2月最初の日曜日、愛犬ゴンタと少し遅めのお散歩にでかけました。バス停を通りかかると、陽の光が、崖の空き地に咲く水仙に温かな光をそそいでいる、なんとも和やかな風景に出会いました。この1週間、ずいぶん寒かったのだけれど、これから徐々に暖かくなっていくのでしょう。と、思いたい。
さて、きょうは、淀川改修100周年記念合唱付き交響詩『MIO澪~水都物語』を聴きながらのブログ更新です。この曲は、淀川の治水翁と言われ私財を投じてまで治水に情熱を注いだ大橋房太郎氏のひ孫にあたる中村扶実さんが原曲を作詞作曲、自らも歌う作品で、昨年夏、大阪市中央公会堂で初演されました。私には、出口を探して右往左往しているとき、心の扉を開いてくれるような、いや、自ら閉じた心の扉を自分で開こうとさせるような、そんな気持ちにさせてくれます。好きな曲のひとつです。
ところで、実は先週の日曜日、家内が家の中で足を挫いて歩けなくなりました。軽い捻挫かと思いながら、それでも大事をとって、車で近くの救急病院に連れて行きました。そこで、とんでもないことがありました。
病院の窓口の方いわく、「きょうは日曜日なので担当の先生がいらっしゃいません」。それなら、どこかほかの病院に手配でもしてくれるのかと思いきや、そんなそぶりも見せない。「なんとかなりませんか」「そういわれましても」...。埒があかないので、携帯電話で救急車を呼びました。そして別の救急病院で診てもらいました。でも、なにか釈然としません。救急病院で救急車を呼ぶ不思議。これが今の日本の医療の現実なんでしょうか。
家内の怪我は思いのほか重いものでした。2カ所を骨折していて、手術は3時間もかかりました。家の中でこけたぐらいで、いったいどうなっているのでしょう。寄る年波には勝てないということなんでしょうか。骨が脆くなっているのだと思います。手術前には、いわゆるインフォームド・コンセントのお時間がありました。若い先生から、三次元画像による骨折の説明を受け、6個所ほど金具で固定しなければならない、と。話しはそれからが大変です。稀に感染症を誘発することがあります、などと脅しの連続でした。まぁ、最悪のことを想定して、予測できる限りの説明をされた、ということなんでしょう。ともあれ、手術は無事終わりました。
滅多に病院に行くことがなく、手術をしたことも入院をしたこともない私にとって、病院というのは、あまり楽しい場所ではありません。でも、そこで働く方々の姿を見ていると、頭が下がります。執刀いただいた若い先生も、術後に大変詳しく説明をしてくださいましたし、気を使っていただきました。看護師さん、理学療法士さん、賄いさん、掃除担当の方、医療事務の皆さん、みんなのチームワークで病院という職場が成り立っていることが、よくわかりました。みなさん、笑顔が絶えない。病院によって、こうも違うものなのでしょうか。ふだんさりげなく使う「顧客経営」という言葉の意味を思いました。いずれ私も、お世話になるときは、こんな病院に入りたいと思いました。
リハビリを含めると、退院まで1カ月かかるかもしれないそうです。先週の1週間は、久しぶりに独身生活に戻りました。愛犬ゴンタがいるので、そうそう外食ばかりもしていられません。かといって自分で料理をすることもままならない。連日連夜、宴会料理(笑)で過ごすことになりました。出勤前にはゴミ出しもあります。ワイシャツのクリーニング出しもあります。きょうの日曜日は、これから洗濯が待っています。
そんな家事をしながら、ふと不謹慎なことを思いました。もし、家内に先立たれたとしたら、この広い家で独り暮らしなんて耐えられない、と。連日の寒さで、家に帰ると部屋の空気も床も冷たく、なかなか温まらない。ふだんは、なにも思わないのに、そばにいて当たり前の人が、そばにいないのは、どうも落ち着きません。いかにこれまで、自由に自分勝手に生きてきたことか。改めて感謝です。午後には病院にお見舞いです。
追記
家内が入院している病院に向かう途中に、由緒ありそうな神社があります。毎日、陽が暮れてからのお見舞いですから、その前を通りすぎていましたが、きょうの午後、寄り道をしました。大きな楠の木が数本、聳えています。そのうちの一本は、驚くほど大きく、「1千年の楠」の看板があります。その樹肌に触ってみて、なんと自分が小さな存在であるかを思いました。その昔は、この村の鎮守の森だったのでしょう。いまはすぐそばまで民家が迫っています。
