非国民通信

ノーモア・コイズミ

どーすりゃえーねん

2014-02-27 23:51:04 | 雇用・経済

成績優秀なのに仕事ができない
“大人の発達障害”に向く仕事、向かない仕事(DIAMOND online)

 「彼らは、中学、高校、大学生の頃までは、成績が良くて、頭が普通程度以上。勉強が良くできるし、問題行動もない。周囲は、発達障害と思い浮かばないんですよね。職場に出たり、結婚したりした時に初めて、諸々のトラブルに悩まされる方が多いのです」

 

 「大人の発達障害」が取り沙汰されることも増えてきた昨今ですが、実際のところはどうなんでしょうね。バーナム効果と呼ばれるものがありまして、まぁ「占いが当たっているように感じる効果」とでも言いましょうか、要するに「それっぽい(しかるにその実は曖昧で誰にでも該当するような)こと」を言われると、何となく「自分に当てはまっている」ように思えてしまうわけです。発達障害にしても然り、誰しも仕事や生活上の躓きは経験するもので、そんな時に「大人の発達障害」の話を聞いて、「自分もそうかも」と感じる人は少なくないはずです。実際に医師から発達障害との診断結果を伝えられる人の数は取り沙汰されるほど多いわけではないようなのですが。

 

 こうした発達障害のある人が進学や就職を考えるとき、「1人暮らしは避けたほうがいい」と、星野医師は指摘する。

 ADHDやアスペルガー症候群の多くの人は、親元を離れて1人暮らしを始めると、身の回りのことができなくなり、ほぼ例外なく生活が破たんするからだという。

 

 しかしまぁ、医師の診断書の有無とは無関係に「ADHDやアスペルガー症候群」の症例と似たような状況で行き詰まりを感じる人も多いからこそ、このように話題に上がる頻度も高まっているのでしょう。しかし、ADHDやアスペルガー症候群「みたいな」トラブルに苦慮する人はどうしたら良いのやら。「1人暮らしは避けたほうがいい」などとのアドバイスが挙げられていますけれど、そうなると転勤のある職場は無理、就職先は極端に限定されますし、正規雇用は諦めざるを得なくなりかねない事態です。あんまり、解決になっていません。

 

 また、社会に適応できていない人は、例外なく自分の特性を活かした適職に就いていない。そこで、適職に就くためには、

① 興味の対象を知る
② 得意なことを書き出す
③ 収入が得られるものを探す

 の3つのステップで絞り込むことが必要という。

 星野医師は、一般にADHD者で成功している人が多く、向いている仕事として進めるのは、次の通り。

① 研究者、学者、中学・高校教師、塾・予備校講師など
② 警察官、消防士、新聞・雑誌の記者、作家、ジャーナリスト、カメラマン、ディレクターなど
③ イラストレーター、スタイリスト、漫画家、画家、建築関係、コンピュータ・プログラマー、CGアニメーター、広告関係、デザイナーなど
④ 調理師、調律師、自動車整備士、歯科技工士、電気技師、図書館司書、校正など

 一方、アスペルガー症候群に合いそうな職業は、テンプル・グランディンとケイト・ダフィーの文献を引用して、次のように挙げる。

① 建築・工学製図技術者、カメラマン、動物の訓練士、グラフィック・アーティスト、工芸家、ウェブデザイナー、自動車整備士、産業オートメーションのプログラマー、生物学教師など
② コンピュータ・プログラマー、エンジニア、物理学者、化学者、音楽家・作曲家、数学教師、音楽教師など
③ ジャーナリスト、翻訳者、司書、証券アナリスト、コピー・エディター、会計士、簿記・記録管理担当者など

 

 引用が長くなりましたが、「ADHDやアスペルガー症候群の人たち」向けの「適職」とやらが挙げられています。う~ん、そもそも「自分の特性を活かした適職に就いていない」ってのは発達障害「ではない」人だって同じことだとしか言い様がありません。本人の特性と雇用側のニーズが釣り合っているのならいざ知らず、現実にはどうしても両者にギャップがある、そして超・買い手市場の下で雇う側の立場が圧倒的に強くなる、そうした中では「働かせる側」の要求に合わせていかないと職にありつけない、「自分の特性を活かした適職」なんかを求めている限りは永遠に就職できないわけですし。

 ADHD/アスペルガー症候群に合った職として挙げられているのは専門職ばかりです。大学で当該の職種に沿った専攻であるならともかく、そうでなければ就くことができない仕事が列記されています(ついでに専業では食えない職も多いですね)。そして今、問題になっている「大人の発達障害」は最初の引用でも伝えられている通り「職場に出たり、結婚したりした時に初めて、諸々のトラブルに悩まされる方が多い」のです。そして「高校、大学生の頃までは、成績が良くて、頭が普通程度以上」なら尚更のことです。職場に出てから、すなわち卒業後に発達障害を自覚した人が、上記の「向いている仕事」に進路を変えることができるのでしょうか? 受験する大学を選んでいる段階で発達障害の自覚があるなら、「合いそうな職業」を視野に進学先を決めることもできます。しかし卒業後、会社に勤めるようになって発達障害を自覚した人に「研究者、学者、中学・高校教師~」が向いているなどと言われても、いったい何の意味があるのでしょう?

 

 一方で、ADHDやアスペルガー症候群の人たちが不向きな職業は、営業関係や接客業、人事・経理・総務関係、交通・運輸関係、飲食関係、旅行関係、金融関係、予約係や顧客窓口などだそうだ。

 

 そして「不向きな職業」も列記されています。ものの見事に「求人の多い職業」が並んでいる、同時にこれらは大学などでの専門教育を必要としない職業でもあります。特定の専門職に向けた専攻「ではない」圧倒的多数の人にとって現実的な就業機会があるのは、こちらの「ADHDやアスペルガー症候群の人たちが不向きな職業」であり、ここで挙げられた職種を避けていてはやはり就職が著しく困難になることは言うまでもないでしょう。発達障害なので営業は自分に向いていません――それは確かなことであるにせよ、では「向いた」ポジションに空きがあるかと言えば、そのポジションは大学の時点から専門的な教育を受けた人たちのひしめく超激戦区、既に埋まっていることがほとんどのはずです。果たして「大人になってから」発達障害に気づいた場合に打つ手があるのか、少なくともここで引用した元の記事では何一つとして示されていません。

 

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むしろ「右」の方が自民党から離れる可能性が高いのかも知れない

2014-02-25 22:45:22 | 政治

籾井氏「失言したのでしょうか」 NHK経営委で発言(朝日新聞)

 就任会見での政治的中立性を疑われる発言が問題になっている籾井勝人・NHK会長は、今月12日に開かれたNHK経営委員会で、「私は大変な失言をしたのでしょうか」と述べ、発言自体には問題がないとの認識を示していた。25日以降に公開予定の経営委員会の議事録案の概要から、明らかになった。

 籾井氏は、美馬のゆり委員に発言問題の収拾策を問われて、「私的意見を会見で述べたことは大変申し訳ない」と陳謝しつつ、「私の発言の真意とはほど遠い報道がなされている。会見録を通読して欲しい」と強調。美馬氏が既読だと応じると、「それでもなおかつ私は大変な失言をしたのでしょうか」と述べた。

