非国民通信

ノーモア・コイズミ

真珠は豚の餌にはなれない

2015-05-31 11:19:19 | 雇用・経済

日本のニートは「高学歴」…OECD報告(読売新聞)

 日本の若年無業者(ニート)は学力などに関する国際調査の成績が他国に比べて高いことが、経済協力開発機構(OECD)が27日に発表した若者の技能と雇用に関する報告でわかった。

 OECDは「学校から仕事へと円滑につなげる仕組み作りが必要」と指摘した。

 OECDが2011~12年に行った「国際成人力調査」(略称PIAAC)など複数の国際調査や統計データを基に分析した。

 それによると、ニートはOECD加盟国全体で3900万人。日本のニートは、大学卒業以上の学歴を持つ人が、それ以外の人よりも多かった。PIAACの「読解力」では、成績が低いレベルだったニートは日本は3%にとどまり、他国に比べて好成績の割合が高かった。「数的思考力」も同様の傾向が見られた。

 

 ……こんな調査結果も出てきたわけですが、いかがなものでしょうか。まぁ、日本の労働環境をよく表わしているようにも思います。いわゆる「ニート」の学力が日本の場合は世界トップクラスにあるわけですが、それは裏を返せば「日本は学力が高くても採用されない」労働市場であることを意味するものです。ヨソの国には、学歴やテストの成績の問題で就職機会を奪われている人も多そうな気がしますけれど、日本の場合はひと味違う、日本では学歴や成績は十分でも労働市場から排除された人が山のようにいるのですね。勉強して良い仕事に就く――そういう発想が成り立つ社会も世界にはあるのかも知れません。しかし日本では、勉強しても就職には必ずしも結びつきません。やれやれ、これでは大学生が勉強しなくなるのも当然です。

 

労働人口減、大きな脅威=黒田日銀総裁(時事通信)

 日銀の黒田東彦総裁は23日、ポルトガルで開催された欧州中央銀行の会合で講演し、少子高齢化に伴う労働力人口減少が日本の潜在的な経済成長力に対し、「大きな脅威となる」と指摘した。その上で、成長力強化に向け、「労働生産性の引き上げに加え、女性や高齢者の労働参加率を高めることが必要だ」と強調した。日銀が24日に講演内容を公表した。

 

 さて学歴は十分で成績も悪くない人が労働市場から締め出しを食らっている一方で、偉い人達は労働人口の減少を深刻な脅威と訴え続けています。この黒田氏も筋金入りのデフレ派として日本経済の癌であった前任者に比べればマシな部類ではあるのですが、それでもこのレベルなのですから先行きは明るくありません。結局のところ労働人口の減少が叫ばれ「女性や高齢者の労働参加率を高めることが必要だ」とか、他にも外国人労働者の受け入れ(技能実習生という名の人身売買含む)とかが唱えられていますけれど、一方で諸外国に比べて高い水準の学力を備えた人々が労働市場から排除され続けてもいるわけです。「読解力」や「数的思考力」に秀でた高学歴の若者を差し置いて、女性や高齢者、外国人を働かせることを考えている、それが日本の政財界における常識なのですから、まぁ経済が伸び悩むのも納得できるでしょうか。

 要するに日本で需要があるのは高学歴で成績も良い人ではなく、「安く買い叩ける人」だということがわかります。日本の経済界が欲しがっているのは、学力の高い若者ではありません。夫の収入もしくは年金という支えがあって、その上に家系補助的なレベルの収入で妥協できるであろう女性や高齢者、そして出身国の水準からすれば最低賃金以下でも高収入に見えてしまう外国人など、そうした人を日本の会社は求めているわけです。従業員を低賃金で長時間働かせることで安価なサービスを提供する、そうした日本的経営は高学歴の人材を多くは必要としないもの、需要があるのは一にも二にも安い人材の方なのです。

 日本の大学進学率はようやく5割に届いたばかり、国際的にはお世辞にも高いとは言えないレベルですが、それでも「大学生が多すぎる(キリッ」なんて真顔で言うコンサルタントやエコノミストが闊歩してもいます。まぁ、日本の市場と日本の人材はミスマッチ、謂わば「豚に真珠」となっているところはあるのかも知れません。人を安く買い叩くことしか頭に無く、足下の優秀な人材の使い道を見いだせない、こうした日本の企業にとって、日本の労働者は過ぎたるものなのでしょう。残念ながら、真珠は豚の餌にはなりません。そして輝く機会のないまま豚小屋の片隅に転がされているのが、日本の高学歴な「ニート」たちなのでしょう。

 

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彼は私より稼いでそうだな

2015-05-27 23:06:13 | 社会

ドローン:15歳少年、動画配信で「囲い」獲得、さらに…(毎日新聞)

 小型無人機「ドローン」を飛ばすと示唆する動画をインターネット上に配信したとして横浜市の無職少年(15)が威力業務妨害容疑で逮捕された事件で、逮捕された少年は、物議を醸す動画配信を繰り返すことで「ファン」の支持を集め、金銭的にも支えられていた。ネットでのこうした熱心なファンは「囲い」と呼ばれている。配信者を囲い込み、動画配信中に書き込むコメントであおりたて、思い通りに動かすファンという意味でも使われる。「だれが一番、支援しているか」を「囲い」同士で競争するケースもあるという。

