ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

ほおずき

2011年08月13日 | Weblog
今朝は、朝早く涼しいうちに夫と一緒に義母を連れてお墓参りに行ってきました。ささっとお掃除をして、ほおずきを活けてきました。お盆の花、ほおずき。

昔子供の頃、茎から外れたほおずきを使って遊んでいた想い出があります。赤い実を指先でぐにゅぐにゅ押して皮が破れないように気をつけながら、中身を上手に取り出すのです。そして中身が空っぽになって皮だけになったほおずきに息を吹き込んで丸く膨らませてピーっと鳴らす遊びです。私は、ピーっといわせるのには、あまり興味がなくて、ぐにゅぐにゅをひたすら黙々と続けて中身を取り出す作業を面白がっていました。今の若い人はやったことないかなあ~。

そのほおずき、いつの間にこんなにお高いものになってしまったんでしょうね。ほんとにこのお盆の時だけですけど、びっくりするほど高い。でもこれが活けてあると、「あ~、今年もお盆がやってきた」と実感します。このほおずきをどうしてお盆の時に活けるか、ご存知ですか?ほおずきは、茎に濃いだいだい色の提灯型の実が下がっている植物ですが、それを迎え提灯として、だいだい色がまるで灯のような色だからだそうです。

なんだか、そういうお話しっていいなと思いました。あまりにも高いので、お盆のお花、何か別のお花でもいいのでは?と思ったりもしましたが、やはりお盆にはほおずきは欠かせないなと改めて思いました。

さあ、これから、私は指揮者の方とグリーグについてのミーティングです。では、皆さまゆっくりお盆をお過ごしください。

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伴奏の本番でした

2011年08月12日 | レッスンメモ
昨夜は、私の友人でソプラノ歌手の上田雅美さんが主宰している声楽グループ、「グループEN」のコンサートでした。そのメンバーのお一人でソプラノの佐藤智美さんの伴奏をしてきました。



私の好きな空間

私は学生の頃から伴奏するのは大好きです。久しぶりの伴奏で本番はとても楽しかったです。歌の方々は皆さん華やかで明るくて楽屋の雰囲気も楽しいですね。皆さん、これまで勉強したことを一生懸命歌っていらっしゃいました。

本番の後は、皆さんと楽しい打ち上げに参加させていただきました。ソロで行動するときとはまた違って、昨夜は本当に楽しい夜でした。たくさんの方々と知り合えたし、皆さんいい方ばかりで、ついつい、午前様でした。


夏の情熱を表すような見事な花束をいただきました。ありがとうございます。

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ベーゼンドルファーのピアノ

2011年08月11日 | クラシック豆知識
8月20日に予定されている医大OBオケの定演で、コンチェルトのソリストとして出演します。
大分市コンパルホールでの開催ですが、そこのピアノを少しだけ試し弾きさせてもらいました。

このホールには、ベーゼンドルファーのフルコンとカワイのフルコンが入っています。ベーゼンの方は、以前何度か弾いたことがありますが、それから随分時間も経っているので、どんな状態か少し気になっていました。「状態によってはカワイを使う方がいいかも」という声もあり、ここのホールのカワイは弾いたことがなかったので、今回、両方とも少しだけ試弾させて頂きました。

使用していない時間帯に倉庫の中でという条件でしたが、快く対応していただけて感謝です。さてその結果は、やはり、私がしっくりくるのはベーゼンの方でした。久しぶりに弾くベーゼン、普通のピアノは88鍵なのに対して、ベーゼンのインペリアルは低音部にもう9鍵ついていて、全部で97鍵になります。それを足すと、このピアノの鍵盤は全体でちょうど8オクターヴということになります。追加の9鍵のところは写真のように黒塗りになっていて、一応区別できるようになっていますが、やはり、「ピアノの左端はラ」という感覚に慣れているので、気をつけないと間違いそうになることがあってドキッとします。



今回、私が弾くグリーグのコンチェルトは、冒頭のドラマチックな始まりで上から下まで下降し、普通のピアノの一番下のラからアルペジオでまた駆け上がるところがあります。そこを間違いそうになるのです。ここはピアノの一番端っこから、とインプットされているので、手元が狂いそうになります。気をつけないと恐ろしいことに・・・・。

