非国民通信

ノーモア・コイズミ

松屋よ、お前もか

2009-04-30 22:54:01 | ニュース

 問題そのものよりも、その問題に対する過剰反応の方が遥かに大きな害をもたらすことがあります。アレルギー反応とはそういうものですが、それは身体のみではなく社会においても見られるわけで、とりわけ生活保護行政や治安対策といった面で顕著です。昨今では海賊問題も同様でしょうか。軽微な問題を過大に扱うことで、当初の問題よりも格段に大きな「副作用」が我々の社会を蝕みます。

松屋フーズ「豚テキ定食」販売中止 「お客さまの心象考慮」(共同通信)

 牛丼チェーンの松屋フーズは27日、メキシコ産の豚肉を使った「豚テキ定食」(税込み680円)の販売を同日から一時、中止することを決めた。同社は「メキシコ産豚肉が安全であることは、政府からも見解が表明されている通りだが、お客さまの心象などを考慮した」(広報担当)という。メキシコ産を使用していない「豚めし」と「豚焼肉定食」については販売を続ける。

 たぶん、豚インフルエンザ自体は深刻な問題なのでしょう。これが北朝鮮の発射実験のように「日本だけが騒いでいる」みたいな代物であってくれればよいのですが、WHOもフェーズ5宣言を出すなど、日本以外の国でも問題になっているようですから。しかし、この松屋の「豚テキ定食」販売中止はどうなのでしょうか?

豚肉の販売中止は「心外」=野田消費者相(時事通信)

 野田聖子消費者行政担当相は28日午前、閣議後の記者会見で、豚インフルエンザの発生を受け、大手外食チェーンの一部がメキシコ産豚肉を使ったメニューの販売を中止したことについて、「豚肉に関してはまったく安全で、(こうした動きは)心外だ。風評被害を起こしては困るし、消費者に間違ったシグナルを送ってもらっては困る」と述べた。 

 なんだかカイワレ大根を思い出します。まさか菅直人に倣って野田氏がメディアの前で豚肉を食べてみせる……なんてことにはならないでしょうけれど、豚肉の売上は落ちそうですね。O-157騒動の際はカイワレ業者が壊滅的な被害を被ったそうですが、今度は養豚業者が泣きを見る羽目になるのかも知れません。他にはこんな事例もあったようです。

トンだ災難 ピンチヒッターは、子ヤギ(西日本新聞)

 新型インフルエンザ発生を受け、佐賀市三瀬村の観光牧場「どんぐり村」は28日、5月2‐6日に予定していた特別ショー「3匹の子豚」の中止を決めた。

 どんぐり村では、生後8カ月の子ブタ「ツボミちゃん」と、名前募集中の生後4カ月の2匹の子ブタの一般公開が始まったばかり。この3匹はショーに向け猛特訓し、回れ右やお座りの芸も身に付けていたが、「豚インフルエンザに不安を抱く来園者がいるかもしれない」と配慮したという。

 トンだ災難のピンチヒッターとしてショーに登場するのは、7匹の子ヤギ。子ヤギの担当者は「ショーを成功させ、子どもたちのブーイングは避けたい」。

 何やら脳天気な報道ですが、「災難」を被ったのは代役のヤギ担当者ではないでしょう。何ら危険性があるわけでもないのに、「不安を抱く来園者がいるかもしれない」という理由でお役御免となった豚担当者こそ災難です。この一件だけを見れば軽微な事態かも知れませんが、兆候としては危険なもの、西日本新聞のこの取り上げ方はどうかなぁ、とも思います。

 で、松屋曰く「メキシコ産豚肉が安全であることは、政府からも見解が表明されている通りだが、お客さまの心象などを考慮した」だそうです。どんぐり村の言い分とも似たようなものですね。要するに危険性があるわけではないけれど、危険性があると認識しているお客さんもいるだろうから、そうしたお客さんの心証を考慮して、豚を排除しますよ、と。

 この論法、何かを思い出しませんか? 「外国人お断り」の口実は、だいたいこんなのでしたよね? 自分自身(店舗責任者)が外国人を差別するわけではないが、お客さんの中には外国人を危険視する人もいるので、そうした「お客様」の心証に配慮して「外国人お断り」としているだけ、別にレイシズムではない、と。勿論これは「お客様」を言い訳にしてレイシズムに荷担しているわけで二重に卑劣ですらありますが、この手の考え方は色々と応用されているようです。松屋しかり、どんぐり村しかり。

 「危険な外国人」幻想に基づく「外国人お断り」が「危険な外国人」イメージを増幅するように、「メキシコ産品/豚は危ない」という誤った認識から「メキシコ産/豚は使用しておりません」と企業がメッセージを発する、そうしたメッセージが「メキシコ産品/豚は危ない」という印象を強める、そうした懸念は当然あってしかるべきでしょう。こと日本国内では豚インフルエンザによる被害者<<<風評被害にあった輸入業者や養豚業者、そういう結果になりそうです。

 望んでそうなったにせよ、そうでないにせよ、社会的な注目度のある人、影響力のある組織や団体には、事実に基づかない害ある風評をキッパリと退ける責任が求められるのではないでしょうか。松屋のような全国展開しているチェーン店で一斉にメキシコ産の豚メニューが撤去される、「お客様への配慮」と言えば聞こえはいいですが、それは根拠のない流言飛語を肯定する、後ろ盾を与える行為なのですから。

 

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 本文を書いた後に見つけました。美しい国に先んじて暴挙に出たのはエジプトのようです。

エジプトが国内すべての豚処分へ、FAOは再考促す(トムソンロイター)

 エジプト政府は29日、新型インフルエンザの被害が世界的に拡大していることを受け、国内で飼育されている豚30万─40万頭すべてを殺処分にすることを決めた。

 これに対し、国連食糧農業機関(FAO)は、「間違った判断」と再考を促している。

 エジプトのガバリ保健相は、国営通信社を通じて発表した声明で、「エジプト国内の豚全頭を本日から処分することに決めた」と述べた。

 一方、FAOのドメネック主任獣医は同日、ロイターに対し「間違った判断。そうした処分を行う理由はない。これは豚ではなく、人間のインフルエンザだ」とコメント。エジプト政府に連絡を取ろうとしていると話した。

 さらに追加、こんな記事もありました。色々ととばっちりを食らっている人が出ているようです。インフルエンザ感染よりも先に、「被害」は発生しているわけです。

途絶えた客足、在日メキシコ人店主「関係ないのに…」(朝日新聞)

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有権者の選択による淘汰が期待できないからには

2009-04-29 11:26:53 | ニュース

民主の世襲制限に批判続出=「愚の骨頂」「機会は平等に」-各閣僚(時事通信)

 民主党が次期衆院選から国会議員の「世襲候補」の同一選挙区からの立候補を制限する方針を決めたことに関し、世襲議員である各閣僚から24日午前の記者会見で、世襲制限への批判や反論が相次いだ。

