非国民通信

ノーモア・コイズミ

罰を下すよりも大事なことがあるはず

2011-08-02 23:03:48 | ニュース

強姦罪の被告に最高裁が逆転無罪 「犯罪の証明不十分」(朝日新聞)

 千葉市で2006年に女性(当時18)を強姦(ごうかん)したとして、強姦罪に問われた東京都内の配送業男性(53)の上告審で、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は25日、懲役4年の実刑とした一、二審判決を破棄し、無罪とする逆転判決を言い渡した。無罪判決が確定する。最高裁が「事実の誤り」を理由に無罪を言い渡すのは異例。

 男性と犯行を結びつける証拠が被害者の供述しかない事件だったが、第二小法廷は「被害者の供述が信用できるかの判断は、特に慎重に行う必要がある」との考え方を示した。別の小法廷が09年4月に、電車内の痴漢事件について示した判断と同様の内容で、性犯罪の捜査や裁判に与える影響は大きいとみられる。

 男性は06年12月27日午後7時過ぎ、千葉市内の歩道で女性に「ついてこないと殺すぞ」と声をかけ、近くのビルの階段踊り場で強姦したとして起訴された。男性側は「強姦ではなく、同意を得た性的行為だ」と無罪を主張していた。

 第二小法廷は、女性が声をかけられた場所は人通りもあり、近くに交番があったのに、助けを求めなかった点などを不自然と指摘。「一、二審判決は経験則に照らして不合理で、犯罪の証明が不十分だ」と結論づけた。

 4人の裁判官のうち、検察官出身の古田佑紀裁判官は「性犯罪は被害者が萎縮して抵抗できない場合も多く、一、二審判決は不合理とは言えない」と反対意見を述べた。

 さて、ちょっと前ですがこういう判決がありました。地裁と高裁の判決が最高裁で覆されるのは珍しくないイメージですけれど(とりわけ行政が相手の訴訟の場合!)、今回はかなり個人的な争点の裁判でもあります。報道によると一、二審判決は有罪だったのが最高裁で証明不十分との理由から無罪となったそうですが――

 古田佑紀裁判官が「性犯罪は被害者が萎縮して抵抗できない場合も多く、一、二審判決は不合理とは言えない」と反対意見を述べたことが伝えられています。一見すると、もっともらしく聞こえないこともありません。「性犯罪は被害者が萎縮して抵抗できない場合も多く」というのは、多分そうなのでしょう。ただ疑わしきは罰せずとの原則に立つなら、被告が100%クロでなければ有罪判決を下してはならないはずです。被害者が萎縮して抵抗できなかったことも十分に考えられますが、それは被告がシロである可能性を疑わせこそすれ、クロであることを証明するものではないように思います。「被告がシロとは考えられない」という理由から有罪の判決を下すとすれば、それこそ不合理と言うほかありません。往々にして検察は、疑わしい人間が身の潔白を証明できなければ有罪として扱うと批判されがちですけれど、検察官出身という古田裁判官の考え方はどれほどのものでしょう。

 引用元では痴漢事件についても言及されていますが、この痴漢行為もまた「疑わしきは罰する」的な処遇が頻繁に取り沙汰される分野です。痴漢だと訴えられた時点でアウト、もう走って逃げるしかない、クロである証拠はなくともシロと証明することが出来なければ犯人扱いされると、それこそ冤罪が題材の本が出たり映画が作られたりするレベルにもなっているわけです。で、面白いのは性犯罪関係ですと普段とは言っていることが正反対になる人が多いことでしょうか。いつもは冤罪を厭わず厳罰化を唱えているような人が痴漢の冤罪だけは問題視したり、あるいは逆に冤罪の問題を深刻視している人が痴漢や性犯罪に限っては被害者側の証言ばかりを重視して冤罪の可能性に関しては沈黙を守ったり等々。

 個人的な見解を述べるなら、やはり冤罪を産む事態は絶対に避けるべきであって、痴漢事例で顕著とされる被害者側の証言だけで犯人扱いしてしまうような運用には大いに問題があるように思います。じゃぁ被害者側は泣き寝入りかと、そんな反論もあるでしょうか。ただ私としては「犯人」を罰することと「被害者」を保護することは分けて捉えるべきものと考えます。被害を訴える人を救済するという面では緩く扱ってよい、すなわち被害者の証言だけでも十分なものとして扱っても構わないけれど、だからといって容疑者を犯人として認定するかどうかは別問題として処するべきです。

 まず「犯人を罰する」ばかりが「被害者を救済する」ことの絶対条件なのか、そこを問い直してほしいと思います。「犯人を罰する」ことに拘らずとも、「被害者を救済する」のは別に不可能なことではないでしょう。「被害者を救済する」という旗を掲げて、不十分な証拠でも「犯人を罰する」べく拳を振り上げる人も少なくないようですが、それがセットでなければならない必然性はないはずです。容疑者を徹底的に断罪することが被害者への支援なのか、そうではなく別個に動くことは可能ではないのか、その辺は再考の余地があるのではないでしょうか。

 とかく世論は、自らの懲罰勘定が満たされることを、それこそ自らが置かれた環境そのものの改善以上に望んでいるところがあるようにすら見えます。例えば北朝鮮との拉致問題では、もはや拉致被害者の帰国よりも北朝鮮への制裁措置の方が目的化しつつありますし(とりわけ救う会や家族会は)、あるいは原発事故後の対応でも、いかに東京電力に重い罰を下すかが競われるばかりで、住民への負の影響を最低限にするにはどうすべきかと言った観点は欠落しがちです。そして痴漢などの性犯罪や、各種刑事事件の裁判でも同様、加害者への罰にばかり重きが置かれて、実は被害者はほったらかし、それなのに厳罰を叫ぶことであたかも被害者に寄り添っているかのごとく振る舞われている、そんなフシはないでしょうか。むしろ「犯人」を罰することを二の次にしてこそ被害者重視と考えられても良さそうなところですけれど、罰を与えてやらなければ被害者が救われないと、そうやって罰の方を追求するのが当たり前になっているとしたら、何かが間違っています。

 

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関西電力も大変だな

2011-07-31 23:15:51 | ニュース

橋下知事「大阪市長選は関電との戦いになる」(読売新聞)

 11月27日投開票の大阪市長選に出馬する可能性に言及している大阪府の橋下徹知事は27日の記者会見で、「市役所だけではなくて、関西電力との戦いになる。既存の体制を変えようと思えば、死力を尽くす戦いにならざるを得ない」と述べた。

 市長選に合わせて辞職し、府知事選とのダブル選にする考えを改めて示し、「11月27日は既存の体制を転換する重大な日になる」と対決色を鮮明にした。

 橋下知事率いる大阪維新の会は両選挙への候補擁立を目指しており、知事は市長選について「候補者が見つからなければ僕が出る」と明言。維新の候補が勝利した場合、市が筆頭株主の関電に対し、「脱原発」を求める株主提案を行うことも表明している。

 さて、橋下曰く次の大阪市長選は「市役所だけではなくて、関西電力との戦いになる」そうです。前々から目の敵にされている役所だけではなく、とうとう電力会社までが「敵」として設定されるようになってしまいました。従業員個人としてはともかく流石に企業としての責任は免れられない東京電力ならいざ知らず、別に直近で目立った事故を起こしたわけでもなければ、むしろ脱原発ドミノという逆風の中でも懸命に頑張っている関西電力には応援されこそすれ敵視される謂われはないはず、にも関わらず「関西電力との戦いになる」などと一方的に宣戦布告されてしまう関西電力には心の底から同情するほかありません。

 橋下発言では関西電力と市役所が同列に並べられています。非難の仕方が同じ、という意味では自然な成り行きなのでしょうか。以前に、電力会社社員に向けられた非難の大半は公務員叩きの単語を入れ替えただけ、みたいなことを書いたものですが、公務員叩きで人気を得てきた知事が公務員と同じくらい社会的に嫌われるようになった電力会社の存在を見逃すはずがないわけです。とにかく嫌われ者を叩いておけば有権者のウケは悪くない、その結果がどうなろうとも因果関係など気にしないのが日本の政治風景でもあります。もし明日、あなたが世間の鼻つまみ者となったなら、あなたのことを最も口汚く罵った人がヒーローになるのです。

 実態を大きくかけ離れて、とんでもない高給取りという設定で話が進められるとか、あたかも原罪のように公務員であること/電力会社であること自体が咎められるとか色々ありますが、より顕著なのは「公務員/電力会社の業務と住民との関わりが無視されている」ところでしょうか。公務員なんて仕事をしていないとか、公務員なんていなくていいみたいなことは、それこそ自治体の首長クラスの口からも聞かされるものですけれど、実際に公務員が仕事をしなくなったり、いなくなってしまえばそれこそ街は大混乱に陥るわけです。その程度のことは少しでも政治に関心があれば理解できるはず、しかるに公務員の仕事も我々の社会を支える歯車の一つだということに敢えて目を背けながら、その価値を否定することで政治家が支持を集めてきました。これと似たようなことが、今度は公務員ではなく電力会社を対象にして行われ始めているのが現状であるように思います。