 それに対し、美馬氏が「発言がどうだったかではなく、今後組織としてどう対応していくのかを聞いている」と再質問。籾井氏は「放送で信頼を回復していくことが長い目で見た方向。営業の収入減は、営業でカバーするのが一番の方法。対策をどうするかは、正直よくわかりません」と発言した。

 

 まぁ色々とツッコミどころに事欠きませんが、得てして偉い人というのはそういうものです。馬鹿なことを口走っても周りに注意してくれる人がいない、そうして思いつきで会社を傾かせる経営トップなんて珍しくもありませんから。なお「営業の収入減は、営業でカバーするのが一番の方法。対策をどうするかは、正直よくわかりません」とのこと。偉い人が勝手に数値目標を設け、役員から中間管理職を経て最終的に目標達成を迫られるのはいつだって末端の営業、まったく営業は地獄です。

 余裕と慢心は紙一重でもあります。心に余裕を持って泰然と構えられるはずの場面で奢りを見せてしまう人もまた多い、とりわけ昨今の安倍内閣を見ているとそう感じるところです。どう考えても日米同盟重視という方針とは共存し得ない歪んだ歴史観を披露する政治家は若手ばかりに止まらず、中国や韓国はおろか欧米各国も眉を顰める場面が増えてきました。そして安倍内閣の意を汲んだ人選であるはずのNHK経営委員達の振る舞いもまたいかがなものでしょうか。

 自民党の政権復帰以来、安倍内閣の支持率は概ね高い水準を保っています。ろくな対抗馬がいないだけとも言えますが、(第一次安倍内閣も含めて)21世紀の日本の内閣はあまりにも酷いものが続いてきただけに、久々のオーソドックスな経済成長路線へと舵を切った安倍内閣は、ある意味でコロンブスの卵的な価値がある、少なくとも「他の内閣よりは良さそうだから」という理由で支持されるに足るだけの実績は上げてきたように思います。

 先の東京都知事選では、どれほど裏切られようとも民主党の忠実な支援組織である続けてきた連合が、民主党の推した細川ではなく自民党の推した舛添の支援に回りました。まぁ、今なお小泉信奉者でありデフレ派の雄である民主党よりも、構造改革路線から修正しつつある自民党の方が労働者にとって好ましいことは言うまでもありません。自民党には従来の支持層に加えて、過去の選挙では民主党に票を入れていたような層をも取り込めるだけの機会が訪れていると言えます。

 一方で、従来の支持層を失う危機もまたあるのかも知れません。維新、みんなと言った極右・ポピュリズム政党の勃興は自民党の票を「右から」切り崩しかねないものです(民主だって右寄り姿勢では負けてないというのはさておき)。今の自民党には中道層、穏健派を取り込む機会がある一方で、真ん中に向けて良い顔をすると野党時代も自民党を支持してきた右翼層が流出しかねない、そういう判断もまたあるのではないかと考えられます。

 例によって先の都知事選では、安倍内閣の意を汲んで選ばれたはずのNHK経営委員の一人が、自民党の推す舛添ではなく舛添の対抗馬である田母神を公然と支持する発言をしていました。安倍晋三にしてみれば、これぞ「飼い犬に手を噛まれる」事態でもあります。オトモダチを選んだはずが、自分の意向に沿ってくれるどころか暴走を始めてしまう、色々と危ういです。

 自民党内にも若手を中心に、舛添支援に乗り気でない議員が少なからずいたものです。心情的には田母神に近い、NHK経営委員よろしく党が推した候補よりも別の候補を応援したがっている人も目立ち、それを安倍内閣が完璧に抑え込めているかと言えば甚だ疑わしくもあります。このままでは身内の右翼層に手綱を振り切られかねない、そういう危機感が安倍内閣には芽生えつつあるようにも見えます。

 そんなわけで、党内や肝いりのNHK経営委員達、党を支持する極右層達を繋ぎ止めるためには穏健路線ではいられないところも出てきているのかも知れません。だからといって右に右にと旋回すれば今度は(自称ではない)中道層から危惧される可能性もあるわけです。しかるに自民党の暴走を不安視する人にとって代わりに支持する先が見つかるかと言えば、それが急激に難しくなっているようにも思います。オーソドックスな経済成長路線でありつつ極右ではない、昔年の自民党の保守本流みたいな勢力が現行の自民党に変わりうる勢力として存在すれば事態は変わるのでしょうけれど、現代において経済成長を重んじるなら他の選択肢を探すのは至難となるばかりです。

 

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本屋に魅力を感じない

2014-02-23 13:39:04 | 社会

売れるから「嫌中憎韓」 書店に専用棚 週刊誌、何度も(朝日新聞)

 「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある。ベストセラーリストには韓国や中国を非難する作品が並び、週刊誌も両国を揶揄(やゆ)する見出しが目立つ。

 東京・神保町の大手「三省堂書店」。1階レジ前の最も目立つコーナーに刺激的な帯のついた新書が並ぶ。

 「これでもまだあの国につき合いますか」「あの国に学ぶことなど一つとしてない!」「どうしてこの民族はこんなに自己中心的なのだろうか」

 同書店では昨年秋ごろから日本を賛美する内容の本と並んで、韓国や中国を批判する内容の本が売れ始めた。大月由美子主任は「店舗の売り上げに占める割合が大きくなり、専用のコーナーを設けることになった」と説明する。

 三省堂だけではなく、多くの書店が、こうした本を集めたコーナーを設け始めており、「嫌中憎韓」は出版物の一ジャンルとして確立しつつある。

(中略)

 新しい動きもある。昨年末に編集長が交代した週刊現代は1月末の号で嫌中憎韓路線を転換。「『嫌中』『憎韓』に酔いしれる人々は本当に武器を取るつもりか」と訴えた。

 若手記者からは異論もあったが、「感情的な議論でなくきちんとした検証が必要。面白いだけでなく、ためになる週刊誌でなければならない」(同誌記者)と決めたという。売り上げは「落ちなかった」という。

 

 メダルには興味がないのでオリンピックは見ないのですが、浅田真央がショートプログラムで転倒を繰り返しフリーでの逆転が絶望的なスコアに終わったりもしまして、その直後には大舞台でしくじった彼女への非難もあったようです(浅田真央さん案の定ネットで励ましと非難の嵐「税金無駄遣い」との声も- 秒刊SUNDAY)。しかるに森元首相が「あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね。」などと発言したところ瞬く間に批判の矛先は森元首相へ向かうこととなりました。もしかすると森元首相のファインプレーなのかも知れません。

 それはさておきフィギュアという競技は元より浅田真央にも無関心で、キムヨナ及び彼女への採点に難癖を付ける方にばかり熱心な人も一定数いるわけです。端的に言えば日本よりも韓国の方に関心が強い人々なのですね。そんな人のニーズに応えてか、冒頭の引用元でも伝えられているように「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある、書店でも専用の棚を設けて大々的に売り出しているところが目立つのが昨今です。なお三省堂の場合は「昨年秋ごろから」と語っているそうですけれど、この辺は朝日の取材が甘いのではないかという気もします。もっと前からブームは始まっていたのではないでしょうか。ウチの地元の文教堂でも5年ぐらいは前から「嫌中憎韓」の本が売り場の主役でしたし。