 鳩山邦夫総務相は「非常に中途半端な内容だ。自分たちは(世襲で)いいけど、後(の人)は駄目だというのは愚の骨頂だ」と批判。「どうせなら(民主党代表の)小沢一郎さんも(同党幹事長の)鳩山由紀夫さんも鳩山邦夫も出るなよ、とやれば徹底している」と皮肉った。

 さて、政治家の世襲制限が国会で論議を呼んでいます。まぁ選挙区を変えれば済む話、迂回路の用意された話でもありますので鳩山弟の言を待つまでもなく中途半端な内容です。漸進的な処置としてはこんなものかも知れませんが、かといってこのレベルでピリオドを打たれるとなると、むしろ世襲批判への防波堤作りに見えないこともありません。まぁ、これだけ世襲議員の当選が続くからには、有権者が世襲に批判的、と言うわけではないのかも知れませんけれど(むしろ、有権者の選択による淘汰が期待できないからこそ、制度による規制が必要にも思われます)。

 浜田靖一防衛相は「安易に(近く)選挙があるとみられるときに議論するのでなく、冷静に話すべきだ」と慎重な論議が必要と強調。石破茂農水相は「あらゆる人に(選挙に)出る機会が平等に保障されるべきだ。憲法論がクリアできるかどうか難しいのではないか」と指摘した。

 で、相変わらず夢見がちな石破茂はには苦笑せざるを得ません。曰く「あらゆる人に出る機会が平等に保障されるべき」とのことですが、レイシストや歴史修正主義者が言論の自由を唱えているのを目の当たりにしたときと似たような気分になります。言論の自由ならぬ機会の平等を履き違えるのも大概にしてほしいものですね。そして「憲法論がクリアできるかどうか難しい」とも宣うわけですが、9条や25条の運用を思い起こすまでもなく、この国で憲法がどれだけ有名無実と化しているかを考えれば何だって可能でしょう。たとえ明らかに憲法に違反していようと、それが行政の決断ならば最高裁が政府を守ってくれますから。

 あるいは世襲制限に対する的外れな批判として、「世襲の利点」を説くものがあります。つまり政治家の子弟は幼少時より親の手腕を見て「政治家」を学んでいる、早い段階から訓練を受けている、経験を積んでいるのであり、それだけ政治家としての適正がある云々、ゆえに政治エリートである彼らに制限をかけることはマイナスになる……と。要約すればこんなところでしょうか。

 これは一見するともっともらしく聞こえるかも知れません。しかし未来を予測する前にはまず、過去の実績を考慮すべきでしょう。実際、世襲議員は増加の一途を辿り、とりわけ政権中枢は世襲議員ばかりで固められるようになったわけで、実例には事欠きません。生まれながらの政治家である彼らの手腕、実績はいかがなものでしょうか? 政治家の家に生まれた子が、そうでない子よりも政治手腕に長けているというなら結構です。白猫でも黒猫でも鼠を捕るのが良い猫、世襲議員が有能な政治家であったならば、世襲も上等です。しかるに、世襲議員が無能なボンクラ揃いだとしたら?

 往々にして世襲議員の優秀さ、一子相伝の英才教育の成果は議会に登壇する「前」の段階にあるようです。つまり、世襲議員には著しく行政手腕に劣るケースが目立つ一方で、選挙戦には「強さ」を発揮する、それが実態でしょう。政策面では劣る傾向にあるが選挙には強い、だから議席の確保を優先する党戦略下においては重用される、それが世襲議員の平均像です。議席の数次第で発言力も変わる、議席が少なければ出来ることも限られてくるだけに、そうした「議席を獲得する能力」も決して軽視できないかも知れませんが……

 政治家の家に受け継がれているのが「議席を獲得する能力」=「政治家になる能力」であるとしても、その能力やノウハウが世襲化していること、すなわち一般人の手の届かないところに置かれていることは大いに問題です。誰でもその気になれば政治家に「なる」ための機会が得られる、訓練が受けられる、支援が得られる環境作りが必要であって、現状の政治家の子供とそうでない子供の機会の格差を解消するためには、何らかの是正措置が必要でしょう。

 ですから、最初から有利な位置にいる人と、最初から不利な位置にいる人がいて、不利な立場にいる人にも機会を与える、不利な立場にいる人からも人材を発掘するためには、片方に制限をかけ、片方を優遇するぐらいの必要性が出てくるわけです。それにもかかわらず世襲の制限に反対している石破茂などの世襲議員は、国籍を持たないことによって被る不利益に対する代替的な補償を「在日特権」と呼ぶレイシスト、有色人種へのアファーマティヴ・アクションを逆差別と呼ぶ白人層、あるいは女性差別への是正措置を逆差別と呼ぶミソジニスト連中と同様の感覚の持ち主なのでしょう。

 ・・・・・・

 一方、野田聖子消費者行政担当相は「世襲制限よりも女性の比率を高める内規をつくった方が前向きではないか」と述べた。

 ちなみに余談のように付け加えられたこの提言、意外に面白い副次効果がありそうな気がしますね。女性議員、女性閣僚の比率を高めると、将来的には何が起るでしょうか? 少なくとも今の日本の社会では、父親と母親の価値は決定的に異なります。父親の跡を継ぐこと、父親の言うことを聞くこと、父親に付き従うことは「美談」です(参考)。一方、それが母親となると社会的評価は正反対です。父親べったりならぬ母親べったりは「未熟さ」の現われであり、軽蔑の対象としてしか扱われません。父親の地位を継承することは堂々と行われる一方で、「母親の地位を継ぐ」というパターンはあまり見られないのではないでしょうか(そもそも現時点では高い地位にいる女性が少ないわけですが)。

 ですから女性の議員、閣僚が増えればその分だけ、世襲の機会は減るかも知れません。日本社会の価値観が変わらない限りは、という条件付ですが、「ママの議席を継ぐ」子供は父親の議席を継ぐ場合より格段に少なくなるでしょう。超長期的な視野に立つなら世襲議員を減らすためにも女性議員の比率を増やすことは有効、そんな気がしないでもありません。

 

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流れは何も変わっていない

2009-04-27 23:16:55 | ニュース

府議会に「橋下チルドレン」誕生 若手6人で新会派(朝日新聞)

 大阪府の橋下徹知事を全面的に支援する若手府議6人が24日、自民党府議団を離脱して新会派「自民党・維新の会」を結成した。代表の今井豊氏は記者意見で「知事の反中央集権、反官僚の闘いに大きく共鳴した」と強調。事実上の「橋下チルドレン」の誕生だ。

 政治の世界などではしばしば「老害」という言葉が使われますが、むしろ「若害」の方が深刻ではないかと思われる今日この頃、何でも若手府議6人が「維新の会」なるものを結成したそうです。若い世代ほど支持率の高い橋下ですが、それは府民だけではなく府議の場合も同様なのでしょうか。さっそく小泉チルドレンならぬ橋下チルドレンと呼ばれているようです。同じ自民党議員でも年配の議員がブレーキ役になってくれればいいのですが。

