非国民通信

ノーモア・コイズミ

そもそも長く働けば成果が出るという考え方が

2018-06-24 23:45:23 | 雇用・経済

 世の中には宗教法人の皮を被った営利組織も多々あろうかと思います。その辺は方々で語られていることでもあるでしょうけれど、反対に「営利企業を装った宗教団体」みたいなのも結構あるのではないか、そんな気もするわけです。看板に宗教を掲げつつも金銭的利益を追い求める経営者がいる一方で、表向きは企業の体でも実は金銭的利益より社員の洗脳にこそ力を入れている――結構ある話ではないでしょうか。

 起業した理由を「金持ちになりたいから」と公言する創業者は少数派です。現実問題として、会社を作って大きくして上場させて株式を売り払って残りの人生は資産家として悠々自適、みたいな人生を送る人を日本で見ることは皆無と言って良いでしょう。ヨソの国ではそう珍しくもないと聞きますが、日本では会社を売るなどとんでもない、儲からなくなっても社長の座にしがみついて自分の城を守ろうとする人の方が普通です。

 教祖が本を出して、それを信者に買わせるのはよくあることです。しかし会社の社長が本を出して、それを社員に買わせているケースも割とあることだったりします。そもそも朝礼や社内行事を通して、創業者や社長の「教え」を社員に唱えさせている会社は多くの日本人にとって経験のあるところでしょう。営利企業たるもの利潤を追求しているかと言えば、その実はトップが自身の信者を増やすことの方に力が入っていることもあるはずです。

 

(永守重信のメディア私評)働き方改革 生産性向上、経営そのものの議論(朝日新聞)

 野党やメディアの一部が批判する「高度プロフェッショナル(高プロ)」のような制度は必要ではないか。当社でも、研究開発や企画、営業などでは休日も仕事に来る社員がいる。成果を出したいからだ。そもそも働くのはなぜだろう。私にとっては、生活の糧を得るためだけでなく、会社を大きくして多くの人を雇うためだ。そのために土日も働いた。人によって違うだろうが、のめり込む人もいる。健康管理は欠かせないが、もっと働きたいという人まで制度でやめさせる必要があるのだろうか。そういう社員まですべて時間制限でがんじがらめにしてしまうと身動きがとれない。

 

 京セラなんかは宗教的風土の強さで名高く「稲森教」などとも呼ばれるわけですが、この引用元の語り手である日本電算の会長の方はどうでしょうか。伝え聞くところによれば、会議は通常業務の終了後、新入社員はトイレ掃除、休暇を取る者は怠惰であると見なされる云々と、悪しき日本企業の典型みたいな王国を作り上げたようでして、過去には「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と主張して結構な批判を浴びたりもしていました。

 近年は社会情勢の変化もあり、表向きは労働時間の削減に取り組んでいることも伝えられる一方、やはり本音が漏れ出ているところはあるようです。かくして高度プロフェッショナル制度への必要論が語られていますが、結局はそれが永守氏の理想なのでしょう。単に儲かるだけでは満足できず、社員が自身の王国に私生活をなげうって奉仕する、そんな世界を追い求めていると言えます。

 そもそも現行の労働時間規制も普通に過労死が続出するレベルのザル規制です。これほど長く働いてもなお十分な成果を出せないというのであれば、会社の指示が間違っていて無駄な努力をさせているのか本人が無能かのどちらかです。いずれにせよ、労働時間を延ばすことで解決するようなものではありません。今以上に労働時間を延ばすことを望むのは、単に社員の全てを支配したいという経営者の歪んだ欲望を満たそうとするだけではないでしょうか。

 また人間には会社員としての側面以外にも家庭人や市民としての役割があります。会社が自社従業員のリソース全てを占有してしまえば、当然ながら家庭人や市民としての務めは疎かにされざるを得ないでしょう。先日は世界保健機関が、他の日常生活よりもゲームを優先するような状態を「ゲーム障害」と扱うと発表しました。では、現行の過労死ラインを大きく越え、家族や市民としての責務を放り出して会社で働こうとする人は? それでも教祖は、教団の外の人間には理解できない反社会的行為を信者に求めるものです。