 もっとも地元の書店では一時的に「嫌中憎韓」コーナーが脇に追いやられたことがありまして、原発事故後からは1年ばかり、小出裕章とか飯田哲也などの原発トンデモ本が長らく特設コーナーに平積みされていたりもしたものです。まぁ書店は売れる本、売りたい本を大きく取り扱うもの、三省堂も地元の書店も総じてタチの悪い本ばかりを前面に押し出すようになった印象を免れないところで、私などはリアルな書店へあまり魅力を感じなくなりつつあります。もうアマゾンで買えば良いかとか、本を置くスペースがないし本棚を買う金はあっても本棚を増設できるほど広い部屋に引っ越す金はないから電子書籍にしておこうか等々。

 そう言えば昨年末には大川隆法の「ネルソン・マンデラ ラスト・メッセージ」とか「山崎豊子 死後第一声」とか話題の新作コーナーに積んでありまして、まぁ書店にも選ぶ自由はありますけれど、もう少し良識が求められるのではないかという気がしないでもありません。こんなのなら、エロ本でも売っていた方が人畜無害というものです。ポルノなんかよりもよほど、悪影響を及ぼしている本は数多ある、かつ野放しにされてもいると思うのですが。

 ともあれ「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになっている、「売れるから」であろうと推測されているわけです。ネトウヨの良いところは政治に関心があるところだと語った人もいたものですが、確かに若年層の投票率はいつもながらに低い中でも田母神を支持する若者の投票率は高かったのではないかと思います。そして読書に関しても、同じようなものなのかも知れません。ネトウヨの良いところは本を買うところ――若者が本を読まなくなった云々と世代を超えて語られ続ける中でも、レイシストの若者は結構な読書家であり続けているのではないでしょうか。「普通の」若者がトモダチとのコミュニケーションに励んでいるのを尻目に、ひっそりと書籍を買い支えている極右青年なんて構図もありそうです。(ちなみに投票率とは反対に読書量の平均値は若いほど多い、出版業界のニーズを左右するのは若者なのです。)

 週刊現代は「若手記者」の異論を押し切って嫌中憎韓路線から転換したと伝えられています。自民党でも若い議員ほど危ない連中が多い、表に出して良いことと伏せておくべきことの区別が付けられない子供が多いという印象が拭えないところで、その辺は雑誌編集者にしても大差ないのでしょう。ただまぁ、かつての全共闘世代の元・若者には当時の主張や思想を綺麗さっぱりと「卒業」してしまった人も多いように思いますし、「大人になるってのはそういうこと」みたいなフシもあるわけです。今の若きレイシスト達もいずれは年を取って本を読まない大人になる、過去の自分たちの行動を若気の至りと見なす日も来るのかも知れません。あれだけ盛んであった学生運動ですら、「卒業」できずに活動家として生き残ったのは一握りの変人だけですから。ただ懸念されるとしたら、大人が若者に媚びるときですね。

 

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自衛隊が好きすぎて

2014-02-20 23:21:17 | 社会

 2007年、インド洋での海上自衛隊の給油活動について国会で問われた福田首相(当時)は、兵站は憲法9条が禁じる武力行使に当たらないとの見解を示しました。まぁ、戦地に送った兵士を専ら交戦する前に餓死や病死に至らせた大日本帝国の精神を受け継ぐ政治家らしい考え方と言えるでしょうか。前線で戦うことこそが武力行使であり、後方でその活動が可能になるよう支援することの意味を軽んじているわけです。給油活動を含めた後方支援なくして戦線が維持できようはずもないのですが、武力行使の一面だけしか見ることができない人もいるのです。

 ……で、何か危機的な事態が起こったときに出動する立場の人もいて、まぁ消防なり警察なり自衛隊なり、急を要する場合には「普通の」公務員もそうですし民間の技術者などもまた駆り出されることになります。そんな中でも独占的かつ大々的そして例外的に世間からの「感謝」を集めるのは自衛隊で、日本人とはつくづく自衛隊が大好きな国民性なのだなぁと思うところですが、なぜ自衛隊はこうも日本社会から好意的に迎えられているのでしょうか。

 まだ記憶に新しい東北の大震災では、まさに緊急事態として専門外すなわち「普通の」公務員もまた支援に送り込まれました。しかし活躍が喧伝されるのは自衛隊ばかり、感謝の催しが開かれるのも自衛隊に向けたものばかりと、ちょっと自衛隊「以外」の人が気の毒に見えてくるところもあります。「普通の」公務員を公然と罵倒することで有権者の拍手喝采を浴びてきた政治家は枚挙に暇がありませんが、同じことを自衛隊員に対して行った議員は皆無です。自衛隊は民間企業の研修先として最も人気がある一つで「自衛隊に学べ」という発想は根強いですが、「普通の」公務員の職場へ研修のために新人を送り込む企業は見たことがありません。あぁ、我々はどれほど自衛隊を崇めていることでしょう。

 結構な数の冤罪を作りだしていることもあって風当たりの強い警察組織ですが、まぁ警察に批判的な人であろうと道を尋ねられれば警官は教えてくれますし、犯罪に巻き込まれれば出動する、警察に批判的な人だからといって「守る必要がない」などとは考えられないものです。あるいは「普通の」公務員への誹謗中傷に血道を上げている市民が相手でも然り、各種の届け出はしかるべく処理され、公務員に批判的な人だからと言って市のサービスの対象に含めなくても構わないなどとは、やはり考えられません。

 ところが例外はやはり自衛隊、自衛隊に否定的な人まで守る必要はない云々、自衛隊に批判的な人まで守ってやらねばならないのだから自衛隊は大変なのだ云々と、他の公務員なら当たり前のはずのことが、自衛隊だけは特別な賞賛の対象になってしまうわけです。自衛隊だって、隊員をイジメで自殺に追い込んで調査資料を隠蔽したりとか隊員を相撲部屋よろしく事実上の暴行で死に追いやったりとか色々あるのですが、大方の日本人はそんなことなど気にしませんし。

 冒頭で上げた福田康夫と、世間の考え方はあまり変わっていないのだとも思います。つまり「本分」として「前線で戦うこと」が想定されていて、アメリカ軍の後方支援なり災害救助なりは本業ではない、本業ではないのに「好意で」やってくれていることという感覚があるのではないでしょうか。店員が配膳してくれるのは当然のことと受け止めるけれど、同僚が料理を持ってきてくれれば礼を言うようなものです。市民のために働く公務員が被災地で奔走するのは当たり前、警察や消防、医療関係者や専門の技術者がそれぞれの職務を果たすのは当たり前、しかし自衛隊が災害救助活動に当たるのは「当たり前のことではなく、ありがたいこと」と、そう受け止められているように感じますね。

 

「除雪目的では難しい」埼玉県、秩父市の自衛隊派遣要請を断っていた(産経新聞)

