非国民通信

ノーモア・コイズミ

「働かないおばさん」の作り方

2016-02-28 11:51:24 | 雇用・経済

 よく経済誌などには「働かないおじさん」なる概念が登場しますが、実態はどれほどのものでしょう。一口に「働かない」と言っても「会社から働きを認められない」場合と、「意味のある仕事をしていない」場合があります。往々にして「働かないおじさん」を追い出したつもりの組織は低迷を続けるのを鑑みるに、「会社から働きを認められない」おじさんとは、その実は現場を下支えしている必要な人材であり、逆に「働いている」と会社や上長から評価されている人ほど余計なアピールばかりで組織の足を引っ張る存在なのではないかという気がしないでもありません。

 一方で反対に「働かないおばさん」もいると思うわけです。日本の会社には偉い女性が少ないですので、その分だけ女性が批判の矢面に晒されることも少ないと言えますが、無能さや有害さにおいて男性も女性も差はありません。男性が支配していた領域に女性が台頭しても、あるいは女性が担ってきた分野に男性が進出しても、それだけで何かが良くなるはずもないのです。男女に差はありません。迷惑な人、組織の害にしかならない人は男も女も関係なく存在します。

 日本では家事労働における女性側への依存度が極めて高いことが知られています。しかるに「財布のひもを握っているのは妻」という世帯が多かったりもするわけです。一般に男尊女卑の国では家計も夫が一方的に管理することが多いようですが、我が国は概ね女性の地位が低いようでいて、どこか一部で逆転するアンバランスなところがあるように見えます。会社ではどうでしょう? 管理職に秘める女性の比率は、これまた際立って低い日本ですけれど、意外に偉そうにしている女性も多いのではないでしょうか?

 社会(会社)では結構な高い地位を得ている男性でも、「家のことは奥さんに任せっきり」で家の中では何もできない人もいると思います。それと同じことは、企業組織の中でも言えそうです。つまり、管理職は専らおじさん達が占有しているけれども、社内ルール的な管理はおばさん達に任せっきりになっている、そんな部署も多いのではないでしょうか。「上司」は圧倒的多数が男性である一方で社内ルールの運用は女性の聖域になっていたりして、「会社では偉いのに家では妻にどやされる親父」よろしく、「社内ルールの間違いをヒラのおばさんに叱られる上の職位の人」は結構いると思います。

 近年の新卒採用は女性にも男性のような働き方を求めるようになりましたが、20世紀以前の採用や現在でも中途採用ともなりますと「男は営業、女性は事務」みたいな明確な性別による役割分担があるわけです。出世コースは男性の方なのですけれど、しかし組織が大きくなるほど事務方なしでは回らなくなるところもありまして、女性の地位が低いかに見える会社でも女性の担当している事務フローの重要性は必ずしも低くありません。そして「事務は女性」で固められていれば必然的に、社内ルールを理解しているのは女性ばかりみたいな組織ができあがってしまうと言えます。

 そうなると、「家事は全く分からないおじさん」と「家の中では夫には強い主婦」よろしく、「職位では上にいるけれども社内ルールには疎いおじさん」と「ヒラでも社内ルールは理解しているおばさん」という、しばしば力関係の入れ替わる不思議な構図ができあがったりします。 ……で、家事は妻に任せっきりの夫が家のことを把握できないように、社内ルールはおばさん達に任せっきりの男性上司は女性陣の仕事の中身を理解できていなかったりするわけです。その結果として事務職がブラックボックス化してしまう、おばさん達が働いていても働いていなくても、上司はそれを判断できなくなったりもするのです。

 事務職への評価は低いです。それは女性の仕事と、軽視されてきました。その結果として、事務(社内ルール)の運用を把握できない男性上司と、ブラックボックスの中でロクに仕事もせずダラダラと残業代を受け取り、気が向いたら男性社員の社内ルールの誤りをなじり、陰口を肴に汚らしくお菓子をむさぼる、そんな「働かないおばさん」を作っているのではないでしょうか。しかし部署で社内ルールを熟知しているのは「働かないおばさん」だけ――そうなると切除不可能な部位に転移したがん細胞と同じです。組織で権限のある人は、がん細胞を肥大化させたのは何が原因だったのかを考えてみる必要があると思います。

