非国民通信

ノーモア・コイズミ

大丈夫、有権者はもっと分かってないから!

2012-02-29 22:57:26 | 社会

4人に1人「平均」分からず=ゆとり世代大学生―数学会調査(時事通信)

 入学して間もない大学1年生を中心に数学的素養がどの程度身に付いているか調べた結果、4人に1人が「平均」の意味を正しく理解していないことが24日、日本数学会の「大学生数学基本調査」で分かった。

 調査対象は、学校週5日制が導入され、学習指導要領で学ぶ内容が減らされた「ゆとり世代」の学生。同会は「科学技術立国を目指す国として由々しきことだ」と懸念している

 さて、どこの新聞でも似たような取り上げ方をされているわけですが、最も安易なレッテル貼りに走っているのはこの時事通信の記事でしょうか。引用元では調査対象が「ゆとり世代」であることを強調していますけれど、特定世代にフォーカスするなら比較対象として先行世代を調査しないと意味がありません。10年前、20年前と比較してどうなのか、それを調べもせず「ゆとり世代」と特定世代の問題であるかのように報道する時事通信の記者は、はっきり言って出来が悪いと思います。平然とこういう記事を書いてしまう記者の論理力には首を傾げざるを得ません。これでは大学生のみならず「ゆとり世代」の平均像をねじ曲げるばかりでしょう。

 ともあれ、どこの新聞社もこの調査については紙面を割いているわけです。なんだかんだ言って大学生は少数派なんだろうな、とも思いました。バブルと呼ばれた好景気が終わり、高卒でも就職先に困らなかった時代の終焉と歩調を合わせて日本の大学進学率は急激な上昇を続けてきたとはいえ、ようやく5割に届いたばかりです。「ゆとり世代」にしてついに半数に達したものの、世間一般からすればまだまだ大卒は少数派なのでしょう。だから大学生を小馬鹿にするような記事は、読者に好意的に受け止められるのだと言えます。自分のことではなく、他人をあざ笑う記事であるからこそ、読者の共感を得られるのですから。

 上記画像は産経新聞掲載分ですが、内容は日本数学会のサイトで公開されているpdfと同じです。それにしても設問(2)は判断に迷いますね。平均とされる「163.5cm」はジャスト163.5cmなのでしょうか、それとも小数点2位以下を四捨五入もしくは切り捨てた結果として163.5cmなのでしょうか。一般常識で考えるとジャスト163.5cmとの想定は現実的ではない、しかし小数点2位以下を四捨五入した結果であるならば、100人全員の合計は16345cm以上16355cm未満と幅があり、16350cmが確実に正しいとは言えません。「設問が曖昧なため確実なことは判断できない」が正解であるように思えます。

 それはさておき大学生の4人に一人が不正解であったとして、この報道を読んだ人の何割が果たして正解できるのでしょうか? 有権者がどういった政治家を支持してきたかを鑑みれば、少なくとも半分以上の人は平均の意味を理解できていないような気がしてなりません。報道によると、上記「平均」は小6で習うみたいですけれど、私の実体験からすると小学校時代は学校行事の練習ばかりで算数なんて教えてもらったかどうか怪しいところです。「ゆとり世代」より上の世代だって、そんなに勉強していない印象がありますが……

貯蓄0の高齢者が2人
貯蓄100万円の高齢者が4人
貯蓄300万円の高齢者が1人
貯蓄500万円の高齢者が3人
貯蓄1000万円の高齢者が2人
貯蓄8800万円の高齢者が1人

 例えば、こういう場合の「平均」を求めてみましょう。さて平均は……1000万円になります。でも、こういう平均は厳密には「算術平均」と呼びます。これとは別に「中央値」というのがありまして、上からでも下からでも、とりあえず順番に並べた場合に真ん中の順番になる点が該当します。上記の例で言うと、上からも下からも7番目の高齢者の300万円が中央値です。それから「最頻値」というのもあって、これは一番該当する頭数の多い部分を指すもので、上記例であれば4人が含まれる100万円が最頻値となります。とりあえず、わかって欲しいのは算術平均は必ずしも「平均像」を表すとは限らないと言うことです。

 ところがメディア報道にしても政治家の訴えにしても、「平均」として提示されるのは算術平均ばかりであったりします。公務員給与や高齢者の資産などなど、算術平均値を大々的に掲げては「こんなに多いんだぞ」と喧伝するような類が後を絶ちません。たぶん、そこで「平均」として持ち出された数値は大多数の人には大きな額に感じられることでしょう。給与もそうですけれど(公務員給与の場合は非現業の正規職員限定の「平均」だったりするせいもあります)、とりわけ資産の算術平均は一部の人によって吊り上げられた値であって、半数以上の人より上になることが一般的です。ゆえに自分を比較対象とした場合は「平均」の方が高く見えるのが普通なのです。

 そこで「平均」の意味を正しく理解しているならば、それは算術平均だからだ、と判断します。一方で平均の意味を理解していない人は、公務員は高給取りだ、高齢者は膨大な資産を抱えているのだと、そう誤解してしまうわけです。世間でどういう類の論調が好まれているかを鑑みると、たぶん平均の意味を正しく理解できている人は、半分もいないのではないかというような気がしてきます。とりわけ「改革」を気取るような連中ほど、ほぼ100%と言っていいほど平均の意味を理解していないか、敢えて無視しているかのどちらかです。そして、それを支持する人も同じ。昨今の大学生を「ゆとり」と呼んで馬鹿にしていられるような状況ではないように思います。

 

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青森の雪すら危険だというのなら

2012-02-27 23:04:00 | 社会

雪遊びイベント:那覇市が中止を決定 沖縄に避難の保護者ら、放射能汚染を不安視(毎日新聞/琉球新報)

 那覇市は21日、那覇市松尾のにぎわい広場で23日に開催予定だった青森県から運んだ雪を使った雪遊びのイベントを中止することを決めた。放射能汚染を恐れて沖縄に避難してきた幼い子どもを持つ保護者らが20日、雪の放射能汚染や子どもの被ばくを不安視し、市にイベントの中止を求めていた。
 
 同広場内にある久茂地児童館で21日に行われた保護者に対する説明会で、那覇市平和交流・男女参画課の比嘉勉課長は「中止を求める意見書に名前を連ねた大半が自主避難者だ。被ばくを恐れて避難して来た方々の放射線の汚染に対する心情に配慮して、中止を決定した」と説明した。
 
 市担当者は20日、県外からの避難者らに対し、イベントで使われる雪に関する青森県側の調査記録を示し「危険との認識はない」と説明していた。しかし、避難者からは調査結果を疑問視する声やイベントの中止を強く求める声が相次いだ。
 
 横浜市から昨年10月に家族で避難してきたという久野綾子さん(34)は「他の児童館でもイベントが予定されているのなら、久茂地児童館だけでなく、他の児童館も同じように中止してほしい」と訴えた。

 さて、今回も少しばかり取り上げるのが遅くなりましたが、こういうこともあったようです。まぁ、似たようなことが何度となく繰り返されてきたことではありますね。昨年の夏には京都の五山送り火で使われる予定だった岩手の松が送り返されたなんてこともあったわけです(参考)。その当時も放射性物質が付着していないかとか馬鹿なことを言う人が少なからずいたもので、きっと東北の地理すら知らないんだろうなと思いました。福島から岩手、福島第一原発から松の発送元であった陸前高田市の距離を考えれば原発事故の影響を気にしなければならないようなものではなかったのですが、その手の人の頭の中では福島の北隣に岩手があるのでしょう。

 そして今回、受け入れ中止を求められたのはなんと「青森」の雪です。降雪の後に原発事故が起こって、その雪を持ってくるのならまだしも、原発事故から1年近くが経過した後に新たに降り積もった雪に何かを心配するというのもおかしな話ではあります。加えて、岩手よりもさらに北にある青森ですから。福島から青森って、千葉や東京なんかより確実に遠いですよ。でも、その筋の人の頭の中では「東北は一つ」なのかも知れませんね。だから青森だろうと秋田だろうと東北産は即座に危険だと、そう確信して行動している人もいるのでしょう。ゆえに、青森の雪も心配だと。

 空にはビスマスという放射性物質が漂っていて、これは雨や雪と一緒に降ってきます。ゆえに雨天時には一時的に放射線量が増加したりして、これを「原発から再び放射性物質が放出されている!」と騒ぐ人も後を絶たなかったりしたものですが、ともあれ地球上であれば必ず、雨にも雪にも放射性物質は「原発事故とは無関係に」含まれます。それから東京でも沖縄でも北海道でも、精度の高い機械を使って念入りに検査すれば、放射性セシウムもストロンチウムも見つかりますね、核実験由来の。元よりラドンやラジウムは濃淡の差はあれ地球上の至る所で存在しますし、例えば沖縄へ向かうために飛行機に乗るなどして空の高いところへ行けば行くほど宇宙線によって被曝するわけです(そのため宇宙飛行士は原発作業員なんかとは比較にならないレベルの被曝労働となっています)。こうした現状に青森の新雪を持ち込むことで何かが変わると思っているとしたら、それは不勉強にもほどがあると言えます。

 科学的な説明ではなく、医学的な「治療」が必要な人も多いのではないかと思います。たぶん、被災地のガレキ受け入れ問題でもそうですけれど、この青森の雪にすら反対しているレベルの人には何を説明したところで無駄でしょう。確かに行政サイドには説明責任が常に求められるものですが、理解「したがらない」人が相手ではどうしようもありません。そして「理解したがらない」人は週刊誌や自称ジャーナリストや自称専門家の煽りやデマを堅く信じて、その他の人の声には断じて耳を傾けず、家族を巻き込んで大暴れしていたりするわけです。こうなってしまった人の扱い方は、カルトにはまってしまった人を社会復帰させるためにとるべきものと似ているのではないでしょうか。少なくとも悠長に「説明」しているだけでは永遠に解決できないものがあるはずです。

 

思いもよらない「言葉」(NHK 2/21放送)

北関東のある街で、浪江町からの避難生活を続けている中学1年生の女子生徒が取材に応じてくれました。
原発事故のあと、一家は避難先を転々としました。
さらに父親の勤務先も警戒区域にあったため、仕事場が無くなりました。
父親の新たな職場が見つかった北関東の街で、8月から家族6人で生活しています。
避難先の学校に通い出して間もなく、彼女はクラスメイトから思いもよらない「言葉」を突きつけられました。

「放射線があるから近よらないで」
その日以来、彼女は学校に通えなくなりました。
1日中泣き続け、4か月もの間、部屋に独り閉じこもっていました。
母親は「あぜんとして頭の中が真っ白になりました。この憤りをどこにぶつけていいのかも分からず、2人で泣いてました」と話しています。

 こうしたエピソードもまた、何度となく聞かされてきました。何かが変わったかと言えば、放射能ではなく放射線と言われるようになったことくらいでしょうか。どちらの場合も用法として不適切なのは同じですが、それ以前に差別として深刻な問題です。こうした放射能/放射線/放射性物質への恐怖を口実とした差別行為や嫌がらせは少なからず繰り返されているようですけれど、いったいどういう人がその担い手となっているのか考えるべきなのかも知れません。とりあえず子供の場合は、親による刷り込みも大きいように思います。親など周りの大人が放射能、というより福島や被災地に対する偏見を子供に植え付けた結果として子供が差別の実行者になっている可能性は決して小さくないはずです。

 そこで冒頭の事例を思い起こしてください。横浜市から昨年10月に家族で避難してきたという久野綾子さん(34)は、青森の雪をも危険だと訴え、他の場所でもイベントが行われるようなら中止にして欲しいとまで訴えるわけです。わざわざ実名を出してくる辺り、当人と毎日新聞的には英雄的な行動という認識なのでしょうか、それはともあれ福島から遠く離れた、そして事故から1年近く経過した後に降り積もった新雪ですら危険と信じて、それを排除するように要求してはばからない人がいます。自治体が屈したからには、決して一人二人ではなかったことでしょう。しかるに、東北から来たものであれば何でも危険だから排除すべしと信じている人々は、同様に東北から来た「人」をどう思っているのでしょうか?