 14日の大雪で住民が孤立した埼玉県秩父市が15日以降、同県に自衛隊の災害派遣要請をするよう複数回にわたって電話で求めたが、県は「除雪目的では難しい」などと派遣要請を断っていたことが18日、県などへの取材で分かった。県の自衛隊への派遣要請は17日午後6時半にずれ込んだ。同市の久喜邦康市長も「再三要請したが県から断られた」と不快感を表明した。

 県消防防災課によると、15日夕に久喜市長から電話を受け、県は陸上自衛隊大宮駐屯地の第32普通科連隊に派遣を打診。「除雪だけが目的では派遣はできない」と回答があったという。県は「道路開通の見通しが全く立たないという状況ではない」(上田清司知事)と判断し、市の求めに応じなかった。

 

 一方、埼玉県は上田知事が市からの自衛隊派遣要請を断っていたことが伝えられています。この辺、単に対応の遅れを非難する至極当然の声もあれば、時に自衛隊の活躍を夢見て止まない人々からも怨嗟の声が湧いているところです。そもそもこの民主党の支援で当選した埼玉県知事、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者として教科書採択に口出ししたり、「保守」の精神的バックボーンである統一教会に祝電を送ったりするなど極右の歴史修正主義者として知られる人物でもあるのですが、どうにも「自衛隊派遣拒否」→「自衛隊を快く思わないからだ」みたいに勘違いしている同類もチラホラ。

 2007年、上田知事は「自衛官の人は、平和を守るために人殺しの練習をしている。警察官も、県民の生命や財産を守るために、人を痛めつける練習をする。だから我々は『偉い』と言って褒めたたえなければならない」と語りました。この発言の前半部だけを切り取ってツィートなどしている人も見かけるのですけれど、これは言うまでもなく自衛隊批判の文脈ではなく賞賛の台詞です。靖国神社が戦死することを忌避するのではなく美化するのと同じように、知事の頭の中では「人殺しの練習をしている」ことは褒め称えられるべきことであって非難されるべきものにはなっていないのですから。

 そんな上田知事が自衛隊派遣要請に渋ったのは何故でしょう。この辺は「安易に救急車を呼ぶな」とか「そんなことで警察に通報するな」みたいに連呼する人々と似たような感覚があったのではないかと推測されます。知事にとって自衛隊の本分とは前線で戦うことであって住民の災害救助ではない、除雪ぐらいで自衛隊の手を煩わせるべきではないと、そう考えたからこその派遣要請拒否だったのではないでしょうか。ある種の人が、他人が救急車を呼ぶのを咎め立てするのと同じようなものです。自衛隊に活躍して欲しくないから派遣要請を拒否したのではなく、「この程度で自衛隊を呼ぶな、その程度は我慢しろ、自分で何とかしろ、自衛隊にはもっと重大な役目があるんだ」と、そんな思いがあってこその判断であったと捉えれば、知事の過去の発言との整合性は取れます。

 

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脱・起業のススメ

2014-02-18 22:53:25 | 雇用・経済

飲食店は3年以内に70%の確率でつぶれる!?(ブッチNEWS)

 アベノミクスで経済が回復傾向だ! 最高売上げだ! と騒いでいるのはこの世の中の3%の大企業の皆さんだけで、中小企業に勤めるほとんどのサラリーマンは、相変わらずリストラの嵐に見舞われている状態。リストラに遭っても再就職先を探すのも大変。そこで独立して起業するサラリーマンも増えている。
  しかし現実は厳しい。経済産業省が発表した「中小企業白書」によれば、起業1年目の廃業率が40%、2年目が15%、3年目が10%。つまり3年で約7割の会社が倒産してしまうことになる。さらに10年目の廃業率は93%。起業ってホントに大変なんです。
 
 「ウチの近所にある飲食店なんか30年ぐらいやってるよ。たいして美味くもないし繁盛しているようには見えないけど……」と、思う方も多いが、これにはカラクリがある。
  まずひとつは家賃がかからない物件で営業しているということ。例えば持ち家とかがそうだ。基本的に家賃は売り上げの10%くらいと考えておかないと、お店の切り盛りは難しいのだ。
  もうひとつは家族経営であること。従業員が家族であるというケースだ。どんなに売り上げが低くても時給を払わなくてはいけないことを考えると、これが家族だと融通が利くだろう。

 

 ドラえもんの公式設定も時代と共に変わっているみたいです。私が子供の頃に読んだドラえもんは原子力を動力とし、鼠に耳を囓られた姿を見て元々は黄色だったのが青くなってしまったことになっていたのですけれど、最近は違う記述になっているのだとか。そもそもドラえもんがのび太の元に来た理由とかはどうなっているのでしょうね。昔の設定ですと、のび太が就職できずに起業して、そして会社を潰して借金まみれで子々孫々も貧乏に、そんな過去を改変するためにターミネータードラえもんが送られてきたはずですが――この辺も時代に応じて書き換えられてしまうのかも知れません。

 就職難が叫ばれると、決まって「就職ばかりではなく起業も視野に入れるべきだ」みたいなことを言い出す無責任な大人が現れるものです。まるで起業すれば就職するのとは違ったバラ色の未来が開けるような虚言で経験に乏しい若者を陥穽に嵌めようとする人は少なくありません。ところが起業の実態はと言えば冒頭の引用でも伝えられる通り、「起業1年目の廃業率が40%、2年目が15%、3年目が10%。つまり3年で約7割の会社が倒産してしまうことになる」わけです。起業を勧める輩とは他人に博打を打たせようとする人であると考えて間違いないでしょう。

 家族経営の飲食店や小売店(コンビニ)などは長く持つ場合もありますが、それは家族の犠牲の上に成り立っているところ、とうてい健全な経営とは言えないケースも多いものと推測されます。瞬く間に会社を成長させ、期待の若手経営者として持て囃されるような類は文字通り「万に一つ」と言うべきでしょう。しかしこの「万に一つ」の例外をモデルに起業を唆す悪魔のような存在もまた少なくありません。この辺、ろくな説明もなしにリスクの大きい投資を勧める悪質な営業と同等に、起業を勧めるコンサルの類も監視や取り締まりの対象にした方が良いのではないかと思うところです。

 なお「独立して起業するサラリーマンも増えている」と上記引用では典拠不明ですが記されています。基本的に顧客が「守りに入る」不況時ほど新規参入が難しく当然ながら起業も少ない、反対に既存企業が販路を拡大する好況期になると新規参入の機会も増えてそれに応じて起業機会も高まるもので、本当に「独立して起業するサラリーマンも増えている」のであれば、それは景気回復の兆候と見なすのが妥当と考えられるところです。ま、一口に起業と言っても多数派を占める「自営業的な起業」と法人を相手にする類の起業とでは質が違うところもありますが。

 それはさておき、先月はある零細企業の採用面接を受けました。実際に出向いてみたら、求人広告に記載されていたよりもずっと規模の小さな会社だったので、もし採用されても断った方が良いのではないかと思ったものです(幸か不幸か結果的には迷わずに済みましたが)。一応は正社員としての求人で非正規雇用とは違って首切りの心配は少ないとしても、それ以前に会社が倒産する可能性を将来的には考えなくてはならないだろうなと感じたわけです。雇用形態だけが真っ当でも、それ以外が絶望的ではちょっと、ねぇ。

