非国民通信

ノーモア・コイズミ

Boys be strong

2023-11-19 22:06:53 | 社会

「男性専用車」登場 知ってほしい痴漢冤罪の不安 18日に都電荒川線(産経新聞)

 11月19日の国際男性デーを前に、NPO法人「日本弱者男性センター」が18日、東京さくらトラム(都電荒川線)を借り切って、「男性専用車両」を走らせる。「異性からの性被害」や「痴漢の冤罪(えんざい)被害」など男性も電車内で不安や恐怖を抱えていることを社会に伝えるイベントで、担当者は「趣旨に賛同してもらえるなら性別問わず乗車できる。真の男女平等を考える機会にしてほしい」と呼びかけている。

 昨年の国際男性デー、父の日にちなんだ今年6月に続き、今回が3回目となる「男性専用車両」の運行。

 主催する同センターは、社会的に弱い立場にいる男性を支援するために結成された団体だという。

 

 第一印象としてはミソジニストのジョークみたいにも感じたところですが、これを実現させた人がいるようです。大半の人はネットで悪口を言っているだけで完結する中、NPO法人を設立し、公共交通機関を貸切にしてまでイベントを開催しているあたり、その行動力は賞賛されるべきでしょうか。親から継いだ家業でもないのに政治家になれるのは、こういう人なんだろうなと思いました。

①痴漢の訴えも死刑判決も、いずれも冤罪の可能性がある
②痴漢の訴えには冤罪の可能性がある、死刑判決は正しく犯人を裁いている
③痴漢の訴えに間違いはなく捕まっているのは犯人、死刑判決には冤罪の可能性がある
④痴漢の訴えも死刑判決も、正しく犯人を裁いている

 ……痴漢と死刑、冤罪を巡っては概ね4通りの世論があると言えます。感覚論としては②と③の合計が①と④の合計を大きく上回る印象ですけれど、いかがでしょう。痴漢に関しては冤罪の可能性を声高に叫ぶ一方で死刑執行に関しては異議を持たない、逆に死刑判決については冤罪の可能性を指摘する一方で痴漢に関しては被疑者を犯人と同一視することに何の躊躇もない、そんな人々を随所で見かけます。

 殺人と性犯罪のどちらが重いかと言えば前者のはず、しかるにフィクションの中で人を殺しても有害図書指定を食らうことはまずあり得ないのに、フィクションの中で性犯罪を描写すれば販売に制限が課されたりします。「性」が絡むと基準は揺れ動く、ある意味で面白い話です。日頃は推定無罪の原則を支持している人が、性犯罪を裁く法廷で「疑わしきは罰せず」の判決が下るや怒りを露にする等々、性とはかくも不思議なものと言えます。

 まぁウクライナのクーデターは無条件で受け入れながらミャンマーのクーデターには制裁措置で応じたり、ウクライナの反転攻勢には拍手喝采しながらハマスの反転攻勢にはテロ行為とレッテルを貼って非難する等々、その時々でスタンダードを使い分けるのは人権を重んじる西欧諸国では当たり前のことです。一介の民間人が性の絡む犯罪とそうでないものとで矛盾した主張を繰り出したところで、決して驚くような話でもありません。

 なお私が女性専用車両に言いたいこととしては「空いている女性専用車両にお回りください」でしょうか。どうも男性専用車両以前に女性専用車両だって需要は決して大きくない、わざわざ女性専用車両に乗ろうとする女性は多くない現実があります。一つ隣の車両が女性専用車両で空いているにも関わらず、混雑する「共用」車両に体をねじ込んでくる女性を見ると男性としては苛立ちを覚えるのですが、当の女性からすれば女性専用車両など知らない、空いていようが混んでいようが乗りたい車両に乗る、という感覚なのだと思います。