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就活解禁の後ろ倒しを批判していた人もいましたが

2016-02-24 23:00:32 | 雇用・経済

7割が解禁前に面接=16年新卒採用で-リクルート調査(時事通信)

 リクルートキャリア(東京)は16日、企業が2016年春の大学卒業予定者らを対象に行った採用活動をまとめた「就職白書2016」を発表した。それによると、70.8%の企業が経団連が定めた8月の選考開始の解禁前に面接を行っていたと回答。15年卒の43.4%に比べ解禁前の選考が大幅に増えた。リクルートは「高い求人倍率と採用スケジュールの変更で入社内定者の確保に危機感を持ったのではないか」と分析している。

 16年卒の採用活動は、経団連が選考開始の解禁をそれまでの4月から8月に変更。17年卒は、選考解禁が6月に変更される。今回の調査で17年卒の採用について聞くと、67.9%の企業が引き続き解禁前に面接を行うと答えた。

 調査は15年12月から16年1月にかけ全国の従業員5人以上の企業4050社を対象に実施。1260社から回答を得た。

 

 4050社を対象に調査を実施し、1260社から回答を得たのだそうです。後ろ暗いところのある人ほど回答率が低いであろうことを鑑みれば、違反していた企業は7割を大きく上回る気がしますね。ましてや自己申告の世界でもあるわけです。本当は解禁前にフライングしていても、しれっと「時期を守っています/守ります」と虚偽の回答をした会社も多いのではないでしょうか。実際のところは、9割の企業が解禁前に面接を行い、9割の企業が引き続き解禁前に事実上の選考を行う、それぐらいなのかも知れません。

 ともあれ回答者側の自己申告ベースですら、7割超の企業が解禁前に面接を行い、今度も時期を無視すると回答していることが伝えられています。就活の後ろ倒しは政府主導の改革の一つでもありましたが、実質的に「守られていない」ことは明らかです。派遣社員の事前面接ですとか、禁止されているけれども誰も守ろうとしていないものは他にもありますけれど、要するに取り締まる組織もなければ罰則もない、形式的に存在しているだけの決まり事には何の意味もないのだと言えます。

 かつては、就職活動の早期化が批判的に扱われることが多かったわけです。政府主導の就活後ろ倒しは、そんな批判の声に応えてのことでした。ただ、同様に政府主導の賃上げよろしく、そこに強制力が付与されることはなかったのですね。「上」から号令は下されたけれど、それを無視するのも自由であった、と。一方で現在は、かつて就活の早期化を批判していたはずの論者やメディアが就活後ろ倒しの弊害を説いていたりします。そういう人や新聞は要するに自民党案であれば何でも反対(時には賃上げにすら反対!)しているだけと言えますが、実態はいかがなものでしょう。そもそも就活の後ろ倒しはかけ声だけで、実際は後ろ倒しされていないことが今回の調査から明らかです。ある種の人々が騒ぎ立てる後ろ倒しの弊害とやらは、たぶん別の要因に起因するものなのでしょう。

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過ちては改むるに憚ること勿れ

2016-02-21 11:26:56 | 政治

衆院、来年にも定数10減へ 首相、自民の先送り案撤回(朝日新聞)

 衆院の議員定数が10削減される方向になり、新定数での衆院選は2017年以降に実施される見通しになった。安倍晋三首相が19日、定数削減を21年以降に先送りする自民党の案を撤回。15年の簡易国勢調査の結果に基づき、衆院議長の諮問機関の答申に沿って小選挙区で6、比例区で4の計10減する方針を示した。公明党、民主党も同調するとみられ、今国会に関連法案が提出される見通しだ。

 首相は19日の衆院予算委員会で定数削減を先送りしないと表明。民主党の野田佳彦前首相の質問に、「党総裁として議論をまとめたい」と述べた。

 定数削減については、当時の野田首相と自民党総裁の安倍氏が12年11月の党首討論の際、消費増税の自公民3党合意を受けた「身を切る改革」として実現することを約束。3党が13年の通常国会で実現させるとの合意書を交わし、衆院が解散された。だが、実現しないまま14年末にも衆院が解散され、その後も暗礁に乗り上げていた。