さて、きょうは、淀川改修100周年記念合唱付き交響詩『MIO澪~水都物語』を聴きながらのブログ更新です。この曲は、淀川の治水翁と言われ私財を投じてまで治水に情熱を注いだ大橋房太郎氏のひ孫にあたる中村扶実さんが原曲を作詞作曲、自らも歌う作品で、昨年夏、大阪市中央公会堂で初演されました。私には、出口を探して右往左往しているとき、心の扉を開いてくれるような、いや、自ら閉じた心の扉を自分で開こうとさせるような、そんな気持ちにさせてくれます。好きな曲のひとつです。
ところで、実は先週の日曜日、家内が家の中で足を挫いて歩けなくなりました。軽い捻挫かと思いながら、それでも大事をとって、車で近くの救急病院に連れて行きました。そこで、とんでもないことがありました。
病院の窓口の方いわく、「きょうは日曜日なので担当の先生がいらっしゃいません」。それなら、どこかほかの病院に手配でもしてくれるのかと思いきや、そんなそぶりも見せない。「なんとかなりませんか」「そういわれましても」...。埒があかないので、携帯電話で救急車を呼びました。そして別の救急病院で診てもらいました。でも、なにか釈然としません。救急病院で救急車を呼ぶ不思議。これが今の日本の医療の現実なんでしょうか。
家内の怪我は思いのほか重いものでした。2カ所を骨折していて、手術は3時間もかかりました。家の中でこけたぐらいで、いったいどうなっているのでしょう。寄る年波には勝てないということなんでしょうか。骨が脆くなっているのだと思います。手術前には、いわゆるインフォームド・コンセントのお時間がありました。若い先生から、三次元画像による骨折の説明を受け、6個所ほど金具で固定しなければならない、と。話しはそれからが大変です。稀に感染症を誘発することがあります、などと脅しの連続でした。まぁ、最悪のことを想定して、予測できる限りの説明をされた、ということなんでしょう。ともあれ、手術は無事終わりました。
滅多に病院に行くことがなく、手術をしたことも入院をしたこともない私にとって、病院というのは、あまり楽しい場所ではありません。でも、そこで働く方々の姿を見ていると、頭が下がります。執刀いただいた若い先生も、術後に大変詳しく説明をしてくださいましたし、気を使っていただきました。看護師さん、理学療法士さん、賄いさん、掃除担当の方、医療事務の皆さん、みんなのチームワークで病院という職場が成り立っていることが、よくわかりました。みなさん、笑顔が絶えない。病院によって、こうも違うものなのでしょうか。ふだんさりげなく使う「顧客経営」という言葉の意味を思いました。いずれ私も、お世話になるときは、こんな病院に入りたいと思いました。
リハビリを含めると、退院まで1カ月かかるかもしれないそうです。先週の1週間は、久しぶりに独身生活に戻りました。愛犬ゴンタがいるので、そうそう外食ばかりもしていられません。かといって自分で料理をすることもままならない。連日連夜、宴会料理(笑)で過ごすことになりました。出勤前にはゴミ出しもあります。ワイシャツのクリーニング出しもあります。きょうの日曜日は、これから洗濯が待っています。
そんな家事をしながら、ふと不謹慎なことを思いました。もし、家内に先立たれたとしたら、この広い家で独り暮らしなんて耐えられない、と。連日の寒さで、家に帰ると部屋の空気も床も冷たく、なかなか温まらない。ふだんは、なにも思わないのに、そばにいて当たり前の人が、そばにいないのは、どうも落ち着きません。いかにこれまで、自由に自分勝手に生きてきたことか。改めて感謝です。午後には病院にお見舞いです。
追記
家内が入院している病院に向かう途中に、由緒ありそうな神社があります。毎日、陽が暮れてからのお見舞いですから、その前を通りすぎていましたが、きょうの午後、寄り道をしました。大きな楠の木が数本、聳えています。そのうちの一本は、驚くほど大きく、「1千年の楠」の看板があります。その樹肌に触ってみて、なんと自分が小さな存在であるかを思いました。その昔は、この村の鎮守の森だったのでしょう。いまはすぐそばまで民家が迫っています。