非国民通信

ノーモア・コイズミ

タブーと信仰

2019-02-17 21:59:54 | 社会

 よく日本(人)は無宗教、みたいな言い方をする人がいて、無知というのは恥ずかしいものだなと思うわけです。この辺は、戦前の論理が今に生きていると言いますか、靖国信仰を「宗教を越えるもの」として位置づけた、すなわち宗教とは別枠で扱ってきた感覚が根付いているせいなのかも知れません。

 

韓国議長「天皇の直接謝罪で慰安婦問題は解決できる」(朝日新聞)

 韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長は7日に行われた米ブルームバーグ通信とのインタビューで、日韓の懸案である慰安婦問題について、天皇が元慰安婦に直接謝罪をすれば解決できるとの考えを示した。同通信は、文氏が天皇を「戦争犯罪の主犯の息子」と呼んだとも報じたが、インタビューに同席した国会報道官はこの表現は否定している。

 同通信は文氏に対するインタビュー記事を8日に、英語と日本語で配信した。それによると、文氏は「(元慰安婦への謝罪は)一言でいいのだ。日本を代表する首相か、間もなく退位される天皇が望ましいと思う」と主張。さらに、「その方(天皇)は戦争犯罪に関わった主犯の息子ではないか。おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」と語ったという。

 

 「何に対する言及が冒涜として扱われるか」を見れば、その社会における宗教が分かる、と言えます。この韓国議長の発言への日本側の反応を見れば、日本の宗教及び信仰のよりどころが何処にあるかは、一目瞭然ではないでしょうか。天皇とは、日本社会におけるローマ教皇でありムハンマドのようなものであり続けているわけです。

 平成天皇とは呼ばずに今上天皇などと書かれているのを目にすると、あたかも肖像画を描くことが信徒の間で禁忌とされている類いを思わずにはいられないのですが、ともあれ少なからぬ日本人にとって天皇とは、今もなお神聖にして不可侵な存在であるようで、日韓関係は悪化の一途にあると伝えられています。

 なお私としては、韓国議長の認識には誤りがあると考えます。曰く「(天皇が)おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」とのことですが、そんな簡単な話ではないでしょう。結局のところ日本と北朝鮮との拉致問題のように、国家(政府)間での手打ちが行われたところで個人の恨み辛みは消えない、天皇の謝罪で納得する人もいれば、そうでない人だっていくらでもいるはずですから。

 ただ天皇による謝罪が問題を解決しないとしても、そうする必要がないかと言えば別問題です。戦後、天皇の戦争責任は「なかったこと」にされてきました。これは宗主国アメリカの公認を受けたことではあるのかも知れませんが、当然ながら欺瞞でもあります。日本側が本当に戦時下及び占領下での加害行為を反省しているならば、こうした欺瞞を続けて良いはずがないでしょう。

 日本側として、自分たちは誠意を持って被害国に対応したと言いきれるようになるためには、やはり天皇の戦争責任を認める必要があります。昭和天皇一人の責任ではないとしても、決して昭和天皇に責任がないわけではない、天皇もまた戦犯の一員として被害者に償わなければならない、そうした認識なしに未来へと進むことは出来ません。

 「象徴化」というトリックによって、天皇の政治発言は良くも悪くも封じられてきました。その禁を部分的に破って出てきたのが生前退位だったりもするわけですが、この退位を巡るやりとりを見るに、どうやら天皇自身と「天皇を担ぐ信徒」の意思には少なからぬズレがあることがわかります。

 時代を遡っても、「朝敵」とされた会津藩主の松平容保と、「尊皇」を掲げて討幕運動を繰り広げた人々とでは、むしろ後者の方が天皇自身の意思を問わない、むしろ自身の正当化のために天皇を利用したがる傾向が見られました。その辺は現代も変わらない印象ですけれど、果たして平成天皇の戦争認識はどれほどのものでしょうね。

 制度上、天皇の発言には色々と制約があります。自身の意思を通すよりも、日本政府の意向に沿って発言してきたことの方が多いでしょう。そして日本政府の公式見解としては、天皇に戦争責任はないことになっています。だから、天皇の謝罪などあり得ない、それを求めるのは冒涜になってしまうわけです。果たして天皇自身は何を思っているのか、直訴ならぬ直撃インタビューでもやってみる人がいれば面白いですけれど――信仰の対象は敬遠されるのが常でもあります。