 科学的根拠などなくとも、自分の思い込みの方を優先する人たちでもあります。自分たちが不安に思えば、それは即ち危険であり、排除することが正当化される、そういう世界観に深くはまり込んだ人たちなのです。青森など東北の雪は危険だと信じる、福島から来たものは危険だと信じる、では福島の浪江町から来た人間を、彼ら彼女らはどう思っているのか? 被災地に由来するものは何でも危険だと唱えて遠ざけようと躍起になっている人が、福島の「人間」だけを例外として扱っているとは、残念ながら考えにくいところです。

 

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 ちなみに紆余曲折の末、青森の雪は他のイベントで使うことになったとか。他の件でもそうですが、被災地から来た何かに大騒ぎしてクレームを付ける人が殺到→自治体が屈する→新聞沙汰になる→自治体の対応に非難が殺到→自治体が方針を転換する、みたいなケースもまた多いように思われます。自治体側としても、寄せられた意見を元に「民意」を推し量ってしまうのでしょう。何であれ被災地由来のものを拒否する声が集中すればそれに靡き、その対応が批判されれば態度を翻すわけです。ならば最初から、自治体の受け入れ方針に賛成の声を寄せるなどの行動をとることにも意味は出てくるように思われます。被災地のガレキを受け入れるか否かで逡巡している自治体には、受け入れ拒否が決まって新聞沙汰になるのに先んじて、受け入れを支持するメールでもFAXでも送ってみたら良いのかも知れません。そういう意見が集まれば、自治体側も多少は強気になるのではないでしょうか。これもささやかな被災地復興支援です。

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幸せなおつむ

2012-02-25 22:57:56 | 社会

ワタミ社員の自殺、労災認定 入社2カ月の女性(朝日新聞)

 居酒屋「和民」を展開するワタミフードサービス(東京)の神奈川県横須賀市の店に勤め、入社2カ月で自殺した女性社員(当時26)について、神奈川労災補償保険審査官が労災適用を認める決定をしたことがわかった。横須賀労働基準監督署が労災を認めず、遺族が審査請求していた。

 決定は14日付。決定書や代理人弁護士によると、女性は2008年4月に入社し、横須賀市内の居酒屋に勤務。連日午前4~6時まで調理業務などに就いたほか、休日も午前7時からの早朝研修会やボランティア活動、リポート執筆が課された。6月12日、女性は自宅近くのマンションから飛び降りて自殺した。

 審査官は、深夜勤務で時間外労働が月100時間を超え、休憩や休日も十分に取れなかったと指摘。不慣れな調理業務に就いていたことにも触れて、「業務による心理的負荷が主因となって精神障害を発病した」と認定し、業務と自殺の因果関係を認めた。

 女性の父親(63)は「過酷な労働条件で、会社に責任があると認められたのはよかった。同じ状態で働いている人を少しでも救ってほしい」と話した。

 親会社の「ワタミ」は「内容を把握していないため、コメントは差し控えさせていただきます」としている。

 結構な話題にもなっているので今さらの感はありますが、自殺した元ワタミ社員の労災が認定されたわけです。当初、横須賀労働基準監督署は労災と認めていなかった、裁判でそれが覆るまでに4年の月日を費やしたことは、日本の労働事情を端的に表しているようにも思います。形式的には労働者を保護するための制度があるとしても、それが実効性を持っているとは限らない、企業が遵守するとは限らない、監督機関が役割を果たすとは限らない、ただただ個人として長い年月を裁判に費やすことでしか、そして事後になってしか機能しないのが日本の労働法制なのでしょう。正社員ですら保護されない日本の労働事情を如実に物語る一例と言えます。

 しかしまぁ、一般的な企業であれば会社の規模が小さいほど危ない、大手であれば少なくとも相対的には労務管理の面でも安全なのですが、飲食の場合は例外かも知れませんね。牛丼業界第一位のゼンショーとか、従業員の扱いは店舗数と反比例していますから。そしてワタミも然り、飲食の中でも深夜営業の多い居酒屋チェーンは特に危ないだけに、同業他社でも似たような事例は見つかることでしょう。そもそも若い人は滅多なことでは死なない、急死したり自殺したりするのは専ら中高年以上なのです。若い人が自殺するような職場というのは、それだけで十分に異常と言えます。就業中の死亡事例としては林業が突出して多かったりしますが、年齢的なバイアスを考慮した産業別の死亡者数を割り出したらどうなりますかね?

 ワタミの広報はコメントを控えたとのことですが、ワタミの社長がweb上でコメントを発表しています。労災認定されたことを、非常に残念に思っているようです。原告敗訴で労災と認められなかったら、満足だったのでしょうか。ワタミの社長によれば「彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうと」していたそうですが、その結果として月100時間を超える残業に加え、休日にも早朝研修会やボランティア活動、リポート執筆を強要、自殺にまで追い込んだわけです。それで「労務管理できていなかったとの認識はない」と言えるのですから、たぶんこの人は労務管理という言葉の意味を知らないのでしょう。

 「会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです」、そうワタミの社長は語ります。この人の頭の中の「社員の幸せ」ってなんなのでしょうか。労働時間や負荷を減らして代わりに給与を増やしてやれば社員は幸せになれそうなものですが、実際にやってきたことは逆と言えます。いったいどういう世界観を持っていれば、このワタミの経営が社員の幸せに繋がると思えるのか、そこを少し考えてみて欲しいです。

 

「南京事件なかった」と河村氏発言 中国からの訪問団に(朝日新聞)

 名古屋市の河村たかし市長は20日、姉妹友好都市である中国・南京市の共産党市委員会の常務委員ら一行の表敬訪問を受けた際、1937年の南京大虐殺を取り上げて「一般的な戦闘行為はあったが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言した。

 河村氏は理由について、事件後の45年に現地に駐屯した父親が優しくもてなされたことを挙げたという。

 河村氏は09年の9月市議会でも、終戦を南京で迎えた父親の例を挙げて「オヤジは南京で本当に優しくしてもらった。大虐殺があったなら、こんなに優しくしてくれるんだろうか」と語り、「一般的な戦闘行為はあったが、誤解されている」などと発言していた。

 まぁ、この人は昔からそういう人です。今さら驚くようなことでもありません。ここで注目して欲しいのは、河村たかしが挙げた理由の方です。歴史修正主義者の持ち出す論拠はどれも下らないですが、これは群を抜いて馬鹿馬鹿しいものです。ただし、よく世界観を表したものとは言えるでしょう。曰く「オヤジは南京で本当に優しくしてもらった」から南京での虐殺行為はなかったとのこと。色々と可能性は考えられます。オヤジかタカシが嘘をついている可能性、単に例外的な事象に過ぎない可能性、ともあれ第三者には検証不能な個人的な体験を挙げてはあたかもそれが一般的であるかのように語る、こうした類は生活保護受給者を貶めたりするのに好んで使われたりするなど、実態と異なるイメージを広めるのには常套手段です。

 例えば終戦間もない45年にソ連兵が家に押し入ってきたとしたら、住民はどう対応するでしょうか。専ら相手の機嫌を損ねないように努めるのが普通と思われます。そのような対応はソ連兵はどう感じることでしょう? むしろ虐殺事例が知れ渡っていればいるほど、住民の対応は「優しい」ものになるのが自然です。元より、河村たかしだって行く先々で優しくもてなされているはずです。氏に限らず、会社の社長なり自治体の首長なり、部下は誰でも上司を「優しく」もてなします。でもその理由はどこにあるのか、偉い人にはそこがわからんのですとしか言いようがありません。自身の権力によって相手を傅かせているだけなのに、それを敬意の表れ、自分は慕われていると勘違いしている愚か者は少なくないのです。

「オヤジは訪問先で本当に優しくしてもらった。失政があったなら、こんなに優しくしてくれるんだろうか」
「国家の存在目的の第一は、国民の幸せだからです」

 上記発言は創作ですけれど、こんな風に金正恩が語った場合を想像してみてください。金正日は北朝鮮国内のどこを訪れようとも温かく歓迎されたことでしょう。そしてワタミの社長も然り、どこの店舗を視察しても、優しくもてなされるであろうことは想像に難くありません。両者に違いがあるとしたら、金正恩の方がまだしも権力関係の存在に自覚的ではないかと思われる点くらいですね。

 ワタミでは休日にも早朝研修会やボランティア活動、リポート執筆が課されたことが伝えられています。休日に強制された活動に対してレポートを書かねばならない、おそらくは「前向きな」感想を寄せなければいけないのでしょう。もし「休日にまで実質的に会社から拘束されて大いに負担である」とか正直に書こうものなら、追加で研修プログラムが組まれるものと思われます。また聞くところによると毎月ビデオレターが配布され、収録された社長の“ありがたいお言葉”への感想も寄せねばならないとか。どこか、隣の国で似たようなエピソードを聞いたような気がしないでもありません。ことあるごとに将軍様の業績を褒め称えねばならない等々……