 本来なら電力会社と住民との関わりは、公務員のそれよりも意識されやすいもののはずです。健康で文化的とは言えないような生活水準であろうとも、やはり生活の中で電気を使う機会は多いもので、電力会社がしっかり仕事をしているかどうかで我々の生活は大きく左右されます。電力会社が何か重大なことをやらかしたとして、そこで厳しく責任を問うのは必然的なことではある一方、結果として電力会社が機能不全に陥ってしまうとなると、電力供給を受ける側にも深刻な影響が出てしまうわけです。どうにも「悪い奴」を罰することにばかり気が向いているかに見える時代ですけれど、もっと大事なのは住民の生活への負の影響を最小限に止めることではないでしょうか。電力会社にしっかり仕事をさせるよう行政が監視を強めるというのならいざ知らず、電力会社を攻撃した結果として電力供給を受ける側の住民や各々の職場までもが共倒れというのでは笑い話にもなりません。

 それでもやはり、有権者の生活環境を維持することより懲罰勘定を満たしてやることの方が、票には繋がるものなのでしょうか。少なくとも橋下は、そう考えているようですから。概ね日本の電力会社が最重視してきたのは電力供給の安定のようで、料金は高めで防災対策にも疑問符が付く一方で停電の少なさだけは世界に誇れる水準でもありました。この厳しい状況下でも各電力会社は電力供給が途絶えることのないよう奔走しているわけですが、そこに行政が介入することで足を引っ張っているのも現状です。行政が足を引っ張った結果として電力供給に不足が生じれば、その結果を押しつけられるのは住民であり、現に今でも健常者目線で押しつけられる節制や深夜操業へのシフトなど就業環境の悪化が随所に見られます。こういう事態を屁とも思わないが故に橋下は躊躇うことなく懲罰勘定を満たしてやることの方を選ぶのでしょうけれど、その「結果」を負わされているのは住民であることに有権者は自覚的であるべきです。でも怒りの矛先は行政ではなく電力会社に向けられることで、何となく完結してしまうものなのでしょう。福祉が削減され行政サービスが滞って住民の生活に不便が生じようとも公務員叩きが止まることがないのと同じことが、電力会社を前にしても繰り返されようとしています。せめて、これが大阪(もしくは橋下)と関西電力の間に限ったことであってくれればいいのですが。

 

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それが優生思想なんです

2011-07-27 23:25:55 | ニュース

妊娠中絶、20年で6倍に 超音波検査の精度向上で(共同通信)

 胎児が順調に育っているかを調べる妊婦の超音波検査(エコー)の精度が向上した影響で、2000年代後半の人工妊娠中絶の推定件数は、1980年代後半の6倍超になったとの調査結果を日本産婦人科医会が23日までにまとめた。

 妊娠初期に胎児の異常が見つかり、中絶を選ぶ例が増えたとみられる。

 調査をまとめた平原史樹横浜市立大教授(産婦人科)によると、異常の種類や状態により新生児の障害の程度は異なる。平原教授は「どれぐらい深刻なのか、医師の説明が不十分で妊婦もちゃんと理解しないまま、中絶したケースが少なくないとみられる」と指摘している。

 なんだか色々と注意が必要な記事を見つけました。他紙でも概ね似たような見出しを掲げているところが多く、その伝えるところに依ると人工妊娠中絶件数が20年で6倍になったのだとか。 ……あれ? どこかで妊娠中絶件数が過去最低を記録したなんてニュースも見た記憶がある、というかそれについてエントリを書いた記憶もあるのですが、本当に20年で6倍なのでしょうか。気になったので、厚労省の統計を調べてみました。それによると2009年度は221,980人です。20年前に1989年の場合は466,876人でした。なぜこれが6倍? 6割減の間違いじゃなくて?

 もしかして、調査結果をまとめた日本産婦人科医会とはECRRみたいに公的機関が出している統計と全く矛盾する独自データを出しては自分たちこそが真実を語っているのだと主張して回るようなヤバイ団体なのではないかとか、マトモに論文を出したこともなく学会では相手にされない異端というより窓際の研究者が発表したデータなのではないかとか、まぁ色々な可能性が頭をよぎりました。ともあれ公のデータと明らかに異なる数値が掲げられているわけです。こうした従来の見解とは異なる「新事実」を掲載する以上、メディアには従来の統計から得られた数値を併記するとか、なぜ今までの認識とは大幅に異なる数値が出てきたのか、その辺をも説明する責任があるように思います。


出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増(読売新聞)

 胎児の染色体異常などを調べる「出生前診断」で、2009年までの10年間、胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケースが前の10年間に比べ倍増していることが、日本産婦人科医会の調査でわかった。

 妊婦健診の際に行われるエコー(超音波)検査で近年、中絶が可能な妊娠初期でも異常がわかるためとみられる。技術の進歩で妊婦が重大な選択を迫られている実態が浮き彫りになった。

 調査によると、染色体異常の一つであるダウン症や、胎児のおなかや胸に水がたまる胎児水腫などを理由に中絶したと推定されるのは、2000~09年に1万1706件。1990~99年(5381件)と比べると2・2倍に増えた。

 調査は横浜市大国際先天異常モニタリングセンター(センター長=平原史樹・同大教授)がまとめた。

 全国約330の 分娩 (ぶんべん) 施設が対象で、毎年100万件を超える全出産数の1割をカバーする。回答率は年によって25~40%程度だが、調査では回答率が100%だったとして「中絶数」を補正した。

 人工妊娠中絶について定めた母体保護法は、中絶が可能な条件に「胎児の異常」は認めていない。だが「母体の健康を害する恐れがある」との中絶を認める条件に当たると拡大解釈されているのが実情だ。平原教授は「ダウン症など染色体異常の増加は妊婦の高年齢化も一因だ」と話す。

 調査結果は22日から都内で開かれる日本先天異常学会学術集会で発表される。

 玉井邦夫・日本ダウン症協会理事長の話「個々の選択がどうだったかわからないが、エコー検査が、ダウン症児は生まれてこない方が良いという判断を助長していると考えられる」

 さて、こちらは同じ調査を元にしているであろう読売新聞の報道です。全体としての人工妊娠中絶件数が一貫して減少を続けている中で、何が増加しているのかというと「胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケース」が該当するようです。おそらく共同通信他が報じる「20年で6倍」という数値も同様のものと推測されます。単純に妊娠中絶そのものが急増しているのか、それとも中絶件数が減る中で「胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケース」が倍増しているのか、両者の意味するところは大きく異なるはずですが、共同通信は肝心な部分を調べずに記事を表に出しているのでしょう。公式ツィッターの件といい、チェックの甘い報道機関もあったものです。

 共同の記事は大いにミスリーディングを誘うものですが、「どれぐらい深刻なのか、医師の説明が不十分で妊婦もちゃんと理解しないまま、中絶したケースが少なくないとみられる」との指摘は重要です。この辺は放射「能」問題でも同様ですが、どれぐらい深刻なのか理解しないまま拙速な判断を下してしまった人も多いのではないでしょうか。説明する側の力不足もありますし、妊婦なり母親なりの不安を外部から焚きつける人もいるのかも知れません。ただ最終的な判断が本人に委ねられるにせよ、それは適切な知見に基づいて行われるべきですよね。

 加えて日本ダウン症協会の理事長は「個々の選択がどうだったかわからないが、エコー検査が、ダウン症児は生まれてこない方が良いという判断を助長していると考えられる」と述べたと伝えられています。アメリカですと妊娠中絶の問題は(女性の)選択する権利を重んじるか宗教的価値観を重視するかで分かれるようですけれど、日本の場合は優生思想の観点から割と中絶には寛容でもありました。やがて優生保護法は母体保護法と名前を変え中絶件数は減少を続けてきたわけですが、その根底にある発想は絶えてはおらず、それが再燃しようとしているところもあるのかも知れません。

 原発事故後の電力不足の中で、とかく「今までが便利すぎた/明るすぎたのだ」「我慢すればいい」みたいなことが左右双方から頻繁に語られるようになりました。しかるに、こうした言葉が常に健常者の目線で発せられていることには注意が払われてしかるべきでしょう。加えて「奇形児が増える」みたいなことを言い出す人もいるわけです。広島と長崎の妊娠例を調査した限り、重い先天性の障害が出る確率は他地域の妊娠例と変わらなかったようですが、それでも「奇形児が増える」とまことしやかに語って憚らない人がいます。放射線の影響とは無関係に障害を持って生まれてくる子供はいるものですけれど、その辺が「放射能のせいだ」と後付けで解釈されることも今後は出てくると考えられます。

 随所で勝手に盛り上がっている反原発デモでも、やれ奇形児が増える、奇形が産まれると主張し、挙げ句の果てには「奇形児」のコスプレを呼びかけた人もいたそうですが(これは流石に顰蹙を買ったとのこと)、これこそ障害を持って生まれた人への明確な差別であり、紛れもない優性思想の発露でもあります。こういう傾向は福島の事故に限らず反原発論にはつきまとうもので、チェルノブイリで事故があった際にも頻繁に見られたようですが、それが今も尚繰り返されていると言えるのではないでしょうか。原発事故の影響で障害児が増えると宣う人が群れをなし、それを真に受ける人も増えるばかりだとすれば、これから優生思想を「実践」する人もまた増加していくことが懸念されます。ダウン症児は生まれてこない方が良い、障害者は産まれてこない方が良い、と……

