非国民通信

ノーモア・コイズミ

他の内閣より良さそうだから、と思わせてくれる人々

2015-11-29 22:57:53 | 政治

 凧が高く舞い上がるには向かい風があった方が良いわけですが、政党にとってはどうなのでしょう。しばしば世論調査で内閣支持の理由として「他の内閣よりも良さそうだから」みたいな理由が挙がります。これは当然ながら、独裁国家では成立し得ない支持理由です。しかし我が国には、政府与党を「他よりも良さそう」と思わせるだけのものが存在していると言えます。自民党側にも色々とダメな点がある一方で、それを批判する側の主張、行動に「輪をかけてダメ」なものが目立つ、結果として「他の内閣よりも良さそうだから」と安倍内閣が一定の支持率をキープできている側面は否定できないはずです。ことによると野党が何も言わずに黙っていた方が、内閣支持率は下がっていたかも知れませんね。

 

時給1000円目標は「民主が本家」…枝野氏(読売新聞)

 民主党の枝野幹事長は25日の記者会見で、安倍首相が最低賃金の全国平均を1000円(時給)とする目標を表明したことについて、「民主党政権で定めた目標そのものだ。民主党の経済運営は正しかったと明言してもらいたい」と批判した。

 民主党は鳩山首相時代の2010年6月、当時713円だった最低賃金の全国平均を20年までに1000円に引き上げる目標を決定した。これに対し、自民党の石破政調会長(当時)が10年10月の衆院予算委員会で、企業側の負担増を念頭に「アンチビジネス的政策はやめてもらいたい」と指摘していた。

 枝野氏は記者会見で「どういう理由から(自民党は)方針を転換したのか、説明してもらわないといけない。反対のための反対だ」と強調した。

 

 確かに、石破は間違っている、安倍内閣も経済最優先などと掲げつつ、この石破の他にも河野太郎など経済優先とは矛盾した閣僚起用は目立ちますが、しかしこの枝野発言もどうしたものでしょう。ここでセットで考えられるべきは「目標の表明」と「結果」と言えます。つまり「目標の表明」は同じでも「達成できたか」「実行しようとしたか」もまた併せて判断されなければなりません。そして民主党の場合は純粋に目標の表明だけで、実現に向けて着手することはありませんでした。結果は言わずもがな、ですね。

 この先の展開次第で、自民党が民主党と同じように目標を表明するだけで実行はしないで終わるのか、それとも「民主とは違う」ところを見せてくれるのか、評価は分かれることでしょう。どのみち日本の低い賃金水準が日本国内で働く人を貧しくしてきた、ひいては日本市場の購買力を損ない日本経済の成長に枷を嵌めてきたわけです。経済成長のために大幅な賃上げは不可欠と言えます。そこで自民党が民主党的な中身のないパフォーマンスを繰り返せば、その時こそ強い批判を浴びて然るべきとは言えます。しかし、この目標の設定自体は間違っていない、そこに噛みつく枝野及び民主党の振る舞いはまさに「反対のための反対」として唾棄されるべきものです。

 

1票格差違憲状態:各政党バラバラの主張 合意は至難の業(毎日新聞)

 民主党の枝野幸男幹事長は25日の記者会見で「本気で自民党として定数削減に踏み込むことを明確にしてもらいたい」と求めた。同日に発表した談話では、1票の格差是正と議員定数削減の早期成立について「2012年11月の党首討論で、当時の野田佳彦首相と安倍晋三自民党総裁が国民の前で交わした約束だ」と指摘。「安倍首相は約束をほごにし続け、リーダーシップ、責任感はまったく見いだすことはできない」と断罪した。

 社民党の吉川元幹事長代行も談話で「『違憲状態』を放置することは『立憲主義』の否定だ」などと批判した。

 しかし、各党の主張はバラバラだ。民主党は小選挙区で15削減するほか、比例代表の削減を検討するとし、維新の党は「身を切る改革の一環として、定数の3割削減を」と訴えている。その一方で、共産、社民両党は「日本の議員数は国際的にも少ない」として定数削減を否定する。共産党の穀田恵二国対委員長は、小選挙区制度について「議席に反映しない『死票』は過半数に上る。国民主権・民主主義の根幹を破壊するもので、『1票の格差』を根本的に是正することは不可能だ」とコメントし、小選挙区の廃止を主張した。

 

 この「意票の格差」問題も然りで、格差是正を建前に議員定数の削減を求める民主党や維新は最悪、それに比べれば受け身に回るばかりの自民党は「まだマシ」と言えそうです。共産、社民両党が言ったと伝えられるように「日本の議員数は国際的にも少ない」のも厳然たる事実ですし、格差是正の名目で議席=選挙区の代表を減らされるのは専ら「有権者(人口)減少が続く弱い地方」でもあります。過疎化の進む弱い地方の議席を減らそうというのも弱者切り捨ての一貫と受け止められるべきでしょう。都市部でしか勝てない、都市住民のための政党にとっては好都合な話なのかも知れませんが!