 これまで、自民党は定数削減に後ろ向きだとして、野党や世論の批判が強かった。首相は、定数削減や「一票の格差」是正といった衆院選挙制度改革が間に合わなくても、解散権は縛られないとの見解を示しているが、定数削減にめどがつくことで批判がやわらぎ、夏の衆参同日選を含めて衆院を解散する環境がより整うとの見方もある。

 

 政権を奪還したからには、自民党には民主党の誤りを正すことが求められても良さそうなものですが、消費税増税に続いて議員定数削減でも民主党との約束は守られてしまうようです。3党合意を反故にしてしまえば、それはそれで非難されることなのかも知れませんけれど、しかし過ちを認めて改めることもまた誠実な態度です。「民主党の求めに応じたのは間違いであった、民主党と取引したことを国民に謝罪したい」と言って決定を覆せば、私は安倍総理を支持しますね。

 以前にも書きましたが、議席の数とは「有権者が国会に代表を送り込む権利」の数なのです。議席を削減するとはすなわち、当該地域の有権者の選挙権を減じることであり、言い換えるならば定数削減とは「国民の権利を切る改革」です。民主党や維新の党は議員定数の削減を「身を切る改革」と呼びますけれど、それは議席を「自らに与えられた特権」であるかのごとくに勘違いしているからだと言えます。民主党と維新の党は、議会制民主主義というものを理解していないのでしょう。そんな政党が議席を持っていることこそ民主主義の危機です。

 曰く「自民党は定数削減に後ろ向きだとして、野党や世論の批判が強かった」とのこと。むしろ、この問題で一貫して受け身であった分だけ自民党は民主党その他の野党よりもマシであったと私は理解していますけれど、あろうことか党首が野党に屈してしまったと言えるでしょうか。民主党の言うことなんて無視していれば良い、世の中には耳を傾けるべき意見もあれば一蹴すべき類もあると思います。野党がうるさいからとか、あるいは世論に阿る形で国民の「議会に代表を送り込む権利」を削減してしまうのは、あまりにも安易です。

 まぁ、自民と民主の間柄は阪神と読売のそれと同じ、表向きは張り合うようでいて、その実はプロレス的な演出に過ぎず裏では仲良くやっている共存共栄の関係でもあります。よりタチの悪い主張は民主の方に目立ちはしますけれど、仲良しの自民党はその意見を無視もできないのでしょう。消費税増税など典型的な、民主と自民の愛の結晶ですから。

 その他の野党は、「議会に代表を送り込む権利の削減」をどう思っているのでしょうか。民主党と同じで議席は自分たちに与えられた特権、だから議員定数の削減が身を切る改革と考えている党もいれば、もう少し民主主義に理解のある党もあるはずです。ならば、よりタチの悪い主張にこそキッチリ抗議してくれても良さそうなものです。しかし、そういう党も「自民党に対抗することが第一」で、国民の権利なんて二の次になっているのかも知れませんね。

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批判されるべきは

2016-02-17 23:30:56 | 政治

丸川環境相陳謝、除染目標巡る発言「全て撤回」(読売新聞)

 丸川環境相は12日夜、環境省での記者会見で、東京電力福島第一原発事故の除染の長期目標として、国が追加被曝線量を年間1ミリ・シーベルト以下としていることについて、「何の科学的根拠もない」などと発言したことに関し、「事実と異なるので、当日の福島に関連する発言を全て撤回する。福島を始めとする被災者の方には申し訳なく思う。改めて心からおわび申し上げたい」と述べた。

 丸川氏は今月7日、長野県松本市内で講演し、「どれだけ下げても心配だと言う人たちが騒いだので、その時の細野環境相が何の科学的根拠もなく急に言っ(て決め)た」と発言。8日には報道陣に対し、「そういう言い回しはなかった」と説明したが、12日午前の閣議後の記者会見で、「記憶は曖昧だが、言ったと思う」と修正していた。

