非国民通信

ノーモア・コイズミ

消費者が気にしないこと

2021-04-11 22:05:01 | 雇用・経済

アマゾン労組、結成ならず 従業員の反対多数(時事通信)

 【シリコンバレー時事】米インターネット通販大手アマゾン・ドット・コムがアラバマ州ベッセマーで運営する物流倉庫の従業員らが、労働組合結成を問う投票を実施し、9日に反対多数で否決された。全米で第2位となる80万人超の従業員規模を誇るアマゾンで、労組が結成されるか注目されていた。

 投票実施の背景には、過酷な労働環境の是正を求める声が高まったことがある。アマゾンは新型コロナウイルス禍で加速した巣ごもり消費を追い風に利益を伸ばす一方で、感染対策の強化が不十分として従業員が各地でストライキを起こしていた。
 投票は郵便で3月29日まで実施。独立政府機関の全米労働関係委員会(NLRB)が今月9日、反対が1798票となり、賛成738票を大きく上回ったとの集計結果を発表した。

 

 同じアマゾンでもヨーロッパ拠点では組合が結成されているところも多いそうですが、アメリカでは反対多数で否決されたことが伝えられています。労組もピンキリ、日本の多数派労組のように会社の決定を追認するだけ、従業員の待遇よりも民主党の応援の方が大事な組合もありますが、どうしたものでしょうね。

 大手企業の問題が報じられるのは有名税的な部分もあって、実際には世間の注目を集めることのない中小企業においてこそ本当の問題が潜んでいる場合も少なくありません。客観的な事実としてアマゾンは競合他社よりも高めの賃金水準を設定しており、その辺は労働環境も悪ければ賃金も低い無名のブラック企業よりはマシとも言えます。

 一方で今回の投票を前に会社側の露骨な組合潰しがあったとも伝えられている他、過酷な労働環境を示す一例として「プラスチック瓶に用を足すしかない状況になった」との証言まで出てきたわけです。後者については会社側も事実として認めている状況で、まぁ労務面の問題は否定できないところなのでしょう。

 非人道的な労働の結果として消費者まで届けられる商品をどう扱うべきか――これに対する市場の回答は極めて政治的です。アメリカが強制労働云々との口実で中国/ウイグル製品の輸入を禁止したとき、これに追随する流れは日本でも見られます。しかし技能実習と称して外国人を非人道的な環境で働かせて生産された商品を日本市場が拒んでいるかと言えば、答えは否です。

 フェアトレードという、ままごともあります。フェアトレードとは理念こそ尊いものの、その実はチョコレートやコーヒー、手芸品など適用される範囲は限定的なまま絶望的に広がりを見せない運動でもあるわけです。例えば消費者がiPhoneを買うとき、その生産工場では従業員が自殺にまで追い詰められるような過酷な体制が組まれていたことなど誰も気にはしませんから。

 「かわいそうな子供たち」へのこれ見よがしの同情心や、アメリカの覇権を脅かす存在を潰すのに好都合だから、そうした理由で商品が選ばれたり排除されたりすることは至って普通の光景です。一方で、負けず劣らず激務であったり薄給であったり差別的であったり等々、ブラックな労働によって作られた製品が市場に受け入れられるのも日常的な風景です。

 従業員の待遇が悪いから――そうした理由で問題のある企業の商品やサービスが消費者から忌避されるようであれば、もう少し世の中は変わったことでしょう。アマゾンで買い物をするとき、その物流倉庫で働いている人の待遇をほんの少しでも考えてみる人が増えてくれればな、と思います。まぁ、競合他社がアマゾンよりまともかと言えば、そこは別問題ですけれど。

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目次

2021-04-11 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2021/ 4/ 4

雇用・経済    最終更新  2021/ 4/11

政治       最終更新  2021/ 1/17

文芸欄      最終更新  2021/ 3/21

編集雑記・小ネタ 最終更新  2021/ 1/31

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次は歓迎会クラスター

2021-04-04 22:32:43 | 社会

厚労省23人送別会 深夜営業店探し予約 課長を更迭(朝日新聞)

 厚生労働省の職員23人が、深夜まで送別会を開いていたことが明らかになった。時短営業の要請が出ている東京都内で深夜まで営業している店を選び、マスクなしで会食をしていた。厚労省は30日、会合を提案した老健局老人保健課の真鍋馨課長を減給1カ月とした上で大臣官房付として事実上更迭するなど、計22人を処分すると発表した。田村憲久厚労相も給与を2カ月間、自主返納する。