 そもそも議員とは国民の代表であって、それを削減するのは国民から代表者を議会に送り込む権利を奪うことです。決して政党側が「身を切る」ような行為ではありません。民主や維新は議席とは自らに与えられた特権と理解しているのかも知れませんが、それは両党が民主主義を理解していないだけと言われるべきものです。議席を減らすことが「改革」に思えてしまうような政党は、代議制の意味するところを理解していない、そんな政党に議席など一つも持って欲しくない、と私は思いますね。

 なお共産、社民は定数削減に反対する以上、「一票の格差是正」にも反対すべきではなかったでしょうか。例えば医療関係者(歯科医は除く?)の多くは混合診療の解禁に強く反対しています。しかし、混合診療そのものに否定的なのかというと話は単純ではなく、混合診療の解禁によって確実に起こるであろう保険医療の縮小に反対している、そうした立ち位置の人が大半であるわけです。単に保険医療を守れと主張するのではなく、それを浸食するであろう混合診療の解禁にも反対している、そういう医療関係者が多いのですね。

 議席の削減を巡る問題も然り、一票の格差是正などと言い出したら必然的に議席が減らされる、とりわけ人口の減少が止まらない「弱い地域」が代表を国会に送り込む権利が減らされるのは誰にでも容易に予想できるはずです。弱い地域の権利などどんどん切り捨ててしまえと、そう説く強者の党が一票の格差是正を叫ぶなら、賛成はできませんが筋は通ります。しかし議席を減らすなと言いながら一票の格差是正には反対しないのは、随分と間抜けな振る舞いではないでしょうか。保険診療を拡充せよと唱えながら混合診療の解禁には何も言わずに頷いている――共産党と社民党の態度は、そういうものにしか見えません。

 

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自由律俳句5

2015-11-28 22:52:41 | 文芸欄

 

それは仕事だ、人生じゃない

― 管 理人 ― 

 

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もっと金を出しなさい

2015-11-25 23:07:34 | 社会

移民・難民受け入れなければ国そのものが滅ぶ危機 ファーストリテイリング会長兼社長 柳井正氏(産経新聞)

 --安倍晋三首相は「新三本の矢」で希望出生率1.8を打ち出した

 「本来、2以上の出生率がないと人口は減少していく。こうした背景もあり、女性の活用には子育て支援が必要になる。メイドや家政婦として外国人の活用なども欠かせないのではないか。この観点からも外国人の受け入れは重要だろう」

 --シリア難民の対応が世界的課題になっている

 「難民は欧州だけの問題ではない。カネだけを出して済ますのであれば、湾岸戦争の時と同じであり、国際的に尊敬される国になれない。現実問題として、日本では難民や移民の受け入れに否定的な意見も強いし、言葉や習慣の問題から日本で住みたいというシリア難民は極めて少ないかもしれない。それでも、グローバルに生きていくという日本が、国際協力の中で難民問題に取り組まなくてはならないのは当たり前だ」

 --日本は何をすべきか

 「すぐに受け入れるかどうかは別にして、移民や難民を受け入れる必要性や、受け入れるには何が必要なのかという議論、準備を国レベルで始めなくてはならない。同時に、海外から日本にもっと自由に出入りしたり、滞在してもらえたりすることも必要だ。観光客が来てくれるのは歓迎だが移民や難民は受け入れたくないというのは通用しないし、日本は受け入れないと国そのものが滅んでしまうことになる」

 

 日本の特徴として、移民受け入れを唱えるのは専ら財界筋とそこに阿る改革派の政治家ばかり、というのが挙げられますね。この柳井氏も実に類型的と言いますか、まぁ氏が会長を務めるユニクロの新人採用からして「日本の典型」ですから、何か目新しい知見を期待すべきではないのでしょう。端的に言えば「移民、難民に日本は勧められない」のが実態でして、劣悪な受け入れ環境が事前に分かっているにもかかわらず門戸だけを開くのは、むしろ無責任な態度として非難されるべきですらあるわけです。まず先立つものが必要、ですね。

 一方で「カネだけを出して済ますのであれば、湾岸戦争の時と同じであり、国際的に尊敬される国になれない」とのこと。この辺は「金ではなく、軍を出したい」人々の欲望が勝手に思い描いた妄想としか言えませんけれど、総じて「金を出すこと」に否定的なのもまた日本的なのではないでしょうか。「女性の活用には子育て支援が必要になる」云々は一般論として間違いありません。しかし一方で深刻な保育士不足が叫ばれているわけです。そして保育士の賃金が全産業の平均と比べて月10万円程度低いことが知られています。果たして何が欠けているのやら。

 ユニクロの社長は「メイドや家政婦として外国人の活用なども欠かせないのではないか」と臆面も無く語りますけれど、なぜ外国人でなければならないのでしょうね。外国人に子守をやらせて、日本人女性が会社で働く――ユニクロ的ビジョンを素直に受け止めれば、そういうことになります。もし仮に子守と会社勤めが同等の賃金であれば、家系的には徒労にも見えるところです。そもそも同等の賃金であれば、日本人が家で子供の面倒を見て、外国人が日本の会社で働いても変わらないはずですから。しかるにそうならないのは、両者に賃金格差があってこそと言えます。