(中略)

 少年は、視聴者が気に入った投稿者に金銭的な支援ができる機能がある別のサイトで配信を続け、公式サイト上で寄付も求めた。銀行口座も公開し、「ミサンガ」と呼ばれる腕輪など自身のグッズも販売。熱心なファンから支援を受けることで中継はさらに物議を醸す内容にエスカレートした。

 

 そういえば昨年は、わいせつ電磁的記録頒布の疑いで逮捕された人が「自称芸術家」として報道されていたこともありました。普通に芸術家として収入を得ている人でも「自称芸術家」なんてレッテルを貼られてしまう辺りに「芸術とはなんぞや」と思わせるものがあったわけですが、今回の一件はどうなのでしょう。逮捕された人は「無職」と報じられていますけれど、どうやら動画配信によって収入を得ているとのこと、実際の収入額は噂話の域を出ないものが多いとはいえ、年収換算なら今時の薄給サラリーマンよりも稼いだ額は多かったようです。ならば無職ではなく「動画配信業」として報道してやるべきなのではないかと思いますね。報道機関は、逮捕された少年の人権をもう少し尊重すべきです。

 脱サラは、今も昔もサラリーマンの(叶わぬ)夢です。不本意ながらサラリーマンを続けている人も多い中で、会社勤め「以外」の手段で収入を得ている人というのは、それだけで成功者として多少なりとも尊敬されて良さそうに思います。サラリーマンになりたくてサラリーマンになった人は決して多くありません。しかし、世の中の圧倒的多数の人は、会社勤め以外で金銭を稼ぐ手段を有していないものです。私の勤務先にも本を出したことがある人、CDを出したことがある人、テレビに出演したことがある人、甲子園に出場したことがある人など色々といますけれど、いずれも結局は会社勤めの道を選びました。会社組織に属さず個人で稼ぐってのは、それだけ難しいことなのでしょう。

 この逮捕された少年は、有能だと思います。信者の囲い込みで食べているフリージャーナリスト、「だれが一番、支援しているか」を競わせる水商売やAKBなど類似の先例は他にあるとは言え、このビジネスモデルを15歳の少年が独力で築き上げたことは賞賛されるべきです。逮捕によって継続性があったかどうかは藪の中になってしまいましたが、まぁ私には真似のできないことです。色々と調べるに逮捕された少年、どうにも会社勤めをしようとしても上手くは行かないであろうタイプに見えますけれど、そこで挫折せずに己の適正を活かした道を見出した辺り、なかなか会社社会に適応できないでいる人々にとっては手本にすらなるのかも知れません。

 なお少年が周りの大人(金銭支援者)達の「おもちゃ」にされているとの批判もあるようです。まぁ、カメラの前で自らを晒す職業ってのは、概ねそういうものですよね。無職と呼ばれる今回の少年も、セレブーと呼ばれる芸能人も、本質的には同じでしょう。下手をすれば悪質な事務所に振り回されない分だけ、この少年の方がマシな境遇の場合だってあるかも知れません。日本には未成年の芸能人が山のようにいて、逮捕された少年と同様に見世物として視聴者を集めているわけですが、そこで儲けているのは事務所だったり親だったりするのなら、今回のドローン・ボーイよりも懸念されるべきはもっと他にありそうな気がします。あるいは、子供にアレコレ吹き込んでは周りの大人の代弁をさせる類は政治手法として完全に市民権を得てもいるはずです。そういうのに比べれば、このドローン少年と取り巻きの大人の関係はまだしも救いようがありそうにすら見えてきますね。

 

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いずれはこうなる運命だったのだろうけれど

2015-05-24 10:45:35 | 政治

民主・枝野氏、維新との連携模索 「できるだけ幅広く」(朝日新聞)

 維新の党最高顧問の橋下徹大阪市長が政界引退を表明したことを受け、民主党の枝野幸男幹事長は18日午前、東京都内で記者団に「政策、理念、政治姿勢で共通する仲間がいれば、できるだけ幅広く連携協力する」と述べ、維新との関係を深めていくことを明らかにした。

 枝野氏は「国会の中での共闘を進めていく。野党の中で連携できることは、最大限協力したい」とも語った。枝野氏の発言の背景には、後半国会の最大の焦点である安全保障関連法案に対する国会運営での野党共闘や、来夏の参院選での選挙協力に向け、民主と維新がこれまで以上に積極的に連携して自民党に対抗する勢力を形成する狙いがある。別の民主党幹部も「来たい人は拒まない」と述べ、維新の議員が民主に合流することに期待感を示した。

 

 さて政治姿勢の面では非常に近い間柄である反面、感情的なしこりがあって国政レベルでは連携の進まなかった民主と維新ですが、橋下の引退(本当に?)表明を受けて事態は大きく動き始めたようです。そうはいっても「地方行政」レベルではどうなのでしょうね。国政でこそ自民、民主、維新が相互に対立してみせる茶番劇が繰り広げられる一方、大阪維新村では「維新」vs「自民、公明、民主ほか」と国政とは異なる構図で争われたことは記憶に新しいところです。しかし、あなたの住む街ではどうですか? 先の統一地方選挙では「共産」vs「自民、公明、民主、維新」みたいな構図も頻繁に見られたはずです。