「これが二重行政の現場」…実はTBS依頼でやっただけ(朝日新聞)

 TBS系が今月11日に放送した「情報7days ニュースキャスター」で、国道と大阪府道の清掃作業をめぐり、通常実施しない清掃作業を業者に依頼し、国と地方の「二重行政の現場」として報道していたことがわかった。国土交通省近畿地方整備局が「事実誤認と考えられる」と指摘。TBSは25日、「行きすぎた表現でした。誤解を与えかねない表現になったことをおわびします」と同番組で謝罪した。

 ……で、その橋下と同類たちが出演した番組がこれです。曰く「二重行政の現場」と称して役所の無駄を煽り立てて、橋下らの「戦い」を応援する内容だったようですが、全くのやらせだったわけです。まぁ、すぐにばれる嘘を吐く人はいくらでもいますから決して珍しいことではないのでしょうけれど、「二重行政の現場」ならぬ「公務員叩きの現場」の事例としては記憶しておいていいのかも知れませんね。

 こちらでも触れたことですが、公務員叩きの大半は実態に基づかないもので、誤ったデータを前提としていたり、あるいは今回のように「やらせ」だったりするわけです。私のブログでは取り上げませんでしたが、役所の不正経理を告発しておきながら実は謝礼を渡して偽証させていただけだったなんてのもありましたね。需要があるからには、今後も似たようなケースが続くのかも知れません。こうなるとほとんど人種差別に近い、公務員がバスの席に座ることを禁じられる日が迫っているような気さえしてきます。

名古屋市長に河村氏初当選 与党支援候補ら大差で破る(共同通信)

 任期満了に伴う名古屋市長選は26日、無所属新人の前衆院議員河村たかし氏(60)=民主推薦=が、自民、公明両党の県組織が支持する元中部経済産業局長細川昌彦氏(54)、愛知県商工団体連合会長太田義郎氏(65)=共産推薦=ら無所属新人3人を大差で破り、初当選。投票率は前回を23・04ポイント上回る50・54%。大型地方選挙で民主系候補の連敗はストップした。

 さて、名古屋では「THE FACTS」にも名を連ねた極右歴史修正主義者の河村たかしが当選です。対立候補のことはよく知りませんが、河村たかしを当選させるくらいなら自民党候補を勝たせておいた方がまだマシだったように思われます。しかるに最悪の候補が勝利してしまいました。民主党もこんな政治家を擁立しているようでは良識が疑われますが、民主党のバックアップだけでは勝てなくなっているだけに「勝てる」候補であれば資質は二の次にしてしまったのでしょうか。

 昨今では小沢問題を契機に、一部の(あくまで一部であって欲しいものです)民主党支持層が自民党信奉者と見紛うばかりの発言を繰り返しているわけですが、河村たかしはその象徴かも知れませんね。その主張するところは自民党の極右議員と何ら変わらない、それでいて民主党の旗を掲げる、こういう候補が自民党候補を破ったところで、事態を悪化させるばかりだと思うのですけれど。

 言うまでもなく、河村が看板に掲げてきたのは橋下と同様の公務員叩きです。党の名前じゃありません。引用した記事では脳天気に「民主党系候補の連敗はストップした」などと書いていますが、そうではなく東国原、橋下、森田と続いたポピュリズム型候補の当選継続であり、政界の侵食に歯止めが掛からない、そういう事態として捉えて欲しいものです。

 

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軍隊よりも金を出せばいいのに

2009-04-26 22:49:24 | ニュース

海賊対処法案、衆院通過=今国会成立へ―海自活動を拡大(時事通信)

 アフリカ・ソマリア沖での海上自衛隊による海賊対策の新たな根拠法となる海賊対処法案は23日午後の衆院本会議で、自民、公明両党などの賛成多数で可決、参院に送付された。民主、共産、社民、国民新の野党4党は反対した。民主党は参院でも審議引き延ばしはしない方針。同法案は同党などの反対で否決されても、衆院で与党の3分の2以上の賛成で再可決、今国会で成立する見通しだ。

 衆院海賊対処・テロ防止特別委員会は同日午前、麻生太郎首相が出席して締めくくり質疑を行った。首相は「海上輸送の安全確保は、(日本にとって)優先順位が極めて高い。日本の人命、財産(の保護)にきちんと対応するのは、政府に与えられた大きな仕事の1つであり、緊急かつ重要な課題だ」と述べ、同法案の必要性を強調した。中谷元氏(自民)への答弁。

 有名人が泥酔して全裸になったとかでTVニュースではロクに放送されませんでしたが、それなりに物議を醸していた法案が通過しました。今が旬の(落ち目になってからでは色々と悲しいですから)美人タレントが脱いだのならまだ理解できますが、男が脱いだってねぇ、そう騒ぐことじゃないと思うのですが。

 さて、麻生首相曰く「日本の人命、財産にきちんと対応するのは、政府に与えられた大きな仕事」だそうです。日本の「財産」というのはわからないでもないのですが、日本の「人命」というのはどうでしょうかね? 果たしてソマリア沖を公開している船のうち、日本船籍の船がどれだけあるのか、そして日本国籍を保有する乗組員がどれだけいるのか、その辺を考えて欲しいものです。ただ単に日本の企業が出資しているだけで、船はパナマ船籍、乗員の大半はフィリピン人とか、そういう状態で「日本の人命、財産~」と言われても、ねぇ。

 同法案は、海賊行為を制止するために他に手段がないときは、停船を目的とした船体射撃を認めるとし、日本に関係する船舶だけでなく外国船舶の護衛もできるようにした。また、海賊行為は「無期または5年以上の懲役」、さらに人を死亡させた場合は「死刑または無期懲役」に処するとした罰則規定も盛り込んだ。

 日本人が乗り組んでいる日本の船が「脅かされている」と、そう印象づければ国民を信じ込ませることはできるとしても、実態は違うわけです。そこで「日本に関係する船舶」なる迂遠な言い回しが使われるわけですが、そんな回りくどいことをしなくとも「外国船舶の護衛もできるように」するようです。まぁ、これ自体は別にいいのではないでしょうかね。日本人じゃないからと言って排除しても構わないとするならおかしなことですから。国籍の有無によって差別的に取り扱う日本の国是からすると例外的に見えますが!

 ちなみに海賊行為は「無期または5年以上の懲役」、さらに人を死亡させた場合は「死刑または無期懲役」だそうです。相変わらず日本は死刑が好きなようですが、これって司法の手続き無しで話が進むのでしょうか。逮捕してソマリア政府に引き渡すという話でもなさそうですが、かといって日本まで連行して日本の刑事罰に問う、というものでもなさそうですし、国際的な取り決め云々というものでもなさそうです。まさか司法を介さず自衛隊内部で「死刑」判決が下される、そんな代物じゃないでしょうね?