 結局は、「日本人のやりたがらないこと」を移民/難民に低賃金で押しつけようとしているのが、柳井氏の思惑なのでしょう。子供の面倒を見る仕事は、低賃金で担い手が圧倒的に不足している、そのための解決策は何か、そう考えたときに出てくる答えの一つは「金を出す」ことですね。実入りの良い職業であれば、必ず人は集まるものです。逆に「金を出さずに」解決するためにはどうすべきなのか、金を出さない以上は「低賃金を受け入れてくれる人」を探さなければならない、それが日本で見つからないのならば、どこか貧しい国から人を買って来る、すなわち移民の「受け入れ」という話にもなるのでしょう。

 

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企業は儲かっても景気が回復していない、ということ

2015-11-22 22:41:41 | 雇用・経済

経団連会長「景気刺激策導入を」 2期連続マイナス成長で(日本経済新聞)

 経団連の榊原定征会長は16日、7~9月期の国内総生産(GDP)速報値が年率換算で0.8%減となったことについて「2期連続のマイナスは重く受け止めなければならない。景気浮揚策が一番の課題で、なんらかの刺激策を導入する必要がある」と述べ、補正予算の編成を含め政府の政策対応を求めた。都内で記者団に語った。

 

上場企業、「稼ぐ力」9年ぶり最高に 16年3月期(日本経済新聞)

 上場企業の稼ぐ力が一段と高まっている。効率的に利益を生み出す力を表す売上高経常利益率は、2016年3月期に9年ぶりに過去最高を更新する見通し。利益額も2年連続で最高となりそうだ。海外景気の減速など先行きに懸念はくすぶるものの、M&A(合併・買収)や得意分野への集中を通じ採算重視の戦略に転換した効果が表れている。

  15年4~9月期決算を終えた3月期企業1530社(金融など除く)の今期見通しを集計した。経常利益率(原則連結)は6.6%と、金融危機前の07年3月期の6.5%を上回る。4~9月実績は7.1%と初めて7%を超えた。単独決算が中心だった1980~90年代は3%前後だった。

 経常利益の合計額も今通期で34兆887億円と、過去最高だった前期から6.9%増える。

 

 ……奇しくも上記の2つは同じ日に掲載された代物だったりします。経団連の会長が「景気刺激策導入を」と唱えた一方で、それを尻目に「上場企業の稼ぐ力が」9年ぶりの最高値を更新したことが伝えられているわけです。まぁ、そういう報道は珍しくないのかも知れません。朝日新聞などでも、「給料は上がっていない、アベノミクスはダメだ」みたいな記事のすぐ隣に「人件費増で中小企業が苦しんでいる、アベノミクスはダメだ」云々といった類が載っていたりします。紙面内部での矛盾なんて気にしていては、新聞記者など務まらないのでしょう。

 もっとも上述の場合、ある意味で朝日新聞は筋が通っていると言いますか、「結果はどうあれ結論は変えない」一貫性があるわけです。翻って日経新聞の場合はどうなのでしょうか、長くなるので引用はしませんが、末尾の方で適当に留保を付けているフシはあります。ただ、その点を差し引いてもなお経団連の要求がいかに都合の良いものであるかと示すに十分ではありそうです。確かにGDPはマイナスなのかも知れません。国全体では、そういうことです。しかし、経団連を構成しているような企業の「稼ぐ力」は全く逆なのですから。

 GDPが伸びず、平均給与の下がり続ける中、内部留保とりわけ非金融法人の預金残高は上昇を続けてきました。GDPという国全体のパイが横ばいなのに、企業が使い道を見いだせずに腐らせている金ばかりが増えているわけです。削られた労働者の取り分は内部留保に消えるばかり、ですね。「景気浮揚策が一番の課題」と言うのは、確かにそうなのでしょう。では具体的には何が必要なのか――それは稼いだ富を労働者ひいては日本国内の消費者に還元せず内部留保を積み上げるばかりの企業、及びそれを代弁する経団連を叩きのめすことではないかと思えてきます。

 

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佐賀で探そう嫁ぎ先

2015-11-19 23:27:42 | 社会

関東の女性、佐賀の未婚男性と県内巡る(佐賀新聞)

 関東の女性が佐賀の男性と交流しながら県内を巡る「佐賀 ご当地結び旅」が、1日から3日間の日程で行われた。未婚女性29人が佐賀を訪れ、県内の未婚男性37人と農業体験やバルーンフェスタの会場巡りなどさまざまな佐賀の魅力を堪能した。

 佐賀のファンを拡大して将来的な広域婚活や移住促進につなげる、県とリクルートマーケティングパートナーズによる「佐賀 ご当地結びプロジェクト」の第2弾。関東の女性に佐賀をアピールし、魅力発信にも協力してもらう狙い。第1弾は9月に東京で佐賀のグルメを紹介するイベントを開いており、2回とも参加した女性もいた。

(中略)

