非国民通信

ノーモア・コイズミ

個人的なこと

2021-01-31 22:29:42 | 編集雑記・小ネタ

 さて「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」が出てから1年ばかり経過するわけですが、皆様の暮らし向きはどう変わったでしょうか。私はと言えば、リモートワーク導入で出勤機会が減り、窮屈な革靴を履く時間が短くなったせいか、水虫が治りました。リモートワークの拡充によって運動不足など健康面を懸念する人もいるようですが、実際のところはどうなのでしょうね。

 近年は加齢による衰えか、最寄り駅から自宅に向かう途中の坂道を自転車で駆け上がることが出来なくなっていたのですが、昨年の5月くらいから再び坂道を上れるようになりました。就職して以来、趣味の時間のためには睡眠時間を削る日々を続けてきたのが、リモートワーク導入で劇的に睡眠時間が延びたおかげもあるように思います。足りていないのは運動よりも休息だったのではないかな、と。

 そんなわけで、自分自身は新型コロナウィルス感染拡大のおかげで例年よりも健康的な生活を送れているような気がしないでもありません。この冬は周りから風邪をうつされることもなくなりましたし、後は花粉症のシーズンにも外出自粛が続いてくれれば助かりますね。例年は出勤のため、花粉がどれだけ飛ぼうと自身の意思とは無関係に外出しなければなりませんでしたが、リモートワークで花粉が多い日の外出を減らせれば格段に楽になります。

 とはいえ、年齢が上がるにつれて医療の世話になる機会は増えていく、通院の必要性も増すばかりだったりするのは辛いところです。これまでは会社の近くの医療機関に通うことが多かったのですが、リモートワークで出勤日よりも自宅で業務に当たる機会が増えてきますと、今度は会社の近くの医療機関への通院が難しくなります。自宅近辺の医療機関に移るべきかは悩みどころです。

 医療機関の善し悪しは自分の体を実験台にして初めて分かるもの、これまで通院してきた会社の近くの医療機関と自宅の近くの医療機関、どっちがマトモかは分かりません。ただ確実なのは、自分の住むエリアはとにかく子供が多いということですね。どこの医療機関も保育園状態、マスクなど付けず椅子の上を跳ね回り床を這いずり回る子供に囲まれて待合室で過ごすことには、少なからず不安を覚えたりします。

 テレビに映る子供は皆マスクを付けているのに、地元ではマスクを付けた子供なんて見かけないのはどうしたものだろうと思わないでもありませんが、地域差もあるのでしょう。日本全体で見れば間違いなく少子化は進んでいる一方、自分の住む地域では至る所に子供が溢れているわけです。平均とはかけ離れた例外に行き当たることは、別に珍しくもありません。

 そして昨今では治療した歯が痛んだり、被せものが外れたりといった理由で歯医者に行くことが増えました。歯の治療自体はどうということもないのですけれど、補綴物の出来の悪さには毎回ウンザリさせられます。元の歯と補綴物の隙間に食べ物の繊維が詰まったり、補綴物でカバーできていない歯の切削面が舌を傷つけたり等々、材質の良さを力説されて自費診療のセラミックを試してみても精度の低さは相変わらずと、まぁ絶望的です。

 色々とアピールしている歯医者は少なくありませんけれど、補綴物への拘りはどうなのでしょうね。保険の銀歯の代わりにセラミックを勧められることは頻繁にありますが、材質よりも精度の方が気になるところ、むしろ真っ当な歯科技工所や歯科技工士かを証明して欲しいと思わないでもありません。医療には妥協も必要だとは思いますが、あまりに補綴物の出来が悪いと、それを選んだ歯科医師への信頼も揺らぐというものです。

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偉い人がボトムアップと勘違いしているケース

2021-01-24 21:40:36 | 雇用・経済

 会社で、自分の意見が反映されないと感じたことのある人は多いと思います。その一方で会社の偉い人は、社員に広く意見を求めているつもりになっていることもまた多いのではないでしょうか。実際のところ「意見を出せ」と言われること自体は、末端のヒラ社員でも実は多かったりするのかも知れません。よくよく考えると、私の勤め先もそんなものであるような気がしました。

