非国民通信

ノーモア・コイズミ

残業のかたち

2019-03-17 23:26:16 | 雇用・経済

 先日、上司の替え玉で労働局に研修を受けに行ってきました。もっとも非正規社員に毛が生えた程度でなんの権限もない私ですから、雇用側の管理者向け研修を受けたところで、それを何かに使う機会が訪れるとは思えません。まぁ会社的には労働局主催の研修に参加した実績が出来たわけですから、これでいいのでしょう。

 基本的には雇用者向けの、労働法の話もあれば、その抜け穴を暗に示唆するような話もありました。会社側の言い訳がどのように作られているか、何処までなら労働局が目をつぶるか、察することができないでもなかったですね。一方で労働時間の考え方については例外的に、会社側の一般的な見解と労働局のそれとで、相違を見せる部分もあったのが幾分か驚きでした。

 労働局の講師が例に挙げたのが「懇親会」の扱いで、会社が業務として出席を命じたのであれば、それは会社の士気命令下にあるのだから労働時間に該当する、というものでした。しかし私は会社の上司だけではなく、労働組合の分会長からも、懇親会は上長から出席を命じられた場合でも勤務時間には当たらない、と説明を受けています。

 自分でも頷けるのは労働局の方で、上司及び組合の考え方は間違っていると確信しています。とはいえ労働局の見解の如何によらず、労働時間を管理し、そこに給与を払うべきかどうかを決定するのは――労働時間を短くカウントしようとしている会社の管理職や組合の方だったりするので、懇親会出席はいつだってサビ残です。

 まぁ一般論として出張にかかる移動時間なんかも労働時間にカウントされませんけれど、日の出前に家を出て、日付が変わった後に家に帰ってくる、そんな日程にもかかわらず労働時間にカウントされるのは8時間で残業は0の扱いだったりすると、徒労感は尽きませんね。これも実質的にはサビ残の内に入りそうなものです。

 ちなみにサービス残業以外にも「アピール残業」略して「アピ残」とか、ラマダンならぬ「ラマ残」とでも呼ぶべきものが、日本中の職場で存在するのではないかな、とも思っています。つまりは「頑張っています」「たくさん仕事をしています」とアピールするための残業等々。

 私の職場でも、毎日チャイムが鳴ると同時に駆け込んでくる人がいます。始業ではなく、終業のチャイムが鳴ると、ですね。時間外にもかかわらず仕事に忙殺されている自分をアピールすべく、終業時間となるや俄に走り出し、周りを巻き込んであれやこれやと打ち合わせのセッティングなどを始めるわけです。彼は努力の甲斐あって、課長に昇進しました。

 営業社員のように明確な数値が結果として出てくるのならいざ知らず、非営業社員ともなりますと評価の対象は専ら「心意気」となりがちですので、そうした普通の職場では残業してやる気をアピールするのが出世への最短コースです。仕事は終業のチャイムが鳴ってから、そんな日夜アピ残に励む人々が、管理職として大活躍しています。

 一方では日中の飲食を絶つことで苦しみを共にし連帯感を高める、そんな習俗のある宗教もあるわけです。では日本の会社ではと振り返ってみれば、会社に己の時間を捧げるという苦しみを共にすることで連帯感を高める、そんな文化があります。言うなればラマダンならぬ、ラマ残ですね。

 なおムスリムのラマダンは特定期間に限られますが、日本の会社のラマ残は――当面のところは終わる様子が見えません。もちろんラマダンがそうであるようにラマ残もまた強制ではないのですが、ラマ残に参加しなければ、異教徒として扱われます。苦しみを共にしてこそ仲間、それが今も昔も変わらぬ家庭的な日本企業の文化ですから。

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目次

2019-03-17 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2019/ 3/10

雇用・経済    最終更新  2019/ 3/17

政治       最終更新  2019/ 1/ 6

文芸欄      最終更新  2017/ 8/31

編集雑記・小ネタ 最終更新  2018/ 8/12

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賛同者も多いようではありますが

2019-03-10 21:54:04 | 社会

医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院(毎日新聞)

 東京都福生市と羽村市、瑞穂町で構成される福生病院組合が運営する「公立福生病院」(松山健院長)で昨年8月、外科医(50)が都内の腎臓病患者の女性(当時44歳)に対して人工透析治療をやめる選択肢を示し、透析治療中止を選んだ女性が1週間後に死亡した。毎日新聞の取材で判明した。病院によると、他に30代と55歳の男性患者が治療を中止し、男性(55)の死亡が確認された。患者の状態が極めて不良の時などに限って治療中止を容認する日本透析医学会のガイドラインから逸脱し、病院を監督する都は6日、医療法に基づき立ち入り検査した。