 それはさておき件の零細企業、専らヨソの企業の業務の一部を代行するのが生業でした。顧客たる法人に「ウチへ外注してくれればもっと安上がりですよ」と営業をかけて仕事を取ってくるわけです。そういう会社ってどうなのかな、とも感じました。確かにこの手のビジネスは少なくない、大手企業も安値で請け負う中小企業に仕事を外注するのは当たり前のことです。自社の社員に仕事をさせるより、より薄給で労働者を動かす中小零細企業へ下請けに出した方が安上がり、よくあることではありますが――

 とりわけ建設業界隈では多重請負(下請け)は常態化しています。これが原発関連に特有のことであるかのように矮小化されて語られることも昨今は多いのですが、原発とは全く無関係なシーンでも普通に見られるわけです。発注元から元請け、下請けへと仕事が降りていく中で末端の労働者の取り分は必然的に目減りしていくもの、決して好ましくはないところですけれど、では下請けに仕事を回さず発注元もしくは元請けが「自分たちで」仕事をやるようになったらどうなるのでしょう。

 大手より安い請負価格を提示することで、仕事を確保している中小企業も多いわけです。上で触れた零細企業の場合も然り、大企業が安上がりだからと仕事を外注に出すからこそ成り立っている、そんなケースも多いはずです。おかげさまで大手はコスト削減、中小零細企業は仕事を得られるのですが――その分だけ働く人の取り分は目減りしていくとも言えます。安値を武器に新興の企業が大手に挑んでいく、起業のストーリーとしては大いに好まれるところと思われますけれど、それは多重請負を産む源でもあるはずです。自社で作業するよりも安価な外注先があるからこそ大手は仕事を下請けに出すわけです。むしろ安値で請け負う企業が新たに表れない方が労働市場の健全性は保たれる、社会にとって好ましいとすら言えるのではないでしょうかね。

 

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今一度、都知事選を振り返る

2014-02-16 14:14:02 | 政治

 今さらながらに東京都知事選を振り返るのも時期を外していると思われるかも知れませんが、とりあえず大差で勝ったのは舛添でした。自民党の閣僚時代に何度となく取り上げてきた人物でもあり、今後は再び批判することも多くなりそうですけれど、他の候補の顔ぶれを見れば妥当な結果でしょうか。

 次点は共産党他が推した宇都宮健児、東京で脱被曝を訴え、あたかも岩手や宮城の震災ガレキまでもが危険であるかのような偏見を広めるべくヘイトスピーチに努めていた印象も拭えないところです。まぁ、実態とは異なりますが仮に被災地のガレキ処理が危険であるとするならば、宇都宮健児は「危険な」廃棄物を被災地に押し止めようとしている、東京だけは危険から逃れようと訴えていることにもなるわけで、その辺は人格を疑いますけれど地方自治体選挙での首長候補として、当該の自治体の利益を唱えるのはこれ以上ないまでにふさわしいとも言えます。ある意味で2位もまた妥当かな、と。

 一方で3位以下は輪をかけて酷い、それでいてキワモノ候補が95万票だの61万票だのを得たのも頭が痛いところです。中高年層に支持が強かった3位の細川に対して、4位の田母神は若年層に大きく票が偏っています。若者の投票率が低い云々との嘆きは、とりわけ高齢者向けの福祉を敵視する人から強く聞かれるところですが、どうなんでしょうね。ネトウヨの良いところは政治に関心があるところだと呟いた人がいましたけれど、世代と得票率ばかりではなく、支持政党(候補)と得票率の関係なども調べられれば面白いように思います。

参考、嫌でも避けては通れまい

「親の介護は自分がする」と回答した人は37%
「親の介護問題について考えたことはない」(21%)
「親の介護は自分ではしたくない」(12%)
「親が自分で老後を考えているので関係ない」(9%)
「親の介護は他の兄弟がする」など、自分以外の兄弟に任せるという意見も12%

 ある世論調査では、こんな結果になったことが伝えられています。そこで親世代/高齢者の福祉を巡っては、とにかく「全体」から多数決で民意を問うべきなのでしょうか、それとも耳を傾ける人を選ぶべきでしょうか。「親が自分で老後を考えているので関係ない」とか「親の介護は他の兄弟がする」と考えている人々の意見を反映させて高齢者向けの福祉政策を決定すべきなのか、それとも「親の介護は自分がする」つもりでいる人の意見を優先的に取り入れて福祉政策の指針とした方が良いのか、単なる多数決ばかりが民主主義ではあるまいと私は思うのです。

 ……で、選挙に関しても然り、投票の対象となっている政党あるいは候補者について何も知らないどころか知ろうともしない人の票をも民意として望むべきなのか、単に投票率が高ければ良いものではない、闇雲に投票に行きさえすれば良いというものでもないのではないかと、そう疑問に感じることもあります。どれほどの誤謬や偏見、悪意に基づいた投票であろうとも歓迎するというのなら、まぁ若くても投票率の高そうな所謂ネトウヨ層は投票に行かない人よりも好ましい、田母神の奇妙に偏った年代別の得票割合を作りだした人々は将来への希望ということになりそうですが。

 実際に投票した人はさておき、ネット上で支持を呼びかけていた人の振る舞いは目に付きやすいものです。その辺、専ら野党候補である宇都宮陣営の切り崩しに注力していた細川(というより民主党)支持層より、与党が支持する本命候補である舛添へのバッシングに熱心であった田母神支持層の方が、それなりに筋が通っているかと思えないでもありません。少なくとも選挙期間以外は専ら与党として行動するばかりでありながら、選挙になると都合良く野党のフリをして与党サイドへの批判票を盗みに行く、そんな卑劣な民主党を支持できてしまう人に比べればマシでしょう。

 「ネット上の」民主党支持層と田母神支持層には似通う部分も多いと思います。最大の共通点は「消極的選択を装いたがる」ことでしょうか。本人の頭の中では投票先は最初から確定しているくせに、不思議と「他の候補がダメだなら、○○しかないのだ」という方向に持っていくことを好むわけです。私は、とっくに自分では結論が出ているのにカマトトぶって疑問を投げかけるフリをする人間が大嫌いですが、「ネット上の」民主党支持層と田母神支持層には同質の嫌らしさを常に感じますね。

 世界から軽蔑されようとも自国の歴史を書き換えて自己満足したいから田母神を支持するとか、デフレ不況で格差拡大、もっと日本を清く貧しい国にしたいから民主党/小泉陣営を支持するとか、そうハッキリと明言するのなら賛成はできませんが異論として尊重できないこともありません。しかし実際のところ、彼らが述べるのは田母神支持層であれば舛添に投票「すべきでない」理由であり、民主党主義者であれば共産党ではとにかくダメなのだと繰り返すばかり、その「熱意」とは裏腹に本当に支持している候補については意外なほど多くを語らないわけです。しかし、何がどうなろうと彼らの支持する先は不動なのですから付いていけません。そんなに信仰心が厚いのに……

 

