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2019-06-16 21:51:12 | 社会

窓開け大音量でハードロック、53歳逮捕 静穏妨害容疑(朝日新聞)

 自宅の窓を開けて大音量でハードロックなどを聴き続けたとして、京都府警は10日、京都市西京区の無職の男(53)を軽犯罪法違反(静穏妨害)の疑いで逮捕し、発表した。周辺住民の110番通報などで駆けつけた警察官が10回、音を小さくするよう求めたが、聞き入れず窓も閉めなかったという。男は「趣味で聴いていた。大きい音を流したのは間違いない」と話しているという。

 西京署によると、逮捕容疑は昨年8月~今年3月の10回、戸建ての自宅でCDラジカセなどで大音量で音楽を聴き続け、近所に迷惑をかけたというもの。朝の7時半や夜の9時過ぎの時間帯もあった。駆けつけた署員に、「趣味でやっているんだ」「帰れ」などと言い返したという。

 

 静穏妨害で逮捕とは、何とも驚かされるニュースです。しかも容疑とは8ヶ月間で僅かに「10回」、その時間帯も「朝の7時半や夜の9時過ぎ」とのことですから、それほど周辺住民の睡眠環境にも影響を及ぼさない範囲です。こんなレベルで逮捕されるのなら、保育園や小学校、工事現場関係者だって軒並み豚箱に放り込まなければ、公平を欠くというものでしょう。

 過去の事例では「一般に不規則かつ大幅に変動し、衝撃性が高いうえに高音だが、不愉快と感じる人もいれば、○○を感じてほほえましいと言う人もいる」との理由から、国の環境基準を上回る騒音であっても何ら問題はないとの判決が最高裁で確定しています。ただ、この「○○」の中身次第で取り締まりや規制の対象になるかは変わるものなのかも知れません。

参考、静かに暮らす権利はありません

 警官なり裁判官なりが小児性愛者であるならば、子供がどんなに騒ぐのを放置していても無罪となります。あるいは裁判官なりが軍国主義者であるならば、基地からの騒音は公共性に鑑みて周辺住民が受忍すべきものと判断されるでしょう。そして今回の通報を受けた警官が熱心なハードロックファンであったなら――通報者をなだめる方に回っていたはずです。

 学者の実験だったかテレビの企画だったかは忘れましたが、色々な種類の騒音を大音量で流してみたことがあったそうです。総じて音楽であれば苦情が殺到した一方で、男の怒鳴り声と何かを殴打する音、女性の悲鳴を大音量で流す分には、文句を言いに来る人は皆無であったとか。一口に騒音と言っても周囲の反応は内容次第、音量の大小は、あまり関係ないのでしょう。

 そもそも、騒音の被害を訴える人の方に問題を求めるのが我々の社会の常識だったはずです。生活環境の侵害に困窮して解決を求める人々を見れば、「世の中が狭量になったせいだ」と肩をすくめてみせるのが良識ある大人というものではないでしょうか。誰かが隣家や周辺施設の騒音を公的機関に訴え出れば、普通はその人がクレーマー認定されますよね?

 中年男性が過労死しても、社会的な扱いは「それなり」に止まります。ところが、ある若い女性が過労死したところ、国会議員が競って対策案を口にする「まつり」へと発展しました。伝承や恐らくは史実でも、生け贄に捧げられるのは専ら中年男性ではなく若い娘ですが――なるほど生け贄としての価値という観点では、同じ人間でも随分と差があるのだなと思ったものです。

 今回の事件で逮捕されたのは「無職の53歳」でした。一方で今月1日には、周辺施設の騒音に不平を述べていた無職の44歳を、元農林水産事務次官が殺処分するという事件が発生して話題となりました。やはり無職は弱いな、と感じるばかりです。もしも今回の件で通報したのが無職の53歳であったなら、警察の動きは全く違ったものになっていたはずですから。

 アメリカ軍と近隣住民のどちらを黙らせるのが簡単かと言えば、たぶん後者なのでしょう。保育園と周辺住民のどちらを黙らせれば世間のウケが良いかと言えば、やはり後者です。結局は力関係が重要と言いますか、それで結果は変わるものです。騒音の程度がどうこうという以前に、無職の53歳という時点で、もう負けは決まっていた気がします。負け犬とハードロックは良い取り合わせですけれど……

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目次

2019-06-16 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2019/ 6/16

雇用・経済    最終更新  2019/ 5/19

政治       最終更新  2019/ 5/26

文芸欄      最終更新  2017/ 8/31

編集雑記・小ネタ 最終更新  2019/ 4/21

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成果にはなったのかな

2019-06-09 21:27:23 | 社会

不法就労、まさかの入管が要請か 「協力した」社長証言(朝日新聞)

