非国民通信

ノーモア・コイズミ

貴様の女郎は元気か

2013-09-29 11:52:12 | 社会

 学生の頃は「正しい英語に拘るのではなく、通じる英語を話しましょう」と教わったものです。これ、日本の英語教育に特有のものなのでしょうか、それとも普遍的なものなのでしょうか。英語教育に限ったものなのか、あるいは英語「以外」の言語にも通用するものなのか、例えば外国人向けに日本語を教える場合はどうなのか、「正しい日本語」と「通じる日本語」のどちらを日本語教師達が教えたがっているのかは興味深いところでもあります。そもそも日本人向けの日本語(国語)教育はどうあるべきなのかも、立ち止まって考えられるべきなのかも知れません。

 

「噴飯もの」=腹立たしい? 半数が誤用 国語調査(日経新聞)

 文化庁は24日、2012年度の国語に関する世論調査の結果を公表した。慣用表現の使われ方について、誤用が多いとみられる慣用句の意味を選択式で5つ出題したところ、「噴飯もの」「流れに棹(さお)さす」「役不足」「気が置けない」の4つの慣用句で、誤った回答が本来の意味を示した回答を上回った。

 調査は今年3月、全国の16歳以上約3500人に尋ね、約2100人(61%)から回答を得た。

 「噴飯もの」は本来の意味の「おかしくてたまらないこと」(20%)を「腹立たしくて仕方ないこと」(49%)が倍以上上回った。「流れに棹さす」も本来の使い方である「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為」(23%)を、「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為」(59%)が35ポイント以上引き離した。

 調査では、慣用句の言い方として正しい表現はどちらかを尋ねる設問も出題。「激しく怒ること」を示す慣用句は、本来の使い方ではない「怒り心頭に達する」(67%)が、本来の「怒り心頭に発する」(24%)を3倍近く上回った。「実力があって堂々としていること」も、「押しも押されぬ」(48%)が本来の「押しも押されもせぬ」(42%)より多かった。

 「物事の肝心な点を確実に捉えること」は、03年度の調査では本来の言い方ではない「的を得る」を使う人の割合が本来の「的を射る」を上回っていたが、今回の調査では「的を射る」(52%)が「的を得る」(41%)を逆転した。

 文化庁は慣用句の誤用が目立つことについて「言葉は時代により変化するため、間違いとは言い切れない」としながらも「認識のずれがコミュニケーションに支障をきたす恐れがあり注意が必要だ」と指摘している。

 

 

 何でも「慣用表現の使われ方について」文化庁が調査したとか。それ以前に「慣用」という言葉の意味は何なのでしょう。一般に用いられること、普通に使われること――そんな意味合いで「慣用~」という語彙を私は理解していますけれど、この伝で言うなら、より多数の人に使われている表現こそが字義通りの慣用表現と呼ばれても良さそうに思います。しかるに、「誤った回答が本来の意味を示した回答を上回った」云々と報道されているわけです。でも「誤った解答」って、いったい何なのでしょうね。

 その昔、日本で「きりぎりす」と言ったら昆虫のコオロギを指す言葉でした。しかるに現代「きりぎりす」と言ったらキリギリスのことです。では「きりぎりす」の意味を問われて「コオロギのことだ」と回答するのは、もしくは「キリギリスのことだ」と答えるのは、どちらか一方が「誤った回答」ということになるのでしょうか。文化庁は「正解」と「誤った解答」を用意して望んだようですが、何を正答とするのか、その「正しさ」の根拠たる辞書の年代もまた問われるべきもののような気がします。

 むしろ、「噴飯もの」を「本来の意味」と称して「おかしくてたまらないこと」の意味で使うのは、コオロギのことを「きりぎりす」と呼ぶようなものと扱われても良さそうなくらいです。しばしば日本の英語教育は受験英語だの何だのと言われてネイティヴが使うものとはかけ離れていると揶揄されます。でも、それは学校英語だけなのでしょうか? 国語教育も似たようなもの、ネイティヴの日本人が使う日本語とは必ずしも一致しない「正しい日本語」を教えている、そんなところもあるはずです。

 「流れに棹さす」の使い方はどうでしょう。「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為」が正しく、「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為」が誤りとされていますが、ネイティヴの日本人の多数派が使っている意味合いを、慣用句として正しくないと扱ってしまうのは何かがおかしいと、むしろそこに疑問を感じますね。そもそも前者――傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為――の意味を知っている人であれば後者――傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為――も用例も心得ていそうなもの。ならば後者こそ「普遍的に通じる用法」であり、前者は「過去に存在した語義」と見るべきではないかと。

 「流れに棹さす」のように、「広く理解されている用法」があるなら、文化庁の定める「正しさ」とは無関係に、それを使うのが「通じる日本語」だと思います。逆に「この意味で使うのが正しいのだ」と、一般に通用していない意味合いで慣用句を使うのは、少なくともメディアであれば避けるのが無難ではないかとも。ごく一部の「国語が得意な人」が知るだけの「正しい日本語」を使うのが「正しい」のか、それともネイティヴの日本語話者が幅広く使っている意味で慣用句を用いることが適切なのか、この辺は報道機関には強く意識して欲しいと思います。

 それから「役不足」や「気が置けない」のように、どのようなニュアンスで解釈するのか調査結果が綺麗に二分されるような語彙もまた利用には慎重になるべきかも知れません。「認識のずれがコミュニケーションに支障をきたす恐れがあり注意が必要だ」と文化庁はコメントしています。そこでどっちの意味で理解されるか分からない、そんな語句を使っては「正しい意味を分かっていない人が悪い」とふんぞり返るのは奢りというものです。しばしば相反する意味合いで理解される、どちらのニュアンスで受け止められるか分からない言葉は多々ありますが、「伝える」ことを重視する場面では、「正しい日本語を使う」ことではなく「正しく伝える」ために、より広く使われており誤って理解される虞のない言葉を選ぶのが無難でしょう。

