先日、夕食を食べていると突然電話が鳴り響きました。家内が電話口に出ると、「俺、俺、俺...」。なにやら聞き覚えのある声が聞こえてきます。孫次男君でした。電話を代わった母親によると、お祖母ちゃんがオレオレ詐欺にひっかからないかどうかを試してみたかったのだそうです(笑)。小学1年の孫次男君、老夫婦を心配しているようでした。 そんな11月某日の朝、横浜の次男君からライン報告がありました。今朝、お嫁さんが入院したのでこれから大阪に帰るのだと。出産予定日から10日も遅れていて、私たちも心配していましたが、やっとその日がやってきました。
午後、次男君と合流して病院に向うと、既に陣痛が始まっていました。マザーリングルームという部屋に、母親とお姉さん、そして次男君を置いて、私たちは控室で待機することにしました。といっても控室は廊下をはさんで真向いです。お嫁さんの声と介抱するお姉さんの声が聞こえてきます。
実は、私は3人の子の出産に立ち会ったことがありません。3人とも仕事の帰りに病院に駆けつける、今では考えられない父親だったのかもしれません。だからよけいに今回は、「出産」というものの人の営みを実感したことになります。
幸い、お姉さんが看護師さんだったので、6時間あまりの間、ずうっと妹を励まし一緒に呼吸を掛け合うそんな声を聞きながら、姉妹愛のようなものがずしりと伝わってきました。理屈ではないですね。これが身内、家族というものなんだろうと。そして夕刻7時過ぎ、おぎゃーと泣き叫ぶ赤ちゃんの大きな声が部屋中に響きわたりました。 ついさっきまでお腹の羊水の中で生きてきた子が、体外に出たとたんに大きな声で泣く。呼吸をする。生物の進化を思います。これを神秘と言わずなんと言おう。感動的ですらありました。そして、ベッドに横たわるお嫁さんをみると満面の笑顔でした。本当にお疲れさまでした。よく頑張りました。
翌日、講座運営の打合せの帰りに、もう一度病院を覗きました。たった一日のことですが、ずいぶん成長したように思いました。まだ目が見えないのでしょうが、ぱっちりと開いてお爺ちゃんにご対面です。ほんと「こんにちは。あかちゃん」でした。 次男君はいったん横浜に戻り、仕事を片付けた後、週末に再びやってきます。永年勤続の5日休暇を利用し土日をはさんで1週間余り滞在するのだとか。パパさん1年生ぶりを発揮することでしょう。
私にとっては6人目の孫になります。これまで女1名、男4名の内訳でしたが、今回女の子が生まれたので、長男の娘も仲間ができたと喜んでいるとか。この子が二十歳を迎えたとき、私は90歳のお爺さんです。果たしてそこまで生きながらえることができるかどうかわかりませんが、成長を見守っていきたいと思います。
さて、11月もあと2週間となり、年の瀬の慌ただしさが迫ってきました。例の「歩き遍路」、なんとか12月初旬にでかけることになりました。といっても、今回は1泊2日の強行軍です。往路は新幹線、特急利用で伊予三島へ。三角寺をお参りしたあと、急ぎ琴平駅に移動。そこで一泊して翌朝路線バスとロープウエイを利用して雲辺寺へ。そのあと歩いて山を下って観音寺駅へ。そこで大阪駅前行きの高速バスに乗って帰阪。ざっとこんなスケジュールになりました。さあて、どうなりますことやら。