷で従順にしているべき存在が、惨めに下層で反省しているべき存在が抗議の声を上げたことに対して、彼らはアレルギーのような反応を起こしているのかもしれません。

 小泉麻耶さんはあのインリン様と同じOFJOYTOYの所属、インリン様の妹分とあらば不正に対して抗議の声を上げたとしても納得がいくのですが、どうでしょうか。これと似たような事例で、オランダでは元売春婦のマリスカ・マヨール氏が売春婦をたたえる銅像を建設中でして、曰く「多くの国々で、売春婦たちは苦労しているのに、人々から全く敬意を払われていない。像は売春に携わる全ての男女に力を与える意味がある」と。グラビアアイドルだって苦労しているのに、人々から全く敬意を払われていないことが彼女のブログに殺到したコメントの数々から明らかになったわけですが、そんな彼女が抗議の声を上げたことは彼女だけではなく、彼女の同業者達にも力を与える意味があるはず、グラビアアイドルが蔑まれ、排除される謂われはないのです。

 イラク人質事件におけるバッシングの狂奔や、在日外国人や貧困層の権利要求に対する強い反発、ハンセン病訴訟において原告側へ匿名の抗議や脅迫が珍しくなかったことなど、日本では主張する弱者への極端なアレルギー反応が見られます。ヒエラルキーが崩れることに怯えているのでしょうか? グラビアアイドルの抗議への過剰な反応はこれらと同様、自分が一段低いと見なしていた相手が牙をむく、自分たちのカーストが侵されることへの恐怖があるのではないでしょうか。だけどグラビアアイドルが自分たちと肩を並べること、それってそんなに嫌なことなのかな?

 

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