非国民通信

ノーモア・コイズミ

モノの排除は許されたのだから

2017-03-26 21:29:58 | 社会

「福島帰れ」とたばこの煙、千葉(共同通信)

 東京電力福島第1原発事故後に福島県から千葉県に家族で避難した高校2年の女子生徒(17)が25日、共同通信などの取材に応じ、小学6年だった2011年に、転校先の小学校で行事の際、同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ「福島に帰れよ」と言われるなどのいじめを受けたと明らかにした。

 同級生の男児にも「福島の人と一緒の学校は嫌だ」「被ばく者と同じ意見だと嫌だ」などと何度も言われたという。

 女子生徒の父親(49)も、11年に別のきょうだいの授業参観に出席した際、保護者から「福島に帰れ。何しに来たんだ」とやじを浴びせられたと同日証言した。

 

 以前にもこの問題は取り上げましたが、ポイントは子供のいじめに止まらないこと、児童の保護者からも同様の加害行為が複数報告されていることですね。決して生徒児童だけの問題ではない、むしろ親世代の偏見にこそ原因があると言えるでしょう。そして大人から偏見を吹き込まれた子供が福島からの転校生を忌避の対象にする、と。

 「福島」に対する忌避感の醸成には大手メディアも積極的に関与してきたところもあるわけでして、親世代の偏見もまた特定の個人の資質に起因するものではないと言えます。それぞれの信頼するメディアに載った情報を真に受けた結果として、福島を「避けるべき危険であり遠ざけるべきもの」と考えるようになったのではないでしょうか。

 事故から6年あまり、ここからさらに調査すべきものとしては、いじめの加害者が「何を信じた結果として」そのような振る舞いに至ったか、辺りが挙げられます。もちろん「福島に帰れ」云々と宣った人は本性において悪意に満ちているところもあるのでしょうけれど、それでもやはり「キッカケ」はあったはずです。何を見た結果として、福島から来た人を攻撃対象に選んだのか、この辺は問われるべきです。

 ネット上の有象無象の書き込みを見て外国人への差別心を抱くようになった人がいるように、「福島」に対する蔑視もまた一定の源泉があるのではないか、と思います。たとえば朝日新聞然り、東京新聞然り、この辺に描かれている福島は現実世界のそれとは大きくかけ離れた危険地域です。朝日新聞や東京新聞に出てくるような「福島」から来た人であれば、それは自分たちを脅かす危険に見えてしまうのでしょう。しかし、それはフィクションの中の危険ですよね?

 全くの「無」から偏見を創造してしまう悪意の天才も世の中には存在しますが、だいたいの人は自分の頭で考えているつもりでも実は他人の主張を受け売りしているだけだったりします(人気ブロガーの類いとか特に!)。そして、今回のようないじめも同様です。「福島」を標的に選ぶようになった過程では必ずどこかに他人の意思が介在している、(人、モノを含めて)福島を危険だと信じさせた犯人は、いじめの直接的な加害者とは別に存在します。

 今でこそ福島の「人」に対する排除が大手メディアで取り上げられるようになりましたが、震災と原発事故直後にはむしろ否定論も盛んでした。それでも福島(及び東北全般)の「モノ」の排除に関しては当時から普通に報道されており、福島第一原発から遠く離れた岩手や青森くんだりから善意で送られた品すらもが一部の反対運動によって返却されたり廃棄されたりもしていたわけです。

 これも酷い話ですが福島の「モノ」の排除を正当化する、排除を訴えた人を擁護する声は相当にありました。そして「モノ」の排除が社会的に是認されているのを見た人は、福島の「人」を排除したって許されるだろうと、そう考えたところもあったかも知れません。「モノ」の排除の次点で世論やメディアが厳しく反応していれば、もう少し「人」への対応も違ったように思えるのですが、典型的な後の祭りですね。

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スタンドに強い弱いの概念はない

2017-03-19 22:39:50 | 社会

 前回の話で、ちょっと脇道ですが「サイコパスが多い職業」云々のネタに触れました。この種の調査発表の信憑性は推して知るべしではありますけれど、上位にランクしていたのは会社経営者だったり弁護士だったり外科医だったりと、社会的ステータスの高い職業が割と多めだったりしたわけです。本当に特定の職業にサイコパスが多いかどうかは眉唾としても、(サイコパスのように)一般には否定的に取り扱われる特性が状況によっては長所として機能することもある、という点は意識されるべきかも知れません。優劣ではなく、適性でしかない、と。

 まぁ、どれだけ訓練と経験を積み重ねても人間の体をメスで切り開いて臓器に手を入れる時には激しく緊張してしまう外科医より、至って平然としていられる外科医の方が、手術を受ける側は安心できそうなものです。弁護士だって凶悪犯罪者のために職務を果たすのは精神的に色々とキツイでしょう。「普通」ではない感覚の方が役に立つ場面が、時にはあります。あるいは「鈍感力が大事だ」などと言い放った政治家もいました。その政治家は日本国民に多大な災厄をもたらしましたけれど、確かに繊細すぎる人間に政治家は務まらない、どんなに叩かれても晒されても平然としていられる強さは政治家の条件ではあるのかも知れません。

