先日発売された村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が、発売1週間で100万部を突破したとか。昨日の朝日新聞夕刊によれば「クラシックにムラカミ特需」との見出しで、作品に登場するロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンが演奏するリストの「巡礼の年」が品切り状態なんだそうです。そういえば、私も「1Q84」を読んだとき、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を聴きました。いずれにしても、世の中の騒動が収まるまで、私は新作には手を出さないでおきましょう。と言いながら、5月6日に京大で開かれる『村上春樹公開インタビューin京都-魂を観る、魂を書く-』の聴講を申し込んでいます。抽選のようですから駄目元ですが。

ところで4月も下旬、あと10日もすればゴールデンウィークの季節を迎えます。ツツジの花が咲き、ヤマブキの花が咲き、お隣の庭にはハナミズキの花が咲き、そうそう、春先に植え付けたばかりのライラックの花も咲きはじめました。ほんのりと清々しい香りが気に入りました。
そんな春の週末、京都市美術館の「ゴッホ展~空白のパリを追う」を観てきました。限定された時期の作品でしたが、初期のどちらかといえば暗い感じの作品と対比させるかのように、明るく鮮やかな色彩と点描画法が美しい1986年から1988年の作品が展示されていました。

今回の展示会を象徴する作品「グレーのフェルト帽の自画像」は、会場内でもひときわ目立ちました。何枚かの自画像と同様に、厳しい視点に目が留まります。彼の苦悩、不安が何かを訴えようとしている。そんな迫力がありました。じっと見つめていたら、後ろの人に押されてしまいました。
でも、「サン・ピエール広場を散歩する恋人たち」の前で、ふっとひと息つきます。「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」になると、音声ガイドからBGM(サン・サーンスの「クラリネットとピアノのためのソナタ」)が流れてきて、何やら豊かな気持ちになります。強烈な色彩と濃厚なタッチと、明るく軽やかな作風が入り乱れて、ゴッホ独特の世界を楽しむことができました。
残念ながら今回のゴッホ展は、1988年以後の作品は含まれていません。あくまでも「空白のパリ」時代です。その後の、ゴーギャンとの出会いと別離、心の病。その時々の心の在り様が映し出された作品は、含まれていません。
自殺する直前に描いた「ドービニーの庭」に私は昨夏、ひろしま美術館で出会いました。芸術新潮2月号は、同時期に制作された「鳥のいる麦畑」を小林秀雄がこよなく愛したことを述べています。京都へ向かう電車の中で、小林秀雄が青山二郎と対談した「形を見る眼」を読みましたが、小林秀雄がゴッホという人間に関心を抱いたのが判るような気がします。機会があれば「ゴッホの手紙」に目を通してみたいものです。

昨日は、これで終わりではありません。いつもの行き当たりばったりの珍道中でした。美術館の近くにある京都市勧業館「みやこめっせ」で「花と緑の市民フェア」が開催されているのを知ると、フラワーアレンジメントを教えている家内は興味津々です。私も山野草のコーナーを見て回りました。1時間ほどいて、気がつけば、家内は花材を、私は斑入コデマリの苗木を手にしていました。

あとは、お決まりのコースです。知恩院にお参りです。この日は、御忌大会(法然上人の忌日法要)という行事があったようで、たくさんの参拝者が訪れていました。御影堂改修工事が行われていましたので、阿弥陀堂にお参りして失礼しました。
この日は、神宮丸太町→京都市美術館→知恩院→八坂神社→河原町四条→三条と歩きました。スマホの万歩計は1万2千歩を記録し、久しぶりに「銀賞」マークをいただきました。身も心も健康を実感した1日でした。

ところで4月も下旬、あと10日もすればゴールデンウィークの季節を迎えます。ツツジの花が咲き、ヤマブキの花が咲き、お隣の庭にはハナミズキの花が咲き、そうそう、春先に植え付けたばかりのライラックの花も咲きはじめました。ほんのりと清々しい香りが気に入りました。
そんな春の週末、京都市美術館の「ゴッホ展~空白のパリを追う」を観てきました。限定された時期の作品でしたが、初期のどちらかといえば暗い感じの作品と対比させるかのように、明るく鮮やかな色彩と点描画法が美しい1986年から1988年の作品が展示されていました。

今回の展示会を象徴する作品「グレーのフェルト帽の自画像」は、会場内でもひときわ目立ちました。何枚かの自画像と同様に、厳しい視点に目が留まります。彼の苦悩、不安が何かを訴えようとしている。そんな迫力がありました。じっと見つめていたら、後ろの人に押されてしまいました。
でも、「サン・ピエール広場を散歩する恋人たち」の前で、ふっとひと息つきます。「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」になると、音声ガイドからBGM(サン・サーンスの「クラリネットとピアノのためのソナタ」)が流れてきて、何やら豊かな気持ちになります。強烈な色彩と濃厚なタッチと、明るく軽やかな作風が入り乱れて、ゴッホ独特の世界を楽しむことができました。
残念ながら今回のゴッホ展は、1988年以後の作品は含まれていません。あくまでも「空白のパリ」時代です。その後の、ゴーギャンとの出会いと別離、心の病。その時々の心の在り様が映し出された作品は、含まれていません。
自殺する直前に描いた「ドービニーの庭」に私は昨夏、ひろしま美術館で出会いました。芸術新潮2月号は、同時期に制作された「鳥のいる麦畑」を小林秀雄がこよなく愛したことを述べています。京都へ向かう電車の中で、小林秀雄が青山二郎と対談した「形を見る眼」を読みましたが、小林秀雄がゴッホという人間に関心を抱いたのが判るような気がします。機会があれば「ゴッホの手紙」に目を通してみたいものです。

昨日は、これで終わりではありません。いつもの行き当たりばったりの珍道中でした。美術館の近くにある京都市勧業館「みやこめっせ」で「花と緑の市民フェア」が開催されているのを知ると、フラワーアレンジメントを教えている家内は興味津々です。私も山野草のコーナーを見て回りました。1時間ほどいて、気がつけば、家内は花材を、私は斑入コデマリの苗木を手にしていました。

あとは、お決まりのコースです。知恩院にお参りです。この日は、御忌大会(法然上人の忌日法要)という行事があったようで、たくさんの参拝者が訪れていました。御影堂改修工事が行われていましたので、阿弥陀堂にお参りして失礼しました。
この日は、神宮丸太町→京都市美術館→知恩院→八坂神社→河原町四条→三条と歩きました。スマホの万歩計は1万2千歩を記録し、久しぶりに「銀賞」マークをいただきました。身も心も健康を実感した1日でした。