 

 日本維新の会の参院選比例区公認候補である長谷川豊氏は、かつて「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と主張して注目を集めました。結果として氏は当時出演していたテレビ番組から降板することとなったわけですが、その反面では一定数の賛同者がいたもので、だからこそ政党の公認も得られたと言えるでしょうか。

 さて今回報道の「公立」福生病院では、ある意味で長谷川豊氏の主張したことを実践していたようです。患者本人や遺族が最後の瞬間まで後悔しなかったかはさておき、医療費の公的負担は少なく済んだのかも知れませんね。また引用元では医師の主張も伝えられていますが、それを読むと医師側の強い信条あっての判断であることが分かります。

 

 センターの腎臓内科医(55)によると、さらに女性は「透析をしない。最後は福生病院でお願いしたい」と内科医に伝え、「息が苦しい」と14日に入院。ところが夫によると、15日になって女性が「透析中止を撤回する」と話したため、夫は治療再開を外科医に求めた。外科医によると、「こんなに苦しいのであれば、また透析をしようかな」という発言を女性から数回聞いたが、苦痛を和らげる治療を実施した。女性は16日午後5時過ぎに死亡した。

 外科医は「正気な時の(治療中止という女性の)固い意思に重きを置いた」と説明。中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があったという。外科医は「十分な意思確認がないまま透析治療が導入され、無益で偏った延命措置で患者が苦しんでいる。治療を受けない権利を認めるべきだ」と主張している。

 

 しかし医師の言う「正気」とは、いったい何によって担保されるのでしょう。人の気分なんて、いつだって変わるものです。180°主張を翻す政治家だって当たり前、生活環境の変化で考え方が変わるのも当たり前、何かのきっかけで認識が改まるのも当たり前です。しかるに一定時期の意思表示だけを「正気」と扱い変更を認めないとなると、いよいよ以て医師への警戒が必要になりそうです。

 総じて延命色の強い医療行為には否定的な風潮が支配的ではあります。終末期医療にかかる費用には諸々のデマも飛び交うところですし、健康な人の「延命治療は不要」という声を大きく取り上げて、実際に延命治療が行われている現場へ不要論を吹き込もうとする政治家やメディアも少なくないわけです。

 とはいえ、健康なときと危機的状況に見舞われたとき、そこで下される判断は同じなのでしょうか。健康なときほど「延命治療なんていらない」と、そう思う人が多いのはなんとなく頷けます。しかしいざ、死にそうになったときにも同じ感覚を持ち続けているのかどうか、そこは私には分かりません。

 ここで取り上げられている死亡した患者の場合も然り、まだ状態が良い頃と、実際に透析治療を中止して状態が悪化したときでは、考え方が変わっているわけです。ところが医師側は「状態が良い頃」に下された判断を「正気」によるものとして扱い、患者の延命を行いませんでした。これに医師は胸を張っているようですが……

 延命治療の否定は、概ね幅広い層から支持を得ていると言えます。現時点で健康な人の総意は、そうなのでしょう。しかしこれが個々人の見解から同調圧力へと変貌し、「健康でなくなったとき」に遍く適用されるようになる、そんな可能性の最先端をこの公立福生病院の事例は示しているように思います。

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まぁ消費税を止めるのが一番の解決策ですが

2019-03-03 21:57:28 | 雇用・経済

軽減税率、高年収ほど恩恵 中位世帯で年1万2千円(共同通信)

 財務省は1日、消費税率10%への引き上げ時に導入する軽減税率制度の家計への効果試算をまとめた。負担軽減額は収入が多い世帯ほど大きくなり、全世帯を年収別の5グループに分けた場合の恩恵額は年約1万6千〜約8千円、中位の3番目の世帯は約1万2千円となった。民間試算と同様の傾向が表れ、野党は低所得者対策としての効果を疑問視している。

 2018年の家計調査を基に、8%の軽減税率が適用される外食・酒類を除く飲食料品と、定期購読の新聞に対する支出総額を抽出して計算。1日の衆院財務金融委員会に提出した。

 

 これと似たようなことを主張する人は他にも色々いますので目新しさはありませんが、こんなものを大まじめに持ち上げる財務省も共同通信も、そして何より野党筋も相当にヤバいと思います。まぁ流石に失笑を買うことの方が多かったものの、消費税全般に関して「収入の多い人の方が消費税の負担額は多い!」と力説する人もいたわけです。今回のは、それのマイナーバージョンでしょうかね。