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不可解なものを理解する「アート」

2014-02-14 00:02:46 | 社会

 さて先日は、全聾の作曲家という触れ込みで活動してきた佐村河内氏のゴーストライターを務めてきた人が内情を暴露して話題を攫ったわけです。複数の全国紙やNHKまでもが佐村河内氏をヨイショしてきた手前もあってか、反響は小さくありません。「現代のベートーベン」などと言う安っぽい売り文句で氏の宣伝に協力してきたメディア各社は赤っ恥、苦しい言い訳を繰り返すところも目立ちます。

 もっともゴーストライターなんて昔からいたもので、どっちかというと「禁を犯した」のは作曲者である新垣隆氏の方という気もしますね。芸能人やスポーツ選手の名義でゴーストライターが本を書いたときの契約などは、どうなっているのでしょう。ちゃんとした出版社や代理人が間に入っていれば守秘義務なりを明文化しておくものではないかと思いますけれど、その辺りで佐村河内氏は素人だったのかも知れません。レコード会社なり芸能事務所なりのプロデューサーがしっかり管理していれば、こうはならなかったはずです。

 で、先日も書きましたけれど「クラシック」と呼ばれるジャンルにおける「現代」の音楽としては、佐村河内名義で発表された類の「わかりやすい曲」は「芸術」としてあまり評価されません。「現代」の「芸術」としての評価を得るためには、現代音楽という枠組みに沿って「わかりにくい曲」を書く必要があるわけです。この辺、音楽に限らず文系の世界では概ね似通ったところがあるように思います。

 新垣氏に限らず音大の教授クラスなら片手間のアルバイトでも「わかりやすい曲」は作れます。美大の学生なら誰でも「綺麗な絵」が書けるのと同じようなものです。でも「普通に綺麗な絵」で「現代」の「芸術家」として認められるかと言えば、それは(佐村河内氏のようにメディア受けするエピソードの一つもなければ)極めて難しい、むしろ「よく分からない造形」の方が「芸術」として業界内では持ち上げられるところもあるのではないでしょうか。

 文学の世界でも、わかりやすさや娯楽性をマイナスに見る人はいます。まぁ、大学の文学の教授よりも高校の現代文の先生や教育学部の国語の先生の方がそういう傾向は強かったですけれど、単純におもしろい小説に文学的価値を認めたがらない、むしろ難解で読みづらいくらいの作品の方を権威として持ち上げるタイプも少なからずいたものです。不可解でも良いものは良いと言えますが、逆に言えば簡単でも良いものは良いと思うところですかね。

 「素人にも理解できるもの」もあれば「素人には理解できないもの」もあって、だからこそ後者を「理解できる」人こそが「玄人」という構図がいつのまにやら産まれます。一見しただけでは退屈で珍奇なだけの曲あるいは絵画もしくは造形でも、「評論家」には格好の題材になる、普通の人には理解できないものを理解し、それを論評するという特殊な技能の持ち主として登場する機会が生まれるのです。そして評論家に好まれる対象もまた然り。評論家の出番を必要としないものよりも、評論家に活動の場を提供してくれるものの方が……

 芸術の世界に限らず、例えば経済なんかでも決して大きな違いはないように思います。現内閣は例外的にと言いますか、オーソドックスな「わかりやすい」経済政策で久々の成功を収めつつあるわけですが、それ以前の内閣及び今に至る経済言論の主流としては「素人目にはおかしな」方法論が幅を利かせてきたわけです。評論家にしか理解できない芸術ならぬ、評論家にしか理解できない経済政策があって、これを知ったかぶりして「分かったフリ」に努める受け売りブロガー等々、そうして支えられてきた世界観もあるのではないでしょうか。

 デフレなんだから金融緩和、不況なのだから財政出動、実体経済から著しく為替レートが乖離しているのだから中央銀行と協力して是正に動く等々、まぁ安倍内閣がやってきたことは端的に言えば「普通」でしかありません。これを「アベノミクス」などと呼んで何か「特別なこと」であるかのように語る人はバカです。バカですが――当の安倍総理までもが乗せられて自ら「アベノミクス」などと語り出しているのだから始末が悪いところもあって、かつ調子に乗って余計なことに手を出しつつあるのが困ったものです。

 それはさておき、21世紀日本の経済言論の主流派は総じて通常医療を否定する代替医療よろしく、「普通」の否定が柱であったと言えます。今の安倍内閣が舵を切ったようなオーソドックスな経済政策ではダメなのだと力説して、「素人には理解できない」珍奇な改革論を振りかざしてきたわけです。その結果は思い出すまでもなく、代替医療に騙されて健康を損ねた患者のごとき状態に日本経済は陥ってしまいました。「わかりやすい」経済政策よりも、評論家好みの「素人には理解できないものを俺は分かっている」的な世界観に添った政策が幅を利かせた結果が今に至る日本です。

 「評論家」の質が問われなければならないだろうと思うところです。今回の佐村河内氏に対してそうであったように、世間の売り込みに迎合してヨイショするのも最低なら、逆に経済筋のようにトンデモを「素人には理解できないけど専門家的にはコレが正しい」と騙してくる類も最悪です。音楽なり文学なり経済なり、それぞれの分野を全て個人で精通して審美眼を養うのは難しいところですが、それは無理でも「評論家」の質を見極める目は持っておくべきなのでしょう。影響力のあるメディアや論者が○○を褒める、あるいは○○にダメ出しをしていたとしても、そもそも論評している側が正しいのか、安易に「乗せられない」だけの見識は必要ですし、それにもまして権威を受け売りしないだけの良識もまた求められます。

 

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民主党はさっさと消滅してください

2014-02-11 15:13:23 | 政治

小泉元首相は民主の広告塔!? 党機関紙に登場(産経新聞)

 7日発行の民主党の機関紙「プレス民主」に、自民党の小泉純一郎元首相が写真入りで登場した。東京都知事選で、「原発即時ゼロ」を主張する小泉氏に同調した細川護煕(もりひろ)元首相を、党が支援しているためで、1月29日に行った街頭演説が紹介されている。

 

 民主党政権時代の2009年、小泉は当時の自民党総裁であった谷垣に対して「実は小泉構造改革路線を忠実に継いでいるのは民主党ではないか」と言いました。これは小泉にしては珍しく、当たっていると思います。麻生内閣時代から自民党は小泉改革路線の限界を意識し始めていたわけで、あくまで小泉の敷いたレールの上を突っ走る民主党こそが小泉内閣の正統な後継者と呼ぶにふさわしいのは間違いありません。そして再びの政権交代を経て今回の東京都知事選、民主党はついに小泉と手を携えるに至りました。最終的に共産党系候補の後塵を拝することになったのは喜ばしいところですが、どうなんだろうと。

 

百田氏の国会招致で民主にブーメラン 松原国対委員長は大丈夫?(ZAKZAK)

 民主党が十八番のブーメランを炸裂させた。東京都知事選の応援演説で「南京大虐殺はなかった」などと持論を展開した、大ヒット映画「永遠の0」の原作者で、NHK経営委員の百田尚樹氏を参考人として国会招致することを要求したが、同党の国会運営の責任者である松原仁国対委員長自身が、国会で「南京大虐殺はなかった」と主張していたのだ。

(中略)

