非国民通信

ノーモア・コイズミ

ヨソのバイトもこれくらいやるべきだと思う

2016-05-29 22:39:34 | 雇用・経済

帝国ホテル、従業員の「芸能人がいた」ツイートを謝罪(ITmedia)

 帝国ホテルは5月20日、芸能人が来館したとする業務委託先企業の従業員のTwitter投稿を「不適切な書き込み」として謝罪した。「指導・管理体制を一層徹底し、再発防止に努める」という。

 16日夜から17日にかけて「帝国ホテルで働いているんだけど」と従業員であることを明かした上で、ある芸能人を目撃したとツイートしていた。同ホテルの入館証と思われる写真なども投稿していたが、現在はアカウントが削除されている。

 同ホテルは「業務委託先企業の従業員が、SNS上にお客様に関する情報を発信するという事態が発生いたしました」と説明。内容についても「ある方が帝国ホテル東京に来館された事実はございません」と否定した。指導・管理体制を徹底し、再発防止に努めるとしている。

 

 ……とまぁ、こんなニュースも先日はありまして、来館して「いない」ことを公表するのも管理として問題があるんじゃないのかなどと帝国ホテル側の対応に疑問を投げかける人もいたりしたわけです。そして問題の書き込みを行ったのは「業務委託先企業の従業員」とのこと、なんでも帝国ホテルのアルバイト募集は普通に求人サイトに出ているようで、フロント業務であれば時給1000円程度だそうです。時給1000円のアルバイトで守秘義務も糞もないよな、と思います。

 過去にはベネッセの顧客情報を非正規社員が持ち出していたなんて事件もありました。かくいう私自身も勤務先の顧客情報は持ち出せたりします(買い手は探していませんが)。今や非正規社員に中核業務を任せていたり、容易に顧客情報へアクセスできるような立場に置いている会社も多いのでしょう。安っぽいビジネスホテルだけではなく帝国ホテルのような宿泊料の高いホテルでも、それは例外ではなさそうです。

 じゃぁ非正規雇用だから問題が起こるのかと言えば、その雇用形態がクローズアップされないだけで正規に雇用されている従業員が会社に重大な事件を起こすケースだって無数にあるわけです。外国人が犯罪を犯せば外国人であることが注目されますけれど、日本人が犯罪を犯しても日本人であることは注目されないのと同じですね。時給1000円にも満たないような非正規でも高給取りの正社員でも、会社の定めたルールを守ろうとする意識は、実のところ大差ないのではないかという気もします。

 ……で、大差ないからこそ問題なんじゃないのかと私などは思うわけです。ボロは着てても心は錦、非正規でも心はエグゼクティブ、そんな人の方が圧倒的多数派なのが実態ではないでしょうか。ほとんどの人は非正規でも正社員と同様に経営意識を持って会社に尽くしているのです。非正規だからと言って顧客情報をホイホイと外に漏らすような人は、それこそ人が犬を噛むような話で滅多にいない、非正規だからと仕事に手を抜く人はきわめて稀でしょう。そして、だからこそ問題なのです。

 以前にも書きましたけれど、日本の非正規労働者の待遇が悪いのは、非正規社員の能力が高すぎるから、です。非正規雇用なのに正社員と同様に働くのであれば、雇用側にとっては正規雇用を増やすメリットはありませんから。時給1000円のアルバイトでも正社員と同様に真剣に会社へ尽くすのであれば、安いアルバイトの方を増やすのが経営判断としては当然の正解です。もし日本人の大半が「給料の分しか働かない」のであれば、会社側としては「より高いレベルで働かせるためには待遇を上げるしかない」ことになりますが、そうはなっていませんよね?

