私が言うまでもなく方々で指摘されていることですが、内需が低迷を続けています。日本の貿易相手国が好景気で色々とモノを買ってくれたおかげで輸出企業は空前の利益を記録するに至りましたが、ちょっと海外景気が悪くなったらごらんの有様です。あくまで他国の景気次第、日本国内ではモノが売れず、企業業績と反比例するかのように漸減傾向が続いてきた給与所得もこの半年は企業業績と比例するようになりました。先行きは暗いです。そこで貿易相手国の景気回復を待つ以外に、もうちょっと主体的に何とかするには、つまり国内の需要を増やして自国主導で経済を活性化させるためには何が必要なのでしょうか。
内需が冷え込む原因の一つに、改善されない雇用環境があります。いくら働いても給料が増えない、手取りが少ない、すなわち可処分所得が少ないから、それが消費に回ることもない、モノが売れなくなってしまうわけです。雀の涙の時給にぼったくりの寮費、いつ首を切られるかわからない派遣社員では車なんて買えませんよね? 私が子供の頃は「アフリカのカカオ農場で働いている人にとってチョコレートなど高級品で、現地の人は食べることが出来ない」なんて話を聞かされたものです。今がどうか知りませんが(世界で最も虫歯の少ない国はガーナだそうです)、翻ってトヨタの期間工はトヨタ車を買えるのでしょうか? トヨタの従業員にとってトヨタの新車が高嶺の花なら、車が売れなくなるのは当然ですね。
もう一つ、甚だ頼りない社会保障があります。国民一人当りのGDPはOECD30カ国中19位まで落ち込んだ日本ですが、それでも尚、貯蓄額に関しては世界のトップを争っています。収入は少ないが貯金は多いのが日本なのですね。どうしてこうなるかというと、日本ではセーフティネットが機能していないから、いざというときは全て自己責任で何とかしなければならない、病気や失業、老後に備えて貯金を作っておかないと一気に路上生活に転落しかねない環境だからです(派遣切りにあった人を思い起こしてください、貯金を作っておかないと即座に路上生活へ転落です!)。最悪の事態を避けるために、お金は使わずに貯め込んでおかねばなりません。収入があっても使えない、節約して貯めておかねばならない、消費に回せない、だから当然、モノも売れないわけです。社会保障の乏しさから来る将来不安が消費を抑制しているのです。
ここで上げた2つは、比較的シンプルです。トヨタの期間工にもトヨタ車を買えるだけの給料を支払うこと、十分な購買力に繋がるだけの給与を支払うこと、これをルール化(企業の「善意」や「社会的責任」に訴えるのではなく!)すれば一つめはクリアできますし、もう一つは欧州並に社会保障を引き上げること、国民が安心して収入を消費に回せる環境を作ることで解決できます。問題は、それをやる気があるかどうかです。左派政党が政権を握れば、この2つに改善の兆しは見られるでしょう。この国で左派政党が政権を取ることの絶望的な困難さはさておき、方法論としては単純、やるべきことは明確ですから。
ただそこで疑問に思うのですが、十分な可処分所得があって、かつ将来に不安を残さないだけの備えも出来ているとしましょう、この2つの条件さえ満たされていれば、人は消費に走るのでしょうか? 実際に、そうした人はいるはずです。たとえば経済が3%後退すると言っても、全ての人の取り分が3%減るのではなく、往々にして3%の人が全てを失い、残る97%の人に直接の影響はないわけで、運良く不況の波から免れている人は、そんなに少数派でもないでしょう。十分な可処分所得があり、将来への備えも出来ている人は減少傾向にあるかも知れませんが、まだ少数派ではないはずです。
しかし、消費に回せるカネがあったからと、それが消費に回っているわけではないのが実状です。「欲しいものがないから」「今あるものでも十分に仕えるから」、そんな声も多いのではないでしょうか。「モッタイナイ」精神ですね。モノを大切にする、内需を沈滞させる悪徳です。日本ではカネがあっても使わない、節約が大好きで、無駄遣いを何よりも恐れますから。(麻生内閣がやろうとしている定額給付、国によっては成功例もありますが、日本ではどうでしょうか? せっかくカネを渡しても、相手が使いたがらないのなら?)