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目次

2019-02-17 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2019/ 2/17

雇用・経済    最終更新  2019/ 2/ 3

政治       最終更新  2019/ 1/ 6

文芸欄      最終更新  2017/ 8/31

編集雑記・小ネタ 最終更新  2018/ 8/12

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どうしたらいいのかはわかりません

2019-02-10 22:05:36 | 社会

 子供の虐待死事件は定期的に出てきますが、昨今は児童から相談を受けたはずの学校や児相の対応が目も当てられないほど杜撰だったりして、いつも以上に注目を集めているようです。「専門家によると、虐待のリスクを高める行為」云々みたいな報道もありますが、「誰が見ても」明らかに児童を見捨てに行ったとしか考えられない対応のオンパレードですから。

 まぁ本気で虐待の問題に対処したくて教員や児相の職員になった人なんていないでしょうし、特別な危険手当を貰っているわけでもないと来れば、児童よりも自身の身を守る方が優先されるのが致し方ないのかも知れません。いじめの問題なんかも然り、下手に介入すれば今度は教員がいじめのターゲットにされることもある、ならばいじめを黙認する方が安全等々。

 この辺、治安が一定の域を超えてしまった国での警察みたいみたいなもので、下手に動くよりもマフィアの裏金を受け取った方が身の安全を守れる――といった判断が成り立つような状況にあるとも言えそうです。「たまたま」死人が出れば警察も動く、そうなれば色々と調査されますが、それは氷山の一角であり、大半は被害者の泣き寝入りで「片付いて」いるのだと思います。

 しかし、これだけ少子化が進んでいる、生涯未婚率も上昇している時代に妻子がいるというのは、それなりの恋愛エリートだとも考えられないでしょうか。子供なんていない、付き合っている相手なんていない、そういう人が珍しくない現代日本に妻と子供がいるのは、「普通以上」と目されるべきではないか、そんな印象もあったりします。

 「レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と、伝説の迷言を残した元大臣がいますけれど、児童虐待に関してはどうなんでしょうね。異性交遊に興味を示さない人も増えれば、子供を持たない人も増えた時代ですから、何かの拍子にろくでもないことを言い出す人がいても不思議ではないような気がしないでもありません。

 とりあえず自分の住む地域ですと、病院でも図書館でもパン屋でも、どこでも子供が元気にかけずり回っていますので少子化など微塵も体感できなかったりしますし、今も隣家からは母親とおぼしき女性の叫び声と子供の金切り声が聞こえてきます。通報のラインって、どの辺なんだろうと考えることも偶にありますが――たぶん通報したら、私の方が「子供の声に狭量な問題のある大人」として糾弾されると思います。

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評価されるための能力

2019-02-03 21:28:48 | 雇用・経済

 離職率の高い会社――というものは、どこにでもあると思います。私の勤務先も、例外ではありません。まぁ、離職者がいるから中途や通年での採用(=穴埋め)があるのです。中途でも入社できる会社とは、その分だけ辞める人もいる会社であることは覚悟しなければならないのでしょう。しかしながら、一口に離職率が高いと言っても、その実は「部署次第、配属次第」となっているところもあるようです。

 上司の資質次第で部下の離職率が変わるのはもちろんのことですが、配属される「職種」によって離職率は大きく異なるものではないでしょうか。極限まで単純化すれば「営業は離職率が高く、事務系は離職率が低い」等々。とかく「ブラック企業」とは一括りに扱われがちですが、より細かく見ていけば「ブラック部署」「ブラック職種」もあるのかな、と思いますね。

 面白いのは、離職率の高い営業という職種は求人も多く採用基準も緩めだったりすることです。「営業として働き続ける」ことのハードルは高いのに、不思議と「営業として採用される」ハードルは低い、どうしたものでしょう。反対に事務系職種は、採用に関しては圧倒的な狭き門です。しかし事務系職種の離職率は営業よりずっと低かったりするのを考慮しますと、「事務として働き続ける」ことは、そう難しくないように見えます。採用のハードルは、あんなに高いのに。

 そこで私が考えるのは、「採用に当たって求められる能力」と「実際に働く際に必要な能力」は一致しない、と言うことですね。営業として採用されるためには、そんなに特別な能力をアピールする必要はない、しかし営業として活躍するためには相当に高度な能力が求められる、反対に事務職として採用されるためには特別な人材を装う必要があるものの、入社してしまえば平凡以下でもなんとかなる……

 覚えている人も多いと思いますが、理化学研究所のユニットリーダーとして活躍した小保方晴子さんという人がいるわけです。同世代の研究者の間では最も出世していた人の中に数えても良さそうな人ですけれど――諸々の不正が発覚して職を辞することにもなりました。彼女の研究者としての資質については当然ながら疑問符が付きますが、しかし彼女と同年齢で理研のユニットリーダーの地位を得られる人が、果たしてどれだけいるでしょうか? 研究者の資質は欠いていても、採用される能力、昇進する能力、人から評価される能力は、世代のトップクラスであったと言えます。

