非国民通信

ノーモア・コイズミ

少しだけ、世界が良くなる

2025-01-19 21:39:34 | 政治・国際

米企業 多様性など実現見直す動き 大統領就任前に政治的配慮か(NHK)

DEIと呼ばれる多様性などの実現に向けた取り組みを見直す動きがアメリカの企業の間で広がっています。DEIに対しては保守層の反発もあり、トランプ氏の大統領就任を前に政治的な配慮も背景にあるものとみられます。

DEIは「多様性」「公平性」「包摂性」を意味する英語の頭文字をとったことばで、数値目標などを設けて多様な人材を集め、イノベーションなどにいかす取り組みとして注目されてきましたが、このところアメリカでは見直しの動きが相次いでいます。

このうち、IT大手の「メタ」が多様性に配慮した採用活動などを廃止する計画だとアメリカの複数のメディアが報じました。DEIを取り巻く法律や政策の状況が変化したことが要因だとしています。

 

 日本でも兵庫県知事選で斎藤元彦の再選が決まった際には、率先して自己批判を行い権力側にすり寄る動きが少なからず見られました。アメリカだって権力者が変われば、それに合わせて変節する人々が出てくるのは至って自然なことと言えるでしょう。ここで名前を挙げられている「メタ」は元より同社が提供するフェイスブック及びインスタグラムにおいて「ロシア兵とロシア人への暴力を呼び掛ける投稿を容認する」「ロシアのプーチン大統領ないしベラルーシのルカシェンコ大統領の死を求める投稿についても期間・地域限定で認める」方針を掲げるなど権力側に付き従う姿勢で知られているところですので、何ら驚くに値しません。
参考:FB、ロシア兵への暴力呼び掛けを一時容認 ウクライナ関連のみ(ロイター)

 もちろん同様の方針はメタに限らず他のアメリカの有名企業も先んじて多様性目標の見直しを表明しており、流行に敏感な経営層の間では一定の合意が形成されているものと判断されます。アメリカに限らず日本でも、深く考えずにとにかく流行を追いかけることで時代に適応したつもりになるのは普通のことですので、我が国の企業がこれに倣うようになっても不思議ではないでしょう。企業は決して善意や道徳心で多様性を尊重してきたわけではない、DEIだのSDGsだのDXだの、しかるべく合理的判断の上で進めてきたのではなく単純に流行に乗り遅れまいと努めてきただけであって、その流行に変化があれば企業だって当然ながら変わるわけです。

 しかし、ここで言われるDEIとはなんでしょうか。それらしき説明は存在しますけれど、ちゃんと意味を理解した上で実践してきた人や組織がどれだけあるのかは大いに疑わしいと思います。ただ単に、流行の歌を皆で合唱してきただけではないか、というのが私の見解ですね。結局はDEIに反発していたとされる「保守層」なんてのも、いわばK-POPを嫌うのと同じようなもので、どのようなファッションをするかどうかで好きな人もいれば嫌いな人もいる、ぐらいの争いに見えるところもあります。

 例えばある国では、大統領と立場を異にする野党の活動が禁止されています。それでも口を噤まなかった野党の政治家は身柄を拘束され、隣国に囚われた兵士との捕虜交換の弾にされました。民間人でも政府を批判したジャーナリストは投獄され、拷問によって殺された人もいます。隣国の言葉を使用することは禁止され、隣国にルーツを持つ住民は弾圧される、政府に反旗を翻した地域へは住宅地にも容赦なく砲弾が撃ち込まれる──これはウクライナのことですが、我が国の報道ではウクライナ人は誰もが大統領を支持し、ロシアとの戦争継続を望んでいることになっています。本当は逆の立場の人もいるはずですが、そこは今もなお黙殺されているところで、これは「多様性」の観点からはどうなのでしょう?

 性的嗜好に関する多様性は、これまでは認められるべきものとして扱われることが多かったわけです。それは結構なことと言えますが、しかし他の種類の多様性、例えば政治体制や外交姿勢の多様性は尊重されてきたのかもまた問われるべきではないでしょうか。統治形態がアメリカとは異なる国、国際政治の場でアメリカに同調しない国に対して日米欧各国がどのように接してきたかを考えてください。そこに多様性は認められていなかった、アメリカ型の統治、アメリカに従う外交だけが唯一の「民主的な」正しい在り方と規定され、それぞれの国の独自性が尊重されることが決してなかったのは明らかです。

 フェアトレードという概念が専らチョコレートやコーヒーや手芸品に止まるように、DEIという流行り言葉において想定された多様性の範囲もまた至って限られたものでした。流行に乗って掲げられただけのスローガンなど、その程度のものでしょう。故にDEI某が見直されたところで大した意味はない、元から大した意味がなかったのだから、というのが私の見解です。もちろんLGBT云々に関しては冬の時代の到来ですが、一方では逆に認められるようになる、締め付けが緩くなるものも出てくることを期待したいと思います。

 バイデンという大統領はまさにアメリカ至上主義で、「アメリカに背く国」を断固として認めてきませんでした。それだけにアメリカ陣営の結束を重んじた、アメリカ国内の融和を目指してきたところもあります。一方でトランプは前任者に見られたような一貫性を期待できない、何事も自身の好き嫌いが最優先で行動や言動にもブレが大きい指導者です。この辺は政治的な影響力を強めているイーロン・マスクも同様で、いずれもアメリカの覇権を自壊させる可能性があります。ただ、それは国際社会における多様性が認められるためには良いことでしょう。アメリカに付き従う国だけが「民主的」ではない、そうでない国も尊重される、そんな多様な世界を実現するためにはネオコン一辺倒のバイデンよりも、トランプ&マスクの出鱈目路線の方が相対的にはマシです。

