非国民通信

ノーモア・コイズミ

学校の役割

2009-03-31 23:07:18 | ニュース

日本の小中学校教員11時間勤務 フィンランドの倍近く(共同通信)

 小中学校教員の1日の平均勤務時間(休憩を除く)は11時間6分で、国際学力調査で高い学力を示すフィンランドの6時間16分より5時間近く長いことが22日、国民教育文化総合研究所の調査で分かった。研究所は「フィンランドは学習指導が主だが、日本は文書整理や部活、学校行事の準備に追われている」とみている。調査は昨年1-5月に実施、両国の計約1100人の教員が回答した。

 ボリス・アクーニンことChkhartishivili氏が、当時私の在籍していた大学に講義に来たことがありました。当初は1限から5限まで(8:50~17:50)の予定だったのですが、「ロシア人はそんなに働きません!」というChkhartishivili先生の一声で前後1コマがカットされ、急遽10:30~16:10に授業時間が変更されたのをよく憶えています。それはちょっと極端かもしれませんが、やっぱり日本人は働き過ぎですね、小中学校の教員を見ても、日本はフィンランドより5時間も勤務時間が長いそうです。

 まぁ、フィンランドのカリキュラムは幾らか特殊なので比較しづらいところもあるのですが、フィンランドは「学習指導が主」であるのに対し、日本の教員は「部活、学校行事の準備に追われている」ために、勤務時間が圧倒的に長くなっているようです。この辺は、学校のカリキュラムにも現れていますね。日本の学校では勉強は決してメインではありませんから。とりわけ算数とか国語とか理科に社会とか、学力テストの対象になるような科目のために割かれる時間が圧倒的に短いわけです(しかも、頻繁に潰されますよね? 学校行事の準備や担任教師の気まぐれで)。じゃぁ、日本の学校では机に向かって勉強しない代りに何をしているのかというと、運動会に向けた整列とマスゲームの練習や諸々の学校行事の準備に追われているのです。何のための学校なのでしょうね?

参考、必要とされていないから

 学力低下だの何だのと世間は喧しいわけですが、そもそも学力テストの対象になる強化に力が注がれているとは言い難い中で、点数だけは何としても維持しろ、上昇させろと迫られても無理な話です。学校の先生は部活動や行事の準備に追われて授業の準備は出来ず(仕方がないから、学校の成績よりも大事なことがある、と道徳論に逃げるしかない)、生徒が身を入れて勉強に取り組めるような環境も出来ていない、学校の代りに塾でちゃんと勉強した子供が平均点を引き上げても、塾に行けない子供にまともな学習機会はありません。そりゃ、テストの対象になる「学力」が下がったって当たり前の話でしょう。

 「学校は勉強をするところ」という基本に立ち返って、学校というものをもっとシンプルにする必要があると思います。富国強兵、殖産興業に役立つ産業兵卒を育てようと、強制された集団行動を通じて組織の論理を体に叩き込む、それがいかに無意味なものであっても、ルールであるというだけで従わねばならないものだと教え込む、こういう「人間教育」の役割から学校を解放する必要があります。確かに、今の企業社会が欲しているのは学校でよく勉強した子ではなく、適度に見栄えのする学校歴を持ちつつ、それでいて体育会系に染まった学生だったりするわけで、その点では今の公教育は社会のニーズに応えようとしていると見えないこともありません(自民党や小泉、麻生、橋下を支持する、そんな若者を育てるという点でも輝かしい実績を上げていますし)。学力テストで高得点をマークして欲しい、というもう一つの矛盾したニーズには応えようがないわけですが!

 現実問題として、小中学校は半分「託児所」みたいな性格もありますから、「子供を預かる時間」を減らすことには弊害もあるかも知れません。ただ、今の日本の学校教育にはあまりにも「余計な」ものが多いようにも思います。大人が教える必要があるもの=学力テストの対象になるような教科に的を絞り、教えなくとも勝手に育つであろう分野に関しては、その負担から教員と生徒を解放した方がよいでしょう。徳育だの食育だの、余計なモノを付け加えて、より「勉強するところ」から「人間形成の場」へと学校を傾斜させようとする、そうした動きへのカウンターアクションとしても、ですね。

 

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追加、
 こんな記事も見つけました。やっぱり、学校で勉強する意識は低いようです。内閣府はあれこれ言っていますが、少なくとも日本国内で「社会人」になるなら、「勉強の出来る子」よりも(あくまで学校歴は必要ですが)、「友達の多い子」の方が評価されているような気がしますけど。企業だってバカの一つ覚えみたいに「コミュニケーション能力」を要求するではないですか。よほど特殊な専門職でもなければ、学校で得られる知識など二の次でしょう。

日本は「友情」、欧米は「知識」=学校の意義で若者調査-内閣府(時事通信)

 内閣府は27日、若者の意識を国際比較した「世界青年意識調査」の結果を公表した。学校に通う意義について、欧米では「知識を身に付ける」という回答が多かったのに対し、日本は「友情をはぐくむ」が最も多かった。内閣府は「知識を身に付ける意義を低く見ると、社会に出た時に現実とのギャップを感じることにつながるのではないか」としている。

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支持率の低下と、支持者の質の低下

2009-03-29 23:05:07 | ニュース

自民支援の森田氏初当選確実 民主推薦候補破る、千葉県知事選(共同通信)

 任期満了に伴う千葉県知事選は29日投票、即日開票の結果、自民党県議の約半数が支援する無所属新人で元衆院議員の俳優森田健作氏が、第三セクター元社長吉田平氏=民主、社民、国民新、日本推薦=や、関西大教授白石真澄氏ら無所属新人4人を破り、初当選が確実となった。西松建設の巨額献金事件で民主党の小沢一郎代表の公設第1秘書が起訴されて以降、初の大型選挙。吉田氏の敗北により、小沢氏辞任論拡大の可能性がある。