 逆に小保方さんよりも研究者として真っ当な人は多々いると思いますが、その中には理研なんて夢のまた夢、ポスドクに収まることが出来ればマシな方、就職(採用)とは無縁で不遇を託っている人も数多いるはずです。ヨソの国はいざ知らず、我々の社会とは、そういうものなのかも知れません。

 「今の若い人は、みんな本当に英語が上手なんだよね」と会社の偉い人が言っていました。採用に携わるような人の感覚からすれば、そうなのでしょう。残念ながら私は採用には関与しませんし、職場で英語を使う機会が皆無なので、若い人の英語力を知る機会がなかったりします。まぁ職場で英語が必要になる機会はなくとも、採用に当たっては英語力をアピールする若者が多いと推測すれば辻褄は合うでしょうか。

 昨今はどこの大学も(就活でアピールすべく)英語重視に拍車がかかっている他、中学や高校入試ですら「試験は英語一教科のみ」とする学校が出始めていると聞きます。アメリカやイギリスに行けば、落第生や失業者でも英語なんて誰でも話せる気がしますが、日本人にとって「とにかく英語力」というのは定番のようです。

 しかし英語力が自慢の新卒者が実際に就業して、得意の英語を活かして大活躍できるかと言えば――99%以上の若者は失望を味わっているだろうな、と思います。「グローバル」を掲げたがる会社は多くても、本当のグローバル企業は一握り、普通の人が就職するのはドメスティックな企業ですから。ただ、そんな英語を使う機会のない会社でも、就職の際に求められる能力として英語は重要なのでしょう。

 まぁ、国内市場をターゲットにする会社でも、昨今は外資系企業との取引は増えています。外資系企業の、日本語を介さない担当者を相手に営業をかけるなら、英語力が問われるのかも知れません。しかし私が注目したいのは、「現地の言葉を介さなくても要職に就いている人が(外資系企業には)普通にいる」と言うことですね。

 日本には、「日本語に不自由しない人」が1億人くらいいます。しかし日本語が巧みであれば日本で活躍できるかと言えば、そうもいかないわけです。逆に、日本語が不自由でも外資系企業の要人として活躍している人は、いくらでもいます。ではヨソの国に舞台を置き換えてみればいかがでしょう。英語が巧みでありさえすれば「世界で」活躍できるのかどうか、逆に英語が不自由でも活躍している人はいるのかいないのか等々。

 日本企業に就職する上では英語力が大いに問われる時代になりましたが、それもまた実際に働く上で必要な能力と、ただ就職するためだけに必要な能力との、深刻な乖離を象徴しているように見えます。とにかく採用面接の場面で自分をアピールする能力だけは高い、上長から評価を得て昇進する能力だけは高い、そういう人が会社で地位を高めていった結果、日本経済は上向いたのか、あるいは凋落していったのか――我々の社会はどちらを向いているのでしょう。

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私が受験生なら千葉大は志望しない

2019-01-27 21:54:16 | 社会

千葉大、海外留学を必修化 2020年度から全入学者に(朝日新聞)

 国立千葉大学は24日、2020年度以降の学部・大学院の全入学者を対象に、原則として1回の海外留学を必修化すると発表した。千葉大によると、学部生は計約1万人、大学院生は計約3500人。文系・理系をとわず「全員留学」を義務付けるのは、全国の大学でも極めて先進的な取り組みだとしている。

 千葉大は、発信力や自己表現力・コミュニケーション力を備え、世界で活躍する「グローバル人材」の育成を進めたいとしている。そのために、16年度に設けた国際教養学部で必修化した「全員留学」を全学に広げることにしたという。

 学部生の留学期間は、最長2カ月程度。同大は現在も海外留学用のプログラムを備えているが、「全員留学」に合わせ、語学や異文化学習から専門研究まで新たなプログラムを拡充する。大学院生は、研究内容を中心に自分でプログラムや期間を考えるようにする。留学を支援するため、担当教職員を設けるほか、外国人教員を新たに配置し、英語による専門科目も開設する。

 提携校に千葉大のプログラムで留学する場合は、大学が授業料などを負担する。財源を確保するため、大学側は経費節減を進めて収支状況を見直した上で、20年度からの新入生の授業料の見直しも検討するという。授業料が一定程度値上げとなる可能性もある。

 記者会見した徳久剛史学長は「グローバルな人材育成には、実際に海外での経験が必要。異文化を学んで、本人の将来を決めるスタートにしたい」と話した。(寺崎省子)

 

 まぁ大学の就職予備校化が指摘されて久しいわけですが、これなどはどうでしょうか。自称「極めて先進的な取り組み」とのことですけれど、確かに就職予備校としては先進的なのかも知れませんね。曰く「発信力や自己表現力・コミュニケーション力を備え、世界で活躍する『グローバル人材』の育成を進めたい」だとか、なるほど日本企業のウケは良さそうです。

 この千葉大が称揚する「発信力や自己表現力・コミュニケーション力」とやらは、いかにも日本企業が求人の際に並べ立てる決まり文句のようにしか見えないのですが、これを備えれば「日本の外で」活躍できるのか、私は疑問です。「グローバル人材」を求める日本企業はいくらでもありますけれど、それは日本の外で求められる人材に合致するのでしょうか?