 参加男性は女性1人に春秋航空佐賀-成田線の往復航空券1枚を贈ることができ、佐賀再訪が促せる。婚活中の会社員油井睦(むつみ)さん(28)=東京都=は「佐賀は初めて来たけれど見どころがいっぱい。将来暮らす場所の候補に加わった」と好印象。ミカン農家岡拓馬さん(24)=鹿島市=は「東京でできない農業体験は女性受けも良かったよう。農家は後継者や担い手を求めており、佐賀に嫁いできてくれたらうれしい」と語った。

 

 なんと言いますかまぁ、悲しい佐賀の話ではあるのですけれど、男女平等とかその手の観点からすると、どう受け止められるのか興味深いところです。至ってローカルな、参加者も極少数にとどまる話であるだけに「気にされていない」と言ってしまえば元も子もありませんが――関東から招くのは女性のみ、佐賀で出迎えるのは男性のみというイベントには、それはそれで闇の深いところもあるような気がします。

 確かに「農家は後継者や担い手を求めており、佐賀に嫁いできてくれたらうれしい」というのは切実な思いなのだとは思います。そうは言っても、この「男女の偏り」に色々と時代に逆行するものを感じるのは私だけでしょうか。後継者不足への対策なら、佐賀の女性がホスト側になって、関東の男性を招く企画であっても良さそうなものです。しかるに9月に行われた「第一弾」も「関東から女性を招く」企画であったとのこと、その辺りから「変われない」問題が透けて見えるわけです。

 この種の密やかな――とはいえ「県」が開催する以上、恐らくは税金の投入先でもあるのでしょうけれど――イベントまで男女に等しくあるべき、と要求するのは野暮なのかも知れません。ただ、このように性別によって明確にターゲットが分かれているのを見ると、男性と女性で「求められているもの」が違うのだなと感じるばかりです。都市部の企業や国政の場では女性の活躍云々との旗振りが賑わしいですけれど(実践に結びついているかはさておき)、それが地方にまで浸透するには色々と壁がありそうだな、と思いますね。

 

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高値が付けば芸術になる

2015-11-16 22:35:28 | 文芸欄

黒板の落書き?トゥオンブリー作品に約87億円、史上最高額(AFPBB News)

【11月12日 AFP】素人の目には黒板に描かれた落書きと大差ないようにしか見えない絵画作品に11日、米ニューヨーク(New York)で開かれた競売大手サザビーズ(Sotheby's)主催のオークションで7053万ドル(約87億円)の値が付いた。陸軍の暗号解読者から転身した米芸術家サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)が手掛けたもので、同氏作品の落札価格としては史上最高額という。

「Untitled(無題)」と題されたこの作品は、グレーのキャンバスに自家製の油性絵の具とワックスクレヨン、鉛筆を使ってぐるぐると6本の線が描かれている。トゥオンブリーの代表的な連作「Blackboard(黒板)」の一つで、1968年に描かれたものだ。著名な米国人コレクターが所有していたが、ロサンゼルス(Los Angeles)にある寺院の改装費用に充てるため売りに出した。

 

 清掃員がゴミだと思って廃棄したら、それは貴重な現代アートの傑作であった――みたいなニュースは何年かに一度は目にするものですが、まぁ素人目にはゴミと区別が付けようのない代物でも、時には「芸術品」として高値で取引されていたりするわけです。今回の件も、典型的でしょうか。もっとも庶民でも背伸びすれば手が届くくらいのブランド品でも、そんなものを持って外に出るのは恥ずかしいんじゃないかと思えるような酷いデザインは珍しくありません。結局は、その作品に込められた権威を認めるか認めないかが重要なのだと思います。

 先日は、国会図書館に「亞書」と題された1冊6万4800円の本が78巻納本されたとかで話題にもなっていましたけれど(参考)、トゥオンブリー氏の「無題」に比べれば可愛いものです。「亞書」だって現代アートの一つとして誰かが高値を付けるようになれば、国会図書館が著者に支払った136万円余りなど安いものと受け止められることでしょう。後世に名を残した大芸術家でも生前は作品が売れずに極貧の中で死んでいった人はいます。例の「亞書」だって100年後にはどうなっているか分かりません。結局は、高値を付けてくれる人が現れるかどうか、です。

 ピカソは晩年に「やっと子どもらしい絵が描けるようになった」と言い残したそうですが、ピカソの後期作品を本物の子供が高く評価することはないと思うわけです。まぁ、実際に玄人になって初めて味が分かるものはありますし、良き解説者の登場によって初めて真価が理解されるようになる作品だってあります。ぱっと見、ゴミと区別が付かないとしても無価値であるとは言い切れません。自分の作品が世に評価されずに不遇を託っている人も、希望を持ちましょう。トゥオンブリー氏の「無題」ですら87億円の値が付くのです。今は一銭にもならないあなたの創作も、100年後には21世紀を代表する芸術として100億、200億で取引されているかも知れないのですから!