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手本が悪けりゃ

2018-06-17 22:53:28 | 社会

 子供の虐待云々は定期的に世間を賑わせるものですが、聞くところによると子供を虐待する大人には、自身も親虐待を受けて育った人が多いそうです。まぁ、誰しも最初は身近な大人から学ぶもの、子育て経験の第一は「自分が育てられたときのこと」ですよね。いざ自分が子供を育てるとなったとき、知っているのは何よりも「自分が育てられた方法」なのではないかと。

 体育会系の部活動における「シゴキ」の伝統も似たようなものだろうと思います。そういう「指導」の仕方で育った人の大半は、そういうやり方しか身につけられないものでしょう。世の中には0から独自にシゴキの方法論を編み出すイノベーターもいるのかも知れません。しかし圧倒的多数は、先輩から教わったシゴキの方法を継承していくわけです。

 虐待にせよシゴキにせよ、それが受ける側の望みでないことは確かです。子供が親からの虐待を望むことはない、下級生が上級生からのシゴキを望むはずはない、反対に逃れたいと考えているはずです。ところが子供/下級生の頃には嫌でたまらなかった虐待/シゴキを、自らが親/上級生になったときにも嫌っているかと言えば、必ずしもそうでなかったりするわけです。むしろ積極的に拳を振るうようになったりもするのではないでしょうか。

 まぁ、他のやり方を知らないのなら、そうなってしまうのも仕方がないのかも知れません。もっと別の方法を知る機会があれば、虐待する親もシゴキが趣味の先輩にも、別の選択肢があり得たと考えられます。中には自分が育てられたのとは違うやり方を模索して、その輪廻から外れる人もいるのでしょう。しかし、自分の親なり先輩なりの「正しい」方法論を、長じて実践するようになる人もまた少なくないように見えます。

 実は会社組織でも似たようなところがある、と最近は感じるようになりました。とかく「自分で考える力を身につけさせよう」と部下の問いには答えずクイズを出すばかりの無能な上司が目立つのですが、これもまた自身が育てられたやり方を実践しているに過ぎないところもあるのではないか、と。自分自身が育てられたやり方で、今度は部下を育てようとしているわけです。

 「自分で考えろ」と言って明確な指示を出そうとしない上司に育てられた人間は、「自分で考えろ」と言って判断の責任を部下に丸投げする方法論を学びます。平社員が管理職になったとき、独自の方法論で部下に接するケースが果たしてどれだけあるでしょう。「普通は」自分自身の上司を手本とするものではないでしょうか。そもそも上司なのですから、その真似をするのは間違いではないですよね?

 上司が業務命令として明確な指示を出せば、その責任は命じられたことを実行した部下ではなく上司に求められます。しかし上司は「チャレンジ」を求めただけで、部下が自分で考えて不適切な会計処理を行ったのなら、上司の責任は曖昧になります。このような組織において部下が上司から学ぶのは、まさしく「己の責任を回避する方法」なのかも知れません。

 親は子の手本、上級生は下級生の手本、上司は部下の手本です。部下に対して明確な指示を出すタイプの上司であれば、部下は「明確な指示の出し方」を学ぶことでしょう。しかし、そういう手本を示してくれる人と接する機会がなければ、その方法論を身につけることは困難です。良き「お手本」のいない社会は、ダメな人間を再生産してしまいます。

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経済誌が覆い隠したがるもの

2018-06-10 23:13:24 | 雇用・経済

48歳「市の臨時職員」、超ブラック労働の深刻(東洋経済)

私はあえて彼に「正論」をぶつけてみた。

――労働組合は基本、組合員の利益のために賃上げや労働環境の改善に取り組む組織である。そして賃上げは本来、働き手が労働組合に入るなどして、自らが要求して勝ち取るものだ。今回、労働組合は自分たちの『取り分』を削り、組合員ではない非正規職員のために賃上げを実現させたのであり、ヨシツグさんは、組合に入って声を上げることもせず、組合費も払わず、利益だけを享受したということになるのではないか――。