 全員留学を義務づけると言うことで、学生の志望は考慮されないようですが、しかるに「最長2カ月程度」なのだそうです。では「最短」なら、果たして何日程度になるのでしょうね? いずれにせよ、1週間でも2週間でも2ヶ月でも、その程度では留学というより「旅行」と呼んだ方が適切に見えます。「留学経験」と称すれば就活には有利になりそうですけれど……

 そして「英語による専門科目も開設する」とのこと。これもいかにも流行に迎合した感じですが、むしろ私としては「大学に行ってまで英語の勉強なんてするな」と言いたいです。使える言語が増えれば人生の選択肢は増えますけれど、しかし英語なんて大学に行かなくても勉強できます。それこそ運転免許と同じで、就職の際には問われても、大学でやらねばならないことかと考えれば、そこにも疑問を感じるわけです。

 運転免許は自動車教習所、英語は英会話学校に任せて、大学には大学でしか出来ないことを期待したいところですが、就職に強い大学、補助金をたくさんもらえる大学を目指す上では、そうも言っていられないのかも知れません。ただ大学で学べる4年間――まぁ「真面目に」就活すれば正味は2年半ぐらいでしょうか――は本当に短い貴重な時間です。英語はいつでも勉強できますが、大学生でいられる時期は僅かしかないはずです。

 もちろん1ヶ月なり2ヶ月なりの、長めの海外旅行でも得るところはあるのでしょう。フランスのように長期のバカンスが制度化されている国なら、大学卒業後でも同様の「留学」は可能ですが、日本の就労環境では色々と難しいわけです。ならば学生の夏休みや春休みを利用した留学ごっこも悪くない経験なのだと、そういう意見もありそうです。

 ただ、短い学生生活の中「もう日本の大学では学べることがない」ならいざ知らず、学部や修士のヒヨッコならば、他にいくらでもやれることがあるような気がします。本当に先端的な研究をやりたいなら、日本にとどまってもいられないでしょうけれど、圧倒的多数の学生は、当然ながらその域に達することはありません。海外に行かなければ学べないのか、それとも国内でまだまだ学ぶことがあるのか、それは考えられるべきです。

 後はまぁ、逆の立場で考えてみることですね。海外出身の学生で、自国の大学では日本語で授業を受けていたのが自慢で、日本には2ヶ月程度「留学」したことがある、とりあえず日本語は得意――そういう人が「グローバル人材」を称して日本での就職を希望していたらどうでしょう。少なくとも私が採用担当者だったら、ちょっとアピールが足りないと感じます。

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そのまま潰しちゃって、どうぞ

2019-01-20 21:46:14 | 雇用・経済

 太平洋戦争の時代、牟田口廉也という将校がいました。その大胆にして苛烈な戦略によってビルマ方面の日本軍を壊滅させたことでも知られているわけですが、名前からも分かるとおり日本の人です。当時は陸軍の中将という高い地位にいたこともあり戦後はA級戦犯として指名されたものの、連合国の勝利への貢献を認められたのか、あっさり不起訴ともなっています。

 この「無能な味方こそ最大の敵」と呼びうる状況は、現代でも普通にある話だと思います。組織の癌だった人が異動して、人員の補充がないにもかかわらず仕事が円滑に進むようになった――そんな経験をしたことがある人も多いでしょう。むしろ牟田口が暗殺でもされていれば、日本側の被害は減り、連合国側が苦戦するようになる、そんな可能性すらあるわけです。

 

経団連を標的、中国人ハッカー集団 ウイルスは2年潜伏(朝日新聞)

 経団連が被害を受けた不正アクセス事件に、米司法省が「中国の国家安全省と関連している」と断定した中国人ハッカー集団「APT10」が関与していた疑いがあることが、朝日新聞社の取材で分かった。経団連に仕掛けられたウイルスの種類や外部通信先が、ハッカー集団を追跡している英国政府機関などの調査結果と一致した。

(中略)

 一方、日本の経団連が被害を受けた事件は16年11月に公表された。朝日新聞が入手した内部資料によると、日中間の経済協力を担当する部署が狙われ、14年7月に外部から届いたメールを開いた職員のパソコンがウイルスに感染。それから2年以上にわたり、パソコンやサーバーに感染を広げながら潜伏していた。サーバーに保管されていた、日本政府とのやりとりに関するファイルなどにウイルスがアクセスした痕跡があったが、情報が実際に盗まれたかどうかは、特定に至らなかった。

