世の中には宗教法人の皮を被った営利組織も多々あろうかと思います。その辺は方々で語られていることでもあるでしょうけれど、反対に「営利企業を装った宗教団体」みたいなのも結構あるのではないか、そんな気もするわけです。看板に宗教を掲げつつも金銭的利益を追い求める経営者がいる一方で、表向きは企業の体でも実は金銭的利益より社員の洗脳にこそ力を入れている――結構ある話ではないでしょうか。
起業した理由を「金持ちになりたいから」と公言する創業者は少数派です。現実問題として、会社を作って大きくして上場させて株式を売り払って残りの人生は資産家として悠々自適、みたいな人生を送る人を日本で見ることは皆無と言って良いでしょう。ヨソの国ではそう珍しくもないと聞きますが、日本では会社を売るなどとんでもない、儲からなくなっても社長の座にしがみついて自分の城を守ろうとする人の方が普通です。
教祖が本を出して、それを信者に買わせるのはよくあることです。しかし会社の社長が本を出して、それを社員に買わせているケースも割とあることだったりします。そもそも朝礼や社内行事を通して、創業者や社長の「教え」を社員に唱えさせている会社は多くの日本人にとって経験のあるところでしょう。営利企業たるもの利潤を追求しているかと言えば、その実はトップが自身の信者を増やすことの方に力が入っていることもあるはずです。
(永守重信のメディア私評)働き方改革 生産性向上、経営そのものの議論(朝日新聞)
野党やメディアの一部が批判する「高度プロフェッショナル(高プロ)」のような制度は必要ではないか。当社でも、研究開発や企画、営業などでは休日も仕事に来る社員がいる。成果を出したいからだ。そもそも働くのはなぜだろう。私にとっては、生活の糧を得るためだけでなく、会社を大きくして多くの人を雇うためだ。そのために土日も働いた。人によって違うだろうが、のめり込む人もいる。健康管理は欠かせないが、もっと働きたいという人まで制度でやめさせる必要があるのだろうか。そういう社員まですべて時間制限でがんじがらめにしてしまうと身動きがとれない。
京セラなんかは宗教的風土の強さで名高く「稲森教」などとも呼ばれるわけですが、この引用元の語り手である日本電算の会長の方はどうでしょうか。伝え聞くところによれば、会議は通常業務の終了後、新入社員はトイレ掃除、休暇を取る者は怠惰であると見なされる云々と、悪しき日本企業の典型みたいな王国を作り上げたようでして、過去には「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と主張して結構な批判を浴びたりもしていました。
近年は社会情勢の変化もあり、表向きは労働時間の削減に取り組んでいることも伝えられる一方、やはり本音が漏れ出ているところはあるようです。かくして高度プロフェッショナル制度への必要論が語られていますが、結局はそれが永守氏の理想なのでしょう。単に儲かるだけでは満足できず、社員が自身の王国に私生活をなげうって奉仕する、そんな世界を追い求めていると言えます。
そもそも現行の労働時間規制も普通に過労死が続出するレベルのザル規制です。これほど長く働いてもなお十分な成果を出せないというのであれば、会社の指示が間違っていて無駄な努力をさせているのか本人が無能かのどちらかです。いずれにせよ、労働時間を延ばすことで解決するようなものではありません。今以上に労働時間を延ばすことを望むのは、単に社員の全てを支配したいという経営者の歪んだ欲望を満たそうとするだけではないでしょうか。
また人間には会社員としての側面以外にも家庭人や市民としての役割があります。会社が自社従業員のリソース全てを占有してしまえば、当然ながら家庭人や市民としての務めは疎かにされざるを得ないでしょう。先日は世界保健機関が、他の日常生活よりもゲームを優先するような状態を「ゲーム障害」と扱うと発表しました。では、現行の過労死ラインを大きく越え、家族や市民としての責務を放り出して会社で働こうとする人は? それでも教祖は、教団の外の人間には理解できない反社会的行為を信者に求めるものです。