東京電力福島第1原発事故後に福島県から千葉県に家族で避難した高校2年の女子生徒(17)が25日、共同通信などの取材に応じ、小学6年だった2011年に、転校先の小学校で行事の際、同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ「福島に帰れよ」と言われるなどのいじめを受けたと明らかにした。
同級生の男児にも「福島の人と一緒の学校は嫌だ」「被ばく者と同じ意見だと嫌だ」などと何度も言われたという。
女子生徒の父親(49)も、11年に別のきょうだいの授業参観に出席した際、保護者から「福島に帰れ。何しに来たんだ」とやじを浴びせられたと同日証言した。
以前にもこの問題は取り上げましたが、ポイントは子供のいじめに止まらないこと、児童の保護者からも同様の加害行為が複数報告されていることですね。決して生徒児童だけの問題ではない、むしろ親世代の偏見にこそ原因があると言えるでしょう。そして大人から偏見を吹き込まれた子供が福島からの転校生を忌避の対象にする、と。
「福島」に対する忌避感の醸成には大手メディアも積極的に関与してきたところもあるわけでして、親世代の偏見もまた特定の個人の資質に起因するものではないと言えます。それぞれの信頼するメディアに載った情報を真に受けた結果として、福島を「避けるべき危険であり遠ざけるべきもの」と考えるようになったのではないでしょうか。
事故から6年あまり、ここからさらに調査すべきものとしては、いじめの加害者が「何を信じた結果として」そのような振る舞いに至ったか、辺りが挙げられます。もちろん「福島に帰れ」云々と宣った人は本性において悪意に満ちているところもあるのでしょうけれど、それでもやはり「キッカケ」はあったはずです。何を見た結果として、福島から来た人を攻撃対象に選んだのか、この辺は問われるべきです。
ネット上の有象無象の書き込みを見て外国人への差別心を抱くようになった人がいるように、「福島」に対する蔑視もまた一定の源泉があるのではないか、と思います。たとえば朝日新聞然り、東京新聞然り、この辺に描かれている福島は現実世界のそれとは大きくかけ離れた危険地域です。朝日新聞や東京新聞に出てくるような「福島」から来た人であれば、それは自分たちを脅かす危険に見えてしまうのでしょう。しかし、それはフィクションの中の危険ですよね?
全くの「無」から偏見を創造してしまう悪意の天才も世の中には存在しますが、だいたいの人は自分の頭で考えているつもりでも実は他人の主張を受け売りしているだけだったりします(人気ブロガーの類いとか特に!)。そして、今回のようないじめも同様です。「福島」を標的に選ぶようになった過程では必ずどこかに他人の意思が介在している、(人、モノを含めて)福島を危険だと信じさせた犯人は、いじめの直接的な加害者とは別に存在します。
今でこそ福島の「人」に対する排除が大手メディアで取り上げられるようになりましたが、震災と原発事故直後にはむしろ否定論も盛んでした。それでも福島(及び東北全般)の「モノ」の排除に関しては当時から普通に報道されており、福島第一原発から遠く離れた岩手や青森くんだりから善意で送られた品すらもが一部の反対運動によって返却されたり廃棄されたりもしていたわけです。
これも酷い話ですが福島の「モノ」の排除を正当化する、排除を訴えた人を擁護する声は相当にありました。そして「モノ」の排除が社会的に是認されているのを見た人は、福島の「人」を排除したって許されるだろうと、そう考えたところもあったかも知れません。「モノ」の排除の次点で世論やメディアが厳しく反応していれば、もう少し「人」への対応も違ったように思えるのですが、典型的な後の祭りですね。