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目次

2025-01-19 00:00:00 | 目次

 

社会       最終更新  2025/ 1/ 9

雇用・経済    最終更新  2024/ 9/15

政治・国際    最終更新  2025/ 1/19

文芸欄      最終更新  2024/12/14

編集雑記・小ネタ 最終更新  2025/ 1/ 7

特集:ロシアとウクライナを巡る基礎知識、現在に至るまでの経緯

序文 第一章 第二章 第三章 第四章 おまけ

 

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星条旗よ永遠なれ

2025-01-13 21:40:12 | 政治・国際

 先般はロシアでYouTubeへのアクセスが遮断されたという怪情報が一部のメディアで流布されました。ただロシア在住者による新規投稿は普通に確認できますし、ロシア在住だが問題なくアクセスできるとの報告も相次いでいるようです。一方、私の環境からはgooサービスにはVPNを介して接続元を偽装しないと接続できない状況が本日もなお続いています。隣国を貶めるべくフェイクニュースを垂れ流す前に、自国で起こっている問題をどうにかした方が良いのでは、と私は思いました。(2025/1/14追記、ようやくVPNなしで繋がるようになりました……)

 

韓国 ユン大統領拘束の令状執行できず 警護庁が捜索許可せず(NHK)

「非常戒厳」の宣言をめぐり韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領の拘束令状をとった合同捜査本部は、3日に令状の執行を試みましたが、大統領警護庁に阻まれて令状を執行できませんでした。拘束令状の有効期限は今月6日までで、合同捜査本部は「今後の措置は検討したうえで決定する」としています。

「非常戒厳」を宣言した韓国のユン・ソンニョル大統領について、警察などでつくる合同捜査本部は先月31日に内乱を首謀した疑いで大統領の拘束令状をとり、3日朝に捜査官らが令状を執行するため、ソウル市内の大統領の公邸の敷地に入りました。

しかし、大統領警護庁は現職大統領の警護を理由に公邸の捜索を許可せず、捜査官らは、公邸まで200メートルほどの場所で大統領警護庁の関係者ら200人あまりによって阻まれたということです。

 

 さて韓国では大統領の非常戒厳を皮切りに拘束令状が出るまでに至りました。ただ1月3日に執行を試みた時点では阻止されたことが伝えられています。勿論これで終わるものではなく令状の執行期限は過ぎても再請求によって再び発布されたとのこと、事態を長引かせることは出来ても幕を引くには至らないと言えます。ちなみに執行を阻止したのは大統領警護庁と伝えられているところですが、映像を見る限りは支持層も結構な人数が集まっているようです。

 ここで注目したいのは、大統領支持の集団が韓国の国旗だけではなく星条旗を同列に掲げているところでしょうか。これは他国でも時に見られる傾向で、「親欧米派」と呼ばれるデモ集団では一般的な行動ではあります。たとえば直近ですと州じゃない方のジョージアで発生した反政府デモにおいて星条旗が振られていました。ジョージアにはジョージアの旗がある、州じゃない方のジョージアは本家ジョージアへの敬意が足りないと思わないでもありませんが、なぜ自国の問題においてアメリカの旗が掲げられるのかは問われるべきものがあると言えます。

 「国際社会」における善悪は何によって判断されるか、ここで「アメリカ」を基準として採用している国は欧州を中心に少なくありません。アメリカがバックに付いている側が正しい、アメリカに背いている側は反対派を不当に弾圧する権威主義であると、そうメディアも報じてきました。だから2014年にウクライナで発生した暴力革命も速やかに「国際社会」の承認を得て現在に至るわけですが、この辺の価値観は韓国でも、少なくとも与党支持層には浸透しているのでしょう。

 何らかの政治主張を展開するとき、その背後に外国勢力の介入があるとなれば疑義を呈されることが一般的です。ゆえに韓国与党であれば反対派の主張の背後には北朝鮮や中国がいるのだと、そう印象づけることで相手の信頼を毀損しようとするのが常套手段です。日本でもウクライナ政治の問題を指摘すれば親ロシア派、自国の外交の問題を指摘すれば親中派と呼ばれたりするものですが、ただ一つだけ例外があって「親欧米派」だけはネガティブに扱われない、むしろ正当性の担保として西側諸国では受け止められていると言えます。

 こうした価値観を共有する「同志国」の間では、アメリカの側に属していることこそが自身の正当性を示す最大の根拠になります。行為は同じでもアメリカに従属しない国が行うことは侵略であり弾圧である、しかしアメリカの傘下にある国が行えばそれは自衛でありテロ対策になるわけです。何をやっているかではなく、アメリカの側に属しているかどうかが正しさを決める──国際社会を自称する欧米諸国の価値観に従えば、韓国における大統領支持層が星条旗を掲げた理由も簡単に説明が付きます。戒厳令を出すことがで適切であったかどうかは重要でない、そんなことよりも我々はアメリカの世界戦略の一端を担っているのだとアピールした方が説得力があるのでしょう。ただ、これがいつまでも正しいかどうかは疑われてしかるべきです。

 日本は与党も野党も親米保守で固まった政治的争点のない国ですが、しかるにUSスチール買収問題などからも明らかなように、日米の関係は決して相互に一致したものではありません。日本にとってアメリカは(願望込みで)同盟国ですが、アメリカにとって日本は衛星国の一つに過ぎないわけです。日本外交はアメリカとの関係に基づいて諸外国を「同志国」と仮想敵国に分けていますけれど、これは我が国の国益に叶うのでしょうか? イーロン・マスクも欧州の中道(親米)政権ではなく自国第一主義の政党に声援を送っています。ならば日本も、親米一筋からの脱却を考える良い機会ではないかと思いますね。