 ではどうして「意見が反映されない」と感じるのか、それは意見を求められる大元の問いがナンセンスなものであるからだと言えます。つまり「どうでもいい」事柄への意見を出すことを強いられるばかりで、当事者が本当に意見を持っている部分に関しては問われることがない、そのために上記のような乖離が生まれている、と。

 実際のところ大方針は偉い人の間だけで決定され、そこに現場を担う社員の声が反映されることはありません。一方でこの大方針をいかに達成するかという実運用の部分においては現場に丸投げされがちです。「上」の人間は現場に丸投げすることによって、その先で幅広く意見を求めているつもりになっていると言えますが、当然ながら当事者達の受け止め方は異なります。

 「できない理由を言うな」「(偉い人が決めた大方針を)いかに達成するか考えるのがお前らの仕事だ」――そんな風に言われるのは至って日常的なことですけれど、実は「できない」という現場の判断こそが真実だったりすることは珍しくありません。実態を知る人間ほど偉い人の判断に疑問を抱かざるを得ない、しかし「できない」という真実の言葉が受け入れられることはないわけです。

 組織の偉い人が、とんでもなく愚かな判断を下したとします。例えば「アメリカと開戦する」と上の人が決めたとして、そこで現場を担う人々に求められる意見とは何でしょうか? そんな愚かなことはやめておくべきだ、勝算などあるはずがない、意見は諸々あるはずです。しかし「できない理由を言うな」「いかにアメリカを倒すか考えろ」と言われたらどうでしょうか?

 このような場合、「上」の人間は「下」の人間にも意見を求めたつもりになっていると考えられます。アメリカに戦争で勝つ方法を現場から汲み上げていこうと、自分たちはボトムアップ式に組織を運営しているとすら勘違いしているのかも知れません。しかし大元である「アメリカと開戦する」という部分については、いかなる意見も許さない――そんな組織も多いように思います。

 アメリカと戦って勝つ方法については何も思いつかないし意見も何もないけれど、そもそもアメリカ相手に開戦するのが愚策では?という意見を現場が持っていたとしましょう。しかし「上」の人間が聞く耳を持つのは前者に限ってのことであり、後者を寄せ付けることは許さないとしたら、当然ながら「下」は自身の意見が反映されない純然たるトップダウン式と感じるわけです。

 かくして偉い人が社員に広く意見を求め現場の声に耳を傾けているつもりであっても、実際は許される意見が極度に限定されており、社員が本当に言いたいことに対して会社は聞く耳を持っていない……というのがよくあるパターンではないでしょうか。まぁ現場の声を真面目に聞こうとしたら、偉い人の面子が潰されるばかりですから仕方がありませんね。

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空想上の不正と現実の不正

2021-01-17 22:24:20 | 政治・国際

 先日はトランプ支持者がアメリカ議事堂へ乱入し一時は議会を占拠する、なんてことがありました。自身の権力基盤が危うくなったときは支持層を煽動し暴力を以て政敵を打倒する――という手口は他に例がないでもありませんが、行政はさておき闘争に関してはエキスパートであった毛沢東のそれとは違ってトランプの文化大革命は今のところ鎮圧されているようです。

 トランプ氏の暴動を煽る言動は今に始まったことではありませんけれど、流石に紅衛兵達の乱入には衝撃を受けたのか、共和党議員の中にも大統領を見限る立場を示した人は少なくなく、このアメリカ近代史上最も愚かな人々に支えられた大統領の時代は終焉を迎えようとしています。特異な政治の時代から、従来通りのアメリカ政治への回帰が始まるであろう中で、日本を含めた国際情勢はどうなるでしょうか。

 

リコール署名、8割超に不正か(共同通信)

 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡り、県選挙管理委員会は12日、署名が提出された64選管のうち、46選管分の署名の8割超で、不正が疑われるなど問題があったと発表した。選挙人名簿に登録されていない人物や、同一人物の筆跡と疑われるものだった。8日までに報告があった46選管分を発表した。