 

 さて今回の引用ですが、タイトルだけを見ればブラック労働の実態を伝える記事に見えそうです。しかるに、何分にも経済誌です。所々に怪しい記述が見え隠れしているわけで、とりわけこの産経新聞ばりの「正論」とやらは、らしいと言えばらしいという他ないでしょうか。

 この引用箇所は勤続10年超の「臨時」職員に対するお説教なのですけれど、曰く労働組合とは「組合員の利益のために賃上げや労働環境の改善に取り組む組織」なのだそうです。へー。たぶんまぁ、経済誌的にはそのような「定義」であろうことは私にも分かります。しかし、実在の組合がやっていることとの整合性はどうでしょうかね?

 民進党の下部組織としての活動が中心の組合もあれば、「労働者の代表」として会社側の提案に同意するのが役目の組合もあります。待遇改善を目指して会社との対決を厭わない組合もないことはないかも知れませんが、そういう組合は「連合」から排除されていることもあるでしょう。そもそも、組合があっても賃上げが行われない会社もあれば、組合がなくても賃金が上がる会社もありますし……

 安倍政権がナアナアにしてきた高度プロフェッショナル残業代ゼロ制度を突如として「容認」すると宣言したのは労組の多数派組織である連合トップですし、安倍政権の賃上げ要請に難色を示したのも連合上層部、しばしば安倍政権が掲げた賃上げ目標よりも低い目標額を掲げるのが連合傘下の諸組合だったりもします。連合から排除された少数派組合ならいざ知らず、圧倒的多数派である「普通の」組合がそんなに賃上げや労働環境の改善に取り組んできたとは言えないでしょう。そもそも労組連合を最大の支持母体としていたはずの民主党政権下で、労働者全般の待遇はどうなりましたか?

 この引用箇所の前段では、非正規職員の賃金が幾分か増えたことが伝えられており、それを受けて「労働組合は自分たちの『取り分』を削り、組合員ではない非正規職員のために賃上げを実現させた」などとも書かれているわけです。やはりまぁ、経済誌的にはそういうものなのだろうな、と。経済誌の「お約束」では正社員(正規職員)と非正規雇用の賃金はトレードオフということになっているようですから。

 もちろん現実としては、労働組合(及び正社員)が非正規社員(職員)の給料を払っているわけではありません。非正規職員の賃金が増えても、労組の懐が痛む要素は皆無です。しかし非正規の賃上げには正社員の賃金を抑制することが不可欠なのだと、そう語る経済系の論者は少なくありません。ここに論理的な整合性は微塵もありませんが――非正規への同情論を口実に正社員の賃金カットを正当化したいという欲望を抱いた人が存在していることは理解できます。

 だいたい賃金は労働の対価であり、その昇給を「組合に入って声を上げることもせず、組合費も払わず、利益だけを享受した」などと詰られる謂われはないでしょう。このような暴論が成り立つなら、この数年で賃金が上がった「非自民党支持者」に対して「自民党に投票することもせず、党サポーター費も払わず、利益だけを享受した」みたいな非難だって許されてしまいます。

 また多数派労組の「本音」を最も端的に表していると感じられるのは、自身の勢力拡大に不熱心なところではないでしょうか。これだけ非正規が増えた時代には、当然ながら非正規層を組合に取り込んだ方が組合の収入だって増えます。民進党に捧げたい組織票だってある程度は見込めるでしょう。しかるにユニオンショップよろしく正社員は自動加入、しかし非正規に声は掛けない、それが労組の普通です。何故?