 千葉は森田健作だそうです。開票とほぼ同時に決まってしまいました。ちなみにこういう人だそうです。こりゃまたとんでもない人ですが、そういう人だからこそ人気も出たのでしょうか。ちなみに対抗馬と目された民主と愉快な仲間達推薦の吉田平氏はどう見てもカルト教団の幹部で、その教義は「森田健作の主張-猛々しさ」という感じです。よくわからない宗教団体よりは多少なりとも内実の知れた公明党系の候補の方がマシかと思いきや、その人は橋下に応援メッセージをもらって浮かれているような有様、また一方は例によって「ホワイトカラーの正規職員」限定の公務員給与と「職種問わず、パートタイム含む」民間企業従業員の給与を並べては公務員の給与削減を訴えるばかりの自民党県議ですから、もう救いようがありません。唯一まともなのは共産党が推した八田氏ですが、反自民であると同時に熱烈な反共産党主義者を兼ねている人も多いですからね。

 結果はこんなところですが、なんでも「吉田氏の敗北により、小沢氏辞任論拡大の可能性がある」そうです。小沢氏を神格化している人からすれば、これも反日マスゴミ……ではなくマスゴミの捏造、ということになるのでしょうか。休日で時間もありましたので、色々と政治ブログを覗いてみたのですが、てっきりネトウヨの専売特許かと思っていた「マスゴミの捏造」という言葉を聞かされる場面も多く、もう目眩がしそうです。麻生の支持率が下がり続けた頃は自民党支持層が、小沢の支持率が下がり出すと小沢・民主党支持層が、それぞれ同じことを言うわけですね。でも実際のところはどうなのでしょうか? 根拠もなく、希望的観測だけで、あるいは「この私がそう思うからにはそうなのだ」とばかりに、麻生は/小沢は支持されている! そんなに支持率が下がっているはずがない、捏造だ! ……ふむ、自分を慰めるためには、意味のあることなのかも知れませんが。

小沢氏進退、千葉知事選で判断の声、民主から(朝日新聞)

 民主党内からは28日、知事選の結果次第で、改めて小沢氏に進退の判断を望む発言が続いた。蓮舫「次の内閣」年金担当副大臣はテレビ朝日の番組で「党の色を出して戦っている候補がいる。その結果を含めて(判断するだろう)」と指摘。仙谷由人元政調会長は徳島市で記者団に「知事選以降、どう冷静に判断されるか。若い世代の人たちの(衆院)選挙がどうなるかだけは冷静に計算しないとえらいことになる」と語った。

 その筋の人の世界観では、マスゴミwが偏向報道で執拗に小沢代表を攻撃していることになっているようですが、しかるに民主党内の突き上げも厳しいみたいです。まぁここで「党の色を出して戦っている」と言われる一方、現地では誰もが政党色を隠し、有権者の前では無党派を装っていたような気もしますけれど。ただ、どういう形であれ民主党が推した候補がほとんど競ることも出来ずに敗れたのは動かせない事実です(支持率の低下を「マスゴミの捏造」と強弁して止まない人は、得票数の差を「選挙管理委員会の不正」で説明するでしょうか、さすがにそこまで血迷ってはいないものと信じたいですが)。本当にこれから先のことを考えるなら、支持率の低下を正しく認識し、その上で対策を立てていかねばならないでしょう。同じ世界観を共有する人の間でしか通用しない、内向きの議論をいくら繰り返しても意味がないのは、既に極右層が身を以て示してくれたことなのですから。

 大半の有権者は移り気です。何がどう転んでも投票すべきは民主党/自民党と心に堅く決め、その他の可能性などハナから捨てている一部の人と違って、「普通の」人はその時々の流行り廃りで投票先も二転三転するものです。熱心な人からすれば「些細な」ことであっても「普通の」人が同様に受け止めるとは限りません。「大衆ウケ」ではなく「信念を貫く」ことが目的の政党ならいざ知らず、「政権交代」そのものを目的としているなら、こうした「普通の」人々に与える印象も気にする必要はあるでしょう。民主党内部の議員はさすがに、その辺に神経をすり減らしているようですが、一方で支持者はどうなのでしょう? まぁブロガーなんてのは気楽なものですからね……

 小沢一郎はバカじゃありませんから、現行の法律に引っかからない程度の「工夫」はしているでしょう。だから法律上は「シロ」かも知れない、しかしそれを言うなら小泉だって麻生だって橋下だって森田健作だって、れっきとした「シロ」であり、法律上の有罪でなければ何一つとして非難される謂われがない、というわけでは勿論ありません。ことによると有権者の大多数は法律上の白黒、迂回献金の是非、たとえ合法であっても企業から金を受け取ること――企業名を隠しながら!――の是非を問う以前に、疑惑の浮かび上がった時点で安易に結論を出してしまうかも知れません。その判断には異論もあるでしょうけれど、そこで下された判断の結果――すなわち、民主党の支持率低下という事実――は、受け容れた上で、新たな道を探っていく必要があるはずです。仲間内以外でも通用する議論をするつもりがあるのなら、ですが。

 

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小沢一郎本人はさておき

2009-03-28 22:56:28 | 編集雑記

 政治が混迷の度を深めていますね。元からと言えば元からですが、最近は政局争いもゴタゴタしてきました。自民党政権がそろそろ自壊するかと思いきや、民主党は民主党で小沢党首の身辺が怪しい、一方で北朝鮮の「発射実験」(弾頭を載せるつもりか衛星を載せるつもりかは知りませんが)という自民党にとっての「追い風」もあります。安倍政権の初期に北朝鮮がミサイル実験を強行して、それで自民党の支持率が跳ね上がり、当時は外務大臣だった麻生氏は「金正日に感謝しないといけないな」と率直に述べました。自民党にとっては巻き返しのチャンスなのかも知れません。

