心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

蛍のように私の「心」も空を舞う

2022-06-10 10:50:32 | Weblog

 雨が降りそうで降らない、そんな1週間でしたが、季節は腐草為蛍(ふそうほたるとなる)。腐った草が蛍に生まれ変わるの意。「じっとりと湿度の高い季節、腐りかけた草の下から蛍が光を放ち始める」のだとか。庭の木陰に舞う蛍を追いかけた子どもの頃が思い出されます。ずいぶん昔のことですが、手のひらに載せた蛍から独特な虫の匂いが漂う、そんな淡い記憶があります。
 あれから半世紀以上経ち、今では蛍にお目にかかることはありません。昨日はNPOからの帰りに、電車とバスの両方で高校生と思しき若者から「どうぞ座ってください」と声をかけられました。「大丈夫ですよ」と言いますが「どうぞ」と言われて「ありがとう」と座ってしまいます。”万年青年”のつもりなんですが、彼ら彼女らから見ると私は間違いなく老人なんでしょう。

 さて、先週ご紹介した「雨月物語」ですが、白峯のあと、物語は菊花の約、浅茅が宿、夢応の鯉魚、仏法僧、吉備津の釜、蛇性の淫、青頭巾などと続きます。眠る前のひととき、夜な夜なグラフィック版を眺めます。子どもの頃、近所のお爺さんからよく怪談話を聞かされました。怖いものを怖いと感じ、美しいものを美しいと思う、そんな純真で素直だった子どもの頃が懐かしい。
 古典文学といえば、週の初めに公開講座「奥の細道」を覗いてきました。お話しは「松島・平泉」まで進んでいましたが、数年前に全10回の講座を受講したとき、例の格安JALパックを使って仙台を拠点に平泉の中尊寺、松島、立石寺など松尾芭蕉の足跡を巡ったことがありました。その時のことを思い浮かべながら先生のお話しに耳を傾けました。
 そうそう、先日大阪教育大学におじゃました帰りに日本橋に寄って、その帰りに難波の古書店「山羊ブックス」を訪ねました。以前は何店舗か入っていたビルの一画に、今は1軒だけ頑張っています。そこで出会ったのは1996年10月発行の芸術新潮でした。テーマは、現地特別取材:生きている中世「スペイン巡礼の旅」です。
 イベリア半島の西のはずれ、サンティアゴ・デ・コンポステラをめざす、キリスト教の三大巡礼地のひとつです。テレビや雑誌などで時々目にすることのある巡礼コースですが、一度歩いてみたいと思いながら、この歳になると尻込みしてしまいます。「巡礼」に対する憧れは、どこの国にもあります。
 ならばと、よく聴くのがフランツ・リストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」です。「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」「第3年」の4集からなります。リストが訪ねた各地の印象や経験をもとに作曲されたピアノ曲を、ヨーロッパの風景を思い浮かべながら耳を傾けます。
 そんなとき、ふと思い浮かぶのは、やはりウクライナの惨状です。ロシアの侵攻さえなければ、延々と続く麦畑、延々と続くヒマワリ畑、緑豊かな国土であったばずなのに、とりわけ東部地域では見る影もありません。ロシアの無差別攻撃で学校、病院、アパートそして歴史的遺産が無残な姿を晒しています。それどころか、略奪、強姦など信じられないロシアの蛮行の数々。ウクライナを解放するためと言いますが、でっち上げも甚だしい。ウクライナという国の存在自体を消し去ろうという怪談のようなお話しが21世紀の今、目の前にあります。いずれプーチンはじめその支援者たちが歴史の審判を受けることになります。1日も早い終戦を望みます。

 さて、今夜は現役時代の同業他社の仲間たちと京セラドームで阪神・オリックス戦の野球観戦です。野球観戦なんて長男君が小学生の頃に甲子園球場に連れて行って以来ですから、30年ぶり?。冷たいビールでもいただきながら阪神を応援してきます(笑)。

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