 結局のところ、ワタミの社長が思い浮かべている「幸せ」とは、地上の楽園である北朝鮮の幸せと同じようなものなのではないでしょうか。北朝鮮の国民だって、お偉いさんに聞かれたら将軍様のおかげで幸せだと答える、そう答えるよう指導されているわけです。そしてワタミの社員も同様、社長の説く人生訓に感動しましたと答える、ワタミの教えに添った生き方で幸せだとレポートには書いてくることでしょう。そういう活動が実質的に仕事の一環として組み込まれているのですから。しかし、その幸せが作られたものであることを、おそらくは金正日や金正恩とは違って理解できていないのがワタミの社長なのだと言えます。

 でも、こうやって社長の妄言が世間の反発を買い嘲笑を浴びるようになったところで、別にワタミの客が減ったりはしないんだろうな、とも思います。だから同様の事例は繰り返される、犠牲者は減ることがない、ワタミイズムは永遠に不滅です。そしてむしろ、ワタミの社長に期待を寄せる人は一定数残るのではないでしょうか。自分がワタミの従業員のように扱われたいと願う人はいないかも知れません。しかし公務員や電力会社社員、加えて社会保障受給者などをワタミの従業員のように扱って欲しいと望んでいる有権者は少なくないはずです。もっと公務員を締め上げて欲しい、電力会社をやっつけて欲しい、不労所得者である社会保障受給者に鞭を入れて欲しい、そうした欲望を抱えている人がワタミの社長に期待するのは至って自然なことです。

 

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電力は足りていると語る人を信用しない理由

2012-02-23 23:03:40 | 社会

今夏の電力綱渡り、火力に注力 増強急ぐ東北電(河北新報)

 東北電力が電力供給力の増強を急いでいる。東日本大震災で被災した火力発電所の復旧を当初予定より前倒ししたほか、出力を高めるガスタービン新設工事に取り組む。今冬の電力不足は回避できる見込みとなったものの、運転停止が続く原発の再稼働の見通しは立っていない。東京電力など他社からの融通がない想定では、次の需要期の今夏には不足に陥る恐れがあり、綱渡りの状況からの脱却は容易ではない。

(中略)

 それでも夏場の需給は逼迫(ひっぱく)しそうだ。東北電が昨年11月に行った試算によると、猛暑想定のことし8月の需給見通しはグラフの通り。需要が被災企業の復旧で増えるとみられることもあり、現段階では28万キロワットが不足する。
 試算には原発再稼働や電力他社からの融通を織り込んでいない。このため融通が受けられれば不足分は補えるが、決して楽観できる状況とは言えない。
 国内の原発は、4月下旬には商業用54基全てが停止する可能性がある。東電の柏崎刈羽6号機(新潟県)が3月下旬に、北海道電力の泊3号機(北海道)は4月下旬に定期検査に入る。両社の供給余力は今冬より低下するとみられる。
 不測の事態も懸念される。実際、昨年7月の新潟・福島豪雨では新潟・福島両県の水力発電所が停止。ことし1月には北海道と本州をつなぐ電源開発(Jパワー)所有の海底送電ケーブル3本のうち1本が損傷し、北電からの融通電力が低下したままとなっている。

 まぁ最大の被災地を抱える東北電力ならずとも、電力会社にとっては非常に厳しい日々が続いています。行政に業務を妨害されていると言っても過言ではないにも関わらず大規模停電の発生を防いでいる電力会社の努力には頭が下がる思いではありますが、引用元の見出しにもあるように「綱渡り」であることには変わりがありません。何とかギリギリで凌いでいるのが実態であり、決して楽観視できる状況ではないのです。

 しかるに、今なお素面で「電力は足りている」などと言い放つ輩がいるのですから呆れます。その人の「世界観」を維持するためには、原発なしでも電力が足りていなければならない、原発が止まると電力が不足する現実など絶対に受け入れられないものなのでしょう。しかし、現実は厳しいものです。綱渡り状態でも結果的に電力は賄えているように見えるかも知れませんが、それがどれほどの「無理」に支えられた結果なのか、「電力は足りている」と語る人々には全く理解できていないようです。いやむしろ、目を背けているといった方が良いでしょうか。

参考、無理をすれば大丈夫です……って

 「コストを20%程度削減できれば、1ドル80円でも完全に競争できる」とは昨年8月のトヨタ新美副社長による発言です。まぁ、計算上はそういうものなのでしょう。とはいえ「コストを20%程度削減」のためにはどれほどの無理を重ねなければならないかを考えれば、馬鹿げた発言であることに疑いの余地はありません。要するに「無理をすれば大丈夫です」と言っているのと同じで、無理をしなければ保たないという時点で大丈夫ではないのです。電力も然り、老朽化して実質的に引退状態だった火力発電所を無理矢理稼働させ、大口の顧客に節電を強いてまでギリギリで乗り切っている、これを「足りている」と見る人は率直に言って頭がおかしいと思います。

 発電すれば発電しただけ赤字になってしまう、かつ料金の値上げが厳しく制限されており収支改善の見込みが遠いにも関わらず、何とか供給量の確保に努める電力会社は慈善事業でもないのによくやるなと感心しないでもありませんが、世間の逆風はなかなか収まりません。公務員(近年では中高年や社会保障受給者も)がそうであるように一度バッシングの対象として社会から公認されてしまうと、全国紙など権威ある大手メディアからも誹謗中傷の対象として扱われる、事実も歪曲され、読者に誤った印象を与えるような形で伝えられてしまうものです。そうして実態は覆い隠されていくわけですが、結果としてもたらされる危機は必ずや我々の足下にも及ぶことでしょう。

 綱渡りでも何でも、結果的に乗り切ったから「電力は足りている」と考える人は傲慢です。考えても見てください。福島第一原発で大事故が起こる前から、原発周りで何らかの事故は発生していました。でも結局は、施設外にまで深刻な影響が広まる前に乗り切ってきた、2011年3月までは乗り切ってきたわけです。中には危ない状況もあったはずですが、結果的に乗り切った――故に安全対策は十分だと、そう考える人がいたらどうでしょう? それは愚かなことと言えます。今まで結果的にではあれ乗り切ってきたのだから今後も大丈夫だなどと考えるのは甘すぎる、もっと厳しい状況もを想定しなければならないと、マトモな人であればそう考えるはずです。

 ところが、そう考えるべきは「あいつら」であって自分たちではないと、まるで他人事のように構えている人もいます。それが「電力は足りている」論者で、電力会社による綱渡りの安全対策は叩く一方で、目下の綱渡りの電力供給に関しては「ここまで乗り切れたのだから問題ない」とばかりに、原発事故から何も学んでいないかのごとき判断をする人がいるわけです。何とも反省がないとしか言えませんが、彼らにとって反省すべきはあくまで電力会社であって、自分たちはあくまで裁く側としか思っていないでしょう。厳しい事態も想定して供給力確保に励む電力会社と、「これまで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫」と甘い想定で原発は不要と言い張る人々、少なくとも後者は絶対に信用すべきではありませんね。危険ですから。

 重ねた「無理」の中には、労働環境を少なからず悪化させるものもありました。オフィスワークでも職場の空調が切られるなど多少の影響はあったわけですが、やはり大変なのは工場部門です。節電目標達成のためには機械を一部停止するしかなかったので業務が著しく逼迫したとか、あるいはピークシフトのため土日に操業することになったとか、電力需要の多い昼間を避けて夜間に工場を稼働させるなどの対応をとる企業も少なくありませんでした。そこで最終的な「無理」を押しつけられたのは言うまでもなく労働者です。しかし労働者の犠牲を無視してこそ現代日本なのでしょうか、日頃は労働者の立場を慮る風を装っていた人でも、「電力は足りている」という虚妄の世界観を優先して電力不足に対処するために無理を強いられる労働者の存在からは頑なに目を背けてきた人も少なくありません。むしろリストラ圧力に多少なりとも抗っている電力会社の方がまだしも労働者の味方に見えてきます。

 あくまで無理をするのは他人であり、他人に無理を「させる」立場はお気楽なものです。昨年の夏、大口利用者の電力需要は29%、小口は19%それぞれ減った一方で、家庭は6%減に止まりました。家庭レベルでは節電した「つもり」になって自己満足するばかりの「節電ごっこ」が多かったのでしょう。その昔、自民党政権が「(白熱電球を)蛍光灯に変えよう」キャンペーンをやったことがありました。反・自民党の立場をとる人の中にはこれにも大いに否定的で、まだ使えるものを買い換えるのは良くないとか、白熱電球より割高な蛍光灯を買わせようとするのは傲慢な金持ち目線だとか、そんな意見を述べる人もいたわけです。そんな人が震災後は「LED電球に変えよう」みたいな主張に賛意を表明していたりするのですから呆れる他ありません。そういう身勝手というか支離滅裂な人が多少なりとも世論を形成し、それに媚びる政治家が我々の社会を振り回しているのです。

 クリス・バズビーや早川由紀夫、武田邦彦等々、原発事故後の混乱や恐怖に乗じて数多の偏見を植え付け、福島に纏わる諸々に対する差別を煽ってきた人がいます(AERAや東京新聞などの低俗な煽りメディアもこれに加えるべきでしょうか)。彼ら原発事故の二次的な被害を今なお広めようとしている人々に比べれば、自らの非を認め、完全無欠ではないながらも賠償を進める東京電力の方が反省する姿勢や責任感がある、事故収束に向けて動いているという点で肯定的に評価できるくらいです。一方で、いい加減にボロが隠せなくなってきたバズビーや早川由紀夫、武田邦彦といった類からは、ともすると距離をとっているかのように装っている人もいます。しかし、よくよく考えてみるとどうでしょう?

 マネーロンダリングならぬ、情報あるいは知識のロンダリングというものもまたあるように思います。バズビーや武田邦彦の自称学説を引き合いに出して放射能の脅威を語れば、一定の見識がある人々からの白眼視は免れないことでしょう。しかし、バズビーや早川由紀夫の名を出すことなく、それでいて彼らと大差ないレベルの偏見を自明の真理であるかのごとく語ることで世間の批判から免れている人もいるように思います。武田邦彦や早川由紀夫の妄想と同様に、実は全くの思いつきや被害妄想に過ぎない代物でも、世間で語り継がれる内に誰が考え出したことなのかが忘れ去られ、いつの間にか現実と混同されてしまうこともあるのではないでしょうか。原発危険神話とも言うべき、原発・放射能のリスクというのはそういうものが多い、電力会社に関する批判というより罵倒もまた公務員に対するそれと酷似したもので、丹念に元をたどっていけば大いに怪しい代物が多いわけです。しかるに元はあくまでデマ、偏見や曲解の類でも「ロンダリング」されることで出所の怪しさが見えなくなっている、そんな言説に基づいて語っている人も少なくありません。せめて政治が、そういう人々とは距離をとってくれれば良いのですけれど!