 私の小沢一郎への評価は、あまり変わっていません。ああいう政治家だと理解した上で、ああいう政治家だからこそ、現行の自民党や小泉や橋下のような「改革」派、ネット上のヘイトスピーチに媚びを売る国民新党や新党日本、そして前原や岡田、鳩山など民主党内の他の有力者に比べれば害は少ない、そう思っていました。一方で小沢一郎、ひいては民主党への評価を大きく変えているのが昨今の世論でもあります。つい先日までは、民主党圧勝で間違いなしという情勢だったのが……

 「迂回の仕方が完璧だったので、現行の法律では有罪に出来ない」という可能性も少なからずありそうですが、法律上の無罪であるなら潔白だと言い切れるはよほどコアな民主党原理主義者だけ(その論理だと偽装請負その他のゴマカシを追求できなくなっちゃいますけどね)、有権者の大多数は起訴された段階で「クロ」と確信するものです。この美しい国では「容疑者」=「犯人」ですから。そんなわけで移り気な有権者の大半は小沢代表に醒めた視線を送っているようですが、ふ~む、何も今になってそう態度を変える必要はないんじゃないの?と、私なんかは思うわけです。小沢一郎ってのは元からそういう政治家であって、たった一つの疑惑でイメージが一変するようなものではないはずですから。

 今まで小沢一郎/民主党を支持していたのに、今回の疑惑で批判的な立場を取るようになった人というのは、いったい小沢に何を期待していたのでしょうか。まさか汚職や疑惑、金の匂いのしないクリーンな政治家像を期待していたのでしょうか? それだったら、むしろ今までの期待の方が間違っていると言わざるを得ませんよね。でも、今なお意固地に自民党を支持しているような人に比べれば、自民党ではなんだかもう駄目そうだから、じゃぁ次は民主党だと、軽い気持ちであっても鞍替えできる人の方がまだ健全です。何が正しいかはわからなくても、何が誤りであるかは心得ているわけですから。

 逆に、あまりに熱狂的な民主党支持者の方がむしろ危ない気がします。上の段落で書いたように、私は小沢一郎を小泉的なものとはほど遠い政治家と捉えていたがゆえに、民主党の有力者の中では許容できる部類に思っていました。しかるに、一部の小沢一郎支持者の言動は、意外やかつての小泉支持者の言動に似てきたような印象も受けます。至上なる構造改革/政権交代を阻むことは許されない、抵抗勢力を排除せよ、と。普段は自民党の金権政治に批判の手を緩めなかった人が、言を翻して小沢の金権政治は「良い金権政治」みたいなことを主張する、そういうサマを見ているとうんざりしますね。小沢一郎への私の評価は特に変わっていませんが、小沢支持層への評価はちょっと下がり気味です。

 「等身大の評価」をすることが大事だと、そう思うわけです。その人、その政党を「ありのまま」に評価することですね。過剰な期待、誤ったイメージに基づいて支持をするのではなく、どういう政治家、どういう政党なのかをよく弁え、酸いも甘いも知った上で支持をすることが健全な市民感覚と呼ばれるべきでしょう。でも結局、よく理解せぬまま支持をする「無理解型」の支持や、あるいは一方的な自身の期待を投影し、頭の中で徹底的に美化した上で支持をする「片思い型」の支持が、やっぱり多いです。その反対、「無理解型」の不支持や一方的な変形に基づく「憎悪/蔑視型」の不支持、あるいは政治不信も多いですが。

 

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低福祉中負担

2009-03-26 22:55:43 | ニュース

失業手当:不受給77%…日本は先進国中最悪の水準(毎日新聞)

 国際労働機関(ILO)は24日、経済危機が雇用に与えた影響についての調査報告書を発表し、失業手当を受給できない失業者の割合が日本は77%で、先進国中最悪の水準にあると指摘した。2番目に悪い水準のカナダと米国(同率の57%)を大きく上回っているとしている。

 他の先進国は、英国40%、フランス18%、ドイツ13%で、日本は受給できない人の割合が際立って多い。

 まぁ日本のセーフティネットだったらこんなものでしょう。平気で嘘を吐く人たちは日本の社会保障を「中福祉中負担」などと語りますが、実態は「低福祉中負担」です(もっとも、これは個人の話であって、雇用主にとっては「低福祉低負担」ですが)。失業保険を受給できない割合は77%、低福祉低負担と伝えられるアメリカをも大きく上回る、先進国中最低最悪の水準なのです。

 日本の場合、失業手当受給に必要な保険料納付期間(1年)の制約のために受給できていない非正規雇用労働者が多いことなどが反映したとみられる。

 非正規労働者が多いのは確かですが、それだけで77%という異常な高率を説明しきることは出来ないようにも思います。この場合も、ある種の自己責任論とでも言うべき「自己都合退職」の濫用を無視は出来ないでしょう。会社が解雇を言い渡したなら、会社都合退職として早期に失業保険が受給できるわけですが、退職を強要されて辞めざるを得なかった場合はあくまで「自己都合退職」であり、3ヶ月の待機期間と手続き期間が待っているわけです(失業保険を受け取るためには「解雇」の方が好都合ですが、さりとて解雇歴があると次の就職の際に不利益になる、それを恐れて労働者側も自主退職を選ぶ等々)。失業保険を受け取れるのは実質4ヶ月後、そこまで凌げれば受給できるものの、4ヶ月も無収入で過ごせるほど余裕のある人はそう多くないはずです。大方の人は、自分を安売りすること、より条件の悪い仕事に就くことを余儀なくされているのではないでしょうか。

 派遣社員の場合も同様、保険料を何年納付していたところで実質的に意味がありません。よほどダメな派遣会社ならいざ知らず、派遣スタッフをちゃんと保険に加入させるような「まともな」派遣会社であれば、雇い止めの際にはすぐ次の仕事を斡旋してくれますから。ところが、これが落とし穴です。往々にして「すぐに斡旋できる仕事」=「条件の劣る仕事」なのです。そして「収入減に繋がるオファーは受けられません」と回答すれば、それはすなわち「本人の意思で仕事を断った」=「自己都合退職」扱いになります。ゆえに4ヶ月の待機期間を凌げるようなゆとりある資産家でもなければ、やはり自分を安売りすること=より条件の悪い仕事でも受けるしかなくなってしまうわけです。この辺は保坂展人氏などは割と積極的に取り上げてくれていますが(参考)、往々にして黙殺されがちなポイントでもあります。