 しかしまぁ、大半の人から見れば無価値なのに、ある種の人々の間では高額で流通する辺り、現代アートってパチンコ屋の特殊景品に似ていますね。

 

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日本の経営者に欠けているもの

2015-11-13 23:41:37 | 雇用・経済

 ちょっと長くなりますが、前フリとして古典的なコピペを一つ。

 

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

 

 この中に、日本の経営者に決定的に欠けている視点があるように思います。それはすなわち「株を売却して~億万長者になる~そうしたら引退して~」 という行ですね。これを実践している日本の経営者は、実に少ない。成功して億万長者になって悠々自適の日々を送ろうとするよりも、経営者の地位にしがみつく方を好むのが日本のオーナー社長ではないでしょうか。もちろん創業者として巨万の富を懐に入れはする一方で、働かずとも金持ちとして人生を楽しめるようになっても尚、社長業を続けたがるのが「日本的」と呼ばれるべきものではないかと私は思います。

 ある調査によると特殊詐欺に関わった人の2割弱は「金銭目的ではない」のだとか(参考)。働くのは金のためではない、「やりがい」なり「社会的貢献」なりの美辞麗句を優先する日本社会を端的に表わしていると言えそうです。会社経営もまた然り、必ずしも「金持ちになりたいから」ではなく、むしろ「社長として組織のトップに君臨すること」の方をこそ欲しているのが日本の経営者なのかも知れません。だからこそ、株式を売却して億万長者としての余生を送るより、業績が傾こうとも社長の座に固執しては従業員の締め上げに熱心になっている、そういう経営者が多いのではないでしょうか。

 

カレーのココイチ、創業家の鮮やかな引き際 超優良企業がハウス食品の傘下に入る意味(東洋経済)

そのココイチが、ハウス食品グループ本社の傘下に入る。言わずと知れた「バーモントカレー」「ジャワカレー」「こくまろカレー」などのカレー用ルウで首位の食品メーカーだ。壱番屋はハウス食品からすでに19.5%の出資を受けているが、ハウス食品のTOB(株式公開買い付け)を経て連結子会社となる。TOBが完了する見通しの12月1日にはハウス食品の出資比率は過半の51%まで高まる見込みで、一連の買収額は約300億円に上る。

(中略)

にもかかわらず、あえて悪く表現すると「ココイチがハウス食品に身売りした」という解釈もできるのが、今回の話である。これにはどのような背景があるのだろうか。謎を解くカギは創業者の宗次徳二さん本人と、その妻である直美さんが代表を務める有限会社ベストライフが併せて約22%の壱番屋株を保有する「創業家」にある。今回のTOBを経て、宗次家はその保有株をすべてハウス食品に売却することが決まっている。

宗次徳二さんは2002年に経営の一線を退いてからは、名古屋・栄に私財を投じて「宗次ホール」を開設。クラシック音楽の普及などのボランティア活動を進めており、株の売却資金はボランティア活動の原資に充てるそうだ。もともと壱番屋にハウス食品が資本参加するきっかけとなったのも、同じ事情だという。

創業家が経営に重大な発言権を持つ大株主でなくなってしまう。つまり、ココイチのビジネスモデルをつくりあげた創業家がいっさい身を引く、というのが重大なポイントである。

 

 ココイチのカレーはあまり好きにはなれませんけれど、ここで紹介されているのは好事例として他社にも見習って欲しいと思います。どうにも我が国では中小――というより弱小――企業が従業員の犠牲の上に延命している場合が多いわけですが、これは実に不幸なことです。ただ一人、「社長であり続けたい」という欲望を満たしている人を除いては、でしょうか。むしろ「弱い企業」は積極的に「強い企業」に自社を「売る」ことを考えて欲しいところです(ココイチは割と強い方、と言うのはさておき)。「会社を保持し続けたい」という中小経営者の欲望のために無理な経営を続けるよりも、大企業の一部に入った方が従業員のためにもなるケースは多いことでしょう。

 中小企業と大企業とでは単に賃金水準が違うだけではなく労務管理ひいては健康管理も違う、生活習慣病の割合も企業規模次第で大企業と中小企業との間には経済格差だけではなく健康格差さえもが歴然と存在するのが実態です。どうにも日本では「一国一城の主」であることが好まれるようですが、「より大きな企業の傘下に入る」というのも賢明な選択肢として、もっと検討されるべきではないでしょうかね(とりわけココイチのように、経営が悪化してからではなく高値で売れる頃合いを見計らっての身売りは最良の事例です)。中小企業同士が生き残りを賭けた過当競争を続けるよりも、積極的に大企業への集約化が進められる方が合理的でもあります。それは日本の経済界にとっても労働者にとっても良いことですから。

 

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Constitutionを守る、ということ

2015-11-10 22:56:04 | 政治

日野市の封筒「憲法守ろう」が黒塗り 市長「遺憾だ」(朝日新聞)

 東京都日野市が古い封筒を利用する際、表に印刷された「日本国憲法の理念を守ろう」という言葉を黒く塗りつぶしていたことがネット上で問題になり、市に問い合わせや抗議の電話が相次いだ。市は「単純なミスだ」と説明。大坪冬彦市長は30日、「誤った事務処理により、誤解を与えて遺憾に思う」とのコメントを市ウェブサイトで発表した。