 国政の場では「野党でござい」と自民党の対抗馬を装い与党への批判票を掠め取ろうとしておきながら、その実は地方選挙では自民党と固く手を結んで(相乗りで当選させた)首長を支える連立与党の一員でもあったりする、そんな民主党の振る舞いを卑劣極まりないと、私は前々から感じていました。そして維新はどうだったのでしょうか? 政策的には似た者どうしても、「民主党は違って」国政と地方選挙で立ち位置を都合良く入れ替えるような振る舞いを「しない」ようであれば、多少は存在意義も出るのかなと、そうも思ったものです。しかし先般の統一地方選挙では維新も民主も大差ないことが分かりました。

 まぁ、自民党も国政レベルでは橋下一派に秋波を送っていたりと、共産党までと歩調を合わせて維新と対決した大阪市の自民党議員達とは異なる思惑で動いていたわけです。今時は同じ党でも中央の執行部と地方自治体の議員団とでは、向いている方向が異なるものなのでしょう。民主党でも国会議員ならば自民党はチャンバラの相手、しかし地方議員なら共に首長を支える同志です。そして維新では橋下の取り巻きと、旧太陽系(なんか壮大だ!)との意見対立は以前より伝えられてきたところでもあります。党内でどこが、あるいは誰が主導権を握るかでポジションは容易に変わるものなのかも知れません。

 組織率低下が続き社会的な影響力を失って久しい労働組合を敵視する維新と、労働組合の組織票を頼みとしながらも政策面では労組の立場を徹底的に無視してきた民主党、まぁ所属する議員レベルでは、普通に手を組めるレベルではあろうと思います。しかし、両党の支持者にとってはどうなんでしょうね。党の方向性としては似通う反面、その支持層には乖離が大きいような気もするわけです。特にネット上のコアな民主党支持層なんかは、橋下一派の労組に対するそれと同質の感情的なしこりを、維新に対して持ってもいるのではないでしょうか。あるいは民主党を支える連合など涙ぐましい党への忠誠を見せ続けてきた組織もありますけれど、本格的に維新と組もうとする夫の姿に何を感じているのやら。

 

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被害者意識ばかりでは

2015-05-20 23:39:40 | 社会

「日本の戦争経験」批判的に学ぶ=イスラエルで現代美術展(時事通信)

 ゾーハー氏は、イスラエルはいまだにホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)による被害者意識が強く、パレスチナ問題など「自分たちの過ちが見えていない」と指摘。鑑賞者に日本の植民地の説明をする時は「占領地」と言い、イスラエルが占領しているヨルダン川西岸などを想起させる。特攻で命を落とした若者もイスラエル軍兵士に重ねられる。

 祖父母がドイツからイスラエルに移住したゾーハー氏は、日本の戦争の捉え方も疑問視。ドイツがホロコーストについて謝罪していることを引き合いに出し、「日本も被害者意識が根強く、責任の意識が感じられない」と話した。 

 

 この辺は概ね頷けるところでしょうか、日本の戦後教育において戦争はあたかも天災のような語られ方をしてきたフシもあります。つまり戦争の悲惨さが語り継がれるとき、専ら日本人は戦争の「被害者」として位置づけられてきたものです。その対極として戦争を英雄的行為として描き出そうとするファンタジー派とでも呼ぶべき人々もいるわけですが、逆に欠けていたのがまさしく「加害者」としての日本像ですね。他人に対して加害の歴史を糾弾してきた人はいたかも知れません。しかし被害者として戦争の記憶を語り継ぐのと同じように、加害者として戦争の記憶を語り継ぐ――そうした試みには大いに不足があったと言えます。

 

中国要請で広島・長崎削除「被害者の地位強調」(読売新聞)

 【ニューヨーク=水野哲也】国連本部で開催されている核拡散防止条約(NPT)再検討会議の軍縮を扱う委員会が作成した合意文書素案の中で、各国の指導者らに広島と長崎を訪問するよう呼び掛けた部分が、12日に各国に配布された素案の修正版で削除された。

 中国の軍縮大使は同日、記者団に対し「日本は戦争を起こした加害者であるにもかかわらず、被害者としての地位を強調しようとしており、我々は同意できない」と述べ、削除を求めたことを明らかにした。

 

 中国の場合もイスラエルに対するそれと同様の批判が向けられてしかるべきところもありますが、しかし伝えられている軍縮大使の発言に対して日本は謙虚になる必要があるとも思います。とりわけ中国に対しては、被害者面をする前にまず問われるものがあるのは当然のことでしょう。戦中の諸問題の中でも特にこの「核」を巡っては純粋に「被害者」としての立場ばかりが語られてきました。確かに被害者としての側面は、否定しようもなく存在しています。しかし原爆投下だけを他と切り離して持ち出すことが受け入れられるのかどうか、それと同時期に起こっていた歴史上の事実をも省みることが、国際的には求められているわけです。