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正月に思ったこと

2025-01-09 22:16:37 | 社会

 1月9日現在、私の環境からは今なおVPNを経由しないとgooには繋がりません。ドコモからは音沙汰なし、goo公式からもお詫び的な案内はあるものの状況を説明できているとは言いがたく……と行った次第です。ブログのアクセス数の減少具合からするに、結構な人が影響を受けているように思えますけれど、どうしたものでしょうね。ちなみに以下の記事は日曜日に載せるつもりで書いていたのですが、アクセス状況が改善されてからにしようと先送りを続けて今日になってしまいました。

・・・・・

 それはさておき正月は親類に会う機会でもあるわけです。今年は発熱で寝込んで顔を見せられない人もおりまして、これもまた世相を反映しているところでしょうか。新型コロナウィルスへの警戒感から一時的に公衆衛生の水準が向上していた頃は皆無であったインフルエンザが例年にない流行を見せるばかりか、マイコプラズマ肺炎などその他の感染症も爆発的に増加、学級閉鎖やイベントの中止も相次いでいます。それでもマスクは任意でして、ことによると2019年以前よりも体調不良を押して外出する人が増えた、人前で咳き込むことに躊躇がなくなった印象がないでもありません。

 ちなみに私自身だけではなく兄弟姉妹にも従兄弟にも子供はおらず、家系図では私が最も下の段に位置しています。ゆえに親類一同の間柄ではいつまでも「子供」の枠だったりするわけです。仮に誰かが子供を産んで家系図に新しい段が出来上がれば私は「伯父さん」と呼ばれるようになるのでしょうけれど、もはや見込みは薄く家系の断絶は不可避でもあります。親族から見た場合、何歳になっても家系図の最下段にいる限り子供は子供、家系図の段が増えることで「お父さん」や「叔父さん」になる──というのが私の感覚なのですが、皆様の親類縁者の間ではいかがでしょうか?

 なにはともあれ親類に子供世代がいないので、誰もが齢を重ねて老いていくばかりです。会社でも昇進していくのは親会社から出向してきた人ばかり、資産は少しずつ増えているものの不動産価格の上昇には追いつかずと、なかなか希望を見出しにくい状況ではあります。若い頃は今の状況が悪くともいずれは好転するイメージを持てましたけれど、年を取るほどに坂から滑り落ちる感覚は強まるばかりです。たとえ自身が加齢によって衰えていくとしても社会の発展によって明るい未来を展望できることもあるのでしょうけれど、恐ろしいことに日本にはそれも欠けていますし。

 ちなみにサッカー元日本代表の三浦知良は57歳にして2025年の現役続行を宣言、JFLのチームとは2026年1月までの契約があるとのことでプロ生活は40年目に到達するそうです。ただ日本サッカーの生けるモニュメントとしてJFLでは最も観客を呼べる存在ではあるものの選手として活躍できているとは言いがたく、批判的に見る人もまた少なくありません。本人と周囲の様々な思惑が重なって異例の高年齢プレイヤーであり続けているわけですが、それでも本人が客寄せパンダであることに満足しているわけではない、選手としてのトレーニングを怠っているものでもないとは思います。

 ただどれほどの努力を積み重ねても、衰えがそれに勝る時期は誰にでも必ず訪れます。あたかも努力は報われる、継続すれば身になるかのごとく世間では語られるものですが、それはせいぜい期限付きというのが実態でしょう。練習すれば練習しただけ上達するのなら、三浦知良は世界一のサッカーの達人になれたはずです。しかしセミプロ相手でも若い選手の動きに全く対応できなくなっているのは誰の目にも明らかです。何もしなかった57歳よりはサッカーが上手いのは間違いありませんが、しかしプロ40年の三浦知良よりもプロ4年の若者の方が選手としては明確に上にいる、それが現実というものです。

 とはいえ選手という「選ばれた」存在と、限られたリソースの中で回していかねばならない我々の社会とでは、衰えた人間の使い途も異なるように思います。衰えた選手は引退していくだけ、その中から指導者になるのは一握りですけれど、このように贅沢なリソースの使い方が許されるのは一部の限られた世界だけの話です。若手が続々と畑から収穫できるような状況ならいざ知らず、人口減少局面に入り高齢化が顕著な社会であるほどに、今いる人間をいかに活用していくかが問われると言えます。

 そうした中でリスキリング云々と上滑りなスローガンが横行しています。私の勤務先でもこのスローガンは掲げられているところですが、この結果として何か成果が生まれたというケースは寡聞にして知りません。本当に仕事で必要なスキルならば昔から異動に合わせて何とか習得されているものですし、社外から見ればリスキリングされた中高年など魅力がない、採用したいのは若い人だけという状況には何ら変わりがないわけです。ところが日本人の平均年齢は既に47歳に到達し、企業が欲しがる若手はもはや希少な存在とすら言えます。若手募集は無い物ねだり、そしてリスキリングは良いけれど、勉強した中高年を適切に起用できているのか?という疑問は拭えませんね。

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ドコモは嫌い

2025-01-07 21:41:21 | 編集雑記・小ネタ

【お詫び/暫定復旧】gooサービス及びドコモの一部サービスがご利用しづらい事象について(2025年1月2日午後6時30分時点)

2025年1月2日

平素はNTTドコモのサービス・商品をご利用いただき、誠にありがとうございます。

2025年1月2日(木曜)午前5時27分頃から、gooサービス及びドコモの一部サービスがご利用しづらい状況でしたが、アクセスしづらい状況については午後4時10分に回復いたしました。

 