 

 経団連と言えば、昨年に「初めて」会長室へパソコンを設置したことで話題にもなりました。我が国のサイバーセキュリティ担当大臣である桜田義孝氏も、自身ではPCを使ったことがないと明言しており、仏APF通信などからは「どんなハッカーでも桜田大臣から情報を盗むことは不可能」と賞賛されています。辣腕の中国ハッカーにとっても日本の偉い人々は、なかなか手強いに違いありません。

 まぁパソコンがなくてもスマホがあれば侵入経路になりますが、しかし侵入したとしてもどうなのでしょう。そもそも経団連は日本にとってどのような存在なのか――中国ハッカーからの不正な侵入があった14年よりもずっと昔から、独自の経済理論に則り、かつては世界一だった日本経済を完全に失墜させる上で大きな役割を果たしてきたのが経団連ではないか――そう思わないでもありません。

 日中戦争における中国側の「正解」は、冒頭で挙げた牟田口のような無能を放っておくことです。無能な司令官を暗殺でもして、代わりに無難な将校が後任にでも就いたら、それこそ失敗と言えます。経団連を相手にした場合でも然り、もし中国側が日本の経済界を敵視し、それを打倒しようと考えるなら、経団連には自由に行動させるのが一番でしょうね。

 とは言えトランプやその同類には見えていないことながら、自国のビジネスの発展には取引先の発展もまた必要です。事業縮小中の会社と事業拡大中の会社、営業をかけるべきはどちらなのか、迷う余地はありません。そして中国にとって日本は極めて重要な顧客でもあります。日本という顧客の購買力が落ちれば中国の輸出にも負の影響があるわけですが、それを防ぐには――日本経済を明後日の方向に導こうとしている団体をどうにかするのが良策となるのかも知れません。

 まぁ不正なアクセスなんてものは当然ながら褒められた話ではないですけれど、褒められた存在でないのは経団連だって同じです。日本で働く人々にとっては癌でしかないイデオロギー集団が、どのような被害に遭おうとそれが国民の損になることはないでしょう。むしろ、ゴミ掃除みたいなものです。頑張れ中国。

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いいぞもっとやれ

2019-01-13 21:27:34 | 社会

JOC竹田会長を訴追手続き 仏当局、五輪招致汚職容疑(朝日新聞)

 2020年東京五輪・パラリンピックの招致を巡って、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長(71)が汚職に関わった疑いがあるとして、フランスの検察当局が竹田会長の訴追に向けた手続きに入っていたことが明らかになった。仏紙ルモンドなどフランスメディアが報じた。

 JOC関係者によると、竹田会長は12月、フランスで聴取に応じたが、汚職の疑いについて否定した、という。

 ルモンドによると、手続きに入ったのは昨年12月10日。五輪招致が決まる前に180万ユーロ(約2億3千万円)の贈賄に関わった疑いがもたれているという。

 

 さて日本オリンピック委員会の会長がフランスで訴追される見通しのようです。これを機に深刻な不正が見つかり、オリンピックの日本開催が白紙になってくれれば良いなと思わないでもありませんが、いかがなものでしょうか。一方の日本は昨年11月に、フランス政府が筆頭株主である仏ルノー社の会長でもあるカルロス・ゴーン氏を逮捕しており、これに対する意趣返しとみることも出来るのかも知れません。

 他国の例を見ても、昨年12月には中国ファーウェイ社の役員がカナダで逮捕され、同月に中国政府がカナダの元外交官を拘束する、なんてことがありました。たぶん、よくあることなのでしょう。法務省の平成29年版犯罪白書によれば刑法犯の検挙率は33.8%だそうです。法に触れたからと言って誰もが検挙されるものではない、訴追も逮捕も拘束も、何らかの「+α」次第なのだと理解できます。

 かつて村上ファンドの村上世彰氏が逮捕されたことがありましたが、同氏の罪状が特別に――逮捕されていない同業者に比べて――悪質であったか、その辺には疑問があります。同じようなことをやっていたけれど、お咎め無しで続けている人はいくらでもいるのではないでしょうか。むしろ村上市自身も「それまでは」お咎め無しだった、だからこそ逮捕の可能性を予測できなかった、将来的にも許されると思っていたのではないかと、そんな気がします。