 

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「安心」のために切り捨てられるもの

2012-02-21 23:05:10 | 社会

福島10市町村がコメ作付け 「国の制限受け入れ難い」(河北新報)

 福島県の2011年産米から1キログラム当たり100ベクレル超500ベクレル以下の放射性セシウムが検出された地区について、国がことしのコメの作付けを制限する方向性を打ち出したことに対し、該当する12市町村(56地区)のうち10市町村が国の考えに反して例年通り作付けする方針であることが分かった。市町村の担当者は「作付け中断は耕作放棄と離農を招き、受け入れ難い」と話している。

 10市町村は福島市、伊達市、本宮市、田村市、白河市、川俣町、桑折町、国見町、大玉村、西郷村。河北新報社の18日までの取材に、いずれも「ことしも作付けしたい」と回答した。残る二本松市と相馬市は「国の判断を待つ」と結論を留保している。

 福島市で100ベクレル超500ベクレル以下が検出されたのは16地区で、作付け制限されれば約800戸の農家が影響を受ける。国の現行の暫定基準値の500ベクレルを上回り、既に作付け制限の対象になっている2地区の約500戸を含めると計約1300戸に上り、市内の全農家の4分の1を超す。

 市は「1年でも耕作をやめれば田んぼは荒れ、高齢の農家は生産意欲を失う」(農政課)と判断。農林水産省に「国の方向性を改め、全域で作付けさせてほしい」と要請した。除染と放射性物質検査を徹底させ、新基準値(100ベクレル以下)を満たしたコメに限って出荷するとしている。

 新基準として食品に含まれる放射性物質の基準値が100ベクレル/kgに厳格化されるわけですが、その影響で新たに作付け制限を受ける見込みの地域も少なからずあるようです。この新基準値導入によって低減が見込まれる被曝量は年間で0.008mSvと推計されており、原発とは無関係の放射性カリウムなどによる被曝量が年間0.41mSv程度であることを鑑みれば、安全面ではほとんど意味のない規制であることがわかります。また食品に限らぬ外部被曝なども考慮すれば原発事故などなくとも世界平均で年間2.4mSv程度は被曝しているわけで(東日本は世界平均より低めではありますが)、ここで0.008mSvの増減があろうとなかろうと、何かが変わるものではありません。約2.4mSvから0.008mSvを引いても約2.4mSvのまま、誤差の範囲ですから。

「新基準が施行されれば広範な田畑が作付け制限を受けることは必至です。福島の農業が壊滅的打撃をうけることになる。これは、豊かな農業県でもある福島復興の道を閉ざすことに等しいです。福島に生き生活するものとしてとうてい容認できません」

 以上はコープふくしまの理事、佐藤理氏による放射線審議会第122回会合での発言です。消費者が新基準値によって得られるものは、ほぼ純粋に精神的な「安心」に限られる一方で福島の生産者は大きな打撃を被ることが懸念されています。得られるものと失うものを比べてみると、大いにバランスを欠いていますね。それこそ「健康のためなら死んでもいい」の世界で、本末転倒と言うべきでしょうか。あるいは、もっとタチが悪いのかも知れません。「放射能を避けるためならどんなことでも」とばかりに東京から西日本に移住しては生活を破綻させたりするくらいなら犠牲になるのは本人、最悪でも本人の家族までに止まります。しかるに今回の新基準値では、福島の生産者という「他人」を犠牲にしてしまうわけです。

 

消費者の安心のための新基準値でよいのか?(FOOCOM.NET)

 一昨日、昨日と、私は福島県にいて、農業者の話を聞いた。新基準値案の影響はもう、いろいろなところに出始めているようだ。

 何人もの人が言ったのは、「500から100下げても、気にする人は安心しない。500から100にしたのなら、次はゼロだ、となるはず」というものだ。実際に、大手食品メーカーに「もう、福島のコメは使えない」と言われ、今年の契約を切られるかも、という生産者が出て来ている。

 昨年は、原発事故直後だったが契約は切られなかった。今年の方が放射性セシウムの量は少ないと予想されるのに、「使えない」と言われる。ゼロ志向の消費者に商品を測定されて、小さな数字であっても検出され騒がれるリスクを、大手食品メーカーは考慮に入れざるを得ない。「福島切り」がはじまっている。

  むしろ昨年の方がまだしも、被災地復興に協力しようとする気運は強かったのかも知れません。一方で放射「脳」とでも呼ぶべきゼロリスク幻想を抱く人々は、ワンテンポ遅れて盛り上がっているように見えます。そして、どんなに微細な数値でも放射性物質が検出されれば騒がれる(時には不適切な測定方法によって検出された数値に基づいて騒がれることもあったり)、これを恐れたメーカー側が福島で生産された食品を敬遠する動きは、今年に入ってからの方が先鋭化しているのかも知れません。何とも無体な「福島切り」ですが、「外国人お断り」の論理と同じで、自分が差別するつもりはない、ただ外国人/福島産を嫌う客もいるからと言い訳されてしまうのでしょう。

 福島に限らない被災地のガレキ処理の問題でも同様です。意外や福島差別をさんざん煽ってきたアレな人でも宮城や岩手のガレキ受け入れにまでは反対しなかったりする一方、その辺の人々の信者は違うらしく今まで信奉してきた人に呪詛の言葉を向け始める始末で苦笑させられたりと色々ありますが、有名人の中にも山本太郎みたいにガレキ受け入れ反対と公言してはばからない人もいるわけです。そもそもガレキ処理で放射性物質が拡散とかお笑いぐさも良いところだとか、東北の地理を考えればむしろ岩手より千葉や東京の方が福島に近いじゃないかとかツッコミどころは諸々ありますけれど、とにかくダメなものはダメだと騒ぐ人もいます。

 とはいえ、ガレキを危険物扱いするのなら(放射性物質「以外」で色々と危険要因はあります。未処理のガレキからアスベストなどの粉塵が富んだり、自然発火したり)、尚更のこと被災地に押しとどめるべきではないはずです。そこは被災地復興に協力するのが筋というものですが、自分が危険だと信じるものを被災地に閉じ込めてしまえ、我々の住む世界から切り離せと、そう考えている人がいるのでしょう。そして上記食品における「福島切り」も然り。無闇矢鱈の危険視もさることながら、自身の「安心」確保のためにリスクを一方的に福島など被災地へ押しつけようとしている人がいるわけです。加えて、こうした安心を求める国民の声に政治が媚びているのもまた実情だったりしますが、その分だけ割を食うのは福島を中心とした被災地です。被災地の切り捨ては、むしろ現在こそ進められているのではないでしょうか。震災の影響とは無縁な地域で暮らす人々の「安心」のために!

 

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他人の身を切る改革

2012-02-19 11:21:34 | 政治

民自公、国家公務員の給与削減で合意(朝日新聞)

 民主、自民、公明の3党は17日、国家公務員の給与削減案で合意した。2011年度分の人事院勧告に基づき、昨年4月にさかのぼって平均0.23%を減額。今年4月から2年間は、毎年度の人勧分も含め全体で平均7.8%引き下げる。主要な政策課題について3党が合意したのは、今国会で初めて。関連法案は今月中に成立する見通しだ。

 3党の政調会長が17日、合意文を交わした。給与削減で捻出する約5800億円は、東日本大震災の復興費の財源に充てる。

 野田政権は人勧実施を見送る考えだったが、消費増税をめぐる与野党協議が進まないなかで復興財源の確保を優先し、自公両党案を丸のみした。増税法案の提出前に「身を切る」姿勢を示すねらいもある。

 「主要な政策課題について3党が合意したのは、今国会で初めて」なのだそうです。民主と自民は基本的には志を同じくする政党ですし、公明だって与党に調子を合わせることに賭けては右に出るものがいないだけに、それこそ政策本位で国会運営が行われていたなら3党の合意でどんどん事態がエスカレートしていきそうに思えるのですが、しかるに各政党とも自分が主導権を握りたいとの思惑があるようで、似たような主張を掲げながらも「決めるのは俺だ」と争いあっていると言ったところでしょうか。自民党が推進してきたことを民主党が引き継ぎ、それを自民党が批判するみたいな構図には苦笑させられますけれど、まぁ変な方向に進まれるよりは停滞してくれた方がマシなのかも知れません。

 何はともあれ、主要政党間で主張に隔たりのないものとしては上記引用で伝えられている公務員の給与削減が真っ先に挙げられるところです。外国あるいは外国人、脳内左翼や労働組合、部落(出身者)や障害者など、何かを叩くことでその対象を嫌っている人からの支持を取り付けるような手口は今に始まったことではありませんが、一方で叩く対象によっては反発を買うこともあります。外国人や組合、障害者その他諸々に偏見を持たない人もいる、差別に敏感な人もいるわけです。しかるに「満遍なく嫌われている」対象もあって、例えば「古い自民党」であったり昨今では電力会社であったり、この辺を罵っておけば左右問わず幅広い層から歓迎されやすいものもあります。そしてバッシング対象のチャンピオンと呼びうるのが公務員に官僚ですね。これを叩いておけば自民支持層からも民主支持層からも、せいぜい「手ぬるい」と注文を付けられる程度で方向性自体が批判に晒されるリスクは極小、政治家にとっては最も無難な政策と言えます。

 そんなわけで公務員の給与削減に関しては民主、自民、公明の3党ならずとも地方から国政への進出を狙う各種ポピュリズム政党を含めても方針の変わらないものだったりします。各政党が感情的対立を乗り越えて政策本位に行動してしまえば、こうやって無体な給与削減が雪崩を打つように決められてしまうわけです。一方、この頃はしきりに「身を切る~」とのフレーズが使われます。今回の報道でもまた「『身を切る』姿勢を示すねらい~」と伝えられていますが、これはどうなんでしょう? 世論上は、行政(公)の側が「身を切る」のであれば、消費税増税などで民間の負担を増やすことも許すみたいなノリが見受けられますけれど、ツッコミどころは盛りだくさんです。

 自分の気に入らない相手(政治家や公務員)を痛めつけることができるのあれば消費税増税のような理不尽な逆進課税をも許してしまうとは、何とも歪んだ自己犠牲の精神だなと思わないでもありません。あるいは比例区を中心とした議員削減で与党はむしろ国会運営で楽ができるんじゃないかとか、議員報酬削減でも資産家の議員は痛くも痒くもない、手弁当の議員をふるいにかけるだけじゃないかとか、まぁ今さら繰り返すこともないでしょうか。それより公務員の給与削減です。民間人が敵視する側という点では行政の側に属する人々に見えるかも知れません。とはいえ、民主党もまた公務員(官僚)への憎悪を焚きつけることで今の地位を得てきたはずです。政府民主党にとってもまた、公務員とは「向こう側」の存在なのではないでしょうか。