 

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新聞は、みな同じではないようです

2011-07-25 23:12:33 | ニュース

47NEWS公式ツイッター炎上「原発廃止唱えない人間おかしいニャ」(産経新聞)

 ■「死刑は世界に誇る極刑」

 共同通信社と加盟する地方紙などが立ち上げたインターネットサイト「47NEWS」の運営スタッフが、編集部の公式ツイッターで「ストレステストについてガタガタ文句たれる奴は日本放射線汚染化推奨派認定にゃ」などと不適切な書き込みを行い、ネット上で批判が集中、22日に閉鎖したことが分かった。47NEWSを運営する「全国新聞ネット」によると、ツイッターは同サイトの公式マスコット「てくにゃん」がニュースを紹介するとの設定で6月25日に開設。「子どもの尿からセシウム」の記事では「原発廃止を唱えない人間は頭おかしい認定ニャ」、市橋達也被告の公判記事では「やはり死刑は世界に誇れる極刑ニャーッ」などと書き込んだ。

 同社の今井克社長は「契約スタッフが個人的見解を書き込んだ。管理が行き届かなかった」と釈明。スタッフを厳重注意したという。

 さて共同通信他の編集部公式ツィッターで色々と問題発言があって、結局は閉鎖となったそうです。既に閉鎖済ではありますが、その内容は何だったのでしょうか。「ストレステストについてガタガタ文句たれる奴は日本放射線汚染化推奨派認定にゃ」等々と記事では伝えられていますけれど、まぁ色々とツッコミどころはありますかね。そもそもストレステストについて文句を言われているのではなく場当たり的な対応で現場を振り回し西日本にまで電力不足を広げている辺りが問題視されているのではないかとか、これでストレステスト「合格」となった日には今度は別の人がガタガタ文句垂れるんじゃないのかとか……

 他には「原発廃止を唱えない人間は頭おかしい認定ニャ」「やはり死刑は世界に誇れる極刑ニャーッ」などとも宣ったと伝えられています。これだけ見ると、むしろ昨今の(脱原発にあらざれば人にあらず的な)ネット世論を戯画化した皮肉にも見えてきますが、何ら疑問に思うでもなく共感してしまう人も少なくないのでしょうか。まぁ、最終的には不適切な書き込みとして閉鎖に至ったと言うことで最低限の「歯止め」は失われていないものと思いたいです。


47NEWSのツイッター炎上、閉鎖(朝日新聞)

 共同通信社と加盟地方紙が運営するウェブサイト「47NEWS」編集担当の契約スタッフが、ツイッターの公式アカウントで「無期懲役とは事実上の無罪放免」などと書き込み、ネット上で批判が相次いだ。公式アカウントは22日夜に閉鎖された。

 このアカウントは47NEWSの公式マスコット「てくにゃん」がニュースを紹介する形で、6月25日に開設されていた。

 共同通信を含めた大手各紙がこの問題を報じる中、web公開分で見る限り最も扱いが小さかったのは朝日新聞のようです。朝日の記事は割と長めに枠を採ってあるイメージですが、今回の問題は朝日新聞的には重要度が低いのかも知れません。そして扱いの大きさもさることながら、不適切な書き込みとして例示したものが全く異なっている点も興味深いところです。新聞は、みな同じではありませんということですね。挙げられているのは「無期懲役とは事実上の無罪放免」との書き込みですけれど、他の「原発廃止を唱えない人間は頭おかしい」みたいな発言は朝日新聞的にはどうなのでしょう?

 「無期懲役とは事実上の無罪放免」というのは謂わばネット上の都市伝説のようなもので、実際のところ無期懲役から釈放されるまでには30年以上を要する場合が大半で実質的に終身刑と化しているわけでもあります。その辺の実態すら理解できていない人が契約スタッフという中途半端な立場でありながらも大手通信社の編集に携わっているという辺り、例によってコミュニケーション能力最優先で採用されたのだろうなとか色々思わせられるところがないでもありません。まぁ、世間の偏見や思い込みからかけ離れた記事を連発しては、「お客様」から嫌われてしまいますからね。むしろネット上の言論を鵜呑みにしている人ぐらいの方が客を呼べる記者としての資質があるのかも知れません。

 ちょっと大きな会社、名の知れた会社であればどこも情報セキュリティ云々と煩くて、ネットの閲覧はともかくネットへの書き込みは厳に禁止されているところが多い(会社のアドレスからの書き込みとわかれば、個人の書き込みでも会社の見解として扱われますから)印象がありましたけれど、共同通信は随分と緩いのでしょうか。ましてやマスコミの端くれである以上、校正を経ない記事を外部に出すなんて普通は考えられない気がするのですが、そんなことはなかったようです。

 そう言えば産経新聞でも公式ツィッターで「産経新聞が初めて下野なう」と、下野=栃木県への溢れる思いを吐露しつつ「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。」などと意味不明の供述を続けて話題となり、後に軽率な発言だったと謝罪するなんてことがありました(真面目に言えば、与党に厳しくあろうとする態度は正しいです。それまで与党気分だったことの方が問題)。あの辺もやはり、個人が独断でやったことだったのでしょうか。報道機関でありながら、誰でも勝手なことを公式に発信できる状態になっているというのは脇が甘いどころの話ではありませんよね。まぁ、やはり流行には乗っておけということで、古くからある掲示板なんかへの書き込みは禁じる一方で、ツィッターみたいに流行の兆しがあるものなら社員に積極的な利用を促すみたいな、そういう調子の良さもあるのでしょう。

 

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ロック魂の欠片もない

2011-07-23 23:29:16 | ニュース

制服向上委員会がフジロック出演取りやめ、脱原発ソングが原因とブログで明かす(RBB TODAY)

 フジロックフェスティバル(7月29~31日)に出演予定だったアイドルグループの制服向上委員会だが、その出演が急遽取りやめになったことが明らかになった。彼女たちの出す脱原発ソングにクレームが入ったとしている。

  制服向上委員会のブログによれば、出演とりやめの理由は「フジロックのスポンサーのひとつである大手企業の反対により、『ステージ上で脱原発の歌は歌えない』との事で、出演出来なくなってしまいました」としている。
 
 同グループは「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を8月15日にリリースすることが決定しており、オンライン先行予約も開始している。フジロック出演取り止めを受け、7月30日には「世界から原発なくそうコンサート」に出演決定、翌31日には原発反対パレードに参加の予定だという。
 
 この件に関してはTwitterのトレンドにも入るなど、話題が拡散中。圧力説の真偽から反対した企業を明らかにせよなど関心も高く、今後も波紋を呼びそうだ。
 


ファンは怒り爆発!フジロックの精神と矛盾!? 結局は話題作りか?制服向上委員会が謝罪文(シネマトゥデイ)

 脱原発ソングにクレームが入ったことにより、7月29日から31日に行われるフジロックフェスティバルの出演がとりやめになったことを明かし、騒動となっていたアイドルグループの制服向上委員会が、22日、公式ブログで謝罪文を掲載した。

「フジロック関係者並びに支持される多くの方へ」と題されて掲載された謝罪文には、「制服向上委員会」の“フジロック飛入り出演”から“出演中止”発表の経緯にふれ、「関係者へのご迷惑とファンの方へ不快感を与えた事について、深くお詫び申し上げます」と関係者やファンへの謝罪が綴られた。また、「出演に際しご尽力頂いた関係者へは感謝すると共に、意思の疎通を図り、いつの日か実現される事を期待しております」と掲載された文中には、「スポンサーからのクレームにより出演取りやめ」というコメントへの言及は避けられていた。

 事の発端は、20日にアップされた「フジロックのスポンサーのひとつである大手企業の反対により、ステージ場で脱原発の歌は歌えない」とのことで出演できなくなってしまいました」という制服向上委員会のブログ。一方、フジロックフェスティバルは、80年代から継承される反核・脱原発イベント「アトミック・カフェ」に、NGOヴィレッジ・AVALONステージを提供。脱原発・自然エネルギーシフトを訴える映画『ミツバチの羽音と地球の回転』の鎌仲ひとみ監督をトークゲストに招くなど、反核・脱原発に賛同したイベントを企画するなど、原発問題と真摯に向き合う姿勢をみせてきた。制服向上委員会が出演できなくなってしまったというステージには、反原発ソングで話題を呼んだ斉藤和義も参加が決定しているなど、制服向上委員会側の言い分にはあまりに矛盾点が多く、真偽を疑う声がネット上で広がっていた。

 フジロックフェスティバルは、音楽を愛するたくさんのファンに支えられ、成り立ってきた人気野外イベント。「スポンサーによる圧力は、本当にあったのか?」事実関係に関する核心にふれず、お茶を濁すような謝罪文に、フジロックのファンからは怒りの声が上がっている。

 なにやら引用が長くなってしまいましたが、要するに制服向上委員会(以下、制向委)なるアイドルグループが「脱原発の歌はダメだとスポンサーの圧力で出演が取りやめになった」と自称したわけです。山本太郎の二番煎じみたいな胡散臭さを感じるところですが、引用元でも触れられているように原発事故以前から脱原発色が強い催しであり、反原発を叫ぶ人の出演も決定しているなど、歌詞が脱原発だからという理由で出演を阻まれる可能性は非常に考えにくく、当初から疑いの目を向ける人も少なからずいたようです。そして約48時間後には、どうにも茶を濁すかのような「謝罪文」が掲載されることとなりました。