 1月2日からドコモ関係の一部サービスで障害が発生しており、gooブログなどもアクセスできない状態になっていたのですが、読者の皆様はいつ頃から復旧しておりましたでしょうか? ドコモの公式発表によると1月2日の午後4時10分に回復(goo公式では"暫定"復旧)とのことでしたが私の環境からはgooサービス全般に接続できない状態が続き、今なおVPNを介さない限りはアクセスすることが出来ません。障害自体は致し方ないとしても、中途半端な状況のまま続報を一切出さないドコモの姿勢には不信感を覚えるところです。

 2022年頃よりNTTグループはドコモを中心として組織再編を強引に進めており、元からドコモで展開していたサービスと競合するものは縮小・廃止される傾向にあります。ことによるとgooサービス(ドコモに吸収されたNTTレゾナントが運営)も、そんなリストラ対象に含まれている気がしますね。本当にドコモが重要と見なしているのであれば、マトモに復旧されないまま続報なしに放置し続ける等ということはあり得ませんので。

 私のブログへのアクセス数を見る限り、約30%程度アクセスが減っている状況です。ドコモやgoo公式の発表とは裏腹に、障害の影響を受けている人はそこそこ多いように推測しています。しかるにgoo運営へ問い合わせても状況について回答は一切ありません。gooの利用者を大切にするつもりはない、むしろこれを機に利用者が減ればgooサービスを切り捨てる好機ぐらいにドコモ本体からは扱われているのではないかと、そんな気がしますね。

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2025年の展望

2025-01-01 20:37:38 | 政治・国際

 ネオコンの化身として世界をアメリカの敵と味方に分断してきたバイデン政権もついに終焉を迎え、今年はトランプ政権が再始動します。アメリカに背くものは許すまじと衛星国の団結を訴えてきたのがこれまでの「国際社会」と言えますが、今後はトランプの敵と味方とで争う展開へと移るでしょうか。取り敢えずアメリカ人にとってはさておき世界にとっては良いことである、ほんの少しだけ紛争の種が減ってわずかなりとも平和に近づくであろうと期待されます。

 トランプの本質はビジネスマン、みたいに言われることもありますが、それ以上に「好き嫌い」が行動原理と評価されるべきでしょう(現職の総理である石破を差し置いて安倍昭恵前首相夫人と会談したあたりは典型かと)。この点では何事もトランプの気分次第で不確定要素が多い、ただ外交面ではあらゆる点で最悪だったバイデンに比べれば一貫性がない分だけトランプの方が好転要素を含むというのが私の評価です。一貫して悪いものに比べれば、ブレがある方がマシですから。

 このトランプの好き嫌いの傾向は前政権時代から概ね明らかになっているところで、残念ながら中東方面については最悪から最悪への横滑り、対中国方面は若干のブレが期待され、ヨーロッパ方面は幾つかポジティブに評価される、ぐらいでしょうか。ネオコンの理念を貫いてイスラエルを支援するのも単なる好き嫌いでイスラエルを支援するのも結果は同じですが、何かの拍子にネタニヤフがトランプの機嫌を損ねて、それでアメリカの方針が変わったりしないかなと思わないでもありません。

 このトランプに起用された政府閣僚陣も、大いに世の中をかき回してくれそうで色々と期待しています。アメリカが内政面で混乱するのは結構な話ですし、ネオコン路線に追従してきた衛星国が梯子を外されるのも世界にとっては良いことですから。そんなわけで私はロバート・F・ケネディ・ジュニアやイーロン・マスクの台頭を肯定的に受け止めています。彼らはアメリカにとっては良くない影響をもたらすかも知れませんが、アメリカ一極集中の終焉は世界にとっての利益に他なりませんので。

 そんなイーロン・マスクは先般、ドイツの極右政党とされる「ドイツのための選択肢(AfD)」が「ドイツを唯一救える」とツイッター(現X)に投稿して話題を呼びました。まぁ現行の中道路線(ネオコン&ネオリベ)は明確に破綻しており、それと袂を分かった勢力の方が相対的には当事国にとって良いものをもたらすでしょう。アメリカに従わない相手を片っ端から敵視するネオコン路線よりは孤立主義の方が、資本家の利益が第一のネオリベ路線よりは保護主義の方が、相対的にはマシだと思います。

 ただそれは、アメリカにとっては別の話です。トランプもマスクも既存のエスタブリッシュメントを斥けて権力の座に就いただけに、長らくヨーロッパを支配してきた中道勢力よりも、それを追い落とそうとする「極右」の方に共感を覚えているのかも知れません。しかしアメリカの世界戦略に協力的なのは中道=ネオコンという既存体制の方であって、極右=自国第一主義が政権を獲得すれば従来ほどアメリカのための支出には賛同が得られなくなる、それは単にアメリカの利益であって自国の利益にならないのではないか?という疑義が呈されるようになるわけです。

 アメリカからすれば、むしろヨーロッパは今まで通り中道=ネオコンの支配体制が継続していた方が好都合のはずですが、そこはマスクもまたトランプと同様に「好き嫌い」が優先されているように見えます。何事もアメリカを基準とした国際秩序に親和性が高い現体制よりも、アメリカよりも自国単独の利害を優先する「極右」の方がマスクからすれば共感できる、そこで後者に声援を送ってしまうところにイーロン・マスクという人間の性格が表れていると言えるでしょう。