 ところが、民主党の国会戦略を取り仕切る松原氏自身が、「従軍慰安婦の問題や、それから南京大虐殺という、実際なかった、なかったことはこれからもどんどん証明されてくるでしょう」(衆院内閣委員会、2007年3月28日)、「南京大虐殺、われわれからいえば事実はそうではなかったわけであります」(衆院外務委員会、07年5月25日)などと、国会で何度も質問している。

 

 自民党にも色々と問題はあるとはいえ、自民党の悪い部分は基本的に民主党も共有しているわけです。逆進課税増税も生活保護の切り下げも、朝鮮学校への無償化適用除外も領土問題も、結局は民主党政権時代の延長線上にあります。歴史修正主義に関しても然り、ただし小泉改革路線を修正して経済成長へと舵を切り直した自民党とデフレ不況に満足するばかりの民主党とでどちらがマシかと問われれば、当然ながら前者であることには疑いの余地はないでしょう。良いところもある自民党と、悪いところしかない民主党、考えるまでもないことです。

 今回の東京都知事選では、ついに連合が民主党と支援先を巡って袂を分かつ形になりました。2011年の都知事選で民主党は、かのワタミの社長を支援していたわけで、これは党の性格に合った候補と言えますけれど一応は労働者側の代弁者であるはずの連合であるならば、もっと早くに民主党と対決すべきであったはずと思うところです。細川・小泉陣営を民主党が推すに当たって連合は別の道を行くことに決めたようですが、いい加減に連合は目を覚まして欲しい、労働者の敵・民主党とは縁を切って本来の立ち位置を取り戻して欲しいと願います。

 

 ……で、上の引用は元・民主党の議員によるツィートですが、いかがでしょうか。最終的には細川・小泉を選んだ民主党ですけれど、当初は舛添支援の方向でした。自民党と相乗りする形になります。これは別に珍しいことではなく、地方政治に僅かでも関心がある人ならば周知の通り、自民党が支援する候補を民主党もまた支援する、自民党と共に民主党もまたオール与党の一員として単独野党の共産党と対決するなんて構図は、むしろ一般的と言えます。民主党政権末期となった野田内閣時代には民主党内の反対派を切り捨てつつ自民党に協力を呼びかけ続けていたわけですが、民主党にとって本当に「組めない相手」とは誰なのでしょう。

 与党への批判票が正真正銘の野党に流れるのを防ぐ、という観点で見れば民主党の振る舞いは合理的です。初めに共産党が与党系の候補者への対抗馬を立て、それが結構な勢いを持ちそうになるや民主党も「野党でござい」と偽っては後から候補を探し出しては与党に批判的な層の票を集めに回るのが常ですから。大阪市でも橋下の一人芝居で選挙になる見込みですけれど、もし共産党が対立候補を擁立して、それが善戦しそうになったらどうなるでしょう。そうなったときには民主党が動く、そして批判票の一本化のためと称して共産党候補の支持層の切り崩しに動くであろうことが容易に予想できます。

 舛添に次いで2番目に多い票を得た共産党の候補も色々と酷い、東京で脱被曝と称しては原発絡みの偏見を広めるのに熱心で、むしろ風評被害を広める加害者サイドの一人として糾弾されるのが当然と思いますが、まぁ被災地にあらぬ嫌疑を投げかけて「東京さえ良ければ」的に訴えるのは地方自治体の選挙として、ある意味で間違っていないのかも知れません。それはさておくにしても地方自治体の議会ではオール与党の一員でありながら、選挙になると野党を装って与党への批判票を奪いに行く民主党の存在はどう扱われるべきなのでしょう。上記の電波ツィートが民主党サイドの全体を代表するものではないにせよ、往々にして与党側の候補支持層ではなく、野党(実質的には共産党)候補の支持層を狙って訴えることが多いわけです。あくまで与党ではなく野党の切り崩しを計る、少なくとも結果的には自民党の別働隊として、側面支援に努めていると言えます。与野党の対決、与党サイドへの批判票がしかるべく機能するためには、この偽りの野党である民主党が消滅しないと難しいだろうなと思うところです。

 

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病気の子供はいないんだ

2014-02-09 14:17:01 | 社会

 昨年は、年齢を約20歳若く運転免許証の生年月日部分を書き換えたとかで捕まった人がいました(参考、叶姉妹が好きです)。なお運転免許の所持者は実年齢50歳の女性で、年齢を若く偽って風俗店の求人に応募し、採用されていたそうです。免許証に記載されている年齢よりも大事なものがあるのではないかと思わないでもありませんが、見た目とは全く一致しないグラビアアイドルの公称スリーサイズに興奮する人だってたくさんいるわけです。人それぞれ、気になるポイントは異なるものなのでしょう。

 

日本コロムビア、佐村河内氏に「大きな憤り」 別人作曲には「驚愕」(ORICON STYLE)

 佐村河内守(さむらごうちまもる)さんの楽曲が別人によるものだとわかった5日、関係者に衝撃が広がった。

 レコード会社の日本コロムビアは、CDの出荷停止とネット配信の中止を決めた。店頭に並んでいる商品については、今後対応を協議するという。同社は「驚愕(きょうがく)しており、大きな憤りを感じております。商品の発売元として責任を痛感しており、深くおわび申し上げます」とコメントした。

 佐村河内さんの作曲とされてきた交響曲「HIROSHIMA」と「ピアノ・ソナタ第1番&第2番」は全国で公演中だ。コンサート制作のサモンプロモーションは「本人から説明を受けていない。事実なら、コンサートはすべて中止する方向」という。4月に予定していた東京の清瀬けやきホール(清瀬市)、成城ホール(世田谷区)、江戸川区総合文化センター、千葉県の流山市文化会館は中止を決め、払い戻しの準備を始めた。

 

 ……で、全聾であることが大々的にアピールされて売り込まれてきた作曲家がいて、その実はゴーストライターの作品だったことが暴露されて話題になっています。作曲者が全聾というところにロマンを感じてきたファンにとって、本当の作曲者が普通の中年男性とあっては萎えてしまうものなのかも知れません。予定されていたコンサートも続々と中止、販売されていたCDも軒並み店頭から引き上げられるなどの動きが続いているそうです。挙げ句の果てには佐村河内氏の奥方の母親まで「(娘には)早く離婚して、私が生きている間に広島に戻ってきてほしい」云々と言い出したとか、金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものです。

 もう随分と昔のことになりますが、文芸誌の新人賞の最終選考に残ったことがあります。5人の選考委員の内2人までは推してくれたものの、残念ながら最後の最後で落選しました。もし著者である私が現役女子高生であったなら新人賞の受賞は間違いなかった、新人賞受賞に止まらず速やかに単行本出版までこぎ着けていたであろうなと、綿矢りさが持て囃されているのを横目に見ながら思ったものです。まぁ、普通の中年男性と全聾の作曲家とでは市場価値が違う、男子大学院生と現役女子高生とでは市場への訴求力が段違いですから仕方がありません。