(中略)

 新型コロナウイルスの感染対策の徹底を呼びかける役所の職員による行動に、厚労省には抗議の電話がきているという。

 

 厚生労働省の職員が、このご時世に大勢で夜遅くまで送別会を繰り広げていたということで結構な話題となりました。厚労省の課長が実質的に更迭されるなど計22人が処分とのこと、出席者は23人と伝えられていますから、残る一人の存在が気になって仕方がありません。

 大臣も給与の自主返納を表明するに至るなど、これもまた政争の具に発展するであろうことは明らかです。一応は新型コロナウイルスの感染対策の徹底を呼びかける立場の職員たちの行動ですから、致し方ないところでしょうか。国民に範を示すどころか、真逆の振る舞いとなっていますので。

 過去に勤めていた会社では「雨の日こそ営業に行け」「客先には濡れて行け」と、そう教わりました。天気が悪いからこそ敢えて訪問することで相手に誠意をアピールする、外出しにくい状況だからこそライバルを出し抜くチャンス、顧客のためなら雨に濡れることを厭わない姿勢で自分を売り込めと、そう教わりました。

 有効かどうかはさておき、上記のように考える人は結構いるのではないかと思います。雨なのに来てくれた、衣服を濡らしながらも駆けつけてくれた、そう相手が受け止めてくれることを期待する向きもあるのでしょう。ゆえに、雨だからこそ営業に行けという話になるのですね。

 どうしても立場上、官僚や公務員に医療関係者あたりが矢面に立たされてしまいますが、民間企業でも普通に送別会クラスターは続出していることでしょう。新型コロナウイルスの感染者のピークは年末にもありましたが、あれも忘年会クラスターによるものが多かったであろうことは想像に難くありません。

 状況を考えれば、忘年会や送別会は控えることが望ましいように見えるところです。しかし、感染拡大が明らかな中でも飲み会を決行する人は少なくないわけです。たぶんまぁ、「雨の日こそ営業に行け」と言う人と同じような考え方なのと思います。雨のやまない時期だからこそ飲み会を開け、と。

 感染症が拡大している時期に宴会を催すのは当然、避けるべきことです。それは政府の公式な見解ですらありますが、だからこそ忘年会や送別会の価値が上がって見えてしまう人もいるのではないでしょうか。平時に送別会を開くのは普通のこと、しかし緊急時に送別会を催すのなら特別なことですから。

 営業時間短縮が自治体から要請されている中で、厚労省職員は深夜まで営業している店を探し出したそうです。その頑張りを評価している人は、身内には結構多いのではと思います。飲み会への出席を欠かさない人が偉くなるのは、官公庁でも民間企業でも変わりません。非常時に宴会を開いたのは、むしろ正の実績です。

 県をまたいだ移動を控えるよう言われる中でも、県をまたぐ人事異動を乱発している組織は少なくないことでしょう。必然的に送別会のニーズは生まれ、そんな中で「困難を乗り越えて」送別会を催すことで存在感をアピールしている人も多いはずです。今回、送別会を提案した課長は処分されるに至りましたが、処分のリスクを顧みず送別会を企画したことをプラスに評価している人も、組織内には結構いる気がしますね。

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今年も人事は平常運転

2021-03-28 21:55:05 | 雇用・経済

 さて皆様のお勤め先でも、4月からの人事が発令されたところは多いのではと思います。私の勤務先でも一部を除いて公表されているわけですが――例年通りシャッフル人事が目につくところだったりします。まぁ、とにもかくにも「変える」ということが評価に結びつく組織では、シャッフル人事も改革意欲の表れと見られるのでしょう。

 新型コロナウィルス感染者の再拡大が明白となる中、帰省や観光を控えるようにとの意見も聞こえる中ではありますが、「転勤を控えるように」みたいな声明は昨年と同様に耳にする機会がないわけです。転勤命令は神聖にして侵すべからざる雇用主の権利であり、それは帰省や観光とは次元の違うものとして扱われていることがわかります。

 弊社でも4月からは東北の人間を東京に、東京の人間を大阪に、全国各地で従業員を大移動させることが決まっています。転勤を命じられた社員は新居探しや業務の引き継ぎのために県をまたいで飛び回る日々を過ごしているわけですが、どうしたものでしょうね。頓挫したGoToトラベルの埋め合わせというものでもありませんし……

