非国民通信

ノーモア・コイズミ

カッコーの巣の上へ

2011-02-23 23:02:36 | ニュース

<特集ワイド>ご存じですか? 20~30代で受診増「大人の発達障害」(毎日新聞)

 大人の発達障害が注目されている。これまでは子どもの障害とされていたが、大人になっても症状が残る人がいる。特に20~30代で発達障害を疑って受診する人が増えているという。大人の発達障害とはどのようなものなのか。

(中略)

 会を主宰する冠地情(かんちじょう)さん(38)は「発達障害の人の多くは、学校や会社で『努力が足りない』『相手の気持ちを考えろ』などと散々叱られ、自信をなくしている。自己肯定感を取り戻すことが重要です」と話す。

 熊谷みゆきさん(33)は、約20社で契約社員などとして働いたが、いずれも人間関係になじめず辞めた。幼いころから自分から人に話しかけられなかった。小学生の時に先生から「あの子に委員会があると伝えておいて」と頼まれたのに、話しかけるタイミングがつかめず伝え損ねて叱られたことを今も覚えている。

 昨年9月まで1年半、テレホンオペレーターとして勤務。比較的単純な受け答えが中心の間は何とかこなしたが、用件の予測がつかない社内の電話も受けるように指示された途端、うまくいかなくなった。相手の声が言葉として聞き取れず、伝言もあいまいな説明しかできなかった。

 何度注意されても改善できず、次第に朝起きるのがつらくなり、出社してもトイレに閉じこもる時間が増えた。昨年6月に発達障害と診断され、仕事を辞めた。一つよかったことは、人と違うことばかりする熊谷さんに絶縁を言い渡していた姉が、障害と分かってからは一番の理解者になってくれたことだ。

(中略)

 「大人の発達障害がわかる本」(洋泉社)を監修する吉祥寺クローバークリニック(備瀬(びせ)哲弘院長)を、発達障害で受診する人はここ2、3年で約2倍に増え、特に20~30代が多い。備瀬院長は「啓蒙(けいもう)が進み、メディアが取り上げる機会が増えたこと」を要因に挙げる。20~30代に多いのは、就職を機に問題が表面化することが多いからだ。

 発達障害は先天的に脳の機能が偏ることが原因で、知的発達に問題のないケースも多い。学生時代は成績も悪くなく、気の合う友達と付き合うだけでも済むため障害が見過ごされやすい。しかし、就職するとより高度な社会性や協調性、コミュニケーション能力が求められ問題が顕在化する。

 例えば児童虐待なんかが典型的ですが、実態は大差なくとも社会的な知名度が上がることで認知件数が飛躍的に増加することがあります。従来は水面下に隠れていたものが、急に顕在化し出すこともあるわけですね。そこで今回、発達障害の受診件数が急増していることが伝えられています。ただ記事が伝えているところを見ると、どうも受診件数が増えているだけであって、実際に発達障害として診断結果を下される人が増えているかというと巧妙に言葉が濁されているフシがありますので、その辺はちょっと怪しいところです。まぁ、急に発達障害の人が増えるはずもありません。確実なのは、自らを発達障害と疑うようになる人が増えているということです。

 引用元では「発達障害は先天的に脳の機能が偏ることが原因」とされていますが、こういう風に説明されると「誰だって偏っているに決まってるだろうが」と言いたくもなります。映画「カッコーの巣の上で」でジャック・ニコルソンが精神病院に収容され自由を奪われている患者達を指して、「町を歩いているバカどもと変わるもんか」と言い放つシーンがありますけれど、誰だって欠けているところ、抜けているところがあるわけです(それに無自覚な人は多いにせよ)。実際のところ、ちょっと尺度が変われば誰だって障害を持っているのではないかという気がしますね。

 一方で「就職を機に問題が表面化することが多い」、そして「(学生時代は)障害が見過ごされやすい」とも伝えられています。要するに学生生活を送る上では何の支障もない人でも、昨今の就業環境においては障害者となってしまうわけです。果たしてこれは、本人の障害の問題なのでしょうか? 超・買い手市場に甘やかされた雇用側が従業員に完全無欠であることを要求するが故に、職場で「欠陥」を露呈する人が増えているだけではないでしょうか。「コミュニケーション能力」と称して社員にエスパー並みの「気の利かせ方」を求めるなら、それに適応できない人が続出するのは当たり前の話です。

 順番が前後しますが、中段で紹介されている熊谷みゆきさん(33)の事例には興味深い点があります。何でも「熊谷さんに絶縁を言い渡していた姉が、障害と分かってからは一番の理解者になってくれた」そうです。これをどう見るべきでしょうか? 逆に言えばこのお姉さん、「障害」と認定されない間は決して理解者となってくれなかったことを意味しています。この辺もある意味、日本的なのかも知れません。本人に何ら変化がなくとも、医師が下した診断結果次第で周囲の対応が180°変わることも珍しくないわけです。