 福島の原発事故が起こった後、東京電力社員を称する人がツィッターで「東京電力も被害者」みたいなことを書き込んで盛大なバッシングを受けたことがありました。その人が本当に東京電力社員であったかはさておき、東京電力もまた震災で大きな被害を被ったことは揺るぎない事実です。事故を防ぐことができなかった電力会社は近隣住民に対する「加害者」としての側面ばかりが強調されていたわけですが、しかし震災の被害者であることもまた間違いではなかったのでしょう。

 東京電力も被害者だ――そうした発言に憤りを覚えるのなら、今回の中国側の反応にも賛同すべきだと言えます。まず「加害」を反省するのが先で、自分の被害ばかりを都合よく言うなと、そう考えるのなら東京電力を非難することもできますし、同様に日本を非難する中国の姿勢も正当なものと見なされるべきです。逆に中国側の反応を批判するのなら、被害者としての東京電力像にも少しは思いを馳せてやるべきでしょうね。「加害者」と「被害者」の二つの側面が一つの組織あるいは一つの社会の中に同居することは普通にあることです。その片方を都合良く強調することが、果たしてどこまで通用するのかどうか、とりあえず他人を糾弾するよりもまず己の襟を正すべきであろう、とは思います。

 

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消費者は気にしないかも

2015-05-18 00:15:08 | 雇用・経済

違法繰り返す「ブラック企業」是正勧告で公表へ(読売新聞)

 厚生労働省は15日、違法な長時間労働を強いる「ブラック企業」について、18日から企業名を公表する方針を決めた。

 公表の対象となるのは、違法な長時間労働を1年以内に3か所以上の支社や営業所などで繰り返し、労働基準監督官から是正勧告を受けた大企業。具体的には、労働基準法が定める労働時間「1日8時間・週40時間」を超えた労働が月100時間を上回り、労働組合と残業時間に関する協定を結ばないといった法令違反がある場合で、該当する労働者が1か所につき10人以上いることも条件となる。

 塩崎厚労相は15日の閣議後記者会見で「名前を公表されると企業の行動は違ってくるだろう。働く人たちのためになるよう、しっかり指導したい」と話した。

 

 ……という方針が決められたそうですが、効果の程はどれほどのものでしょうね。マイナスになることはなさそうですけれど、十分な成果を上げられるとも考えにくいところ、「対策は取りました」というアリバイ作りに終わってしまわないか、その辺が懸念されないでもありません。

 そもそも対象とされているのは「大企業」だけです。日本では大企業で働く人より中小企業で働く人の方がずっと多い、最悪の雇用主は無名の中小零細企業の中にこそ存在するものなのに、大企業にしか適用されない是正策では「ザル」と呼ばれても致し方ないでしょう。まぁ是正勧告を避けるべく労働基準法違反を隠そうとするのは体面を気にする大企業であってこその話です。無名の中小では企業名を公表されてもダメージなどありません。中小零細相手には全く別の対処が必要になってくるだけに、また別の場面で実効性のある方針が示されれば良いのですが。

 こういうのを見ると、やはり求職者には「大企業を目指せ」と言うほかないなと思います。業界知識に乏しい新卒者の場合など尚更ですね。学生のことなど微塵も考えていないコンサルや政治家の類は「中小企業に目を向けろ」と説きますけれど、結局は大企業の方が絶対的に「無難」な選択でしょう。大企業にもハズレはありますけれど、それでも大企業には社会的な監視の目があるものです。外からの視線に晒されないところで好き勝手に従業員を使い潰す中小企業に比べれば、大企業への就職は確実に安全な道と言えます。

 ただまぁ、とりわけ日本の場合は「消費者」の目線と「労働者」の目線が乖離しているようにも思えるところで、それが社会的な監視の力を大きく弱めてもいるのではないでしょうか。結局、ブラック企業と呼ばれて求職者からは避けられるようになっても、それが必ずしも消費者や取引先から避けられることに繋がるとは限らなかったりするものです。反対に「ホワイト」企業として求職者からは絶大な人気を誇る企業・組織でも、むしろ消費者あるいは市民から罵倒の対象になっていたりもします。厚労省から名指しされることを厭う大企業もあるでしょうけれど、それが顧客離れに直結するかというと微妙なところでもある、日本の市場とは、そういうものですから。果たして本当に「名前を公表されると企業の行動は違ってくる」のやら。どうにも厚労相の見通しは甘すぎるようにも思えますね。

 

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子供を売りにする、ということ

2015-05-14 22:56:04 | 社会

はなちゃん、みそ汁今朝も 作文「ママとの約束」教材に(朝日新聞)

 亡き母から受け継いだレシピで、みそ汁を作り続ける少女の作文がこの春、小学2年生向けの道徳教材に載った。少女は7年前、母をがんで失い、父とふたりの暮らしになった後も毎朝、台所に立ってきた。みそ汁を作っている時は、ママが隣にいる感じがする――。その作文は編集担当者の心を打ち、多くの子どもたちに届けられることになった。

(中略)

