心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

アルフォンス・ミュシャ館を訪ねて

2010-02-14 10:07:42 | Weblog
 早朝、愛犬ゴンタとお散歩にでかけると、いたるところで水仙の花が満開です。我が家の庭でも、水仙が凛として花開き、その片隅ではクリスマスローズの花芽が首を擡げます。まだまだ寒いのでしょうが、立春を過ぎて、地面の下に春の胎動を感じるのは私一人でしょうか。きょうは2月14日、私の「独身生活」も2週間になりました。日曜日の昼下がり、家内のお見舞いに行くのが日課です。

 さて、きのうの土曜日は、関西空港にほど近い貝塚市での催事にでかけました。それが始まる午後2時までの時間がもったいなくて、以前から気になっていた堺市立文化館のアルフォンス・ミュシャ館を訪ねました。堺市は、数年前に大阪市についで府内二番目の政令指定都市になっただけに、広域で、文化館のあるJRの堺市駅と、海側を走る南海電車の堺駅とはずいぶん離れています。まずは、JR天王寺駅から阪和線に乗り換えて堺市駅へと向かいました。

 アール・ヌーヴォーを代表する装飾画家として知られるミュシャ。LPのジャケットで初めて彼の存在を知ったのは、いつの頃だったでしょうか。そのミュシャの作品の、その収集においては世界有数を誇る美術館が、大阪は堺市にあるのを教えてくれたのは、週刊「西洋絵画の巨匠」14巻でした。いつか、でかけようと思っていて、伸び伸びになっていました。
 文化館の4階の一画にミュシャ館はありました。土曜日の午前中だったためか、お客は、若い女性が独り、そして私だけ。贅沢にも、一枚一枚を丁寧にじっくり見て回ることができました。流れるような曲線と、しっとりとした美しい色彩が、私を虜にします。当時の大女優サラ・ベルナールが、ポスター(リトグラフ)のなかで微笑んでいます。広い展示室の真ん中の椅子に座って、ミュシャの作品に囲まれていると、都会の喧騒の中で乾ききった私の心に、そおっと温かい湿り気を与えてくれるような、そんな優しさに包まれます。
 ミュシャが生きたのは、1860年から1939年の間。日本では江戸の末期から明治・大正・昭和の時代。南方熊楠が英国大英博物館で勉強していた時代、作曲家グスタフ・マーラーが活躍した時代でもあります。第一次世界大戦を挟んで、歴史的にも政治的にも、また社会思想的にも大きく揺れ動いた時代、そんな激動の時代に、彼は、自らの信念を貫いた人でした。・・・・椅子に座りながら大きく深呼吸をしたとき、突然、携帯メールの受信音、職場からの連絡でした。現実世界に強引に引き戻されてしまいました。
 この文化館、3階には堺市生まれの与謝野晶子文芸館がありました。短歌の世界にはあまり詳しくないのですが、時間があったので、こちらも拝見。関西では羊羹で有名な駿河屋の子として生まれた与謝野晶子さん。掲示されている歌を読んでみて、どきっとしました。数少ない言葉を使って、こうまでも自分の心を表現できるものなのかと。この歳になって初めて短歌の「力」のようなものを感じました。当時の文芸雑誌「明星」の挿絵に、ミュシャの作品が取り入れられています。与謝野晶子の歌の世界がアール・ヌーヴォー(新芸術)的な要素をもっている、なんとなく判るような気がしました。

 さて、文化館を出ると、お昼前。駅の近くで軽く昼食をとったあと、JR堺市駅からは、車窓に仁徳陵古墳を眺めながら、鳳駅に向かいます。そこで乗り換えてひと駅、東羽衣という駅に到着すると、いったん駅を出て数分歩いて、南海電車の羽衣駅へ。関西空港に向かう本線の駅です。途中、だんじり祭りで有名な岸和田の街を眺めていると、貝塚駅に到着です。でも、そこでもう一度乗り換えます。水間鉄道という電車です。この電車、貝塚駅と水間観音駅間の5.5kmを走る小さな電車で、ワンマンカー。都会地にありながら単線というのも懐かしい風景です。初めて乗りました。そんな電車をひと駅乗って、この日の目的地である貝塚市役所前駅に到着です。
 用事を終えて、今度は貝塚市から大阪なんば駅まで直行です。土曜日とはいえ、夕刻の繁華街の人ごみを避けながら、やっといつもの電車に乗って帰途につきました。さすがにここまで帰ると、わたしの日常性がぐっと目の前に迫ってきます。途中、書店に立ち寄って、前夜、私の尊敬する先生から直々にご紹介をいただいた、坂本光司著「日本でいちばん大切にしたい会社」を買いました。ついでに「逆転の思考」という見出しに誘われてダイヤモンドHBRも。・・・・・ちょっとした時空間移動で、生気を取り戻した楽しい週末でした。
コメント