 消費の総額が大きければ消費税の負担「額」は多くなります(実際の負担者の曖昧さはさておき)。ゆえに、月収20万円で支出が20万円の人よりも、月収が50万円で支出が40万円の人の方が消費税の負担額は大きくなる、だから「高収入の方が消費税の負担額は多い」のです。同様に、軽減税率の恩恵を受ける「額」も高所得世帯の方が多いのだと、財務省並びに共同通信、野党筋は主張しているのでしょう。

 もっとも月収20万円の人に課される1万6000円の消費税と、月収50万円の人に課される3万2000円の消費税のどちらが重いかは、言うまでもなく別問題です。軽減税率の場合も同様、月収20万円の人への恩恵が1,000円で、月収50万円の人への恩恵が2,000円であるなら、共同通信の報じるとおり「軽減税率、高年収ほど恩恵」と言えますが、皆様この考え方をどう思いますか?

 人頭税的な発想に乗っ取るなら、「額」の面で恩恵の多寡を見るのも妥当なのかも知れません。しかしガラパゴス列島の外も含めた現代社会における税制の標準に倣うなら、見るべきは当然「額」ではなく「率」です。軽減税率によって恩恵を受ける「率」が低所得世帯と高所得世帯のどちらで大きくなるか、それに目を背ける財務省は前近代的に過ぎるでしょう。

 もちろん、この前近代的な人頭税に理想を見出している人もいて、そういう人ほど「低所得者のため」を装いつつ「軽減税率は高年収ほど恩恵が大きいのだ」「消費税は高年収の人の方が多く負担しているのだ」と、間違ったイメージを広めようと足掻いているわけです。鼻で笑うべきレベルの話ですが、そういう論理に野党筋が乗っかっているのは何とも……

 なお日本式の軽減税率に問題を見出すとすれば(過去に書いた記事の繰り返しとなりますが)、10%と8%と言う、微々たる差しか設けていないことですよね。最高税率は15%だけれど食料品は0%、みたいなヨーロッパ式の軽減税率とは全く違うのが日本式軽減税率で、わずか2%の差しかないのでは「国民の生活に配慮しました」というアリバイ作りにしかなっていません。軽減税率自体は負担軽減策として有意義ではあるものの、2%の違いを体感するのは難しいでしょう。

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当事者の声

2019-02-24 22:12:11 | 社会

親の体罰「法律で禁じる方がよい」46% 朝日新聞調査(朝日新聞)

 「しつけ」に名を借りた児童虐待が相次いでいることを受け、朝日新聞社は16、17両日の世論調査で、親による体罰を法律で禁じることの是非を聞いた。「禁止する方がよい」は46%で、「しない方がよい」の32%を上回った。

 親の子どもへの体罰禁止を明記した法律はない。相次ぐ事件を受け、国会では家庭内の体罰禁止を法制化すべきだという意見が出ている。

 体罰禁止の法制化の是非を男女別にみると、「禁止しない方がよい」は男性が40%と比較的高く、女性は24%だった。

 年代別では、子育ての当事者に近い世代で、法制化に慎重な傾向がうかがえた。40代以下は「禁止しない方がよい」が4割と高めで、中でも男性の30代と40代は半数以上が「禁止しない方がよい」と答えた。一方、70歳以上は「禁止する方がよい」が52%だった。

 

  「若者のため」と称して暗に高齢者向けの社会保障削減を正当化したがる人は結構いますし、それなりの支持を集めていたりするものですが、支持する側の属性はどうなんだろうな、と思うわけです。「親が自分で老後を考えているので自分には関係ない」とか「親の介護は他の兄弟がする」みたいに考えている人の意見は、参考にならないどころか反映させるべきではないとすら言えますから。

 さて日本は、ことあるごとに「子供を大切にしろ」と言いたがる社会です。ほんの僅かでも「子供を大切にしていない」と見られれば、即座に罵倒の嵐が飛んできます。とにもかくにも「子供を大切にしろ」という圧力の強い社会であり、それだけに子供との距離が最も近いであろう母親の負担が重い社会ともなっている気がしますが、少子化の進行との因果関係はいかほどのものでしょうね。