 県選管は昨年12月28日にも、同25日までに報告があった14選管分の署名についても中間発表し、8割以上に不正が疑われるとしていた。今回の46選管分の他、残る18選管でも調査を継続し、全ての結果が出た段階で、県警への刑事告発も含め対応を検討する。

 

 さてアメリカでの選挙結果に関してトランプ氏と支持層は「不正があった」と主張し続けています。その根拠が示されることはなく裁判所からの門前払いも続いているわけですが、まぁ宗教と同じく皆で同じエピソードを共有できれば、その教団の内部では真実ができあがるのでしょう。トランプ支持層の間で選挙不正とは、キリストの復活と同じぐらい説得力があるのだと思います。

 一方、現実世界において本当の不正を確認されているのがこちらです。署名の8割超に問題が見つかるというのも凄い話ですが、それで押し通せると思った提出者側の神経も大したものではないでしょうか。数さえ揃えておけば内容を確認されることはないと高を括っていたのか、あるいは数が揃わないことが明るみに出れば自身の立場が危うくなると思ってのことか、いずれにせよ不正は不正として厳しく扱われなければなりません。

 今回のリコールを主導した側の一人である名古屋市長のたかし君が民主党出身で、反対に極右層から敵視されている愛知県知事の大村氏が自民党出身というのが面白いなと感じるところですが、河村市長に関しては以前よりリコール運動を巡って諸々の問題を起こしています。それでも名古屋市長選挙では4度にわたり対立候補に圧倒的大差を付けて勝利しているわけで、トランプ氏も河村市長から何かを学んでおいた方が良かったのかも知れませんね。

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緊急事態宣言が出ると分かっていた日

2021-01-10 21:52:31 | 社会

 さる1月7日、東京都と隣接3県を対象に再びの緊急事態宣言が出ることとなったわけです。勤務先では出社とテレワーク併用となっていたのですが、当日は「通常通り」私は出社していました。そして夕方になってようやく明日からは出社を控えるようにと通達が出るに至りましたが、どうしたものでしょうか。宣言に対して何も対応しない会社も多い中ではマシな方かも知れません。ただ――

 昨年の話をしますと、私の勤務先では以前からテレワークの制度がありました。ただ、実際にテレワークを行うのは障害など何らかの事情で通勤が困難な人に限られ、「普通の人」が使うものではありませんでした。しかるに新型コロナウィルスの感染拡大が報じられ始めると、親会社がテレワークの実運用を開始、子会社である私の勤務先もそれに倣う方針が表明されたわけです。

 ……私の配属されている部署でも緊急会議が開かれました。テレワーク可能かと聞かれて、私は「できる」と回答しました。部署の他の人はアレコレを理由を挙げて「できない」と回答しました。いつも私は上からの無茶ぶりに「できない」理由を説明しては「できない理由を言うな」と常に人前で説教されて来たものですが、テレワークに関しては「できない」との回答が正解のようです。

 その日の緊急会議には不在のメンバーもいたため、「明日もう一度、人が揃ったら話し合おう」と一旦は切り上げられ、とりあえず翌日は私だけがテレワークを行うことに決まりました。その後、テレワークをどうするかについて上司からは何の連絡もありませんでした。日を改めて上司に問い糾したところ、(私を交えずに)メンバーで打ち合わせを行った結果、テレワークは行わないことになった……と告げられました。

 かくしてその日から緊急事態宣言が発令されるまで、私の配属された部署では通常通りの出社勤務が継続されたわけですが、同じ会社でも部署によって対応は様々でした。テレワークは一切行わず出社を継続する部署もあれば、営業部の中には全社員の1割程度しか出社させず、ほぼ全員をテレワークに切り替えたところもありました。配属先による当たり外れは何処の会社でもあると思いますが、いかがなものでしょうか?