 ・・・・・・

 海外に自衛隊を送る口実として好んで用いられるのは、湾岸戦争時に「日本は金を出すだけ」と批判された、というものです。本当にそんな批判があったのかは知りませんが、「金だけではなく血と汗を流さなくては」という理由で自衛隊派遣の必要性が説かれます。ですが、その自衛隊が「護衛」しようとしている船は日本船籍ではない、乗組員も日本人とは限らないわけです。実質的に国が丸抱えしている捕鯨船ですら外国人船員に頼っている、そんな時代ですから。日本は金を出すだけではない、と言い繕って自衛隊を派遣する一方、その護衛の対象は「日本が金を出しただけ」の船なのです。

 ソマリア沖で日本の船、日本人ばかりが乗っている船となると、それこそ自衛隊の艦船だけでしょう。それ以外の船は「日本が金を出しただけ」の船に過ぎません。だったら、軍隊だって同じです。「金を出すだけ」で十分でしょう。外注できるものは外注する、そこで気を使うべきことがあるとしたら、正当な対価を支払う――立場の強弱につけ込んだ一方的な搾取にならないようにする――ことであって、何もかも日本の手で賄わなきゃいけないというものではないはずです。金がある人/国の役割は金を出すことなのです。

 だから、ソマリア人でも雇ったらどうかと言いたいわけです。日本の企業がパナマ籍の船にフィリピン人を乗せて航海に出るように、海賊を取り締まる船にもソマリア人を乗せたって何ら問題ないでしょう。海賊ぐらいしか金を稼ぐ手段がないソマリア住民に別の仕事を斡旋すべきなのです(現地事情にだって精通しているでしょうし!)。まぁ、それでも軍事力の行使によって物事を解決したい人、最短経路で問題を解決するよりも自分好みの「手段」で対処したい人が、何かと幅を利かせているのが現状なのかも知れませんけれど。

 

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北朝鮮問題における「外交」の不在

2009-04-25 11:02:27 | ニュース

対北制裁「効果ない」=自民・山崎氏(時事通信)

 自民党の山崎拓外交調査会長は19日のNHKの討論番組で、弾道ミサイルを発射した北朝鮮に対する日本政府の経済制裁強化について、「国民感情として理解するが、現在までに幾多の制裁を加えてきて、とりわけ拉致問題について前進があったかというと実際はない。効果を発揮しない」と述べた。その上で「(北朝鮮を)6カ国協議に復帰させることを重点的に考えるべきだ」として、外交努力が必要と強調した。

 まぁ、見りゃわかりますよね。もう何年も経済制裁を続けてきたわけですから、その効果はとっくに検証済みです。後は結果を受け容れる覚悟があるのかどうか、それだけの話です。それでも尚、制裁強化に固執する人は構造改革論者と同じ様な頭の持ち主なのでしょうか。「構造改革」の結果が明らかになっても決して改革の誤りを認めない、「構造改革」の継続が必要だと説く連中と一緒です。これが投資ならぬ投機なら、いつの日か幸運が巡ってくることもあるかも知れません(その時まで待てる余力があるかどうかは別ですけれど)。しかし、政治は運任せでもなければ、偶然にばかり左右されるものではないわけで、いつまでも見込のない手に賭けていてもどうにもならないのです。

 あるいは、手段と目的が入れ替わっているのでしょうか。「拉致問題を前進させるために経済制裁を強化する」のではなく、「経済制裁を強化するために拉致問題を旗印に掲げる」わけです。目的が前者であるなら日本の行動は不合理きわまりないですが、後者であるならば日本なりに目的に沿った行動をとっていることになります。拉致被害者家族会を離れた蓮池透氏などは拉致問題の解決が目的らしく、一向に成果の上がらない制裁路線には懐疑的なようですけれど、蓮池氏とは立場を異にする人の方が多いようですし。

 そもそも現代の日本には「外交」が存在するのか怪しい、外交と称されているものが、その実は全くの国内向けの政策であるケースが相継いでいるように思われます。かの「THE FACTS」のように、国外に向けてのアピールのフリをしていても実際は国外からはまるで相手にされていない(冷笑ぐらいはされるかも知れませんが)、その代りに国内の支持層からは喝采を浴びる、そうした行為の繰り返しが日本の「外交」ではないでしょうか。

 例えば先日、橋下が「北朝鮮以外の国に住んでいる北朝鮮籍の人が、厳しく今の体制について、批判していかなければならないと思う」と述べました。勿論、こんなことを言っても外交上の効力は微塵もないでしょう(そもそも日本の法律上は北朝鮮国籍での登録は認められていませんので、日本国内に「北朝鮮籍」の人など存在しません)。しかし、国内、選挙区内の支持層へのアピールとしてはどうでしょうか。そうです、外の国のことを語っているように見えて、その実は国内の有権者にしか語りかけていないわけです。

 言うまでもなく、日本政府の北朝鮮外交も同様です。他の5カ国が核開発について話し合っている最中に拉致問題について熱弁したり、何ら効果のない経済制裁を振りかざすのも、決して外交上の成果を狙ったものではないのでしょう。そうではなく、あくまで国内向けのアピール、国内の反北朝鮮感情に訴えかけ、政府への支持を呼びかけるものと見た方が間違いがないはずです。北朝鮮との問題を解決するために制裁を唱えているのではなく、北朝鮮に「毅然と」立ち向かう日本を国民に印象づけること、そっちを真の「目的」と見なさないことには政府の方針を合理的に説明することは出来ません。

 ことによると外交上の「成功」よりも「失敗」の方が国民には歓迎されるのかも知れません。北朝鮮の発射実験強行は外交の失敗を意味するわけですが、これは政府与党の支持率を少なからず引き上げました。外交的手段による解決を図れなかった政府を非難するどころか、政府を支えようとする声が勢いづいたわけです。北朝鮮との関係を修復して問題を円満に解決することよりも、むしろこれ見よがしに北朝鮮と対立してみせること、こちらの方が政府にとってはプラスになる、だからこそ前進の見込めない制裁強化に固執する、それが政府にとっての合理的な選択となるのでしょう。

 

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また死刑です

2009-04-23 22:54:12 | ニュース

林真須美被告、面会取材でも無実訴え 21日最高裁判決(朝日新聞)

 98年7月に起きた和歌山カレー毒物混入事件の上告審判決が21日、最高裁第三小法廷で言い渡される。4人が亡くなった事件の発生から10年8カ月。一、二審で死刑とされた林真須美被告(47)は今も無罪を主張している。一方の検察側は、直接証拠が一切ないなか、膨大な状況証拠を積み重ねてきた。

