心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

TV番組「ヨーロッパに嫁いだなでしこ物語」を見て思い出したこと

2019-02-06 09:27:49 | Weblog

 先週金曜日の夕方、孫君二人がお祖母ちゃんに連れられてやって来ました。どうしたの?と聞くと、お母さんが小学校の保護者会の用事で帰るのが9時頃になり、お父さんも残業続きだとか。ならばとお祖母ちゃんがお連れしたようです。お兄ちゃんは宿題をもって、弟は漫画をもってやってきました。
 翌日の土曜日はサッカーの練習やら習い事があって翌朝10時過ぎには帰っていきましたが、夕刻、孫次男君から「泊めてもらってありがとう」と、えらくご丁寧なお電話をいただきました(笑)。4月から小学生になります。
 次の日は2月3日、節分の日でした。近所のお不動さんでは人気タレントを招いて節分祭が催され、今年はなんと2万2千人の人出だったとか。みんな福をもらって家路に着きました。いただいた福豆をお茶うけに、老夫婦で無病息災を願い、ゆったりまったりの時間を過ごしました。
翌朝、お散歩がてらにお参りすると、あの人波はどこへやら。静まりかえった境内に柔らかな朝日が差していました。
 その日の昼下がり、読売テレビで「ヨーロッパに嫁いだなでしこ物語~吉田洋、プラハ・ウィーンへ」という番組を見ました。120年前、東京下町生まれの17歳の女性が、在日中のオーストリアの侯爵に見初められて結婚、その後チェコ・プラハやウィーンに移り住み、慣れない文化圏に物怖じせずに生き抜いたクーデンホーフ光子の足跡を追うものでした。当時、”明治のシンデレラ”と話題になったようですが、ドラスティックな空間移動もさることながら、夫が急逝したあと7人の子供たちを立派に育て上げた明治の女性の逞しさ、凛々しさを思いました。
 そんなプラハやウィーンに、4月下旬「中欧5カ国周遊8日間」ツアーで行く予定です。光子も歩いただろうプラハの旧市街、カレル橋、そして2年ぶりの訪問となるウィーン。そんな街並みをこのテレビ番組で眺めました。
 プラハの街を行き交う人々を見ていて思い出したことがあります。それは私が中学生の頃、ちょうど英語を習い始めた頃のことです。当時流行っていたペンパル(ペンフレンド)のお相手が、実はプラハの女性でした。今のように世界中の人々とメールやLINEで瞬時にコミュニケーションできるような時代ではありませんでしたから、辞書を片手に習い始めたカタコト英語で必死に手紙を書いて郵便局に走ったことを覚えています。
 彼女との文通は、高校3年の春頃まで続きました。しかし、例の「プラハの春」を境に途絶えてしまいました。そう、1968年春に起きたチェコの民主化運動です。その動きに危機を感じたソ連がワルシャワ条約機構軍20万人を投入して、その民主化の動きを圧殺した、悲しい出来事でした。「政治」というものの現実を初めて目の当たりにしました。その後の私が、大学進学先を大きく変えて政治学科に舵を切ったのも、いま思えばまったく無関係ではなかったんだろうと思います。結果的に私は、政治とは全く無関係に、一市民としての人生を歩んだことになりますが、自由奔放に物事を見つめ全身で時代と対峙した「青春時代」って、やっぱりいいなあと思います。年老いたためでしょうか。
 もう半世紀も前のこと、彼女の名前も忘れてしまいましたが、当時いただいた絵葉書はアルバムの中に大事にしまってあります。

 さて、きょうはこれからお出かけです。というわけで、珍しくこんな時間のブログ更新となりました。

コメント (2)