 技能実習先から逃げ出したベトナム人の不法就労を手助けした疑いで兵庫県警に逮捕された人材派遣会社の社長が「一斉摘発を狙う入国管理局に協力し、要請通りに雇用しただけ」と明かし、波紋を呼んでいる。神戸地検は社長の勾留を請求せず、社長を逮捕2日後に釈放した。入管は「一般論」と前置きした上で、「不法就労の事実が明らかな外国人について雇用を継続するよう指示することはない」とコメント。識者らは「要請が事実ならおとり捜査に近い」と指摘している。

(中略)

 荻野弁護士によると、事件の発端は昨年6月ごろ、約10人のベトナム人が会社に応募してきたことだったという。社長は応募人数の多さなどに不審を感じ、大阪入国管理局(現・大阪出入国在留管理局)へ同社役員と出向き、応募者らの在留カードのコピーを提出。その結果、在留カードが全て偽造と判明したという。

 すると、入管の担当者が「応募を断っても他社に応募するだけ」「しかるべきタイミングで一網打尽にしたい」と、積極的な採用を要請。社長はこれに応じ、その後に追加採用した人も含め、同年7月ごろには不法就労状態のベトナム人約30人を工場に派遣するようになったという。

 会社側は同月以降、ベトナム人摘発に向けた大阪入管との打ち合わせを会社内や入管神戸支局などで実施。同年9月11日、ベトナム人約30人を工場に運ぶ車両2台を事前に決めたルートで走らせ、同県加東市の加東署前で偶然県警の検問に出会ったことにして入管に摘発させたという。ベトナム人らはその後、入管施設へ収容された。

 

 過去にはハローワークの仲介で就職したにも関わらず詐欺行為で逮捕された人なんてのもいました。ハローワークが反社会的勢力への就業を斡旋していた結果ですが、今も類似の事例は探せば見つかるでしょうか。ともすると公的機関の勧めることならば安心と市井の人々は油断しがちですけれど、それは少なからずナイーブに過ぎると考えるべきなのかも知れません。

 さて今回、伝えられるところでは大阪入国管理局主導で不法就労が斡旋され、泳がせたところで入管が「偶然」を装い一斉逮捕に踏み切るという行為があったようです。事態の進展を注視したいところですが、神戸地検の動きを見るに相応の証拠はありそう、入管への疑いは事実である可能性が高いように思われます。

 能力主義を採用すると、会議が上手い人、プレゼンが上手い人ばかりが出世するとも言われます。似たような類で成果主義ならばどうでしょうか、果たして「成果」とはなんなのか、この辺りは大阪に限らず全国の入管に聞いてみると良いかもしれません。年功序列否定は日本社会のコンセンサスとして完全に定着して久しいですけれど、では年功に代わる評価基準はどうなのやら。

 努力を評価してはいけない、評価の対象は成果でなければならない――そう、したり顔で語る論者は少なくありません。こうした主張の中で無視されているものは色々とありますが、特に重要なのは「成果は機会ありき」ということですね。営業の成果はニーズの有無に大きく左右されますし、巡り合わせ一つで結果は大きく変わるものですから。

 野球の先発投手を勝ち星で評価するのなら、その「成果」は所属球団の打力にも大きく左右されます。それ以上に抑え投手ともなれば尚更のこと、セーブ数で評価するのなら「成果」は他人が機会を作ってくれるのを待つしかありません。セーブが付く機会が巡ってくるかは自分ではどうしようもないところ、十分に成果を挙げられるかどうかは本人の責任ではないわけです。

 ある程度まで「自分から」営業をかけられるポジションならまだしも、トラブル対応の類が仕事であればどうでしょう。何もトラブルが起きなければ――望ましいことのはずですが――トラブル対応の「成果」は「ゼロ」です。それでも「成果を出せ」と要求されたのならば、いったい何をするべきなのか。トラブルが起こらなければ、担当者は不要な人間と扱われてしまいます。

 もし消防署員の求められる「成果」が火事を消した件数であるならば、まずは火を着けることが最適解になります。そして警察官の「成果」が検挙数にあるのなら、成果を上げるためには違反・不法行為の発生を期待する必要があります。では入国管理局における「成果」とはなんだったのでしょうか。大阪の入管が何を動機として今回の行為に手を染めたのかは、追求される必要があります。

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他人の説教

2019-06-02 21:36:15 | 社会

性差別に触れた上野千鶴子さんの祝辞 東大生6割強が「評価」(NHKニュース)

先月行われた東京大学の入学式で、社会学者の上野千鶴子さんが性差別などに触れ関心を集めた祝辞について、東京大学新聞社がネット上でアンケートを行ったところ、東大生の61%が「評価する」と答えた一方、25%が「評価しない」と答えました。

(中略)

アンケートでは、東大生以外の4300人余りも同じ質問に答えていて、「評価する」と答えた人は東大生より多い87.5%、「評価しない」とした人は8.6%となっています。自由記述では、「女性が向上心を持って行動すればするほど壁が高くやる気をなくす経験を代弁してもらった」など、社会人の女性を中心に共感する声が寄せられているということです。