 父で会社員の信吾さん(51)は12年、闘病生活などについて書いた本「はなちゃんのみそ汁」(文芸春秋)を出版した。千恵さんが闘病中の06年に始めたブログも盛り込み、はなさんも含めて3人の共著にした。本はベストセラーになった。

 タイトルの由来は、はなさんが1人でも生きていけるようにと、千恵さんがみそ汁など料理の作り方を教えたことだ。千恵さんは闘病中、食事と生活習慣の改善に努め、ブログには「食が命をつくる」と書いた。

 道徳教材に載る作文のタイトルは「ママとの約束」。はなさんが小3の時に書いたものだ。作文は、千恵さんのブログを中心にまとめ、12年に出版した本「娘・はなへ――ママが遺した いのちのレシピ」(角川書店)に収録された。これに目をとめたのが、東京の出版社、日本標準で道徳教材編集を担当する山崎房子さんだった。

 一昨年末、立ち寄った書店で見た作文に、「これだと思った」。教材の素材を探していた頃だった。「きちんと食事をとること、自分の食べるものは自分で作ること。大事に自分の人生を生きていく上で大切なことだと思った」。作文は、小2向けに一部の漢字を平仮名にして教材に掲載。北海道から沖縄まで各地の自治体や学校が購入し、4月から授業で使われている。

 

 なんと言いますかまぁ、上記引用のエピソードは「ママ」が代替医療に嵌って無根拠な食事療法に走ったりですとか、あるいは父親が娘に母親の代わりをさせているだけ等々と、メディアの思い描いたストーリーに乗らない人からは色々と批判されている代物だったりします。その一方で教科書出版社や朝日新聞からは美談としてヨイショされているのですから、いわゆるひとつの「闇は深い」って奴でしょうか。

 なお「はなさんが1人でも生きていけるようにと、千恵さんがみそ汁など料理の作り方を教えた」とのこと。父親は保護者として健在のはずですが、亡き母は父親のことをあまり信頼していなかったのでしょうかね、父親はいるけれども「1人でも生きていけるように」何かを教えなければならなかったとしたら、そっちの方に悲哀を感じないでもありません。

 毎度のことながら非科学的な「食育」の世界を垣間見せてくれる類でもありますが、教科としての道徳とはそういうものなのでしょう。どうにも安倍内閣肝いりの道徳教育の推進にばかり否定的な姿勢を見せる人も多いですけれど、自民党の「保守派」とは全く無関係なところから押し進められている道徳教育もまた、負けず劣らずタチが悪いようにも思われます。上記のような事例を美談として教育現場に広めようとする出版社や朝日新聞の振る舞いは、もっと批判されてしかるべきものです。

 ……世の中には「子供を使って」利益を得る大人がいます。子供を見世物にして顧客を呼び込もうとする人は少なくありません。あるいは金銭的な利益もさることながら、政治的な欲求を満たすのもまた広義の利益でしょうか。例えば子供を前面に押し立てて「周りの大人」の代弁をさせる類のデモを筆頭に、「子供のため」を錦の御旗にして他人の口を塞ごうとする人もいるものです。そして「子供を使った」ビジネスに群がっているのは専ら「子供好き」の人々でもあります。

 児童ポルノばっかり叩かれてもいるわけですが、ポルノであろうと無かろうと(実在の)子供を売りにした広報戦略や思想宣伝は、もう少し白眼視されてしかるべきではないかと思うのです。子供に母親の代わりをさせて、それを美談として広めよう、売り込もうなんてのは鬼畜の所行として断罪されてしかるべきではないでしょうか。子供を盾にすれば反論は受けにくいものですけれど、そこに惑わされてはいけません。ポルノに「けしからん」と言うよりまず、子供を見世物にするのはどうなんだろうと、そう先に考えられても良さそうな気がしますね。

 

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日本人にとって神聖なもの

2015-05-11 23:19:28 | 社会

英王室広報「サルにどんな名前つけようと動物園の自由」(朝日新聞)

 高崎山自然動物園(大分市)がメスの赤ちゃんザルに英王室の王女と同じ「シャーロット」と命名したところ、批判が殺到して園がおわびしている騒動について、英王室広報は7日、朝日新聞の取材に対し、「コメントは特にありません。赤ちゃんザルにどんな名前を付けようと、動物園の自由です」と答えた。(ロンドン=渡辺志帆)

 

 さて、大分の動物園で生まれた猿に「シャーロット」と命名したところ、国内レベルで批判が殺到していることが伝えられているわけです。これもまた、大いに「日本的な」事象と言うべきでしょうか。わざわざ英王室広報にまで取材した新聞社もあったもので、翻訳されたコメントからもイギリス側の「うんざり」感が滲み出ていますね。まぁイギリスから見れば、そんなことで問い合わせてくる方が頭がおかしく思えるのかも知れません。しかし、日本的には全国紙が報じるレベルの重要な問題なのです。

 

祝福の気持ち尊重 「シャーロット」のまま(大分合同新聞)