 逮捕前、村上ファンドは阪神電鉄の株式取得を急速に進めており、ファンド側が球団経営にまで口を出すに至っていたわけです。それもまた普通のビジネスではあったかも知れませんが、当然ながら阪神タイガースファンの反感を買いました。そして阪神ファンは社会的地位の上下強弱を問わず、至る所に存在します。疑う余地もなく、インサイダー取引を取り締まる権限を持った組織の中にも、ファンはいたことでしょう。

 小沢一郎と西松建設との政治資金問題は、かつては共産党が地方議会で細々と追及しているだけの、全国区では相手にされない問題でした。しかるに小沢が代表を務めていた政党が次回選挙で与党になることが有力視されるようになると、俄に注目されることにもなったわけです。「やったこと」は何も変わっていませんが、それでも扱いは違ってくる、世間での優先順位が繰り上がる、そういうこともあるのだと言えます。

 派遣社員を入れている会社なら、どこも事前面接という違法行為に手を染めている、歯科医院の多くは無資格の歯科助手に医療行為をやらせている、だからといって検挙されるというものではありません。私の通った中学校では暴行や恐喝、窃盗は日常の光景でしたが、警察沙汰になったことは一度もないです。一方では法律による規制の網をかいくぐったはずの脱法ドラッグや脱法節税で捕まる人もいて、世の中は法律だけで動くものではないのだな、ということが分かります。

 ファーウェイの製品に競争力がなくアメリカ企業にとっての脅威でなければ、その役員逮捕はなかった、ゴーンが日産をフランス政府系企業の傘下に入れようとしていなければ、その逮捕はなかった、村上世彰が手を付けた企業に阪神ファンが絡んでいなければ、あるいは小沢一郎が万年野党のジリ貧党首であったなら、いずれもやり玉に挙げられることはなかったと断言できます。代わりに、別の誰かが検挙の対象として優先されていたことでしょう。

 訴追も逮捕も拘束も、結局は政治的な要因から逃れられません。そこから無理筋の擁護や正当化も出てくるものですが――どれも「シロ」には見えない人たちだったりもしますね。追求の対象から外れている人々の中にも「クロ」は数多いますが、では恣意的に「選ばれた」人が「選ばれなかった」人と違って潔白かと言えば、それもまた違うわけです。今まで「目こぼし」されていた人が、そうされなくなったとしても、決して不当なことではないよな、とも思います。

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国民は114年前から変わっていないと思うよ

2019-01-06 21:59:36 | 政治

安倍首相、北方4島返還「国民、困難さをよく理解」(朝日新聞)

 安倍晋三首相は30日に放送されたラジオ日本の番組で、北方領土をめぐる日ロ交渉について「今、残念ながら4島には日本の島民が住んでいない。ロシア人しか住んでいない中で、その帰属を日本に変えることの困難さを(国民に)よく理解していただいているのかなと見ている」と語った。

 首相は11月の日ロ首脳会談で、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の2島の日本への引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速することで合意した。ラジオでは4島返還を求めて合意に反発する世論が大きくなっていないとして、その感想を問われた。

 

 北米大陸はアメリカ固有の領土である――トランプだったら、それぐらいの認識を大まじめに持っていそうな気がしますが、普通の人にとってはどうでしょうか。もちろん歴史を紐解けば時代と共に住む人や君臨する国家が変遷していくことは、全く珍しくありません。それでもなお「固有の領土」として信じ続けられるものがあるわけです。

 現在の北海道は江戸時代までは蝦夷地と呼ばれ、日本の領域外でした。明治時代に入ってから本格的な「開拓」が始まりましたが、そこは決して無人の荒野ではなく、「和人」とは別の人々が住む地域でもありました。この北海道よりも遠いところにある島までもが現在では「固有の領土」と呼ばれているのは広く知られるところですが、さて――

 100年あまり昔のこと、ロシアから獲得した領土が少ないと不満を持った人々が、大規模な暴動を起こしたことがありました。世に言う日比谷焼打事件で、戦前から一貫してお調子者として知られる朝日新聞などは、「(ロシアとの)講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」等と国民を煽ったとされています。

 似たようなノリで桂や小村のところに安倍の名を入れる人は今でもいるような気がしますが、ともあれ日比谷焼打事件の際は、国民の認識として「もっと領土を獲得できて当然」というものが前提にあったようです。日本にはロシアから領土を奪える正当な理由がある、それが出来ないとしたら政府が悪い、と考えられていたのですね。

 報道によると、安倍首相がいわゆる北方領土の「帰属を日本に変えることの困難さを(国民に)よく理解していただいているのかなと見ている」と語ったそうです。この「国民に」という括弧書き部分は報道による注釈ですが、どうしたものでしょう。少なくとも私には、問題の困難さが国民に理解されているとは思えません。