 ゴーストライターが決して珍しいものでは今さら言うまでもないでしょう。より「売れそうな」人を看板に立てて、代わりの人間に本を書かせるなり曲を作らせるなり、まぁ昔からよくあることです。名演説と語り継がれる代物だって、実際に原稿を書いているのは登壇した政治家とは別の人みたいなケースも普通にあるわけです。だからといってゴーストライターが自分自身の力で社会的な成功を手にできるかと言えば話は全く別で、単に実力があれば済むものではない、看板を引き受けてくれる人だって大切と言えます。その辺、レコード会社であれば当然のように心得ているはず、佐村河内氏のCDを販売している日本コロムビアがゴーストライターの存在を本当に知らなかったのか、この辺は大いに疑わしいと思います。

 実際の作曲者は桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏とのこと。作曲料は随分とリーズナブルな額で報酬の取り分を巡る諍いが邪推されなくもありません。もっとも、所謂クラシック音楽の世界では前衛音楽のテンプレに沿った「わかりにくい曲」を書かないと評価されにくい、佐村河内名義の曲のように「わかりやすい曲」はクラシックというジャンルにおける現代の作品としては一般に低く扱われるもので、新垣隆氏にとっても愛着は薄そう、どうでも良いアルバイトで作った曲であって、そこに支払われる報酬よりも変に持ち上げられることへの良心の呵責の方が大きいと言われれば、何となく納得できるところはあります。

 まぁ、佐村河内氏を「現代のベートーベン」などと賞賛してきたメディアや評論家、イベント企画者側の欺瞞性は意識されてしかるべきでしょう。改めて新垣隆氏を「日本のベートーベン」とでも呼んで大々的に売り出すのならともかく、そうでないのなら純粋に優れた作品を紹介してきたのではなく、話題性のある「売りやすい」作品をゴリ押ししてきただけということになりますから。視聴者サイドも似たようなもの、作曲者が全聾でないことが分かれば見向きもされなくなる、曲そのものの商業的な価値が今後どうなるかは「ファン」の側の程度を知らしめるものとも言えるでしょう。

 ちなみに食品表示偽装だのが世間を騒がせもしたものですけれど、今回の一件で消費者庁は動いたりするのでしょうか? 「全聾の人が障害を乗り越えて作曲しました」というのが売り文句であったのに、「実は普通の人が作ってました」と分かれば、それは食品でないと言うだけで立派な偽装です。私は美味で安全であれば食品の産地が実際と異なっていても構わないですし、有機栽培だろうが一般的な栽培であろうが気にしませんが、そうでない人もいます。世間の反応を見るに、作曲者の耳が聞こえるか聞こえないか、その辺を大いに気にする人だっているはずです。作曲者が全聾かどうかで楽曲の価値は大違い、消費者庁の出番ですよ!

 

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算数ができなくても就職はできますし

2014-02-06 23:22:32 | 雇用・経済

9―3÷1/3+1=? 新入社員の正答率4割(朝日新聞)

 「9―3÷1/3+1」(1/3は、3分の1)の答えは? ある大手自動車部品メーカーが、高卒と大卒の技術者の新入社員をテストしたところ、正答率は4割にとどまった。中部経済連合会が3日に発表した、ものづくりの競争力についての提言に、能力低下の事例として盛り込まれた。

 この大手部品メーカーは毎年、同様の算数テストを行っており、1980年代の正答率は9割だった。

 基礎学力の低下のほかにも、中経連が会員企業に行った調査によると、企業が学生に求める能力と、実際の能力に差が広がっている。企業が採用の際に重視する能力は「コミュニケーション」がトップの87%。一方、学生に低下を感じるのもコミュニケーションが59%と最も多かった。

 こうしたギャップから、特に中小企業で、若手社員の離職につながるケースが増えている。中経連は今後、「ゆとり教育で希薄化した初等教育の充実を図る」「授業にディベートを採用し、コミュニケーション能力を養う」ことなどについて、国や教育機関に改善を求めていく。

(答えは「1」)

 

 ……こんなニュースがあったのですが、むしろ朝日新聞社のダメさ加減をこそ如実に伝える報道となっているように思わないでもありません。以前には読売の報道で「『デートDV』調査…言葉も意味も知らず55%」なんて記事がありました。記事の最後では「若年からデートDVについて伝え、具体的な相談方法を知らせていく必要がある」と県男女共同参画課のコメントまで載せられていたものです。しかるに、デートDVとは何かについて元の記事では全く触れられていなかったりするわけです。調査委対象者はデートDVについて知らない人が多い、ただし読売新聞読者は違うとでも言うのでしょうか? デートDVの認知度の低さを伝えるのなら、その意味についてまず読者に伝えることもまた新聞社の務めではないかと感じたものです。

参考、無責任な報道の一例

 その伝で言いますと、上記の朝日の報道も質が低い、新入社員の正答率の低さを伝えていますが、朝日新聞読者はどうなのやら。新入社員の学力について肩をすくめてみせるのは結構ですが、朝日新聞社社員は人のことをとやかく言えるのか、申し訳程度に(答えは「1」)と末尾に書き添えられていますけれど、実際はどうなのでしょうね。なぜ答えが1になるのか理解できないにも関わらず、これだから「ゆとり」はダメなんだと憤慨してみせる自惚れ屋も少なくないのではと思われるところです。

 もう一つ言えば、朝日新聞社の電子化時代への対応力も問われそうです。そもそもの冒頭の表記では意味が分からない人も多いのではないでしょうか。「9―3÷1/3+1」(1/3は、3分の1)――要するに、こういう感じを伝えたいようです。

 確かに現行のweb上のフォーマットですと、この手の数式は表記が難しいのですけれど、そこに対応できないメディアは時代に取り残されても仕方ないのではないかと、そんな気がします。逆にweb上では分かりにくいものを伝えやすいメディアとして紙媒体を売り込んでいくのもありなのかも知れませんが。

参考、人物重視で選考された結果

 それはさておき、「この大手部品メーカーは毎年、同様の算数テストを行っており、1980年代の正答率は9割」かつ「企業が採用の際に重視する能力は『コミュニケーション』がトップの87%」だと伝えられているわけです。なぜコミュニケーション能力最優先で採用したのに、学力を問うのでしょうか? 新入社員の学力低下が気になるのなら、学力重視で選別すれば済むだけの話です。勉強のできる学生を採用しておけばこんなことにならなかった、それは誰の目にも明らかなことでしょう。「ゆとり教育で希薄化」云々と中部経済連合会は思い込みを恥ずかしげもなく披露していますけれど、勉強しなくてもコミュニケーション能力さえあれば採用される、そういう時代を作ったのは誰なのか胸に手を当てて考えるべきです。

 「こうしたギャップから、特に中小企業で、若手社員の離職につながるケースが増えている」と朝日新聞は語ります。本当でしょうか? 中小の離職率は昔から高いもの、待遇の違いなど要因たり得るものが他にある中で「こうしたギャップ」のせいにするのは筋違いにも思われます。そもそもコミュニケーション能力最優先、学力は二の次で採用しておきながら学力不足を託つ、そのギャップの責任を取るべきは誰なのでしょう。矛盾した要求をする側が悔い改めるべきなのか、それとも矛盾した要求に対応できない学生を咎めて終わるのか、本当に愚かな側が自らを恥じない限り、日本企業の競争力など望めようはずがありません。

 

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