 

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行楽目線>住民目線

2013-09-27 00:00:41 | 社会

 先週はテレビのニュースで、頻繁にリニアモーターカーの話が取り上げられていました。たまたま見たタイミングが重なっただけなのかも知れませんが、あれこれと期待する住民の声が挙って伝えられていたものです。どうなんでしょうね、高速で走行するリニアモーターカーには当然ながら騒音の問題がつきまといます。ゆえに路線の大半は防音壁で覆われているのですが、これを惜しむ声が続々と放送されていました。

 リニアを見たい、という需要も相応にあるのでしょうけれど、ではリニアが見える=防音壁の隙間の近辺の居住者にとって、それは好ましいことなのかと考えると、色々と首を傾げたくもなるわけです。リニアという観光資源を活かして地域振興云々という思惑もあるようです。しかし、そんなものがいったいどれだけ続くのか、せいぜい一過性のブームに終わるだろうとしか思えないところもあります。そして客商売の人にはまだしも、普通の住民にとってはどうなんだろうと。

 一時、京葉線沿線にある会社に勤めていたことがあります。ディズニーランドの最寄り駅である舞浜駅のある京葉線ですね。夏休みや春休みのシーズンが特に顕著でしたが、普通の平日でもディズニーランド行きの行楽客は、開園時間に合わせて通勤ラッシュの時間に大挙してくるわけです。一般の通勤客にとっては苦痛でしかない時間帯ですが、行楽客の多くは大興奮だったのを良く覚えています。ディズニーランドのアトラクションは、満員電車に体をねじ込むところから始まっているのでしょう。行楽客にとっては非日常である通勤ラッシュに興奮を抑えられず、人目も憚らずに歓声を上げ続ける人も少なくありませんでした。

 まぁ、他の路線でも修学旅行に出かける子供などは似たようなものなのか、満員電車の圧迫に大興奮している団体さんには時々、遭遇します。なんと言いますか、「行楽(観光)目線」と「生活目線」ってのがあると思うのです。つまり前者の行楽目線では、普通なら不快であって当然の通勤ラッシュも非日常的なファンタジー溢れる体験であり、これ自体が娯楽としての意味を持っている、逆に生活目線では何のおもしろいこともない、と。あるいは外国人観光客の安宿体験と、販路上生活者の安宿体験の場合などどうでしょう。観光客にとっては異国の地でカプセルホテルやネットカフェ、個室ビデオ店に寝泊まりしてみるのも楽しみの一つとなりえます。しかし、ネットカフェ難民などと呼ばれる人々にとっては全く逆ですよね。

 リニア(と騒音)もまた、同じようなものなのだと思います。行楽目線からすると、リニアがどんなに轟音を立てようとも、それは興奮を駆り立てるものでしかない、むしろうるさければうるさいほど盛り上がるくらいではないでしょうか。ところが生活者目線からすれば話は全く異なる、住居の近くをリニアが通る、防音壁の隙間――敢えて作られるとは思いませんが――にでもなっているとあらば、それこそ米軍基地が近所に引っ越してきたようなもの、たまったものではないはずです。今の時点ではリニアが「見えない」ことを惜しむ人の声ばかりが目立って伝えられていますけれど、どうなのでしょうか。住民もまた、「実際に来るまでは」生活者目線を忘れ、行楽者目線で物事を考えてしまうところもあるのではないかという気がします。リニアに限らずオリンピックなんかでも似たようなところはあるように思いますが、どうなることやら。

 

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前政権との合意は守られた

2013-09-25 00:06:44 | 政治

 さて、来年から消費税を8%に引き上げる決心を首相が固めたと伝えられています。結局、民主党政権の過ちを正すのではなく、愛の結晶を育む方を選んでしまったと言うことですね。消費税の問題点については下記リンク先で一通り挙げましたが、その何一つとして解決されないまま――消費税という欠陥税制の問題点に解決策などあろうはずもないのはさておき――消費税増税が強行されようとしています。偏執狂的な逆進課税主義者である菅直人は政権交代前の自民党政権を指して「消費税増税から逃げた」などと論難していたものですけれど、消費税増税に固執した民主党の歴々は安倍総理の判断を英断とでも呼んで賞賛しているのでしょうか。

参考、消費税についてのまとめ

 菅直人は「ギリシャのようになってもいいのか」みたいに説いて消費税増税を迫りました。もっともギリシャが消費税を上げて、代わりに法人税を引き下げていたことは周知の事実です。そして日本でも消費税増税には付き物と言えますが、法人税の引き下げが既定路線となっています。東日本大震災の復興財源名義の特別法人税も前倒しして廃止する方向だとか。せっかく十数年来のデフレ路線とは決別して真っ当な経済政策へと舵を切るかに見えた安倍政権ですが、ここで敢えてギリシャの轍を踏みに行くわけです。「アレは民主党のバカが決めたこと」と消費税増税を反故にすれば安倍晋三は21世紀で最もマシな総理になれたところを、自らの成果を覆そうとしているかのようです。

 まぁ以前にも書きましたが安倍晋三は経済に関しては芯がない、アベノミクス云々と呼ばれている現行の政策は第一次安倍内閣の方向性とは大いに矛盾するもので、もし安倍が「経済政策通」であったなら、「アベノミクス」への転換は起こりえなかったでしょう。経済に拘りがある政治家なら、もっと依怙地になって己の正しさを証明しようとする、そうして小泉時代のような惨禍を繰り返すわけです。しかるに安倍にとって「拘り」があるのは歴史認識とか憲法認識とかその辺で、経済に関しては実は「どうでもいい」が故に、過去(第一次安倍内閣時代)の政策を転換できる柔軟性があったと言えます。そして柔軟性があるが故に、どっちに転ぶかも分からない、今までがマトモでも、いつ誤った判断を下すかわからない、と。