 林被告は捜査段階と一審・和歌山地裁で黙秘を貫いた。二審・大阪高裁では黙秘を撤回したものの、夏祭りのカレーにヒ素を混入させたとする起訴事実を否認し続けた。

 ……これは判決前の報道ですが、ご存知の通り、結局は死刑でした。ここでも明記されているように直接証拠がない、状況証拠の積み重ねによる立証だったわけです。推理小説であれば、それっぽい状況証拠を積み上げて「犯人」を追い詰めれば自白が得られて大団円となるものですが、現実はそうも行きません。状況証拠の積み重ねは、あくまで状況証拠の積み重ねに過ぎません。

 それでもやっぱり、死刑でした。たぶん、かの三浦和義も裁かれる時期がもう少し遅ければ死刑判決が出ていたでしょうね。「疑わしきは罰せず」から「十分に疑わしいのなら罰することが出来るはずだ」という方向に変わってきたような気がします。できるだけ罰する機会を逃さないように、罰を最大化できるように、そういう方向に向かっているのではないでしょうか。

 元々の原則であれば「どうしても死刑でなければならない場合に限って死刑」と、死刑の基準は消極的なものだったはずです。死刑以外の選択肢があるなら、死刑にはしないわけです。ところが昨今は「死刑に出来る機会があるなら死刑にする」、そんな「積極的」な基準に移行しつつあるように思われます。クロの可能性が100%、シロの可能性が0%であるから死刑にするしかない、ではなく、クロの可能性が十分に見込めるから死刑にしよう、と。ブラックリスト方式からホワイトリスト方式に切り替えられるぐらいの大胆なシフトが行われているわけですが、これは危険ですよ。

審理10年、異例づくし=取材映像の証拠採用、メディア批判…-毒物カレー事件(時事通信)

 テレビで放映された林被告の取材映像の証拠採用も反響を呼んだ。テレビ各局などが強く反発。裁判長は「報道された情報をなぜ証拠としてはならないのか、理解に苦しむ」とした。事件をめぐるメディアスクラムにも言及。「過熱した取材報道が行われた」と異例の苦言を述べた。

 法廷での手錠、腰縄姿が無断撮影され、週刊誌に掲載されたことも。掲載への賠償を求めた訴訟では、林被告側が勝訴した。

 週刊誌との訴訟で勝訴云々の流れが特に三浦和義のケースを彷彿とさせますが、それはさておきテレビ放映された被告の取材映像まで証拠採用されたそうです。どういう形で用いられたのか見てみないことには何とも言えませんが、「過熱した取材報道」の中で編集されたものが証拠ですか、この辺も裁判員制度への地ならし的な側面があるのかも知れませんね。

DNA型鑑定「神話」揺らぐ 足利事件で不一致、精度に疑問符(産経新聞)

 栃木県足利市で平成2年、4歳の女児が殺害された「足利事件」で殺人罪などに問われ、無期懲役が確定した元幼稚園バス運転手、菅家利和受刑者(62)の再審請求即時抗告審で、東京高裁が嘱託した再鑑定の結果、菅家受刑者のDNA型と女児の下着に付着した体液が一致しなかったことが判明した。今月末にも再鑑定結果の最終報告書が同高裁に提出される見込みで、DNA型が一致したとする捜査段階での鑑定結果を有力な証拠とした確定判決が覆り、再審開始の可能性も出てくる。

 こちらは別の事件、遺骨のDNA鑑定というオーバーテクノロジーを有するはずの我らが美しい国ですが、判決の根拠となったDNA鑑定に誤りがある可能性が濃厚のようです。むしろDNAの方が一致しないのであれば被告の無罪を示唆する証拠にもなりそうですが、この先はどうなるのでしょう?

 法務省幹部も「DNA型が『明らかに違う』のか、『一致していると認められない』のかでもかなり違う。資料の劣化なども考慮しなければ」と話し、再鑑定結果を詳細に検討する必要を指摘している。

 ……ということではありますが、1200度で焼却された保管状況の宜しくない骨を『明らかに違う』と断定しきった鑑定技術はどこに消えたんですかね。ともあれDNA鑑定にせよ不確かなまま証拠として提出され、それを根拠に判決が下されることもあるわけです。死刑判決を増やす&死刑執行までの期間を短縮するのが現政権及び法務省の方針であり、国民多数派の支持を得ているところでありますが、この辺の「危うさ」から目を背けないで欲しいですね。

 

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国民も投資家も

2009-04-21 23:24:02 | 編集雑記・小ネタ

 さて、昨日の続きです。公務員叩きを例にして、いかに国民が「ブルーカラーの低賃金」「非正規雇用へのシフト」「給与削減」を求めているか見てきたわけですが、これに対するありがちな反論として「公務員と民間企業は違う」「公務員は我々の税金で~」というものがあります。下らないですね。前者は「白人を奴隷として売るのは許されないが黒人を売買するのは許される」みたいな発想ですし、それ以上に後者は穴だらけです。「公務員は我々の税金で~」と言うなら民間企業従業員の給与だって、元を辿れば顧客の支払った代金から出ているわけですから。ついでに言えば、公務員だって民間人と同じ基準で納税を強いられているわけですし。

 そうでなくとも、「自分は金を出す側(納税者)なのだから」と「金を受け取る側(公務員)」に無理難題を突きつけることが許される、相手を奴隷呼ばわりすることが許されていると考えているのなら、それは人間としてどうでしょう? カネで人の心が買えるとでも思っているのでしょうか?

 何はともあれ、少なからぬ国民は「ブルーカラーの低賃金」「非正規雇用へのシフト」「給与削減」を歓迎しているわけです。当人の自覚としてはあくまで「公務員限定」なのでしょうけれど、自分で思っているほどの分別があるとは限りません。自分のことを護憲派の平和主義者で左翼だと「思いこんでいる」一方で、口を開けばウヨのケツを舐めるばかり、先軍主義者を持ち上げるばかりの醜悪なブロガーだっていますから。「平和主義者」と「自分を平和主義者だと思っている人」が全くの別物であるように、当人の自覚と、実際の言動や行動はしばしば食い違うのです。

 ……で、少なからぬ国民は「自分達の税金」で公務員が養われていると思っている、そこから「国民の利益」のためと称して公務員給与の削減を叫ぶ政治家を歓迎する訳です。「我々の税金」で国や自治体は運営されているのであり、公務員は我々の利益のためにだけ働くべき、利益は全て我々と「公」のものになるべきで、それが公務員の手に渡るなど許されない、公務員の給与に回す金があるなら、国民と国家のために使え、と。しかるに現時点では民間企業の従業員に対して明示的に同様の態度を取る人は決して多くありません。どうしてでしょう、民間企業の従業員を「自分達の支払い」で養っているという風に考える人は、幸か不幸か少数派のようです。

 ことによると公務員がスケープゴートの役目を果たしているがゆえに、「堰き止められている」だけなのかも知れません。ところが、「国民」が公務員に対して求めるものを、民間企業の従業員にも求めている人々は確実に存在します。おわかりでしょうか? そう、株主であり、投資家です。彼らはこう考えるわけです。「我々の投資」で民間企業は運営されているのであり、企業は投資家の利益のために働くべきだ、我々の投資で得られた利益を従業員に回すなど許されない、賃上げや雇用確保に回す金があるなら、もっと我々に利益を還元せよ!