参考、制服向上委員会の「フジロック狂言」始末 - 絵文録ことのは

 制向委の主張の疑わしさに関しては上記リンク先が詳しく当ブログで新たに付け加えることは多くありませんので、ここではなぜ制向委が今回のような狂言に走ったかを考えてみたいと思います。一つには、飛躍的にメディアへの登場機会を増やした山本太郎の「成功」を目の当たりにしてのことなのかも知れません。反原発は票になると多くの政党や政治家が判断し、現役の首相も脱原発を口にする時代でもあります、反原発を掲げる芸能人が続々と現れる中、アイドルとしてファン層を広げるにはこの流行に乗り遅れるわけにはいかない、そう事務所サイドが判断したとしても不思議に思うところは何もないでしょう。ただ人気商売の人々が挙って脱原発を語る中で、単に脱原発を歌詞に織り込むだけでは埋没してしまうわけです。脱原発が理由で干されたみたいな、並み居るライバルに差を付けるための+αとなるべきエピソードも必要だというのが事務所側の思惑であったろうと推測されます。

 ただマネージャーと思い込みの激しい芸人1人の間であれば秘密の企ても露見することはないのかも知れませんが、九州電力よろしく規模が大きくなるほど、どこかしら話は外に漏れていくものです。それなりに入れ替わりもある制向委のメンバーや事務所の下っ端の口を完全に塞いでおくのは難しいでしょう。真相を闇の中に放り込んでおける自信がなくなった途端に、どこぞやの週刊誌にすっぱ抜かれるのに先んじて「謝罪文」を掲載して事態の収束を計ったというのが実態なのではないかという気がします。ともあれ何かに迫害されたとアピールすることで逆に支持を集めようとする手法は、まぁカルトそのままですね。学会からは相手にされない市民団体や助教の類が、権威筋に認められないことを逆手にとって「我こそは真実なり」とでも言わんばかりの振る舞いを続けていますけれど、そういう売り込みにこそ注意が必要でしょう。

 アメリカのロックスター、マリリン・マンソンは聖書を破り捨ててみせるなどのパフォーマンスでも知られていますが、それが価値を持つのはアメリカが先進国中では異例のキリスト教原理主義が闊歩する国でもあるからです。その国、その時代に優勢であるものに対して挑戦的に振る舞うからこそパフォーマンスとして評価に値するわけで、例えばイランでコーランを破り捨てるのと9.11直後のアメリカ国内でコーランを破り捨てるのとでは全く意味が違います。ですから原発事故以前に脱原発ソングというのなら理解できないところもないのですが、今となってはどれほどのものでしょうか。脱原発と現役の首相や人気抜群の某府知事、芸能界の大先輩達の語ることに追従したところで、せいぜい「いいこぶりっこ」の域を出ないとすら言えます。

 せっかくですから節電ムードで明かりの消えた街を唄ってみるとか、いつも健常者目線で語られる「過剰な明るさ」や「今までが便利すぎたのだ」云々を障害者目線で唄ってみるとかすれば、今どき奇特な骨のあるアーティストと評価したいところですが、人気商売の人たちに期待するのはなかなか難しそうです。せめて流行を追いかけるにしても、金メダルを噛み砕いてみせるとかすればロック魂の一つもアピールできそうなものなのですけれど、それをやらないからこそのアイドルなのでしょうね。まぁ、今回の件は早くに露見して良かったと思います。とかくアメリカなり官僚なり、あるいは日教組だったり電力会社だったり、何かが裏で支配しているとばかりの陰謀論的世界観が幅を利かせ、原発事故後にはすっかり批判精神が鈍磨したかに見える我々の社会ですけれど、流石にこんな見え見えの狂言が信じられるようなことがなかったことは明るい材料と考えたいです。

 

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Smoke on the Government

2011-07-19 23:12:52 | ニュース

日本はなかなか禁煙できず 放射線対策をしながらJT株を保有する政府(フィナンシャル・タイムズ)

福島第一原発の事故による放射線の危険から市民を守ろうと苦労している日本において、政府が、発がん性のあるたばこで収益を増やそうとしているのは、一見すると奇妙に思えるかもしれない。

しかしこれは実は、それほど荒唐無稽な話ではない。日本たばこ産業(JT)はフィリップス・モリス・インターナショナルとブリティッシュ・アメリカン・タバコに続いて売り上げ世界3位の上場たばこ会社だが、日本の財務省はJT株の50%超を保有しているので、すでにけっこうな利益を上げているのだ。

昨年度だけでJTは配当金300億円以上を財務省に支払っている。これは主に国内の喫煙者にたばこ1350億本を売った利益によるものだ。たばこのかぐわしい香りは、がん発生のリスク上昇という代償とセットなのだが。

(中略)

そしてその結果、日本政府に倫理的な矛盾が生じ、組織として目指すものが衝突する状態が生まれてしまったのだ。政府は、福島第一原発から漏出する発がん性のある放射線による被ばくリスクを最小限に留めようと、巨額の費用を使っている。その同じ政府が一方では、同じ国民に「発がんスティック」を売りつけた利益でもうけているのだから。

さらに、たばこそのものに放射性鉛や放射性ポロニウムといった放射性物質が含まれているし、米環境保護庁はこうした放射性物質が「喫煙者の肺に非常に高い濃度で蓄積することもある」と指摘しているのは、実に皮肉なことだ。

(中略)

政府がJT株を保有する根拠のひとつに、日本国内で生産されるたばこ葉をJTが全て買い取らなくてはならないという取り決めがある。これはかつてたばこ農家が市場開放に反対した名残だ。しかし日本国内に残るたばこ農家は1万戸しかないし、そんなに小さな利益集団に平伏していたのでは、是非とも必要な農業改革の妨げとなる。

 癌のリスクを基準にすると、常習的な喫煙は年間2000ミリシーベルトの被曝量に相当するそうです(受動喫煙の場合は100ミリシーベルト相当、ちなみに話題の「汚染牛」を毎日200g欠かさず食べ続けた場合の被曝量は約4ミリシーベルトです)。4月には福島で煙草の作付けが見合わせられることになったと聞いたものですが、煙草が元から抱えている癌リスクを考えれば意味はあるのか、「安全で健康に影響のない煙草」でも目指しているのかと苦笑したことを思い出します。癌リスクが年間2000ミリシーベルトから2100ミリシーベルト相当に変わっても大した差にはならない、それ以前に健康を気にするなら煙草を止めたらと言う話になるわけです。まさか煙草に起因する癌は良い癌、放射「能」に由来する(と、本人が信じている)癌は悪い癌だということもないでしょうに。まぁ、蒟蒻ゼリーは規制されてもモチは規制されないもの、危険の度合いよりも普及の度合いの方が世間では重視されるもののようです。

 そう言えば福島第一原発の作業現場で、防護マスクを外して煙草を吸っていた作業員の存在が話題になりました。例によって大元の管理責任者たる東京電力に非難が殺到したのはさておき、他人に煙草を吸わせないようにするのは本当に大変ですよね。私の勤務先でも「協力会社」として作業員を工事発注元(残念ながら東京電力ではありません)に送り込んだりするのですが、禁煙区域なのに作業員が隠れて煙草を吸っていたと工事発注元からクレームと是正勧告が飛んでくることは頻繁にあります。仕事を終えて家に帰るまで我慢したらどうかと思わないでもないのですが、非喫煙者には理解の出来ない世界があるのでしょう。何を言っても煙草を吸う人は吸うのだと諦めるほかありません。大麻の中毒性は煙草以下なんて話もありますけれど、むしろ煙草の中毒性は大麻以上、と逆の視点から考えた方がいいような気がしてきます。


タスポ利用中高生、大幅増 喫煙防止効果薄れる(朝日新聞)

 たばこ自動販売機の成人識別カード「タスポ(taspo)」が未成年者の喫煙を防ぐ効果が薄れているらしいことが、厚生労働省研究班(代表者=大井田隆・日本大学教授)の調査でわかった。たばこを毎日吸っている中高生の使用経験が6割を超え、2年前の4割より増加していた。

 昨年10月~今年2月、全国の中高生約10万人から回答があった研究班のアンケートによると、毎日たばこを吸っているという1612人の63%が「タスポを使ったことがある」と答えた。2008年調査では42%で、大きく増えていた。

 月に1日でも吸ったことがあるという3852人でみても、今回は46%と、前回の29%より増加した。


たばこ値上げの意外な効用…中高生の2割やめた(読売新聞)

 中高生の喫煙経験者のうち、昨年10月1日のたばこ値上げ以降に禁煙した生徒は約2割に上ることが、厚生労働省の研究班(代表者=大井田隆・日本大学教授)の全国調査でわかった。

 調査は昨年10月から今年3月にかけて、全国244校の中学、高校を無作為に選んで実施。170校約9万9000人から回答を得た。

 その結果、2854人が値上げ後も喫煙を続ける一方、656人が禁煙したと回答した。禁煙した生徒の約4割がその理由として、「お金の節約・たばこの値段が高い」と答えた。