 

 さて今年の東大の入学式では、どういうわけか上野千鶴子氏が祝辞を担当し、結構な話題になりました。アンケート母集団に偏りもありそうですが、「東大生以外」のアンケート結果では87.5%が「評価する」と回答したとのこと。大いに好評であったと判断できます。元よりタレント教授とまでは言わないまでも、アカデミックな領域より一般向けメディアでの活動で名声の高い上野千鶴子氏を起用したのは、東大なりの対外的なアピールの側面が強かったはず、大学側の狙いは果たされたと言えるでしょう。

 なお見出しでは”東大生6割強が「評価」”となっている一方で、その評価した割合は東大生「以外」に比べれば明らかに少ないわけです。東大生は、東大生「以外」の回答者よりも祝辞(というより上野氏の自説)を評価していないことが分かります。上野氏の割にはマトモなことを言っていた部分もあるように思わないでもありませんが、祝辞らしくなかったことは確かですね。

 「よい子」は、上から与えられたものには何でも肯定的な回答を返します。糞の役にも立たない精神論でも、研修と称した自衛隊への体験入隊でも、「よい子」は「役に立った」と回答するものです。それこそ「上の人」が求める正解ですから。逆に上から与えられた教えに反発するのは「悪い子」ですけれど、ただ地位のある人の説くことに疑問を持てるのは、自分で考えられる証拠でもあります。上野氏の「祝辞」に首をかしげる新入生には、別の見所もまたありそうです。

 なお「東大生」と「東大生以外」でアンケート結果に大きな差があるわけですが、母集団の偏り以外には、どういった理由が考えられるでしょうか。最大の要因は東大生が「自分に言われている」と受け止めているであろう一方で、東大生「以外」は「東大生に説教してやった」気分でいることだと思います。報道でも「~代弁してもらった」云々との回答が紹介されていますが、その辺の「自分の立ち位置」の違いが大きいのでしょう。

 世間の「東大生」への感情は様々です。肯定的な感覚もあれば、それをネガティヴに受け止める人々もまた少なくありません。将来的なエリート候補生ともなれば、色眼鏡で見られることも多いと言えます。そんな次世代のエリートが、祝われるはずの場で説教されている姿を見て、快哉を叫んだ人も少なくなかったのではないでしょうか。「自分たちが」注文を付けられて複雑な思いの東大生、一方で「東大生が」注文を付けられている姿に「評価する」と回答した部外者達――あまり気持ちの良い構図ではない気もしますね。

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3ヶ月前の出来事

2019-05-26 21:44:04 | 政治

長谷川豊氏が差別発言 元フジTVアナ、維新は処分検討(朝日新聞)

 今夏の参院選(比例区)に日本維新の会公認で立候補予定の元フジテレビアナウンサー長谷川豊氏(43)が、講演会で被差別部落をめぐって差別発言をしたとして、部落解放同盟中央本部は21日、維新に抗議文を提出した。長谷川氏は朝日新聞の取材に「差別的な内容で誤り。発言を撤回したい」と述べ、謝罪した。

 発言があったのは、今年2月に東京都内であった政治やメディアをテーマにした講演会。長谷川氏は近世で被差別階層とされた人たちに触れた話のなかで、「士農工商の下に、人間以下の存在がいる」などの言葉を使った上で、「当然、乱暴なども働く」「プロなんだから、犯罪の」と述べた。

 これを受けて、中央本部の組坂繁之・中央執行委員長が維新の馬場伸幸幹事長に面会。「思い込みや偏見にもとづいて誤った部落差別意識を拡散したのであればその責任は重大」「発言は『部落は怖い』『犯罪集団』などの差別意識を助長する行為」と抗議する文書を手渡した。

 

 さて長谷川豊氏といえば「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」と主張して有名になった人ですが、再び脚光を浴びているようです。当時の透析患者を巡る発言には批判も多く、当時出演していたテレビ番組から降板することにもなった一方、匿名の賛同者も多かったと記憶しています。今回はどうなのでしょう。

 今年の3月には東京の公立福生病院で、透析治療を中止して患者を相次いで死亡させていたことが発覚するなんてこともありました。これまた批判もあれば擁護の声も多く、長谷川豊氏も言い方一つで運命は変わった、同じことを主張するにしても立ち回り一つで幅広い支持を集めることができたのではないかと、そんな気がします。

 では今回の被差別部落を巡る発言はどうでしょうか。大筋では、透析患者を巡る発言の時に近いように思われます。表に出てくる声は批判が強いものの、陰で支持する人も一定数、存在している印象です。アメリカ大統領選では表向きは支持しない風を装いつつトランプに票を入れる人が多かったわけですが、長谷川豊氏への批判と支持も似たところはあるのではないか、と。