 部署によっては全員がテレワークで、部署によっては全員が出社勤務、それもおかしな話です。この辺の疑問を率直に上司に伝えたところ、「だから(テレワークを)やりたければやっていいよ」との回答でした。同じ部署の他の社員は今こそアピールの機会とばかりに皆勤を続けており、あくまで出社を前提に業務を組み立てようとする人々との間でテレワークを実施するのは困難を極めるばかりでした。

 それが緊急事態宣言が発令されるや総務から出社を許可制にするよう通達が出され、抵抗勢力だった私の部署もついにテレワークを開始することになりました。担当内業務も基本がテレワークであることを前提に業務を回せば、何の問題もないことが明らかになりました。アレコレと口実を設けてテレワークを拒んでいた人には厳しく「総括」が求められても良さそうな気がしないでもありません。

 緊急事態宣言の解除後、出社のために許可を申請する必要はなくなり、徐々に出社率は上がっていきました。ただテレワーク自体も併用されるものとして残り、その辺はマシな方であったと言えます。しかし仕事は出社して行うものとの考え方は根強く、常に一定人数以上は出社するとの部内ルールができあがり、結果として緊急事態宣言の再発令を控えた1月7日には私も出社を命じられていたわけです。

参考、社会の免疫

 昨年の緊急事態宣言の解除後、私は「社会が免疫を付ける」事態を危惧した記事をこのブログに載せました。身体的な免疫ではなく、気持ちの面で免疫が付いてしまうこと、新型コロナウィルス感染者の増加を平然と受け入れるようになってしまうことを私は恐れたのですが、新規感染者が1000人を超え「過去最大」を連日のように更新していく中で、我々の社会はどう反応したでしょうか?

 私の勤める会社は、やはり「部署次第」でした。ある営業部では感染者の拡大を見て独自に出社人数の抑制を始め、緊急事態宣言が再発令されるよりも先にテレワークを原則とし、ほとんどの人が出社してこない体制を築いていました。そして上述の通り私の部署は、緊急事態宣言が出るまでは従来通りの出社体制を堅持し、発令後には総務の指示に従うとの形を取ったわけです。

 緊急事態宣言前から出社人数の抑制に取り組んできた部署は、社員の健康リスクを考慮している、感染症の拡大に対処しようとしているものと考えられます。一方で緊急事態宣言が発令されるのを待って出社体制を変えようとしてる部署は、あくまで「緊急事態宣言に対応」しているだけで、それに先立つ感染症の拡大に対しては何も考えていないと言うほかありません。

 昨年の早い段階では、企業側にも「自社から感染者が出たらイメージダウンに繋がる」という意識が強かったと思います。だから感染症対策にもそれなりに積極的な取り組みが見られました。しかし今となっては、新型コロナウィルス感染者が出たからと言ってその勤務先が大々的に報じられるようなこともなく、経営側が神経をすり減らすようなことも減ってきたのではないでしょうか。

 緊急事態宣言の前と後で、感染リスクが変わるものではありません。従業員の感染リスクを低減したいとの意図があるなら、政府の宣言を待たずに手を打つことが求められますし、一部の部署ではそのように対応していたわけです。一方で従業員の感染リスクには無頓着であるものの、政府の方針には敏感な会社もあって、そうなると私の勤務先のように「宣言が始まったら対応する」ところもあるのですね。

 まぁ感染リスクには無頓着でも政府方針に従順なら、まだマシな方なのかも知れません。報道を見る限り首都圏各地の人の出入りは、昨年の緊急事態宣言当時に比べると顕著な減少は見られず、宣言があっても今まで通りの行動を続ける人が多数派となりつつあることが分かります。医療関係者がどれほど警鐘を鳴らしても、我々の社会はそれを他人事のように受け止めているのでしょう。

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先輩たる日本からアメリカへのアドバイス

2021-01-03 22:21:50 | 政治・国際

 旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすること。↔革新。――「保守」とは辞書において、そのように定義されています。この定義をアメリカ大統領選に当てはめるならばバイデンが「保守」であり、トランプが「革新」の代表者となるわけです。ところが日米を問わず「保守」を称しているのは専ら保守的な政治家とは真逆の人々であり、その性質を端的に言い表すとしたら差別主義だったりします。

 例えば「なし崩し」「確信犯」という言葉は伝統的に辞書で説明されてきた用法とは異なる意味で使われることの方が一般的となり、むしろ辞書の方が時代に合わせて変化しつつあります。「保守」も然りで、今の辞典で流通している辞書とは全く異なる意味で使われているところですが、いずれは保守を称する人々の思想信条を正しく表明する定義が辞書に掲載されることもあるでしょうか。