 言うまでもないことですが、法人税は黒字の法人が払うものです。赤字の法人には課されない、儲かった企業だけが払う税です。そして頭数としては赤字の法人すなわち法人税課税の対象から外れている法人の方が多いわけです。法人税が減税されても、多数派の企業にとっては「何の恩恵もない」のは言うまでもありません。では少数派の黒字企業にとってはどうでしょう? 利益の出ている企業は専ら内部留保の積み上げに励んできた、中でも現金・預金試算を増やすことを優先してきたのが日本の実態です。法人税が引き下げられても、内部留保の増加ペースが上がるだけ、非金融法人の現金・預金資産が空前の額に膨れあがるのが関の山とみるのが現実的でしょう。

参考、日本に適した解決策として法人税増税を提案したい

 政府による賃上げ要請など、前政権では望むべくもなかった動きが見られるのは好ましいところですけれど、それを口先だけのパフォーマンスに終わらせないためには、もう少し政府が分別を持つ必要があります。法人税を下げることに意味があるのか――法人税を払っていない企業の方が多いのに法人税減税が人件費に回ることなどあり得るのか――有効な使い道を見いだせず内部留保を積み上げるばかりであった企業の法人税を減免することが景気刺激策であるなどと、どうやったら考えられるのか――単に雇用側を優遇することを以て経済政策を呼んできたような時代とは永遠に決別する必要があります。

 

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中日新聞社のカレンダーの1年は何日あるんだろう?

2013-09-23 20:25:27 | 社会

セシウム含む木片放置 琵琶湖近く河川敷(中日新聞)

 滋賀県は17日、高島市安曇川町下小川、琵琶湖近くにある鴨川の河川敷などに、放射性セシウムを含んだ木材チップや、チップを入れた土のう200~300トンが無断で放置されていると発表した。

 県によると、付近の平均の空間線量は毎時約0・24マイクロシーベルト。一日8時間で1年間積算すると許容線量の1ミリシーベルトを超える数値となる。既に現場を立ち入り禁止にして、シートで覆うなど飛散防止の措置を取っている。

 

 ありふれた不法投棄の記事なんですけれど、中日新聞の手にかかるとなにやら不穏な気配が醸し出されてしまうのはどうしてなのでしょうね。曰く「空間線量は毎時約0・24マイクロシーベルト。一日8時間で1年間積算すると許容線量の1ミリシーベルトを超える数値となる」そうです。

 ・毎時0.24マイクロシーベルト
 ・1日8時間
 ・1年間=365日

 ⇒ 0.24×8×365=700.8

 この計算、どこか間違ってますでしょうか? 中日新聞の伝える数値が正しいのであれば、一日8時間で1年間積算すると約700マイクロシーベルト、単位を変えれば0.7ミリシーベルトです。すなわち許容線量(中日新聞は伝えていませんが、正しくは元々の――原発事故などとは無関係の――放射線被曝量に「加えて」1ミリシーベルト)を下回る、特に気にする必要のない値であることが分かります。まぁ、河川敷に寝泊まりする路上生活者の方の心配ぐらいならすべきかも知れませんけれど、放射線量より先に問われるべきものがあるのは誰の目にも明らかなことでしょう。

 参考までに、「普通の」報道は以下の通りです。

 

河川敷放置の木材チップから放射性セシウム 滋賀・高島市(産経新聞)

 滋賀県は17日、琵琶湖に注ぐ同県高島市の鴨川河口の河川敷などに放置された木材チップ約577立方メートルから、最大で1キロ当たり3千ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。原発事故のあった福島県から持ち込まれた可能性があり、県は経緯を調査するとともに、放置した業者に対し河川法に基づき撤去を求める方針。

 国の放射性廃棄物処理基準(1キロ当たり8千ベクレル)を下回っており、県は「健康への影響はほぼない」としている。周辺の水道水や農産物から放射性物質は検出されなかった

 

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それでいいのか

2013-09-22 11:24:39 | 社会

サイエンスカフェ:「科学者ではない」(毎日新聞)

 最近、取材で「私たちのことを理解してくれているようですね」と複数の研究者から言われた。「科学者としての立場や思考回路を分かっている」という意味だと解釈したが、内心、「これはまずい」と感じている。

 アレルギー体質に苦しんだ根源を知りたくてサイエンスを扱う現在の科学環境部を希望、東京と大阪で勤務して11年になる。しかし学生時代、文学部哲学科社会学専攻だった私にとって、当初は取材対象者の言葉が「宇宙語」にしか聞こえなかった。科学的な内容より「理系の研究者とはなぜ、こんな考え方、表現をするのか」と理解不能な日々が続いた。だが、やがて「科学者とはこんなもの」と自分の中で折り合いをつけ、取材するようになる。そこに慢心がなかったか。

 科学記者は、科学者ではない。その他の分野でも同じことだが、「あなたの言っていることは、あなた以外の世界では通用しませんよ」と指摘することも、私たちの重要な役割だと思う。そのことを改めて肝に銘じ、今後も仕事を続けたい。【江口一】

 

 なんと言いますか、学生時代には「こんな人でも地位を得ているのか」と思うことと同じくらい「これほどの人でも学者にはなれないのだな」と思うことがあったものですが、上記引用は前者のパターンですね。こんなのでも大新聞の科学部の記者が務まるというのですから、まぁ羨むほかありません。きっと採用担当者を惹きつけて止まない素晴らしいコミュニケーション能力の持ち主と推測されますが、肝心の記者としての能力はどうなんだろうと首を傾げるところでもあります。というか、こんな記事を普通に掲載してしまう毎日新聞自体がどうなんだろうと。