 また、毎日喫煙する生徒の63%、月1回喫煙する生徒の46%が、未成年の喫煙防止を目的として2008年に導入されたカード「タスポ」を使って、たばこを購入していることも判明した。大井田教授は「自動販売機の撤去とさらなる値上げが、中高生の喫煙防止に効果的だ」と話している。

 さて、同じ調査を元にしているにも関わらず、朝日と読売で随分と印象の異なる報道がなされています。どっちも嘘は吐いていないのでしょうけれど、ピックアップする部分が違うのですね。両方の記事を並べて読めば全貌をつかむのに丁度良いのかも知れません。ただし、読売の本文ではなく見出しの方には流石に首を傾げるところで、「たばこ値上げの意外な効用…中高生の2割やめた」とありますが、私なんかは「値上げにも関わらず喫煙を続ける中高生が8割」と読めてしまいます。取りあえず理解できるのは、成人識別カード(タスポ)を導入すれば未成年が煙草を買えなくなるかと言えばさに非ず、タスポを使って煙草を買う中高生が大幅に増えていること、そして2854人が値上げ後も喫煙を続けると回答したのに対し、禁煙したと回答したのは656人に止まるということです。

 やはり正直に喫煙を申告した中高生は少ないのか、9万9000人から回答を得たにも関わらず、「月に1日でも吸ったことがあるという3852人」とか、「2854人が値上げ後も喫煙を続ける」「656人が禁煙」等々、喫煙者として回答した生徒の数は全体の5%にも満たず、相当な暗数が存在するであろうことが考えられます。実は煙草を吸っているけれど、調査には「吸っていない」と回答した人が何万人もいることでしょう。ただ、その辺を差し引いても窺われるのは、中高生の少ない小遣いの中でも喫煙を続けようとする中毒度合いの高さでもあります。

 なお読売の報道によると2854人が値上げ後も喫煙を続け、656人が禁煙、うち4割が理由として「お金の節約・たばこの値段が高い」と回答していることになります。項目的に果たして値上がりの効果なのか、値上がりがなくとも別の理由でお金の節約が必要になっただけではないか、と訝しく思えるところがないでもありません。それに656人の4割に当たる262人を、2854+656の3510人で割り算すると、僅かに7%にしかならないわけで、値上がりを理由に煙草を止める中高生というのは、2割どころかほとんどいないとすら考えられます。たばこ税の引き上げが企図されると決まって「煙草が値上がりすると喫煙する人が減るので税収増には結びつかない」と主張する人が少なくありませんけれど、結局のところ値段が上がったくらいで煙草は止められないもののようです。

 まぁ個人の嗜好にはとやかく干渉するつもりもありませんので他人が煙草を吸うのは勝手ですが、人前で煙を吐き出すのは止めろよと感じるところもあります。煙は全部、吸いこんでこそマナーでしょうね。それから火の点いた方を他人に向けるのもマナーが良くないので止めた方がいいでしょう。ともあれ、たばこ税は引き上げれば引き上げた分だけ税収増が見込めるであろう美味しい税でもありますが、フィナンシャルタイムズに皮肉を言われているように政府がそれで儲けてしまうのはどうなのかとか、どうあっても煙草を止められない人々から金を取るのは、ある意味で依存症のジャンキーにクスリを売りつけて儲けるのに似ているのではないかという気がしないでもありません。本人の嗜好の範囲を超えて、そろそろ治療が必要な頃合いなのではないかと思えてくるところです。

 

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煽りや脅しは、深刻な害をもたらします

2011-07-15 23:16:56 | ニュース

「過剰反応」の声の中、もっと遠くへ…何が親を動かしたのか(産経新聞)

  ところが、事故はなかなか収束しない。インターネット上とテレビで報じられる“情報の差”にも不信感が募った。

 例えば、都内で放射線量数値を公表している個人サイトでは3月15日以降、数値が急上昇。しかしテレビなどでは報じられず、「経済活動を停滞させないため、政府は『安全だ』と言わざるを得ないんだろう」と感じ、「自分の身は自分で守らなければ」と、自主避難を決めた。夫も「旅行気分で避難すれば」と賛同したことから行き先を検討し、友人が住む石垣市内に行くことにした。石垣島は原発から約2千キロ。安全と安心のため貯蓄を取り崩し、両親からも援助を受けた。

 「夫がいないのは寂しい。子供も父親がいないので精神的に安定していない。でも、子供の健康が大事。二重生活で月10万円から15万円ほどかかるが、1年は暮らすつもり」

(中略)

 石垣市では、民宿やゲストハウスのほか、「テントで生活をしている母子もいる」という話が広がった。このため、7月3日に市役所と住民が協力して被災者・避難者を支援するネットワーク「ちむぐくる」が誕生した。同市によると、把握できただけで6月末現在、東京、神奈川、千葉など首都圏から10世帯19人が自主避難。また、180人が参加した「ちむぐくる」の交流パーティーには首都圏から避難した親子30人が参加した。

 本人は大真面目なのでしょうけれど、こういう事例を聞かされると不謹慎は承知で失笑せざるを得ないところがあります。例えばあの地下鉄サリン事件が起こってからしばらくの間、オウム真理教は単に糾弾の対象であるだけではなく、日本中に笑いのネタを提供する存在でもありました。何かを盲目的に信じている人々の取る行動は、その信仰の「外」にいる人間にとっては少なからず滑稽なものなのでしょう。冒頭で挙げた例によると「都内で放射線量数値を公表している個人サイト」の情報を信じて、はるばる一家離散で沖縄まで飛んできた人がいるようです。私なんかは母親のヒステリーに振り回される子供のことを心配すべきではないかと思えるところすらありますが、飛行機に乗れば当然ながら被曝しますので、放射線はどんなに微量でも危険なのだという流行りの主張を鑑みて、ちゃんと移動には飛行機ではなく船を使ったかを心配した方が世間のウケは悪くないでしょうか。

 まぁ色々と不安を煽る人も多いだけに、謂わば福島在住者は世論やメディアによって絶えず脅しをかけられているようなものです。そこでパニックに陥る人が出てしまうのは、一概には責められないものなのかも知れません。でも、そうした煽り報道によって冒頭の記事で紹介されたような福島の母親が「騙された」というよりは、やはり主体的にヨタの方を「信じた」のだと言わざるを得ないところもあります。そもそも個人サイトなんて「そういう考えもあるか」ぐらいに見ておくべきものであって、間違っても真に受けるべきではないでしょう。「ネットで真実」よろしく専門家の説明ではなくネット上で流布される真偽不明の情報を探してきては鵜呑みにするのは、それこそカルトに嵌るのと大差ないように思います。で、周りの人が何を言っても聞く耳を持たなくなる、自分が選んだ情報を唯一無二の「真実」として信奉してしまうわけです。ネットや週刊誌の情報に踊らされるのも個人の趣味に止まる範囲なら勝手にしろとしか言えませんが、これに周りが巻き込まれるとなると困りますよね、例えば子供までもが付き合わされたりとか。

 さらに報道によると、石垣島には「東京、神奈川、千葉など首都圏から10世帯19人が自主避難」、「交流パーティーには首都圏から避難した親子30人が参加した」そうです。これが多いのか少ないのかは判断を保留しますが、首都圏から避難とは、まさしく「サバイバルごっこ」とでも呼ぶほかありません。どこぞやの「教祖様」に入れ知恵でもされたのでしょうか。本人は危機を本気で信じているのかも知れませんが、それはその人の頭の中の出来事でしかないわけです。北朝鮮の粗大ゴミ発射実験の際には日本各地で「防衛」のためミサイルが配備されたりして、それを見物しに人が殺到したなんてこともありましたけれど、これと似たような、ある種の高揚感が避難者を突き動かしているような気がします。本当は何も身に迫ってはいないのに自ら危機意識を膨らませ、嬉々に立ち向かう自分というシチュエーションで躁状態になっているのが実際のところではないかと。福島の人がパニックになるのは同情できますが、東京近辺の人にはねぇ……


放射能研究センター/放射能から子供を守る勉強会

~子どもたちの健やかな未来を創るために~

幼い子ほど、体に入った放射能で、ガンや白血病の進行は早まります。 チェルノブイリ周辺では、事故の5~10年後に、小児甲状腺ガンの発症が約100倍になりました。大人でも5倍以上です。
 
5月26日の「特ダネ」(フジテレビ)で「放射能から子どもたちを守れ!」の特集が組まれたように、多くの方が「何かおかしい」と気付いており、実際には東京も大量に汚染されています。
 
勉強会では、今回の原発事故に関する正確な知識を伝えます。 子供たちや仲間を守るために、チェルノブイリでも用いられた、体内に累積する『放射能』を除去できる、最新テクノロジーもご紹介します。 輝ける未来のためにも、ぜひ、この勉強会にご参加してみてください。 放射能の真実についてが、わかります。 次世代のことを真剣に考えている方、特にお子さんをお持ちの方は、必聴です!!
 