 失業手当を受給していない失業者の人数は、米国630万人、日本210万人、英国80万人、カナダ70万人、仏独がそれぞれ40万人で、人数でも日米が突出している。

 フランスなどを例にして、社会保障費の事業主負担割合が高く、セーフティネットの整っている国では失業率が高いと語る人もいます。あたかも社会保障の充実と雇用機会の増大はトレードオフであるかのように見せかける印象操作ですね。失業率は統計のマジックみたいなところもありますし(例えばネトウヨの論理ですと、在日韓国/朝鮮人は老人も幼児も母数として算入されるため、「在日の半分は働いていない」ということになっている等々。公的機関はそこまで無茶なことはやりませんが、似たようなゴマカシはいくらでもあるわけです)、社会保障よりも景気動向に左右されるところが多いだけに眉唾物ではありますが、それでも敢えて、社会保障の手厚い国は失業率が高いとしましょう。しかし、問題は失業率なのでしょうか?

 日本のように、失業しても失業保険は給付されない、もちろん生活保護は失業保険以下の補足率と、公的なセーフティネットの機能していない国では失業は深刻な危機です。しかし、失業しても失業保険がある、すぐに就職できなくても、就労支援が充実しているため焦らず仕事を探せる、そのような環境では失業はそこまで深刻な問題ではないでしょう。日本のように就業そのものが目的化している社会ならいざ知らず、生活の糧を得る手段として就業が存在する社会なら尚更です。失業しても生活の糧にはそれほど困らないなら、失業は日本における場合ほど深刻な問題ではないはずです。単に失業者が多いのではなく、セーフティネットから漏れた失業者が多いこと、そして失業が脅しに使えるということ自体が日本の社会保障の欠落を雄弁に物語ります。

 そもそも、今回のこれはILOの指摘なんですよね。日本の報道機関や公的機関が調べたことではない。日本社会が、あまり知ろうと思わないデータなのでしょうか。確かに日本だったら、受給できない人の数を数えるより、不正受給者の数を調べ上げる方が好まれそう、読者にも歓迎されそうですしね。問題の重要度や規模の大小なんて誰も考慮しないのです。生活保護を巡る言説はまさにそれですから、失業保険の扱いだって同様なのでしょう。社会保障受給者の増大を貧困の問題として捉えるのではなく、不正の問題として捉えたがる等々、国民が自ら色眼鏡をかけたがるような社会では自浄作用すら期待できませんね。

 

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それから

2009-03-25 22:58:13 | ニュース

犬のあだ討ち「子連れ狼に着想」、小泉容疑者が供述(読売新聞)

 元厚生次官宅連続襲撃事件で、殺人容疑などで逮捕された無職小泉毅容疑者(47)の鑑定留置が23日、終了した。

 動機については、処分された飼い犬の「あだ討ち」と終始一貫し、妻を殺害した男らに 復讐する時代劇ドラマ「子連れ狼」に影響を受けたとも説明しているという。

 さいたま地検は、事件当時に責任能力はあったとする鑑定結果を踏まえ、拘置期限の26日にも、殺人罪や、元社会保険庁長官に対する殺人予備罪などで起訴する方針。

 捜査関係者によると、一連の事件について小泉容疑者は、「34年前、飼い犬を保健所に処分されたあだ討ち」と繰り返す一方、処分直後、「子連れ狼」をテレビで見て報復を思いついたとも説明しているという。

 この事件、逮捕当時のことはこちらでも取り上げました。鑑定留置が終了したそうで、動機については当初の供述とほとんど変わりないようですが、曰く「子連れ狼」に影響を受けたとのことです。へー。

 ちょっと、珍しいかも知れませんね。「定番」からは外れていると言えるでしょうか。この手の殺人事件が起ると、とかく漫画、アニメ、ゲームなどの影響が取り沙汰されるものですが、今回は時代劇です。渋い好みですね……って、そういう問題でもありません。

 例えば蒟蒻ゼリーは規制の対象として検討されるけれど、餅の規制など誰も考えない、あるいは大麻は取り締まりの対象になるけれど、煙草で逮捕されることはない等々、「新しく世に出たものか」「既に社会に根付いているものか」それが事故発生率や毒性の強さよりも重視されるわけです。娯楽も然り、「昔ながらの」「伝統的な」娯楽は尊重される一方で、比較的新しいメディアは絶えず偏見に晒され、道徳的な非難の対象とされてきました。アニメやテレビゲームは、槍玉に上げられる常連中の常連ですね。

 そこで容疑者の自宅から漫画やゲームが押収されると、決まってその悪影響が語られるものです。新しいメディアに強い偏見を持つ人からしてみれば、センセーショナルな事件の(既に犯人扱いされている)容疑者宅からアニメやゲームが見つかれば、それが犯行の異常性と関連があるかのように語る格好の機会になるのでしょう。しかるに、今回の容疑者のように影響を受けたと公言する対象が比較的「古い」部類に属する時代劇であった場合はどうなるのでしょうか? 時代劇が暴力的な傾向を加速させる、時代劇が犯罪を助長する、時代劇は危険だ、時代劇を規制し、遠ざけろ……そう、語る人は出てくるでしょうか。

 アニメやゲームの悪影響を語る人々への反論として、「フィクションの影響ではない」とする人もいます。確かにフィクションの影響は時に過大に煽られるわけですが、しかし影響していないわけではないとも思います。もちろん、それはアニメやゲームなどの新しいメディアに限ったことではなく、時代劇や雑誌、新聞などの古い世代からも信頼されるメディアも同様です。あらゆるものが影響を与えている中で、一部のまだ社会的に受け容れられていないジャンルの「悪」影響だけが殊更に強調されているだけ、そう捉えた方がよいでしょう。

