日本の発展を支えてきた「日本人の勤勉さ」について、これからも続くと思う人は35%にとどまり、そうは思わない人が61%に上ることが、読売新聞社の年間連続調査でわかった。
1984年の調査では、続くと思う人が59%、思わない人が33%だったが、この四半世紀で楽観論と悲観論の比率がほぼ逆転したことになる。
(中略)
ただ、今回調査で「一生懸命に働くことは美徳だ」という考え方への賛否を聞いたところ、「そう思う」が71%を占め、「そうは思わない」の25%を大きく上回った。
この読売の記事によると、「日本人の勤勉さ」がこれからも続くと思うのが楽観論、そうは思わないのが悲観論という位置づけになっているようです。どうでしょうか、私はこの「日本人の勤勉さ」が今後も続くと思いますが、そう考えるのは楽観論からではなく、悲観論からです。「日本人の勤勉さ」が続いて欲しい、きっと続くであろうと考えるならば、それは楽観論と言えるかも知れません。一方で「日本人の勤勉さ」が続くべきではないが、続いてしまうだろうと考えるなら、これは悲観論です。私は後者なのですが、読売記者は前者のパターンしか想定できていないようです。
そもそも、「勤勉でありたい」という自身の願望の結果として勤勉さが続くのと、「勤勉でなければならない」という社会の要請の結果として勤勉に振る舞わざるを得ない場合、両者では全く性質が違います。ここでも私は後者の立場を採るわけですが、まぁ少数派であり、想定されていないのかも知れませんね。ただ、可能性としては後者の方が有力ではないでしょうか?
「一生懸命に働くことは美徳だ」という考え方が多数を占めるわけですが、この考え方は「一生懸命に働かない奴は悪徳=モンスターだ」とする排除の思考と表裏一体です。そこで悪徳として排除されないためには(会社のために)一生懸命に働くこと=勤勉さが要求されます。「一生懸命に働くことは美徳だ」と人々が考え続ける限り、「一生懸命に働かねばならない」という社会の圧力は働き続け、その結果として勤勉であることが強いられた結果として維持される、このように「日本人の勤勉さ」が続く可能性もあるでしょう。
私の変わらぬ主張でもありますが、労働は目的ではなく手段です。働くために生きるのではなく、生きるために働くのです。働くことに一生懸命になるのではなく、自分の人生を楽しむことに一生懸命になること、労働はそこで欠くことの出来ない金銭的な要求に対応するための手段の一つであり、それに一生懸命になることは本末転倒である、こうした価値観への転換が必要です。そのためには、ここで言われているような「日本人の勤勉さ」は滅びてもらいたいのです。
定年まで同じ企業に勤めることができる「終身雇用制」を望ましいとする人は77%で、過去最高の88年と並んだ。年齢や勤続年数よりも、個人の能力や業績を重視し、賃金などに反映する「成果主義」については、「好ましい」の65%が、「好ましくない」の30%より多かった。
ちなみに、成果主義の支持がダブルスコアで不支持を上回ったとか。成果主義による受益者と、成果主義による損失を被った人であれば、ダブルスコアで後者が上回ると思いますが、この結果はどうなのでしょう? その支持者は成果主義に何を期待しているのでしょうか? 自分の「成果」が認められること? その割に自分の「成果」が認められたという話は耳にしないような気もしますが。
「アイツはロクに仕事をしていない、怠けている!」と、そう信じ込むのは傲れる民間人が公務員を前にした場合だけではありません。しばしば、自分の職場の上司、部下、同僚に対して同じ様なことを考えている、考えられているのではないでしょうか? 「アイツはダメな奴だ、アイツが今のような給料をもらっているのはおかしい!」と。だから成果主義を導入すべきだ、成果主義を導入して、成果の出ていないアイツが相応しく評価されるべきだ、そう意図して成果主義を支持してきた人もいるとしたらどうでしょう、この場合であれば、支持者の期待に成果主義は応えてきたのですから筋は通るはずです。
成果主義によって、大方の人は評価を落とした、かつてよりも給与が抑えられるようになりました。結果として、憎きアイツの評価も下がった、成果主義によってアイツの働きぶりが適正に評価された、罰が下った、この路線をもっと推し進めるべきだと、そう考えている人もいるのではないでしょうか。そこで無視してはならないのは勿論、成果主義を支持した「自分」の評価も大方の場合、下がっていることです。他人に罰を下したつもりが、自分の首を絞められているわけです。これに気付くか気付かないか、そこが分かれ目かも知れません。
たぶん成果主義の支持者の少なからぬ層は、体罰の支持者、厳罰論者と同じ考え方をしているのでしょう。以前にも触れたことですが、要するに彼らは罰―――体罰、極刑、給与を抑え込む方便としての成果主義―――の執行者を根拠なく信じている、罰が下されれば必ず「悪い奴」に当たると、そう信じているのです。実際のところは言うまでもなく、執行者が罰したいと願った人が罰されるのですが、それでも神の裁きを待ち望む、そんな良くも悪くもナイーブな人が目立ってきていることを成果主義の支持は示しているのではないでしょうか。