 だから長谷川豊氏もトランプと同じくらい、蓋を開けてみたら意外な票数を獲得するのではないかと私は予測しています。つい先日、維新を除名された丸山穂高氏なんかも似たようなもの、党は飛び火を恐れてトカゲのしっぽ切りに走りましたが、公然と賛意を示す人はいなくても匿名の投票なら、良くも悪くもイイ線を行ってしまうのではないでしょうかね。

 それはさておき私が注目したのは今回の問題発言が「今年2月」の話だと言うことです。3ヶ月経過してようやく、広く周知されることとなったわけですが、この空白の3ヶ月をどう見るべきでしょう。昨年は東京医科大を皮切りに医学部入試における男女差別が話題になりました。しかしこれは、関係者の間では昔から知られた話であり、決して昨年になって初めて判明したものではないようです。

 さらに一昨年には、小田原市役所の生活保護担当の職員が、生活保護受給者を罵倒、侮蔑する文言の入ったグッズを制作、頒布していたことが報道され話題になりました。しかしこのヘイト行為、実は10年来の伝統があるらしく、生活保護受給者宅を訪問する際には「保護なめんな」と書かれたジャンパーを着用するなど、広く市民の目に触れる形で公然と行われてきたことだったのです。

 しかし小田原市の問題が報道され世間の批判を集めるようになったのは、ヘイト行為の開始から10年を経てのことでした。それを思えば長谷川豊氏の差別発言が世に出るまでにかかった3ヶ月という期間は短いのかも知れませんが――ことによると、もっと長く眠っていたかも知れない、例えば選挙が終わるまで広く知られることはなかったかも知れない、そうも思われます。

 いかに通信技術が発達しモバイル端末が普及しSNSが幅を利かせるようになっても、情報の伝播速度には限りがある、ということが分かります。既存メディアへの批判は高まるばかりであろうとも、マスコミが報じて初めて世間に広まることは、まだまだ多そうです。いずれにせよ政治家になろうとする人ともなれば、その考えは取り繕われるよりも知られることが望ましいですから、まぁ今の時点で判明して良かったと考えるべきでしょうか。

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年功序列でないことだけは確かだ

2019-05-19 20:58:33 | 雇用・経済

 さて先日は旧友と今の仕事について話す機会がありまして、それで私の勤務先をネットで検索してみましたところ、ある転職口コミサイトに辿り着いたわけです。せっかくですから現役社員として口コミの一つも投稿してやろうかと思ったところ、「実力主義」か「年功序列」かを問われ、出だしから答えに迷いました。5段階評価で、どっち寄りかを答える必要があるのですが、どうにも答えづらいのです。

 「年功序列でないことだけは確かだ」と、もし自由に記述して良いのなら、そう答えます。ただ私は、今の勤務先に限らず年功序列というものを見たことはありません。子供の頃から、年功序列とは悪いものだと、至る所に書かれているのを目にしてきました。しかるに、諸悪の根源として昔から語り継がれてきた年功序列とやらに遭遇したことは、一度もないのです。

 まぁ、定年手前の人が社内で重んじられているわけでもないのに多少の肩書きを持っているのを見ますと、もしかしたら30年くらい前には年功序列が実在しており、その当時に一定の勤務年数のあった人は、年功によって職位を与えられていたのかも知れない、という推測はできます。ただ、実際に「長年勤めているから」という理由で他人が昇進したのを見たことはありません。

 年功序列が過去に実在したかどうかは歴史家の研究に委ねるとして、とりあえず私の知りうる限りの職場に年功序列は存在しません。何処に行っても、年下の上司、年上の部下、若いというより幼い管理職と年老いた平社員は、普通に存在します。地道に長年、勤め上げていれば昇進できるものではない、逆に至って短いキャリアでも昇格する人は昇格する、そういうものなのでしょう。

 だから「年功序列でない」ことは断言できるのですが、一方で「実力主義」かと言えば、それもまた違う気がするわけです。どう見てもヤバイ人が昇進していたりする、営業として抜きん出た成績を継続している人が昇格の対象から外されていたりもする、ただ騒いでいるだけで出世する人もいれば、実務の主力であるにもかかわらずヒラ社員として留め置かれていたりもしますから。

 「問題社員の特徴は~」みたいな言説は定期的に目にするところですが、私の経験上、問題社員の第一の特徴は「幹部からの評価が高い」ことに尽きますね。「あいつはヤバイ」と相応の権限のある人から危険視されていれば、問題は個人の範疇に収まります。対して幹部からの評価が高いと、止める人がいなくなる、むしろ幹部からの評価によって自信を深め、問題行動をエスカレートさせるものです。