 当事者と部外者とでは発言の重みも意味合いも当然、変わってきます。どれほど部外者が「子供を大切にすべきだ」と居丈高に連呼したところで、実際に子供の面倒を見る人にとっては甲子園や国会のヤジと大差ないことでしょう。ただただ外野から「子供を大切にしろ」と叫ぶだけの人ばかりだからこそ、今の世代構成ができあがったのではないか、とも言えます。

 そして今回のアンケート結果ですが、いかがなものでしょうか。世代別で見ると体罰を法律で禁止する方が良いと回答したのは、70歳以上が最多です。しかし70歳以上の人間が現役で子供を育てているとは考えにくいところ、一方で現役の子育て世代に最も近いであろう30代は――体罰を禁止すべきと回答した割合は最低で、「禁止しない方がよい」との回答が上回ってすらいます。

 それほど大きな開きがあるわけではないにせよ、子育ての当事者世代ほど体罰に肯定的である、その禁止に否定的であることがわかります。他人の子育てを外から眺めている世代は、体罰を禁止して子供を大事に育てるべきだと考えている一方で、自ら子供を育てている世代は、必ずしもそうは考えていないわけです。世の中、そういうものなのかも知れませんね。

 後はまぁプライバシーの問題などあって色々と難しいのかも知れませんが、こういうのは世代別・性別ごとの調査だけではなく、家族構成なども含めて回答結果を調査できると、より参考になると思います。同じ30代でも子供がいる人とそうでない人、70歳以上でも子供・孫とは別居している人と二世帯同居で孫とも暮らしている人、あるいは自分の子供はいないが交際相手の実子と同居している場合等々、世代の中でも回答傾向に差は出そうですから。

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タブーと信仰

2019-02-17 21:59:54 | 社会

 よく日本(人)は無宗教、みたいな言い方をする人がいて、無知というのは恥ずかしいものだなと思うわけです。この辺は、戦前の論理が今に生きていると言いますか、靖国信仰を「宗教を越えるもの」として位置づけた、すなわち宗教とは別枠で扱ってきた感覚が根付いているせいなのかも知れません。

 

韓国議長「天皇の直接謝罪で慰安婦問題は解決できる」(朝日新聞)

 韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長は7日に行われた米ブルームバーグ通信とのインタビューで、日韓の懸案である慰安婦問題について、天皇が元慰安婦に直接謝罪をすれば解決できるとの考えを示した。同通信は、文氏が天皇を「戦争犯罪の主犯の息子」と呼んだとも報じたが、インタビューに同席した国会報道官はこの表現は否定している。

 同通信は文氏に対するインタビュー記事を8日に、英語と日本語で配信した。それによると、文氏は「(元慰安婦への謝罪は)一言でいいのだ。日本を代表する首相か、間もなく退位される天皇が望ましいと思う」と主張。さらに、「その方(天皇)は戦争犯罪に関わった主犯の息子ではないか。おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」と語ったという。

 

 「何に対する言及が冒涜として扱われるか」を見れば、その社会における宗教が分かる、と言えます。この韓国議長の発言への日本側の反応を見れば、日本の宗教及び信仰のよりどころが何処にあるかは、一目瞭然ではないでしょうか。天皇とは、日本社会におけるローマ教皇でありムハンマドのようなものであり続けているわけです。

 平成天皇とは呼ばずに今上天皇などと書かれているのを目にすると、あたかも肖像画を描くことが信徒の間で禁忌とされている類いを思わずにはいられないのですが、ともあれ少なからぬ日本人にとって天皇とは、今もなお神聖にして不可侵な存在であるようで、日韓関係は悪化の一途にあると伝えられています。

 なお私としては、韓国議長の認識には誤りがあると考えます。曰く「(天皇が)おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」とのことですが、そんな簡単な話ではないでしょう。結局のところ日本と北朝鮮との拉致問題のように、国家(政府)間での手打ちが行われたところで個人の恨み辛みは消えない、天皇の謝罪で納得する人もいれば、そうでない人だっていくらでもいるはずですから。

 ただ天皇による謝罪が問題を解決しないとしても、そうする必要がないかと言えば別問題です。戦後、天皇の戦争責任は「なかったこと」にされてきました。これは宗主国アメリカの公認を受けたことではあるのかも知れませんが、当然ながら欺瞞でもあります。日本側が本当に戦時下及び占領下での加害行為を反省しているならば、こうした欺瞞を続けて良いはずがないでしょう。

 日本側として、自分たちは誠意を持って被害国に対応したと言いきれるようになるためには、やはり天皇の戦争責任を認める必要があります。昭和天皇一人の責任ではないとしても、決して昭和天皇に責任がないわけではない、天皇もまた戦犯の一員として被害者に償わなければならない、そうした認識なしに未来へと進むことは出来ません。