 これまでアメリカは諸外国への積極的な介入によって世界各地に紛争と親米政権の種を蒔いてきました。失敗に終わった典型は泥沼の内戦が続くリビアで、シリアもこれに続く可能性があります。逆に一時でも成功したのはウクライナや台湾でしょうか。そして州じゃない方のジョージアやルーマニアでも介入の影は見えており、これから大統領選が行われるベラルーシなどは当然ながら標的になっていると考えられます。恐らく選挙にはルカシェンコが勝利する、しかしアメリカの支援を受けた反政府勢力が大規模な抗議活動に出るのが予見されるところですが──アメリカの政権交代によってどれほど介入の程度が変わるか、そこは試金石になるでしょう。

 今年はウクライナを舞台にしたロシアとNATOの勢力争いも一つの大きな局面を迎えることが予想されますが、これに関しては1回では書き切れませんので、具体的な動きに合わせて追っていく予定です。残念ながら我が国では戦時報道が続いており事実に反したプロパガンダばかりが流されたまま、敵国(=ロシア)を貶める内容になってさえいれば真偽は問わず、どんな荒唐無稽な内容でも構わないと言った状況が続いています。結局のところ日本は先の敗戦から何も学んでいないのだと思うところ、以下は昨年に書いた記事ですが、ロシアとウクライナが一つの国であった時代から2022年までの経緯の基礎的な部分をまとめたもので、現代を理解するための前提知識として改めてリンクを張っておきます。

序文:ロシアとウクライナを巡る基礎知識、現在に至るまでの経緯

第一章:キエフ・ルーシの時代からソヴィエト連邦の時代まで

第二章:ロシア帝国、及びソヴィエト連邦の支配者達

第三章:ロシア・ウクライナを取り巻く往年の連邦構成国

第四章:ウクライナ、崩壊への歩み

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法治主義のコスト

2024-12-29 21:55:46 | 社会

 2024年末は幾つか興味深い判決がありました。一つは「紀州のドン・ファン」等と呼ばれた資産家を殺害したとして元妻が起訴されていた事件で、直接的な証拠がなく状況証拠ばかりが積み重ねられていたことから、疑いの余地は認められつつも結局は無罪判決となりました。疑わしきは被告人の利益に──推定無罪の原則に従えば妥当な判断と言えるでしょうか。ただ同じ和歌山でも夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入されたとする事件では、やはり直接証拠はないものの状況証拠を積み重ねた結果「この人が絶対に怪しい」という理由で死刑判決が下っています。推定無罪の原則が適用される場面もあれば、そうでない場面もあるのかも知れません。

 そして先日は性的暴行の罪に問われた男性2名への無罪判決が出たわけですが、これが一部界隈の強い反発を呼んでいます。補足すれば犯行に及んだとされる3名の内1名は実刑が確定しており、2名にしても決して無罪=潔白という意味ではなく、あくまで現行の法律に照らして処罰すべき事実の立証が不十分であるだけという判決でした。これも推定無罪の原則に従えば、あり得ないこともない判決かと私は思います。しかし判決を下した裁判長の罷免を求める署名運動なども起こっており、この辺りは法曹界からも懸念されているようです。

 推定無罪の原則に則れば、有罪の閾値は「100」です。90であれば限りなくクロに近い、素人目には完全なクロと見分けが付かないことでしょう。しかし真に有罪であるか疑義が残っていれば、それは無罪とするのが法の理念でもあるわけです。一方で容疑者となった時点で社会的には犯人扱いされるのが慣例で、ともすると「50」くらいで十分にクロと見なされているのが実態でもあります。そうした状況を問題する人もいるはずですが──ともすると人権意識が高く推定無罪の原則に理解があるかのごとく振る舞っている人ほど、性犯罪になると基準を裏返してしまう傾向もあるのではないでしょうか。

 犯人が法の裁きを逃れることと、冤罪のどちらを「あってはならない」ことと考えるか、ここで一貫した態度を取っている人は意外に少ないのでは、と私は思います。というのも一般の犯罪に関しては被疑者を罰せよと厳罰論を掲げる人でも痴漢の訴えに関しては冤罪の可能性も考慮して公正に扱えと主張するケースは珍しくありませんし、逆に平素は人権を重んじ被疑者を一概に犯人扱いしないだけの分別がある人でも、痴漢に関しては被害を訴える声を全面的に信用し、冤罪の可能性は頭から否定している様子を頻繁に目にします。ことによると性犯罪とその他の犯罪とで、判断基準をクロスさせる方がむしろ一般的なのかも知れませんね。

 何はともあれ、集団で性的暴行を加えたと起訴された3名の内2名は無罪との判決が下されました。物的証拠や第三者の目撃証言などがないと厳密な立証は難しいことが分かります。もし味噌樽の中から犯行の決定的な証拠となる当日の衣類でも見つかれば結果は違ったのでしょうけれど、そう都合良く進むことばかりではありません。そこで一般に警察や検察が何をするかと言えば「自白を引き出す」わけです。たとえば一日平均12時間以上の取調べを「犯人」が自白するまで継続する等々、そうした取り組みによって証拠の不足を補い、有罪判決を確定させてきた実績があります。

 今、物議を醸した医大生による集団での性的暴行事件も警察が容疑者を締め上げ、被害者の同意があったと錯覚したのではなく不同意と理解しながら行為に及んだのだと自白を「させれば」判決は変わったことでしょう。状況的には99%クロで、そこに被疑者の自白が加われば間違いなく有罪の判決が下されていたはずです。しかし今回の被告人は検察側の主張を裏付けるような自白はしておらず、客観的に見て検察の起訴した内容通りであると断定するには僅かながらも疑いが残る、故に疑わしきは被告人の利益に⇒無罪判決という結果になりました。

 故にもし今回の無罪判決に不満があるのならば、裁判官ではなく警察や検察を非難すべきではないかな、と思います。コイツはクロだと決めつけて自白するまで責め上げれば、有罪判決を勝ち取ることは出来たでしょう。ただ、それが良いことかどうかは別の話です。良くも悪くも被告人の人権を尊重して取り調べが行われた結果、罪状を裏付けるような自白はなく無罪判決が下されました。仮に人権を無視した取り調べによって被疑者に起訴内容通りの自白を行わせた場合、それで有罪判決が下って正義が執行されたと感じる人はいるかも知れませんが、法治国家としてはいかがなものでしょうか?