 時代劇の悪影響なんて、馬鹿馬鹿しくて誰も考えてこなかったかも知れません。しかし、現に影響を受ける人もいるわけです。大半の人はそうしたメッセージを受け取らなかったとしても、中には時代劇を見て「あだ討ち」を思いつく人もいる。こうした際立った形で時代劇の影響が顕在化することは稀でしょうけれど、しかるに「表に出ない」「知覚されない」範囲で強く影響していることもあるのではないでしょうか。時代劇に限らず、諸々のフィクションやメディアを通じて勧善懲悪の世界観を刷り込まれた人々、自己責任論を信じ込むに至った人々、偏見や差別心を宿すようになった人々、いくらでもあるはずです。刑事事件に繋がったケースだけが悪影響ではないですから。

 

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木ではなく森を見よ

2009-03-23 22:52:08 | ニュース

294億円の税返還請求=米政府を提訴-批判渦中のAIG(時事通信)

 米政府管理下で経営再建中の保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が、同社への過去の課税ミスなどを理由に、連邦政府を相手取り、総額約3億0610万ドル(約294億円)の返還を求め、ニューヨークの連邦地裁に提訴していたことが、20日までに明らかとなった。

 合計1700億ドル超の公的支援を受けているAIGは現在、幹部社員らに対する1億6500万ドルの報酬支給問題で批判の渦中にある。高額の報酬は今月に入ってから支給されたと報道されているが、裁判資料によると、提訴はこれに先立つ2月27日。

 しかし、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は20日、AIGには提訴の法的権利があるとする一方で、「(同社を救済した政府を)公的資金を使い訴えているとも受け止められる」と指摘。今回、提訴が明らかとなったことを受けて、同社への風当たりが一段と強まる可能性もある。 

 色々と取り沙汰されているようですが、批判の方向が本質から逸れていると言いますか、思わぬ落とし穴に嵌りそうな気もするAIG社のボーナス支給問題です。一連の騒動を見ていると日本もアメリカも庶民感情には似たところがあると感じられないでもありません。いや、日本だったら既に経験済みの失態、それどころか「いつものこと」でしょうか?

 非難を浴びているのは、1700億ドル超の公的支援を受けているAIG社が「幹部社員」に1億6500万ドルの報酬を支払ったことです。ふむ、世間では「巨額」と呼ばれているようですが、なにぶんにも私は比率で考える習慣が付いていますので、この2つの数値だけではどうもしっくり来ません。公的支援が1700億ドル超、報酬が1億6500万ドル、要するに受けた公的支援の1000分の1未満ですよね? 0.1%未満です。誤差みたいなものですね。1700億ドル超という巨額の公的支援の是非は論議されてしかるべきですが、その中の1000分の1にすら届かない明細に拘るのは不毛に見えます。むしろ問題が矮小化された印象すら受けます。もうちょっと金額の大きい部分こそ使い道を問われるべきではないでしょうか?

 こちらで生活保護の不正受給を題材に色々と書きました。だいたい生活保護の不正受給は金額ベースですと全体の0.3~0.4%程度と、割合で見ればほぼ0に近いのですが、これを過剰に煽る輩も後を絶ちません。一方で生活保護水準以下で暮らし、公的支援を必要としているにも関わらず保護を受けられない人は1000万人です。どちらが大規模な問題かは言うまでもありませんが、生活保護を巡っては数値を比較、考察した言論に巡り会うことは皆無です。より金額の大きい部分を重視し、コンマ0以下の微細な問題は後回しにする、そんな発想にお目に掛かることは極めて稀です。その結果が今の日本の脆弱きわまりないセーフティネットにも繋がっているわけですが、さてAIG社を巡る議論はどうでしょう。コンマ0以下の細部に拘泥するあまり、より大きな問題を見過ごしてはいないでしょうか?

 そもそも「人件費を削る」ということに、あまり良いイメージを持てないのですよね。とりわけ日本の事例を知っているならば。そりゃ日本の雇われ社長に比べればアメリカの経営層の給与は高い、そこは削減の余地がありそうです。ただ、給与を削れば会社の経営状態が改善されて投入された公的資金の回収も早まるのかと言えば、それはほぼ無関係でしょう。あまりにも高額すぎる役員報酬への見直しは必要でしょうけれど、それは業績如何に関わらず行われるべきです。幹部に対する巨額の報酬を規制する理由が「業績が悪いのだから」というものであるなら、逆に「業績が好調なら」天文学的な報酬を肯定しなければなりないことにもなります。市場原理主義者ならそれでもいいのかもしれませんが。

参考、日本的欺瞞

 結局のところ、「(税金から)公的支援を受けているのに」「高額の報酬を受け取る」とは「けしからん!」というのが世論の大勢のようです。では、報酬を返上して、経営トップ自ら泥まみれになって奔走すれば許されるのでしょうか? 経営トップが私財を投げ打って会社の再建に献身すれば、日本ならずとも美談として語られてしまいそうな気がしますね。でも、そうやって世論の共感を呼ばれてしまう方が厄介です。重要なのは、1億6500万ドルの報酬ではなく、1700億ドル超の公的支援ですから。仮に経営再建ならず公的支援が焦げ付いたとしましょう。そこで経営者が無報酬で骨身を削りながら経営再建に取り組んでいたとして、「失敗はしたけれど、幹部達は必死に頑張った」と同情され、見切りを誤った政府の失態も有耶無耶にされるとしたら目も当てられません。問われるべきは、投入された1700億ドルを返済できるかどうかなのに、その1000分の1にも満たない経営者の報酬次第で国民の目が曇らされるとしたら、それこそ最悪です。まぁ、アメリカ社会は日本ほどには情緒的ではないと思いますが、その可能性も否定できないと言うことで。

 

