心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

歩く(その1)~小関峠を越えて三井寺へ。

2024-04-12 23:50:11 | 歩く

 昨日今日と急に暖かくなってきました。桜も散り始め、いよいよ新緑の季節にまっしぐらです。そんなある日、ほぼ咲き終わったクリスマスローズの花後の管理に汗を流しました。花茎を切り、古くなった葉茎を整理し、お礼肥を施します。さっぱりした姿になりました。これで来年はまた美しい花を咲かせてくれることでしょう。
 ところで、先週末、春の陽気に誘われて、山科から小関峠を越えて三井寺に行ってきました。京阪四宮駅を下車、琵琶湖疎水に沿って気持ちのよいお散歩を楽しみました。5キロほどの道のりです。まわりの景色を楽しみながら、時には鶯の囀りに耳を傾け、それほど起伏もない山道を歩いていると、何組かのハイキングの方々にお会いし、朝のご挨拶です。皆さん楽しく歩いていらっしゃいました。
 小関峠にある峠の地蔵をお参りしたあと街に下ると三井寺の入口が見えてきます。長い急な石階段を登ったところに境内が広がっていました。お天気もよく、たくさんの花見客で賑わっていました。西国14番札所・長等山三井寺の観音堂をお参りして納経帖に記帳していただいたあと、広い境内を散策しました。

 ちょうど、黛まどかさんの「奇跡の四国遍路」を再読したばかりです。次回は新緑の季節に、能「蝉丸」の舞台にもなった大谷から石山寺に向かう10キロコースに挑戦してみようかと思っています。
 黛さんの著書を読んでいると、歩くことによって全身に五感が広がることが記されています。これは歩いた者でなければ分からない体験かもしれません。薄暗い山道、だだっ広い田園地帯、潮騒が聞こえる海岸沿いの山道。頼るのは時々見失いそうになる遍路道の矢印のみ。あとは、ぴ~んと張ったアンテナで自分の位置をなんとなく感じつつ、歩を進めることになります。それは人の生き仕方に近いものがありました。
 そんなことを考えながら、京都三条駅まで戻ってブックオフに立ち寄りました。そこで目にとまったのが、若松英輔著「霧の彼方 須賀敦子」でした。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。須賀敦子が著した「ユルスナールの靴」のプロローグの最初に出て来る言葉です。この言葉が、その後の私に「歩く」ことの意味を考えさせることになりました。
 あと数年で後期高齢者になろうとしているのに、未だ立ち位置を見いだせないでいます。でも、そうこうしているうちに歳を重ねていくんでしょう。これもまた良し。心のアンテナを張って全身で春の息吹を感じつつ、もうしばらく楽しんでみたいと思っています。

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