 私の会社は基本給は低いですが転勤者への手当は割と手厚いところがありまして、それは人員増以上にコストのかかりかねない部分であったりもしますが、社員を転居させることにはそれだけの価値があると判断されているようです。まぁ本当の幹部社員ともなれば各地で見聞を広める必然性もありそうですけれど、そうでない人はどうなのでしょう。

 一方で、転勤はおろか同じ部署から永遠に異動しないでいる人もいたりしまして、相変わらず人事の意図はわかりません。2年と待たずに勤務地の変わり続けるジャーニーマンもいれば、私が入社するよりずっと昔から同じポジションで働き続けている人もいて、謎は深まるばかりです。

 全国を飛び回りたいか、それとも同じ部署で働き続けたいか――そういう意向を問われたことは入社して一度もありませんので、たぶん本人の望みによるところとは関係がないものと思われます。本人の選択とは無関係に、高頻度で飛ばされる人もいれば一貫して不動の地位にいる人もいる、人事とは人知を超えたものなのでしょう。

 全国各地に飛ばされる人々が幹部候補のゼネラリストかといえば、そういう風でもありません。そして決して異動の対象にならない人が特定部署になくてはならないスペシャリストかといえば、やはりそうでもなかったりします。ずっと同じ仕事を続けているけれど、必ずしも頼れる存在ではない、ところがどうして会社の評価は低くなかったり……

 ヨソから異動してきた上司は落下傘候補よろしく部署の仕事を知らない、一方で異動とは無縁な人はローカルルールだけは知っている。そうした中で異動とは無縁な人が「リーダーシップを発揮している」かのごとく人事の目には映る場面があるのでしょうか。人事と無関係な人には、別なものが見えている気もしますけれど。

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英語とカタカナ語

2021-03-21 22:27:22 | 文芸欄

 海外スポーツ関係の報道を眺めていると、時に「臀部の故障(負傷)」みたいな報道を見かけます。スポーツ選手とは臀部を酷使する仕事なのだなと感心する人もいるでしょうか。どうもこの「臀部の故障(負傷)」、英語の記事では"hip injury"であることが多いようです。まぁ「ヒップ」すなわち臀部の故障と、そういう風に訳されるのは分からないでもありません。

 なお日本のカタカタ語で言うところの「ヒップ」は「臀部」に相当するわけですが、英語で言うところの"hip"の指し示すところとは少なからず異なりまして、英語で"hip injury"と言った場合は「ヒップ」ではなく「股関節」の故障であることが一般的らしいです。英語と、それに近い発音のカタカナ語は、時に日本語の手紙と中国語の手紙のように意味合いが異なることが分かります。

 そもそも英語の"sports"とカタカナ語の「スポーツ」はどうでしょうか。日本でも一時期「eスポーツ」が提唱されたことがありましたけれど、世の反応は「あんなものはスポーツではない」というものが多くを占めたわけです。国際的には"sports"のジャンルとして定着し、選手として大金を稼ぐ人も増えているところですが、それでもカタカナ語の「スポーツ」のイメージとは相容れないのでしょう。

 カタカナ語の「スポーツ」は英語で言うところの何に当たるのか、そこには「ヒップ」と"hip"における指し示す範囲の違いと同等の差があるように思います。カタカナで「スポーツ」と言ったとき、それは身体の運動を要件として捉える人が多数派という印象ですが、そうなると「スポーツ」を英訳するならば"athletics"あたりが近いような気がしますね。

 カタカナ語の「テンション」なんかも、英語の"tension"とは明らかに違う使い方しかされません。「テンション」をどう英訳して良いのか私にはよく分からないです。他に「ガバナビリティー」とかもコンサル用語で良く使われますが、英語の"governability"とは全く正反対の意味を持っているものと解釈できます。そして「プロフェッショナル」あたりもどうでしょう?

 英語で"professional"と言ったとき、それは「職業~」を指すものとされています。スポーツ界隈では失点を防ぐために行われる意図的な反則行為を"professional foul"と呼び、これはそのままカタカナ語でもプロフェッショナルファウルと伝えられるところですが、カタカナ語の「プロフェッショナル」のニュアンスと比べてどうでしょうか。どうも日本で言う「プロフェッショナル」と、あくまで仕事としての"professional"には溝があると感じます。

 ドイツには「連邦憲法擁護庁」と訳される組織があり、ドイツ語では"Bundesamt für Verfassungsschutz"、英語では"Federal Office for the Protection of the Constitution"と書かれます。要するに"Constitution"すなわち「国体」を守るための公安組織なのですけれど、日本人が「憲法擁護」という字面から想像するものは、もう少し別のものであるような気がします。