とりわけ考え方の面で、日本経済は製造業至上主義の「ものづくり」国家です。国際金融の世界では日本企業などミジンコみたいなものですが、販売数世界一がほぼ確定したトヨタを筆頭に日本の製造業は世界を席巻しているわけでもあります。そして製造業の雇用情勢に右往左往するのが日本であり、昨今の金融危機への反動から、なおさら製造業至上主義への傾倒を深めようとしているのが日本です。それだけに「製造業を大切にして、金融は必要な分だけを『ほどほどに』やって行くのが生き残る道」などと、破綻している現状を追認するかのごとき言動が無反省に繰り返されています。しかし、こうした製造業中心の経済が発展していくためには、製造業が作り出した「モノ」が売れ続けなければなりません。すなわち、古いモノを捨てて、どんどん新しいモノを買い続ける、これを続けない限り製造業至上主義の社会が経済的に発展することは出来ないわけです。
ところが、日本は「ものづくり」と同時に、それとは矛盾する「もったいない」を重んじる社会になってしまいました。こういう謎謎を聞いたことがありますか? 「飲めばどんな病気にもかからなくなる薬が発明されました。最初は爆発的に売れましたが、すぐに全く売れなくなりました。何故でしょう?」と。答えはわかりますね、みんなが薬を飲んでしまえば、次から薬は不要になるわけです。当然、需要もなくなります。製造業も同じで、品質が高く壊れにくいモノを作り、消費者が大事に長く使えば使うほど、買い換え需要は減る、モノが売れなくなるわけです。
自動車で考えてみましょう、既に全世帯に自動車が普及しているとしたら、新たに自動車が売れるためには何が必要でしょうか? 言うまでもありません、必要以上の台数を保有してもらうか、あるいはまだ壊れていない既存の自動車を廃車にしてもらうか、そのどちらかが求められます。「贅沢は素敵だ」と、そう言える人ばかりならば自動車も売れ続けるでしょう。しかし「もったいない」を口にする人は、たとえ十分な購買能力があっても購入を控え、古い自動車を使い続けるでしょう。そして日本は圧倒的な「もったいない」精神に侵し抜かれた社会です。新しい自動車が国内で売れるはずがありません。内需が増えるはずもないのです。
対処法としては、何通りか挙げられます。例えば日本は「もったいない」精神だけではなく「自立/独立至上主義」でもありますね。親族で資産を共有したり、親から子へと家財を受け継ぐよりも、とにかく子供は親から独立すべきなのだと、そう信じ切っている社会でもあるわけです。そこでは既に全世帯に自動車が行き渡っていたとしても、子供が親元から切り離されることで新たな世帯が作り出され、それによってまだ自動車を所有していない世帯が生み出されてきたのです。何はともあれ親元から自立しなきゃいけないんだ、そう信じて新たな世帯を作ることで、自動車を持たない世帯=新たな自動車購買層も作られてきました。ある年代までは国内でもモノが売れていたのは、こういう事情もあるからではないでしょうか。しかるに子供の数は大きく減り、親族と家財や世帯を共有する地球に優しい子供(通称パラサイト)も増えてきました。子供の独立をアテにしたビジネスモデルは既に頓挫しています。
欧米では、裸一貫、一旗揚げにやってくる移民が内需を支えてくれるかもしれません。十分な家財を持たずにやってくる人は、それだけ新たにモノを買ってくれるお客様であり、内需を活性化させてくれます。しかし、国籍法の微修正でも大騒ぎ、国会議員ですらネット上の妄言に付き合い出す始末、ヨーロッパの極右が羨むような排外主義を掲げる日本では、移民に期待をかけることはできません。良心があるなら「日本はやめておけ」と言いたくなるのが現状ですから……
新たな需要を作るのは、幾らか建設的な考えです。洗濯機が全世帯に行き渡っているなら、新たに洗濯機を売るのは難しくなります、当然ですよね? ならば、まだ普及していないモノを売ればいいわけです。パソコンにエアコン、オーディオや携帯電話、昔はこんなものがなくとも不自由を感じていなかったかもしれませんが、供給は需要を産みます。新たなモノが市場に投入されることで、新たな需要が産まれ、しばらくはモノが売れ続けるわけです。しかし、新製品もいずれ必要な世帯に行き渡る時が来ます。そうなったときはどうすべきでしょうか? 古いモノを使えなくしてしまうのも手です。テレビがそうですね。薄型テレビも普及しつつあります、ここは一つ旧来の地上波を使えなくして、新しく地上波デジタル対応機を買う必然性を作ってやる等々。モノが売れ続けるためには、旧世代のモノを捨ててもらわねばなりませんから。
それがダメなら、既にモノが十分に普及した市場は諦め、モノがまだ普及していない新興国をターゲットにすることになります。日本市場を捨てて、まだモノの売れる海外に販路を見出すわけですね。日本国内でもモノが売れないのですから、日本の製造業がこちらを選ぶのも必然です、必然ですが、おかげで国内経済はズンドコです。それに現在の新興国が日本並みに発展し、モノを大切にし始めたらどうしましょう? この方法にも必ずや限界が訪れます。
以上で述べたように、ものづくりを大切にしつつ、モノを大切にする、この矛盾した両方を追い求めている限り、国内需要は低迷を続けます。左派政党が政権を取っても、これを免れることは出来ません。「ものづくり」「モッタイナイ」「内需拡大」、この3つを同時に満たすことは出来ないのです。左派政権が誕生しても、やっぱり外需を待つしかない、左派でもダメじゃないか……という事態を避けるためにも、我儘は言わず、どれか一つは諦めてください!