 他には、ある種の障害を持った人は錯覚しない、なんて話を聞いたこともあります。「普通の」人であれば好むと好まざると見たものを脳が補正してしまう、故に錯覚してしまうわけです(ただの線が立体に見えたり、繋がっていないものが繋がっているように見えたり)。ところが同じものを見ても「脳が補正しない」ために、錯覚することがない人もいるのだとか。これは圧倒的多数の人々の基準から外れた感覚であって一般には障害として扱われるものですが、しかし障害のある人の方が惑わされずに正しい姿を捉えている、なんてケースもあると言えます。

 ……で、会社勤めの場合はどうでしょう。「平気で嘘をつく人」の方が正直者よりサラリーマンの適性はありそうですし、科学に疎い人の方がマイナスイオンだの水素水だの我が国で商品開発する上では強みを発揮できるかも知れません。そして茶番を茶番と気づいてしまう人であれば「馬鹿馬鹿しい」と感じてしまう、付き合うことにストレスを感じざるを得ないような場面であっても、騙されやすい愚かな人であれば会社の理念に共感できる、仕事にやりがいを見いだせることでしょう。何事も適正次第なのです。(そして生活保護の水際作戦に当たる職員には憲法への無理解や人権意識の希薄さ、偏見の強さや差別意識が適性になる等々)

 「小さな子供のいる母親」の類も、本当に労働環境を良くする上ではメリットがある特性じゃないかと思いますね。一般には育児や介護に追われていない、会社優先で働けるタイプの方が企業からは好まれているわけですが、その結果は日本社会の繁栄に繋がっているでしょうか。「時間の制約なく会社のために働ける」人の方は制約のある人よりも圧倒的に採用されやすいですけれど、そういう人ほどダラダラと長時間労働を続ける、仕事を創って生産性を低下させると言えます。むしろ時間に制約がある、一定の時間内に仕事を終わらせなければならないという動機を持っている人の方が、より仕事の効率を上げてくれそうなものです。日本の生産性が世界最高水準なら今までのやり方が正しいのでしょうけれど、そうでないなら人の評価基準を改める必要がありますよね?

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担当者個人の資質の問題ではないように思う

2017-03-12 23:34:01 | 社会

生活保護申請の妊婦に「産むの?」 千葉県市原市が謝罪(朝日新聞)

 生活保護の申請に訪れた妊娠中のフィリピン国籍の40代女性に対し、千葉県市原市の福祉担当職員が「産むの?」と問いただしていたことが分かった。女性は中絶を求められたと受け取ったという。同市は不快感を与えたとして、女性に謝罪した。

 労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」が8日、記者会見して明らかにした。それによると、女性は今年1月に市原市の生活保護申請の窓口を訪問。その際に、職員から「自分の国(フィリピン)で中絶はやっていないの?」と問われた。女性が「子どもをおろせって言うんですか」と質問すると、職員は「そこまで言わない」と答えたという。申請は受理されず、その後にNPO職員が同行すると認められたという。

 市原市生活福祉課の担当者は、朝日新聞の取材に「状況確認のための質問だったが誤解があった。再発防止に努める」と話した。

 

 ほぼ全ての場合において、政治家が「誤解を与えた」と謝罪する場合、実際は「真意が伝わった」ために問題視されているわけです。もっとも「政治家に限った話ではない」ことが今回のケースで示されていると言えるでしょうか。市原市の担当者は「誤解があった」と醜悪な言い訳に努めていますが、もちろん「真意が伝わった」からこそ問題になっているのです。

 先日も取り上げた小田原市役所のケースもそうですが、生活保護の窓口に配属される職員には人権意識が希薄なタイプが多いのかも知れません。生活保護受給者や貧困層、あるいは外国人に対する差別意識や偏見を強く持っている、そういう人が意図的に配属されているからこそ、小田原に限らず今回のようなケースも出てくるのかな、と思います。

 「水際作戦」と公式に掲げる自治体はないとしても、裏の目標(=真意)として生活保護の抑制に重きを置いている自治体は多いはずです。その結果として、どういうことが起こるのでしょう。人権意識を強く持ち、差別や偏見とは無縁で憲法の定めを遵守する、そんな職員を窓口に配置してしまえば、当然のこととして貧困者を水際で追い返すようなことはなくなってしまいます。福祉の面では良いことですが、これを好ましく思わない人もまた多いわけです。

 社長や外科医はサイコパスが多い、なんて調査発表(信憑性はさておき)もあります。まぁ、他人の痛みに鈍感であることが仕事の上で有効になる場面だってあるのは確かなのでしょう。そして生活保護の窓口に立つ職員もまた同様なのかも知れません。生活保護の抑制という至上命題のために、人間性を捨てて戦っている人もいるのだ、と言えます。役所のお墨付きの元に。