 そもそも法治主義の理念とはまず「権力」を制約するものです。警察や司法のような市民を罰することが出来る「権力」が恣意的に行使されないような運用が大前提であり、それを受け入れる以上は自白を強要することは出来ませんし、十分な裏付けとなるだけの証拠が揃わなければ被告人を有罪とすることは出来ないわけです。そうした制約の故に、明らかに疑わしい人間でも状況によっては無罪とせざるを得ない、これは法治主義のコストと呼べるでしょう。逆に情緒的な共感や義憤によって証拠や自白の不足が埋め合わされてしまえば、その時点で法治国家ではなくなってしまいます。

 人権を普遍的なもの=誰にでもあるものとして尊重する──そう口にすることは簡単ですが、本当に問われるのは品行方正な人を前にしたときではなく、非道な振る舞いをした人を扱う時です。何ら責められる点のない人の人権を尊重するのは簡単ですけれど、性的暴行の疑いで起訴された容疑者の人権はどうでしょうか? どれほど卑劣な人間でも人権はあり、自白を強要されることがあってはならないと言えるのかどうかは当然ながら問われます。そして自白の強要は人道に悖ると認めつつも、自白も証拠も完備されていないから無罪とした判決に対して裁判官の罷免を求め出すとしたら、それは筋が通らないのでは、と私は思うわけです。

 まぁ「法の支配に基づく国際秩序」なんてスローガンが外国関係の報道では枕詞のように使われる一方、その適用基準が相手国によって異なっているのは今さら繰り返すまでもありません。別の国に侵攻したことで非難されることもあれば、日本も派兵して支援するケースもある、クーデターを非難される国もあればクーデター政権が即座に欧米からの承認を得る場合もまたあります。相手によって適用基準を変えるのが当たり前の国際秩序であるならば、犯罪の種類次第で(要するに性犯罪とそうでない犯罪とで)人権や推定無罪についての扱いが異なるのも当たり前のことになってしまうのかも知れませんね。

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この結果が今

2024-12-28 21:18:19 | 編集雑記・小ネタ

 

シートベルトは義務、ヘルメットは義務、マスクは任意

 

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お金の使い途

2024-12-22 21:56:40 | 社会

闇バイトか 中学生逮捕「クリスマスに遊ぶ金必要だった」埼玉(NHK)

埼玉県春日部市で高齢の女性からキャッシュカードをだまし取ろうとしたとして、「闇バイト」とみられる中学3年生の男子生徒が逮捕されました。調べに対し、「クリスマスに遊ぶためのお金が必要だった」などと供述しているということです。

逮捕されたのは、千葉県柏市の中学3年生の男子生徒で、警察によりますと16日夕方、春日部市の80代の女性から金融機関の職員を名乗ってキャッシュカードなどをだまし取ろうとしたとして、詐欺未遂の疑いが持たれています。

 

 巷を賑わす犯罪の報道頻度と実際の治安は必ずしも比例しないわけですが、とりあえず体感治安の方は急激に悪化しているのが現状でしょうか。いわゆる「闇バイト」の知名度も上がりましたけれど、それに応募する人も絶えません。引用元で逮捕された中学生曰く「クリスマスに遊ぶためのお金が必要だった」とのこと、未遂で終わったことを思えば動機はかわいらしいものです。30年前の中学生だったら窃盗や恐喝で稼いでいたイメージもありますが、現代と比べるとどうなのでしょうね。

 

歌舞伎町「立ちんぼ」逮捕は88人に 3割以上がホストクラブで遊ぶ金を稼ぐため(テレ朝news)

 警視庁は10月からおよそ2カ月間、集中取り締まりを行い、立ちんぼ行為をしていた50人の女を逮捕しました。

 1月からの逮捕者は88人に上り、中には未成年の16歳の少女もいました。3割以上が主にホストクラブで遊ぶ金を稼ぐため、路上に立っていたということです。

 

 自営の売春も「援助交際」から「パパ活」などと名前を変えて栄えてきましたけれど、それがエスカレートする中でとうとう「立ちんぼ」へと名称が先祖返りしてしまった印象を受けます。ずっと昔は生活のため、世の中が豊かになれば遊ぶ金のためと売春の動機も変遷を見せましたが、近年はホストに貢ぐためという動機が多数派を占めるようになりました。これも遊ぶ金の延長線上にあるのかも知れませんけれど、金を払う自分自身のためと言うよりも金を受け取る側のため、と少しばかり主体が異なっているようにも思えます。

 顧客に多額の売掛金を負わせ、その支払いのために売春を斡旋するような悪質ホストクラブについては風営法改正で罰則を強化する動きもあるわけですが、この辺の受け止め方には男女で違いが見られるイメージがないでもありません。総じて女性はポルノや買春する客の方を悪玉視する一方でホスト関係の問題には干渉したがらない、男性はその真逆みたいな傾向はないでしょうか? 男性目線だとホストに食い物にされる方がカネと尊厳の両方を奪われているイメージであるのとは裏腹に、一部女性目線だと尊厳の方はむしろ満たされていたりするのかも知れません。

 

三菱UFJ銀行元行員「大変申し訳ないことをした」貸金庫から客の資産10数億円盗み「投資などに流用」半沢頭取が謝罪会見(FNNプライムオンライン)