 何はともあれ文系の人間が、真剣さの程は疑われるものの動機を持って科学部を志望して配属されたものの、取材対象の言葉が「宇宙語」にしか聞こえなかったそうです。そこで謙虚さを持った人間であれば、自分の専門外の用語も理解できるように勉強するところ、しかし「自分は正しい、間違っているのはアイツら」と驕り高ぶる毎日新聞記者にかかれば己の不勉強は科学者サイドの責任に帰され、「科学者とはこんなもの」「あなたの言っていることは、あなた以外の世界では通用しませんよ」などと言い放つわけです。これもまた、一種のポピュリズムでもあるのでしょう。読者に科学を解説するよりも、科学に疎い読者と一緒になって科学者に石を投げつけるよう煽り立てる、それが毎日新聞社の基本姿勢のようです。

 

記者の目:骨抜きの原発被災者「支援法」=日野行介(毎日新聞)

 原子力規制委員会は先月28日、避難者の帰還を促すための検討チームを設置した。空間線量の推計値に比べ、数値が低く出やすい個人線量計のデータを集めて避難者を安心させると共に、線量に基づかない支援対象地域指定の「科学的根拠」を後付けで示す狙いがある。だが、意図的に低くなるよう集められたデータは信用されるだろうか。そもそも、初めに帰還ありきでは検討の順序が明らかに逆だ。

 

 こちらは科学部ではなく社会部の記者による作文ですが、毎日新聞社のレベルの低さ、驚くべき無知を如実に表していると言えます。曰く原子力規制委の検討チームが「空間線量の推計値に比べ、数値が低く出やすい個人線量計のデータを集め」ており、「意図的に低くなるよう集められたデータは信用されるだろうか」と。毎日新聞社の中ではそうなのでしょう、毎日新聞の中では。

 もちろん、多少なりとも原発や放射線の問題に関心のある人ならご存じと思いますけれど、個人線量計のデータが空間線量よりも低く出るのは、空間線量の測定地域≒屋外よりも測定対象外の地域≒屋内で過ごす時間が長いからですね。路上生活を送っている人に線量計を持たせれば、空間線量に近い値が得られるかも知れませんが、オフィスや家の中で過ごす人は当然ながら「外」にいるよりも「遮蔽された空間」にいる時間の方が長い、ゆえに「外」で24時間を過ごした場合よりも当然ながら数値は低くなります。そこで現実の居住者のモデルケースとして想定されるべきはどちらが適切でしょうか? 24時間365日を屋外で過ごした場合に考えられる放射線量≒空間線量と、普通に屋根のあるところに寝泊まりした場合の放射線量、ここで後者の想定を「意図的に低くなるよう集められたデータ」などと歪めて伝えているのが、毎日新聞という愚かな新聞社なのです。

 

厚木愛甲地区春季日光修学旅行下見における空間放射線量測定結果 - 厚木市

厚木市の放射線量の基準値である0.19μ㏜/hを超えている見学地は訪問しません。

 

 ……で、こっちはおまけみたいなものですが、神奈川の厚木市では0.19μ㏜/hという独自基準を設け、これを超えている見学地は訪問しないと市のホームページで宣言しています。しかし0.19μ㏜/hだったら、石畳の上でも際どいラインです。放射能が強い花崗岩には近寄れません。国会議事堂見学なんて完全にアウトです(週刊ポストの計測によると外壁付近は0.29μ㏜/h)。そうでなくとも、元から自然放射線量の高い地域なら0.19μ㏜/hなんて簡単に超えてしまいます。厚木市にとって嫌疑(及び忌避、差別)の対象は北関東以北に止まっているようですが、厚木市内でも局所的に基準値を超えるところは普通にあるだろうと推測されます。まったく馬鹿な人が幅を利かせている世界は決して毎日新聞に止まらないのだなぁと思うところですが、他の自治体でも似たようなところは多いのでしょうか。現実の事故が起こっても尚、何も学ぼうとしない、学ばないどころか被害妄想をたくましくするばかりの人もまたいるわけです。

 

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大人の童話 : 「シュレッダー」

2013-09-20 23:41:23 | 文芸欄

むかしむかし――と言ってもそんなに前の話でも無いのですが――あるところに、おじさんとおばさんがいました。
おじさんは書類の山にしばかれに、おばさんはシュレッダーの周りにたむろしているオトモダチのところへ命の洗濯に行きました。

おばさんが井戸端会議のついでに書類をシュレッダーにかけていると、インジケータが赤に点灯してシュレッダーが止まりました。
おばさんはシュレッダーの扉を開け、中にたまった細断くずを一生懸命、押し込みました。

おばさんが再びシュレッダーに書類を流し込んでいると、またもやインジケータが赤に点灯してシュレッダーが止まりました。
おばさんはシュレッダーの扉を開け、中にたまった細断くずを一生懸命、押し込みました。
いつもお菓子をクチャクチャ頬張っているクチャ子ちゃんがやってきました。
クチャ子ちゃんもクチャクチャ咀嚼音を響かせながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。

おばさんが再びシュレッダーに書類を流し込んでいると、またもやインジケータが赤に点灯してシュレッダーが止まりました。
おばさんはシュレッダーの扉を開け、中にたまった細断くずを一生懸命、押し込みました。
クチャ子ちゃんもクチャクチャ咀嚼音を響かせながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
煎餅は意外に臭いがキツイということを、おじさんはクチャ子ちゃんから教わりました。
いつもゲヘゲヘ咳き込んでいるゲヘ子ちゃんがやってきました。
ゲヘ子ちゃんも挨拶代わりにゲヘゲヘと喉を鳴らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。