というベーゼンですが、その名を世界に馳せたピアノですから、本来素晴らしいピアノです。ピアノは、メインテナンスと調律によって、その本来の持っている素晴らしさが発揮できるかどうか決まってくると思います。ベーゼンはそんなに弾く機会を私は持ちませんが、東京の自由が丘にある工房で試弾させていただいた時のベーゼンの素晴らしさは今でも忘れられません。

いろんな場所でいろんなピアノと出会い、仲良くなる。これが、自分の楽器を持ち運びできないピアノ弾きの喜びでもあり、苦労でもあります。

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発表会プログラム完成

2011年08月10日 | Weblog
今月28日に予定している、教室の発表会のプログラムができました。

よそのピアノ教室の発表会では、とてもおしゃれで素敵なプログラムを目にすることが多いのですが、こちらのはそれに比べると足元にも及びません。どうも昔から図画工作や細かな作業が苦手で、よくこんなに不器用なのにピアノやってるなあと自分でも呆れるくらいです。お裁縫なんか本当に苦痛以外の何物でもない。そんな私の作ったプログラムなので、模様や柄など何にもない武骨なものですが、今年は大分県に教室を構えて10年という節目の年なので、気持ちだけはしっかり入っています(紙もちょっと厚手の紙にしました。そこ?(笑))。

昨日も、発表会の時に弾く曲を中心にレッスンをしました。生徒もそれぞれ年齢に応じて、変わってきました。本気でピアノに取り組めなかったのに、ある時期を境に変わってきて、ちゃんとお稽古するようになった子、お母さんとしか会話出来なくて私の問いには、じっとうつむくだけだったのにそれが、「先生、私~~」と言えるようになった子。私が一言言ったら、すぐに理解してフレーズを歌ってくれるようになった子、・・・他にもたくさん。生徒が成長してくれると、本当に嬉しいものです。昨日も、可愛い生徒を見ながら「あんなに小さかったのに、こんな曲弾けるようになってきたなあ」と感慨にふけったのでした。

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足がつる

2011年08月09日 | Weblog
最近、よく足がつります。昼夜お構いなしに、急につるので、びっくりします。それでも日中につる時は比較的軽症のことが多くて、つっている反対方向に脚を伸ばしてストレッチすれば何とかなります。最悪なのは夜中です。脚または、足の指がつってその痛みで目が覚めます。そんな時は、いくらストレッチをしてもすぐ元通りになって、またつってくるし、立っても座ってもだめで相当に痛いです。

フラメンコの練習に行くと、その帰りによく足がつります。帰りの車に乗ったとたん、早くもつり始める時があって、そんな時は路肩に車を寄せて、車から降りて、脚を大胆にピーンと伸ばしたりしていきなりストレッチを始めるので、きっと道行く人は「この人、何やってんだろ?」と不思議に思ってるに間違いありません。しかし、痛いし、そんな状態で車を運転するのは危険だし、多少の恥を省みず、道端でもどこでもすぐにストレッチするようにしています。

原因は運動不足だとにらんでいます。私の場合、手と腕ばかりに運動が偏り過ぎているので、バランスをとるために、もっとしっかり歩いたり走ったりして脚の運動をしなきゃいけないと思っています。以前は毎日ウォーキングしていましたが、もう1年くらいやっていません。歩かないとなあ、と思ってはいながら、ずるずるとここまでサボってきたツケがついにまわってきたのかも・・・。

今月は本番のステージ3回。きちんと体調管理して、オン・オフのけじめをしっかりつけて、仕上げに臨みます!

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グリーグの生涯その3

2011年08月08日 | クラシック豆知識
グリーグは、1868年、25歳の年の夏から秋にかけて、デンマークのセレレーズ(Søllerød)という町に宿をとり、そこにピアノを持ちこんで作曲に没頭しました。ここで書かれたのがグリーグ唯一のピアノ協奏曲で不滅の名作「ピアノ協奏曲イ短調」です。この宿にはピアニストで親しい友人でもあったノイベルトが一緒に住み込み、この作曲にピアニストとしての助言をしています。彼の助言はこの名曲のピアノ演奏効果に大いに役立ったと言われています。

初演は翌年コペンハーゲンで行われました。そのときのピアニストは作曲にも貢献したノイベルトで、ものすごい大成功を納めました。この曲はノイベルトに献呈されています。続いて翌年グリーグはこの曲の自筆の楽譜を携えてリストのもとを訪れます。リストはこれを初見で弾いて、第3楽章のある部分について「これが本当の北欧だ!」と絶賛したというエピソードがあるそうです。グリーグ27歳、巨匠リストが59歳のときのことです。他にも組曲「ペール・ギュント」をはじめ、民族色豊かで、美しい自然を彷彿させるグリーグならではの旋律を用いて数多くの作品を発表していきます。こうしてグリーグは世界に羽ばたいて行くのです。

駐日ノルウェー王国大使館によるグリーグの紹介記事には次のような一節があります。

「リストの絶賛を受け、海外での人気は高まり、外国での公演も次々に成功しました。グリーグの国民的作曲家としての地位は揺るがぬものとなり、二人の銀婚式は国をあげて盛大に祝われました。当時、音楽的には非主流である、いわば田舎の一作曲家に過ぎなかったグリーグが、生きている間に世界的な人気を博したのは、きわめて異例なことでした。まだまだ男性社会だった当時、夫妻がともに名声を得ていたことも、例外的でした。」

ノルウェーの国民にとって当時も今もグリーグが、いや、グリーグ夫妻がどんなに誇らしく、愛すべき存在かがよく分りますね。

しかしもちろんグリーグといえども生涯を通じて悲しみや苦悩と無縁だったわけではありません。ニーナとの間に生まれた愛娘アレクサンドラを一歳の時に失っています。その後夫妻は子供に恵まれることはありませんでした。さらに後年、両親を亡くした上、ニーナとも一時不仲になるなど、グリーグの様々な苦悩から生まれた「バラードト短調」なども特筆に値する名曲です。このバラード以降彼の耳に通奏低音のようにト短調が聞こえて、内なる声としてとらえられていきます。それは彼自身が言っている「私の生涯の重要な時期」であり、ト短調の時代ともよばれているのです。


トロルハウゲンの家

ヨーロッパ中を旅から旅へと移動し、自作自演のコンサートを繰り返しながら、夫婦は1885年4月にベルゲンのトロルハウゲンに家を建ててそこを終の棲家とします。トロルハウゲンの家は海の見えるフィヨルドの断崖の上にあり、自然の美しい風景が広がっているところだそうです。ニーナとは、生涯仲睦まじく暮らし、オシドリ夫婦として有名でした。夫婦でトロルハウゲンの家から海外演奏に出掛けては帰ってくる、旅の多い音楽三昧の暮らしを続けていたようです。こうしてグリーグは愛する妻とともに生涯音楽と取り組み、1907年(64歳)ベルゲンの病院で亡くなりました。トロルハウゲンの家は現在グリーグの博物館兼コンサート会場として親しまれています。

駐日ノルウェー王国大使館:グリーグ
駐日ノルウェー王国大使館:ニーナ・グリーグ

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グリーグの生涯その2

2011年08月07日 | クラシック豆知識
グリーグは、ライプツィヒでの留学を終えてノルウェーに戻ってきた翌年、1863年にデンマークのコペンハーゲンに出ていきます。当時、北欧の音楽の中心となっていたのが、デンマークだったからです。ここでも、たくさんの出会いがありました。

中でもグリーグの作風を変える運命的な出会いといえるのが、ノルウェー国民楽派の作曲家で、「ノルウェー魂の化身」と呼ばれ、後にノルウェーの国歌になった曲を作曲したことで知られるリカルド・ノルドロークとの出会いです。当時グリーグ20歳、ノルドローク21歳、このほぼ同い年の若者二人は、ノルウェーにある魅力的な民族的音楽を芸術の高みに持っていこうと奮起します。

こうして、グリーグのスタイルであるロマン派的民族主義がこの時期に固まっていきます。このコペンハーゲン時代の三年間は、彼にとって大きな転機の時代でした。音楽的にもそうですし、私生活でもそうでした。歌手で従姉妹の二―ナと婚約したのもこの頃です。ここで、歌曲「きみを愛す」やピアノソナタ、ヴァイオリンソナタなど、数々の作品を作っています。幸せに満ちたグリーグの心情が音楽に表れています。


生涯を通じて仲睦まじく暮らしたグリーグとニーナ

1866年、ノルウェーに帰国したグリーグは、時にはニ―ナとともに、素晴らしい演奏家達とコンサートを次々と開き、ノルウェーの音楽家の若手代表として認められるようになっていきます。ハルモニスケ教会の指揮者に任命され、仲間とともにノルウェーに音楽アカデミーを設立、1867年には晴れてニーナと結婚し、公私ともに充実した生活を送っていました。そして完成したのがピアノ曲「抒情小曲集」の第一集です。この愛すべき作品集は、その後37年かけて第十集をもって完成します。全部で66曲もある小品集です。その第一集はこの時期に生まれました。一つひとつが豊かな雰囲気を醸し出し、その音楽を奏でると美しい山河を想像させたり、または、民族的な踊りを連想させたりします。この曲集は、出版社を大いに興奮させたと記されています。こうして彼は、ヨーロッパで大きな名声を得るようになっていきました。

今日はここまで。今度のコンサートで私が弾くことになっているグリーグの代表作「ピアノ協奏曲イ短調」についてはまた次回。どうぞお楽しみに!

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グリーグの生涯その1

2011年08月06日 | クラシック豆知識
エドワルド・グリーグは1843年6月15 日生まれ。ノルウェー出身です。

グリーグは、5人兄弟の4番目の子供で幼い頃、母ゲンネが弾くショパンやシューマンを聞きながら育ちました。6歳の頃から母からピアノを習い、ぐんぐん上達していきます。ゲンネの親戚に当時ノルウェーで伝説的なヴァイオリニストのブルという人がいて、エドワルドのピアノを聞き、とても感銘を受けてライプツィヒで本格的に音楽の勉強をすることを勧めます。

15歳だった少年は、こうして音楽の道へと本格的な一歩を踏み出していきます。メンデルスゾーンが創立したライプツィヒ音楽院は、1858年グリーグが旅立った頃は世界中から優れた音楽学生が集まってきていました。そこで彼は切磋琢磨して音楽を学んでいきます。

ただ、このライプツィヒ時代は、グリーグにとっていろいろな葛藤があったものと推測します。なぜなら、「私がほとんど始めた時と同じくらい何も知らずに音楽院を後にすることができたのは、私の気質のせいです。私は夢見る人間で人と競争する気持ちはなかった。どちらかというと鈍くてすぐに覚える方ではなかった」という言葉を残しています。

しかしながら、この時代の収穫は大きなもので、シューマンの親友のヴェンツェルに師事したり、有名なピアニスト、モシェレスに師事したりしてピアノの腕を磨いています。またこの間、たくさんの演奏会に出かけていて、ゲヴァントハウスで聴いたクララ・シューマンの演奏するシューマンのピアノ協奏曲から受けた感動が、のちにあの有名なピアノ協奏曲イ短調を作曲する原点となったと言われているそうです。

その留学時代、残念な事に重い肺炎になり、その後遺症で左肺が不全となってしまいます。それでも無事1862年に卒業して、ベルゲンに戻りピアニストとしてデビューしました。コンサートではシューマンの作品を演奏して好評を博したそうです。

今日は、ライプツィヒ時代まで。続きはまた次回。

参考文献:「GREIG ピアノ協奏曲イ短調」大束省三、日本楽譜出版社

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仕事の後のビール

2011年08月05日 | Weblog
私の日常は、朝起きてまずコーヒーを片手にパソコンに向かい、メールや友人のブログをチェックして自分のブログを書くことから始まります。

その後、支度をすまして遅くとも9時には仕事部屋(ピアノの部屋のこと)に入ります。そこから、夜の8時か9時頃まで生徒のレッスンと自分の練習です。仕事関係の書類に目を通したり連絡事項を片付けたりというのもあります。もちろん、合間に最低限の家事も(笑)

一日の終わりのお楽しみは、お風呂と夕食です。お風呂の後、もうほんとに何もしないでいいという状態になってから、夕食の食卓につきます。もちろん、その時は冷たく冷えたビールをプシュ!一日、頑張ったご褒美にこの一口をとっておいたのです。これを一口飲むとホッとして、ああ今日も終わり~と身も心もリラックスしていくのが分ります。


珍しい薩摩地ビールをいただきました。私のお気に入り唐津焼きのコップにぴったり。

朝から、気合入れてピアノに向かっていると、生徒のレッスンでも自分の練習でもだんだんハイになっていって、夜はとめどなく弾いてしまいそうになります。そんなときでもきちんと時間を区切って、リラックスタイムを作っておかないと、後で大変なことになってしまいますから注意しましょう。

昨日も練習のあと美味しいビールのおかげで、夜はとてもリラックス出来ました。

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パッション

2011年08月04日 | レッスンメモ
パッション、情熱(熱情)、よく使われる言葉ですね。音楽の楽語にも「アッパショナート(appassionato、熱情的)という言葉がありますし、ベートーヴェンのソナタ23番はベートーヴェン本人がつけた題名ではありませんが、「アパッショナータ(熱情)」とも呼ばれています。一方、バッハの代表作の一つ、マタイ受難曲は英語では「St. Matthew Passion」です。このパッションの意味は「受難」です。

