マタハラで頼れぬ、「伝書バトのような」労働局(読売新聞)
最高裁判決で注目されたマタニティー・ハラスメント(マタハラ)だが、問題解決のために全国の労働局で行われている「紛争解決援助」や「是正指導」の実績は低迷している。
マタハラに対して罰則規定がなく、行政が企業を強く指導しづらい背景もある。被害者らは「妊娠や出産でハンデを負う女性の立場を理解してほしい」と訴えている。
◆「伝書バト」
「働く女性の味方になってくれるはずの労働局が力になってくれなかった」
東京都内の会社で働いていた30歳代の女性は振り返る。昨年、長男を出産。産休と育休を計6か月取得したところ、職場復帰1か月前に上司から呼び出された。
「保育園の迎えや子どもの病気で仕事に穴が開くと困る」。退職の勧めだった。
驚いた女性は、労働局が間に立って解決を図る紛争解決援助を申し立てた。だが、会社の話を聞いた労働局からは、「お互い譲り合ったらどうか」と、解雇を受け入れて金銭で解決するよう打診された。
女性は援助手続きを打ち切り、裁判官らが事実関係を調べる労働審判を申請。すると、「解雇は無効」と判断された。
結局、会社を辞めた女性は、「労働局は伝書バトのように私と会社の主張をそれぞれに伝えるだけで、解決に導いてくれなかった。諦めて会社の提案をのむ女性も多いのでは」と話す。
これは企業名が明示されていませんけれど、似たような事例は多々あるのでしょうか。訴えを起こしたばかりの案件としては「たかの友梨」の従業員が会社を相手取った裁判が挙げられます。これは決して特異な事例ではなく、社会的な注目度が高まれば山のように見つけ出されるであろう問題なのかも知れません。
マタハラ被害者を叩く、日本の「現状」を考える(東洋経済)
別の事例をご紹介します。妊娠解雇に遭ったBさんです。Bさんは労働局にマタハラ被害を相談した際、会社側の味方をするような対応をされたといいます。Bさんと会社の間で退職条件が合わないと聞いた労働局は、Bさんのほうに会社側に歩み寄るよう勧めたのです。
「(労働局の)担当者はこれを『譲り合い』と表現しました。とても驚き、傷つきました。また『解雇は無効と考えていない』という発言にも驚きました。
労働局は私の(裁判での会社側への)請求額が高いなどといったことは判断できるくせに、会社側の対応が違法であるとの判断はできないと言います。労働者の味方をしない労働局。こんなお粗末な対応なら、二度と産まないと思ったほどです。これまでを振り返っても、労働局に相談していた時期がいちばんつらかったです」
これが同じケースを報道しているのか別の事例から引いているのかは不明ですが、必ずしも珍しい風景ではないのだと思われます。結局のところ、マタハラに限らず男性でも妊娠していない女性でも同様で、会社と従業員の間の争いにおいて「労働局は役に立たない、むしろ会社の味方」なのではないでしょうか。会社側が一方的に不当な解雇をしていた場合でも、常に中立を装って労働者側に歩み寄りを促す、日本の歪な労使の力関係を演出してきた一因として、労働局の立ち位置は大いに疑われるべきものです。労働局がマトモに仕事をしていれば、こうはならなかったはずですから。
学校における「イジメ」の問題でも、被害者側が退学させられるケースは決して少なくありません。教師は学校を守るものであって、生徒を守るものではないですからね。学校教師の行動原理としては「喧嘩両成敗」的なものがあって、暴行を加えた生徒と暴行を加えられた生徒の双方に「歩み寄り」を求めるような対応が一般的なイメージが強いのですけれど、どうでしょう。ちょうど、労働局の対応と似ていますよね。中立の立場として双方の言い分を聞く――そして双方に「歩み寄り」を求める、それが学校教師にせよ労働局にせよ「偏りのない対応」として染みついているように思います。