 

 5日前の記憶が曖昧だという人が大臣の要職を担っていることには大いに不安を感じるところですが、その他の面ではどうでしょう。曰く「事実と異なるので、当日の福島に関連する発言を全て撤回する」云々と、これは批判を浴びてしかるべきと言えます。確かに放射線防護のガイドラインとして「追加」被曝線量を年間1ミリシーベルト以内に収めるという「目安」はありますが、これは別に科学的根拠に基づいた決定ではありません。あくまで「平常時の」ガイドラインであり、1ミリの閾値を超えたから危険ですとか、反対に1ミリ以下に収まれば安全ですとか、そういう科学的根拠があって決まったものではないわけです。

 曲がりなりにも環境相である丸川氏の発言を聞くと、あたかも1ミリシーベルトという基準値に何らかの科学的根拠があるように感じてしまう人も多いのではないでしょうか。これは世間に誤解を与えるものであり、それこそ批判を浴びてしかるべきものと思われます。政治家は自身の発言に責任を持たなければならないはずです。単に「騒ぐ人がいたから」という理由で発言を撤回したり陳謝すべきではないでしょう。問題発言として非難されたからと発言を修正し、逆に事実とは異なることを公人が言い出すようであってはクレーマー天国にしか繋がりません。

 実際のところ、本来は平常時の指針でしかなかった+1ミリシーベルト基準を性急に導入してしまったことはデメリットの方が大きかったわけです。未曾有の大災害から間もない時期に定められた過剰な基準値は避難区域を拡大させ、居住者の権利を奪いました。そして公然と適用された1ミリシーベルト基準が「1ミリを超えたら危ないのでは」という不安を少なからぬ住民にも与えてきたと言えます。こうして強制的な避難者と自主的な避難者を生んできたのですが、原発事故から5年後の調査では残った人よりも避難した人の方が健康状態は悪いなんて結果が出たりもしました(参考、5年後の現実)。もっと緩い、バランスの取れた基準設定であれば結果は違ったかも知れません。

 「どれだけ下げても心配だと言う人たちが騒いだので、その時の細野環境相が何の科学的根拠もなく急に言っ(て決め)た」とも発言したそうです。しかし、同様に騒ぐ人がいたからという理由で科学的根拠がないところにお墨付きを与えるというのであれば、あろうことか環境相である丸川氏も自身が批判したはずの細野氏と同レベルと言うほかないでしょう。科学的根拠がないものはないと、そう言えるだけの知見を持っていない、ただ世間の反応を伺うだけの風見鶏でしかないのならば、大臣職など任せられるはずがありません。そこは、強く批判されるべきものです。

 なお他紙の報道では「(除染が終わらないため)帰れるはずの所にいまだに帰れない人がいる」とも主張したと伝えられています。この発言の方は、もっともなことです。そもそも現状では放射線量を下げることが最優先で住民の生活を二の次にしているところもあるはずです。この辺は、志のある政治家であるならばもっと強く主張しなければならないと言えます。そして信念があるのならば、間違ったことには反論すべきでしょう。抗議する人が出てくれば発言を撤回するようであれば、それこそ台本を読み上げる仕事でもしているべきであり、政治家になどなるべきではありません。

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野党統一候補w

2016-02-14 11:12:37 | 政治

<’16京都市長選>門川さん、盤石3選 対共産で団結発揮 本田さん、支持広がらず /京都(毎日新聞)

 7日投開票の京都市長選は無所属現職の門川大作さん(65)=自民、民主、公明、社民府連推薦=が、共に無所属新人で元市教組執行委員長の本田久美子さん(66)=共産推薦、元府議の三上隆さん(85)を破り、3選を果たした。門川さんは行財政改革や経済活性化を訴え、保守層を中心に手堅く票をまとめた。本田さんは安全保障関連法反対などを主張したが、浸透しきれなかった。投票率は前回(36・77%)を下回る35・68%で、過去4番目の低さだった。当日有権者数は114万1060人(男53万2880人、女60万8180人)。【土本匡孝、村田拓也、鈴木理之、礒野健一】