 女性専用車両ですら他の車両より乗る人が少ないことを鑑みれば、男性専用車両なんて尚更に需要は少ないことでしょう。でもまぁ、利便性の話ではなく主張として訴えるだけなら尊重はされるべきなのかも知れません。あるいは男性専用車両が女性専用車両のように他の車両よりも空いた車両になるのなら、私は乗りたいです。男性専用車両だろうが女性専用車両だろうが日本人専用車両だろうが、結局は空いている車両が一番ですから。

 それはさておき痴漢を「する」か「しない」かは自由に選ぶことが出来ます。そして大半の痴漢など「しない」人にとって被害者の訴え一つで事実上の犯人認定される、私人逮捕に等しい状況に追い込まれる現状はどう映っているのでしょうか。そこで冤罪が生まれる可能性がどれほど低いとしても、痴漢「しない」人にとっては純然たるリスクでしかないはずです。被害者の主張を信頼し第三者による犯行の立証を省略することにはメリットもあるのかも知れませんが、それを享受するのは痴漢「しない」ひとではありません。

 ちなみにこちらは私の通勤風景です。よく「女性を狙ってぶつかってくるおじさん」なんてのが話題になりますけれど、吹けば飛ぶような男性に対してはぶつかってくる女性も珍しくありません。男も女も、そんなに違いはないと電車に乗る度に痛感します。人間の世界は弱肉強食、「弱い」人間は蔑ろにされるものなのでしょう。痴漢されることが多いのはセクシーな女性ではなく、「弱そうな」女性だというのが定説です。それが人間の世の中なのだと思います。

 一方2006年には特急内で周囲の誰からも制止されることなく女性を強姦したなんて事件が話題になりました。痴漢も被疑者が「弱そう」なら告発するのも容易い、周囲の乗客も喜んで身柄の拘束に協力してくれるものですが、被疑者が「強そう」だと誰もが沈黙してしまうのでしょう。私が教育者であったなら、巣立っていく生徒達には"Boys be strong"と伝えるところです。痴漢されたくなければ強くあれ、痴漢の被疑者として名指しされたくなければ強くあれ、これが日本の現状です。

 少し前には「上級国民」なんて言葉が流行りました。権力という「力」を持った人であれば警察からも手心を加えられる、少なくとも他人からそう見えているところがあるわけです。暴力なり権力なり、「力」のある男性であれば、自らが痴漢の被疑者として告発されるリスクは小さい、警察や駅員も自信の釈明に耳を傾けてくれると感じていることでしょう。しかし力のない「弱い」男性からすると、もし自身が痴漢の被害者として告発されたら周りは誰も助けてくれないとの確信がある、それが「弱者男性」と女性の意識の違いにも繋がっているのかも知れません。

 男性専用車両云々はナンセンスとも感じますけれど、まぁ現状が良いものではないというところは共感できます。痴漢が多発するのも問題ですし、推定無罪の原則が適用除外となるのも問題です。おかしな話は、いくらでもあります。そもそも衆人の監視が行き渡らないほどの混雑が容認されたまま、コロナ禍の一時的な乗客減にかこつけて減便されたおかげで痴漢はやりやすいまま、というものいかがなものでしょうか。もちろん被疑者が「強そう」なら無意味とも言えますが、混雑緩和は対策として第一に挙げられるべきです。

 あるいは被害者が犯人を捜し、被疑者が自信の無罪の証明を求められるというのが前時代的とも言えます。被害者は自らの被害を訴え、第三者が公正に犯人を捜し、検察が有罪を立証、それが適切に行われなければ罰せず──というが本来の司法であるはずです。「この人痴漢です」と誰かを犯人として名指す行為と「私は痴漢されてます」と庇護を求めるのでは全く違いますが、しかるに現状は被害者の保護と犯人を罰することが現状は不可分になっているのではないでしょうか。被害者を無条件に保護しつつ被疑者はあくまで推定無罪の原則に沿って扱う、そもそも誰を被疑者とするかは第三者が公正に判断する、というのが正しいように私には思われるのですが、現代の運用は実に野蛮です。

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