10年ほど前のことでしょうか。紀伊国屋書店で一冊の本に出会いました。須賀敦子の「ユルスナールの靴」です。そのプロローグに「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」とありました。この言葉が妙に心に残り、河出文庫「須賀敦子全集」(全8巻)を一気に読みました。
以来、いろいろな意味で『歩く』ということが、老年期に入った私のひとつのテーマになりました。玉岡かおるの小説「銀のみち一条」に出会うと、旅行会社企画の「銀の馬車道ウォーク(生野銀山から生野峠まで)」に参加しました。本格的なウォーキング・デビューです。
四天王寺の春の古本祭では、ヘンリー・D・ソローの「ウォールデン~森の生活」に出会いました。森の中を何キロも歩いて自然を観察したり畑仕事と読書を楽しんだシンプルな生活が描かれています。そんなソローを追って、モントリオールからボストンに向かうツアーバスの車窓から、ソローが歩いたウォールデンの森を眺めたりもしました。
そんな私が、次に出会ったのは高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)でした。大正7年、24歳の若さで四国八十八カ所を巡礼した若き女性の紀行文学です。根が単純な私は、さっそく「歩き遍路」を始めました。2泊3日という窮屈な区切り遍路ですが、今やっと伊予の国に入ったところです。
田圃の畦道、山の尾根道、浜辺の砂浜。とにかく昔の遍路道を選んで歩きます。この1月には、宿毛と宇和島を結ぶ松尾峠と柏坂峠を歩きました。その昔、毎日二百から三百人もの人々が往来したという旧街道を、ただひたすら歩き続けました。
そして今、私の手許には天神橋筋商店街の古書店・天牛書店で出会った稲本正著「ソローと漱石の森~環境文学のまなざし」があります。純文学を離れて「文学」と「自然」を繋ぐ新しい知見を与えてくれました。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。私の好奇心は当分衰えそうにありません。
・・・・これは先日、求めに応じてとある文集に寄せた作文の一節です。あっちに行ったりこっちに行ったりと、まだまだ迷える羊(笑)なのに、余計なものは省いて「歩く」をテーマにこの10年余りの生き仕方を辿ってみると、なんとなくひとつのストーリーができるから不思議です。良い機会をいただきました。
近所のTSUTAYA書店でこんな新書にも出会いました。女流俳人・黛まどかの「奇跡の四国遍路」(中公新書ラクレ)です。黛さんと情報学者の西垣通さんとの巡礼問答も収録されています.......。夜な夜な、これまで歩いた第一番札所霊山寺から第40番札所観自在寺までの、その土地土地の光と空気と土の匂いを全身で思い出すという、そんな贅沢な時間を過ごしています。
2月も半ば、そろそろ「歩き遍路」の計画を立てなければなりません。いろいろ考えたあげく、来月は宇和島から大洲まで、龍光寺、佛木寺、明石寺を巡ることにしました。さっそくお宿に電話を入れると、女将さんから「良い季節になりますよ。お待ちしております」と明るいご挨拶をいただきました。もう一軒のご主人からは「お宿から20キロほどかかります。お気をつけておいでください」と。電話の向こうから地元の人の温かい心が伝わってきます。
高速バスの予約も無事に終わって、そのことを家内に伝えようと階下に降りると、........なんと、なんと。家内は家内でパソコンと睨めっこ。ネットを駆使して小旅行を企画中でした。私がやってきたことに気づくなり、唐突に「北海道に行こうよ」と。「えぇ!!」。それも「歩き遍路」の一週間前。慌ててカレンダーをめくってその前後のスケジュールを探ってみると、この時期しか空いていないことが判明したところで、「まあ、いいかぁ」......。ということで、3月の上旬に北海道へ3泊4日の小旅行。翌週の週末は伊予の国へ一人旅、と相成りました。なんともはや。
孫次男君が小学校に上がるまで、地域のボランティアをお休みしていた家内ですが、4月から復帰の予定です。アレンジメントを教えたり、ステンドグラスを習ったり、小物づくりをしたり。それに加えて4月から駅前のオフィスでボランティアが始まります。老夫婦そろって健康寿命に挑戦、といったところでしょうか。