 高崎山自然動物園の赤ちゃんザルに「シャーロット」と名付けて賛否が起きた騒動で、大分市と市高崎山管理公社は8日午後、名前を変更しないと発表した。応募者が王女誕生を祝福するつもりで命名したことや英国側から抗議がないことを理由として挙げた。改名問題への判断は示されたが、発表直後から市と園には「なぜ変えないのか」と電話が殺到。職員は引き続き対応に追われた。

(中略)

 「シャーロット」の名前を変えないことが明らかになった後、市と園には「変えるべきだった」との電話やメール、ファクスが相次いだ。7日は肯定的意見が上回っていたが、8日は状況が一変。肯定的意見385件に対し、否定的意見は617件だった。

 批判の内容は「英王室の尊厳を傷つけられたと考える英国人はいる」「他国の動物に日本の皇室の名前を付けられてもいいのか」などが大半だったという。

 6日に名前を公表後、3日間の総計は1597件。肯定600件、否定969件、不明28件となっており、否定的な内容が多い。

 市は公募制度の見直しも検討する考えを示した。吉田部長は「どのような名前が出てくるのか分からず、今後も同じようなケースが起こるかもしれない」と説明した。

 

 そして一時は沈静化するかに見えたものの、8日には状況が一変したとのことです。影で色々と頑張っている活動家もいるのでしょうか。おそらく今の段階では否定派の意見が1,000件を超えているであろうと推測されます。市役所や動物園の業務に支障を生じさせるには十分な件数ですかね。結局は市が公募制度の見直しを検討するとまで言い出したのですから、猿の命名が撤回されないまでも影響は決して小さいものではなかったことがわかります。

 よく「日本は無宗教」みたいに言われて、日本社会あるいは日本人は宗教的偏向がない、宗教的な不寛容がないみたいに(勘違いしては)ふんぞり返っている人も見受けられます。しかし、それは間違いでしょう。日本は、今も昔も一貫して国家神道の国です。イスラムやキリスト教のタブーに触れても怒り出す日本人は多くないかも知れませんが、それは単純に「日本で信仰されている宗教ではないから」です。日本人が宗教に寛容だからでは決してありません。むしろ反対に、それを茶化されれば怒り出す人が多いものこそが、日本人の信仰の対象であろうと言うことができます。

 今回の件では「英王室の尊厳を傷つけられたと考える英国人はいる」「他国の動物に日本の皇室の名前を付けられてもいいのか」といった「批判」が相次いだそうです。その筋の人には残念ながら「英王室の尊厳を傷つけられたと考える英国人」は今のところ現れていないようですけれど、かの「テキサス親父」みたいに一部日本人の代弁者を都合良く務めてくれる人も探せば見つかるのでしょうか。たぶんまぁ、猿にムハンマドと名付ければ怒り出すイスラム教徒はいると思いますが、日本人の怒り方はそっちの方に近いように思われます。なにしろ宗教ですから!

 国内で多数派ではない宗教の指導者なり聖者なりを笑いやゲームのネタにしても、それは日本国内においてタブーにはなりません。日本人は信仰に凝り固まっていないから――であれば良いのですが、残念ながら少なくない日本人にとっては別のタブーがある、笑いやゲームのネタにすることが許されない存在があるわけです。その存在を、今回の一件は露わにしているのではないでしょうか。多くの日本人にとって「宗教」の開祖を神聖視することは滑稽に見えている一方で、日本には無自覚な信仰の対象がある、ネタにすることが不敬として扱われるものがあるのです。日本人の信仰の対象をシャルリ・エブド風の下卑た風刺の対象にでもすれば、襲撃の一つもありそうなものではないでしょうか。そこに日本の最も有力な宗教の存在を窺うことができます。

 

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輜重輸卒が兵隊ならば

2015-05-09 14:00:58 | 政治

自衛隊の後方支援「弾が飛んでこない所」 礒崎氏が説明(朝日新聞)

 礒崎陽輔首相補佐官は3日のBS―TBSの番組で、新たな安全保障法制の整備で、新設をめざす恒久法案「国際平和支援法」などで自衛隊が戦闘中の他国軍を後方支援できる地域について、「弾や爆弾が飛んでこないような所だ」と述べた。

 政府・与党は昨年7月の閣議決定で、他国軍を後方支援できる場所について、「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」であれば、補給や輸送などの後方支援ができると決定。これまで自衛隊をインド洋やイラクに派遣した際の「非戦闘地域」という概念を廃止し、活動範囲を大幅に広げることを決めている。

 礒崎氏は、自衛隊が他国軍を後方支援できる「戦闘現場以外の場所」の定義について、「あくまでも憲法上の問題が生じないということであり、実際は戦闘に巻き込まれる可能性のほとんどない所でしか(後方支援は)できない」と発言。自衛隊員の安全を確保するため、海外で後方支援できる範囲は、銃弾が飛んでこない地域に限定されると説明した。

 

 輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々、トンボも鳥のうち――戦前には、そんな風にも歌われたそうです。翻って戦後の日本は長年にわたりアメリカ軍の後方支援活動を続けてきました。そして後方支援活動が戦争行為なら、やはり蝶々やトンボも鳥のうちということになるのでしょうか。米軍支援に積極的な人は、実際に行れてきたことを憲法違反ではないと主張します。そして憲法を守れと説く人は、日本は現憲法下で他国と戦争をしてこなかったと語ります。なるほど、両者ともに「兵站は戦争行為にあらず」という点では意見が一致しているようです。