三菱UFJ銀行の女性行員が、約4年半に渡り、貸金庫に預けられた十数億円分にのぼる顧客の資産を盗み続けていた問題で、三菱UFJ銀行の半沢淳一頭取が16日午後会見し、盗んだ資産を「投資などに流用していた」と明らかにした。

半沢頭取は会見で、「信頼・信用という銀行ビジネスの根幹を揺るがすものと厳粛に受けとめており、お客様・関係者に心よりお詫び申し上げます。」と謝罪した。

 

 貸金庫からの盗難という被害の有無を第三者が確認することの難しい犯行とあって、この辺も話題性は十分なニュースです。頭取の名前が某ドラマを思わせるところもあってネタ要素も期待されますが、業界全体の信頼を揺るがす事態だけにジョークを差し挟む余地はなさそうです。なにはともあれ容疑者は約4年半と結構な期間にわたり十数億円?の資産を盗み続けていたと伝えられています。そして盗んだ資産の使い途は「投資などに流用していた」とのこと……

 闇バイトで稼いだカネはクリスマスで遊ぶため、買春で稼いだカネはホストに貢ぐため、そして貸金庫から盗んだカネは投資に回すため──どれも褒められた話ではありませんが、一番もの悲しいのは最後の「投資のため」でしょうか。遊ぶためという欲望に忠実な目的であれば、それは自制すべきであっても人の性と理解できないでもありません。欲は善です。カネを使うことで得られる喜びもあったでしょう。しかし投資はどうなのか、それは人間の根源的な欲望なのか、そこから得られるものは金銭以外にあるのかと思うところもあります。

 勤労から投資へ──岸田内閣は金融所得の倍増を掲げて「働いても稼げない分、税制で優遇するので投資で稼げ」と国民に訴えました。そうした中では投資にカネを費やすことこそが正しい生き方と、そう信じ込んでしまった人もいるのかも知れません。カネを消費して何かをするのではなく、カネを投資してカネを増やすことの方が目的にすり替わっている人もまた少なくないのではないでしょうか。貸金庫から顧客の資産を盗んだ行員もまた然り、カネを使って自らの欲望を満たすのではなくカネを投資してカネを増やすことが第一の選択肢だったとしたら、カネを対価として得られるものではなくカネそのが目的になっているとしたら、なんとも虚しい話です。

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イスラエルにとっては良い結果、シリア国民にとっては別の話

2024-12-15 21:33:43 | 政治・国際

 先般はシリアのアサド政権が瞬く間に崩壊してしまったわけですが、その後に待ち受けるものについて考えてみたいと思います。まず前提知識として、シリアには大別して5つの政権支配下に属さない勢力が割拠していました。ゴラン高原を不法占拠するイスラエル、クルド人問題を口実にシリア領内へ一方的に「緩衝地帯」を築いたトルコ、このトルコと対立するクルド人勢力、油田地帯に駐留するアメリカ軍とその傀儡勢力、そして以前はヌスラ戦線とも呼ばれていたシャーム解放機構(タハリール・アル=シャーム、HTS)です。ここでシャーム解放機構が驚くべき短期間で主要都市を制圧、アサド大統領はロシアへ亡命し新政権が樹立されようとしているのが今ですが、これから先はどうなるのでしょうか。

 シャーム解放機構が専らアサド政権の残党狩りに精を出している一方で、イスラエルはゴラン高原からさらに兵を進めて占領地を拡大しており、これに抵抗する勢力は見られません。トルコの傀儡勢力もまたクルド人勢力の支配地への攻勢を強めている他、アメリカ軍もISの残党云々を口実に要所への攻撃を行っており、シリアを取り巻く3つの外国勢力にとっては絶好機が訪れていると言えます。もしシャーム解放機構がシリア全土の支配を目論んでいるのならば外国勢力の侵略にも抵抗する必要があるはずですが、今のところその様子は垣間見えず分割統治を前提に裏で話が付いているのかと疑わしく思えるところすらあります。

 このシャーム解放機構はアルカイダに起源を持ち、国際テロ組織にも指定されています。イスラエルやアメリカ、トルコに好都合な現状を肯定的に見せかけようとする人々からは、既にアルカイダとは決別化した、現在は穏健化していると評されるところですが、実態はいかほどのものでしょうか。取り敢えず明らかになっているのは、アサド政権崩壊を好機と支配地域の拡大を目論むイスラエルやトルコの動きには何ら有効なアクションを見せていない、ということです。

 一方でアサド政権を支援してきた国々からするとどうでしょう。ロシアからすると、基地の租借に関する前政権との合意を新政権が引き継ぐか次第です。ロシアがアサド政権から得ていたのは単純に中東における軍の駐留拠点という「場所」であり、それさえ維持できれば大きな問題にはなりません。逆にシリア側からするとロシアからの食料や肥料は今後も必要になるだけに、損得で言えばロシアとの関係は維持したいはずです。しかし裏でアメリカ・イスラエル・トルコと取引が成立しているとすれば、食糧危機のリスクを無視してでも新政権がロシア軍排除に動く可能性は否定できません。

 そして苦境に追い込まれたのがイランであり、イランが支援してきたヒズボラ、パレスチナです。これまでイランはイラクとシリアを経由してヒズボラに物資を供給してきた、そのヒズボラがパレスチナを援護してきたわけですが、この供給ルートが遮断されることでヒズボラも孤立、ガザも孤立を避けられなくなりました。アサド政権の崩壊によって、中東におけるイスラエルとイラン・パレスチナの争いは前者が劇的に優位に立ったと言えるでしょう。

 