放射能の影響で起こる主要な症状

•鼻水が止まらない
 •だるい
 •吐き気
 •下痢
 • 胃の調子が悪い
 •鼻血が出る
 •頸筋や背中のあたりが重い
 •頭痛
 •おでき
 •今年から「花粉症」になった
 
日本に住んでいる全ての方に関係ある内容です。ぜひご来場ください。

 さて、こんな催しもあったようです。こういう文脈の中で持ち出された辺りを差し引いても流石に怪しいと感じる人が多いと思いたいですが、いかがなものでしょうか。だいたいにおいて放射線とか放射性物質ではなく放射「能」という言葉を持ち出している論者や団体は、ほぼ確実に非科学的なトンデモの類ですから相手にしない方が良いです。実際、この「放射能研究センター」がどういう団体かはリンク先に掲載されている連絡先の電話番号で検索してみれば明らかだったりするのですけれど、まぁ似たようなメッセージを発信している人は他にいくらでもいるのですから手に負えません。

 バーナム効果と呼ばれる代物があります。実は誰にでも該当する曖昧で漠然とした説明を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象ですね。典型的な例が血液型占いで、「あなたはこういう性格です」と、もっともらしいことを言われると何となく当たっているような気になってしまうわけです。これと似たトリックが「放射能」の影響を喧伝するのに使われているフシはないでしょうか。ちょっとした体の不調は誰にでも起こりうるものですし、今まで健康だった人でも被災地に近ければ震災によって相応のストレスを受けて体調を崩す人も多いはず、それは至って自然な変化なのですけれど、この手の変化を「放射能の影響です」と力説している人は少なくないように思います。

 「放射能に効く」と称して未認可薬を売りさばいては摘発される業者も散見される他、AERA辺りを筆頭としてみのもんたばりの民間療法を説くメディアも多々あるわけです。それが全くのプラセボであればまだしも、うがい薬を飲むような真似をすれば健康被害が心配されるところですし、高額な「放射能対策グッズ」購入のために大枚をはたいて家計に深刻なダメージを与えるような事態もあり得ます。家族が新興宗教に嵌って(高額な壺を購入するようになったり!)家庭崩壊みたいな話は時に耳にしますけれど、家族がネット(or週刊誌)で真実に目覚めて高額な放射能対策グッズを買い漁るようになったら、まぁ悲惨な話です。

 専門家よりも個人サイトや自称「ジャーナリスト」の類を信奉する傾向が高まると何が起こるでしょうか。自分あるいは子供が体調を崩したとき、適切に医師の診察を受けるようであればいいのですが、「きっと放射能のせいに違いない」「あの医者は本当のことを話していないに違いない」と信じて専門家ではなく自分で探した民間療法や代替医療の類に嵌り込むとなれば、事態は本当に深刻なものとなってしまいます。ある種の医療ネグレクトであり、紛れもない児童虐待の一種を、結果的に行っている親も出ているのではないかと危惧されるところです。

 政府/専門家/電力会社は真実を隠している云々と陰謀論が隆盛を極める時代ですけれど、その陰謀論的世界観に振り回される人々もまた少なくないとすれば、それは由々しき問題です。政府その他の情報公開や説明が100点満点とは言いませんが、だからといって不足分を勝手に妄想で乗り換えたような単なる煽り文句を信奉するようになれば、それは上で書いたようにカルトに嵌るのと一緒なのです。「自分の身は自分で守らなければ」とは勇ましいですけれど、単なる独りよがりになってしまっては元も子もありません。政府報道を鵜呑みにしないで自分で調べてみる姿勢は結構なことであるにせよ、一方で煽り報道や怪しげなネット情報の類を信じ込んでしまうようでは、やはり事態を悪化させるばかりです。まぁ被災地域の住人に冷静さを要求するより、安全なところから危機を煽っている連中に黙れと言うのが筋なのかも知れませんが、他人の口はふさげませんので……

 

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光は失われるばかりなのだろうか

2011-07-13 22:47:26 | ニュース

 たまに光っているものもありますが、自販機から明かりが落とされて久しい今日この頃です。昔から左派ですとパチンコの代わりに自販機とかコンビニの深夜営業なんかを叩く人が散見されたように記憶していますが、震災後の節電ムードの中、自販機は軒並み照明を落とさざるを得なくなっているようです。まぁ、真昼の屋外であれば必要はないでしょうし、屋内でも電力需要のピークとなる時間帯は節電に協力してくれないとまずいことにもなりますから、ある程度は理解できます。ただ、夕暮れ以降はどうなのでしょうか。電力需要のピークを過ぎた夜間にまで照明を落とす必要があるのか、別に灯火管制が敷かれているわけではないのですから、自販機が暗い夜道を照らしてくれたって良いはずです。そうならないのは電気代を節約したいのか、それとも節制ムードに棹さして世間の反感を買うのを恐れているのか、ともあれ夜道は暗いままです。

 あるいは以前にも触れましたが、私が給与振込先として使っている地元の銀行は、節電のためとして長らく店舗外のATMを全面停止していました。そしてATMが再開したかと思いきや、今度は「短縮営業」と称して「電力需要のピークと重なる時間帯」だけATMを稼働させるという、節電の面では全く意味がない愚行に走っていたものです。夜、私が地元に帰ってくる頃にはATMは閉まっています。電力需要のピークが終わるのに合わせてATMも閉めてしまう、それが節電のためと言うのですから馬鹿げた話です。でも世間的にはそういうものなのかも知れません。夜間の稼働の方が何となく「ムダっぽい」イメージがあって、夜間の稼働を止めることで「節電に協力している」かのごときイメージを作っている、そう言うところも少なくないでしょう。


節電で照明消え…パンク修理中はねられ3人死傷(読売新聞)

 8日午前2時30分頃、東京都江戸川区西一之江の首都高速7号下り線で、乗用車から降りてパンクの修理をしていた千葉県市原市五井東、会社員佐藤富士夫さん(51)ら3人が後方から来たタクシーにはねられた。

 この事故で、佐藤さんは全身を強く打って死亡。40歳代と60歳代とみられる男性2人も重傷を負った。

 警視庁は、タクシーを運転していた板橋区常盤台、運転手梅坪利二三容疑者(61)を自動車運転過失傷害容疑などで現行犯逮捕。容疑を同過失致死傷に切り替えて調べている。現場は節電のため、照明灯が消されており、梅坪容疑者は「直前まで(3人が路上にいることに)気付かなかった」と供述しているという。

  さて、例によって節電のためと称して照明灯を落とされた深夜の路上で悲劇が起こりました。電力需要が少なく節電の必要が全くない時間帯に照明灯を落とすという「パフォーマンス」のために、リスクが増大している典型的な例と言えます。夜に明かりを煌々と照らしていれば、それこそ「ムダ」と見なされやすい、その傾向はなおさら強まるばかりなのかも知れませんが、ムダと呼ばれようと必要なものは必要なのです。原発事故後は科学的であることを放棄した人も多いですけれど(代わりに陰謀論系ジャーナリズムや週刊誌的な煽り報道が信奉されるようになりました)、何が必要で何が必要でないのか、その辺は冷静に考えて欲しいところです。


地上の暗黒--燈火管制と法 水島朝穂 『三省堂ぶっくれっと』No.121

 灯火管制は、「敵機」に対して、みんな一丸となって「地上の暗黒」をつくろうという「運動」である。しかも、室内の電灯に覆いをつけるなどの比較的簡単な作業で、市民も「参加」できる。だが、自分勝手な輩が一人でもいて、電灯をこうこうと点けていたら、みんなが「目標」になる。「光を出す奴は非国民」。「市民の規律と徳義心」が発揮され、市民の相互監視・統制は勢いを増す。

 

・・・・・

 

パナソニックが「節電本部」。働き方を工夫、午前4時半始業など(日経BP)

 節電本部は、ピーク電力の15%削減に向けて、自家発電の新規導入、省エネ診断の実施、勤務時間の移行などを実施する。2007年から実施している省エネ診断に加えて、「働き方まで見直す」(宮井役員)のがポイントだ。事業所の特性に合わせてそれぞれ節電対策を推進する。

 例えば、施設照明などを生産するパナソニック電工の新潟工場は、午前8時50分~午後5時15分としている勤務時間を見直す。午前4時35分~午後1時と午後4時~午前0時25分の2班に分けて、ピーク時間帯にかかる午後1時~午後4時までラインを停止する。電子部品などを扱うインダストリー営業本部は、8月6日~21日の16日間、在宅勤務や直行直帰の勤務形態を推奨し、東京・品川などにあるオフィスを一斉に閉鎖する。

 一方こちらは、日中の明るい時間だけATMを稼働させるという某銀行の馬鹿げた自称節電策とは異なり、肝心要のピーク時間帯にラインを停止されるという、力業ではありますが効果は抜群の節電計画が紹介されています。節電という面ではまさに決定打とも言うべきプランには違いありません。ピーク時間帯に工場のラインが止まれば、電力のやりくりは随分と楽になること請け合いです。ただ、そこで働く人はどうなるのでしょうか。「働き方まで見直す」などと言えば聞こえは悪くありませんけれど、実際にやっていることは午前4時からの早朝勤務と、夜中の12時過ぎまでの深夜勤務というシフト制です。今まで9時から5時までの勤務シフトだったのが、いきなり早朝と深夜のシフトに切り替えられるとあらば、働く人の負担は当然ながら激増します。体調を崩す人もいれば、家族との生活に支障を来す人も出てくることでしょう。節電に励むと言えば世間のウケは悪くないのかも知れませんが、そこで負担を負わされているのは従業員だということは、もうちょっと意識されて欲しいところです。