 市によると、封筒は1~2年ごとに文言やデザインを変えて数万枚作っている。「日本国憲法の理念を守ろう」の封筒は2010~11年に作られた。その後の変更を経て、今の封筒にはその文言はない。市長公室は「盛り込む文言を減らしてメッセージ性を高めようと、11年か12年の変更時になくなった」とする。

 今年2月ごろ、環境共生部緑と清流課で約1万枚残っていた古い封筒を利用する際、課長が「今の封筒と同じようにして使うように」と指示。同課では約1200枚の封筒について、いくつかあるフレーズのうち「日本国憲法の……」の文言を黒く塗りつぶし、うち約700枚を郵送などに使った。

 

 ほぼ全てのケースにおいて、政治家が「誤解を与えた」と釈明する場合は「真意を理解されたこと」が問題になっているわけです。政治家が嘘偽りのない正直な思いを語り、その意図するところをメディアや市民が正しく理解して、これを問題発言だとして糾弾する、そして政治家が「誤解を与えた/意図が誤って伝わってしまった」云々と弁明する、お決まりのパターンですね。日野市の場合も市長が「誤解を与え~」と宣うからには、問題の黒塗り封筒には市政を担う人達の明確な意図が込められていたと見るべきでしょうか。

 ドイツには"Bundesamt für Verfassungsschutz"という組織がありまして、英語では"Federal Office for the Protection of the Constitution"と訳されます。そしてこれが日本語になりますと「連邦憲法擁護庁」とするのが通例です。憲法擁護とはなんぞや、と感じる人も多いかも知れませんが、まぁ訳が適切でないように私は思います。要するに"Constitution"を守るための組織であり、実態としては「公安」のような類なのですけれど、守るべき対象である"Constitution"を「憲法」と訳してしまうからイメージが伝わりにくいのではないでしょうかね。

 もちろん"Constitution"には、日本語で言う「憲法」の意味もあります。しかし、それだけではありません。「国体」もまた"Constitution"です。そして日本では「憲法」と「国体」が乖離しているが故に、「憲法擁護庁」の意味するところが「公安」のイメージに結びつきづらいと言えます。しかし国によっては、"Constitution"は"Constitution"であり、"Constitution(憲法)"と"Constitution(国体)"が別物であるなどあり得ない、そうした文化もあることでしょう。日本では明確に区別されていても、反対に不可分と考えられている国もあるわけです。

 果たして公務員は「何に」仕えているのでしょうか? 総じて公務員批判に熱心な政党/政治家ほど――民主党などが典型的ですが――「党」を官僚が従うべき対象として念頭に置いているケースが多いように思います。要するに、自分たちが政権を取れば官僚機構は自分たちに従うべき、従わない奴らは「改革」してやると、暗にそう語ってきた人気政治家は多いはずです。これは実のところ社会主義「国」的な発想だったりもするのですけれど、では反対に、より民主的な――民主「党」的ではない――考え方をするならばどうでしょう?

 公務員は"Constitution"に仕えるもの、というのが私の見解です。特定の政党、政治家あるいは特定の企業やクレーマーに仕えるのではなく、そして自身の理想に邁進するのでもなく、あくまで"Constitution"に仕えるのが公務員の本来あるべき姿であろう、そう私は考えます。"Constitution"を支えるのが役割であって、これこそが公務員にとって最も優先されるべきもののはずです。しかるに封筒に印字された"Constitution"を黒塗りしている市役所があるという現実はいかがなものでしょうか。"Constitution"を守ろうという考えを、「公」が捨ててはいけないと思いますね。

 

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朝日新聞の記者はミャスコフスキーを知っているか

2015-11-07 22:42:05 | 社会

 一部の自治体ではTSUTAYAに図書館業務を委託するなんてところもありまして、その先鞭を付けた市長はめでたくTSUTAYAの関連企業に就職が決まったそうですが、まぁ色々と問題が指摘されているわけです。ずさんな管理もさることながら、TSUTAYA(のグループ会社)で売れ残って処分に困った本を図書館に納めているのではという疑惑もある等々、何かとダメな点ばかりだったりします。ただ「売れない本」≒「本屋では手に入りにくい本」みたいなフシも一部にはありまして、古い参考書ですとか古いガイドブックですとか、そういう類が図書館に蓄積されるのことには肯定的な面がないわけでもないかな、とも思いました。その辺は運営する側の意図とは全く無関係なのでしょうけれど。

 なお書籍自体の売上額は年々下がり続ける一方で図書館での貸し出し数は増えているのだそうで、まぁ「本を読まないわけではないが、本にお金は払わない」人が増えているのかも知れません。その辺に出版業界や作家が疑義を投げかけたりもしているとのこと、確かに図書館の無料貸本屋化は目に余るところがある、田舎の小さな本屋でも普通に売られているようなベストセラー本が図書館で大量に購入/貸し出しされて民業圧迫に繋がっているのは否定できないでしょう。「民間にできることは民間で」と唱えるような論者ならば、こうした図書館の在り方をこそ槍玉に挙げて欲しいと思います。別にベストセラー本だからといって図書館が買ってはダメとまでは言いませんけれど、税金による購入が許されるのは1冊だけにすべきです。