 勿論"Constitution"とは国家体制を意味すると同時に憲法をも意味します。"Constitution"を"Protect"するのであれば、それを「憲法擁護」と訳しても間違いとは言い切れません。しかし「憲法擁護庁」の実態と、日本人が抱くであろうイメージは大きく異なるはずです。国体と憲法を不可分の"Constitution"として認識する文化と、両者を別物と思いがちな文化であれば、使われる言葉が同じでも受け止め方は違ってくることでしょう。

 まぁ日本語の中でも、字面と意味合いが一致しない、言葉から受ける印象と実態が異なるものもあります。例えば「実効税率」など、あたかも実際に課される税率のように感じてしまう人は多いのではないでしょうか。これは給料の「額面」と「手取り」に例えれば前者に相当するもので、実効税率ではなく「額面税率」と呼ぶべきと私は提唱しているのですが、まぁ法人税負担を重く見せかけたい政財界の思惑とは相容れませんね。

 いずれにせよ、言葉によって想起されるものは時に実態と異なるわけです。誤ったイメージを与えないように誠実に言葉を選ぶことも出来れば、都合良く読者や聞く側が誤解してくれるよう言葉を選ぶこともできます。経営者が従業員に「プロフェッショナルであること」を要求したとき――給料のために働く以上"professional"であることは既に満たされているはずですが――そこにはどういう意図があるのでしょう。

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目標未達の責任は

2021-03-14 21:38:36 | 社会

 首都圏における新型コロナウィルスの感染者は下げ止まりが指摘されてきたわけですが、とうとう先週比で上回る日が続くなど、緊急事態宣言が継続中であるにも関わらず増加に転じる兆しさえ見え始めています。メディアが語るのを好むのは専ら「自粛疲れ」ですけれど、実際に起こっているのは「コロナ慣れ」でしょうか。

 結局のところ身体的な意味合いでの集団免疫が幻でしかない一方で、社会が感染者の拡大を深刻に受け止めなくなってしまうと言う精神的な面での免疫は広まりつつあるのかも知れません。ただ感染者の増加に危機感を抱かない人がどれだけ増えたとしても、それで感染症の影響がなくなることへは繋がらない、健康リスクは高いままであり、医療の逼迫も続くわけです。

 首都圏の緊急事態宣言は2週間の延長が発表され、そこから1週間が経過しました。残る1週間で顕著な減少に向かう可能性は乏しく、果たして解除して良いものかという意見は当然ながら出てくることでしょう。ただ継続してもなお感染者数は増加に向かうとなると、今までの緊急事態宣言とは違ったことも考えなければならないように思います。

 

「出勤者半減」目標が…千葉県庁テレワーク率たった4%(朝日新聞)

 新型コロナ対策で「出勤者5割減」を掲げた千葉県庁で、1月のテレワーク実施率が約4・4%にとどまることがわかった。森田健作知事が民間にテレワーク導入を訴える中、足元の県庁では全く進んでいない。

(中略)

 民間でも浸透していない。森田知事は「出勤者7割減」を求めているが、1月22日~2月8日の県の調査では、県内4972事業所のうち、そもそもテレワークを実施した事業所が979件(19・7%)にとどまった。

 テレワークを実施した事業所でも、週1日以上実施した従業員の割合は、「1割」が50%、「2割」が11%で、実施状況は小規模とみられる。

 

 次の千葉県知事は現・千葉市長になりそうな様子ですが、千葉市役所のテレワーク実施率はどの程度なのでしょうね。上の人間がそれらしきポーズを取ることはあっても、現場がテレワークに移行するかは別問題、人々がコロナに慣れてしまった今となっては政府の緊急事態宣言があろうとも仕事のスタイルひいては生活のスタイルを変えない人も多いであろうことが分かります。

 日本国内の地方格差は顕著ですけれど、その辺はテレワークの有無でも同様です。東京だって手放しで褒められるような状況ではないにせよ、都内の企業と県内の企業ではテレワークの実施率にも大きな差があります。テレワーク拡充で都心に住む必要の薄れた人が千葉を含む隣接県に転入するケースが昨年から増えたようですが、テレワークできる千葉都民と県内で働く人の格差は給与水準に止まらないのかも知れません。

 新型コロナウィルスの感染拡大は負の影響も少なからず及ぼしましたが、旧態依然とした日本社会を変えようとしている面では悪いことばかりでもないと感じています。きっと、後世には敗戦と同じぐらいの転機と記憶されるのではないでしょうか。上記のテレワークなんて概念だけはコロナ前から存在していましたけれど、それが一般に普及していた可能性なんてコロナ抜きでは全く考えられませんから。