 残念なことに福島の原発事故以降、かつて左派として振る舞っていた人の多くは労働者のことを考えるのを止めたかに見えます。それもまた流行というものなのでしょうけれど、反原発論の盛り上がりの中で、原発を罵り恐怖を煽り立てる姿勢の強弱が競われるような有様です。電力不足の煽りを受けて生活に不自由する弱者は元より(健常者には過剰に見える明るさや便利さも、障害を抱えている人にはどうでしょうか)、深夜や休日の労働に駆り立てられたり失業の危機にされされる労働者について、かつて左派として振る舞っていた人の大半は黙して語ろうとしません。経済的な苦境のために自ら死を選ぶ人が万を数えるにも関わらず、雇用=経済のことを慮るのは原発事故の被災者を軽視することであるかのごとく扱う人の声も日に日に猛々しさを増すばかりです。結局のところ一口に「左派」と言っても必ずしも労働の問題に関心が高いとは限らない、ただ左派コミュニティ内部での流行を追いかけているだけの人も多かったのでしょう。

 むしろ労働に纏わる普遍的な問題が、あたかも原発に特有の問題であるかのごとく矮小化して語られるケースも目立ちます。業務内容が求人時の説明とはかけ離れていたり、下請け孫請けと中抜きされていく過程で現場作業員の取り分が仕事に見合うものでなくなったり、あるいは職場の安全管理体制に不備が多く自分の身は自分で守るしかない状況だったり等々、こういうことは日本の労働市場全般に関わる問題のはずですが、これがどうも原発に固有の問題であるかのごとく語る人もいるわけです。原発にネガティヴなイメージを与えるには、そういうやり口が好ましいのかも知れません。ただ、原発を「犯人」にすることで原発は潰せても、働く人が搾取されたり危険にさらされる状況を変えることが出来るのかどうか、大いに首を傾げるばかりです。

 電力会社社員を犯罪者のごとく罵る人々もいます。まぁ、今までの公務員叩きと構造は一緒で橋下辺りの言う「公務員」「職員」を「電力会社社員」に置き換えただけみたいなところもあって進歩がないなと思ったりもしますけれど、公務員叩きの不合理を指摘する人に比べて電力会社社員への誹謗中傷を批判的に見る人がどれだけいるでしょうか。もしくは、犯罪加害者にも守られるべき人権はあると訴えてきた人の中で、いったいどれだけの人が電力会社社員にも労働者としての権利はあると語れるでしょうか。公務員なり犯罪加害者なりJAL社員なり「嫌われ者」に対するバッシングには異議を唱えてきた人でも、電力会社社員に関してはどうやら見捨てようとしているようです。安易に人員整理や労働条件の不利益変更、年金受給額の削減を認める前例を作ってしまうことは労働者全体にも大いなる不利益をもたらすこととなるわけですが、今や左派も労働者のことを考えるのを止めているとしたら救いはありません。

 

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読売新聞の言う現実的選択って何だろう

2011-07-11 23:37:17 | ニュース

就活、女子は現実的選択…正規雇用が男子上回る(読売新聞)

 今春卒業した大学生のうち、正社員など正規雇用で就職した割合は、女子が66・4%で男子の57・7%を8・7ポイント上回っていたことが、読売新聞の「大学の実力 教育力向上の取り組み」調査でわかった。

 就職活動で女子が男子より現実的な選択をしている傾向がうかがえる。男女別の正規雇用率が分かったのは初めて。

 男女合わせた卒業生の正規雇用率は61・5%で、昨年調査より0・1ポイント下がった。

 学部別では、男女とも生活科学・健康科学などの「家政」系学部の健闘が目立ち、男子は実数は少ないものの67・5%で、法・経済などの「社会科学」(67・8%)に次いで2位。女子は71・6%で、卒業後に大半が正規雇用で臨床研修を受ける「医・歯学」(80・5%)を除くとトップだった。

 調査は2008年に始まり、4回目。今年は、企業が重視するコミュニケーション能力の育成や就職支援などをテーマに質問した。回答率は84%で、全学生数の94%をカバーしている。

 さて就職状況を表わす統計としては厚労省による内定率調査や文科省の学校基本調査など、それぞれ基準の異なる代物があります。各調査の違いを把握することで色々と見えてくるところもあったりしますが、今回は読売新聞による調査を見てみましょう。取りあえず最終的に挙げられた数値を見る限り、学校基本調査に近い基準で集計されたものと推測されます。目新しいのは本文にもあるように男女別、雇用形態が正規であるかどうかを明確にしているところですね。その結果によると男女合わせた卒業生の正規雇用率は61・5%で昨年調査より0・1ポイント減、うち女子が66・4%で男子の57・7%を8・7ポイント上回ったそうです。

 2010年卒業の学生に関しても、学校基本調査では女子学生の方が10%程男子学生に比して就職率が高いとの結果が出ていました(参考)。ともすると昨今の就職環境では女性の方が優位なのかも知れません。ただ、せっかく雇用形態の違いにまで踏み込んだのなら、その「先」も含めて追跡調査してほしい気がします。正規雇用全体と非正規雇用全体で見れば歴然たる格差がありますので、この雇用形態による分類は意味があるのでしょうけれど、しかるに一口に正規雇用と言っても非正規雇用の平均以下の賃金で使い捨てにされる人もいるなど千差万別です。女性の方が就職率が高い、正規雇用である率も高い、ただその「中身」はどうなのかまで踏み込めると調査の意義も増すように思います。

 学部別では男女とも生活科学・健康科学などの「家政」系学部の健闘が目立ち、法・経済などの「社会科学」(67・8%)に次いで2位の正規雇用率を記録したそうです。とりわけ女子は71・6%と、臨床研究という正規雇用枠が待っている「医・歯学」を別とすればトップだとか。ただ「家政」系学部の就職先ってどうなんだろうと思うところもあります。正規で就職できる割合は高い学部のようですが、正規と言っても賃金などの待遇面ではどうなのでしょう。待遇は悪いけれど正規雇用率の高い業界に強い学部であれば必然的に卒業生が正規雇用で就職する割合は高くなるわけですが、それが就職に強い学部かと言えば、ちょっと微妙なところですよね。

 まぁ実際に調査するとなると難しいところだとは思いますが、単に正規か非正規かだけではなく、その後の収入や雇用が継続しているかどうかも明らかにしてほしいものです。つまり「高収入の職に就けたかどうか」「年金受給年齢まで働ける職に就けたかどうか」、こういう基準で調査しないと色々と誤魔化されてしまうところも多いのではないでしょうか。

 昨今では女性の専業主婦志向が強まっているとも言われています(参考)。会社でバリバリ働き続けるよりも、自分1人の稼ぎで家族を養っていけるほど甲斐性のある男性を捕まえることの方が難しくなった時代ということで、キャリアウーマンより専業主婦の方が希少価値が高いものになっているのかも知れません(男性の意識も「自分が稼ぐから妻は家で」というものから「おまえも働け」的な方向へとシフトしているようですし)。こういう中では、自然と女性の方が仕事に対する要求は低くなるように思います。一生、自分の稼ぎで生活していくつもりであれば就職先は厳選せざるを得ませんが(コンサルタントの「選り好みするな」なんて戯れ言を真に受けたら大変なことになります!)、結婚して専業主婦になることを前提にしている人であれば、それほど収入や雇用の継続に拘る必要もなくなるので、それだけ就職先も広がるわけです。往々にして雇用側は中高年になったら一部の幹部候補以外は切り捨てて若い人に入れ替えたがるもの、だからこそ安易に切り捨てられないであろう就職先を選ばなければならないのですが、結婚を機に退職したいという願望のある人なら応募へのハードルも下がる、そして採用される率も上がるものと考えられます。

 そんなわけで読売新聞が見出しに掲げた「現実的選択」なるものが果たして何なのか、私は首を傾げるばかりです。たしかに非正規より正規雇用を選んでおくのは現実的選択かも知れません。新卒時に椅子を確保しておかないと、後が大変ですから。ただ一口に正規雇用と言っても、その中身を考えないと誤った印象を広めるばかりです。「正社員でありさえすれば」と、名ばかり正社員になるのは現実的とは呼べません。たとえ就職が決まるのに時間が掛かろうとも、いわゆるブラック企業や業界を避けるのだって現実的選択ではないでしょうか。単に就職できている、正規で就職できていると言っても、必ずしもマトモな職に就職できているかは別問題なのです。健康で文化的な生活を営めるだけの給与が保証されているかどうか、中高年になったときに家族を養えるだけの額へと給与が上昇するような職であるかどうか、本人が望めば年金受給年齢まで働き続けられるような職場であるかどうか――こうした点を無視して単に正規雇用であるかどうかだけで判断すると、取りあえず女性の方が頑張っているもしくは優遇されているということになりそうですが、実態はどれほどのものなのでしょう?