 現実問題として非正規社員が優秀すぎるからこそ、非正規雇用率の増大に歯止めがかからない、帝国ホテルのような海外からの来訪者への「顔」と呼べるような高級ホテルですら非正規職場になっているわけです。一部上場企業の中核的な情報を非正規社員が管理していたりするのも然り、ですね。それもこれも、わざわざ高い給与を出して正規に人を雇用しなくても真面目に働く人材が手に入る、そういう社会だからこそ非正規雇用ばかりが増えるのだと言えます。逆に今回のように、間接雇用の非正規社員が問題を起こすような事態が続けば、日本の経営者も少しは考えを改めるでしょうか。非正規ではダメだ、間接雇用ではダメだ、しかるべき待遇の正社員ではないと信用できない――そう日本の偉い人が考えるようになってくれればイイと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の学生に勉強させたいのなら

2016-05-22 20:39:41 | 雇用・経済

留学生が斬る ここがヘンだよ日本のシューカツ (日本経済新聞)

 中国の山東省出身で08年に立命館APUに入学した杜銘雨さん(26)は大学卒業後、日本語を使って仕事をしたいと考え、日本で就活に挑んだ。商社やメーカーなど大企業を受けるが、いずれも落とされた。現在では文系でも活用できるという理由で、あるIT(情報技術)系企業で働いている。就活を通して感じたのは「採用する際の明確な基準がない」ことだ。

 あるプラント大手のリクルーター面接を受けた時には、学生時代の課外活動について聞かれて面食らったという。「オーケストラでバイオリンを弾いていたが、それがどう関係あるのか分からなかった」。たしかに日本の採用では、学業成績よりもその他の活動での定性的な評価が重視される傾向がある。学生側も、バイオリンをやっていたことを喜んでアピールするだろう。だが、留学生が期待しているのは、学業成績で平等に評価されることのようだ。

 シンガポール出身の曾オスティンさんも「大学の成績が採用に関係ないから学業を放棄して就活に走ってしまう」と手厳しい。大学の成績があまり重視されないことに違和感を覚える外国人は多い。日本の就活生も同じような矛盾を感じたことはないだろうか。学業の邪魔にならないようにと、経団連が毎年のようにスケジュールを二転三転させて混乱しているが、そもそも評価の基準を変えないかぎり、学業優先は実現しないのかもしれない。

 

 折に触れ書いてきたことですけれど、どこの国の大学生だって純粋に「勉強したいから」勉強しているわけではないと思うんですよね。「日本とは違って勉強している」とされる国の学生も「将来、立派な職業に就くため」に勉強しているのであって、本物の向学心の持ち主が占める割合は日本も他国も違いはないのではないでしょうか。そして「勉強しない」と詰られる日本の大学生はヨソの国の場合と何が違うのかと考えると、それはやはり上記に引用した類いの現実が大きく影響しているのだと言えます。

 この外国人留学生が日本の就職活動に対して感じた違和感は私自身も痛感してきたことで、その点で私は日本社会の物差しからは外れていたのだろうなと思うところですが、ともあれ「日本の採用では、学業成績よりもその他の活動での定性的な評価が重視される傾向がある」わけです。血液型ですとか体育会系の部活動への所属歴なんかは聞かれても、大学の成績なんかは一度も問われたことはありません。もし日本社会が「学業成績で平等に評価される」代物であったのなら私はエリートなのでしょうけれど、現実は正反対ですし。

 「大学の成績が採用に関係ないから学業を放棄して就活に走ってしまう」とシンガポール出身の留学生は語ります。ただし出身大学のネームバリューは割と重要ですので、「良い大学に入るため」に受験勉強を頑張る日本の高校生は多いわけです。しかし、その先は勉強しないのですね。理由は考えるまでもないでしょう。そこから勉強しても「良い仕事に就くため」には役に立たないから、ですよね。どこの国の学生も、大学を出た先をちゃんと見据えているのです。「大学を出た先」で求められるのが勉強なのかそうでないのか――それを日本の学生は実によく理解しています。

 日本の教育も行政の決める方針は二転三転していますけれど、結局はニンジン次第なのではないでしょうか。良い大学に入ることが良い会社に入ることの近道なら、教育行政が何を定めようと高校までは決められた教科を学生達は真面目に勉強するかも知れません。しかし、その先が学業「以外」を重視するのであれば、若者が勉強するのは大学入試まで、です。ゆとり教育をやめる、英語教育を早期開始する、プログラミングを教える云々と学校現場を振り回したところで、それを「大学を出た先」の社会で採用の権限を持った人々が評価するかは別問題なのですから。

