非国民通信

ノーモア・コイズミ

利益と理想

2019-09-29 22:01:16 | 政治・国際

 「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」とは、小泉純一郎の総理大臣時代の発言です。今でこそ小泉純一郎を持ち上げるのは専ら朝日新聞や旧民主党系議員が主体ですが、この発言当時は与党支持層も含めた幅広い人気がありました。かくして「改革」のために景気回復を阻害する政策は続々と実行に移され、日本経済に致命的な傷跡が刻まれることになったわけです。

 不思議と今でも小泉純一郎を支持している層ほど、小泉政治が生んだ「結果」には否定的な風を装っている印象があります。一見すると奇妙なことかも知れませんが、実のところは「よくあること」のような気もしますね。小泉政治に限らず、その政策を支持しつつも結果は受け入れようとしない、こうした振る舞いは決して珍しいことではないでしょう。

 例えばイギリスのEU離脱も、離脱そのものは多数派の支持を得た一方で、離脱の結果を受け入れようとしている人は少ないと言えます。トランプ大統領の政策もまた支持層に利益をもたらしてはおらず、その結果についてまで評価されているとは言いがたいですが、それでもトランプ支持を続ける人は少なくありません。

 往々にして人は利益ではなく理想のために動きます。景気回復という「利益」よりも改革という「理想」を、国民から絶大な人気を得た政治家は選択しました。結果は悲惨なものでしたけれど、少なくとも在任中に総理の人気が衰えることはなかったわけです。利益よりも理想を追った、その姿勢が評価されたのでしょうか。

 一方で小泉純一郎の唯一の正の功績と呼べるのは北朝鮮からの拉致被害者帰国ですが、この関係者の間で最大の支持を得てきた政治家は、小泉とは別の人物でした。小泉時代よりは経済面でマトモな結果を出している現総理大臣は、この拉致被害の問題については成果らしい成果を上げていません。しかし、この問題の関係者の間では、最も人気のある政治家だったりします。

 安倍晋三が拉致被害者及び親族に何かしらの「利益」をもたらしているかは疑わしいのですけれど、それでも「帰還」という明白な成果を上げた小泉よりも、関係者からは慕われている模様です。結局のところは、利益よりも理想なのでしょう。拉致被害者を帰還させた小泉よりも、相手を非難する以外のことはできていない安倍の方が、関係筋の「理想」には近い、というわけです。

 とかく「利益」は汚いもの、「理想」は尊いものであるかのごとく扱われますが、より危険な害悪はどちらなのでしょうか。ポル・ポトの理想、小泉純一郎の理想、トランプの理想、安倍晋三の理想――「利益」は時に偏ることもありますが、「理想」ほどには人を害することはないように感じます。

 消費税増税もまた、理想の産物と言えます。この引き上げが決められたのは民主党政権末期ですが、当然ながら国民の支持を失う可能性の高い決定でした。しかも、この消費税増税に賛成する条件として野田政権は、自民党にとって好都合な時期の解散総選挙を約束したわけです。民主党にとっては自殺的な決断でしたけれど、それでも野田佳彦は逆進課税の理想を追求し続けました。理想の前には、利益など儚いものです。

 安倍晋三の良いところは、経済について「理想」がないところだと過去に何度か書きました。理想を持つ政治家は、その理想の実現のために利益を蔑ろにしてしまうものですが、経済について理想を持っていないからこそ、かろうじて「どっちつかず」の政策に踏みとどまっている、前任者達よりもマシなラインにあるわけです。しかし、安倍が「理想」を持つ分野についてはどうなのか、昨今は外交面で理想を「利益」に優先させる姿勢が目立ちます。

 利益を追うのは悪いことであり、「悪」=「利益を追っている」ものとして描かれることは珍しくありません。しかし、それは何処まで実態に合致するでしょうか。ブラック企業は本当に利益を追っているのか、実のところは利益を最大化するために合理的に振る舞う代わりに、従業員を支配するために非合理的に行動している方が多いように思います。