あるいは逆に、「こっちを黙らせた方が簡単だな」と判断されてしまうこともあるのではないでしょうか。警察とかを相手にしたときなど特に顕著ですが、そういうことはありますよね。つまり片方が弱そう、大人しそうで、もう片方がうるさそう、強そうであった場合、前者を黙らせた方が簡単に問題が片付くわけです。学校のいじめ問題でしばしば教師が加害者側に荷担しているのは、被害者に泣き寝入りさせる方が加害者を制するよりも簡単だからです。被害者が泣き寝入りしている限り、いじめ問題は顕在化しない、学校にとっては平穏が保たれますから。
労働局が間に入るような類でも同様です。横暴な会社組織と、職を失って困窮する個人とでは、与しやすさが全く異なります。労働局としては、どっちを引き下がらせるのが簡単なのでしょうか。答えは言うまでもありません。会社に「譲らせる」のは容易なことではないですけれど、弱い立場に追い込まれて労働局に泣きついてきた人間に「譲る」ことを迫るのは、至って簡単なことです。そこで労働局にとって問題を解決する上での最善手がどうなるのか――その結果として出てきたのが、上で紹介されているような事例と言えます。
我々の社会で平和的に物事を解決するためには、相手を威嚇できる能力が必要なんだな、と思います。冒頭の事例で原告となった女性が、労働局の職員が震え上がるような恐い人であったなら、対応はずっと違ったことでしょう。わざわざ裁判で争うこともナシに問題を穏便に片付けることができたような気すらします。しかし、弱い相手と思われたら残念ながら、闘うしかありません。痴漢に遭いやすいのは色っぽい女性ではなく、専ら大人しそうな女性です。せくしーなお姉様でも、ちょっと男が怯むような迫力をお持ちであれば、痴漢と争うこともない、しかし弱々しい女性ですと痴漢につけ込まれやすく、それを警察に突き出すなどして闘う必要が出てくるものなのではないでしょうか。もとより会社からも「コイツは敵に回すと厄介だな」と思われていれば解雇されなかった可能性がある、逆に「コイツは聞き分けが良さそうだ」と思われれば会社は遠慮がなくなるものです。
一般的にいって、アメリカ企業は日本企業よりダイバーシティマネジメントが進んでいます。グローバル経営しているとか、人権意識が高いといった前向きな理由もありますが、雇用差別が経営にデメリットをもたらす仕組みが、企業に規律をもたらしている側面もあります。そしてその仕組みを担保するのがEEOCなのです。
たとえば、性差別訴訟に関連して、モルガンスタンレーは2004年に5400万ドル、ボーイングは2010年に38万ドルの和解金を支払っています。どちらの事例もEEOCのサイト内で社名を検索すれば、関連情報をまとめたプレスリリースを見ることができ、会社側が性差別の事実をどのようにとらえているか(否定していることもあります)、詳しい背景を知ることができます。
対照的に、日本の労働局雇用均等室のサイト内で、過去に性差別賃金訴訟で負けた企業名を入力しても、このようにわかりやすくまとまった文書は出てきません。マタハラ被害者からは、自分と同じような経験をした人をインターネットで探したものの、情報が得られなかったという声も聞きました。過去の事例もわからない中、被害者自ら立ち上がらなくてはいけないのが、日本の現状なのです。
差別的な理由による解雇が横行している、という点で日本はアメリカに比べて解雇規制が実質的に緩いと言えます。このような社会においては、「個人的に闘う」という選択肢を選ぶほかはありません。誰しも、自分を守らなければなりませんから。善良な市民であれば、会社にも労働局にも「与しやすい相手」と見なされて不利益を被る、そういう仕組みができあがっているのが日本社会なのではないでしょうか。そうである以上は、相手にとって「嫌な人間」になるしかありません。聞き分けの良い人間になってしまえば、結局は会社や労働行政にとって都合の良い人間にしかなれないのですから。
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