おばさんが再びシュレッダーに書類を流し込んでいると、またもやインジケータが赤に点灯してシュレッダーが止まりました。
おばさんはシュレッダーの扉を開け、中にたまった細断くずを一生懸命、押し込みました。
クチャ子ちゃんもクチャクチャ咀嚼音を響かせながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
同僚と仕事の話をしている最中も間食の手を止めないクチャ子ちゃんは良い度胸をしています。
ゲヘ子ちゃんも挨拶代わりにゲヘゲヘと喉を鳴らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
もしかしたら流行の柔軟剤なのかも知れませんが、トイレの芳香剤のような臭いを周囲に漂わせている臭い子ちゃんがやってきました。
臭い子ちゃんも周囲に臭いを撒き散らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。

おばさんが再びシュレッダーに書類を流し込んでいると、またもやインジケータが赤に点灯してシュレッダーが止まりました。
おばさんはシュレッダーの扉を開け、中にたまった細断くずを一生懸命、押し込みました。
クチャ子ちゃんもクチャクチャ咀嚼音を響かせながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
電話中ですら隙を見て間食を続けるクチャ子ちゃんは筋金入りです。
ゲヘ子ちゃんも挨拶代わりにゲヘゲヘと喉を鳴らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
臭い子ちゃんも周囲に臭いを撒き散らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
あと20年くらい若ければ可愛いのかも知れないアラフォーのぶりっ子ちゃんもやってきました。
アラフォーちゃんもいつものぶりっ子口調で周りに声をかけながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。

おばさんが再びシュレッダーに書類を流し込んでいると、またもやインジケータが赤に点灯してシュレッダーが止まりました。
おばさんはシュレッダーの扉を開け、中にたまった細断くずを一生懸命、押し込みました。
クチャ子ちゃんもクチャクチャ咀嚼音を響かせながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
ことある毎に太ったと嘆くクチャ子ちゃんは頑張って主食を減らしているらしいです。
ゲヘ子ちゃんも挨拶代わりにゲヘゲヘと喉を鳴らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
臭い子ちゃんも周囲に臭いを撒き散らしながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
アラフォーちゃんもいつものぶりっ子口調で周りに声をかけながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。
いつも自分がいかに大変かとアピールするのに余念がないかまってちゃんもやってきました。
かまってちゃんも周りの人に聞こえるようわざとらしくため息を吐きながら、細断くずを一生懸命、押し込みました。

バーン! 大きな音を立ててシュレッダーの裁断くずをを入れる箱が破裂しました。
辺り一面に紙吹雪が舞い散ります。それはなかなかに幻想的な風景でした。
おじさんは、そっと替えの袋を棚に戻しましたとさ。めでたし、めでたし。

 

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それで残業が減るわけがない

2013-09-18 00:12:31 | 雇用・経済

 残業を減らそう云々という題目は、割と多くの職場で掲げられているように思います。もちろん超長時間労働が当たり前の職場も少なくありませんが、とりあえず「残業代を支払っている会社」であれば、結構な割合で残業抑制に取り組んでいるのではないでしょうか。もっとも、それが功を奏しているかと言えば大いに疑わしいところ、非正規への置き換えで残業(労働時間)を減少傾向に見せかけるのが関の山で、実際に掲げた通りに残業を減らすことに成功している職場がどれほどあるのか、まぁ大いに首を傾げます。

 典型的な付け焼き刃の対策としては「ノー残業デーを設ける」とかが挙げられそうです。「今日はノー残業デーです、残業をせず早めに退社しましょう」なんて呼びかけられても「知るかボケしばくぞ」としか言い様がありません。ノー残業デーになったからと言って、その日のうちに片付けなければならない仕事が減るはずもなく、はいそうですかと帰れるわけがないのは言うまでもないことです。無理に帰ったら、翌日の仕事が辛くなるだけですし。

 それでも会社主導でノー残業デーが設けられるとなると、総務(人事)部門と営業(現場)部門とのバトルに発展するわけです。ノー残業デーを守らせたい思惑と、勝手な規格に迷惑する実情とが合意を見ることは永遠にありません。しばしば残業に際して事前の申請を要求し、届け出のない残業は認めない=給与支払いの対象に含めない、なんて強制措置に発展したケースも目にしたものですけれど、こうなると残業を減らしたいのか、それとも残業代を減らしたいすなわち人件費を抑制したいのが本音なのかと訝しくも思えてきます。

 銀行の窓口には午後の3時ぐらいでしまってしまうところも多いですけれど、それぐらいやらないと勤務時間は後ろに伸びるばかりです。会社によっては定時を過ぎると電話が繋がらなくなるところもあったりしまして、まぁ仕事を翌日に先送りすることになるだけではありますが、とりあえず社員を早く帰らせる上では、顧客との接点を早い時間帯で閉めてしまうのは悪い手ではないのかも知れません。もっとも窓口や固定電話をシャットダウンしたところで、携帯にガンガン電話がかかってきては早急な対応を求められたりするものではありますが。

 ただ上記のような工夫もないまま、単に営業現場に向けて「ノー残業デーだから早く帰って」と迫るだけの、完全に社員に丸投げの無責任な残業削減策も横行しているように思います。本当に残業を減らしたいのなら、人を増やして一人頭の業務量を減らす以外に根本的な解決策はあり得ないはずです。しかるに決して人員は増やさない、逆に事前の申請がない残業を給与支払い対象として認めないことで人件費をカットしようとしている、それが目的であるかのごとき悪質なノー残業デー推進も、決して少なくないのではないでしょうかね。