 ただコロナという転機に働かせ方を変えた企業もあれば、何も変わろうとしない企業もあるわけです。そして変わらない事業者は都市部よりも地方に多い、東京と千葉では明らかな違いがあることが今回の引用からも分かります。東京と地方の格差は今後も一層、拡がっていきそうです。それでも多くの企業では、テレワークを実施する方法よりもテレワークできない理由を考える方に頭を使うのでしょう。

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10年を経て

2021-03-07 22:49:35 | 社会

 もうすぐ東日本大震災から10年が経過します。他の天災とは一線を画する未曾有の被害がもたらされたわけですが、後代にどう記憶されていくのでしょうか。被害の大半は津波によってもたらされ、犠牲者は宮城と岩手に集中していた一方、報道は専ら福島に焦点が当てられていたとも言えます。

 立地がよく無事に冷温停止できた女川の原子力発電所などは避難者の受け入れ場所にもなり、当初は石巻市の(共産党系の!)市長から「安全対策をした上で再開する方向で考える必要がある」と運転再開を容認する考えを伝えられていました。一方で福島第一原発は津波による電源喪失から収束に結構な時間がかかってしまったわけです。

 東日本大震災によって発生した津波への備えが出来ていなかったのは宮城や岩手の沿岸部の自治体や住民も同じで、だからこそ万を超える犠牲者が生まれたのですが、第三者からの非難もまた原発や電力会社に焦点が当てられることになりました。まぁ、東北の居住者の死亡よりも原発事故の方が、他県に住む人々の心には刺さったのでしょう。

 恥ずかしながら自分は福島での原発事故が起こる前まで、反原発論者の言うことを信じていました。しかし実際に原発事故をリアルタイムに経験する中で気づいたのは、反原発論者がこれまで説いてきたような惨事は現実には起こっていない、ということです。反原発論者の語る脅威は本当なのか――そうした疑念を経て、私は反原発論者を信じるのを止めて実際に起こっていることを見るようになりました。

 原発事故に起因する健康被害は避けられた一方で、風評「加害」は今もなお続いています。不適切な検診結果の切り貼りや放射線の影響について創作を繰り返す論者や報道機関は絶えることがありません。彼らなりのイデオロギーに基づいた行動なのでしょうけれど、それが特定の地域への忌避感を広げるようなものであるならば、ヘイトスピーチとして対処すべきものだと私は思います。

 先のアメリカ大統領選挙において不正があった、トランプ陣営から票が盗まれたと、そう信じる人はアメリカ人の3割程度を占めるそうです。もちろん根拠のある話ではありませんが、何かを信じるのに根拠は必ずしも必要ではないわけです。世の中にはキリストの復活を信じる人も数多くいます。死んだ人間が生き返ることなどあろうはずもありませんが、信じる人にとっては事実関係など大した問題ではないのです。

 事実ではなく信念に基づいて行動を決める人は少なくありません。選挙に不正があった、福島県産は今でも危険だ――そこに信念があるのなら、いかに事実を突きつけようと彼らが考えを改めることはないでしょう。できることは、そうした人々に同調しないことだけです。彼らの影響力を最小化するためにはその主張に一切の理解を示さないこと、毅然として拒絶していくことが求められます。

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ニッポンの技術力

2021-02-28 22:04:58 | 雇用・経済

 電化製品や半導体を始め世界市場における日本製品の優位は90年代には崩れ出し、今に至るも巻き返しの機運が皆無であることは周知のことかと思います。問題は、そうした状況に日本の経済界がどう対応してきたか、ということですね。正しく対処できていたのであれば状況は変わった、間違った対応を続けていれば事態は悪化する一方となりますが、まぁ結果は既に明らかなことでしょう。

 T型フォードは1,500万台以上が販売され、自動車を金持ちの道楽から市民の交通手段へと変化させました。もちろん自動車そのものはT型フォードが市場に出る以前から普通に販売されていましたが、売れ行きは全くの別次元だったわけです。発売当時における競合他社の製品を性能で上回るところもあったかも知れません。しかし明白な強みは、他社の同クラスの自動車よりも安価であったことです。

 日本製品も、中国や韓国の(日本製より)安価な製品に市場を奪われ続けてきました。「安い」という点はどの時代でも消費者にとって重要です。ではどうして競合国の製品は自国の製品より安いのか――その原因を正しく認識できないと、必然的に対応策もまた正しくないものを選択してしまうと言えます。