ドイツ代表どころか国も揺るがす“エジルとギュンドアン”の禍根(footballista)

 ところが、5月にエジルとギュンドアンが独裁的なトルコの大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンと面会した後、その融合が本当にうまくいっているのか、疑問視されるようになっている。国家主義的な考え方が広まり、右翼的な「ドイツのための選択肢」(AfD)が野党第一党となっている現在、最も関心の高いテーマである。

 問題となったのは、トルコ企業が用意したロンドンでのレセプションで、エジルと一緒にエルドアン大統領と記念写真に収まったギュンドアンが用意していたマンチェスターCのユニフォームに入っていた「私の大統領へ。敬具」というメッセージだった。

 「人権を無視し、ジャーナリストを監禁するような独裁的政治家へのシンパシーを表明しながら、ドイツの最も重要なチームのためにプレーするなんてとんでもない」という批判の声が上がれば、『ターゲスシュピーゲル』紙も「2人は、国を一つにまとめるということの価値を疑問視している」と指摘。さらに、アンケートに答えた70%の人たちが、彼らを代表チームに招集するべきでないと答えたのだ。

 

 これは2018年の記事ですが、ドイツ代表のサッカー選手でトルコにルーツを持つ二人がエルドアン大統領と記念写真を撮影したところ、ドイツ代表からの追放論が沸き起こりました。今では考えられないことですが、当時はエルドアンこそが欧米の認定する「悪」であり、そんな「独裁者」との関係は忌まわしいものと扱われていたことが分かります。しかし現在のエルドアン及びトルコの欧米からの扱いはどうでしょうか。今でもアサド政権崩壊を好機と隣国で支配地域を拡大しようとする国の大統領のはずが、非難らしい非難を受けることもなくなっているわけです。

 かつてエルドアンが非難されてきた理由の一つには、クルド人問題があります。エルドアン側の言い分としては、あくまでテロリストに限定して取り締まっているだけ、しかし欧米からはクルド人全般を見境なく弾圧しているものと、昔はそう扱われていたものです。とりわけ北欧のスウェーデンなどは、トルコからテロ組織として指定されたクルド人武装勢力(PKK)の関係者を数多く受け入れており、相互に非難し合う間柄でした。

 転機が訪れたのは2022年で、ここから欧米(及び日本)にとってロシアが最大の悪に変わったのは記憶に新しいところかと思います。さらにスウェーデンとフィンランドがNATOというロシア包囲網に加わるに当たり、既存加盟国の承認が必要になった=即ちトルコが首を縦に振る必要が出てきたわけです。その結果としてクルド人問題で欧米は折れた、エルドアン側の言い分が全面的に受け入れられ、スウェーデンは亡命してきたクルド人勢力の構成員をトルコに引き渡す結果となりました。ロシア包囲網を強化するため、クルド人は欧米から切り捨てられてしまったと言えます。

 この後、エルドアンを糾弾する声は欧米からは全く聞こえなくなりました。日本でも俄にクルド人バッシングが盛り上がり現在に至ります。かつては悪の独裁者であったエルドアンはNATOの価値観を共有する同志となり、国外のクルド人は迫害から逃れてきた民族から治安を乱す不法な移民へと変わりました。しかし変わったのはエルドアンでもクルド人でもないはずです。変わったのは欧米からの目線であり、二重どころでは済まないレベルで基準が動いた過ぎません。

 今、シリアではトルコの傀儡勢力がクルド人の支配地域攻略を目論んでいます。かつてはアメリカがクルド人勢力を支援しており、これが2022年よりも前であったら決して起こらなかったことでしょう。しかしトルコがスウェーデンのNATO加盟を承認するための取引として、クルド人は切り捨てられました。自称・国際社会こと欧米諸国の間では、今やエルドアン側の言い分が正しい、トルコが攻撃しているのはクルド人の中でもテロリストだけであり、決してクルド人全般を弾圧しているのではない、そういう風に決まってしまったわけです。

 アサド政権だってそんなものだろうな、と思います。アサドが強権的に取り締まってきた対象にはISILの構成員や外国の工作員もいる、ただイスラエルと対立しロシアやイランと協力関係にある、パレスチナを支援するヒズボラの補給ルートでもあったが故に、より大きな「悪」として描かれてきました。これが逆にアメリカやイスラエルの傀儡であったなら、評価は変わっていたように思います。もしアサド政権がアメリカに協力してヒズボラの供給ルートを断つ上で重要な役割を果たしていたのなら、彼が人道面で非難を受けることはなかったはずです。

 何はともあれアサド政権は打倒され、元・アルカイダのシャーム解放機構が首都を占拠しました。そしてイスラエルが南部から侵攻を続け、トルコがクルド人支配地域を自身の勢力圏に収めようとしている、油田地帯は引き続きアメリカ軍が駐留したままです。勝者(イスラエル、トルコ、アメリカ)と敗者(イラン、ヒズボラ、パレスチナ)は明確になりましたけれど、ではシリア国民は果たしてどちらに入るのでしょうね?

 イスラエルやアメリカにとって好都合な現状を肯定的に見せかけるべく、ここぞとばかりにアサド政権の非道を糾弾するメディアや論者は少なくありません。イスラエルやアメリカにとって良いことは、その国の住民にとっても良いことであると、そう信じている人もきっと多いのでしょう。ただまぁ独裁者が打倒されて欧米諸国から大いに賞賛されたはずのリビアなどでは、カダフィ時代よりもずっと酷い混乱状態が続いていたりします。アサド政権に問題がなかったとまでは思わないですが、その打倒がシリア国民にとって良いものであるかどうかは、少なくとも今の時点では保証できませんね。

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