 後はまぁ、仕事が終わればさっさと帰るタイプと、オトモダチが残っていれば付き合って残業するタイプ、どちらが積極的に採用されているかも考えられるべきだと思います。全てがコミュニケーション能力で計られる昨今、会社が喜んで採りたがるのは後者なのではないでしょうか。友達づきあいの良さそうなタイプを選りすぐって会社で働かせているのなら、必要もないのにコミュニケーションで残業している人が増えるのは当然のことと言えます。せめて不要な残業だけでも減らしたいのなら、もう少しビジネスライクな性格の人間を優先的に採用した方が良さそうなものです。

 

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そんな薄給じゃ暮らせません

2013-09-15 10:56:26 | 雇用・経済

高額時給でもバイト不足 南相馬の外食産業 市民流出響く(河北新報)

 福島第1原発事故の避難区域を抱える福島県南相馬市で、外食産業を中心に企業が募るアルバイトの賃金が高騰している。市民の大量避難で働き手が足りず、好条件の提示に踏み切った。それでも思うように集まらず、企業は頭を抱えている。
 「時給1050~1320円」
 牛丼チェーンすき家原町店(同市原町区)に張り出されたアルバイト募集の告知。830~1050円だった原発事故前の水準より200円以上アップした。東北で最も高い仙台市や郡山市の店を上回り、東京都の都心店のレベルに匹敵する。
 店は原発事故で一時休店し、2011年4月に営業を再開した。その時に確保できたアルバイトは約10人で必要人員の半分にとどまった。ことし5月までに段階的に時給を上げて募集したが、応募は振るわず、今も必要人員から5人程度欠けているという。
 運営会社のゼンショーホールディングス(東京)は「社員の派遣でやりくりして営業を続けるしかない」と困っている。
 ファミリーレストランのガスト原町店(原町区)は12年7月に再開した。アルバイトの時給をそれまでの700~875円から880~1100円に順次上げて募った。東北で最も高く、東京都の郊外店と同水準だ。
 だが、希望人員に満たず、社員を派遣したり、営業時間を短くしたりして対応している。
 原発事故で市は一部が避難区域に指定され、人口の5分の1を超す約1万5000人が市外に避難している。外食産業の主な働き手の若者や主婦の避難者が多く、人手不足の直撃を受けた。
 市商工労政課は「これほど高額な時給が示されても人が集まらないのは異常事態。企業活動の維持が難しくなり、将来的に地元の雇用の場が狭まる可能性がある」と話している。

 

 すき家の何がダメかと言えば、客から見た場合でも店員が少なすぎて、提供が遅いところですね。牛丼は安いだけじゃなくて、早くないとダメです。ランチタイムでさえギリギリの人員しか配置せず客を待たせるすき家は、単に従業員からだけではなく急いで昼食を済ませたいサラリーマンにとってもブラックです。そんなすき家ではアルバイトの時給を都心と同水準まで引き上げたもののアルバイトが集まらないとのこと。ガストでも東京の近郊店の水準まで時給を引き上げたものの、似たような状況だそうです。理由として「外食産業の主な働き手の若者や主婦の避難者が多く~」だとか。確かにまぁ、「夫を残して(東京や西日本に)避難」というケースは、よく耳にしますかね。

 引用元の河北新報は「高時給でも~」と掲げ、南相馬市の市商工労政課も「これほど高額な時給が示されても~」と嘆くわけです。しかし、この記事を書いた河北新報社の記者の給与、時給に直したらどれくらいでしょうか。そして市商工労政課の時間当たりの給与も。私にしたって非正規で同年代の人間よりはずっと低い賃金しか稼いでいませんけれど、ここで挙げられたすき家やガストの時給よりは遙かに多く貰っています。たかだか1000円を僅かに上回る程度、フルタイムで働いても月収は10万円台に止まる金額で「好条件」「高額な時給」と何の疑問もなく語れてしまう辺りに、問われるべきものはないのかと私は疑問に思うところです。

 確かに地方は人の値段が安い、公に定められた最低賃金でも地域によって格差を設けることが認められており、概ね地方に行くほど人が安く買い叩かれるもの、中には被災地の状況の悪さにつけ込んで「雇用を創出する」との美名の元、限度いっぱいの最低賃金を突きつけてくるような悪質な事業者もいました(参考)。そうした中で、不十分な給与では働かないという選択がなされていることは、むしろ希望と見なされるべきでしょう。近年の日本は空前の超・買い手市場で何でも「働かせる」側の思うがまま、待遇改善など考えずとも人を集めることができたわけです。それが状況が変わってきている、ちょっとやそっとの賃上げでは人を確保できなくなっているのなら、これ以上ないほどに好ましいことと言えます。

 経営者でも何でもない、普通に雇われて暮らしている人の書いた記事においてすら、往々にして我が国では雇う側、働かせる側の都合ばかりで物事が語られがちです。先日も「震災からしばらくは『仕事があったらやります』と被災地外の業者から声が掛かった。今はこちらから『頼みます』と頭を下げないと業者を確保できない」云々と工事発注元/元請けの嘆きが一方的に伝えられていたわけですが、それは仕事を請け負う側の立場が強くなった、下請け側で仕事を選べるようになった結果でもあります。河北新報の記者や市商工労政課の職員よりも格段に低い賃金、東京で働くよりもずっと低い賃金で容易に人を確保できた、そういう状況にあぐらをかいてきた人々は、いい加減に考えを改めるべきではないでしょうかね。