 T型フォードが安価であったのは、少なくとも「人件費が低いから」ではありませんでした。それどころかフォード社は人手を確保するために賃金水準を倍増させ、退屈な流れ作業でも従業員の離職を防ぐべく世に先駆けて8時間労働や週休2日制の導入を進めていたわけです。当然ながら、フォードは他社よりも人件費が高くなります。しかし発売される製品の価格は下がり続け……

 伝統的に日本では、日本製品が中国製品よりも割高な理由として「人件費が高いから」と説明されています。この信念に基づき日本企業は四半世紀にわたって人件費の抑制に挙国一致で取り組み、主要国中では最も賃金上昇率の小さい国であり続けてきました。その結果として日本の人件費は先進国レベルから中堅国水準へと推移したわけですが――日本製品が市場でシェアを取り戻すには至っていません。

 人件費が高いはずのフォード社が自社製品を安価で販売できたのは、「コストを下げる技術」を産み出したからです。技術があるからこそ、より良い製品をより低コストで製造できたのです。一方で技術のない会社あるいは国は、コストを下げるためには人件費を下げる以外の選択肢を持つことが出来ません。製品を安くできないのは、人件費もさることながら技術がないからだ、と言えます。

 サムスンなりファーウェイなり、技術力で日本企業を上回る会社は実のところ日本企業のそれを上回る給与水準で人を募っているわけです。人件費は、日本企業よりも中国や韓国の企業の方が高い、そう言える状況は着々と進み続けています。しかし日本企業より給与水準が高い中韓メーカーの製品は日本の同等製品よりも安価で市場に供給されており、人件費の高さは製品の価格に必ずしも比例していません。

 我が日本の技術は世界一ィィィィーーーーッ!!!! ……という信念は日本国内で幅広く共有されていますが、一方で人件費が安いにも関わらず中韓よりも割高な製品しか作れないという状況もまた続いています。まぁ日本の人件費が高いという信念もまた技術力に関する自惚れと同様に根付いていると言えるかも知れませんが、現実に向き合えない者が状況を改善することはないでしょう。

 技術力は日本が最高であるという幻想にしがみつき、製造コストが高い理由の全てを人件費に求め、賃金水準の抑制に全力を注いできた結果が今に至るわけですけれど、それに政財界が満足しているのかどうかは興味深いところです。国際市場における日本メーカーの存在感は薄れゆく一方ですが、まぁ労働者が弱い社会、雇用主優位の力関係を築いたことに精神的な喜びを見出している人もいるのかも知れません。

 例外的に「ニッチな」領域で日本企業が高いシェアを残しているものは存在しますし、それをことさらに強調したがる人もいます。ただ、こうした分野が莫大な収益をもたらし日本経済を牽引しているかと言えば、残念ながら微塵も気配がないわけです。儲かる分野ではシェアを取れず、儲からない分野での高いシェアを誇っているとしたら、それもまた悲しい話ではないでしょうか。

 以前に働いていた職場で、ある町工場が製造している部品の不足から全体の工期が遅れるなんてことがありました。ただ、全体の工期を左右しているはずの町工場の部品は、至って安価なものでもありました。ヨソの工場からは調達できない部材でもあるからには市場での優位性を発揮して価格も上昇しそうなものですが、そうはならなかったわけです。

 問題の町工場でしか作れない部品だったのならば、販売価格の上昇もあり得たかも知れません。しかし「儲からないから作る人が少ない」だけの部品であったならば話は別です。安値で買い叩かれる部品なんて大手はどこも作りたがらない、その分だけ小さな町工場でも高い市場シェアを有することが出来ていたと言えますが――シェアが高いのに全く儲からない状態もまた続いていたのです。

 日本企業が世界トップクラスのシェアを占めている領域は、探せば幾つか見つかることでしょう。しかし、それに胸を張れるのかどうかは別問題です。収益性が高く他の国が羨む領域でならば、それは自慢できるものです。しかし収益性に乏しく「日本ぐらいしかやろうとしない」領域であれば、徒にシェアを誇るのは失笑を誘う行為でしかないと言えます。

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留学狂想曲

2021-02-21 21:51:40 | 社会

外国人学生数の調査要望 筑波大、学長選考批判の教授ら(朝日新聞)

 大学運営の自由度を高める特例が適用される「指定国立大学」の公募に際し、筑波大学(茨城県つくば市)が文部科学省に出した外国人学生の数と実態に食い違いがあるとして、筑波大の教員らが10日、萩生田光一文科相あてに調査を求める要望書を出した。大学側はこの件に「コメントはない」としている。