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時代を感じさせる判決

2009-03-21 22:49:11 | ニュース

2人に死刑、1人は無期 闇サイト殺人名古屋地裁判決(朝日新聞)

 名古屋市千種区で07年8月、会社員磯谷利恵さん(当時31)が、携帯電話の「闇サイト」で知り合った男3人に拉致され、殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われた男3人の判決公判が18日、名古屋地裁であった。近藤宏子裁判長は、神田司(38)、堀慶末(33)の両被告に求刑通り死刑を言い渡した。川岸健治被告(42)については、犯行直後に自首したことを考慮し、無期懲役とした。

 そう言えばこの事件、被害者の母親が「敵を討ちたい」と極刑を求める署名を集めていましたね(参考)。結構な数の署名が集まったそうで、「自分も署名しました!」と嬉々として報告するブログも多々ありました。「悪い奴」を罰したいという欲望の捌け口になった、と言えるのかも知れません。署名を集めた本人が乗り気だったとしても、見ていて気分の良いものではなかったです。ちなみにこの事件とは全く無関係ですが、同時期にミャンマーで日本人ジャーナリストが軍によって殺害され、軍事政権へ抗議する署名も集められていました。そちらは今一つ署名が集まらなかったそうです。

 近藤裁判長は「極めて残虐で悪質性が高く、社会に重大な影響を与えた。極刑をもって臨むのはやむを得ない」と判決理由を述べた。

 遺族の発言にも頷けないところは少なくありませんが、年月を経ようと遺族が冷静な判断を下せないのは致し方ないこととしましょう(遺族の発言についてはBill McCrearyさんがこちらで書いてくれていますし)。しかし、第三者であるべき司法関係者の発言はどうでしょうか? ある意味、死刑判決のテンプレとでも言うような変わり映えのない判決理由かも知れません。ただ常々思うのですが、「悪質~」というのなら、反対に「良質」な殺人ってあるのでしょうか? 裁判官が下す判決の基準には、色々と疑問を感じます。

 「社会に重大な影響を与えた」とも裁判長は語ります。これの真偽はどうなのでしょう。何が、どの程度、どのような影響を与えたのでしょうか? この事件を知って模倣犯に走る人などを想定しているのかもしれませんが、それを実証するような資料などないわけで、強いているなら「そう思いこんでいるだけ」です。事件を契機に強盗殺人が増加したとか、そういうことはないわけですから。むしろ急激に増えているのは死刑判決であり、死刑執行です。こうした社会的に注目度の高い事件で死刑のハードルを下げてみせることによって今後の判決にも影響を与える、そんな可能性こそ懸念されます。

 判決は、動機について「楽をして金をもうけようとした利欲目的のみだ」と指摘。ネットで知り合った犯罪集団が、躊躇無く数日間で犯罪を計画・実行した経緯を特異だとして、「この種の犯罪の危険性を実現した極めて悪質な犯行だ」と述べた。

 この辺の考え方にも色々と疑問を感じます。じゃぁ、この反対だったらどうなのでしょう。金儲けのためではなく、「公」のための殺人だったら許されるのでしょうか? 奉じる「公」はそれぞれ異なるかも知れませんが、テロリストってのは基本的にそういうものですよね。この判決を貫く論理に従うと、楽をするためではなく(その人なりの)社会正義のためだったら殺人が正当化されてしまうことになりかねません。

 あるいは、「ネットで知り合った~」云々の部分です。これは必要なのでしょうか? ネット上で知り合ったのではなく、職場なり地域なり学校なりの友人関係であったなら、その関係の違いは判決の際に考慮されるものなのでしょうか? たぶん、伝統的な娯楽は賞賛されるがテレビゲームなどの新しい娯楽は道徳的に非難される、それと同じことなのでしょう。なんだかんだ言って、ネットなり携帯電話なり「新しい」メディアへ強い警戒感を持つ人は多いわけです。彼らはそれを何か「不気味な」ものだと思っており、(彼らの信じる)人間関係に対する脅威だと感じている。ネットを通して結ばれた人間関係を不健全なものだと感じている。だからこそ、この被告人達がネットを介して知り合ったことが否定的な要因としてクローズアップされているのでしょう。裁判官はこうした新しいメディアへの偏見を利用して、被告人のイメージダウンを計ったとも言えます。

 公判で検察側は、磯谷さんの写真十数枚を法廷で映し出すなど、5月に始まる裁判員制度を意識し、視覚に訴える立証を進めた。遺族の証人尋問にも時間を割き、被害者の無念や、遺族の悲痛を印象づけようとした。

 で、検察も検察です。記事には「視覚に訴える」とありますが、もはや「感情に訴える」方法にしか見えません。それが検察の仕事なのでしょうか? 民事訴訟の原告側弁護士がそれをやるならわからないでもないのですが、検察の役目、目的って何なのでしょうね。できるだけ重い刑罰を「勝ち取る」ことなのでしょうか。たしかに、ある種の人々はそれを期待していますが……

 しかしまぁ、こういうやり方が常態化すると、被害者側の感情表現次第で判決が大きく左右されることにもなりそうです。遺族が感情を表に出さないタイプだったり、あるいは被害者に身寄りがなく悲しんでくれる遺族がいなかったり、そういう場合は刑も軽くなるのでしょうか。あるいは被害者が「感じの悪い」人間だったりするなら? 逆に被告人が「監禁王子」とか上祐史浩とか、ちょっと女の子ウケする甘いマスクの持ち主なら印象も変わってくるのでしょうか。ともあれ検察がこういう手口に頼るようだと、双方のプレゼンテーション能力が決め手になる、事実関係よりも印象がモノを言うことにすらなりそうです。そういう時代が差し迫っているのかもしれませんね。

 

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聖域の守護者たち

2009-03-19 22:56:40 | ニュース

町村氏、小泉改革を再評価 鳩山総務相発言を「軽率」(朝日新聞)