 行政の決める「何を学ばせるか」なんかよりも、国内企業の「何を身につけた学生を採用するか」の方がずっと、学生が勉強するかどうかへのの影響力は強いように思います。しかるに日本の場合は企業側の求めるものがあまりにも曖昧すぎて「何を勉強して良いのか分からない」学生も多い、学生だけではなく大学関係者にも多いのが実態と言えます。そうして、何も学べないまま時間だけが経過してしまうこともあるでしょうか。おそらく教育行政がナタを振るうべきは教育現場の方ではない、変えるべきはぶら下げるニンジンの方であり、その権限を持った企業側にこそ改革を迫ること、それこそが日本の教育を変えることになるはずです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会人の辞書に"不可能"はない

2016-05-15 21:56:00 | 雇用・経済

 この頃ですと三菱自動車の燃費偽装が話題ですが、少し遡れば東芝の不正会計なんかもあるわけです。そしてこのブログにも過去に書きましたが、私の勤務先でもカラ受注なんかは横行しておりまして、まぁヨソの国は知りませんが日本の会社なら多かれ少なかれどこでも見られることなのかな、という気がします。会社の偉い人の求めるままに実態からかけ離れた都合の良い報告をする、ってのはコミュニケーション能力によって選別された日本のサラリーマンにとっては当たり前の行動なのかも知れません。

 かのナポレオンは「"不可能"とはフランス語ではない」みたいに語ったそうで、これが「我が輩の辞書には~」と訳されて日本に普及しているのはよく知られていることですが、むしろ日本の場合こそどうでしょう? 「"不可能"とは社会人の使う言葉ではない」ぐらいに考えられている気がします。実際、会社で高く評価されている人はおろか下っ端でもマトモに就職できている人、非正規でも会社に完全になじんでいる人は決して「無理です、不可能です」とは口にしませんから。

 ……で、その結果が三菱自動車であり、東芝でもあると言えます。私の勤務先でも会社の偉い人が毎月、全国の営業拠点長に「どうして(予算を)達成できないんだ!」と電話会議で詰問しているわけです。もちろん各拠点で事情はありますし計画通りに受注が取れるとは限らない、それは当たり前のことです。しかし、会社で偉くなるような人の辞書に「不可能」はありません。なんだかんだ言って結局は「(予算達成)できます」と全国の拠点長が宣言し、それに基づいた事業計画が立てられて終わるのです。

 言うまでもなく予算目標が事前の宣言通りに達成されることはなく、蓋を開けてみた結果は当初の目論見からは大きくかけ離れた低い実績でしか出てこなかったりします。そんな結果があらわになって初めて「なぜ見込みと実績にここまで差があるのか」を分析すべく役員層からの厳命が飛び交い、本社の管理部署では上へ下への大騒ぎを繰り広げていたりするのですが――いやはや馬鹿の相手は仕事とはいえ疲れますね。

 私なんかは事前に不可能であることが分かっていれば「それは無理です」と適切に現実を伝えてしまうわけです。だから自分はまともに就職できないし会社でも孤立しがちなんだろうなと思うところですけれど、結局のところ実務に携わっている人間が最も正しく実態を把握しているもので、そこから上がってくる報告が歪められてしまえば将来の予測もおぼつかないのではないでしょうか。「やります」「できます」と言わせることは簡単なのかも知れませんが、実際にできるかどうかは別問題なのですから。

 気象予報士に「晴れ」の予報を出すことを強要することはできますが、翌日の天気を晴れにすることができるわけではありません。むしろ「雨」の予報を受け入れていれば、まだしも対策は取れるというものです。社員が正しく「そんな都合良くは行きません」「我が社では開発できません」「状況は厳しいです」と現状を報告し、偉い人がそれを受け入れることができれば最低でも「備え」ができます。しかし偉い人が望むがままに都合の良い報告を上げる/上げさせるのが当たり前になった会社にできるのは夢を見ることだけです。夢の中では燃費が他社を上回っている、利益は上がっている、計画通りに受注できているのかも知れません。しかし夢はいつか醒めるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