 ブラックな部活動も然り、勝利至上主義などは典型的な「悪」と位置づけられがちですが、その実は勝利のために最大限に合理的に動いているかと言えば、むしろ非合理が常態化している、その合理的でない指導は勝利ではなく部員(あるいは後輩)を支配するために行われていることが多いのではないでしょうか。これも全ては――理想のためです。

 損得ではなく理想を説く人には、その理想の如何に依らず、距離を取った方が良いなと思うばかりです。決して儲かる職業ではない政治家を志すのは、その人なりの理想を持った人が居並ぶものですが、この理想こそが損得の判断を歪め、利益を損なう原因となるのが常ではないでしょうか。その理想に共感できるか否かではなく、己の利益に繋がるかどうか、こう考えた方が、ずっと道を誤らない気がしますね。

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穴を掘って、それを埋めれば実績ができる

2019-09-22 22:47:40 | 雇用・経済

 さて私の勤務先では、これまで外注していた業務を内製化する「改革」が進められています。事業部における今期の最重要課題として部門長肝いりのプロジェクトではあるのですが――同時に前年度からは、これまで内製していた業務を外注化する改革もまた進行中だったりします。

 外注と内製、どちらが有利かは状況により変わるものですから、内製化と外注化が並行して進められるのは、必ずしも笑い話ではないのかも知れません。もっとも、内製していた業務を外注化するのも、外注していた業務を内製化するのも、その移行のプロセスは簡単なものではないわけです。

 いずれにせよ、本当に必要なことであるならば、内製化であろうと外注化であろうと、それは進められるべきと言えます。ただ、この「必要」というのがどこから発しているのか、往々にして現場とは遠いところからのニーズが起点になっているのは、決して私の勤務先に限ったことではないように思います。

 現場に近い人間ほど当然ながら、それが不可能である理由を知っています。しかし会社で偉くなる人ほど、「できない理由を言うな」と、アメリカとの開戦に突入した軍首脳のごとき勢いで否定的な意見を一蹴するわけです。そして毛沢東の農業指導を彷彿させる専門知識を駆使し、こうすれば上手くいくのだと指令が飛ぶのですね。

 現場は「いらない」と思っていても、偉い人は「こういうのが必要だろう」と思い込んでいる、それはよくあることです。現場は「今まで通りのやり方で十分」と考えていても、偉い人は「こうすればもっと上手くいくのだ」と独自理論を持っている、実によくあることではないでしょうか。かくして私の勤務先では内製していたものを外注へ、外注していたものを内製へ切り替えようとしているのですが……

 諸悪の根源として、改革や変革そのものが評価の対象になりがちなところがあるように思います。結果として好転するか悪化するかは別問題、とにもかくにも変化こそが評価に繋がる、とりあえず私の勤め先は、そういう会社です。皆様のお勤め先は、いかがなものでしょうか。隣の芝生は青く見えがちですが、ヨソも大差ないのではないかとも。

 現状が上手く回っていたとしても、そのやり方を「変えよう」と声を上げれば、偉い人からは評価されます。反対に今までのやり方を続けようとすれば、偉い人からダメ出しを食うものです。結果がどうなろうと、変革に反対した人は「やる気がない」と烙印を押され、現場を引っかき回した人は「変革した」という実績が認められる、よくある話ではないでしょうか?

 現代日本の能力主義・成果主義が悲惨な結果しかもたらしていない理由としては、改革・変革ばかりを重視し、業務を「維持する」ことを軽視する風潮も大きいように思います。世の中そう都合良く右肩上がりで進んでいくことはできないもの、むしろ日本のような経済情勢では、現状を維持するのだって本来は大変なことなのですが。

 しかし、現状を維持する働きを、我々の社会と会社は、どれだけ評価しているのでしょうか。現状をキープする上で重要な役割を果たしている人を「ただ会社にいるだけ」みたいに軽んじ、あれやこれやと単に「今までとは違うだけ」のことを唱える人をチヤホヤし昇進させる、そういう組織は己の屋台骨を自ら脆くしていくものです。

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ある意味どうしようもない

2019-09-15 21:57:49 | 雇用・経済

日立会長、実習生問題で釈明 「ある意味申し訳ない」(朝日新聞)