 文科省は昨年10月、筑波大と東京医科歯科大を新たに指定国立大に選んだ。10日に記者会見した筑波大の教員によると、公募書類には外国人学生の数として3千人台の数字を記載しているのに対し、日本学生支援機構に報告している人数は2千人台だという。

 筑波大の竹谷悦子教授は会見でこの差について「大学を訪問してきた短期の滞在者を含めているのだろう。そうした学生まで含めてアピールするのは、水増しではないか」と話した。

 留学生を増やす計画を掲げている筑波大は、英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」の世界大学ランキングにも、外国人学生数として3千人台の数字を出しており、THEは筑波大に数字の乖離(かいり)について説明を求めている。

 竹谷教授ら教員有志は、現職の永田恭介氏が選ばれた昨年10月の学長選考に異議を唱えてきた。学長の通算任期の上限が撤廃され、教員の考えを問う投票も無くなったためで「不正な選考を認めず、責任追及を続ける」と訴えている。

 筑波大広報室は教員有志でつくる団体について「誰が運営しているか分からない会」と言及し、「そのような会に対し大学としてのコメントはない」と答えた。(土屋亮)

 

 ……引用が長くなりましたが、省略して良さそうなポイントの見つからない報道であり、国立大学はおろか国策大学とすら呼べる筑波大学にして色々と問題もあるようです。今回報道の主題ではないながら「学長の通算任期の上限が撤廃され」云々の行もいかがでしょう? 自ら憲法を改正して任期の上限を廃止する国家元首は日本の隣国にもいるわけですが、似たようなことは国内でも見られるのかも知れません。

 筑波大の広報室のコメントがまた振るっており、曰く「誰が運営しているか分からない会」とのこと。顔も名前も明らかにした上で全国紙を相手に記者会見まで開いている大学教員達を指して「誰が運営しているか分からない会」と言い切れるあたり、学長の傀儡と教員有志がいかに対立しているか窺われるというものです。

 ともあれ、日本学生支援機構に報告している外国人学生の数は2千人台、文部科学省の公募や雑誌に出した人数は3千人台と、明白な食い違いがあるわけです。まぁヨソでも例えば東京ドームなど、消防署には定員46,314人で届けられていたにもかかわらず、読売球団は収容人数56,000人と発表していたなんて事がありました。大学だって似たようなもの、水増し自体は珍しくはないのでしょう。

 それにしても、留学ゴリ押しの大学が本当に増えましたね。ついでに英会話学校かと見紛うばかりに英語推しの大学も幅を利かせるようになりました。英語や留学に縛られず好きなように勉強できる時代に大学時代を過ごせた自分は、今の時代の学生よりも恵まれていた気がしないでもありません。

 ただ学生よりも政府や企業からの評価が問われる時代には、そういう人々向けのハッタリの方が教育より重要になってしまうのでしょう。教育の質の高さなんて、それを本気で勉強している学生にしか分からないものです。真面目な学生にだけ分かるようなアピールポイントでは、大学の名声には繋がりません。もっと「外」に向けて大学の魅力を発信するためには――留学生の「数」を多く見せるのが有効と、そう判断されているのだと思います。

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ミソジニストの沈黙

2021-02-14 22:02:23 | 社会

恨み節残し途中退席、森会長「意図的な報道があった」(読売新聞)

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)が12日、辞任を表明した。発足以来、大会の運営組織を率いてきたが、女性に対する不適切な発言で表舞台を去ることに。後任を巡る混乱も起きており、大会関係者からは「早く騒動を収めて」との声が上がった。

(中略)

 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」。辞任の引き金になった3日の会合での発言については、「女性を蔑視する気持ちは毛頭ない」と強調。「女性をできるだけたたえ、男性より発言してもらえるよう絶えず、すすめてきた」と主張し、「多少、意図的な報道があった」などと不満も口にした。

 

 さて森喜朗が女性蔑視発言を取り沙汰されて組織委の会長を辞任するに至りました。発言の内容自体に擁護の余地はありませんけれど、辞任にまで追い詰められたことには少し同情しないでもありません。何しろ、このレベルの妄言なら別に珍しくないですから。

 特定の人々を蔑み、貶めるような暴論なら、普通に有力政治家の口から聞かされてきたはずです。この程度の発言で辞任しなければならないようであったなら、石原慎太郎が首都の知事になることはなかった、麻生太郎はとっくに政界を退いていた、トランプだって共和党の予備選で早期に撤退していたことでしょう。政治家の妄言は別に珍しいことではありません。それが失脚に繋がることが珍しいのです。