 

1冊6万円謎の本、国会図書館に 「代償」136万円(朝日新聞)

 ギリシャ文字などを無作為に打ち込んだ1冊6万4800円(税込み)のシリーズ本が、国立国会図書館に78巻納本された。納本された本の定価の一部などを発行者に支払う仕組みがあるため、すでに42冊分の136万円余が発行者側に支払われている。納本は法律で義務づけられているが、ネットでは疑問の声が上がり、同館も支払いが適正だったのか調査を始めた。

(中略)

 同社は2013年3月に設立され、代表取締役の男性(26)が1人で運営。男性は朝日新聞の取材に対し「自分が即興的にパソコンでギリシャ文字を打ったもので、意味はない。本そのものが立体作品としての美術品とか工芸品。長年温めてきた構想だった」と説明。題名も「ひらめいて付けた。意味はない」。著者のアレクサンドル・ミャスコフスキーは「架空の人物で、作品のイメージとして記載した」と話した。

 ログイン前の続き各巻20部を自らレーザープリンターで印刷し、装丁。「1冊の作成に3万円強かかっているため、1冊あたりの利益はアマゾンへの支払いを差し引くと6千円」で、価格は妥当だとし、「まだ1冊も売れていないが、代償金目当てではない」と語った。

(中略)

 田村俊作・慶応大学名誉教授(図書館情報学)の話 「納本制度は文化や情報の自由に貢献しようという、発行者側と国会図書館との合意が前提だ。本の内容から納本の適否を判断することは、検閲につながるのでやってはならないが、米英などには代償金の仕組みはない。想定外のことだが、この仕組みを悪用しようとすれば、できてしまいそうなことが明らかになった」

 

 さて報道によると「縦12センチ、横9センチの枠内にギリシャ文字やローマ字が並び、ページ数は振られておらず、全く同じ内容のページもある」本が国会図書館に納本されたそうです。かかったであろう経費と支払額を鑑みると一概に営利行為とは言い切れないようにも思われるところ、著者に言わせれば「本そのものが立体作品としての美術品とか工芸品」なのだとかで、確かにまぁ、現代芸術の中にはこうした類もありますよね。本人は意外に、マジなのかも知れません。ただ市場で高値が付いている現代アートは、それを裏付けてくれる評論家の権威あってこそ、です。「普通の人」から見れば現代芸術はゴミと区別が付きません。だからこそ、こうした「本」に136万円余が支払われたことが問題視されてもいるのでしょう。

 なおミャスコフスキーと言ったらソ連の作曲家ニコライ・ミャスコフスキが有名です。何度となくスターリン賞に輝いたソ連を代表する作曲家である一方、「西側」では長らく無視されてきた存在でもあったりします。20世紀の作曲家としては珍しく27曲もの交響曲――20世紀の「西側」の作曲家が見捨てたジャンルの曲――を書いたことでも名高いのですが、この20世紀に迷い込んだ恐竜のような作曲家の存在が上記引用の78巻本の著者に意識されていたのかどうか、新聞記者には突っ込んで欲しかったところですね。

 プロレタリアートが権力を握ると趣味がブルジョワ化する、なんて宣う人もいました。つまりソ連の偉い人達が好んだ芸術は、一世代前のブルジョワの間で好まれていたものに近かったわけです。もっとも同時期の西側のブルジョワ層はといえば、専ら落書きのような現代美術の方に高値を付け始めていたのですから、まぁプロレタリアート独裁の嗜好はブルジョワ趣味というよりも周回遅れといった方が正しいような気がします。ともあれ社会主義体制では前衛芸術は好まれず、19世紀以前からのスタイルの延長線上にあるものの方が受け入れられていました。ソヴェト体制下において前衛芸術は――皮肉にもロシアが一大勢力を築いていた分野であったにもかかわらず――糾弾の対象ですらあったくらいです。

 件のアレクサンドル・ミャスコフスキー氏がソ連の人間であったのなら、たぶん「退廃的である」とかなんとか宣告されてシベリア送りになっていたかも知れません。幸か不幸か日本では「返金」という結果に落ち着きそうですけれど、納本されるべきかの基準はどこにあるのでしょうね。アレクサンドル・ミャスコフスキー氏の著作に負けず劣らず無価値な代物は山のようにある、その中には評論家からヨイショされて社会的な権威を獲得しているものもある、信者からは聖典と崇められているものだってあるはずです。代償金の算定基準は再考されても良さそうですが、納本拒否や返本といった結果にはならないで欲しいとは思います。

 

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国内で評価されていないものであったとしても

2015-11-04 23:00:13 | 社会

先生を3万7千人削減、財務省要求へ 借金増抑える狙い(朝日新聞)

 財務省は26日、公立小中学校の教職員の定数を今後9年間で約3万7千人減らすよう文部科学省に求めていく方針を打ち出した。少子化に合わせて人件費を削り、国の借金増に歯止めをかけるねらいだが、忙しい教育現場の反発は必至だ。