 日本の生活保護制度の下では圧倒的に漏給が多い、保護を受けるべき人が受け取れないケースが多いわけです。そこに加え、保護受給者を不正な受益者であるかのごとく喧伝することで、世間に漏給の原因を誤認させようとしてきた実態があるのではないでしょうか。悪いのは不正受給者、現行の生活保護受給者なのだ、と。もちろん金額的な比率で見れば不正受給など誤差の範囲に収まるのですが……

 小田原市の場合もこの市原市の場合も、担当職員個人の資質の問題だとは考えにくいところがあります。人権意識の希薄な人間を採用した、あるいは育てた、憲法が保障する権利を蔑ろにするような人間を任用した、あるいはそうなるように背中を押してきたのは、役所という公的機関です。小田原市がそうであったように、今回の市原のケースでも職員が処分されるようなことはないのかも知れません。保護を求める貧困者を罵倒したって罪には問われないのが我が国の「公」です。しかし、それでいいのでしょうか?

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なぜ小田原市役所には自浄能力がないのか

2017-03-05 21:47:24 | 社会

不適切ジャンパーで訪問84% 生活保護職員ら(毎日新聞)

 神奈川県小田原市の生活保護業務を担当する職員が不適切な文言の入ったジャンパーやグッズを作製していた問題で、同市は28日、「生活保護行政あり方検討会」の初会合を開いた。会合では、ジャンパーが作製された2007年度以降の生活保護担当職員やOB職員を対象にしたアンケート結果が公表された。

 アンケートでは、ジャンパーを着用して受給者宅を訪問したことがあるかを尋ねたところ、「ある」と答えた職員の割合は07年度が56%、翌年度以降が84%に上った。グッズなどを作製した意味合いについては「連帯感、結束力を高めるため」との回答が最も多かった。一方、一般職員向けに生活保護を担当する課についてのイメージや配属希望などに関して質問したところ、多くの職員が希望していないことが分かったという。

 

 この問題は1月にも取り上げましたが、その後の展開はどうでしょう。小田原市側は職員を処分しないと発覚して早々に宣言するなど、全く反省の色が見えなかったわけです。そして1ヶ月あまりが経過して、検討会の「初会合」が開かれたことが伝えられています。なんでもアンケート結果が公表されたとのこと、これが「アンケート」すなわち「自己申告」で良かったのかどうか、疑問に思わないでもありません。私だったら、言い逃れが出来ないよう第三者による捜査が必要、と考えますね。

 小田原市役所では生活保護受給者を罵倒、威嚇する文面(新聞報道では「不適切」で済まされるようですが)の書かれた各種グッズが職員によって制作、頒布されていたわけです。生活保護受給者宅を訪問する際に着用するジャンパーの他、マグカップやマウスパッドなども作られていたとのこと、人事異動の際の記念品に使われることもあったそうです。決して生活保護に携わる担当者だけの「秘密の」グッズではなく、小田原市役所内で公然とまかり通っていたことが、よく分かります。一部の「問題のある職員」による暴走ではなく、「市役所ぐるみの」蛮行であることは否めないでしょう。

 

教師がクラスの「いじめ」への対処を誤ってしまう理由。(Books&Apps)

 あとね、と彼は言いました。

「いじめってクラスの雰囲気が悪くなる、みたいに思ってる人多いでしょ」

「うん」

「あれウソ。少なくとも教師の側から見ると、むしろいじめがあった方がクラスの雰囲気がよく見えたりする」

「え」

「いじめてる側、あるいはいじめを黙認してる側からすると、少なくとも主観的には「共通の敵」に対して結束してるわけでしょ。いじめの声だって、表面的には「笑いが絶えない明るいクラス」に見えたりするんだよ。

だから、教師がちゃんと見てないと、「いじめが発生してるクラス」を「仲良く協調出来ているクラス」に誤認したりする。ヘタをすると、いじめられてる子を先生まで異分子扱いしたりする。それでいじめられてる子はますます絶望する」

 

 ……で、この辺は納得のいく話と言いますか、むしろ学校に限らない話と思えるわけです。普通の会社でも、いつも陰口で盛り上がっている仲良しグループはいますし、それで「チームワークが出来ている」と上長から評価されていたりするのは珍しくありません。小田原市の場合も然り、「連帯感、結束力を高めるため」との言い訳が発覚当初から繰り返されてきましたが、これはまさに上記引用の構図と変わらないものです。生活保護受給者、貧困者への憎悪によって小田原市役所は結束していた、その憎悪による偽りの連帯感を小田原市役所は公認してきたのだ、と言えます。

 ヘイトグッズの制作は2007年から、つまり10年近く続けられてきました。外部の報道機関によって全国に晒されるまで、小田原市の職員は誰も疑問に思わなかったのでしょうか。良心のある職員が在職していれば内部通報の一つくらいはあっても良さそうなものですが、そうならなかったのはやはり、「市役所ぐるみ」であったからなのかも知れません。まぁ生活保護受給者を罵倒し、不正な受益者であるかのような偏見を振りまく、そうした言動によって喝采を浴びてきた政治家も普通に存在します。生活保護受給者に向けられたヘイトスピーチを当たり前のように受け入れてきた人は、小田原市役所で行われてきたことを疑問に思う頭など持っていないのでしょう。

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