 京都市中京区のホテルには、開票前から門川さんの支援者が詰めかけ、吉報を待った。「当選確実」の知らせが午後8時すぎに入ると、会場は歓声と拍手に包まれた。

 門川さんが会場に現れると、選挙母体「未来の京都をつくる会」会長の立石義雄・京都商工会議所会頭や選対事務長の寺田一博・自民党府連幹事長らが笑顔で迎えた。立石氏は「これから全力を挙げて3期目を務めてもらいたい。全力で支えていきたい」などと激励した。

(中略)

 「共産市政にしない」との旗印の下、自民、民主、公明の市議、府議らが昨年12月、議員連盟を結成。3党の国会議員や落選中の政治家も動員し、「国政選挙並の選挙」を展開した。府市長会・町村会の25首長と山田啓二知事の連名での推薦も受け、山田知事は随所で応援演説に入った。

 

 とかくネット上で声高に政治を語る人ほど国政にしか目が向いていないと言いますか、地方議会には関心以前に知識がない傾向が強いように思います。自分が住んでいる自治体で政治的な取り組みに関与している人と、純粋にネット上で天下国家を語って悦に入っているだけの人とでは色々と温度差もあるのではないでしょうか。まぁ、後者だって一応は有権者ですから、政治家も後者に向けたメッセージを発信し、媚びることだってあるわけです。それもまた、現在の社会及び政治の在り方を形成しているような気がしますね。

 維新の党は民主党と組むかどうかで意見の隔たりが大きく党の分裂の決定的要因となりましたが、他の政党の場合はどうなのでしょう。維新のようにアマチュア色が強く政治家経験に乏しい人の集まりと、自民党のように職業としての政治家経験が長い、家業としての政治家意識が染みついた人々の多い党とでは、「割れ方」にも違いがあるのかも知れません。たとえば大阪では自民党は維新の会と対立する間柄ですが、一方で政府自民党は大阪維新の会に接近する構えを見せています。民主との距離を巡って分裂した維新のように、今度は維新との関係を巡って「大阪自民の会」みたいな分派ができる――ということは考えにくいですから。

 では民主党は、どうなのでしょう。自民党に対抗するとの口実の元、野党の結集を呼びかけている一方で「共産党とだけは組まない」と宣言する議員もいます。ネット上の民主党支持層からは、そのような態度を批判的に語る人も多いようですが、むしろ嘘偽りのない議員でもあるのかな、と私などは思うところです。民主党が一貫して対立してきたのは共産党であって、自民党ではないのですから。民主と維新のように政策面で似通う政党が組むのは理解できる、あるいは民主と自民のように地方議会では既に連立しているところが組むのも理解できます。しかし、一貫して対立してきた民主と共産が組むのは、見境のない野合でしかありませんよね?

 冒頭に引用したのは京都での選挙ですが、「国政選挙以外では」珍しい構図ではありません。自民党と民主党がともに手を携えて首長を支え、野党・共産党と対決する、それが地方自治体の議会における「普通」です。ネット上の論客が目を背けている現実として、民主党は自民党の対立軸でも何でもなかった、むしろ補完勢力であり続けてきたわけです。確かに地方議会でも選挙になれば、民主党は「野党でござい」と看板を掛け替え「与党への批判票は民主党に入れてください」と訴えるものなのかも知れません。こうした虚構の野党の存在は選挙における民意の反映を妨げるものと言えますが――地方議会でのことなんて気にしない人の方が多いのでしょう。

 プロ野球になぞらえるのなら、自民と民主の関係は、読売と阪神のそれのようなものです。つまりライバルを演じつつも実際はプロレスのパートナーでしかありません。一方で民主と共産の間柄は、阪神と阪急みたいなものと言えます。本当に対立しているのはどこなのか、表向きは対立しているように見えて共存共栄の関係にあるのはどこなのか、そこは多少なりとも意識されるべきでしょう。少なくとも私に言わせれば、自民党に反対という理由で民主党に投票するなんてのは、望んで自分の目をふさいでフィクションの中に逃げ込む行為です。