 外国人の技能実習生の受け入れをめぐって、日立製作所が法務省と厚生労働省から改善命令を受けたことについて、日立の中西宏明会長は、9日の経団連会長としての記者会見で「謙虚に受け止めたい。ある意味では申し訳ない話だった」と述べた。

 中西氏はこれまで「違法性はないと信じている」と話してきた。この日は見解を問う質問を受けて「行政と日立側に意見の相違があった」。加えて「法令を順守する観点から指摘をいただき、改善を積み重ねてきた。外国人が活躍できる環境づくりを進めたい」と語った。

 命令の詳細を、法務省や厚労省は明らかにしていない。法務省の関係者によると、日立は山口県下松市にある笠戸事業所に2018年4~7月、フィリピン人男性43人の実習生を受け入れたが、必須の業務を十分にさせない一方、新幹線の車両に洗面台を取り付ける作業などをさせていたという。

 

 日立製作所が技能実習に関する違反を指摘されたわけですが、これを受けてのコメントが上記です。会長ともなれば現場で行われていることなど何一つ知らないのが普通でしょうから、とりあえず「信じる」ぐらいしかできないのかも知れません。仕事ごっこで報酬を受け取るだけの役職からすれば、「ある意味では申し訳ない」となってしまうのも無理からぬ話と言えます。

 それはさておき、「技能実習生」という呼称はいい加減にどうなのかと思わないでもありません。届け出された正規の業務ではなく単純労働を強要されているケースは日立に限ったことでもないはずです。初めから「技能実習」という概念に無理があった、あくまで外国人を欺いて安価な労働力として調達するものであるという実態に沿った名称に改めることも必要ではないでしょうか。例えば「徴用工」などは、ピッタリくると思いますね。

 ただ世間的な評価の高低はさておき、何からでも学べることはあります。単純に技術力を問うなら今は日本よりも中国や韓国からの方が学べることは多いでしょうけれど、日本には――搾取のメソッドがあります。いかに法律を蔑ろにするか、いかに外国人を欺いて労働力とするか、いかに従業員の給与を抑制するか――GDPが横ばいの中でも企業の利益だけは増やし続けてきた日本には、世界に類を見ない独自の方法論があるのです。

 技能実習生の中には、現代の徴用工として日本への恨み辛みを抱えて帰国する人もいれば、闇に消える人もいる、一方で自国民を騙して日本に送り込むことで利益を得るブローカー即ち「親日派」への転身を図る人もいます。日本の悪いやり方を覚えて、今度は騙す側に回る人もいるわけです。これもまた「日本に学んだ」結果と言えますが、それを誇らしく感じる人はいないと思いたいです。

 

経団連会長ら9人で調整 社保改革会議の民間代表(共同通信)

 政府が社会保障改革の司令塔として来週に新設する検討会議の民間メンバーに中西宏明経団連会長や新浪剛史サントリーホールディングス社長、清家篤前慶応義塾長、増田寛也元総務相ら9人を起用する方向で調整していることが13日、分かった。企業経営者や学識経験者など幅広い人材を集め、急速に進む少子高齢化社会に対応した社会保障制度の在り方を議論する。初会合は20日の開催が有力だ。

 9人はいずれも既存の政府会議のメンバー。中西氏、新浪氏は経済財政諮問会議の民間議員、清家氏は社会保障制度改革推進会議の議長、増田氏は議長代理を務める。

 

 なお共同通信によれば「幅広い人材」として「いずれも既存の政府会議のメンバー」9名が集められたそうです。そして当然のように、経団連会長兼日立会長の中西氏が入っています。なんともまぁ代わり映えがしない、相も変わらず「奪う側」の人間で構成されていると言う他ありません。ここに「奪われる側」の人間が加われば、多少なりとも幅が広くも見えるのですが。

 ただ政府の立場を擁護するなら、日本国民も相応に支配者目線であるわけです。自身の生活状況を無視して、経営者の立場でモノを言いたがる人は少なくありません。ボロを着てても心は錦、薄給でも心はエグゼクティヴ、それこそが大和魂でしょう。為政者・経営者の立場に立って社会保障費の抑制に努める、その路線は案外、民意に沿ってはいると思います(国民の生活はさておき)。