 たとえば、生活保護申請の場合を思い浮かべてください。本人の窮乏状態もさることながら、ものを言うのは医師の診断書だったりすることも多いのではないでしょうか。職場においても、「障害」と診断されないうちは罵声が飛んでくる一方で、「障害」と診断されると腫れ物に触れるような扱いになったりすることも少なくないはずです。診断の前後で本人には何の変化はなかろうとも、医師がどう診断を下したかどうか、それ次第で周りの人間は態度を変えるものです。診断を受けることで変わるのは「患者」ではなく、「患者」を取り巻く周囲の人間と言えます。

 引用した記事で触れられているように、発達障害を疑って「受診する人が増えている」わけです。いったいどういう意図で受診しているのでしょうか。もちろん、自身が発達障害かどうかをはっきりさせたい、発達障害であるなら何らかの手段で治したいと、そう思っている人が大半でしょう。しかし、そうした人々の中にも「『障害』として認定を受けたい」という願望もあるような気がします。熊谷みゆきさん(33)のケースを考えてください、熊谷さんは「障害」として診断されることで初めて、姉から理解を得ることができたのです。自分ではなく、周りの対応を変えるために受診している人が多かったとしても、もはや不思議に感じることはありません。

 結局のところ、学生生活を送る上では何ら支障がないレベルの「偏り」でさえ、昨今の就業環境においては深刻な欠陥となり、社会から排除される要因となってしまいます。障害がないのであれば、「できて当たり前」が無制限に要求されるものです。そして、このような労働環境における免罪符の代用品が、医師による「障害」という診断結果になっているかも知れません。診断書がなければ「努力が足りない」として罵倒されるばかり、「ちょっとぐらい欠点や偏りがあってもいいじゃないか」みたいな感覚は通用しない、それこそ「甘え」のごとく扱われるものです。しかるに「障害」として認定されることで初めて「障害なら仕方がない」として周囲の非難から逃れられるようになるとしたら、「障害として認定されたい」という思いで受診に踏み切る人が増えたとしても驚くには値しないでしょう。医師の診断書でもなければ「つらさ」を理解してもらえない、追い詰めた人が増えれば増えただけ、受診が増えている、そんな因果関係であるようにも思えます。

 

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12 コメント

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不備たること (不備)
2011-02-24 00:45:59
 私はここでのHNとして、不備と名乗っています。自戒もあるし、完全無欠なものへの諧謔のつもりもあります。禅宗の坊さんなんかも、似たような名前の人が色々いますが、そんな感じでテキトーにHNにしているだけに、今回は実に考えさせられますね。

 雇う側の怠慢と無能が棚上げされ、末端・現場の労働者ばかりに責任転嫁される道具として「発達障害」が使われたらたまりません。
 あるいは、誰かを「あいつは発達障害だから……」とレッテル貼りをすることで、少しでも競争相手を減らそう、という目論みが出てきたら怖いものです。

 以前も言及したことですが、現代の日本には、どうも優性主義的なものに親和性がある概念・言葉がやたらと出てきます。モンスターだのゆとりだのと、不備があるというレッテルでもって他者を否定する。ひるがえって「完全無欠」な超人を礼賛する。
 カルト的薄気味の悪さがありますね。
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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2011-02-24 01:23:19
今中東で連鎖反応的にデモが起きていて、それらを伝えるインターネットニュースに付くコメントに「中国、北朝鮮も続け」的な物も多いわけですけども、そういうコメントを付ける様な人に限って仮に国内で「もうやってられない、給料よこせ、こき使うな」という系統のデモが起こった場合には非理解的な態度(甘えるな系の)を取りそうだよな、と私は考えるわけです。日本ではこういう「消極的抵抗」を取るしかないのかも分かりませんね。
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私も (Bill McCreary)
2011-02-24 06:48:42
>一つよかったことは、人と違うことばかりする熊谷さんに絶縁を言い渡していた姉が、障害と分かってからは一番の理解者になってくれたことだ。

を読んで、「え」と思いました。ほんらい(とくに身内なら)障害だろうがなんだろうが、「絶縁」までされたら救いようがないだろうと。

熊谷さんがどのくらい絶縁されるに値する行動をしていたのかわかりませんのでめったなことは言いませんが、管理人さん仰せの通り、たぶん「障害」となったら周囲の態度がかわる事例というのは珍しくないのだろうと思います。
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分かり合うことは良い事ですね (ピンク映画好き)
2011-02-24 21:07:42
障害に限らず、人種や民族や国籍などに対する無理解や誤解で差別したり争ったりすることはよくある事ですね。
解決するには、今回の発達障害の件のように、正確な情報を元に学び理解するのが最良であろうと思います。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-02-24 23:00:37
>不備さん

 何かにつれ「自立」志向が強いと言いますか、「自分1人でできること」が当たり前と見なされるところがあるように思いますね。それが「病人」でもない限り、欠点のある人や誰かの助けを必要とする人は受け入れられないわけです。でも、自分1人でできている「つもり」の人も、実態はそうではない、他人に欠点をフォローしてもらっていると思うんですよね。