 

「首切りのうまい経営者は優れた経営者であるはずだと言ってたくさんの給料をもらっている。国は国民をリストラすることはできない。国民全体を考えたら、リストラする経営者ほど立派だという考えは大間違い」

 上記は2010年6月、当時の首相であった菅直人の発言ですが、これほどまでに菅の頭の悪さを露呈した発言はないように思います。それは以前にも書いたことですけれど(参考、菅は大ばか)、国民は国の従業員ではありません。国民は国に出資する人、言うなれば株主です。そして国の指揮命令下で働く従業員とは公務員に他なりません。しかるに、菅もまた公務員削減に血道を上げていた、それを有権者に向けて大々的にアピールしてきたわけです。確かに、リストラする経営者ほど立派だという考えは大間違いでしょう。そうであるからこそ、国家の従業員たる公務員のリストラに励む政府は立派ではないと言えます。

 要するに公務員の給与削減に励む政府=従業員のリストラに励む経営者であり、公務員の給与削減をしたから増税も理解してくれと主張する政府とは即ち、社員の首を切って非正規に置き換えたから配当金の削減に納得してくれと言い訳する経営者みたいなものなのです。その点では、ゴーンの方がまだしも菅よりはマシと言えるでしょう。たしかに、労働者を打倒すべき階級的とでも考えているかのごとき論者は膨大や門戸だの某プレジデントだの自称経済誌なんかをのぞき見すればいくらでも見つかるだけに、こうした言い訳が成立してしまう場面もあるのかも知れません。そして公務員であれば言わずもがなですね。憎き公務員/労働者を締め上げてくれるのであれば、国民/株主の取り分が減っても構わないと、そういうノリで世間は動いているわけです。

 自民党ではなく官僚をこそ敵に見立てることで(自民党では官僚支配から脱却できないからダメなのだと野党時代の代表であった鳩山由紀夫は繰り返してきました、あくまで黒幕は官僚であり、自民党はそれを止められないだけという世界観なのです)、民主党は権力を手にしました。自衛隊を除いた公務員へ向ける敵意もまた、自民党のそれをエスカレートさせたものだったと言えます。その民主党にとって、公務員の給与削減は果たして「身を切る」改革なのでしょうか。従業員を「本当に」大切にしている経営者にとってリストラは身を切る改革かも知れませんが、従業員をコストとしか考えない経営者にとっては事情が異なります。果たして民主党にとって公務員とは? 

 「国家公務員の労働組合が支持しているのは大部分が共産党さんです。国家公務員の組合で民主党を支持しているところはほとんどありません」とは、これまた2010年6月、当時の幹事長であった枝野の発言です。もちろん共産党が組織ぐるみの支援は避けている、結果的に支持されることはあっても形式上は厳に慎んできた一方、民主党は自治労など連合の組織的支援を自ら要請しているわけです。しかし、アホの枝野はそれを真っ向から否定しました。枝野にとって公務員労組の支持というのは隠すべき恥部だったでしょう。そんな扱いを受けても民主党にしがみつく労組には呆れるほかありませんが(DV男から離れられない女の人みたいですね!)、民主党の公務員観が如実に表れた発言だったように思います。

 民主党にとって公務員とは何なのでしょう。少なくとも自分の身内と思っていることはなさそうです。むしろ、それを叩くことで有権者の支持を取り付けてきた対象ですらあります。そして公務員(労組)からの支持を受けたことを恥として隠したがっている、そんな関係なのです。民主党が公務員の給与を削減することに「痛み」を感じているとは、とうてい考えられません。「身を切る」とは必ずしも己の身を切ることを意味しないようです。政府は痛くも痒くもない、ただ実地で働く公務員が困窮するだけなのが今回の給与削減であり、いわば民主党にとって「他人の」身を切る改革と言えます。にもかかわらず他人の「身を切る」ことで国民の理解が得られるかも知れないというのですから、何ともいい気なものです。

 

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生活保護に対する偏見を煽る人への対策も必要です

2012-02-16 23:25:34 | 社会

 たとえば山本太郎みたいなのを見て思うのですが、単に自分が「正しい」と考えていることを実行するだけで正義と信念の人と呼べるのあれば、在特会などのレイシスト連中の大半もまた正義と信念の人と呼ばねばならないことになります。その人が「善」あるいは「悪」と考えている対象は異なれど、自らの奉じる「正しさ」のために真剣に活動している、自分が害悪と信じるものから諸々を守るために身を捧げているという点では、何ら変わるものではありませんから。

 排外主義者に対しては良識家ぶって眉をひそめてみせる人でも、しばしば排外主義者と似たような考え方をしているケースは困ったことに少なくないように思います。ある種の反原発論者とレイシストの類似に関しては、この1年で繰り返し触れてきたことですけれど、同様の例は他でも挙げられるわけです。たとえば排外主義者の中には外国人を悪し様に罵る一方で、そうした「悪質な」外国人のせいで「真面目に生きている」外国人までもが悪い目で見られるのだと説く人もいます。こういう主張、皆様はどう受け止めますか?

 とりわけ生活保護に関しては、上記のレイシストと同じように考えている人が多いように見受けられます。まず「悪質な」生活保護受給者の存在を大々的に喧伝して、しかる後にそうした人々のせいで「本当に必要な人」に生活保護が行き渡らないのだと、そう素面で語る人も多いですから。なんだかんだ言って差別は良くないこと、排外主義は良くないことという認識を持っている人の方が多数派を維持できてはいますけれど、そういう認識を持っている人であればレイシズムの論理とは無縁かと問われれば、必ずしもそうではないように思われるところです。

 

生活保護、不正防止へ 申請者の口座を全国照会 厚労省が銀行に要請(産経新聞)

 生活保護費の不正受給防止に向け、厚生労働省が申請者の口座を対象にした全国一括照会を銀行側に要請していることが5日、分かった。同省関係者が明らかにした。生活保護費の支給にあたっては、資産や収入などの調査が必要だが、銀行は現在、居住自治体周辺しか照会に応じていない。厚労省は、居住地から離れた銀行に口座を開設することで不正受給が可能となる実態があるとみて、銀行側に協力を求めている。

(中略)

 同省によると、平成17年度に判明した不正受給は1万2535件(約71億9278万円)だったが、21年度は1万9726件(約102億1470万円)に増加している。ただ、これは氷山の一角で、税金を納めていない場合、不正受給は分からない。

 生活保護受給世帯は23年10月に初めて150万世帯を突破。22年度に支給した生活保護費は3兆3296億円に上る。この背景には貧困層の増加があるが、不正受給の拡大も要因のひとつとみられる。

 生活保護に詳しい民主党議員は「不正受給自体許せないが、防止できれば、かなりの歳出削減になる。銀行が口座の全国一括照会を行うことは技術的に可能なはずで、都銀は厚労省の要請に応じるべきだ」と話している。

 この頃は保険医療を受ける人までもが対象にされつつありますが、昔から生活保護受給者へのバッシングは定期的に行われてきました。ただ「不正受給が横行している」というイメージばかりが一人歩きして、実際に「不正」とやらが占める割合は、むしろ目を背けられてきたように思います。何故か産経は21年度の不正受給額に対して22年度の生活保護費を挙げていますけれど、1年くらいで大きく数値が変動するものでもありませんので、この値で計算してみてください。生活保護に占める不正受給は金額ベースで見ると……総額の0.3%程度であることがわかります。過去に計算してみた頃(参考)よりも、むしろ割合が下がっている辺り、モラルの高さが窺われるところでしょうか。

 ここで引用した産経新聞ならずとも、いわば不正受給神話とでも呼ぶべきものを堅く信じる人は、判明している数値を「氷山の一角」と言い放って、他にも不正受給が潜んでいる可能性に賭けるわけです。とはいえ、それは彼らの願望を表しているに過ぎず、具体的な数値や根拠は一向に見えてこないものでもあります。むしろ注目すべきは不正受給の「件数」と「金額」の差でしょうか。件数ベースで見ると「不正」は1.3%ほどなのに対し、金額ベースでは0.3%に止まっている、この意味は考えられてしかるべきです。

 要するに「不正」の大半は所得隠しであり、生活保護受給者といえど必ずしも働いていないわけではなく不十分ながらも収入を得ている人も多い、しかるに制度上は収入の分だけ生活保護の支給額は減ってしまうため、それを惜しんで所得を隠す「不正」が原因として挙げられます。「不正」に受給しているのは全額ではなく隠した所得の分だけ、ゆえに不正受給の件数の割に金額は少なかったりもするのでしょう。むしろ氷山の一角として扱われるべきは、しばしば世間を賑わす絵に描いたような不正受給者像の方と言えます。

 ところが、犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになるのが報道の世界であり、我々の社会に強固な印象を及ぼすものなのです。必要な人に支給されないことを「漏給」、必要のない人に支給されることを「濫給」と言いますが、専ら取り上げられるのは濫給の中でも氷山の一角に過ぎない悪質な事例に限定されており、上述したような一般的な濫急は元より漏給に関しては滅多に話題には上りません。そして、報道の頻度=実際に起こる頻度であるかのごとき錯覚は着実に浸透するものでもあります。

 典型的な例が、青少年の凶悪犯罪でしょうか。これは統計上は顕著に減少してきたにも関わらず、少年犯罪報道が読者・視聴者ウケの良い格好の話題として流行したのか一時期は集中的に報道されていたわけです。まぁ、少年犯罪が昔に比べれば珍しくなった分だけニュースとしての価値は上がったのかも知れません。ともあれ実際には減少している青少年の凶悪犯罪が、あたかも急増しているかのごとく錯覚され、そのような誤った理解に基づいて政策を立案する政治家すら目立ったのは記憶に新しいところです。そして生活保護然り。現実に発生する頻度と報道される頻度が混同されています。

 この現実の頻度と報道の頻度の混同は、生活保護支給を「渋る」上で格好の口実として機能してきました。最低生活水準を下回る収入で生活している世帯のうち、実際に生活保護を受けている人の割合を示す貧困補足率は日本の場合、概ね15~20%程度と推計されています。逆に言えば80%は漏給状態にあるわけです。そして補足「されている」内の0.3%程度が濫給に当たります。単純に計算すれば0.06%が濫給ということですね。0.06%の濫給と80%の漏給、どちらが問題であるかは考えるまでもありませんが、報道の頻度は逆であり、世論やそれに媚びる政治家が力点を置くのもまた逆なのです。

