非国民通信

ノーモア・コイズミ

結果はさておき

2024-07-07 21:06:23 | 政治・国際

 このブログでは取り上げませんでしたが、東京都知事選挙が終わりました。私は千葉都民の子として生まれ自らも千葉都民として生活しているわけですけれど、残念ながら東京都の選挙権はありません。選挙権は居住地を基準に割り当てられるものですが、しかし多くの千葉都民にとって自分の生活に直結するのは千葉の政治なのか東京の政治なのかは一概に言えない気がします。その他、たまたま転勤で赴任しているいるだけの地域の選挙よりも自分の故郷の政治の方が関心がある、そんな人も多いことでしょう。ふるさと納税のような悪法がまかり通る時代であれば、むしろ選挙権を行使する地方を国民に選択させるぐらいのことは考えても良いかも知れません。

 それはさておき、今回の都知事選には過去最多の56人が立候補しました。多少なりとも現職と競れる見込みのある人もいれば、勝機はなくとも候補者なりに訴えたいことがありそうな人もいる、ただ同じ政党でありながら複数の候補を乱立させたところもあり、売名を疑われている人も少なくないようです。かつては日本の供託金を「高い」と批判する声の方が大きく取り上げられがちでしたが、実際は供託金を「安い」と判断する人の方が多数派で、その結果が今回の候補者56人に結びついたと言えます。

 実際のところ、立候補することで得られる露出の機会を考慮すれば300万円という供託金は格安なのかも知れません。東京都民しか投票できない選挙でありながら関心は全国から向けられる、僅か300万円で日本全国へ名前を売ることが出来るのであれば、十分に元が取れると判断する人も多かったのでしょう。そして制度の穴を突き、候補者を乱立させて獲得したポスターの掲示スペースを、寄付を募るという名目で実質上の販売を行った政党もあるわけです。

 

都知事選「ポスター枠」を55万円で購入した男性 「生後8カ月のわが子」をポスターに掲載した理由(AERA dot.)

 6月20日に告示された東京都知事選は候補者の「選挙ポスター」が物議をかもしている。ほぼ全裸の写真や風俗店のポスターが貼られ、一部候補者や政治団体が警視庁から警告を受ける事態に発展した。さらに、ある政治団体は候補者を乱立させ、そのポスター枠を事実上「販売」していることも波紋を広げている。“売名”など本来の目的とは異なる形で掲示板が利用されており、対策を求める声も出ている。では、ポスター枠を“買う”側は世間からの批判に何を思うのか。「55万円」でポスター枠を買った男性に取材した。

「掲示板ジャックに参加したのは、都知事選の判断材料として有権者の皆さまに私個人の主張を伝えるためです。マスメディアの情報はどうしても偏りがちですし、(公の場で)一個人の意見が取り上げてもらえる場は限られています。こうして名もない一個人が主張できる機会を得られたので、私はお金を払ってポスターを出したのです」

(中略)

 だが、道理としては、自らが都知事選に立候補して堂々と有権者に政策を訴えればいいはずだが、男性はなぜそれをしないのか。

「私が立候補すればいい、考える人はそういないのではと思います。人には能力がありますし、分相応ということもあります。私は緊張しやすいですし、人前でうまく喋れるタイプではありません。都民だったとしても立候補など全く考えられません」

 

 先般はアメリカ本土でバイデンとトランプの討論会が行われ、バイデンが大きく評価を落としました。ただ、主張の中身は大差ないもので、政策面でバイデンがトランプに劣っていたとは一概に言えません。それでもトランプ勝利と評価する人が多数派を占めたのは、バイデンの振るまいが顕著に老いを感じさせるものであったからです。政治家の評価を決めるのは政策よりもキャラクターの強さによるところが大きい、政策面では五十歩百歩でも意気軒昂な70代と衰えの顕著な80代とでは前者が票を集めてしまう、そういうものでしょう。

 だから、ここで「ポスター枠を買った」人に私は共感するところもあります。政策はある、主張もある、しかし政治家に転身するつもりはないし、そのために人前に出るだけのタフさはない、そんな人は多いはずです。こうした従来は広く伝えられる機会のなかった人々の声を表に出す機会として、今回の掲示板ジャックは一つの「穴」であったのかも知れません。現行の選挙制度の趣旨とは異なる手順で行われたことではありますけれど、一概に否定できたものでもないというのが私の評価ですね。

 ついでに言えばNHK党の露出戦略には全否定できないところもあります。結局のところ候補者を立てていかなければ党の主張が有権者に届くことはなく、勝算に乏しいからと他の党に道を譲っていれば、その党は次第に忘れられてゆくだけです。だから現行の共闘路線を継続している限り、共産党は議席を減らしいずれは社民党と同じ末路を辿ることでしょう。野党共闘は、共産党を憎む人こそが追求すべき路線です。当の共産党サイドは「我々は社民党とは違う」と思い上がっていると推測されますが、いずれは後悔する日が訪れると私は予言します。そうなる前に路線を修正できるかが運命の分かれ道ですね。

 ちなみに東京都知事選ですが、「良い」候補が当選すべきか「悪い」候補が当選すべきか、迷うところがあります。日本全体で俯瞰してみた場合、東京一極集中と地方の衰退は当然ながら好ましいことではなく是正が必要です。そうした観点からは東京には「悪い」都知事が君臨していた方が、ことによると日本全体の利益になる可能性があります。もし石原慎太郎や小池百合子ではなく、もっと良心的で賢明な首長が東京に誕生していたならば東京はもっと栄えていた、その結果として東京一極集中は今よりもずっと酷いものになっていたかも知れません。東京のトップが石原慎太郎や小池百合子だったからこそ、東京一極集中がこの程度で済んでいるのではないか、そんな気もしています。東京一極集中を抑制するためには、東京都知事は少し問題があるぐらいの方が良いのではないか……と。

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