先の参院選では共産党が1議席減、社民党は2議席減になりそうなところを最後の滑り込みで何とか1議席減に止まったわけですが、こうした流れはいつまで続くのでしょうか。共産党はまだしも、何とか1議席減で踏みとどまったはずの社民党は辻元清美が離党、完全にジリ貧です。辻元氏に関しては消費税増税を容認する発言が記憶に新しいところで、元より社民党の方向性とは相容れない部分もあったようなことも聞きますが、ともあれ党勢という面では非常に厳しい事態に追い込まれたと言わざるを得ません。
まぁ社民党は仕方ないとして、共産党はどうでしょうか。中には真摯に敗因を分析して今後を考えている人もいれば、これ見よがしに共産党批判をぶち上げているだけの人も多いです。上から目線系のアドバイザーに典型的な論旨としては、左派政党を「反戦や平和のみを掲げている~」みたいに矮小化して認識した上で、それではダメだからもっと○○や△△を訴えろとか、あるいは消費税に反対するだけではなく別のビジョンを示せみたいな類が挙げられます。しかし、その手の論者の設定とは裏腹に共産党は反戦や平和以外にも色々と言及してきた、消費税増税に反対するだけではなく累進課税強化の必要性も語ってきただけに、この辺の批判は不毛である以前に、現実に対応できていません。そこから先を考えないことにはどうにもならないでしょう。
ある種の「歩み寄り」的なものを求める意見もあります。たとえば議員定数削減に反対するような一部の政治に理解のある人にしか支持の得られない主張を前面に出すのではなく、もっと幅広い層に訴求できるものを押し立てるべきだと、そういった感じの提言をする人もいます。ただ、有権者に合わせて政策の力点をずらすことがどれだけ効果的なのかは甚だ疑問を感じないでもありません。どうも上から目線系アドバイザーはみんなの党の成功に倣うことを想定している、それで成功できると確信しているようですが、むしろ国民新党や新党改革、日本創新党の失敗からも学ぶ必要があるような気がします。
先の参院選における国民新党は、紛れもない極右政党でした。経済や雇用政策面の左派的な部分は表に出さず、「バカでもわかる」ような部分=真性保守としての要素を強調していたわけです。結果は無残にも当選0、全滅でした。あるいは新党改革、日本創新党はどうでしょう? こちらは痛々しいまでのポピュリストが率いる党であり有権者に媚びるような主張も目立ったわけですけれど、新党改革がかろうじて1議席を確保しただけで他は全滅です。ちょっと有権者に「歩み寄り」を見せたところで、それは民主・自民・みんなに次ぐ「四番煎じ」以下でしかありません。そこで下手に共産党が主張を劣化させて、素人ウケしそうな部分を強調して見せたとしたら……逆に埋没の度合いを深めてしまうように思えてならないのです。
むしろ学ぶところがあるのは、自民党なのかも知れません。なんと言っても自民党は得票数を減らしながらも議席を増やしたわけです。もちろん得票数を増やすことこそ王道ですが、得票を議席獲得につなげるための戦略、選挙区の絞り込み方などは党の規模の違いこそあれ、参考にすべきところはあるのかもと思います。
根本的に、有権者に左派が少ないとも言えます。故に左派政党が左派である限り、得票には限界があるのかも知れません。有権者は経営者の目線で考える、政府の財政を何より憂慮しているとしたら、労働者目線の政策を掲げる政党が支持を得られるはずもありませんし、国民の家計を考える政党が得票を伸ばすこともまた困難ですから。かつて社会党はそれなりの議席を持っていましたが、それは左派として集めた票によるものだったかは再考する必要がありそうです。むしろ都市部の富を公共事業で地方にばらまく土建型政党=古い自民党への批判が、都市型政党としての社会党に集約されていたとも考えられます。社会党が強かったとしても、それは左派政党が強かったのではなく、都市型政党が強かったのではないか――
小泉内閣以来、地方をばっさりと切り捨てた代わりに自民党は都市部や若年層の支持を取り付けることに成功しました。逆に切り捨てられた地方の票を拾い集めていったのが小沢一郎であったと言えますが、政権交代後のゴタゴタで地方の票は再び自民党へ、一方で都市部の票は「自民はもうダメ、民主でもダメだった、では次は~」という形でみんなの党へ流れていったところでしょうか。元より左派のファクターは有権者にとってあまり重要ではなかったように思います。結局、国民が変わらない限り選出される政党に期待されるものは変わらない、左派政党にできることは地道に国民を説得していくしかないような気がします。左派が左派として票を集めるには、いかに国民を変えていくかを考えていくしかありません。国民と根本的に考え方の異なる党が自他を偽ることなく多数派となる、そんなことを可能にする特効薬などないですから。