 その辺は以前にも触れたことではありますけれど(参考)、20%×0.3%でしかない濫給が増減したところで全体としては何の影響もないわけです。不正受給がなくなって、その分が他の人にそのまま回されるという非現実的な想定をしたところで、貧困補足率を押し上げる効果は誤差の範囲、20%弱は20%弱のままにしかなりません。仮に不正受給が統計に表れない10倍もあると、これまた非現実的な想定を重ねてさえ影響は微々たるもの、吹けば飛ぶような数値なのです。濫給が皆無になろうと、漏給の問題解決には全く役に立ちません。「不正を無くし本当に必要な人へ」なんて文句は全くのナンセンスで、それは濫給に注目させることで漏給の問題から目をそらすための姑息なスローガンと言えます。

 「防止できれば、かなりの歳出削減になる」と生活保護に強い偏見を持つ民主党議員は語ったそうです。102億という不正受給総額を単体で見ると大きく見えるかも知れませんが、3兆円を超える生活保護費の総額や、その倍以上の金額を必要とする漏給分と比較してみれば、そこは躓くべきポイントなのかどうか? むしろ不正受給は給付抑制の口実として喧伝、活用されてきたように思います。つまり世間では専ら濫給にのみ目が向けられ、あたかも濫給の存在が漏給を招いているかのように誤解されているわけです。そして行政が国民の誤解に乗じることで、漏給の問題を濫給のせいにする、社会保障の不備を批判する声の矛先を不正受給者に振り向けることで責任逃れをしてきたのが実情ではないでしょうか。

 上で書いたように不正受給は全体に比してあまりにも少ないため、これがどうなろうと漏給の問題はどうにもなりません。しかるにメディア報道を鵜呑みにしていくと、不正受給が現実の1000倍くらい存在するように思えてしまうもののようです。それはある種の人々が妄想する脳内日教組のごとく、現実のそれとは裏腹に巨大な影響力を持つ存在なのでしょう。そして不正受給が横行すると信じる世論に支えられる形で、生活保護を必要とする人々を水際で追い返す運用が継続されてきたと言えます。不正受給が跋扈しているのだから窓口の対応が厳しくなるのも仕方ないと、そういう誤った理解は少なからず行政を甘やかしてきたはずです。

 同時に、不正な受給者がいる、悪い奴がいるという世界観はしばしば、小泉や橋下に代表される「悪者」をシバキ上げると有権者に約束するポピュリストの台頭を歓迎します。そしてポピュリストは支持者の期待通りに不正な受給者を締め上げるべく社会保障の給付を抑制しようと努め、結果として弱者が締め出されるわけです。でも、そうなった原因をあくまで不正な受給者に求め、社会保障給付を抑え込もうとする政治家の台頭を許したのがどういう気運であったかは考えられることがありません。無責任な話です。

 現実に存在する大半のことは「0」にはできません。どんなに安全対策をとっても事故は起きるものですし、どれほど治安の良い国でも凶悪犯罪に手を染める青少年や外国人が0になることはないのです。そして新聞やテレビの格好のネタとして登場する絵に描いたような生活保護の不正受給者もまた、年百万人もの受給者の中から探していけば必ず見つかります。なるべく少なくなるように努めるというのは肯定されるとしても、「0」でないことを以て問題視するのは、率直に言ってバランス感覚に欠ける、常軌を逸した考え方であり、それに行政が乗じることは社会に深刻な損害を与える結果を招くことでしょう。

 0ではない以上、個別のエピソードを探すことには苦労しません。いかに減少傾向にあろうとも「探せば」青少年の凶悪犯罪は次々と出てくるもので、それを大きく取り上げていけば、あたかも青少年の凶悪犯罪が激増しているかのごとく見せかけることは簡単です。同様に外国人犯罪が多発しているかのごとく見せかけるのも容易ですし、生活保護の不正受給、それも絵に描いたような暴力団関係者なりの受給が横行しているように錯覚させるのは常套手段ですらあります(「自分はこういうケースを見た」と検証不能の個人的体験を、あたかも普遍的なものであるかのように語るのもまた頻繁に見られますね)。そして「悪い奴がいるから」と考えがちな勧善懲悪の世界の住民は、濫給こそが問題であると信じ込むわけです。

 法に触れる行為を犯した外国人と、そうした(断じて多くはない)事例をことさらに誇張したり時には捏造したりして外国人の脅威を説いては排除を訴える人々、どちらが悪質なのでしょうか? それは順序を付けるようなものではないのかも知れません。ただ少なくとも、後者に問題がないとは決して言えないはずです。そして生活保護の場合を考えてください。ごく限られた例外でしかない不正受給の事例に嬉々として飛びついては針小棒大に語っては憤って見せ、あたかも生活保護受給者全体がそうであるかのごとくに語る人々もいます。確かに、不正な受給者は0ではありませんし、中には悪質なケースも見つけられることでしょう。けれど大半は単に貧しいだけではなく病人であったり高齢者であったり、断じて謂われなき中傷を受けて良い人々ではないわけです。排外主義者に対してそうであるように、生活保護受給者に対する偏見を広めようとする輩に対しても、我々は立ち向かうべきではないかと思います。

 

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ハローワークなんて最初からアテにしてません

2012-02-14 23:01:06 | 雇用・経済

あてにならないハローワーク 総務省が厚生労働省に改善勧告!(リアルライブ)

 求人誌、求人サイト、人材紹介会社など、求職中の失業者が仕事を探す方法は数あれど、やはり、最後のよりどころは国営の職業紹介所であるハローワーク(公共職業安定所)だ。ところが、そのハローワークが、随分といい加減な業務を行っていることが明らかになった。

 総務省は10年12月から今年1月に行政評価を実施。全国545カ所のハローワークのうち31カ所で、求職者930人、求人1395件を抽出して調べた。その結果は、あまりにもずさんなものだった。

 職業紹介や職業訓練の相談を受けた場合、担当者がシステムに具体的な内容を入力することになっているが、求職者から複数回の相談があった例を含め、計1万682件のうち71%の7589件は日付だけで白紙だった。

 また、ハローワーク側が求職者の希望する勤務地を知らなかった例が29カ所で117人分あり、希望する仕事を把握していないケースも29カ所67人分あった。紹介する側が、求職者の希望する勤務地や職種を把握しておくのは初歩的なことだ。

 さらには、飲食店での接客業務を希望した求職者に、職業訓練としてコピーライターの養成講座を受けさせた上、希望しないビジネスホテルや法律事務所、劇団などの仕事を紹介、すべて不採用になったという、とんでもないケースもあった。

 実はハローワークを通じた就職率は30%程度と低迷している。そのため、総務省は求職と求人のニーズが一致しない「雇用のミスマッチ」の解消に向け、この調査を実施したが、求職者の立場に立った相談環境になかったことが判明した。ハローワーク側は調査に対し、「次の相談者を待たせるわけにはいかない」などと求職者の増加を理由に挙げたという。

 総務省は「情報を正確に把握できないと採用には結び付きにくい」と指摘。基本業務の徹底を求めて、1月31日付で、厚生労働省に改善を勧告した。

  ちょっと取り上げるのが遅れましたが、こんなこともあったようです。大手新聞社での扱いは、どれほどのものだったでしょうか。まぁ、ある意味で「何を今さら」のことではあります。私のような失業のベテランともなれば、ハローワークがアテにならないことなど常識であり、むしろハローワークごときに期待していては自分の首を絞めるだけと考えていますが(世の中にはハローワークで紹介された仕事に応募したら金銭を騙し取られたケースすらあるくらいです)、それでも部外者の中には本気でハローワークに期待している人もいるのかも知れませんね。

 「部外者」という言葉が適切かどうかは微妙ですが、こう書いたのはすなわち失業者と失業者「以外」の感覚の違いを意識して欲しいからです。失業者「以外」の人は、ハローワークが職業紹介の機能を果たしていると思っているが故に、上記引用で伝えられているような実態が意外に映るものなのでしょう。しかし、当事者たる失業者から見ればどれほどのものなのか、少なくとも私は全く驚かないわけです。

 求職者側も、そこまでハローワークに期待していないと言いますか、諦めのようなものもあるはずです。とりあえず希望は伝えるけれど、その希望に添った仕事を斡旋してくれることなど期待していない、とりあえず失業保険をもらうために登録だけしておく必要がある、そういうレベルの利用も多いことでしょう。仕事を探すのは求人誌や求人サイト、あるいは何らかのコネやツテであって、ハローワークは失業保険をもらうところでしかないみたいなケースも少なくないと思われます。

 そしてハローワークを筆頭とする公共の就職支援窓口で働いている人の多くもまた、自治体の正規職員ではなく非常勤即ちアルバイトであったり、自治体からの業務委託(これも公共事業の一環なのでしょう!)を受けた人材紹介業者から派遣されたスタッフ即ち派遣社員だったりするわけです。一方で雇用情勢は悪化するばかりで失業者の列はハローワークの建物の外に長蛇の列を作るレベル、こういう状況でマトモな就業支援ができるのか、根本的に無理があるとしか言えません。

 記事の惜しまれる点は「飲食店での接客業務を希望した求職者に、職業訓練としてコピーライターの養成講座」と、レアケースの方に紙面を割いていることでしょうか。もちろん、人目を引きやすい珍奇な事柄を優先的に掲載するのはマスメディアの常、それは読売や朝日のような大手新聞社であっても変わらないことで、要するに犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになるわけです。ただ珍奇な事例ばかりがクローズアップされることで、読者が誤った理解をしてしまうこともあります。少年犯罪が増加しているとか、生活保護の不正受給が横行しているとか、あたかも人が犬を噛むのが当たり前であるかのごとき誤解が横行したりするケースは少なくありません。その一方で、ニュースに取り上げられないような当たり前のことはしばしば忘れられがちです。

 飲食みたいな不人気業界希望の求職者に対して、応募が殺到しているであろうコピーライター養成講座や法律事務所の求人を紹介したようなケースは日本全国でも1件くらいしかないと推測されます。逆に犬が人を噛むくらい当たり前に発生したパターンとしては、「事務職を希望した求職者に営業を勧める」場合でしょうか。この辺は地域差もありそうですが、なんだかんだ言って事務職は人気が高く、一方で営業は離職率の高さもあって求人件数が多い(私の住む地域では営業職の求人倍率なら0.5くらいまで上昇することがあるものの、事務職の求人倍率は常時0.1未満だったりします)、そうなるとハローワーク職員サイドからすれば「手っ取り早く就職させるには営業を勧めるのが一番」という結論になってしまうものかも知れません。

 「求職者の希望する勤務地を知らなかった」「希望する仕事を把握していない」というのは確かに問題ですが、それは元から叶わない希望であることを見越してのこととすら思えてきます。往々にして求職者は地元や通勤に不便のない範囲を勤務地として希望しますが、そんなところに雇用はない、同様に求職者の望む職種には求人がない、叶えられない希望を聞くのに時間を費やすくらいなら、初めから求人の多い地域の求人の多い職種をゴリ押ししてしまえと、それがハローワーク訪問者を就職させる最短経路になっているとしたらどうでしょう? 「雇用のミスマッチ」などと流行り言葉を口にしたところで、それは何の解決の糸口にもなっていません。