 問題発言として報道されたとき、多くは「発言が誤解された」「真意が伝わらなかった」そして森氏が言うように「意図的な報道があった」みたいな弁明が行われます。総じて政治家の問題発言とは自身の真意が伝わったからこそ問題視されるものですが、一方で擁護の声を聞かされることも少なくありません。発言を批判する側は曲解している、メディアの偏向報道である云々…… しかし森氏に関して擁護の声はほぼ聞こえないわけです。

参考、ヘイトの町・小田原

 かつて小田原市役所では2007年から2017年にかけて、生活保護受給者を罵倒する文面の入ったグッズを職員が作成、市役所内部で頒布や販売を行っていました。10年に及ぶ地道なヘイト活動の結果として全国紙で報道されるに至ったのですが、それに対する批判もあれば、同数に近い擁護の意見も寄せられたことが伝えられています。世の中、そういうものではないでしょうか。

参考、賛同者も多いようではありますが

 あるいは公立福生病院で医師が透析患者に治療中止を促し、死亡者を続出させていたなんて事もありました。背景には医師の思想信条があり、「人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」などと主張した日本維新の会の某公認候補を彷彿とさせるものでしたが、やはり意思を擁護する声も多かった、治療中止を正当化する超理論を展開する人も目立ったわけです。

 ……こうしたことを思えば、森"元"会長だってもう少し擁護されても良さそうな気がします。なぜ森氏ばかりが批判されるのか、発言の中身がどうしようもないことについては異論がないかも知れません。しかし、どんな妄言、暴論、ヘイトスピーチにだって支持者はいた、賛同者も多く、批判に負けないだけの擁護者もいました。それなのにどうして森氏にだけは味方がいないのでしょう?

 まぁ総理大臣在籍期間中には記録的な低支持率を残すなど、元から不人気な人ではありました。そんな不人気でも要職を渡り歩くあたり、国民から不人気なだけで政界やスポーツ関係の理事会に所属する人々の間では、何かしら支持を得るものを持っていたのであろうと推測されます。国民が政治家を判断するのとは別の基準で、高く評価されてきたに違いありません。国民とは別の基準で、ですね。

参考、厳罰化を求める世論>反中感情

 10年余り前、中国で日本人4名に対する死刑が執行されたことがありました。容疑は麻薬の密輸と言うことでしたが、これに対する日本側の反応が専ら中国政府による執行に肯定的なものであったことを覚えています。当時も今も変わらず反中感情の強い日本ですが、それ以上に厳罰志向が強く、死刑制度への信頼感が高いことが要因でしょうか。

 右派の著名人でこれを批判したのは櫻井よしこくらいで、いつ何時であろうと中国のやることに批判的であるという点で一貫性を見せた人は少なく、排外主義者の多くはこの問題では沈黙を守ったと言えます。中国に対する敵意よりも、犯罪容疑者へ厳罰を与えること、毅然として死刑を執行する姿勢への賛同が優った結果と判断するほかありません。

 森喜朗と同じような女性観を持っている人は、本当は多いはずです。だからこそ組織委も男性中心で運営されてきた、今回のような発言も人目を憚らず口にされたわけです。それでも森氏への賛同者が表に出てこないのは、かつて中国への反発感情を死刑への賛同意識が上回った時と同じようなものだと言えます。森の不人気は、ミソジニーを超克した、と。

 結局のところ、誰もが泥船から逃げ出す機会を窺っていたとも言えます。何事もなければ森喜朗体制の下、昨年の段階で終わっていたはずのオリンピックも、新型コロナウィルスの感染拡大状況を鑑みるに今となっては無茶な話でしかありません。ナショナリズムの祭典への熱気を維持できなくなった人も少なくない、スポンサー企業も協賛金の支払いをダラダラと続けたくはないでしょう。

 そこへ来て今回の件は、引き際を見計らっていた人々にとって好都合だったはずです。撤退の大義名分として森氏の発言は十分に「使える」ものでした。ファンの多い政治家は問題発言があっても無理筋の擁護をしてくれる人が少なくありませんが、森氏のファンは国民の間に少なく、オリンピック熱もすっかり冷めたところ、かくして森氏は引責へ。でも他の妄言政治家の存在を思えば、自分ばかりが詰られることへの恨み節くらいは許されても良さそうな気がしますね。

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