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5年後の現実

2016-02-10 23:19:57 | 社会

避難者の糖尿病「1.6倍」 原発事故後の南相馬、相馬(福島民友)

 南相馬と相馬両市民を対象に、東京電力福島第1原発事故前後で慢性疾患の割合を比較し、糖尿病と高脂血症の発症が事故前より高くなったとの研究を日英の研究者がまとめた。避難した人の糖尿病の発症割合は事故前の約1.6倍となった。研究チームは「人間関係や仕事など生活環境の変化が影響している可能性がある」と分析している。

(中略)

 糖尿病は避難者で13年以降、約1.6倍に増え、避難していない人も約1.3倍に増えた。高脂血症は避難者で事故翌年の12年以降に上昇、14年は事故前の1.2倍になった。避難しなかった人も13年以降に増加した。一方、高血圧は事故前後で大きな変化はなかった。

 

 たとえば飛行機に乗らなければ飛行機事故に遭う確率は下がりますが、代わりに自動車で移動すれば、ずっと高い確率で自動車事故に見舞われるわけです。リスクを考えるときは最低限、「何かをした場合」の特定のリスクだけではなく「何かをしなかった場合」の別のリスクも併せて見ていく必要があります。この原発事故に伴う避難も然り、代表的な生活習慣病である糖尿病や高脂血症の発症割合を調べた結果が伝えられていますが、果たしてリスクを最小化できるのは「避難する/させる」ことだったのでしょうか、それとも「避難しない」ことの方だったのでしょうか。

 そもそも半強制的な移住のリスクは、チェルノブイリの事故からも既に明らかなことでした。闇雲な避難は(元)居住者の生活を破壊し、ひいては多大な健康被害にも繋がる、それは最近になって判明したことではなく、5年前の時点で結論の明らかになっていた事実でもあります。しかし、当時の愚かな政府はあまりにも広すぎる地域の住民に避難を強い、国民に健康被害をもたらしたわけです。これは、予想外のことではありません。チェルノブイリ事故など過去の失敗から学んでいれば、容易に避けられたことのはずです。

 日本中が集団ヒステリーの渦に巻き込まれた2011年の段階でも、不要不急の避難はデメリットの方が大きいと警鐘を鳴らした人は――多数派ではないにせよ――いました。しかし、そうした理性の声を我々の社会は罵倒を持って迎え、あろう事か政権与党は率先してヒステリーを煽り立てる醜悪なポピュリズムに終始していたと言えます。問答無用の避難指示を出した人々、避難すべきと遠くから連呼していた人々、避難しなければ危ないとの印象操作に励んでいた人々は、この5年後の結果に対して責任があるのではないでしょうか。

 まぁ、会社なんかでも「話題になっているリスク」に全力投球するばかりで俯瞰的視点を持つことは忌避されますよね。何か小さな物事が問題視されていて、その小さな穴をふさぐために莫大な労力が費やされ、他のところに大きな穴ができたりする、どこの会社でもよくあることです。「そんな小さなことに固執するはバランス感覚を欠いているのではないですか?」と意見して、上長を激怒させたことは今の職場でも前の職場でもありました。我々の社会で重んじられるのは、何よりも「話題のリスク」なのかも知れません。2011年の日本は「被曝のリスク」を最小化することが全てだったと言えます。住民の生活を破壊して健康被害を出すことに繋がろうとも、とにかく被曝さえ避けられれば我々の社会は満足だったのでしょう。

 結局のところ原発事故で最も心配すべきは、放射線ではなくヒステリーの方なのだと言わざるを得ません。本当に避けなければならなかったのは、あるかないかもはっきりしないごく微量の被曝による健康被害ではなく、チェルノブイリ他の教訓から明らかな生活破壊のリスクの方だったはずです。避難した人の方が避難「しなかった」人よりも大きく健康を損ねている――この十分に予測できたはずの現実を我々の社会は直視する必要があります。健康被害を及ぼしたのは愚かな当時の政府であり、恐怖を煽ったメディアであり、それに迎合した世論でもある、電力会社を咎め立てする前に自らを省みるべき人は多いはずです。