 とはいえ、外国人を騙して日本に連れ込み、薄給で単純労働に従事させる、そんな組織の親玉ばかりを政府会議に据えていて良いのでしょうか。本当に物事を改革したいのなら、反対の立場の人も必要です。ある意味では先駆的な存在である韓国の元・徴用工(及び原告団)辺りを、搾取経験者として政府会議に参加させれば、バランスは取れそうですね。そうすれば、日本がやり方を改めようとしている意思表明にもなるでしょうし。

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受験のためのTOEIC

2019-09-08 23:28:43 | 社会

大学入学共通テスト、突然の撤退 TOEICの誤算とは(朝日新聞)

 2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間試験から、TOEICが離脱することになった。なぜ、実施まで9カ月を切ったタイミングで決断をしたのか。(増谷文生、編集委員・氏岡真弓)

 「受験するために勉強していた高校生たちには、大変申し訳ない」。国内でTOEICを実施する国際ビジネスコミュニケーション協会(東京)の山下雄士常務理事は、離脱が本意ではなかったと説明する。

 米国の団体「ETS」が作るTOEICは、ビジネス向け英語の試験として各国で実施されている。特に日本で人気で、社会人や大学生を中心に年間約250万人が受ける。山下氏によると、受験で使う大学が増え、高校生も約6万人が受けることを踏まえ、大学入学共通テストでの活用に向け申請を決めた。

 

 昨今は校名や学部名以外のあらゆるところから教養を捨て去り、ひたすら英語ばかりを押しつける就活特化大学が隆盛を極めているわけですが、受験の時点ではどうなのでしょうか。私が学生であった頃はまだ、英語は数ある選択肢の中の一つであり、何が何でも英語第一ではありませんでしたけれど、英語が受験科目の王様であることは違いありませんでした。ただ、大学入試のための「受験英語」は幾分か低く見られるものでもあった気がします。

 受験英語とは即ち、受験のための英語であり、ヨソで通用しない英語であると、そういう見方が強かったわけです。だから英語の試験で高得点を取れたとしても、実際に英語ができるとは限らない、もっと役に立つ英語教育が必要だと言われて来ました。そこで会話重視云々が何処でも持ち上げられていたのですが――各種の資料を見るに日本人の英語力は会話面で弱いというより、会話だけではなく文法面でも今ひとつだったりしまして、少なからず的外れの批判であった印象も残ります。

 これに比べて「特に日本で人気」のTOEICはどうなのでしょう。「受験英語」と違ってTOEICの点数は、何処までアテになるのか、そこは気になります。とりあえず大学入試に先だって就職活動においては、古くから活用されてきたのがTOEICです。受験英語で大学に合格し、今度はTOEICで就職ともなれば、どうにも「就活英語」みたいなものがあるようにも思えてきます。

 英語の実力があればTOEICで高得点が取れるけれど、TOEICで高得点が取れるからと言って英語ができるとは限らない――そう語る識者もいます。要は受験テクニックよろしく、TOEICで点を取るためにもコツがあり、そっちの技術ばかりに巧みな人も決して少なくないのでしょう。TOEICに的を絞った試験対策で、ある種の成果を上げている人もいるわけです。

 だから「受験するために勉強していた高校生たちには、大変申し訳ない」と、TOEICの偉い人のコメントが出てくるのではないでしょうか。純粋に英語力があれば、どの試験を選んでも高得点が得られるはずです。しかし、そうでない人もいます。TOEICの傾向を分析し、TOEICで高得点を取る技術を純真に磨いてきた人もいるわけです。これをTOEICの中の人も理解しているからこそ、上述のコメントが出てくるのでは、と。

 まぁ、建前はともかく本音では、大学側も「就活英語」で構わないのかも知れません。今時の大学にとっては就職実績が何より大切です。そうした面では、就活英語に巧みで大学の「成果」を上げてくれる受験生は、当然のこととして歓迎すべきものなのでしょう。受験生サイドもさることながら、大学サイドとしても今回のTOEICの離脱は、結構な痛手なのかも知れませんね。