 結局のところ、人を昇進させるかさせないかは、相応の立場にある人が決めます。権限のある人から気に入られていれば昇格しますし、そうでなければ年功を重ねても序列は上がりません。では何を理由に幹部社員は人を評価するのでしょうか。かつて毛沢東は大躍進と称し、雀の駆除や稲を深く密集して植えることを国策として進めました。結果として3,000万人を上回る餓死者が出たとか。しかし、この毛沢東の愚かな政策に反対した人は、どう扱われていたのでしょう。

 往々にして会社の役員層ともなりますと、現場のことは何も分からないものです。それこそ、毛沢東の農業知識と同レベルです。それでもなお、何が正しく誤っているかを決めるのは、権力の座にある人です。人を評価する立場にある人が指し示した方向に忠実であるか、それとも背くのか――これは独裁国家ならずとも何処でも問われる気がします。

 会社の幹部が決めた経営方針に基づき、その計画実現のため情熱的に騒ぎ回る社員もいれば、馬鹿げた妄想には付き合っていられないと実務に専念する人もいるわけです。この中で若くして昇進すれば、いつまでもヒラのままの人も出てくるものですが、読者の皆様のお勤め先は、いかがなものでしょうか。

 経済面で国際的な競争力を高めている国では、もう少し違う基準で人が選ばれているのかも知れません。逆に国際的な経済的地位を低下させている国では、「選ばれて昇進した人」の実力に疑問を抱かれたとしても仕方ないと思います。とりあえず確かなのは、「年功序列」の反対が「実力主義」ではないことですね。年功序列を否定すれば実力のある人が地位を得るかと言えば、それは完全に別の問題ですから。

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目標未達

2019-05-12 21:40:29 | 雇用・経済

仕事の妨げ…味の素「労働7時間に短縮」やめた(読売新聞)

 味の素は、これまで段階的に進めてきた労働時間の短縮をストップする。2020年度の達成を目指していた「所定労働時間7時間」の目標を取り下げた。これ以上、短縮すれば、時間内に仕事を終えることだけにとらわれる社員が出てくるなどの弊害が生じかねないためだ。現在の労働時間7時間15分を続ける。

 味の素の西井孝明社長は、10日の決算記者会見で、「時間ありきの働き方を求める段階は過ぎた。今後はどれだけクリエイティブ(創造的)な仕事に時間を割けるか、実質的なテーマにかえる」と話した。味の素は所定労働時間を、17年度に、それまでの7時間35分から20分短縮させた。勤務時間は1時間の休憩を挟み朝8時15分から午後4時30分までとなっている。

 勤務時間の短縮は、効率的に働くという社員の意識改革につながった。ただ、その一方で勤務時間を気にして、新しいアイデアが浮かびづらくなるなど負の側面も生じてきたという。本社の管理部門に比べて、営業部門は勤務時間を減らすのが難しいなど、働く部署によって差も出た。

 

 さて労働時間の短縮を進めていたはずの味の素が、目標を放棄したそうです。営業であれば目標未達など許されないのが普通の会社ですけれど、どうなのでしょうか。味の素が目標未達を社内的に許容する組織であったなら、まぁ今回の判断もありなのかも知れません。しかし、自社の営業にはパワハラも辞さず目標達成を迫っておきながら、時短の目標は取り下げするとなれば、それは都合のいい話です。

 実際のところ「本社の管理部門に比べて、営業部門は勤務時間を減らすのが難しい」との実態があったそうです。旗を振るだけの「本社の管理部門」は時短目標に到達できても、その管理部門から身勝手な要求を突きつけられる側の営業部門には、色々と難しくなる事情があったのであろうと思われます。根本的には、管理部門と営業部門の仕事の重さの違いも、考えられるべきでしょうね。

 

 ~さぞアフター6を満喫しているかと思いきや、全員が楽しんでいるわけではありませんでした。残業ゼロの環境に適応できない者が現れ始めたのです。超集中して効率的に働かなくてはならない環境に耐えかねて、自分のペースでゆっくり仕事をしたい、残業したいと、今までとは逆の声が出始めました。(『完全残業ゼロのIT企業になったら何が起きたか』米村歩, 上原梓)

 

 まぁ世の中には、長く働きたがる無能も多いわけです。本当に(押しつけられた)業務量が多くて長時間労働している人もいれば、陰口と間食で時間を潰すばかりでロクに働きもしないまま深夜まで会社に居残っている人もいます。味の素なら大丈夫かも知れませんが、基本給が低すぎるので生計のために残業する人だって多いでしょう。勤務時間削減の前に立ちはだかる要因は、実に様々な種類があります。

 そこで時短に反対する人々の声にトップが怯んでしまうと、改革は頓挫してしまうわけです。時間内に効率的に仕事を終わらせようとする人もいれば、無駄なことを続けて時間を引き延ばすことに精神的な満足を覚える人もいる、一度でも後者の声に耳を傾けてしまえば、次に待っているのは後退のみです。味の素の社長が「I shall return」とでも言ったのならともかく、「時間ありきの働き方を求める段階は過ぎた」云々では、望み薄ですね。