 

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 ちょっと話がそれますけれど、営業は求人が多いですよね。離職率が高いだけに、最も人員補充の必要性に迫られる職種でもあるのでしょう。とりあえず新人には営業をやらせてみる、という雇用慣行もないでもありませんし。しかし、必ずしも人気のある職種ではないわけです。まぁ、一口に営業と言ってもピンキリで、中には強引な勧誘や執拗な電話営業、詐欺まがいの売り込みで他人に迷惑をかけるばかりの仕事もあって、ハローワークで募集しているようなのはそういう代物も少なくないように見えるのですが、それでも結局はニーズのある職種だったりします。しかし、マトモな会社の営業も含めて応募者は他の職種に比して少なめだったりして、その分だけ他の職種の求人倍率が大変なことになっているのが実情です。

 一方、日本は流通の過程で中間業者が多すぎる、そのせいで生産者が儲からない、消費者は高いものをつかまされるなんて批判が昔から繰り返されています。中間の業者を省いて生産者を消費者を直結させることができればお互い得なのではないかと、そう口にする人もいて実際に私も中学2年生ぐらいまではそう考えていたわけです。ただ、現実の世界で商品を売るのは大変です。生産者と消費者を直結させるには、生産者自らが、今まで中間業者に委ねていた営業の役割も果たさなければならなくなります。一人で何でもできる、一人で商品の生産から流通、販売までこなせるのであればともかく、大多数の人にとっては荷が重いのではないでしょうか。少なくとも、自分で営業して商品を売る自信がない人は、生産者の代わりに営業活動してくれる中間業者の存在を認めるべきではないかと思わないでもありません。

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相変わらずの毎日

2012-02-12 11:21:01 | 社会

特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・玄侑宗久さん(毎日新聞)

 「福島県民の間で、いくつもの心の分裂が深刻化している」と言う。放射能から逃れるため福島から出る、出ない。残ったとしても地元の米や野菜を食べる、食べない。子どもに食べさせる、食べさせない。それらはまるで「踏み絵」のような苦痛を伴う。
 
 「放射能の問題は、結局精神的な問題になってしまっています。年間100ミリシーベルト以下の低線量被ばくについては健康被害を示す明確なデータがない。現代人は分からないことに向き合うのが苦手ですからどちらかに分類したがり、その結果二つの極端な立場が生まれた。放射線は少なければ少ない方がよいと考える悲観的立場と、塩分などと同様に放射線も適量ならば体にいいという楽観的立場です。どちらも医学的には証明が難しいため、信仰に近い様相を呈しています」

 「放射能の問題は、結局精神的な問題になってしまっています」というのは実態をよく言い表しているのでしょうし、時に興味深い指摘も垣間見えるのですが、毎日新聞掲載らしく奇怪な主張も目立つのが惜しまれるところです。以前に触れた、やはり毎日新聞掲載の斎藤環氏のコラムでもそうでしたけれど(参考)、あまりに不正確な理解に関しては垂れ流しにせず、注釈の一つも付けるなりした方が良いように思います。そうしないと読者に誤解を広めるばかり、玄侑氏の指摘する「精神的な問題」を深刻化させるばかりですから。

 さて、玄侑氏によると「放射線は少なければ少ない方がよいと考える悲観的立場と、塩分などと同様に放射線も適量ならば体にいいという楽観的立場」が生まれたそうです。適量ならば体に良いという「楽観的立場」なるものは、まぁ昔から温泉周りなどで健康増進効果に箔を付けるべく言われてきたこともありましたけれど、むしろ昨今はナリを潜めてしまったのではないでしょうかね。そんなことを主張すれば、袋叩きにされるのが目に見えていますから。もちろんホルミシス効果と呼ばれ、実地レベルでは観測データと合致することも珍しくない説ではありますが、少なくとも新たに生まれたものでもなければ二項対立の一方として盛り上がるような代物ではないわけです。

 実際のところは「どんなに微量でも深刻な害がある」とするエセ科学派と、「少なければ少ない方がよいが、放射線だけではなく他のリスクとの兼ね合いで最適な対策を探るべき」とするICRP派の対立と見るべきでしょう。確かに二つの立場からの対立は顕著と言えますが、放射線量は低い方が望ましいという点では概ね世間の一致を見ている、放射線は微量でも量に応じて負の影響があるとするLNT仮説が正しいと考える人は必ずしも多くないにせよ(実例としてはホルミシス仮説の方がむしろ当てはまりやすいくらいですから)、それでもLNT仮説を前提として放射線防護に当たるというのが国際的なコンセンサスでもあります。ただし、放射線「だけ」を際限なく問題とするのか、住民の生活など放射線「以外」のことも考えるのか、そこに違いがあるだけです。

 先日にも触れたことですが、原発推進派なんてのもまた昨今はナリを潜めてしまったわけです。今、原発推進を口にするのは非常に勇気のいること、政治家や芸能人などの人気商売ともなれば尚更のことで、反原発の流行に乗り遅れまいとする人ばかりなのも致し方ありません。では、原発に反対する人が目の敵にしているのは誰なのか? それは反原発論者が誇張する原発/放射能の脅威に対して「そこまで影響はないよ」「その測定方法は誤りだよ」と科学的な説明をするエセ科学批判者であったり、節電のしわ寄せを受ける工場(で働く人)への影響や経済への影響を慮る人など脱原発が第一「ではない」人々だったりします。もはや原発を巡る対立と言うより「知」やバランス感覚の問題という気がしないでもありません。でも、排外主義者が自分の世界観に合わない人を片っ端から「反日」と呼ぶように、ある種の反原発論者にとって原発/放射能の脅威を煽るのに協力的でない人は誰でも「原発推進派」なのでしょう。

 

東日本大震災:暮らしどうなる? 福島の母親、悩み尽きず 東京の医師らが「こども健康相談会」(毎日新聞)

 母子家庭で、3人の子を一人で育てている。県外に避難したいと考えたが、子どもに合う学校を探し、住まいや職場も一度に決めなければならない。仕事は簡単に見つからず、経済的に引っ越す余裕もない。悩んだ末に昨秋、福島でやっていこうと決めたという。
 
 中学3年生の長女は昨年10月、吐き気が1カ月以上続いたため、市内のかかりつけの小児科を受診した。
 
 「放射能の影響かと心配なんですが」と女性が切り出したとたん、医師は顔色を変え、「放射能と関係ないですから」と否定した。長女の学校の担任からも「お母さんが放射能を気にするから、子どもに影響が出るんじゃないですか」と言われていた。「私には相談する場所はないんだ」。孤立感を感じた。悩みを抱え込み口に出せないのが「一番きつい」と女性は言う。
 
 昨年11月。女性は市内の任意団体「市民放射能測定所」で、3人の子がどの程度、内部被ばくしているのかをホールボディーカウンターで調べた。放射性セシウム134と137の数値が記された結果表が届き、測定所のスタッフに聞いてみると、「平均値より低めです」と言われた。しかし高線量地域に住み続ける以上、継続的な測定が必要。また日常生活で浴びた放射線を少しでも減らす工夫が必要だ。この日、医師からは「帰宅したら、シャワーを浴びて放射性物質を洗い流して」と助言された。
 
 シャワーについては「めんどうくさい」と長女が渋っており、当面の課題になりそうだ。長女の吐き気は、前回11月の相談会で医師が、きちんと話を聞いてくれたという。「原因は分からなかった。でも、受け止めてもらえただけでもよかった」。女性は少しおおらかな気持ちになったという。

 後先を考えもせずに引っ越さなかっただけでも偉いとは思いますが、元より色々と余裕がないであろう母子家庭です、その母親がパニックを起こしているとあらば子供に加わるストレスも相当なものと推測されます。もちろん、吐き気などの症状が出るほどの放射線を浴びたのに適切な治療も受けなければ遠からず死んでしまいますので、11月になっても生きている以上は放射線の影響でないことが確定的に明らかです。少なくとも、かかりつけの小児科医は間違った診断をしていないことがわかります。しかるに、それでは母親が納得しない、母親は「放射能のせい」と言ってもらわないと落ち着かないわけです。これはまさしく「精神的な問題」と言えます。

 11月に診察した別の医師は「帰宅したら、シャワーを浴びて放射性物質を洗い流して」と助言したそうです。もちろん、今の福島で外出の度に放射性物質が付着して云々という状況は考えられません(もちろん検出限界を極限まで上げていけば0にはならないのでしょうけれど)。ただし「原因は分からなかった。でも、受け止めてもらえただけでもよかった」と、女性(=母親)は少しおおらかな気持ちになったと伝えられています。まぁ、この人の頭の中では結論(放射能のせい!)は出ているのではないかという気がしてなりませんが、ともあれ母親は少しだけ快方に向かったようです。必要もないのにシャワーを浴びさせられる子供は大変だなと思います。とはいえ、母親が心の安定を取り戻すことは子供にとっても重要ですから、それは必要なこと、子供が母親の療養のためにシャワーを浴びてみせるのも必要なことなのかも知れません。

 

 会場には、何を食べたらよいのかの栄養相談のコーナーも設けられた。月刊誌「食べもの通信」の編集者が応じ、長時間話し込む母親が多かった。
 
 最近、長女(9)がじんましんで入院したという福島市の女性(35)は約50分話し込んだ。病院でもじんましんの原因は分からなかったという。震災直後から関東と東北の食品は買わないようにしているが、手に入る野菜は少なく、栄養が偏るのではと悩んでいた。
 
 「近くの店のイチゴは福島産なので与えず、牛乳も飲ませていない。ジャガイモやタマネギは北海道産が手に入るけれど、レタスは県内産ばかり。豚肉はメキシコ、牛肉は豪州、サケはチリ産を食べている」。ホールボディーカウンターで内部被ばくを測りたいが申し込みが多く、希望はかなっていない。
 
 回答した編集者の松永真理子さんは▽旬の野菜や自然塩でミネラルをとる▽みそを常用し、食物繊維や水、麦茶をとって排せつしやすい体をつくる▽体を冷やさず早寝早起きし免疫力を高める--ことを勧めている。「お母さんたちの相談はいつまでも終わらない。子どもの前では泣けない、という人もいた」と話す。