技術に劣る日本の企業はオカルトに頼る

2016-05-08 23:36:11 | 雇用・経済

 この頃は「水素水」が一部で流行っているようで、いかがわしい業者ばかりではなく名の知れた一流メーカーも参入するようになったわけですが、どうしたものでしょうね。まぁ元より世界に冠たる日本の家電メーカーなども挙ってマイナスイオングッズに群がっていたりしたくらいですから、日本企業の見識とはそういうものなのかも知れません。

 かくいう私も家電量販店でバイトしていた頃は、効果がないと知りつつマイナスイオン製品を売り込んでいたことがあります。お客さんへ「こんなの完全にデマ、オカルト商法ですよ」みたいに説明しておけば誠実な振る舞いであったのかとは思うところですけれど、そんなことをすれば店長に怒られるだけですから。

 その他にも日本の名だたる食品メーカーや製薬メーカーが、これまた根拠の薄弱というか捏造に等しいレベルの健康グッズを盛んに販売しているわけです。何とも恥ずかしい話ですが、市場にはそれだけの需要があると言うことでもあります。為政者が有権者の水準に引き寄せられていくのと同じように、メーカーもまた顧客の水準に擦り寄っていくところもあるでしょうか。

 マイナスイオンだのプラズマクラスターだの水素水だの高音質microSDカードだの、そんなものはハッタリだと理解している人は当然ながらメーカー側にもいるのだとは思います。しかし、それでも発売されてしまう、社を上げて売り込みが図られてしまう辺りに「日本の会社」らしさがあるのかも知れません。日本の会社が重んじるのが何なのか、窺い知れるところです。

 結局のところ日本の会社はどこも「コミュニケーション能力重視」「人物重視」です。技術力や科学の素養なんかよりも大切なものがあるのだと言えます。真摯に優れた製品を開発するよりもハッタリで誤魔化す、会社の偉い人の望み通りの回答でご機嫌を取ることの方が優先順位が高いわけです。日本の会社で活躍したければ、知性には蓋をしなければなりません。こんな馬鹿げた製品をラインナップしていけば中国や韓国の企業に追い抜かれるのは当たり前ですよ、と忠告できるような人は就職の段階で弾かれてしまう、あるいは奇跡的に社内に存在していても黙殺されてしまうのでしょう。

 日本の技術力云々は、こうしたハッタリ商法の横行を見るに完全に過去の神話になってしまったなと感じます。むしろ近年は中国企業に技術力で追い越されるばかりか賃金水準でも上を行かれるケースが珍しくなりつつあります。日本の会社の偉い人々は日本をどこへ導こうとしているのか、どうにもこのままの方向ですと「技術力は今ひとつだけれど賃金コストは低く抑えられる国」になりそうです。発展途上国にとって、それは通過段階なのですが――日本の場合はゴールになっていそうな辺り、目も当てられません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の言う「もったいない」とは

2016-05-05 22:22:13 | 雇用・経済

 たとえば一口に「無駄削減」と言っても日本の場合と余所の国とでは向いている方向が正反対なんじゃないかという話を先月に書きましたが(参考)、似たようなことは他の言葉でも当てはまるでしょうか。思い当たるのは「もったいない」とかですね、何を以て「もったいない」と扱うか、文化圏によって結構なズレがあるような気がします。

 「日本には資源がない」というのもまた一種の合い言葉と化していますけれど、資本主義における資源の有無の重要性は果たしてどの程度なのでしょう。確かに「資本のない国」にとって「資源の有無」は命運を大きく左右する要素です。資源でもなければ外貨を獲得できない、外貨を獲得できなければ経済を発展させようにも「元手」がありませんから。元手を手にできなければ、商才があっても金儲けは出来ないわけです。

 では反対に元手がある、資源はさておき「資本がある」国の場合はどうなのでしょうか。確かに資源があれば、知恵を絞らずとも容易に利益を上げる機会が得られるとは言えます。しかし、資源から得られた利益が国全体の経済を支えているのは小国や発展途上国の話、一定以上の規模の先進国は資源ではなく「資本」から利益を上げているわけです。資源の有無の重要性やいかに?