 「今後はどれだけクリエイティブな仕事に時間を割けるか」とも味の素の社長は語ったそうですが、この「クリエイティブ」というのも「コミュニケーション」とか「グローバル」みたいに、日本の会社では好まれるけれど実は中身のない言葉のような気がします。ただ、そういう言葉を連発しておけばなんとなく「良いことを言った」感じを演出できるだけで、なんの解決にもなっていない等々。

 実際のところ「クリエイティブ」と持ち上げられているけれども実際はただの「余計なこと」「いらないこと」でしかない代物も多いように思います。とりわけ、本社の管理部門が考えるような類いには、ですね。闇雲に変革さえ訴えておけば活躍していると評価される組織は多いのではないでしょうか。そんな管理部門のクリエイティブな仕事ぶりの結果として業務負担が重くなるばかりの営業部門、というのは私の勤務先の話ですが。

 あるいは、真のイノベーションは必ずしも業務時間中に生まれるものではない、とも言えます。むしろ豊富な余暇の中で、生まれてくるものだって多いでしょう。または真のイノベーションを、大した給料をもらえるわけでもない日本の会社員に期待すべきなのか、とも言えます。給与水準を鑑みれば、そこまで会社に尽くす義理はない、やることだけやって速やかに退社した方が、普通の会社員として得るものと払うものの釣り合いは取れているでしょうから。

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忘れられないといいですね

2019-05-05 21:47:57 | 雇用・経済

自民、最低賃金を一律化 参院選 政策集に明記へ(産経新聞)

 地域間で異なる最低賃金(最賃)について、自民党が夏の参院選で公約とともに取りまとめる政策集に一律化の検討方針を明記する方向で調整していることが3日、分かった。相対的に低い地方の最賃を底上げすることで、人件費が増えても一定の利益を上げられるよう企業に努力を促し、日本全体の生産性向上などにつなげる狙いだ。

 経営への影響が大きい中小企業が、参院選で激戦の予想される地方に多い点にも配慮し、扱いは中長期的な課題にとどめる方針。

 安倍晋三首相は平成27年11月、最賃について、毎年度3%程度引き上げて、将来的に全国平均で千円を目指すと表明し、現在は874円まで達した。ただ、最高の東京都(985円)と最低の鹿児島県(761円)で224円の格差があり、外国人を含めた地方から都市への人材流出の一因となっている。一方で、労働力確保のコストが都市よりも抑えられることから、生産性の低い地方企業を温存することにつながっているとの指摘も出ている。

 自民党は今年2月、最賃の格差解消に向け、有志議員が「最低賃金一元化推進議員連盟」(会長・衛藤征士郎元衆院副議長)を設立。最賃一律化が持論で政権幹部とも親交のあるデービッド・アトキンソン小西美術工芸社社長らと意見交換し、必要な法整備を訴えている。議連では厚生労働省の担当課長が業種別の一律化を主張し菅義偉官房長官が全否定する騒動も起きた。

 ただ、党幹部も一律化の必要性自体は認めており、議連側の要望を受け入れ、選挙公約としての拘束力は弱い政策集「Jファイル」に地方の反発を招かない表現で一律化を盛り込む方向で調整することになった。実現に向けては、最賃の底上げを後押しするよう実効性のある補助金などの仕組みづくりも課題となりそうだ。

 

 さて公約はおろか政策集ともなりますと、自民党以外の党が与党になったときも含めて忘却の彼方に追いやられがちなイメージですが、これはどうなるのでしょうか。曰く「扱いは中長期的な課題にとどめる方針」とのことですから、インフレ目標よろしく掛け声だけで終わる可能性も高そうです。現に菅官房長官の全否定などもあるわけで、「ポスト安倍」が今回の方針を引き継ぐ見込みは乏しいような気もしますし。

 とは言え、最低賃金の一律化自体は好ましい政策です。例えば東京のコンビニ店員と鹿児島のコンビニ店員で能力に大きな違いはないはずですが、しかし賃金には大きな違いがあります。住むところに制約のない人であるならば、必然的に東京へと引き寄せられることでしょう。地方で頑張るよりも、上京する方が得なのですから。

 平成は、東京一極集中の進んだ時代でした。東京に収まりきらない富が地方に波及する時代から、企業や人材が東京へと流出する時代に移行したのが平成と言えます。東京都知事にとっては、くだらない妄言、暴言を連発していても勝手に足下が栄えていく良い時代であったかも知れませんが、日本全国にとっては決して繁栄の時代ではなかったわけです。

 そこで「日本全体の生産性向上」を考える上では、地方の給与水準を上げていくこと、地方で働く人の所得を増やし、地方在住者の購買力を上げていくことも当然ながら、求められるのでしょう。しかるに地方ほど低い賃金が法的に許されているために、マトモな賃金を払えない生産性の低い事業者が延命できてしまうのが現状です。