 誇らしげに「民間人」を称するような人々、公務員叩きに精を出す政治家の支持者達の多くは、「投資家」など自分とは別世界の人間だと思っているかも知れません。むしろ彼らの世界観では、投資家は公務員同様、ヒーローによって退治されるべき「悪者」の枠に収められているでしょうか。とんでもない、投資家も「民間人」も同じ人間であり、同じことを考えている同志なのです。ただ、ちょっと標的が異なるだけ、それだけのことです。

 支持の対象が自民党か民主党か、違いはそこだけで考え方や論法は全く変わらない人々を昨今は頻繁に目にしますが、私は同類だと思います。そして「我々の税金で」と称して公務員叩きに励む人々も、「我々の投資で」と称して働く人の待遇切り下げを要求する人々も、根本的な考え方は同じ、似たもの同士なのではないでしょうか。まぁ、誰を支持するか、誰を標的とするか、往々にしてそっちの方が重視されているようですけれど。

 公務員の給与削減を公約にするような政治家が有権者の支持を集めるのなら、同様のことが他所で行われていたとしても不思議ではありません。例えばそう、従業員の給与削減を大々的に掲げる経営者は、株主の支持を集めるでしょうか? 国民のためと称して公務員叩きをアピールする人気者と同様に、投資家のためと称して賃金抑制を訴えるのは、経営者の評価を高める常道なのかも知れませんね。株主配当と内部留保はいくら増やしても働く人には決して還元しない企業が相継いだわけですが、それを支えていた人の存在を考えてみましょう。

 で、一昨日のゼンショーとホンダの例を思い出してください。何とも非道い会社です。働く人を蔑ろにすることにかけては、どこと比べてもヒケを取らない両社ですが、投資家の評価はどうでしょうか? 公務員を叩けば叩くほど政治家の支持率が伸びるように、従業員を痛めつけるのはむしろ、株主の評価を上げる要因になるのかも知れません。比喩的な言い回しをすれば「株を下げる」振る舞いを見せた両社ですが、比喩ではなくそのものの「株」の値動きを見てみましょう。


ゼンショー

ホンダ

 ……株価ですから細かな上下動はありますけれど、ほぼ完全な横這い状態、安定していますね。ゼンショーなど2月、3月とも下旬に株価の急落を見せていますが、「株主にとっては重要な何か」があったようです。しかるに今のところは安定を保っています。株主にとって重要なことは何も起っていない、両社共に株を下げてはいないわけです。

 

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全ては「国民の声」に導かれるまま…

2009-04-20 23:09:14 | 編集雑記・小ネタ

 さて、公務員叩きは相変わらず人気取りの定番であり続け、公務員の待遇切り下げを公約に掲げ有権者に媚びを売る候補者は日本各地で後を絶ちません。そうした流れの中で、よく引き合いに出されるのが公務員と民間企業の給与比較ですね、公務員の給与が高いという「設定」と「誤解」に基づいて、その給与引き下げの必要性を訴えるのが彼らの基本行動です。

 公務員給与は国や自治体の「業績」ではなく民間の平均に合わせて増減する仕組みですので、民間の平均給与が下がれば公務員の平均給与も下がるわけですが、なぜか人事院のデータとは真っ向から矛盾するデータ――公務員の給与は民間の給与より高いとするもの――が出回っています。どういうカラクリかというと、「非現業(≒ホワイトカラー)の正規職員」の平均と「全職種、パート、アルバイト含む」平均を比較しているからだったりします。中には(それが携帯電話の料金広告であれば行政指導の対象となるであろう小さな文字で)公務員の給与が90万人中から30万人を厳選して抽出した上での平均であることを白状しているケースもありますが(参考)、だいたいは注釈無しに「違うもの」を並べたデータが官民の給与比較として垂れ流されているわけです。

 官民の給与の違いを語らせれば、その人が知的に誠実かどうか、事実と偏見のどちらを重視するか、自分が望む結論のためには統計の歪曲も厭わないか、それとも不都合な真実でも受け容れるのかがわかります。まぁ、その「偏見」が有権者との間で共有されていれば、偏見を煽り、同調した方が「国民の視点に立った」候補として歓迎されるのですけれど。

 それはさておき、「ホワイトカラーの常勤公務員」の給与は「ブルーカラー、非正規雇用を含む平均」を大きく上回っているわけです。それが示すのは官民の給与格差ではなく、ホワイトカラーとブルーカラーの給与格差、正規雇用と非正規雇用の給与格差であり、こちらは真面目に取り扱われるべき問題です。

 ところがどうでしょうか、民間企業においてはホワイトカラーとブルーカラーの給与格差は大きい、それに比べると公務員の現業と非現業の給与格差はかなり小さめです。民間企業なら背広組の半分くらいに給与が抑え込まれていそうなバスの運転手でも、自治体の雇用であれば同世代のデスクワーカーと比べてもそう見劣りのしない給与を貰っていたりするわけです(参考)。私は、いいことだと思いますね。背広を着てオフィスで働く人も、制服を着て外で働く人も同様に遇する、模範的な労働環境ではないですか。しかるに、世論は全く逆の反応を示します。バスの運転手がそんな給料を貰うのはおかしい、と。国民の多くは、ブルーカラーの給与は低くあるべきだと確信しているようです。

 総人件費の問題でも同様です。漸く終りを迎えた「戦後最長の景気回復」を通じて、少なからぬ企業はバブル期を上回る空前の利益を得たものの、給与平均は一向に上昇する気配がありませんでした。どこでも会社と株主の取り分を増やすために、可能な限り働く人の取り分を削ろうとしていたわけで、そうした中で非正規雇用が急激に増加したわけです。これはむしろ公務員の世界の方が先を行っているところもあって、(徴税、警察部門以外の)正規職員の採用が大幅に抑制される中、非常勤職員へのシフトが今なお勧められています(参考1参考2)。民間企業のワーキングプア問題には社会的な注目が集まる一方、「官製ワーキングプア」は今後も積極的に増やそうとする方針が維持されているのです。「公」が率先してワーキングプアを増やすとは何事か!と私などは思うわけですが、でもこうした「人件費削減」を唱える候補の当選が相継ぐ様を見るに、どうやら有権者の大半はワーキングプアを増やすことには肯定的なようです。

 事実に反する仮定に意味はないと、これは昨日も使ったフレーズですが、仮に公務員給与が民間企業のそれを上回るとしましょう(実態)。格差がある、ならばどうする? 往々にして世論が飛びつく結論は「公務員の(高い方の)給与を引き下げる」です。低い方の給与を増やすという発想に辿り着く人はいません。例によって有権者から望まれているのは給与を引き下げることです。

 こうした事例を鑑みると、経団連や大半の雇用主は「国民の声」をよく聞き入れていることになりますね。「ブルーカラーは低賃金」「非正規雇用を増やす」「給与は低い方に合わせる」、財界の方針はまさしく、世論の求めるものと一致しているわけです。なんだかんだ言って暴動は元より目立ったストすら起らないのは、実は企業側の行動と国民の願望が合致しているからなんですね!