 19世紀ぐらいまでなら資源を輸出して金銭を自国に蓄積させる経済モデルは有効であったのかも知れません。一方で近代以降の「資本主義」の時代において重要なのは資源ではなく資本である、まず資本を獲得するために資源を必要とする国はあるにせよ、既に資本の蓄積を終えている国にとっては、資源を売ることよりも手元の資本を活用して経済を循環させることの方が大切になってくると言えます。

 しかるに日本の経済言論は今なお資本主義の時代に到達できていない、言うなれば「資源主義」の段階に止まっているのかな、と感じることもあります。資本をいかに活用するかよりも、限りある資源よろしく蓄積させることの方を是としているのですから。お金(資本)というリソースを「眠らせておく」ことを「もったいない」と思うのか、それとも「使う」ことを「もったいない」と思うのか――どうも日本の場合は後者のようですが、その結果として日本は世界経済の成長から取り残され、ひたすら内部留保だけが増加するという孤高のガラパゴスと化してしまいました……

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名物なら全国どこでも食べられるから

2016-05-02 22:37:49 | 編集雑記・小ネタ

 時々、地方の営業所に出張に行くことがあるのですが、仕事に興味のないおじさん的には孤独のグルメよろしく何かいつもとは違うものを食べることの方が楽しみだったりします。ただしそれは単独で行動が許されている場合に限ると言いますか、勤務先では何でもかんでも一緒に行動することをチームワークと呼んで奨励されているもので、そうなると入る店も好きには選べなかったりするわけです。結局、いかにも観光客向けの名物しか食べられなかったりして、本当に嫌だな、と。

 この頃は何かと理由を付けて別行動を取るように心がけるようにしているので会社での評価は下がる一方だったりしますが、まぁ気にしません。せめて無意味な出張にも何らかの楽しみは見出したいところ、全国どこでも食べられるような日本中に普及した「名物」でせっかくの機会を潰してしまってはガッカリですから。そこはやはり、現地でしか食べられないものを探したいわけです。

 誰もが知っているような名物は日本のどこでも食べられますし、むしろ現地の人より観光客が食べたがるメニューになっているところもあるはずです。そういうのは、わざわざ出張先で食べるようなものではないな、と思っています。地域の味ってのは、観光客向けにPRしている味とは違う、地域のブランドを冠して全国展開している味とは違うでしょう。ここはやはり、東京近辺では食べられないものを探さなければいけません。とはいえ、時間的な制約も多い中、のんびりお店を探している余裕もなければ土地勘もない、「当り」と言える店に簡単には出会えないですが。

 発想を変えるなら、コンビニのおにぎりやサンドイッチも「地域の味」と言えるのかも知れません。特定の食品メーカーのブランドを冠して売られる商品ならいざ知らず、コンビニのブランド名で売られる賞味期限の短い食材は地場の食品会社が造っているものですから。都内のコンビニであれば千葉や埼玉の食品工場で製造されたものが、ファミリーマートなりローソンなりの名前で売られているわけです。しかし別の町に行けば製造者は違う、同じセブンイレブンのおにぎりでも、造っている会社は違ったりします。

 概ねレシピは同じなのでしょうけれど、まぁ先発医薬品とジェネリック医薬品ぐらいの違いはある、同じ名前のコンビニで同じ商品名で売られていても千葉の食品会社で製造されたサンドイッチと名古屋の食品会社で製造されたサンドイッチでは、微妙な違いがあると言えます。工業製品でも同じなのは数値化されたカタログスペックだけで、実は製造委託先次第で品質が全く異なる製品だってあるわけです。食品も然り、この頃はこれ見よがしの名物を食べるくらいなら、普段は食べる機会のない別の地域の食品会社のおにぎりやサンドイッチを食べることにしていますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする