心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

湘南の海

2007-06-17 13:29:34 | Weblog
 昨日一昨日とお休みをいただいて、茅ヶ崎界隈に出かけてきました。久しぶりに旧知の同業他社の方々、異業種の方々と、膝を交えて語り合いました。気がつけば午前2時。翌日は早朝5時半起きで、竹箒と塵取をもって1時間のお掃除、つづいて湘南海岸へのジョギングと、わたしの年代になると少しきついメニューでしたが、良い汗をかきました。
 関東地方も前日に梅雨入り宣言があったばかりでしたが、朝の7時過ぎには自転車でサーフボードを抱えて海に向かう若者たちがちらほら。海岸に出ると、朝早くからサーフィンを楽しむ光景が見られ、ひとっ飛びに真夏の海辺に訪れたよう。投げ釣りを楽しむ方、ジョギングを楽しむ方、犬の散歩を楽しむ方々と、あぁ、これが湘南海岸なのかと納得した次第です。お天気もよく、遠くには未だ冠雪をいただく富士山を眺めることができました。
 この会合に出席するにあたって、私が課題認識のベースにおいたのは、やはり鶴見和子さんの「内発的発展論」。それに、今月の文藝春秋に掲載された塩野七生さんの「日本と日本人への10の質問」を加えました。「この国に活力を取り戻すために」というサブタイトルがついていて、いかにも塩野さんらしいタッチで、格差社会、働き方、教育、リーダーシップ、老い、エリート、経済、愛国心、中国と米国、歴史のそれぞれについて、「考えるヒント」を提供していただきました。参加者一人ひとりが、それぞれの立場でそれぞれの課題を認識できたのは幸いでした。なによりも、湘南海岸に立ったとき肌に感じた清清しさを、こころのなかに感じることができました。
 ところで、茅ヶ崎市のお隣に藤沢市があります。わたしは、このあたりを訪れたのは今回が初めてです。ただ、藤沢という地名は、わたしにとって決して遠い存在ではありません。昭和20年代の後半、わたしの一番上の兄が、大学を出て就職をして間もなくの頃、藤沢の社員寮に帰宅する途中、電車事故に遭って亡くなっています。当時、母親は事故死が信じられず、どこかの国に連れ去られた(拉致された)のだと、長い間信じていました。そんな悲しい思い出のある街を電車の車窓から眺めながら、ふと、何かを見つけようとしている自分に気づきました。.......子供の頃、わたしの自慢の三輪車は、この兄が初めてのボーナスで買い、田舎に暮らすわたしに贈ってくれたものでした。長男の名前に昭の文字、末っ子のわたしの名前に和の文字。昭和の古き良き時代のお話です。.......いろいろなことを考えた2日間でした。
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