 そして政治的な文脈で「保守」の対に置かれがちなのが「リベラル」という言葉です。これも辞書では「個人の自由、個性を重んずるさま。自由主義的。」などと定義されますけれど、「リベラル」と称される政党・政治家に当てはまるかと言えば実際には異なることの方が多いでしょう。むしろ(自称)保守の対概念として、差別主義者から毛嫌いされている勢力を指しているだけだったりするのが一般的と言えます。

 それが有意義なものであるかは別問題として、バイデンとトランプのどちらに「新しさ」があるかと言えば論じるまでもなくトランプです。ただ移民よりも父祖からのアメリカ人の、有色人種よりも白人の、女性よりも男性の、新しい産業よりも旧来の産業の既得権益を守ることを期待されてきたという面ではかろうじて「保守」と呼べるのかも知れません。

 ともあれこの「新しさ」と「保守」の融合は、日本では小泉改革を思い起こさせるところでしょうか。小泉純一郎もトランプと同様に異端派として党内からは必ずしも歓迎される船出でなかった一方、異端派であるが故に有権者からは「新しさ」を期待されて広い支持を集めました。そして実行された「改革」は、富める者をより豊かに、貧しい者を貧しいままにする、格差を拡大・固定化するものだったわけです。

 従来の政治家とは異なる「新しさ」への期待から支持を厚め、格差を広げる「改革」を実行した小泉純一郎、差別心を隠そうともしない言動で東京都民からの揺るがぬ人気を博した石原慎太郎、この二人の融合系がトランプであり、トランプが4年前に当選したときには「アメリカが日本に追いついた」と私は感じました。そこからアメリカは4年で政権交代となったわけですが、この先はどうなるでしょうか。

 日本の民主党とアメリカの民主党、ある程度までは共通点もあります。共に二大保守政党の一翼であること、支持基盤が都市部寄りで地方選挙区に弱く、選挙制度の面で不利益を被っていること。そして毛嫌いする人からはリベラルとのレッテルを貼られがちなところでしょうか。もちろん異なる点も少なくありませんが、日本の民主党の失敗からアメリカの民主党が学べることも多いように思います。

参考、民主党政権とは何だったのか

 日本の民主党は「保守」を称する人々から貼られた「リベラル」のレッテルを払拭すべく、その政策はむしろ右に重心を置くものでした。結果として「保守」からの支持を集めることが出来たかと言えば、その努力は灰燼に帰したと言うほかありません。どのような政策を採ろうと、民主党に「リベラル」のレッテルを貼る人々からすれば、民主党は永遠に「保守」と相容れない「リベラル」な党だったわけです。

 日本でもアメリカでも社会の「分断」を問題視する論調は強まっています。ではこの分断に、どう対処していくべきなのでしょうか。確実なのは、譲渡や妥協は何も解決しないと言うことです。日本の民主党がそうであったように、アメリカの民主党が「保守」に迎合した政策をどれほど打ち出したところで、トランプ支持層が民主党になびくようなことはあり得ないわけです。

 レイシズムを否定する大統領と差別主義者の間では当然のことながら分断が生まれることでしょう。ではレイシズムを否定しない大統領の下ではどうだったのか――差別主義者が自信を深めることはあっても、それが社会の分断を解消することはありませんでした。差別主義者を前に唯一やれることは、毅然として立ち向かうことだけです。

 1937年よりイギリスの首相を務めたネヴィル・チェンバレンは反共勢力の分断を避けるべくナチス・ドイツへの宥和政策を貫徹し、それが一時は肯定的に評価されていました。後の歴史は誰もが知るところですが、ここからも学ぶべきものはあるように思います。妥協と譲渡は対立勢力へのプレゼントにはなるかも知れませんが、その見返りはありません。バイデン政権が過去の失敗を繰り返さないためには、トランプ支持層を社会的に抹殺する覚悟で臨む以外にないでしょう。

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