 「象徴化」というトリックによって、天皇の政治発言は良くも悪くも封じられてきました。その禁を部分的に破って出てきたのが生前退位だったりもするわけですが、この退位を巡るやりとりを見るに、どうやら天皇自身と「天皇を担ぐ信徒」の意思には少なからぬズレがあることがわかります。

 時代を遡っても、「朝敵」とされた会津藩主の松平容保と、「尊皇」を掲げて討幕運動を繰り広げた人々とでは、むしろ後者の方が天皇自身の意思を問わない、むしろ自身の正当化のために天皇を利用したがる傾向が見られました。その辺は現代も変わらない印象ですけれど、果たして平成天皇の戦争認識はどれほどのものでしょうね。

 制度上、天皇の発言には色々と制約があります。自身の意思を通すよりも、日本政府の意向に沿って発言してきたことの方が多いでしょう。そして日本政府の公式見解としては、天皇に戦争責任はないことになっています。だから、天皇の謝罪などあり得ない、それを求めるのは冒涜になってしまうわけです。果たして天皇自身は何を思っているのか、直訴ならぬ直撃インタビューでもやってみる人がいれば面白いですけれど――信仰の対象は敬遠されるのが常でもあります。

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どうしたらいいのかはわかりません

2019-02-10 22:05:36 | 社会

 子供の虐待死事件は定期的に出てきますが、昨今は児童から相談を受けたはずの学校や児相の対応が目も当てられないほど杜撰だったりして、いつも以上に注目を集めているようです。「専門家によると、虐待のリスクを高める行為」云々みたいな報道もありますが、「誰が見ても」明らかに児童を見捨てに行ったとしか考えられない対応のオンパレードですから。

 まぁ本気で虐待の問題に対処したくて教員や児相の職員になった人なんていないでしょうし、特別な危険手当を貰っているわけでもないと来れば、児童よりも自身の身を守る方が優先されるのが致し方ないのかも知れません。いじめの問題なんかも然り、下手に介入すれば今度は教員がいじめのターゲットにされることもある、ならばいじめを黙認する方が安全等々。

 この辺、治安が一定の域を超えてしまった国での警察みたいみたいなもので、下手に動くよりもマフィアの裏金を受け取った方が身の安全を守れる――といった判断が成り立つような状況にあるとも言えそうです。「たまたま」死人が出れば警察も動く、そうなれば色々と調査されますが、それは氷山の一角であり、大半は被害者の泣き寝入りで「片付いて」いるのだと思います。

 しかし、これだけ少子化が進んでいる、生涯未婚率も上昇している時代に妻子がいるというのは、それなりの恋愛エリートだとも考えられないでしょうか。子供なんていない、付き合っている相手なんていない、そういう人が珍しくない現代日本に妻と子供がいるのは、「普通以上」と目されるべきではないか、そんな印象もあったりします。

 「レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と、伝説の迷言を残した元大臣がいますけれど、児童虐待に関してはどうなんでしょうね。異性交遊に興味を示さない人も増えれば、子供を持たない人も増えた時代ですから、何かの拍子にろくでもないことを言い出す人がいても不思議ではないような気がしないでもありません。

 とりあえず自分の住む地域ですと、病院でも図書館でもパン屋でも、どこでも子供が元気にかけずり回っていますので少子化など微塵も体感できなかったりしますし、今も隣家からは母親とおぼしき女性の叫び声と子供の金切り声が聞こえてきます。通報のラインって、どの辺なんだろうと考えることも偶にありますが――たぶん通報したら、私の方が「子供の声に狭量な問題のある大人」として糾弾されると思います。

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評価されるための能力

2019-02-03 21:28:48 | 雇用・経済

 離職率の高い会社――というものは、どこにでもあると思います。私の勤務先も、例外ではありません。まぁ、離職者がいるから中途や通年での採用(=穴埋め)があるのです。中途でも入社できる会社とは、その分だけ辞める人もいる会社であることは覚悟しなければならないのでしょう。しかしながら、一口に離職率が高いと言っても、その実は「部署次第、配属次第」となっているところもあるようです。

 上司の資質次第で部下の離職率が変わるのはもちろんのことですが、配属される「職種」によって離職率は大きく異なるものではないでしょうか。極限まで単純化すれば「営業は離職率が高く、事務系は離職率が低い」等々。とかく「ブラック企業」とは一括りに扱われがちですが、より細かく見ていけば「ブラック部署」「ブラック職種」もあるのかな、と思いますね。