 春先には安倍総理が自衛隊を指して「我が軍」と宣ったことが一部の批判を浴びました。「自衛隊を軍にする」という政権の本音を示したもの云々と息巻くメディアもあったものです。しかし、自衛隊が軍でないと言い繕うことの方こそ詭弁ではないかと、私には思われないでもありません。自衛隊は紛れもない軍隊であり、日本国は軍隊を保有する国家である、首相発言は「お約束」を蔑ろにするものではありましたが、しかし現実を歪曲するものでもまた、なかったと言えます。

 既に日本は軍隊を完備していますし、アメリカの戦争にも参加している、それが本当のところではないでしょうか。軍隊ではなく自衛隊である、戦争参加ではなく後方支援活動である――それは決して、正しいことではありません。詭弁を弄して憲法の枠内ということにしてしまっている現状は、果たして憲法が守られていると言えるのやら。「憲法を守れ」と唱えられた場合の「守る」ことの意味は専ら「改憲から」憲法を守ることのようですけれど、それより先に憲法の規定を遵守せよと、そう説かれても良さそうなものです。まぁ、実質的に破棄されて久しい憲法の規定を数十年ぶりに遵守せよとまで主張することには、護憲派を自認する人も二の足を踏むのかも知れません。いわゆる護憲派は、あまり極端なことは言わないものなのでしょう。改憲派の盲目的な理想家ぶりとは裏腹に、護憲派の態度は実に妥協的です。

 

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見られているぞ!

2015-05-07 00:23:17 | 社会

年金入力で「違法派遣」…無届けの下請けが作業(読売新聞)

 日本年金機構(東京)が外部委託していた福島、和歌山、大分3県の年金データ入力業務を巡り、業務を請け負った会社が昨年10月以降、労働者派遣法に基づく許可・届け出のない別会社から社員派遣を受け、働かせていたことが、同機構などへの取材でわかった。

 同機構は今年3月になって事態を把握し、委託契約を解除したが、個人情報を扱う公的な業務が、違法状態の派遣労働によって担われていた。

 

 一昔前なら住基ネットですとか、もう少し直近ならばマイナンバー制度ですとか、こうした類に強い懸念を示す人もいるわけです。その多くはプライバシー面での不安を訴えるものですけれど、実際のところはどうなのでしょう。全く心配が無いとは言えない反面、幾分か過大に煽り立てられているとも言えますし、それ以上に「他に心配すべきものがあるのでは」という印象もあります。

 例えば2011年の震災と失政が招いた未曾有の電力不足の中で、「スマートグリッド」さえ導入すれば再生エネルギーで対応できるみたいなことを言い出す脳天気な人もいました。しかし、各家庭の電力使用状況をつぶさに把握するためのシステムが張り巡らされることに、プライバシーの不安を感じたりはしなかったのでしょうか。少なくとも私には、住基ネットなんかよりもスマートグリッドの方がずっと危ういシステムに思えたものです。

 そして実運用としては、変に警戒されている類よりも無警戒なものにこそ穴があるものなのかも知れません。その一例が上記に上げたようなケースで、外注に次ぐ外注で情報を扱う人を適正に管理できていない場合が挙げられます。私の勤務先においても実務が非正規任せになっているところが多く、会社の保有する個人情報の管理はベネッセと同じで非正規社員の良心次第になっていたりするわけです。しかしモラルを要求されるからには、その対価として身分保障の一つもあってしかるべきではないかと思いますね。いつ首を切られるか分からない非正規労働者にとっては、会社の命運なんて本来は気にする必要のないものですし。

 

ごみの分別、違反者どう見つける? 開封調査に同行ルポ(朝日新聞)

 分別ルールを守っていない家庭ごみの袋を開けて、誰が出したかを特定する開封調査を行う自治体が大都市を中心に少しずつ増えている。どのような調査をしているのか。現場を歩いた。

(中略)

 通信料金の請求書なども見つかり、違反者を特定した。「人違いにならないよう、慎重に判断しています」と職員。カメラで宛名やごみ袋の中身を撮影した。後日、自宅を訪問してルールを守るよう指導する。この日は午前中だけで38袋を開け、6袋の違反者を特定した。

 

 ……で、こういうのは一昔前ならストーカーや探偵の仕事だったわけですが、近年は行政が彼らの領分に進出していることが伝えられています。多くは大規模自治体で行われているとのことですけれど、そうした自治体でも業務の外部委託は着々と進められていくものです。いずれは、外注先のさらに下請けが実際にゴミを漁り個人情報を収集する役割を担うことになるでしょう。行政から違反を咎められる結果にはならなくとも、自身の生活を行政――及びその委託先――に覗き見されるという未来は確実に待ち受けているのです。

 

 千葉市の熊谷俊人市長は昨秋、ツイッター上で開封調査に法的根拠はあるのかという趣旨の問いかけを受け、「逆に問題となる具体的な法的根拠を教えて下さい。報道を見ても否定派の識者が憲法を持ち出して情念的に疑問を呈しているだけに感じますが」と応じて賛否両論を呼んだ。