・・・・・

 ついでに言えば、今からでも可能なことはあるように思います。たとえば除染作業の費用を削って、その分を福祉なり雇用創出なりに回せば、もう少し状況は改善できるのではないでしょうか。放射線量を限りなく0に近づけようとする不毛な努力よりも、住民の生活ひいては健康を向上させるために有効なことは、もっと他にあるのですから。

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年金を受給しているのは

2016-02-07 11:53:01 | 社会

介護離職 親の年金で暮らすと「後」が絶望的(PRESIDENT Online)

「今は親の年金でなんとかやっていけるけど、介護が終わった(親を看取った)時点で無収入になってしまう。それが不安で仕方ないと切々と語るんです。介護に追われる日々も大変ですが、皮肉なことにそれから解放された途端、自分自身の生活が行き詰ってしまう。そうした絶望感を抱えながら介護をされている方が数多くおられます」

(中略)

最も深刻なのは、やはり老親の介護をひとりの子が担わなければならない状況です。

いろいろな介護サービスに利用するにせよ、大半の世話をするのは自分ひとり。経済的に余裕があれば、親を説得して介護付き有料老人ホームなどに入所させることもできますが、それが可能なのは限られた人だけです。

結局、在宅で自分が主体となって介護をすることになる。前回、触れたように仕事と介護を両立させるのは困難であり、離職を選ばざるを得なくなるというわけです。

 

 親の介護を兄弟姉妹の誰か一人や配偶者に押しつけていられる人は平気ですが、そうでない人は大変です。今や介護離職は自民党政府ですら深刻視する差し迫った課題であり、無関係でいられる人は少なくありません。仕事だけですら過労死する人が出る現状、それと介護が両立しようはずもなく、親を見捨てることのできない人は離職を余儀なくされてしまうわけです。そして離職すれば当然ながら本人の収入はなくなる、生活費はもっぱら「老親の年金」と言うことにもなってしまうのでしょう。

 とかく悪玉視されがちな高齢者向けの福祉ですが、その多くは無理解と誤解に基づいているようにも思います。このブログでは何度となく指摘してきましたが、結局のところ老いた親がいれば支える子供もいると言いますか、高齢者が受給する各種の福祉は現役世代にとっても補助的な役割を果たしているのです。もし年金がなかったのなら、定年を過ぎて収入のなくなった親の生活費を負担するのは誰でしょうか? もし高齢者の医療費が優遇されなくなったのなら、親が入院などして医療費が嵩んだときに子は無関係でいられるでしょうか?

 世の中には親子の縁が切れている人もいますし、子供の世話になるのは心苦しいと無理をする高齢者もいます。とはいえ、多数派はやはり「子が親の面倒を見る」ケースです。そこで各種の福祉が充実していれば、面倒を見る側の現役世代の負担も多少は軽減されることでしょう。しかし世の中には、高齢者向けの福祉支出が社会的な重荷ひいては若年層の負担であるかのように語る人もいるわけです。曰く「爺婆が若者を搾取している」云々。まぁ、いずれは親の面倒を見るという現実を全く想像できない子供にとっては、頷けてしまう話なのかも知れませんが。

 公的な福祉に頼るのではなく、あくまで家族間で助け合うべきだと、そう唱える人が年金その他の福祉削減を説くのは、全く賛成はできませんが異論としては尊重できます。公的サービスをスリム化すれば家族の負担が増えるという現実を隠蔽するものではない、一応は現実に向き合った見解ですから。税金を投じた公的な福祉か親族の扶助か――疑いようもなく前者が効率的であると私は考えますが――後者を選ぶのも異論としては認められるべきなのでしょう。それは争点として成り立つものです。

 逆に争点として成り立たない、異論ではなく単なる妄言として切り捨てられるべきなのは、高齢者向けの福祉を現役世代の負担と印象づけたがっている類いの人々ですね。確かに年金や医療費を削減すれば、現役世代が支払う保険税は軽減できるかも知れません。しかし、現役世代が高齢者のために(と言うより、自らの親のために!)負担するのは保険税だけではないわけです。目先の負担軽減は別のところにしわ寄せが行くだけ、その煽りを受けるのは現役世代であり、若者でもあります。福祉の削減は、まず自分の親が福祉の世話になるであろう現役世代を脅かすことでもある、にもかかわらず高齢者向けの福祉を悪玉として描き出す、そんなペテン師の言葉は、一顧だにせず排除されるべきものと言えるでしょう。

 

 ←ノーモア・コイズミ!