 平成は、規制緩和の時代でもありました。改革の旗の下、より広い範囲の職種を非正規で、かつ薄給で雇い続けられるようになった時代です。賃金を引き上げたら潰れてしまう、そんな生産性が低く競争力に欠ける企業でも、人件費を抑制することで事業を継続できるようになった時代なのです。そして、日本経済が発展した時代ではありませんでした。

 「経営への影響が大きい中小企業が~」とは、最低賃金引き上げ論議の際に出てくる決まり文句ですが、しかしマトモな賃金を支払えない企業は日本社会の寄生虫でしかないわけです。それは駆除されるべきであり、人権のように守られるべきものではないでしょう。賃金を引き上げたら潰れてしまうのなら、それは既に事業として破綻しているのです。

 そもそも安い人件費を唯一の武器に価格競争を仕掛けてくる事業者が国内に存在することは、他の優良事業者にとってもマイナスです。ちゃんと賃金を引き上げようとしても、(人件費を抑制することで)安売り攻勢を仕掛けてくる競合他社がいては、それへの対抗策も必要となってしまいます。悪貨は良貨を駆逐するものですから。

 従業員を安く長く働かせることでしか事業を継続できない、そんなゾンビ企業に対して毅然とした態度を取ること、それが国民にとって有益な政治家の在り方と言えます。しかし、とかく経営者目線の日本社会では、企業の保護ばかりが優先されがちです。そして与党に限らず野党もまた同様で、「弱い」企業を守ろうとして結果的にはゾンビ企業の延命に協力している等々。

 引用元では「実効性のある補助金などの仕組みづくり」と書かれていますが、この「補助金」とは、やはり企業――それも「マトモな賃金を払ったら潰れてしまう生産性の低い企業」――が対象となるのでしょうか。それ即ち企業への福祉を続けてしまっては、問題企業の延命にこそ繋がっても、地方の自立的な発展に繋がることは永遠にないと言わざるを得ません。

 やるべきとすれば、ゾンビ企業の駆除あるのみです。最低賃金を都市部と同水準に引き上げる、それで破綻する事業者には、速やかに市場から退場してもらう必要があります。これで失業者が出るのであれば、その時こそ補助金の出番であり、同様に地域サービスが不足するようになれば、これもまた補助金の出番でしょう。

 民間で(賃金を最低水準まで引き下げない限り)採算が取れないような事業こそ、「官」がやらなければいけないことであり、そこで適切な雇用を生むべきことでもあります。正しい道へ進むためには、まず誤った道を引き返さなければいけません。「官から民」の時代の過ちを修正するためには「民から官」への動きもまた考えられるべきであり、それはゾンビ企業延命のための福祉よりも、間違いなく有意義なことです。

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政治家の圧力

2019-04-28 21:35:15 | 社会

文科省の放射線副読本を回収 野洲市教委、記述を問題視(朝日新聞)

 文部科学省が全国の小中学校と高校に配布した昨年10月改定の「放射線副読本」を、滋賀県野洲市教育委員会が回収していることが25日、分かった。東京電力福島第一原発事故の被災者への配慮がなされておらず、放射線が安全との印象を受ける記述が多いと判断したという。

 副読本は小学生、中高生向けの2種類ある。放射線がX線撮影に使われていることや、放射線の性質と人体への影響などを説明。福島第一原発事故と復興のあゆみを取り上げている。「(福島第一原発)事故で放出された放射性物質の量はチェルノブイリ原発事故の約7分の1で、福島県が実施した検査結果によれば、全員が健康に影響を及ぼす数値ではなかった」などの記載もある。

 3月の市議会の一般質問で、「人工と自然界の放射性物質を同列のように扱い、(放射性物質が)安全であると印象を操作しようとしている」などと指摘を受け、市教委が副読本の内容を精査。放射線の安全性を強調するような印象を受ける記述が多い▽被災者の生の声が少ない▽小中学生にとって内容が高度――と判断し、回収を決めた。

 

 さて大震災と津波、その後の原発事故から8年あまりが経過しましたが、事故を契機に放射線について理解を深める人もいれば、逆に信仰を深める方を選んだ人も多いように思います。まぁ、人間を動かすのは現実ではなく信念であり、自らの世界観を守ること以上に重要なことはないのかも知れません。

 そこで文部科学省発行の副読本を、独自に回収している自治体があるそうです。何処の議員かは伝えられていませんが、曰く「人工と自然界の放射性物質を同列のように扱い、(放射性物質が)安全であると印象を操作しようとしている」などと騒ぎ出したとのことで、これが回収に繋がったようです。

 しかし、人工であろうと自然界に存在しているものであろうと、放射線の性質に変わりはありません。これは事実であり、少なくとも印象操作に該当するものではないわけです。ところが、原発事故後に福島界隈へのヘイトスピーチに励んでいた人の「世界観」には、人工的なものは自然界にあるものと違って有害であるという信念があり、それは絶対に譲ることの出来ないものなのでしょう。