 面白いのは、離職率の高い営業という職種は求人も多く採用基準も緩めだったりすることです。「営業として働き続ける」ことのハードルは高いのに、不思議と「営業として採用される」ハードルは低い、どうしたものでしょう。反対に事務系職種は、採用に関しては圧倒的な狭き門です。しかし事務系職種の離職率は営業よりずっと低かったりするのを考慮しますと、「事務として働き続ける」ことは、そう難しくないように見えます。採用のハードルは、あんなに高いのに。

 そこで私が考えるのは、「採用に当たって求められる能力」と「実際に働く際に必要な能力」は一致しない、と言うことですね。営業として採用されるためには、そんなに特別な能力をアピールする必要はない、しかし営業として活躍するためには相当に高度な能力が求められる、反対に事務職として採用されるためには特別な人材を装う必要があるものの、入社してしまえば平凡以下でもなんとかなる……

 覚えている人も多いと思いますが、理化学研究所のユニットリーダーとして活躍した小保方晴子さんという人がいるわけです。同世代の研究者の間では最も出世していた人の中に数えても良さそうな人ですけれど――諸々の不正が発覚して職を辞することにもなりました。彼女の研究者としての資質については当然ながら疑問符が付きますが、しかし彼女と同年齢で理研のユニットリーダーの地位を得られる人が、果たしてどれだけいるでしょうか? 研究者の資質は欠いていても、採用される能力、昇進する能力、人から評価される能力は、世代のトップクラスであったと言えます。

 逆に小保方さんよりも研究者として真っ当な人は多々いると思いますが、その中には理研なんて夢のまた夢、ポスドクに収まることが出来ればマシな方、就職(採用)とは無縁で不遇を託っている人も数多いるはずです。ヨソの国はいざ知らず、我々の社会とは、そういうものなのかも知れません。

 「今の若い人は、みんな本当に英語が上手なんだよね」と会社の偉い人が言っていました。採用に携わるような人の感覚からすれば、そうなのでしょう。残念ながら私は採用には関与しませんし、職場で英語を使う機会が皆無なので、若い人の英語力を知る機会がなかったりします。まぁ職場で英語が必要になる機会はなくとも、採用に当たっては英語力をアピールする若者が多いと推測すれば辻褄は合うでしょうか。

 昨今はどこの大学も(就活でアピールすべく)英語重視に拍車がかかっている他、中学や高校入試ですら「試験は英語一教科のみ」とする学校が出始めていると聞きます。アメリカやイギリスに行けば、落第生や失業者でも英語なんて誰でも話せる気がしますが、日本人にとって「とにかく英語力」というのは定番のようです。

 しかし英語力が自慢の新卒者が実際に就業して、得意の英語を活かして大活躍できるかと言えば――99%以上の若者は失望を味わっているだろうな、と思います。「グローバル」を掲げたがる会社は多くても、本当のグローバル企業は一握り、普通の人が就職するのはドメスティックな企業ですから。ただ、そんな英語を使う機会のない会社でも、就職の際に求められる能力として英語は重要なのでしょう。

 まぁ、国内市場をターゲットにする会社でも、昨今は外資系企業との取引は増えています。外資系企業の、日本語を介さない担当者を相手に営業をかけるなら、英語力が問われるのかも知れません。しかし私が注目したいのは、「現地の言葉を介さなくても要職に就いている人が(外資系企業には)普通にいる」と言うことですね。

 日本には、「日本語に不自由しない人」が1億人くらいいます。しかし日本語が巧みであれば日本で活躍できるかと言えば、そうもいかないわけです。逆に、日本語が不自由でも外資系企業の要人として活躍している人は、いくらでもいます。ではヨソの国に舞台を置き換えてみればいかがでしょう。英語が巧みでありさえすれば「世界で」活躍できるのかどうか、逆に英語が不自由でも活躍している人はいるのかいないのか等々。

 日本企業に就職する上では英語力が大いに問われる時代になりましたが、それもまた実際に働く上で必要な能力と、ただ就職するためだけに必要な能力との、深刻な乖離を象徴しているように見えます。とにかく採用面接の場面で自分をアピールする能力だけは高い、上長から評価を得て昇進する能力だけは高い、そういう人が会社で地位を高めていった結果、日本経済は上向いたのか、あるいは凋落していったのか――我々の社会はどちらを向いているのでしょう。