 町村信孝前官房長官は19日の町村派総会で、小泉元首相が進めた構造改革路線を「評価をするという出発点に立たなければいけない」と擁護した。一方、鳩山総務相が三位一体改革を「やりすぎた」と批判したことを念頭に「軽率な発言を大臣がすること自体が誤ったイメージを与える」と強く批判した。

 町村氏は「小泉改革は正しい方向にしっかりと日本の社会を進めたという認識の上に立って改革を進化させる」と主張。「格差の拡大とか地域のひずみとかあるが、今回の(追加経済)対策の中で手を打っていく」と語った。

 鳩山の軽率ぶりは否定しませんが、この場合は町村の方が問題がありますね。ある意味では、構造改革路線を未だに信奉する論者の典型であり、象徴的な発言であるような気がします。ちなみに町村氏曰く「格差の拡大とか地域のひずみとかある」そうです。同じ構造改革路線の追従者でも、城繁幸くらい盲目的なタイプですと、「小泉政権は格差を縮小した」などと幻を見てしまうようですが(参考)、町村氏はそこまで重症ではないようです。五十歩百歩とも言えますが。

 さて格差の拡大と地域の歪みを現実のものとして受け容れている町村氏ですが、しかるに「小泉改革は正しい方向にしっかりと日本の社会を進めたという認識の上に立って改革を進化させる」「評価をするという出発点に立たなければいけない」とのことです。う~む、端的に言うなら「初めに結論ありき」なんでしょうね。

 小泉改革の結果は、既に明らかです。城氏のように自分の願望を現実に投影する人がいくら気炎を上げたところで、町村氏も認めざるを得ないように格差の拡大と地域の歪みは深刻な問題となっているわけです。当然、構造改革そのものが正しかったのかどうか、修正が必要なのではないかという見解も出てきます。かの自民党からすら! しかし、町村氏は言い切るわけです、「小泉改革は正しい方向にしっかりと日本の社会を進めたという認識の上に立って改革を進化させる」「評価をするという出発点に立たなければいけない」と。

 町村氏にとって守るべきものは日本の社会環境や住民の生活といったものではなく、あくまで小泉改革の正当性なのでしょう。現実がどうあろうと、小泉改革は正しいという認識に立つこと、断固として小泉改革を評価すること、ここは絶対に動かせないポイントのようです。そして経済対策もまた、その前提に立った上で行われる――すなわち、小泉改革を否定しない範囲に限定した中でしか行われないことを意味しています。

 「改革が足りないからだ」などと言い出す輩には事欠きませんが、彼らの言説に説得力が乏しい、現実味のない空疎な妄言にしか聞こえないのは、こうした制約の故なのかも知れません。問題に対して何か具体策を述べようとしても、自分達が称揚してきた小泉/竹中以降のカイカク路線を否定できない、何か有効性のある対策があっても、それが小泉改革路線から外れるようであれば認めるわけにはいかない、だから彼らは一面的なモノの見方しかできないわけです。そして昨今では、有効性や実証性などまるで無視して、ただ構造改革を擁護しようとしているだけ、構造改革の問題点や矛盾を突きつける証言に対して逆ギレしているだけ、そんな見苦しい言説を垂れ流す評論家も増えつつあります。カイカクは彼らの聖域なのでしょう。そして仮想敵を仕立て上げて聖域を守るのが構造改革論者なのです。

 

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私も若者には期待していませんけどね

2009-03-18 22:59:30 | ニュース

【1都4県週刊知事】東京 石原慎太郎知事 失恋しない若者嘆く(産経新聞)

 一橋大在学中に「太陽の季節」を書き、23歳で芥川賞を受賞した石原慎太郎知事。13日に開かれた都議会予算特別委員会で、青少年・治安対策本部に関連した質疑の際、現代の若者について「残念ながら、今の若者にはあまり期待できない」として持論を展開した。

 青春を全速力で駆け抜けた石原知事は「私たちの青春時代はもっと貧しかった。現在の若者は生まれながらに便利な機械文明に囲まれ、苦労して物事を成し遂げる機会そのものを奪われている」と分析。「現代は情報の摂取が多過ぎて、その情報の評価まで情報に頼っている」という首都大学東京の宮台真司教授の話を紹介した。

 「このごろの若者は勘違い、思い違いをしない。失恋もしない。片思いで、思い詰めてふられて自殺する、そういう青春にありがちな現象は淘汰された」と嘆き、「若者には文明の便利さに飲み込まれず、自分で物を考えてもらうことを熱願している」と話した。

 とりわけ小泉以降の自民党とか、あるいは橋下とかその類は中高年ではなく若者にこそ、より強く支持される傾向があるわけです。石原の場合はどうだったのでしょうね? ちょっと手元に資料がないので推測にしかなりませんが、自民党や橋下の支持傾向と慎太郎さんの支持傾向が似たようなものであるなら、石原の場合も若者の支持が基盤と見てよいでしょうか。しかるに、中高年と違って自分を熱心に支持してくれる若者に対して「あまり期待できない」とか。冷たいですねぇ、御自分の支持層ではないのですか?

 例えば私のように、「自民党支持は明白な誤りだ!」と日頃から言い切って憚らない人間が、その自民党を最も熱心に支持する世代を指して「あまり期待できない」と評するなら、まぁ筋は通っていますよね? それが良いことか悪いことかは別問題として。しかるに自分のことを最も熱心に支持してくれる世代を否定するということは、その選択をも否定的に見ること、すなわち石原慎太郎(あるいは、氏と距離の近い政党――自民党)を代表に選ぶという若者の声にも疑問を投げかける行為であるような気もするのですが。「あまり期待できない」人々が選んだのがあなたと、あなたのお友達なんですよ、慎太郎さん?