 2024年度の小中学生の数は、いまより94万人少ない875万人に減る見通し。ただ、文科省は相次ぐいじめや不登校などへの対応のため、現在69万4千人の教職員定数は大きく減らさず、24年度までに5千人の削減にとどめる計画だ。

 これに対し、26日に開かれた財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で財務省は、10クラス当たりの先生の数をいまと同じ18人に据え置いても、24年度の教職員数は3万7千人減らせると指摘。年1兆5千億円の人件費の国負担分を約800億円削れるとしており、来年度の予算編成でも削減を求めていく方針だ。

 ただ、経済協力開発機構(OECD)の調査で、日本の中学校教員の勤務時間は週53・9時間と参加34カ国・地域の中で最も長い。都内の公立小の男性教員は「授業以外に事務作業や会議などが大変。もっと子どもと一緒に過ごす時間がほしい」と話す。

 財務省は、日本の先生が忙しいのは授業以外の事務作業に忙殺されていることが原因だとし、「先生の数を増やしてもいじめや不登校が減るとは限らない」と指摘。NPOや元教員をもっと活用すべきだと主張するが、文科省との交渉は難航しそうだ。(奈良部健)

 

 官僚へのヘイトを掲げて――それは支持層の期待から微妙にずれていたのはさておき――躍進した民主党ですらも例外的に悪罵の対象から外してきたのが財務省でもあるわけですが、しかし同様に例外として全否定されても致し方ないであろうと思えるのが、この財務省でもあります。財務省の主導する誤った政策は官邸主導なり脱官僚なりを唱える人々からも大いに尊重されてきた一方、その結果はいかがなものでしょう。財政再建を錦の御旗に掲げつつ、その実は日本の経済成長を妨害し、巡り廻っては財政すらをも悪化させてきた疫病神集団の首がなぜ飛ばないのか、その辺は興味深いところです。まぁ権力を持っている人々と「志」の面で共鳴する集団なのかも知れませんね。政治家は損得ではなくイデオロギーで動くものですから。

 「先生の数を増やしてもいじめや不登校が減るとは限らない」というのは確かにそうなのでしょうけれど、次に出てくる提言は「NPOや元教員をもっと活用すべき」云々とのこと、「NPOや元教員」ならばイジメや不登校を減らせるとは、どうにも考えにくいことです。ただ「NPOや元教員」に低賃金で教員の代替を務めてもらうことで「対策は取ってます」というアリバイを作るぐらいでしょうか。学校現場の問題は生徒一人当たりの教員数の少なさばかりではないにせよ、教員数を先進国水準に追いつかせようとする姿勢ぐらいはあって良いように思います。まぁ、文科省も「(先進国ではなく)新興国に」日本式教育を輸出しようなどと企てているようですから、意外に整合性はあるのかも知れませんが(参考、先進国では受け入れられないであろうもの)。

 財務省の喧伝する約800億円の削減なんて、それこそアホな法人税減税を止めればお釣りが来て余る話ですが、銭勘定よりも優先されるべきなのはイデオロギーなのでしょう。そもそも一般的な国において教育とは未来への投資であり、高い教育水準はその国の将来的な経済引いては財政を強化してくれるものであるはずです。しかし日本においては、その未来への投資が贅沢品であるかのように勘違いされている、財政再建という看板を隠れ蓑にしつつ、いかに法人税減税の原資を捻出するかしか考えられていないのが実態と言えます。公教育への投資を惜しみ、経済的にゆとりのある親から生まれた子供だけが高度な教育を受けられる社会など先が見えたものですけれど、そんなものは気にしない人々が官僚組織の中で最大の信頼を得ているわけです。

 日本の学校教育も国際社会では最高レベルでこそないものの一定の評価は得ていると言えますが、日本社会ではどうなのでしょう。日本国内の高等教育で得たものを否定したがるのが日本の会社であり、そして日本の高等教育にダメ出しをする人々が「社会人」相手に用意する研修内容といえば自衛隊への体験入隊であったり、無人島でのサバイバル体験や穴掘り、新興宗教まがいの自己啓発セミナーや実は似非科学でしかないコンサルタントの高説を聞かされるばかり等々、ことによると日本の教育を最も低く評価しているのは当の日本社会なのでは、という気もします。なにせ日本の会社が求めるのは高等教育を受けた人よりも低賃金と非正規待遇を受け入れてくれる人の方ばかりですから。

 ほんの一握りの高等教育を受けたエリートと低賃金の単純労働者多数、という組み合わせを理想とする人は我々の社会には多くいるようですが、そんな植民地時代のプランテーション方式みたいな経済モデルではグローバル化する世界経済の中で日本が生き残っていくことは不可能です。そこはやはり将来の日本経済を支えるためにも公教育の水準を高めていく姿勢が、財政を与る立場にも求められるように思います。教育水準を経済の成長性と切り離して目先のことだけ追い求めるならば教員削減も財政再建の一貫になるのかも知れませんけれど、消費税増税のように経済成長を阻害してしまえば必然的に税収も減る、財政再建も遠のくばかりなのですから。

 

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