ここ数日、急に寒くなってきました。大阪では3月下旬並みの気温です。季節はずれの寒波到来で、きょうの休日は部屋に閉じこもることになりそうです。でも、目の前の窓が、急に明るくなり、小鳥の囀りも聞こえてくるようになりましたから、徐々にお天気は持ち直すことでしょう。
ところで、きのうは、午前中職場に立ち寄って書類の整理をすませると、ひと足早く退社して、ひさしぶりに日本橋界隈のLPレコード店を見て回りました。いつものDISC J.J.とサウンド・パックです。手にしたのは、グレン・グールド奏でる「平均律クラヴィーア曲集(第1巻)」「モーツァルト・ソナタ全集(Vol.4)」そして「ハイドンの後期6大ソナタ」です。
実は連休中の5月6日から、NHKテレビ「知るを楽しむ:私のこだわり人物伝」で「グレン・グールド”鍵盤のエクスタシー”」が始まっています。第1回目は「伝説の誕生」で、話は1955年5月、ニューヨークのCBSスタジオで録音された歴史的名盤「ゴールドベルク変奏曲」の録音風景から始まりました。グールド22歳、私が5歳の頃のことです。SPレコードに代わって各社がLPレコードを競って出すようになったのが1950年代からですから、比較的早い時期のレコーディングになります。
きのう手にした「ハイドンの後期6大ソナタ」は、同じCBSスタジオで1981年に録音されました。手許にある「ゴールドベルク変奏曲」も同じ年の再録音盤です。そしてグールドは、翌年の1982年の秋、50歳の若さでこの世を去りました。つまり、この2枚のレコードは他界する1年前に録音されたものであることが判りました。
グールドのレコードは、学生時代からよく聴いています。なんとも不思議なピアニストであるために、深くは考えないけれども、おおいに気になる存在でした。それがテレビでは、当時の映像を交えながら概観できる。こんなに楽しい番組はありません。低い椅子に座って全身をゆすぶりながらの演奏、レコードを聴いていると時々鼻歌まで聞こえてくる自由奔放さ、そして独特の楽譜解釈。ところが、どういうわけかある時期を境に演奏会活動を完全に止めてレコーディングに専念する。そのあたりの考え方も知りたい。わたしの興味は尽きません。
少し長くなりますが、週末の気軽さで、きのうは日本橋からの帰り道、古本屋さんにも立ち寄りました。手にしたのは「南方熊楠百話」(八坂書房)。定価の半額でした。南方熊楠日記全4巻もありましたが、これは当分お預けです。百話は、没50周年を記念して1991年に出版されたもので、鶴見和子、柳田國男、孫文、土宜法竜、徳富蘇峰、中沢新一など100人の方々の論評が収録されています。相当部厚い本ですが、気の向くままに気になる方のページをめくる。読書にはそんな楽しみもあります。今朝、何気なく新聞に目を通していたら、第18回南方熊楠賞が文化人類学者の伊藤幹治氏(国立民族学博物館名誉教授)に授与されたことが報じられていました。
考えてみれば南方も、これまた不思議な人物なのです。私のような単純な人間は、グールドや南方など、世間からは変人と言われるような人物に強い関心を抱きます。先ほどからなぜだろうと考えていたら、逆に「変人とは何か」という問いが浮かんできました。南方は江戸の末期の生まれ、しかし20代の若さで欧米を歩き、南方曼荼羅に象徴されるような独自の世界観を築いた。グールドは従来の楽譜解釈から一歩踏み出し独自の境地にたつ。世間が常識と思っていることを覆すエネルギー。これは変人ではありませんね。そんなあたりに惹かれるのかもしれません。暇を見つけては当分こだわっていく人物になりそうです。
きょうは、グールド奏でる「ゴールドベルク変奏曲(J.S.バッハ)」を部屋中に充満させながらのブログ更新でありました。