 とは言いつつも、「失恋しない」というのは当たっているかも知れませんね。昨今では早婚多産のヤンキー型と、リスクを恐れて恋愛とは無縁な非婚型に二極化しているような印象も受けますし。所得の面だけではなく、恋愛面でも中産階級は減少局面に入っているのではないでしょうか。この辺はまぁ、非婚率の増加以外には特にデータを探してきたわけでもないので印象論の域を出ませんけれど。

 ただ、異性あるいは同性に対する「失恋、片思い、ふられて~」は減ったとしても、ちょっと見方を変えれば似たようなものは見つかりそうです。例えば、特定の政党、政治家への片思いですね。安倍晋三とか麻生太郎とか、極右層の熱い期待を一身に背負っての登場だったわけですが、支持者の恋心はものの見事に裏切られたではありませんか。これもある種の、勘違いに基づく片思い、失恋のバリアントですよね?

 もっと遡れば小泉/竹中の「構造改革」への支持も似たようなものです。これも若者の強い支持を集めたわけですが、どう見ても勘違いに基づく片思い、ものの見事にふられたでしょう? 勝手に恋い焦がれて、恋しい人がいつか白馬に乗って自分を迎えに来てくれると、そんな甘い期待を抱くかのごとき勢いで小泉/竹中(あるいはその同類)を支持した人も多かったはずです。狭義の恋愛という意味では石原の若者評も外れてはいないのでしょうけれど、政治を愛の対象として考えてみるなら、まさに若者は勘違い、思い違いを重ねるまま、失恋や片思いを繰り返している、中には思い詰めてふられてヤケを起こす等々、そうも言えそうです。

 

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やっぱり舛添は無責任

2009-03-16 22:59:10 | ニュース

介護は不要?プロ任せ?=参院予算委で麻生首相ら答弁(時事通信)

 「家内よりわたしの方が健康だという気がする。こっちが介護する番かな」。12日の参院予算委員会で、麻生太郎首相と閣僚が介護に対するそれぞれの考え方を披露する場面があった。

 民主党の下田敦子氏に、将来は夫人に介護してもらうことを望むかと問われた首相は、43歳で10歳若い夫人と結婚したことを紹介しながらも、介護不要の健康体をアピール。「(互いの老後の)長期見通しを立てたのではないが」と付け加えて委員会室の笑いを誘った。

 母親を介護した経験を持つ舛添要一厚生労働相は「介護はプロに任せましょう。家族は愛情を」との持論を展開。一方、恐妻家で知られる与謝野馨財務相は「子供に面倒を見てもらえると思っていないし、女房にも迷惑を掛けられない。入れる施設があれば入りたい」と控えめに答えていた。 

 本人達の感覚からすればたわいのない話なんでしょうけれど、ちょっと引っ掛かるところもあります。特に舛添氏の発言が。ことあるごとに語られる舛添氏の介護体験云々は誇大広告で、別に本人が一人で介護していたわけでもなく、むしろちょっと手を貸す程度だったなんて話も聞きますが、その舛添曰く「介護はプロに任せましょう。家族は愛情を」だとか。まぁ、介護は大変でしょうからね。私なんか仕事と私生活の両立すら出来ていないわけで、その上で介護までやらなきゃならないと言われたら逃げ出したくなります。「プロに任せましょう」というのは、確かにもっともな意見です。

 じゃぁ、その分野の行政の長である舛添大臣の奨めるとおり「プロに任せる」人ばかりかというと、そうでもなさそうです。部分的に「プロ」の手を借りる人はいても、大半は家族が負担の大半を負っているのが介護の実状でしょう。どうしてでしょうか? プロに任せるなどもってのほか、介護は家族がやるもの、もっと言うなら「嫁がやるもの」という感覚でもあるのでしょうか。確かに、それがないとは言えません。そうした社会的圧力の存在は否定できないわけで、それへの抗弁としてみるなら「プロに任せましょう」との舛添発言は評価できます。

 ただ、「プロに任せましょう」と言われてもプロに任せられない場合もあるのではないでしょうか。誰でも望んだときに望んだだけ、介護の「プロ」に助けてもらえるのなら問題ないのですが、実際にそこまでの環境は整っていないわけです。「要介護度」の認定に応じた公的支援では到底、間に合わないケースだって多々あるでしょう。貧乏暇無し、自分で介護する時間もなければ他人を雇う金もない、周りからの援助も受けられない、そういう中でヤケを起こした人が新聞紙上を賑わすようなケースも多々あるわけです。現実問題として、誰もがプロに任せることが出来るわけではない、そういう状況の中で「プロに任せましょう」と行政の責任者が語るのはいささか他人事のような語りという感じもします。

 そもそも「プロ」とはいいながら、その「プロ」に支払われる報酬はどうなのでしょうか? そりゃ「プロ」と言ってもピンキリです。ボクシングの「プロ」のように、「それだけでは食べていけない、副業を持つ、あるいは本業の傍らにするのが当たり前」の世界もあります。それでも「プロ」と呼ぶからには、それに専従することで食べていける、家族を養っていけるだけの報酬が約束されているべきでしょう。しかるに介護業界は薄給で有名、志はあっても収入面の問題から別の職種に転向する人も出る始末です。プロと名指しておきながら、時間当りの報酬は家計補助的なパート労働並みというなら、口先だけのゴマカシもいいところでしょう。プロと呼ぶならボランティア精神抜きで従事できるだけの代価を用意すべきなのです。

 で、介護業界は人材不足が絶えず囁かれています。そりゃ、需要はあるでしょう。でも需要と供給の関係が商品の価格を決めるわけではないことを教えてくれるのが介護職です。供給が需要に追いついていないのに待遇がロクに改善されないのですから。しかるに待遇改善の代りに聞こえてくるのは、昨今の不況で生じた失業者を介護分野に「活用しよう」なんて声ばかりです(「プロ」と呼びながら、介護職志望者ですらなかった全くの門外漢を押し込めようというのはどうでしょうか、そんな誰でも務まるようなものでもないと思うのですが)。こういう現状で「プロに任せましょう」なんて言われても、無責任な発言でしかありませんよねぇ?

 

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