 ……と、こういうことは以前にも書いたことがあるのですが、それに対する「ありがちな」反論もまたあります。ちょっと長くなりすぎたので、続きは明日。昨日予告したゼンショーとホンダの例も明日に持ち越します。

 

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働く人をいかに蔑ろにしているか

2009-04-19 11:00:57 | ニュース

すき家ゼンショー、告発した店員を告訴「飯5杯盗んだ」(朝日新聞)

 店のご飯を無断で食べたなどとして、牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショー(本社・東京都港区)が、残業代不払いで同社を刑事告訴した仙台市の女性店員(41)を、窃盗などの疑いで仙台地検に刑事告訴していたことが分かった。地検はすでに店員を不起訴としており、店員側は「こんな手段で威嚇、報復するのは許されない」と反発している。

 店員側の弁護士らによると、ゼンショーは、商品用のご飯どんぶり5杯分を無断で食べたとする窃盗などの疑いで、店員を告訴した。店の監視カメラの映像が証拠だとしている。

 店員は「ご飯に洗浄用ブラシの毛が入ったため商品に使わず、まかない用のおにぎりにした」などと反論。地検は今年3月、嫌疑不十分で店員を不起訴とした。

 なんとも見苦しい会社です。ご飯5杯分を無断で食べたとして、あろう事か窃盗容疑で告訴したとか。ふむ、過去には米飯900g(産経新聞独自の尺貫法によると5合)で懲戒処分に走った自治体もあったようですが(参考)、ゼンショーも器の小ささでは負けていません。

 もちろん、この程度の容疑で刑事告訴する会社の姿勢も大いに問題なのですが、さらに重大なのはこれが雇用側の報復行為として行われたことです。店員側が不払いとなっている残業代の支払いを求めた民事訴訟が続いている最中に、「損害額」<<<(越えられない壁)<<<「法的手続きのコスト」となる行為に踏み切ったのは、窃盗容疑云々とは別の動機があったからでしょう。すなわち、会社を訴えた「不届き者」を対象とした見せしめであろうと思われるわけです。

 飲食店で食材を賄いに回す程度が窃盗と呼ばれるなら、瞬く間に日本は犯罪大国になってしまいそうですが、そうでなくともゼンショーの主張には矛盾した点ばかりです。元より団体交渉を拒否したりと悪名高い会社であり、残業代の割増分の不払いで訴えられている最中でもあるわけですが、そうした不法行為を正当化するための口実として会社が用意したのは「労働契約ではなく請負契約である」とするものでした。

個人請負という名の過酷な”偽装雇用”(東洋経済)

「『アルバイト』と称する者らの業務実態を精査した結果、『アルバイト』の業務遂行状況は、およそ労働契約と評価することはできないことが判明した」「会社とアルバイトとの関係は、労働契約関係ではなく、請負契約に類似する業務委託契約である」――。つまり「すき家」のアルバイトは会社に雇用されているのではなく、個人事業主として業務委託契約を結んだ個人請負だというのだ。

 こんな主張はさすがに最高裁ですら認められないでしょうけれど、しかるに労働問題に関することとなると、企業の無法を取り締まる機能をこの社会は有していません。消費者と企業ならまだしも、労働者と雇用主となると、何でも企業の言うがままです。どう見ても無理のある屁理屈でも構わないのでしょう。

 しかし、仮にゼンショー社のいうことが正しいとしたらどうでしょうか? つまり、「アルバイト」は「労働契約」を結んだ間柄ではなく「請負契約」であると。事実に反する仮定に意味はないというのはさておき、これが本当に「業務委託」であったなら? 業務委託であり、店員は請負事業者であるのなら、店舗運営に関しては店員側の裁量も認められねばなりません。直接の雇用主ならまだしも、業務を委託する間柄であれば、自ずと指揮命令権も限られてきます。請負事業者であったなら、自店舗の食材をどう扱うか、請負事業者が判断することが許されるはずです。当然、店の食材を賄いに回すくらいは裁量の範囲であり、雇用主でもない事業者から指図される謂われはないのです。

細切れ雇用100回の末、雇い止め 元期間工がホンダ提訴(朝日新聞)

 細切れの雇用契約を長期間繰り返した末の雇い止めは無効だとして、ホンダ栃木製作所(栃木県真岡市)の元期間従業員の男性(40)が17日、ホンダを相手取って、雇用継続や300万円の慰謝料などを求める訴訟を東京地裁に起こした。

 訴状などによると、男性は97年から、1~3カ月の雇用契約を約100回にわたり更新。1年間働くといったん退職させられ、5~31日の空白期間を置いた上で、また次の契約を結んでいたという。減産を理由に、08年末に雇い止めを通告された。

 男性側は、「実態は社員と同じ無期限の雇用契約だった」とし、雇い止めには社員の解雇と同じ手続きが必要で、今回は解雇の要件を満たしていないと主張。また、空白期間は、最高裁判例で認められた「雇用継続の期待権」を会社が免れるための脱法行為だと訴えている。

 有名税ではないでしょうけれど、自動車業界、製造業の問題となると真っ先に矢面に立たされるのがトヨタです。まぁ規模からしてトヨタが一番手には違いないのですが、ろくでなしはトヨタだけかと言えば残念ながらそうではありません。トヨタならずともダメな会社は多々あるもので、ホンダもまた強く非難されるべきですし、ここに名前が挙がらない他社でも似たようなケースは見られることでしょう。

 ……で、形式上は期間限定の雇用であったとしても、実質的に無期限の雇用関係にあると認められれば、正社員と同様に無闇な解雇は出来ない、少なくとも法律上はそうなっているわけです(ですから、一部の御用学者が繰り返す「正社員だけが守られている~」は全くの嘘です)。しかるに雇用側としては将来のクビキリに備え、できるだけ有期雇用に「見える」ように偽装を施します。この場合は1年働く毎に僅かな空白期間を挟むことで、あくまで期間限定の雇用、それが繰り返されただけという体裁を取っていたようです。いくらなんでも10年以上働いてそれは無理があるだろうと言いたくもなりますが、果たして裁判所の判断は???