 で、ここで無批判に紹介されている「食べもの通信」という月刊誌、定期購読しているわけではありませんので何とも言いがたいですけれど、出版元のサイトを見る限りはエセ科学系のありがちな代物に見えます。こうした人々の説く怪しげな健康法が幅を利かせてしまうのは大いに懸念されるところで、回答した編集者によると「▽旬の野菜や自然塩でミネラルをとる▽みそを常用し、食物繊維や水、麦茶をとって排せつしやすい体をつくる▽体を冷やさず早寝早起きし免疫力を高める」云々とのこと。最後の一説はともかくとして、「自然塩でミネラル」とか「みそを常用」、「排せつしやすい体」などは、状況によって危険性があるように思います。

参考、「1日2杯の味噌汁が効く」は本当ですか?  放射能汚染のトンデモ科学に騙されないために(FOOCOM.NET)

 往々にして、パニックの中にいる人は極端な行動に走りがちです。自然塩と味噌を大量に子供に食べさせることも考えられます。塩分の摂りすぎによるガンのリスクは、放射線量に換算すると200ミリシーベルトから500ミリシーベルトに相当するようですが、放射能「だけ」を心配している人は、そんなことなど考慮しないでしょう。水や麦茶をがぶ飲みさせるかも知れませんし、牛乳は飲ませないとのことなので子供の栄養状況が尚更心配になります。むしろ教えるべきはチェルノブイリと福島における牛乳の違いの方ではないかと思うところですけれど、まぁそれでは納得してもらえないのでしょうね。

 福島市の女性(35)が感じたように、実は我々の身近にある食品は国産ばかり、地元産ばかりだったりします。世間で言われるほどの食糧自給率危機ではないように見えることでしょう。さんざん食料を外国に依存していると聞かされてきたのに、いざ県外産、国外産を探してみたら入手に困るというのですから。でも、心配はいりません。家畜の餌は輸入や県外産ばっかりです。家畜の餌が輸入品で、これを勘定に入れるから日本の食糧自給率が低くなると言うのはさておき、乳牛の食べる牧草が地元産である確率は高くないわけです。福島のメーカーがパックに詰めて売っている牛乳=福島の牧草を食べた牛から絞られたミルクではありません。この辺、チェルノブイリとは根本的に異なります。そもそも問題となり得る放射性ヨウ素は半減期が短く既に影響のないレベルに低減していますので、今さら牛乳を避けるというのも純粋に精神的なものでしかないと言えます。

 いずれにせよ、各種トンデモを無批判に垂れ流すばかりで、むしろ必要な情報の提供を躊躇うかのごときメディアの姿勢は大いに糾弾されてしかるべきです。子供を振り回す母親にしたって深刻ですけれど、彼女たちに怪しげな情報を吹き込んだのは誰なのか、そこは問われなければなりません。「(放射能のせいで)危険だ」とする主張にしか耳を傾けなくなってしまった人も少なくありませんが、そう思い込ませた人こそ純然たる「加害者」です。不安に怯え、孤立する母親に「対策をしないと(子供が)死ぬぞ、福島から逃げないと死ぬぞ」と暗に脅しをかけてきた人々の責任も、そろそろ考えられる必要があります。

 

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発電施設自体がゴミに……

2012-02-09 23:05:18 | 社会

10億円した「ごみ発電所」 1万円で持ってって(朝日新聞)

 鹿児島県いちき串木野市は1日、約10億円で建設したごみ発電施設「市来一般廃棄物利用エネルギーセンター」(停止中)の建物や設備などを最低売却価格1万円で売り出した。20日まで入札者を募っている。

 合併前の旧市来町が2004年に国の補助金を受けて建設した。一般ごみと食肉加工場の肉骨粉を混ぜたものを蒸し焼きにして発生したガスを使って発電し、余剰電力を九州電力に売電する計画だった。

 だが、ガスに混ざる不純物が原因でほとんど発電できず、会計検査院から「施設の審査が不十分で、計画通りに稼働していない」との指摘を受け、08年12月から稼働停止している。

 久しぶりに肉骨粉という単語を目にしました……社会から消えてなくならなくても報道からは消えてなくなるものって、よくありますよね。それはさておき、10億円で建設したごみ発電施設を最低売却価格1万円で売り出したそうです。維持費だけでも大赤字であろうことが容易に予想されますが、果たして買い手は付くのでしょうか? まぁ、ごみ発電施設の類は概ねこんなものなのかも知れません。これだって再生可能エネルギーの一つなのですが、昨年の3月ぐらいまでは無駄として槍玉に挙げられるばかりの代物だったわけです。それが原発事故後は一時的に持ち上げられる、計画通りの発電なんてほとんどできていないことなんて無視されて「脱原発への一歩」とか期待できそうな面だけ紹介される記事が紙面を飾るようになりました。なんだかなぁ、と原発事故前の報道を記憶に止めている身としては呆れるばかりでしたが、福島第一原発に遅れること数ヶ月にして朝日新聞記者の頭も冷えてきたのか、再びごみ発電施設の無駄っぷりが紙面を飾るようになったようです。ある意味、震災前に戻ったと言うことでしょうか、こういうところで少しだけ「復興」を感じないでもありません。もっとも記事で取り上げられた鹿児島を含めた西日本は、本来なら平常運転できていたはずなのですけれど。

 でもまぁ、もうちょっと頑張ったらどうかと思うところもあります。自治体の財政も厳しいであろう中、会計検査院からダメ出しを食らうとあっては存続も厳しいのでしょうけれど、そこはまぁ未来への種まきという視点も持って欲しいなと。ただ、今のご時世ですと「将来投資」では許されないのかも知れませんね。「今すぐ」役に立つとアピールしないと予算が下りない、ゆえに今回のゴミ発電施設も建設当初はバラ色の未来を喧伝してきたのではないでしょうか。これを立てればガンガン発電できて、ゴミ処理も捗る、電力売却で費用もすぐに回収できて一石二鳥だと、設備を売り込んだ人はそうアピールしてきたはずです。しかるに、フタを開けてみればご覧の有様、「施設の審査が不十分」とわずか4年で稼働停止に至ったわけです。

 こうなることは建設前からわかりそうなもの、むしろ最初から「簡単に発電できるものではないけれど、ゴミ処理とエネルギー供給の課題解決に向けた将来への布石として割高でも試してみましょう」みたいなノリでも良かったのではないかという気がします、気がしますが――これでは予算が下りないのが現実なのでしょう。だから初めに過大な宣伝があって、それに対する「期待はずれ」が次にくるのです。このサイクルこそ無駄だと言わざるを得ません。にも関わらず、原発事故後は尚更この手の無駄が発生しやすくなっているのではないかと危惧されるところです。水力、火力、原子力「以外」の発電手段に対する期待が現実から大きく乖離した形で膨らまされてきたわけですが、次は萎む番ですから。

 「今、頼れるもの」と「将来への投資」は分けて考えて欲しいな、と思います。いつか化ける可能性に賭けて「将来への投資」を進めることには反対しませんが、「将来への投資」を「今、頼れるもの」であるかのごとくに装った結果が招くのは、誰にとっても不幸なものにしかならないわけです。当てにならない発電手段ばかりを増やして電力供給の不安定化を招けばツケは国民が追わされるものでもありますし、誇大広告で建てた設備はいずれ無駄と呼ばれ、将来投資もろとも葬り去られることでしょう。このような未来を歓迎できる人は、どこにもいないはずです。

 

石原新党 保守色濃く 男系存続へ典範改正(産経新聞)

 東京都の石原慎太郎知事が、たちあがれ日本の平沼赳夫代表らとともに結成を目指す新党の基本政策の草案が2日、分かった。「国のかたち」「外交・防衛政策」「教育立国」など7分野で構成され、憲法9条改正や、男系存続のための皇室典範改正、首相公選制-を明記。保守色を前面に押し出した内容となる。

(中略)

 経済・財政政策は、100兆円規模の政府紙幣発行、国の財政の複式簿記化-など。エネルギー政策としては2040年までの原子力エネルギーゼロを掲げる。

 一方、石原慎太郎の動向が報道されています。たちあがれ日本の平沼赳夫と新党結成を目指すそうです。掲げられた政策的には、まぁ極右系の政治家としては概ね予測の範囲といった感じで今さら驚くようなものはありませんが、エネルギー政策としては2040年までの原子力エネルギーゼロを掲げるとか、この辺は石原も意外にヘタレだなぁと感じるところです。去年の春には自分は原発推進派だと公言していたはず、オカルトじみた反原発論者とエセ科学批判者(≠原発推進派)との対立が深まる中、原発推進派の姿は表舞台から完全に消えて久しいですが、この面の皮の厚い爺さんも例外ではなかったと言うことでしょうか。

 むしろ、この逆風の中で原発推進を堂々と訴え続けることができる人であるなら、それはそれで大したタマだとは思います。逆に、原発推進論者なのに世論に怯えて自説を隠すような人であれば、凡百のヘタレですね。どのみち脱原発は一種のトレンドとしてどこの政党も似たような主張を掲げているだけに、石原新党もまた埋没するであろうと予測します。

 かつて平沼赳夫が「たちあがれ日本」を結成したとき、私は一点だけ彼らを評価しました(参考)。メンバーが全員、高齢者だったことです。日本中どこでも似たようなものですが、とかく年をとっているだけで労害云々とネガティヴに扱われがち、とりわけ政治の世界では若いだけで期待されがちな時代であるにも関わらず、敢えて年寄りばかりで党を作った辺りに気骨を感じないでもなかったわけです(若い議員に相手にされなかっただけじゃないかというのはさておき)。「若さ」を前面に押し出せば、それだけで軽佻浮薄なメディアと有権者は好意的に評価するもの、にも関わらず爺様ばかりで党を作った辺りは一目置いてもいいかなと思いました。そして、これまた石原慎太郎という後期高齢者と手を組もうというのですから良い根性です。まぁ、その根性があっても原発問題に関しては衆に媚びている辺りがヘタレです。どうせなら、高齢者&原発という嫌われ者コンビでとんがって見たらどうかなと思ったりしますが、余計なお世話ですね。

 それはさておき、どこの政党が与党となるにせよ原子力エネルギーゼロというと、日本経済が壊滅状態に陥り、その結果として電力需要は激減、原発なしでもやっていける社会になるぐらいしか思いつきません。石原新党の場合は「2040年」と他の政党に比べれば長めのスパンで脱原発を説くようですが、上で書いたように「将来への投資」と「今、頼れるもの」を区別できているのかどうか。その辺はどこの政党も変わり映えがなさそうで、全くアテにできないレベルの発電手段をごり押しした挙げ句に電力不足を招き、いつの間にか将来投資も無駄扱いされ……みたいな未来しか見えてきません。むしろ脱原発「できなかった」場合のプランとかをしっかり持っている政党こそ待望されるところです。

 

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