 ついでに言えば、若者(学生)や主婦を当て込んだ賃金設定というものも、そろそろ見直される必要があるように思います。自分自身の稼ぎで生活する必要がない、あくまで小遣い稼ぎや家計扶助的な働き方であれば時給1000円程度でも足りるのかも知れませんが、そんな賃金水準が当たり前という状況は「他」にも波及するわけです。あくまで家計扶助的な働き方に徹する、そういう人々と職場のポストを争うことも多い業界ほど、自分の稼ぎで生きなければならない人にも低賃金(あるいは低賃金を補う超長時間労働)を強いてはいないでしょうか。学生のバイトや主婦のパートだから、フルタイムで働いても生活できないような賃金水準でも構わない、十分に高給だと、そう考えられてきた結果が今の日本の衰退なのですから。

 

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雇う側には不都合なこと

2013-09-11 23:34:09 | 雇用・経済

クローズアップ2013:国土強靱化、復興阻む 全国で工事増、人不足 業者「被災地に回せない」(毎日新聞)

 東日本大震災の復旧工事を巡り、被災3県の建設業者が、県外の業者から下請け工事などへの協力を断られるケースが今年に入って増え始めている。政府が全国で公共工事を大幅に増発(前年度当初比16%増)した結果、被災3県以外の業者がそれぞれの地元の仕事に追われているためだ。自民党政権の「国土強靱(きょうじん)化」政策が、被災地の人手不足に拍車をかけている格好だ。

(中略)

 春以降、約10件の工事で被災地外の業者に下請けを頼んで断られた。「震災からしばらくは『仕事があったらやります』と被災地外の業者から声が掛かった。今はこちらから『頼みます』と頭を下げないと業者を確保できない」という。

 建設業で働く人の数は全国で約500万人。15年前の7割に減った。1990年代以降、建設投資額がピーク時の約半分に減少した結果、激しい価格競争が起こり、賃金が30%近く落ちたことが要因だ。

 

 民主党も今回の毎日新聞と同じようなことを述べていたわけですが(参考)、総じて「雇う側」の都合でしか物事を考えられない人々なのだなと感じました。「雇われる側」のことを思えば、この毎日新聞や民主党のような批判には繋がらないはずなのですが、どちらも労働者のことなど気にしていないことがよくわかります。ともあれ、伝えられるところによると「建設業で働く人の数は全国で約500万人。15年前の7割」で「建設投資額がピーク時の約半分」という現状の中、公共工事が「前年度当初比16%増」になったそうです。それで人手不足とのことですけれど、どうなんでしょうね。15年前の約半分から16%増なら、せいぜい15年前の約6割弱です。それを15年前の7割の人員で回すのであれば、やはり1990年代の方が人手不足は顕著であった、まだまだ全盛期には及ばないと言えます。

 引用元では(元請け)建設会社の証言として「震災からしばらくは『仕事があったらやります』と被災地外の業者から声が掛かった。今はこちらから『頼みます』と頭を下げないと業者を確保できない」との事情が伝えられています。これ、悪いことなのでしょうか? 地元に仕事が生まれて下請けが仕事を選ぶようになるのがダメだとでも? もちろん毎日新聞や民主党よろしく純粋に「雇う側」に立って考えるなら、好ましくないのかも知れません。下請けに仕事を振る元請けの建設会社にとってもまた同様なのでしょう。しかし、下請けの工事会社、そこで働く建設作業員にとってはどうなのか、「雇われる側」のことだって多少なりとも考えられてしかるべきです。

 やれ下請けいじめだの大企業の横暴だの云々と日頃は喧しい人が、今回のような報道をどう思うのか興味深いところです。結局のところ下請けと元請け/発注元の力関係が改善されるのは、需要が供給を上回ったときすなわち人手不足が進んだときなのですから。工事件数が少なければ「仕事があったらやります」と下請けは元請けに頭を下げなければならない、コスト削減にも応じることを余儀なくされるものです。一方で工事が急増すれば元請けが「頼みます」と頭を下げなければならなくなる、場合によっては発注額を上積みして下請け業者を説得しなければならなくもなるわけです。下請けいじめを「けしからん」というのなら、今のように下請けの立場が強くなる、そうした状況を作り出した政策は当然、評価していますよね?

 

 国交省は今年3月、3県で行われる国、自治体発注工事について、予定価格算出の基礎となる建設作業員の標準的な日当(労務単価)を、前年度より21%高くすると発表した。不調率がさらに上がれば、年度途中で再度引き上げる方針だ。

 ただ、被災3県の業者へのアンケートで、この効果について聞くと、回答した49社中「大きな効果を感じる」は2割弱の8社にとどまった。「少しは効果を感じる」が約半数の24社、「あまり感じない」は17社だった。労務単価は被災地以外でも前年度より15%引き上げられた。全国で公共事業を増やしたことと合わせて「被災地の人手不足に拍車をかける効果を大きくしている」との見方もある。

 

 労務単価の引き上げも発表されています。それが実際の作業員の給与に還元されるのか下請け会社もしくは元請け会社の金庫に吸い込まれるのかはさておき、こうした人件費引き上げの動きが見られるようになったのは、率直に好ましいことと言えます。一方で毎日新聞は「被災地の人手不足に拍車をかける効果を大きくしている」と否定的に見る声をピックアップして伝えています。まぁ、雇う側の立場でしか語れない人間にとってはそういうものなのかも知れません。

 総じて我々の社会では、今よりも遙かに人手不足であった時代、賃金を引き上げて労働力を確保しなければならなかった時代をバブルと呼んで永遠の反省の対象としています。人手不足と末端の賃上げは密接に関わるものですが、それを否定的に見る人も跋扈しているわけです。あくまで「働かせる側」の論理に基づいて、安い賃金でも労働者を選り取り見取り、そういう買い手市場に胡座をかいてはそれが当然のことと思い込んでいる人もいる、これが(建設業界限定とはいえ)久々に買い手市場に傾きだしたことに危機感を覚えているのでしょう。自民党の政策が本当に人手不足をもたらしているのなら、それは雇われる側、働く側にとっては間違いなく好ましいことなのですが、それを厭う人もいるわけです。