 まぁ、何とか迂回路を設けることで、形だけでも合法化すれば済むと考えている人は多いのでしょう。本当に権力があれば取り締まる側も大目に見てくれるもの、実質上は明らかな不法行為であっても、形式だけでも合法化しておけばスルーされるだろうと、そうした算段が働く環境が出来ているのだと思います。昨今では偉い人だけではなく、一部の民主党支持層までそうした考え方に同調する有様ですから本当にどうしようもありません。

 今日はゼンショーとホンダが「働く人をいかに蔑ろにしているか」を雄弁に物語るニュースを取り上げました。明日はこうした報道が「どう受け止められるのか」に、ちょっと触れてみたいと思います。月曜日の憂鬱さに心が折れなければ、ですが。

 

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いったい「誰が」騙されたのか

2009-04-17 22:58:35 | ニュース

森田知事480万円返還、「刑事罰には触れないと確信」(読売新聞)

 千葉県の森田健作知事は16日の記者会見で、自らが支部長を務める自民党東京都衆議院選挙区第2支部が、2005、06年当時、政治資金規正法が禁じていた、外国人や外国法人の持ち株比率50%超の企業から980万円の献金を受けていた問題について、「刑事罰に触れるような行為ではないと確信しているが、道義的見地から、50%を超える基準日以後の480万円は返還した」と述べた。

 また、同支部長でありながら、知事選で法定ビラに「完全無所属」と記すなどし、公職選挙法違反(虚偽事項の公表)にあたるとして市民団体から告発されたことについては、「支部の解散手続きが遅れていただけで、私は完全無所属だと思っている」とした。

 要するに手続き上の問題であって、法に触れるようなものではないと言いたいようですね。似たようなことを、森田健作の当選前から何度か聞かされた記憶があります。そうそう、民主党支持層の中でもとりわけ狂信的な人々が、小沢一郎を擁護するために似たようなことを言っていましたねぇ。

 それなりに長いこと当ブログを呼んでくれている人ならお気づきかもしれませんが、私は「政治とカネ」の問題には鈍感な方です。企業献金の是非を問われたら一応は否定的な立場を取りますが、優先順位はあまり高くありません。「国民の声」を笠に着たポピュリズムのもたらした圧倒的な災厄の前では金権政治の問題など二の次にしてきたわけです。ですから野中広務や鈴木宗男、そして小沢一郎のような「汚い大人」にはむしろ一目置くぐらいの立場で記事を書いてきました。

 そんなわけで小沢一郎にはそれなりに好意的、今回の疑惑でも「そういうものだろう」ぐらいにしか思っていない私ですが、しかるに一部の小沢支持層の言動には看過できないものが少なくありません。民主党原理主義者は小沢擁護に熱心ですが、ちょっと単語を入れ替えるだけで森田健作だって擁護できてしまいそうに感じます。何がよいか悪いか、ではなく「誰が」という問題のようですね。小沢なら許されるが森田なら許されないとするなら、そういう考え方自体が私には許容できません。

 ちなみに森田氏の問題の一つは「外国人や外国法人の持ち株比率50%超の企業」から献金を受けたことです。御手洗も(あくまで一部の)民主党支持者も、「法律の方がおかしい」と言い出すわけですが、この場合はどうでしょう。日本人が株を持っている企業からの献金だったら合法なのでしょうけれど、ある意味では「日本人ならOKだが、外国人はお断り」みたいな印象を受けます。規制そのものはともかく、規制の根拠には頷けませんね。

県議らが森田知事を告発へ=公選法違反容疑で-千葉(時事通信)

 森田健作千葉県知事が自民党の支部長を務めながら、「完全無所属」をアピールして知事選を戦ったなどとして、県議の一部と市民運動グループは11日、千葉市内で会合を開き、「森田健作氏を告発する会」(井村弘子代表)を発足させた。同会は15日に、森田氏を公職選挙法違反の疑いで千葉地検に告発するという。

 同会は、森田氏が自民党東京都衆議院選挙区第2支部の代表を務めている点を問題視。「票集め目的で完全無所属をうたい、県民をだました行為は相当悪質」としている。

 ……で、紹介の順番が前後しますが刑事告発はこちらの団体からです。言わんとすることはわかります。ただ、県民を「だました」という表現が引っ掛かります。いったい誰が「騙された」というのでしょうか?

 本当に無所属だと思って森田健作に投票したけれど、後からニュースを見て自民党所属であることを知った、それで「騙された」と息巻いている人はどれだけいるのでしょうか? 選挙後の報道で森田氏への態度を変えた人って、あまり想像できないわけです。この「告発する会」の人は元より森田支持層ではなかった、初めから森田氏を「無所属」などとは思っていなかった人々でしょう。だから森田氏が公然と嘘を突き通したことに怒りを覚えるならわかるのですが……

 こちらの記事でも触れたことですが、具体的な所属や地位には触れずとも、森田氏が自民党の支援を受けた候補であることは当たり前のように選挙前から報道されていたわけです(森田氏同様、他の候補も軒並み政党色を隠し「無所属」を自称していましたが、どの政党がどの候補を推しているかは明記されていました)。森田氏が本当に無所属かどうか知りたければ、いくらでも知ることは出来たはずです。それでも自称無所属の森田候補に投票したのは、森田氏を「無所属」だと思いたかったからではないでしょうか。

 国民/県民/有権者を「被害者」として位置づけることは時に問題があります。「森田健作に欺された」ものとして扱えば無辜の被害者として有権者を免罪することが出来ます。しかし、それは有権者を「森田健作ごときの稚拙な嘘に騙される愚民」として扱うことでもあるはずです。「騙された」ことにすれば有権者の責は問わない=あくまで有権者を尊重しているかのように装うことが出来ます。有権者は誤っているのではなく、ただ騙されただけだ、と。そんなに容易く騙されるほど、有権者は愚かなのでしょうか? 随分と馬鹿にされたものです(私が言うのもナンですが)。

 むしろ自民プロダクション所属の俳優森田健作が演じる「無所属の改革派」に観客席から声援を送っている、森田氏支持層の自意識はこれぐらいのような気がします。有権者は騙されたのではなく、自分から進んで「信じた」のではないかと。あの中には人が入っているのだ、あれは所詮お芝居なのだ、そうやって水を差す代りに舞台を楽しんでいるとしたら、いくら新聞に「主演:森田健作(劇団自民)」などと書いてあっても気にしないでしょう。芝居が終わって、「あの人は本当はヒーローじゃなくて自民党の支部長なんだよ」と言われても、舞台を楽しんだ人にはピンと来ないような気がします。「おまえは何を言っているんだ」と。

 そんなわけで森田氏が政治家として失格であることは今さら語るまでもない自明のこととしても(事実ではなく有権者の偏見に基づいて政策を訴えている云々)、森田氏への批判は今一つ盛り上がらない、有権者を十分に巻き込めない気がするんですよね。よっぽど派手な汚職事件でもない限り、首都圏の暗黒政治体制は崩れそうにありません。

 

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