 ゆえに、野洲市の氏名不詳議員にとって、「人工と自然界」の区分は自身の信仰に関わる問題であった、事実ではなく信念の問題として、自らの世界観を守るために戦わねばならない事案であったと言うことができます。それは思想信条の問題であり、事実認定の問題ではない、ましてや教育の問題でなどあろうはずがないのですね。

 ただ報道としてはどうなのでしょうか。一部の思想的に偏った議員の暴走とその結果を伝えるだけで良いのか、メディアとして事実を伝えるのか否か、そこは良心が問われます。「『(福島第一原発)事故で放出された放射性物質の量は~健康に影響を及ぼす数値ではなかった』などの記載もある」云々との報道ですけれど、これなんかも揺るぎない事実です。しかし報道を見ると、これまで「問題視」されるべき箇所のように映ります。こういうのが、典型的な印象操作です。

 起こったことをありのままに伝えるという点では、放射線副読本(とりわけ報道で取り上げられている部分)に瑕疵はありません。一部議員の思想信条と相容れなかった、ただそれだけのことです。しかし結果として、市教委は副読本の「回収」を決めてしまったわけです。一部の思想面で偏った政治家の圧力に屈して(もしくは忖度して!)。

 報道も暴走議員も、これを追認する市長もそうですけれど、市教育委員会もどうなのでしょう、一部の政治家が自身の思想信条に相容れないからと言って教材の回収を要求する、そうした振る舞いに対抗できないようでは、この先が大いに不安視されます。それで教育を守れるのか、市教委の姿勢もまた問われるものがあるのではないでしょうか。放射線副読本の記述に批判されるべきものがないのとは裏腹に、それを巡る騒動には少なからぬ問題があると言えます。

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「所定の場所」とは

2019-04-21 21:50:20 | 編集雑記

 私の職場ではところどころに「○○は所定の場所に捨ててください」と書かれた張り紙が貼ってあります。まぁ区のゴミ捨てルールもあれば入居しているビル独自の分別ルールもありますから、「所定の」場所以外に捨てられたら困るものもあるわけです。そのため分別の必要なゴミが「所定」ではない場所に捨てられていると、数日後には「○○は所定の場所に捨ててください」との張り紙が登場するのですね。

 つい自身の住んでいる自治体のゴミ捨てルールで行動してしまった人もいれば、訳知り顔で分別はムダだとニワカ知識を披露して分別しない人もいる、うっかり間違ってしまう人もいれば面倒くさがって適当に捨てている人もいる、「所定の」場所へ捨てられない理由は様々です。いずれにせよ結果として「○○は所定の場所に捨ててください」との張り紙は増えていくわけです。

 しかし私がずっと疑問に思っているのは「所定の」場所とは何処なのか?と言うことです。張り紙の内容から判断するに、入居しているビルには段ボール置き場、弁当ガラ置き場、廃トナー置き場など、種類に応じた捨て場所が存在しているであろうことがうかがわれます。ところが、それぞれを捨てに行くべき「所定の」場所が何処にあるのか――これが張り紙からは分からないのです。

 「所定の場所」が何処に存在するのかを知っているが、悪意を持って所定ではない場所にゴミを捨てている、そんな人に対してなら「所定の場所に捨ててください」というメッセージは一応の意味があるのかも知れません。しかし、個別のゴミ捨て場所を知らない人に「所定の場所に捨ててください」と伝えても、何かが改善されるのでしょうか?

 少なくとも私の記憶では、入社したときにゴミ捨て場所を案内されたことはありません。職場が移転したときもやはり、「所定の場所」が何処にあるのか、誰かから教わったことはないです。書類を配りに社内を歩き回っていたときに偶然、恐らくはここが所定の場所であろうと思われるものを見かけたことならありますが、それが正しいかどうかは分かりません。

 社内のポータルサイトに、各種問い合わせ情報やFAQ、事務所利用ガイドなどもあるのですけれど、「所定の場所」で検索してヒットするものはありませんでした。「所定の場所へ」という張り紙は事務所のあちこちで見かけるにも関わらず、所定の場所は謎のままです。たぶん総務部の人と、そのオトモダチネットワークを介して私的に伝えられる秘儀のようなものなのでしょう。

 私だったら、「所定の場所へ」とは書かずに、図なり言葉なりで、対象を捨てるべき場所を明示します。そうすれば、少なくとも何処に捨てるべきかを知らずに間違った場所へ捨てていた人は、捨てる場所を改めることでしょう。しかし会社の掲示物を作る人は、具体的にどこかを知らせる代わりに「所定の場所へ捨ててください」とのメッセージを発することを好んでいるようです。それはどうかと私などは思いますが――コミュニケーション能力さえあれば、こんなやり方も許されるのかも知れませんね。

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