 

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福島も安全

2013-09-08 10:51:10 | 社会

「東京は安全」発言に福島県民反発の声(日刊スポーツ)

 2020年夏季五輪開催を目指す東京招致委員会の竹田恒和理事長が、ブエノスアイレスで開いた記者会見で「福島とは離れている。東京は安全だ」と発言したことに、東京電力福島第1原発事故に苦しむ福島県民から「東京が安全ならいいのか」「差別的だ」と反発の声が出ている。

 竹田理事長は、4日の会見で原発事故について「東京は水、食物、空気についても非常に安全なレベル。全く懸念はない」「福島とは250キロ離れている」と述べた。

 「『東京は安全』と強調するのは『福島の現状はひどい』と認めるということ。ならば、なぜ2年半もの間、ひどい福島を放置してきたのか。ばかにしている」。福島市から東京都練馬区に自主避難している主婦二瓶和子さん(37)は憤る。会社員の夫は福島に残り、幼い娘2人を抱え生活を続けている。

 

 この主婦二瓶和子さん(37)の語ることには、ちょっと頷けませんね。引用元で伝えられる竹田氏の発言は確かにアレですけれど、「東京は安全」「福島とは250キロ離れている」と自分でも思っているからこそ夫を残して東京に「自主避難」しているはずで、そんな人が今回の発言を咎め立てするのも滑稽としか言い様がないです。「福島の現状はひどい」と信じて夫を福島に置いてきた人の前にこういう言葉が出てくるのは、むしろ因果応報というものではないでしょうか。竹田理事と主婦二瓶和子さん(37)の世界観に大きな違いがあるとは、とうてい考えられません。

 

福島第1原発:汚染水流出 影響なし、試験操業海域の放射能濃度平常 /福島(毎日新聞)

 福島第1原発から放射性汚染水が海洋流出した問題を受け、海水モニタリングの強化に乗り出した県は3日、試験操業海域6地点の結果をまとめた。今回から放射性セシウムに加え、トリチウムとストロンチウムなどを含む全ベータの濃度を測定し、いずれも事故前と同程度だった。県放射線監視室は「今のところ汚染水流出の影響は見られなかった」と説明している。

 同室によると、8月2〜6日に新地、相馬、南相馬、いわきの4市町の沖合0・5〜1・5キロの表層と水深7メートルから採取した海水を測定。ベータは1リットル当たり0・02〜0・03ベクレル、セシウムとトリチウムは検出限界値(同約1ベクレル)未満だった。

 

 毎日新聞の本社的には「不都合な真実」なのか地方版でひっそりと伝えられたところによると、福島の試験操業海域における放射線量は事故前と同程度とのことです。流出した汚染水の濃度と量、そして海の広さを並べて考えれば当たり前に予測できることのような気もしますけれど、とりあえず実地調査でも事実上の「影響なし」であることが裏付けられました。毎日新聞的には全国版に載せたくないことのようですが、まぁ喜ばしいことです。こういう現実を前に、主婦二瓶和子さん(37)などは何を思うのか興味深いところでもあります。

 一方、この汚染水漏れを受けて韓国政府は日本の8県(内陸県含む)の水産物の輸入禁止措置を発表したとか。放射線量を基準とすれば何ら問題はない水産物も、ある種の「穢れ」に染まってしまえばNGと言うことのようです。我が国でも放射線量の如何によらず福島はおろか東北に纏わるものは全て危険とばかりに、岩手や宮城のガレキや、あろう事か青森の雪までもが持ち込み反対の運動の対象にされたり、「原発事故による放射性物質の有無にかかわらず、福島の土の持ち込みは住民に不安を与える」などと山形県が行政指導に踏み切るなど色々とありました。その日本で行われたのと同じことを韓国政府もまた繰り返そうとしているわけで、何とも嘆かわしいことです。

 生活排水、工業廃水、農業廃水など諸々ありますが、いずれも深刻な環境汚染を引き起こしてきたものです。今だって結局は海や河川を汚していることには変わりなく、「流出が続いている」わけでもあります。ただ人間が生活したり工場を稼働させたり農作業を続けたりすれば必然的に「汚れた水」は発生する、それを永遠に溜めておくことができないのは誰の目にも明らかなことです。だからどうしても海や川に「捨てる」というプロセスが必要になる、そこで「ここまでは排出しても良い」という基準があるのは私が言うまでもないでしょうか。

 もし下水を流すに当たって「(放出しても)安全だというのなら飲んでみろ」などと迫る人がいたら、まぁ頭がおかしいとしか言い様がありませんよね。浄化槽を通った水であろうと、口にするのはお断りします。ただ口にはできませんが――流すことが危険だとまでは考えませんし、それが普通だと思います。もちろん我々の生活排水は環境汚染の一因であり続けていますけれど、「わずかでもリスクがあるのなら放出は絶対に認めない」みたいな狂気の沙汰を実行に移そうものなら、全国各地で浄化槽が溢れて大惨事になるだけですから。

 福島第一原発の汚染水問題も然り、結局のところ基準値以下の環境にとって許容範囲の水は放出する、それ以外に対策の取りようなどあろうはずもないのですが、原発に対しては一切の基準値を認めない人々が幅を利かせているのでしょう。いかに放射性物質が微々たる量、自然界におけるそれと誤差の範囲に止まろうとも、原発に関連している限り放出は断固として認めない、東京電力の責任で何とかしろと、そんな方針を我が国の政府はとり続けてきました。遅ればせながら自民党政権は対処の構えを見せるようになりましたが、本当の危機は汚染水漏れではなく、世論の顔色を窺うばかりで状況をコントロールできていない行政の力量不足の方にあると言えます。

 

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