 日露戦争の戦後処理の場合は、国策報道の結果として国民が「戦争に勝った」と信じ込んでいたことが大きかったようですが、では太平洋戦争の戦後処理の場合はどうなのか、やはり国策報道によって国民があらぬ誤解をしていないか、どうにも私には過去の轍を踏んでいるように感じられるところです。捕鯨に関しても触れましたが、報道が「挙国一致」になっている類いほど怪しいものですから。

 敗戦後、日本は台湾や満州、朝鮮半島と共に千島列島の領有権も放棄する形で条約を結びました。しかる後、北方領土と呼ばれる諸島は千島列島に含まれないと、日本が言動を翻し始めたことで領土問題が生まれます。そこでロシア(ソ連)との間で当初は「二島山分け」で話が進みました。ここから1956年の日ソ共同宣言に繋がっているわけですが――

 残念ながら日ソの平和条約を良しとしなかったのがアメリカで、「2島返還で合意したら沖縄を返還しない」と日本を恫喝したと伝えられています。結果、日本は突然の「4島返還論」を唱え始め、当然のごとくソ連との交渉は立ち消えとなりました。結局、日本がアメリカを優先した時点で領土問題は「日本側から」切り捨てられたと考えるべきでしょう。何を今更、ですね。

 日本が今になって北方領土の「返還」を訴えるのは私には滑稽にしか見えませんが、領土獲得を夢見る国民の精神は100年前から変わっていないのでしょうか。そして仮にプーチンが辺境の小島を売り渡したとしても、その先をどうするのか日本の誰も考えていないようにも思います。北海道ですら札幌中心部以外は廃れているのに、そのさらに辺境となる地域を日本は支えられるのか、漁業権が云々と言いつつ日本の漁業は補助金と外国人頼みの衰退産業ではないか等々。

 「進め一億火の玉だ」とは戦中のスローガンですが、当時の日本の人口は台湾人や朝鮮人を含めないと「一億」には達しませんでした。この大日本帝国の臣民として「一億」に組み込まれていた人々が戦後にどうなったかと言いますと、「日本人ではない者」として扱われたわけです。日本の国籍は、限られた人にしか与えられなかったのですね。

 その結果として「中華民国籍」や「朝鮮籍」という、国家とは紐付かない奇妙な「籍」が産まれたりもしました。この辺は結構な根深い問題に繋がっていたりもしますが、では「北方領土」がめでたく日本の領土となった場合、そこに住む人々はどうなるのでしょうか。この辺、考えることすらが拒まれている分野ではないかと思います。

 捕鯨問題と同様、この北方領土問題も政党レベルでは左右の違いがないと言いますか、挙国一致の趣があります。そして国民の認識も大差ない、日露戦争終結後と同レベルの期待を抱いているし、メディアも煽り立てる方向にばかり進んでいるわけです。しかし、いい加減に現実に向き合うべき時ではないか、いつまでも夢を見ている場合ではないだろうと、私はそう感じます。

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学校の性教育「役に立った」が6割 17〜19歳の意識調査で

2018-12-30 22:23:30 | 社会

学校の性教育「役立たず」が4割 17〜19歳の意識調査で(共同通信)

 17〜19歳の約4割が学校の性教育は役に立たないと感じている―。日本財団(東京)が「セックス」をテーマにした意識調査をしたところ、こんな結果が出た。ほぼ4人に1人はセックスの経験があり、4人に3人は性病への不安を抱えていることも判明。避妊の必要性を感じていると答えたのは9割近くに達した。

 調査は10月、17〜19歳の男女800人を対象に、インターネットで実施した。学校の性教育が「役に立った」と答えたのは59.1%で、「役に立たなかった」が40.9%。「避妊の重要性をもっと説明してほしい」「性病の危険性について重点的にやるべきだ」といった要望があった。

 

 「17〜19歳の約4割が学校の性教育は役に立たないと感じている」とのことですが、いかがでしょうか。とかく「子供」に対しては「性的に無垢であって欲しい」という欲望が向けられるもので、性教育とは必要視される一方でタブー視されがちでもあります。とりわけ日本で言うところの「保守」の人々からは目の敵にされがちであったり等々。

 ちなみに調査は綺麗な二択式のようで「役に立たなかった」との回答が40.9%である一方、過半数である59.1%は「役に立った」と回答していることも伝えられています。学校教育で約6割が「役に立った」と回答するなら、意外に上出来なのではないかという気がしないでもありません。ここから性教育がどう変わるべきと考えられるのでしょうね?