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私が受験生なら千葉大は志望しない

2019-01-27 21:54:16 | 社会

千葉大、海外留学を必修化 2020年度から全入学者に(朝日新聞)

 国立千葉大学は24日、2020年度以降の学部・大学院の全入学者を対象に、原則として1回の海外留学を必修化すると発表した。千葉大によると、学部生は計約1万人、大学院生は計約3500人。文系・理系をとわず「全員留学」を義務付けるのは、全国の大学でも極めて先進的な取り組みだとしている。

 千葉大は、発信力や自己表現力・コミュニケーション力を備え、世界で活躍する「グローバル人材」の育成を進めたいとしている。そのために、16年度に設けた国際教養学部で必修化した「全員留学」を全学に広げることにしたという。

 学部生の留学期間は、最長2カ月程度。同大は現在も海外留学用のプログラムを備えているが、「全員留学」に合わせ、語学や異文化学習から専門研究まで新たなプログラムを拡充する。大学院生は、研究内容を中心に自分でプログラムや期間を考えるようにする。留学を支援するため、担当教職員を設けるほか、外国人教員を新たに配置し、英語による専門科目も開設する。

 提携校に千葉大のプログラムで留学する場合は、大学が授業料などを負担する。財源を確保するため、大学側は経費節減を進めて収支状況を見直した上で、20年度からの新入生の授業料の見直しも検討するという。授業料が一定程度値上げとなる可能性もある。

 記者会見した徳久剛史学長は「グローバルな人材育成には、実際に海外での経験が必要。異文化を学んで、本人の将来を決めるスタートにしたい」と話した。(寺崎省子)

 

 まぁ大学の就職予備校化が指摘されて久しいわけですが、これなどはどうでしょうか。自称「極めて先進的な取り組み」とのことですけれど、確かに就職予備校としては先進的なのかも知れませんね。曰く「発信力や自己表現力・コミュニケーション力を備え、世界で活躍する『グローバル人材』の育成を進めたい」だとか、なるほど日本企業のウケは良さそうです。

 この千葉大が称揚する「発信力や自己表現力・コミュニケーション力」とやらは、いかにも日本企業が求人の際に並べ立てる決まり文句のようにしか見えないのですが、これを備えれば「日本の外で」活躍できるのか、私は疑問です。「グローバル人材」を求める日本企業はいくらでもありますけれど、それは日本の外で求められる人材に合致するのでしょうか?

 全員留学を義務づけると言うことで、学生の志望は考慮されないようですが、しかるに「最長2カ月程度」なのだそうです。では「最短」なら、果たして何日程度になるのでしょうね? いずれにせよ、1週間でも2週間でも2ヶ月でも、その程度では留学というより「旅行」と呼んだ方が適切に見えます。「留学経験」と称すれば就活には有利になりそうですけれど……

 そして「英語による専門科目も開設する」とのこと。これもいかにも流行に迎合した感じですが、むしろ私としては「大学に行ってまで英語の勉強なんてするな」と言いたいです。使える言語が増えれば人生の選択肢は増えますけれど、しかし英語なんて大学に行かなくても勉強できます。それこそ運転免許と同じで、就職の際には問われても、大学でやらねばならないことかと考えれば、そこにも疑問を感じるわけです。

 運転免許は自動車教習所、英語は英会話学校に任せて、大学には大学でしか出来ないことを期待したいところですが、就職に強い大学、補助金をたくさんもらえる大学を目指す上では、そうも言っていられないのかも知れません。ただ大学で学べる4年間――まぁ「真面目に」就活すれば正味は2年半ぐらいでしょうか――は本当に短い貴重な時間です。英語はいつでも勉強できますが、大学生でいられる時期は僅かしかないはずです。

 もちろん1ヶ月なり2ヶ月なりの、長めの海外旅行でも得るところはあるのでしょう。フランスのように長期のバカンスが制度化されている国なら、大学卒業後でも同様の「留学」は可能ですが、日本の就労環境では色々と難しいわけです。ならば学生の夏休みや春休みを利用した留学ごっこも悪くない経験なのだと、そういう意見もありそうです。

 ただ、短い学生生活の中「もう日本の大学では学べることがない」ならいざ知らず、学部や修士のヒヨッコならば、他にいくらでもやれることがあるような気がします。本当に先端的な研究をやりたいなら、日本にとどまってもいられないでしょうけれど、圧倒的多数の学生は、当然ながらその域に達することはありません。海外に行かなければ学べないのか、それとも国内でまだまだ学ぶことがあるのか、それは考えられるべきです。