「モッタイナイ」を諦める
これはかなり、思い切った選択です。私自身は新しいものが好きで、必要が無くとも新しいパソコンを買ったりしていますが、これからの時代は「エコ」ですから、たぶん時代に逆行した選択になるはずです。行き過ぎた「モッタイナイ」精神はどうかとも思いますが、今後は新興国とも地球の資源を分け合わねばなりません。モノを次々と買い換えることで製造業と内需を支えるのは、国際的な非難を浴びる行為になります。ただ、「モノが売れる社会とはモノが買われる社会」だということは忘れないでください。国内でモノが売れ続けるためには、我々がモノを買い続けなければならないのです。
「ものづくり」を諦める
ヨーロッパモデルです。私も前々から推奨しています。要するに「モノ」ではなく、モノとしての実態を持たない商品の流通へと意図的に軸足を移すわけです。モノとしての価値は乏しくとも、高い付加価値を持った商品、コンテンツ産業や金融、情報産業、そして公共サービスなど、モノとしての実態を持たない商品を経済の中心に据えるわけですね。極論するなら、パチンコや競馬などのギャンブルも含めていいでしょうか。いずれにせよ、モノではありませんから、資源を消費しない、新たな商品の購入のために古い商品を捨てる必要がない、ものづくりと違って持続可能な経済発展が可能なモデルと言えます。
「内需拡大/経済成長」を諦める
今のままなら、これが選ばれてしまいそうな気がします。自分の財布を満たしてくれる候補よりも感情を満たしてくれる候補に票が集まるように、経済的に豊かになることよりも自分の思い通りの「道徳的/禁欲的な」スタイルを貫くことが選ばれるのではないでしょうか。現に経済的な豊かさを否定して精神的な豊かさの充実を訴えて憚らない人だっているわけです。日本は製造業を中心にしたものづくり国家であるべきとする「好み」と、モノを大切にしたい、既存のモノを使える以上は買い換えるべきではないとする「好み」、経済的な豊かさよりも、この2つの好みを満たすことを無自覚に望んでいる人が多いような気がします。
今の生活に満ち足りている人やタンスにお金が眠っていれば幸せな人は、たぶんそれでもいいのでしょう。これ以上望むものはないから、これ以上の経済発展も必要ない、経済的豊かさは必要最低限で十分とばかりにスタイル面での「好み」に専念できるわけです。しかし、まだ満ち足りていない人、持つべきものを十分に持てないでいる人はどうなのでしょうか? 分配のパイを増やしてやらなければなりません。たしかに、昨今は労働分配率がおかしい、企業側の取り分だけが増えすぎている中では、この分配率を是正することで「今」の状況は改善できるでしょう。ただ、それはあくまで「戦後最長の景気回復」の結果として30兆を超える莫大な内部留保があるからこそ可能であるわけで、もしこの経済成長がなかったら、分配すべき富の蓄積もなかったはずです。
そして計画経済が決して成功しなかったように、人の関わるところでは絶対にアクシデントが起きます。そうしたとき、禁欲趣味から必要最小限の経済的豊かさに留めおかれた社会は、どこまで対応することができるでしょうか? イレギュラーな事態に対応できる余力のある社会であるためには、経済発展を続ける必要があるのです。ムダを省くと称して最小限度まで人員を削減した企業が、危機に対応できない脆弱な企業に成り下がるように、欲を捨てるとばかりに経済発展を捨て、必要最低限の富しか持たない社会は危機に対応できない、「普通」の枠からはみ出た人を助ける余裕のない社会にしかなりません。そこに陥らないためには、経済的な豊かさを肯定できるようになる必要があります。経済面の貧しさを解決するためには、経済面の「ゆとり」が必要なのです。
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