 そもそも性教育に限らず、学校教育全般を調査対象としても、それほど肯定的な回答にはならないようにも思います。例えば、「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」とは、日本財団第2代会長である曽野綾子の発言として広く知られているところです。発言が正しいかはさておき、そう考える人も結構いますから。

 また今回報道の調査元である日本財団の現会長である笹川陽平は、父であり財団の創立者である笹川良一から、「学問などしなくていい。社会勉強は俺が教えてやる」と言われて育ったそうです。財団創立の精神に立ち返れば、性教育に限らず学校教育全般が「役に立たない」ということにもなるのかも知れません。

 ちゃんと学校で勉強していなかったからこそ、そっち系の人に育つということもあるような気がしますが、一方で学校という箱はあっても教師がマトモに勉強を教えられない、学校でやるのは行事ばかりで勉強は塾でやるもの、みたいな現実もあります。性教育に限らず「役に立たない」ものを「役に立つ」ものに変えていくには、色々と課題が多そうです。

 以前、学校柔道における「受け身」は役に立たないと書いたことがあります。あれは、綺麗に背中から落としてもらえることを前提にした方法ですから。そうではなく「頭から落とされる」ことを前提にした、競技柔道とは違う「受け身」を教えないと危険だと思うのです。「背中から綺麗に落とす」技術と善意を持った生徒同士ならいざ知らず、そうでない以上は「頭から落とされる」ことを前提に対策を取らねば受け身は役に立ちません。

 性教育も然り、大人が期待するほどの「性的に無垢な子供」を前提とした性教育ではダメだと言えます。現実の子供は、大人が期待するようには「大人しい」ものではない、そうした前提に立った性教育でないと、実践の役には立たないでしょう。6割の調査対象者が「役に立った」と回答するのなら上出来ではあるのですが、その実は「未経験者」がなんとなく「役に立った」と感じているだけで、「経験者」が「役に立たなかった」と感じているのなら、色々と足りないものがありそうですし。

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連盟よさらば!  我が代表堂々退場す

2018-12-23 21:49:24 | 政治

日本、IWCから脱退へ(共同通信)

 政府が約30年ぶりの商業捕鯨の再開に向け、クジラの資源管理を担う国際捕鯨委員会(IWC)から脱退する方針を固めたことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。来週にも表明する。日本近海や日本の排他的経済水域(EEZ)内で行う方向で調整している。日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例。国際社会からルール軽視との批判を浴びることは避けられない。

 9月にブラジルで開かれたIWC総会で商業捕鯨の再開提案が否決され、脱退により局面を打開する必要があると判断した。日本は資源が豊富な一部鯨種の商業捕鯨再開を提案したが、反捕鯨国が反発して否決された。

 

 42対1だったかどうかは知りませんけれど、日本の提案が否決されたことを受け、我が国の代表?は国際機関からの脱退を表明したそうです。曰く「日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例」とのこと。言うまでもなく戦前には実例がありますので、「異例」などと言われつつも先行きは見えるような気がしますね。

 この捕鯨に関しては与野党間の対立も少なく挙国一致の趣がないでもありません。後は北方領土問題辺りも俯瞰的に見れば大同小異で挙国一致的なフシがありますけれど、だいたいそういう類いほど色々な視点が抜け落ちているのではないでしょうか。強硬論さえ唱えておけば済む分野ほど、その実は怪しいものです。

 例えば鯨を食べる「伝統」にしたところで、歴史は短く戦後の一定時期の現象でしかないわけです。北欧の一部やアラスカ近辺では許されるものが日本だけ禁じられているみたいな語りもありますが、近海での細々とした漁と、南極海くんだりまで遠征する日本の「調査」とでは、当然やっていることが違います。しかし、この捕鯨に関しては挙国一致で被害妄想に浸りたがるところがあるのではないでしょうか。

 技術力に劣る日本は、鯨を殺すことでしか「調査」することが出来ません。それを哀れむ国の中には、「鯨を殺さずに調査する技術」の供与を打診してくれるところもありましたが、日本は日本流の「調査」を続けたがっています。そして日本近海での「調査」ならば諸外国の以降を無視しても多少は許されますけれど、敢えて極地へと遠征してきたのが日本流である等々……

 そもそも日本が再開を提案したという「商業」捕鯨とはなんなのか。確かに一部の「団体」が捕鯨によって利益を得ているのは事実なのかも知れません。しかし、かつて捕鯨を行っていた水産会社は専ら、商業捕鯨が解禁されたとしても捕鯨を始めるつもりはないと回答しています。捕鯨で儲かる時代ではないから、と。もはや「商業」捕鯨は商行為としては成り立たなくなっているのですね。

 まぁ捕鯨はロマンなのでしょう。そこには合理性では判断できないものがあるのです。趣味嗜好、あるいは信仰のようなもので、営利行為として成立するかどうか、損になるか得になるかといった観点では、評価することが出来ないものだと言えます。日本はなぜ鯨を殺したがるのか――それはアメリカ人がなぜベーコンを好むのかを問うようなものです。

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