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パワハラしてこそ出世する

2019-09-01 21:50:24 | 雇用・経済

厚労省職員4割超、ハラスメント被害 「加害者が昇進」(朝日新聞)

 ハラスメント撲滅や働き方改革の旗を振る厚生労働省で、セクハラ・パワハラ被害に遭った職員が4割超おり、仕事が多いと感じている職員は6割を超える――。そんな実態が、厚労省の若手チームが26日に根本匠厚労相に手渡した緊急の改革提言で明らかになった。統計不正問題などが相次ぐ現状を踏まえ、「不祥事対応ではなく、政策の検討に人や時間が投入されるべきだ」などと指摘した。

 20~30代が中心の職員38人による「厚労省改革若手チーム」は4月に発足。職員約3800人にアンケート(有効回答1202人)を実施した。

 「パワハラやセクハラ等を受けたことがある」と答えた人は46%おり、このうち54%が「人事上の不利益等を考慮して相談せず」「部局の相談員に相談しづらい」などとした。人事異動などが「適切になされていると思わない」は37%で、うち38%が「セクハラやパワハラを行っている幹部・職員が昇進を続けている」を理由に挙げた。

 

 とかく他人に迷惑を掛ける側の人間ほど「世の中が狭量になった」みたいなことを言いがちですが、厚労省で地位を得ている人はどうなのでしょう。厚労省幹部にしてみれば「この頃は何でもかんでもパワハラ、セクハラ扱いされる」と、嘆き節が絶えないところではないかと思われます。加害者サイドからすれば、そういうものですから。

 この厚労省の若手チームによるアンケートの結果、「セクハラやパワハラを行っている幹部・職員が昇進を続けている」との回答が結構な割合を占めたと伝えられています。せっかくですから、厚労省内部だけではなく全国企業でも同様の調査を行い、民間企業と厚労省の調査結果に優位な差があるかどうか調べてみたら有意義ではないでしょうかね。

 皆様がお勤めの職場は、厚労省に比べてどうでしょう? パワハラやセクハラを受けたことがある人の割合は46%を上回るか下回るか、その上で相談できる環境があるかどうか、人事異動が適切に行われているかどうか、セクハラやパワハラを行っている人が昇進を続けている割合はどれほどのものか、厚労省と自分の職場、マトモなのはどっちなのやら。

 個人的には、厚労省が特にダメと言うこともないかなと思います。日本の職場なら、これぐらいは普通でしょう。問題があっても死者が出るまで注目されない無名の中小零細企業と違って、中央官庁であるからこそ先んじて問題視されているだけの話です。ただまぁ、民間企業を指導すべき立場として、範を示せていないとは言えるのかも知れません。

 以前にも少し書きましたが、パワハラは自身が昇進する上では強みです。パワハラの被害に遭うのは同僚や部下であって、少なくとも「評価する立場の人」ではありませんし、むしろ周りの人間のパフォーマンスを落とすことができれば、相対的には自分の働きを大きく見せかけることができますから。

参考、「会社でキレる人」が評価を上げる根拠みたいなもの

 使い古されたゲーム理論の一つに、囚人のジレンマと呼ばれるものがあります。これについては今さら説明しませんが、企業(そして官公庁)における昇進と生産性には、よく当てはまるようにも思います。即ち、相手を裏切る者が利益を得て、相手を信じた者は損をする、そして組織全体では今ひとつの成果しか上がらないわけです。

 誠実な人間だけで組織を構成することができれば全体として最高の成果を上げられますが、組織の中で個人として最高の評価を得るためには、他人を貶める必要があります。そうした囚人のジレンマが成り立つ組織において、パワハラはむしろ積極的に行う人の方こそが、評価を得て昇進を重ねやすいものではないでしょうか。

 現代における日本社会の評価基準が成功を収めているのかどうか、そこに私は疑問があります。現代日本の成果主義や能力主義によって選別された幹部社員もしくは幹部職員が組織を牽引し、国際社会における日本の地位を高めていったかと言えば、この点は議論の余地なく真逆です。むしろ、間違った人を選別して昇進させてる仕組みになっていないかと、いい加減に自省が求められるところでしょう。

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