 

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状況は悪化するばかりの模様

2011-07-09 22:54:48 | ニュース

原発再稼働 同意した玄海町に抗議の電話殺到(佐賀新聞)

 岸本英雄玄海町長が玄海原発2、3号機の再稼働に同意した4日、佐賀県東松浦郡の同町役場には全国から約80件の抗議電話が殺到した。

 岸本町長が海江田万里経産相と会談し再稼働容認の意向を示した6月末ごろから抗議電話が1日30~40件寄せられていたが、この日、同意を九州電力に伝えたことで抗議が一気に増加した。

 多くは東京、埼玉、千葉など関東圏からの電話で、全国に波及するとされる同原発の再開問題の大きさをうかがわせた。「福島第1原発事故で放射線を浴びているのに、事故が起きたらだれが責任を持つのか」「1町だけで判断していいのか」といった内容だった。

 原子力対策担当の財政企画課は「職員10人で手分けして応対したが、仕事ができない状況」と話した。

 さて一時は玄海原発が再稼働の見込みということで、取りあえず九州だけでも危機的事態からは脱出できるのかなと思われたのですが、色々とあって前途多難です。まず冒頭で引用したニュースですが、「東京、埼玉、千葉など関東圏からの電話」が殺到しているとのこと。何というか、昨今の反原発論を象徴しているような気もしますね。ヒステリーを起こしているのは都会の人ばっかりで、むしろ地元住民の方が落ち着いているのではないでしょうか。先の統一地方選でも報道を見る限り、出馬したのも当選したのも軒並み「原発推進派」「原発維持派」として紹介されていたケースが目立っていたように記憶しています。遠いところで起こる出来事だからこそファンタジーとして楽しむ連中が出てくる、反原発とはある意味で戦争のようなものなのかも知れません。

 ちなみに「事故が起きたらだれが責任を持つのか」ということですが、福島のような事故が起こっても影響を受けるはずがない都市部の人間にそれを言われたくもないでしょう。そもそも電力不足の結果として起きた事故や被害には誰が責任を持つのか、そっちだって考えられてしかるべきです。節電のため照明が落とされる中で交通事故が発生したり、空調を止めて熱中症で倒れる人が出たり、あるいは電力不足が産業に制約をかける中では深夜労働に追い込まれたり失業してしまう人も出るわけです。経済的な要因で自ら死を選ぶ人が万を数える国で景気への影響を軽視することは、すなわち人命を軽視するに等しいことでもあります。加えて「1町だけで判断していいのか」なんて抗議もあったそうですけれど、別に1町だけの同意で原発の再稼働が決まるわけでもないはず(県の同意だって必要です)、にも関わらず「1町だけで判断していいのか」と詰るのは、喩えるなら選挙での投票先を「1人で判断して良いのか」と迫るようなものです。まぁ、昨今の反原発論の水準を如実に表わす抗議内容とも言えるでしょうか。


九州電力:原発やらせメール 「番組周知」執行役員指示 課長、意をくみメール(毎日新聞)

 九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開に関する佐賀県民向け説明番組を舞台にした「やらせメール問題」で、九電の課長級社員が意見投稿を依頼したのは、上司の執行役員から番組放送を原子力関連部署や子会社に周知するよう指示されたことが発端だったことが分かった。九電は7日、この社員への聞き取り調査を実施。眞部利應(まなべとしお)社長自らが動機やメールの送信先などについて聴取した。
 
 玄海原発の再稼働を巡る説明番組は6月26日、ケーブルテレビで放送され、番組中に賛否の意見を募集した。関係者によると、執行役員は番組があることを玄海、川内(せんだい)両原発など原子力関係3部署や子会社4社に周知するよう部内で指示した。
 
 原子力発電本部の課長級社員はこの意を受け、発電再開容認の意見を番組に反映させる方法を具体的に子会社や社内の部署にメールで依頼したとみられる。

 ところが再開の目処が立ったかに見えた矢先に、九州電力から社員及び関連会社へ向けて再稼働に賛成する趣旨のメールやFAXを、電力会社とは無関係な市民を装って送るように呼びかけがあったことが伝えられ、何と言いますか鬼の首でも取ったような騒ぎとなっています。まぁ自爆と言えば自爆ですが、何でこんなことになってしまったのでしょう。地元自治体は聞く耳を持っていたのですから、下手な工作をする必要などなかったようにも思います。この辺は選挙時の組織票のノリと同じで軽く考えられていたのかも知れませんが、世間が電力会社の粗探しに血道を上げているという時勢を鑑みれば、馬鹿なことをやったなと言わざるを得ません。人の口に戸は立てられぬもの、電力会社がメディアを支配しているわけではないのですから、もっと慎重になるべき時なのだと心得てほしいものです。

 まぁ、状況は何となく想像できます。会議で役員が「とにかく結果を出せ」と課長クラスに迫るわけです。しかるに指示は至って曖昧なものしか出されない、そうなると現場の課長は役員に対するアリバイ作りとして「こういう対策をとりました」と言えるような何かを作らなければならない、とりあえず急いでメールを作り上げて関係部門に送りつけ、受け取った社員はの大半は「へー」ぐらいにしか思わずメールは流されるまま――どこの会社にもありそうな日常の風景です。今頃は依頼メールを作成した課長が社内で吊し上げにされているのではないかと心配ですが、今後の電力事情を鑑みれば他人の心配をしている場合ではないのかも知れません。5月頃には石巻市の亀山紘市長が女川原発の再稼働を容認する意向を表明するなど、まだ状況は落ち着いたものだったはず、それがどうしてこんなことになってしまったのやら……


脱原発ではなく縮原発を…経済同友会代表幹事(読売新聞)

 経済同友会の長谷川閑史(やすちか)代表幹事は5日の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、今後の原発政策は推進でも脱原発でもなく「原発の比率を下げる『縮原発』の第3の道が最も現実的な路線だ」と主張した。

 電力会社に自然エネルギー買い取りを義務づけた「再生可能エネルギー特別措置法案」については「国民感情を考えれば、自然エネルギーを国家政策として推進していくことには意義がある」と、支持する考えを示した。

 同法案を巡っては、経団連の米倉弘昌会長が、「電気料金の上昇を招き、企業が海外に出てしまう」などとして延期を訴えている。

 経済同友会は「縮原発」などと言い出したそうで、加えて自然エネルギー買い取りを義務づけた「再生可能エネルギー特別措置法案」を支持するとの考えも表明しているようです。なんでも「国民感情を考え~」だとか。しかしまぁ、買い取り義務づけ=作りさえすれば必ず売れるという仕組みは利権の温床となる資質が十分であるように私には思われてなりません。私のような利権をある程度までは容認する立場の人間が買い取り義務づけ法案を支持するのであれば特にどうということもないのでしょうけれど、とかく「利権」を目の敵にしたがる国民感情が利権を生む装置のような制度をいつまで支持できるかは疑問です。いずれ「国民感情を考え」た結果として法案を廃止することもあるのではないでしょうかね。

 一方で経団連は「電気料金の上昇を招き、企業が海外に出てしまう」と宣っています。経団連の語る「企業が海外に~」は口癖のようなものであって必ずしも真に受けるべきものばかりではないのですが、今回はどれほどのものでしょう。買い取り義務づけ法案や脱原発によってどれだけ電気料金が上がるかについては諸々の試算がありますけれど、それ以前に経団連がこれまで電力料金の高さをどの程度まで気にしていたのかどうか、訝しく思わずにはいられません。今まで法人税が高い、人件費が高い云々と騒いでいた連中が、俄に電気料金が高いから~と言いだしたところで重みは感じられないでしょう。アルミの精錬とかコストに占める電力料金の割合が極端に高い例外的な業種を別とすれば、電力料金の高低が海外移転の是非を決める上で重要なファクターになるとは考えにくいところです。

 原発から再生可能エネルギーへの移行で、標準家庭の場合は電気料金が月額2000円ほど上昇するとの試算もあります。経済弱者にとっては決して軽い額ではありませんけれど、取りあえず私の場合は独り身で標準家庭よりは影響が小さいであろうことを鑑みれば、予想される上昇分は時給の1時間分で賄える範囲とも言えます。猛暑の中、2000円を払えば1ヶ月快適に過ごせますよと言われれば、たいていの人は安いものだと感じることでしょう。電気料金が2倍3倍に跳ね上がるならならともかく、2割や3割の値上がりであれば深刻な問題に発展することは多くないように思います。そうではなく、本当に問題なのは「金を払っても電力が得られない事態」ではないでしょうか。最も電力が必要な時間帯に我慢を強いられることや停電の可能性が飛躍的に上昇することの方が、電気料金の値上がりよりも重大なはずです。

 幾らお金を積んでも電力供給を急に増やすことは不可能です。電力が足りなくなったときに「じゃぁ追加料金を払うから供給を増やして」と言っても無理なわけです。言うまでもなくお金で発電は出来ない、お金を出しても電力が買えない事態もあり得るのです。経団連や経済同友会はその辺をどう思っているのでしょう。将来のことを語るのも結構ですが、最悪の事態として来年には原発が全停止して今年以上の深刻な電力不足に見舞われる可能性もあります。それを補えるだけの大規模な発電設備を1年以内に完成させる超テクノロジーでも持っているのならいざ知らず、「現実的な路線」とやらを主張しているつもりなら、まずは今年や来年のことを考えて欲しいところです。よもや経営側としては、電力需要の少ない深夜や休日に社員を働かせるようにすればよい、だから電気料金の上昇の方だけ警戒しておけばいいぐらいに思っているのでしょうか。この辺は財界人だけではなく政治家に対しても同様ですが、今は未来を語るよりも、まず目先の問題に対処してほしいと切に願います。

 

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