>ノエルザブレイヴさん

 仮想敵国の政府への「攻撃」のために、隣国でデモが発生することを期待するかのような言辞もあるわけですよね。一般向けメディアでも、デモを治安への脅威と見なすような報道ばかりですし。国内からの自発的な動きに、全く期待が持てない社会ですから……

>Bill McCrearyさん

 「障害」として診断結果が下されようが、本人には何の変わりもないはずなのですけれど、その一方で「周りの人間」が変わることはよくあるのだと思いますね。おそらく診断結果がなければ「熊谷さん」のお姉さんは一生、理解してくれなかったわけで、そう思うとちょっと悲しくなります。

>ピンク映画好きさん

 お互いを理解できればいいのですが、「障害」といった第三者からの認定を受けることが、理解のためには必要となってしまう辺り、まぁ道は険しいです。
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Unknown (GX)
2011-02-26 09:42:31
 この話を聞いて「プチうつ」というものを思い出しました。この「プチうつ」とは会社で嫌なことがあったり挫折したりすると診断書を書いてくれと言って精神科医に来る「うつ病」とは診断されない人たちのことを言うようです。これを取り上げたニュースサイトの記事によると「うつという病気の敷居が低くなりすぎたことが原因」とされていましたが、これも今回の「発達障害」と同様「病気」と診断されれば社会的には仕方ないとされるが、そうでなければ単なる甘えや逃げとされてしまうのが「病気でもないのに病院に来てしまう」理由ではないでしょうか。逃げ場所や免罪符を求めて病院に来ても「うつ病」と診断されなければ、少々極論になってしまいますが「社会に合わせられないのなら死ね」と言われるようなものではないでしょうか。「病気」ではないのですから、病気ではないと言う病院が悪いのではありませんが…。
 「発達障害」や「プチうつ」などの免罪符が必要ない、そもそもそれが必要になるような状況が生まれない社会を築いていきたいものです。
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Unknown (シトラス)
2011-02-26 10:13:29
メンタルヘルス界隈では、自分を病気と定義することによって少し肩の荷を降ろすということがよく行われていますし、個人的な関係を見直すのであれば悪くないかもしれません。
ただ、最近では障害者枠での就職に本気で望みをかける人がいると聞きます。
つまり「発達障害」の問題は、働く前から顕著になっているといえます。
もっとも障害者の定義自体が元々労働能力の有無を問題にしているので、「仕事に向かない性格=障害者」というのはある意味正しい定義かもしれません。
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Unknown (ルーピー)
2011-02-26 13:17:57
 漢字ができなかったり、カップラーメンの値段が分からないからということで、政権陥落に追い込まれた首相がいましたが、その人のこともLDとかいうのでしょうか。
 学校や会社に適応できない人の事を病気呼ばわりするみたいです。それでカウンセリングが必要だとかいうのが通論ですね。しかし、学校や会社こそが病んでいる、そっちの方にカウンセリングが必要なんて言う人がいないのが腑に落ちないところです。
 
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自分が言うのもアレですが (flagburner)
2011-02-26 20:15:15
この件については、私も決して無縁ではないので正直複雑な心境なんです。
実際、(詳細は私のblog記事参照)発達障害で障害者認定を受けた後、自分が他の人に対して(とりわけ仕事の場面で)どのようにこの事実を伝えるのか深く考える機会がありましたし・・・。


話は変わりますが、シトラスさんのおっしゃるように「障害者枠での就職に本気で望みをかける人」になろうか迷った時期もありました。
が、発達障害など精神に関する障害については、求職する場面で思わぬ壁になることもありうる実情を踏まえると、(私の場合)障害者枠での就職にこだわらない方がいいのかもしれません。
他に同じような状況にある全ての人に当てはまるわけではありませんが・・・。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-02-26 23:57:59
>GXさん

 そこからさらに、「鬱病」という診断結果を得ようとする行為もまた「甘え」だと断罪したがる人もいるんですよね。「うつ」の敷居が低くなったこともあるのかも知れませんが、むしろ「健常」の基準が高くなりすぎていることも意識されるようになって欲しいところです。

>シトラスさん

 昨今では、障害ではない「健常者」であることも一苦労ですからね。一方で既存の社会福祉の対象者を不当な受益者と見なす、優遇されているかのごとく語る向きも多い中、障害者枠に過剰な期待を抱く人も増えているのかも知れません。世知辛いものです。

>ルーピーさん

 海の向こうでもブッシュ大統領は言語障害の症状が指摘されていましたからね。それでも、生まれながらの特権階級なら普通以上に生きていけるわけです。しかし、周りに適応することが要求される人には、何かと世間の目も厳しいのでしょう。

>flagburnerさん

 TB拝見しました。flagburnerさんはweb上ではインテリに見えますが、職場ではご苦労されているようですね。私にしてもコミュニケーション能力無し、仕事ぶりは褒められたものではないだけに、真っ当な診断を受けたらどうなることか、です。しかしまぁ、障害と認定されなければ「できて当たり前」として扱われ、障害と認定されればされたで、今度は別の差別がある、どうにもなりませんね。
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