 自身の影響力を強めたい「野心的な」労組であるならば、加入者は増やしたいはずです。非正規社員が「志願して」組合に押しかけてくるのを待つような怠惰はあり得ません。「オルグ」は自分からやるものです。しかし非正規社員を前にした労働組合は彼女いない歴=年齢の中年男性よりもずっと奥手です。待ちの一手で交際相手が見つかることなどあり得ないように、組合員が増えることもありません。しかし、それをどうにかした形跡すらないのが組合の普通なわけです。

 今回の冒頭に引用した「正論」では組合未加入の非正規職員がフリーライダーであるかのごとく非難されていますけれど、強者である組合側の対応に問題はなかったのでしょうか。非正規が組合に入っていないことが悪いのではなく、非正規を取り込もうとしてこなかった多数派組合にこそ、むしろ問題は少なくないように私には思われてなりません。非正規職員個人を「組合に入らない」と詰るより先に、労組に「非正規を誘わない」ことの是非を問うのが先であるように感じられます。

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あまり争点になりませんでしたね

2018-06-04 00:11:38 | 政治・国際

働き方法案、衆院を通過(朝日新聞)

 安倍政権が今国会で最重要と位置づける働き方改革関連法案は31日の衆院本会議で、自民、公明両党と日本維新の会、希望の党などの賛成多数で可決し、衆院を通過した。参院では6月4日の審議入りで与野党が合意。高度プロフェッショナル制度(高プロ)以外にも多くの論点を残したまま、議論の舞台は参院に移る。

 

 去る5月31日、政府の「働き方改革関連法案」がひっそりと衆院を通過しました。参院での審議入りについても与野党での合意が取れていると伝えられています。もちろん全国紙で普通に報道されていることですので決して「こっそり」行われたことではないのですけれど、世間の注目度及び国会論議と報道の熱の入り方はいかがでしょうか。その度合いを思うに「ひっそり」ぐらいの扱いが妥当と感じられるわけです。

 法案の衆院通過の2日前、5月29日は連合が、どういう風の吹き回しか高度プロフェッショナル制度への反対を表明しました。連合の本来の立ち位置は逆と言いますか、元々は高プロに賛成してきたはずです。ただ(連合幹部には予想外の)反発もあって態度を棚上げにしてきた代物でもあります。本音では高プロ賛成の立場は変わっていないと考えられますが――衆院通過が確実となった、労組として反対意見を表明しても大勢に影響がなくなった、だからこそ組合員へのアリバイ作りとして反対のポーズを取ってみた、と言ったところでしょうか。

 一方で扱いが大きいのは、政治的な分野に限るならば相変わらず森友学園や加計学園を巡る問題のようです。野党や報道機関が力を入れて扱いたいのは、働き方改革関連法案よりも政府スキャンダルの方であるように見えます。この辺、野党議員もメディア上層部も、連合と同じく経営目線で高度プロフェッショナル制度には必ずしも反対ではない、むしろ賛成の人も多いのでしょう。そもそも庶民一般の中にも、心だけはエグゼクティヴで、経営側に都合の良い制度こそが望ましい経済政策なのだと信じて止まない人は少なくないですよね!

 まぁ北朝鮮に対する拉致問題よろしく、一方的に相手を非難していれば事足りる問題というのは、ある種の人々にとって好都合なのでしょう。建設的な議論をするより、相手の非をあげつらっていた方がずっと楽です。責めることもあれば逆に責められることもあるような問題は与野党いずれにとっても面倒に違いありませんが、少なくとも森友・加計の問題に関して野党は一方的に責めるだけですから楽なものです。

 まぁ安倍内閣の支持率も昨今は下げ止まり、森友・加計の問題をいくら追求したところで野党支持層を興奮させることはあれ、与党支持層を今以上に切り崩すことは不可能に見えます。でもまぁ往々にして政治家は、新たな支持の拡大を目指すよりも、既存の支持層を喜ばせることの方を選びがちなのではないでしょうか。信念に乏しく当選第一の政治家ならば有権者の声に左右されますが、逆に己の信念と理想を重んじる議員であればこそ、世論には流されず、自分と主義主張が似通う人たちの声ばかりを聞こうとするものですから。

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