 後はまぁ、逆の立場で考えてみることですね。海外出身の学生で、自国の大学では日本語で授業を受けていたのが自慢で、日本には2ヶ月程度「留学」したことがある、とりあえず日本語は得意――そういう人が「グローバル人材」を称して日本での就職を希望していたらどうでしょう。少なくとも私が採用担当者だったら、ちょっとアピールが足りないと感じます。

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そのまま潰しちゃって、どうぞ

2019-01-20 21:46:14 | 雇用・経済

 太平洋戦争の時代、牟田口廉也という将校がいました。その大胆にして苛烈な戦略によってビルマ方面の日本軍を壊滅させたことでも知られているわけですが、名前からも分かるとおり日本の人です。当時は陸軍の中将という高い地位にいたこともあり戦後はA級戦犯として指名されたものの、連合国の勝利への貢献を認められたのか、あっさり不起訴ともなっています。

 この「無能な味方こそ最大の敵」と呼びうる状況は、現代でも普通にある話だと思います。組織の癌だった人が異動して、人員の補充がないにもかかわらず仕事が円滑に進むようになった――そんな経験をしたことがある人も多いでしょう。むしろ牟田口が暗殺でもされていれば、日本側の被害は減り、連合国側が苦戦するようになる、そんな可能性すらあるわけです。

 

経団連を標的、中国人ハッカー集団 ウイルスは2年潜伏(朝日新聞)

 経団連が被害を受けた不正アクセス事件に、米司法省が「中国の国家安全省と関連している」と断定した中国人ハッカー集団「APT10」が関与していた疑いがあることが、朝日新聞社の取材で分かった。経団連に仕掛けられたウイルスの種類や外部通信先が、ハッカー集団を追跡している英国政府機関などの調査結果と一致した。

(中略)

 一方、日本の経団連が被害を受けた事件は16年11月に公表された。朝日新聞が入手した内部資料によると、日中間の経済協力を担当する部署が狙われ、14年7月に外部から届いたメールを開いた職員のパソコンがウイルスに感染。それから2年以上にわたり、パソコンやサーバーに感染を広げながら潜伏していた。サーバーに保管されていた、日本政府とのやりとりに関するファイルなどにウイルスがアクセスした痕跡があったが、情報が実際に盗まれたかどうかは、特定に至らなかった。

 

 経団連と言えば、昨年に「初めて」会長室へパソコンを設置したことで話題にもなりました。我が国のサイバーセキュリティ担当大臣である桜田義孝氏も、自身ではPCを使ったことがないと明言しており、仏APF通信などからは「どんなハッカーでも桜田大臣から情報を盗むことは不可能」と賞賛されています。辣腕の中国ハッカーにとっても日本の偉い人々は、なかなか手強いに違いありません。

 まぁパソコンがなくてもスマホがあれば侵入経路になりますが、しかし侵入したとしてもどうなのでしょう。そもそも経団連は日本にとってどのような存在なのか――中国ハッカーからの不正な侵入があった14年よりもずっと昔から、独自の経済理論に則り、かつては世界一だった日本経済を完全に失墜させる上で大きな役割を果たしてきたのが経団連ではないか――そう思わないでもありません。

 日中戦争における中国側の「正解」は、冒頭で挙げた牟田口のような無能を放っておくことです。無能な司令官を暗殺でもして、代わりに無難な将校が後任にでも就いたら、それこそ失敗と言えます。経団連を相手にした場合でも然り、もし中国側が日本の経済界を敵視し、それを打倒しようと考えるなら、経団連には自由に行動させるのが一番でしょうね。

 とは言えトランプやその同類には見えていないことながら、自国のビジネスの発展には取引先の発展もまた必要です。事業縮小中の会社と事業拡大中の会社、営業をかけるべきはどちらなのか、迷う余地はありません。そして中国にとって日本は極めて重要な顧客でもあります。日本という顧客の購買力が落ちれば中国の輸出にも負の影響があるわけですが、それを防ぐには――日本経済を明後日の方向に導こうとしている団体をどうにかするのが良策となるのかも知れません。

 まぁ不正なアクセスなんてものは当然ながら褒められた話ではないですけれど、褒められた存在でないのは経団連だって同じです。日本で働く人々にとっては癌でしかないイデオロギー集団が、どのような被害に遭おうとそれが国民の損になることはないでしょう。むしろ、ゴミ掃除みたいなものです。頑張れ中国。

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