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もうちょっと他にやりようは……

2016-02-03 23:08:57 | 社会

 たとえば軽減税率やヘイトスピーチ規制など、ヨソの国では豊富な実例がある制度でも、いざ日本で導入されようとなると闇雲にダメ出しする人って多いですよね。そう言うのならば、なぜ「日本に限っては」ダメなのかを説明してくれなければ説得力など皆無に思えるのですけれど、他国の成功例を無視して屁理屈をこねているような類ばっかりが目立ちます。まぁ、実利よりも理想を優先するのが我々の社会の文化です。己の意に沿わない制度ができるとあらば、何かしら事実を歪曲してでも否定しなければ気が済まないのでしょう。

 

「記述式採点に最長2カ月必要」 文科省試算(毎日新聞)

 新しい大学入試の制度設計を進めている文部科学省の専門家会議が29日開かれ、新共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」で採用する記述式問題について、文科省が採点に必要な期間の試算を示した。解答欄に記述させる文字数が40〜80字程度なら3〜4日、200〜300字では約1週間かかり、計6問出題すると最長で約2カ月必要という。今後、記述式の出題規模やテスト実施の日程を詰める。

 文科省は受験者53万人分の解答用紙を1日800人で採点すると想定。受験者が新聞記事を読んだうえ、「2段落構成で」「引用した言葉に『』をつける」など複数の条件に合わせて自分の考えを300字程度で記述する問題の場合、採点にかかるのは7日程度。複数の図表や文章を読んで「仮説」を40字程度で書く問題は3日程度かかるという。

 200〜300字程度の長い記述と80字以内の短文を組み合わせて計6問出題すると、採点に最長で60日、短文記述式3問だと最長25日かかる。

 

 ……で、こんな報道を目にすると共通テストへの記述式問題の導入なんて不可能に見えてしまいますが、実際はどうなんでしょう。名高いフランスのバカロレアなんて、模範解答ありきの日本の記述式問題などとは比べようもない漠然とした抽象的な記述問題が並んでいるわけです(「人は自らの過去の所産なのか?」「どんな芸術作品も何らかの意味を持つか?」「個人の意識は自らの所属する社会を反映したものでしかないのか?」等々)。そしてこのバカロレア、毎年60万人以上が受験しています。文科省の試算が妥当なものであるのなら、バカロレアの採点なんて1年以上かかりそうです。

 大学独自に記述問題を設けているケースは普通の話で、だからといって採点に2ヶ月もかかるなんてのは相当に特殊なケースに限られるはずです。実際に採点経験の豊富な人から見たら、この発表はどうなのでしょうね。単純に計算すると、採点者一人につき約660人を見ることになる、それで「7日程度」とのことですから、1日で95人程度を採点できることになります。1日8時間労働で計算するのなら、「300字程度で記述する問題」を採点するのに、5分程度を見込んでいるようです。う~ん、文学賞の選考なんかに比べれば真面目に読んでくれる感じでしょうか。

 そもそも「誰が」採点することを想定しているのかが問われます。期間中は採点が主たる業務なら「じっくり」採点していると言えますが、普通に仕事を抱えている大学関係者が、「片手間に」あるいは「残業して」採点することを想定しているのであれば、翻って「手短に」採点されることになるであろうことは必至です。いずれにせよ入試に記述式問題を設けること自体は悪くありません。しかし、そうするからには相応のリソースを増やす必要があります。採点する人を増やす、採点は専門の担当者が行う等々、コストはかけなければなりません。単純に「採点時間が長くなります」では、従業員にダラダラと長時間残業を強いることで延命しているダメな会社と同じですから。でも、そこで「人」にコストをかけることを厭うのが我が国の慣習なのかも知れませんね。

 

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