 

 上で述べたように、警戒されているものよりも無警戒なものの方こそ、実は危うい芽があるようにも思います。安倍政権の空疎な改憲論もさることながら、実はこの千葉市長のような姿勢の方こそ、より現実的に憲法の精神を蔑ろにしているのではないでしょうか。公共性を理由に個人のプライバシーを侵害することがどこまで許されるのか、そこには最大限の慎重さが求められるところです。しかるに千葉市(及び他のゴミ漁りをする自治体)は、あまりにも無思慮に憲法上の縛りを飛び越えてしまったように見えます。

 どの家庭から出されたゴミを覗くのか、それは行政の裁量に委ねられます。より厳密には実作業者――それは業務委託先であり、その下請け、孫請けでもあり得る人――次第です。納税額や年金の納付状況のような数値なんかとは比べものにならないほど雄弁に、ゴミはその人の私生活を物語ります。ゴミを分別して出さない人にも問題はあるにせよ、そうした人の存在を口実に住民全体を巻き込むことが許されていいのかどうか、疑問は尽きません。

 

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内閣支持率は良好なんだが

2015-05-04 11:55:37 | 政治

憲法改正不要48%、必要43% 朝日新聞社世論調査(朝日新聞)

 憲法記念日を前に朝日新聞社は憲法に関する全国郵送世論調査を実施し、有権者の意識を探った。憲法改正の是非を尋ねたところ、「変える必要はない」が48%(昨年2月の調査は50%)で、「変える必要がある」43%(同44%)をやや上回った。

(中略)

 調査手法や質問文が異なり単純に比較できないが、憲法改正の是非は、中曽根内閣時代の1980年代の調査では、反対が賛成を上回っていた。次に改憲の是非を聞いた97年の調査以降は賛成が反対を上回ってきたが、安倍政権が憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする議論を進めていた昨年の調査から再び逆転していた。

 

 報道が伝えたがっていることは見出しにある通りなのでしょうけれど、本文やグラフを見ると微妙な印象でもありますね。グラフの横軸が'83→'86→'97→'01と不規則に飛んでいるのは見ていて気持ち悪いですし、「面接」「電話」「郵送」と方式を変えたものを繋げているのも調査の信頼性に疑問を抱かせる一因たり得ます。まぁ、本文にも「調査手法や質問文が異なり」とありますし、グラフも隠せば済むところを敢えて掲載している辺り、正直さは買ってやるべきなのかも知れません。

 面接と電話、郵送ではそれに応じて傾向が異なるところもあるでしょうか。それ以上に質問文次第で操作はできます。例えば死刑制度をめぐる論議でも「いかなる場合でも死刑は廃止されるべきであるか」との質問文であれば、回答は死刑支持の側に偏るものです。逆に「いかなる場合でも死刑は存置されるべきであるか」と質問文を変えれば、今度は死刑反対の側に票が傾くわけです。「状況次第では死刑は廃止されるべきである」と「いかなる場合でも死刑は廃止されるべきである」であれば、制度の是非を問うにしても結果が異なるであろうことは、誰の目にも明らかですよね。

 なお今回調査の質問文は「◆いまの憲法を変える必要があると思いますか。変える必要はないと思いますか。」とのことで、概ねニュートラルな聞き方にはなっているでしょうか。面接方式から電話方式、郵送方式へと手法が変わっているのも、自前のサイトにアクセスした人だけを調査対象者にした手前味噌の世論調査もどきに比べれば、まだしも許せる方です。そして、集計された結果として出てきたのは見出しにある通り、「憲法改正不要48%、必要43%」でした。

 興味深いのは、少し前までは「(憲法を)変える必要がある」と回答していた人が多数派であったのに、むしろ安倍内閣時代に改憲派が減って「変える必要はない」との回答を下回るまでに至ったということですね。全体としては高い支持率を維持し、野党に対しても圧倒的優位を保っている安倍内閣ですが、首相が執心しているはずの憲法改正に関しては支持を得られていないことが分かります。内閣全体としては支持されているにもかかわらず……

参考、無能な怠け者であってくれ

 「無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。/無能な働き者。これは処刑するしかない。」と語る人もいます。総じて政治家は本人が拘りを持っている分野においてこそ、タチの悪いケースが多いのではないでしょうか。逆に本人の関心の薄い分野では、それなりに他人の意見に耳を傾けつつ、まずまずの――取り立てて批判すべきものでもない――判断をしている場合が多い印象です。

 安倍晋三の場合も然り、経済政策に関しては「ブレイン次第」と言ったところで良くも悪くもなりうる、この辺は徹底して悪い方向へと突き進んだ小泉純一郎や菅直人に比べれば遙かにマシと評価できます。国民の内閣支持率及び政党支持率にも、そうした評価が跳ね返っているのではないでしょうか。逆に、安倍晋三が確固たる己の信念を持って行動している分野においては? そうした領分に関してはまさしく無能な働き者になっている、結果として憲法改正への賛成票を逆に減らしているのかも知れません。

 

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