つまりパッションという言葉は、日本語にすると一見全然別物に見える「情熱(熱情)」という意味と、「(キリストの)受難」という二つの意味があるということです。

キリスト教では、イエス・キリストが最後の晩餐の後、すべての苦難を受け容れて、引き受けて、静かに十字架の上の人となった、その行為のことを「パッション(受難)」と呼ぶのだそうです。

ベートーヴェンの曲には、「熱情」をはじめ、聴く者にベートヴェンの苦難とそれを起爆剤にしてほとばしる喜びや悲しみ、彼の激しい感情の発露を印象付ける曲が少なくありません。もちろんベートーヴェンに限らず、クラシック音楽の中には、静かな音楽の中にもパッションが隠れている名曲が多いと思います。

苦難を受け容れて、受け容れたものをしっかりと心の中で抱える。その抱える精神力、力強さを何かはじけるものにと変換させていく。そしてついには、それを喜びに変える、愛に変える。そうして胸の内からほとばしり出てくる強い感情、これが情熱(熱情)であり、パッションなのではないでしょうか。

受難と情熱(熱情)が、西洋では元は同じ言葉だということ、何だかとても深いと感じます。このことは芸術を理解する上でとても大切なことではないでしょうか。

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コンペとホール

2011年08月03日 | レッスンメモ
昨日は、北九州の「響ホール」にピティナコンペを聞きに行ってきました。生徒も出演するので応援も含め行ってきました。

このモダンで素敵なホールは、ゆったりとした客席の配置と、ステージを囲んでぐるりと周りにも客席が配置されています。もちろん、ステージ前に席が一番多いですが、ステージ後ろにも高い位置に何列か客席が設けてあります。残響がかなり長いホールです。「響ホール」とい名前がついているくらいですから、とてもよく響きます。ピアノもいい音のする立派なピアノだと感じました。

ホールでの響きをチェックしたうえで、今回ピティナ初参加の生徒にここで弾くときの注意点をいくつか伝えました。ホールでの演奏は、もちろん家で弾いているのとは違いますが、それぞれのホールとそこにあるピアノとの関係などで、多少弾き方に、加減が必要な時があります。特にペダリングについては、大きく影響してくると思います。生徒が当日になってどのくらい対応できるかにもよるし、年齢的なこともありますが、可能な分だけは対応させたいと思っています。

ホールの中には、知り合いの先生が何人かいらっしゃってそれぞれの生徒さんの演奏を聞いていらっしゃいました。昨日の演奏者、皆さん素晴らしく音もきれい。中でもひときわ素晴らしいと思ったお子さんがいて、とても感動しました。そのお子さんが一位をとったそうですが、本当に美しい演奏でした。

私の生徒も初ピティナにしては、頑張ってくれて入賞を果たしました。いろいろ、課題もみえてきて、指導する側も勉強になる収穫のある一日でした。

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スケールとアルペジオ

2011年08月02日 | レッスンメモ
最近、スケールとアルペジオの練習を生徒達にしてもらうことがいかに大切かを痛感しています。生徒達には、スケールの格調を長調と短調をセットにして、一つずつ練習しながら進んでもらいます。アルペジオも同様にします。

スケールを練習し始めた時に最初にネックになるのが指使い。これが結構時間がかかる子がいます。でも、これはとても大切な事。じっくり指使いに慣れてもらい、習得してもらいます。それから、レガート奏法や、1の指(親指)の扱い、早いパッセージの練習など、スケールだけでもやること満載です。それに楽典的な音階の成り立ちや調の事も学びながらやっていけます。

アルペジオに関しても同様です。ピアノ曲には、アルペジオはあらゆるところにでてきます。このアルペジオが優雅に弾けたり、軽く弾けたり、逆にどっしりと膨らませたりといろんなことが自由自在に出来るようになると、表現に幅がでてきます。

どんな練習が効果的か、日々いろいろと考え生徒と一緒に進んで行きたいと思っています。

さて今日は、ピティナコンペの九州大会が北九州で開かれます。ここまで一生懸命やってきた生徒。今日の本番は、素晴らしいホールで弾けるんだという事を存分に楽しんで、伸び伸びと自分の音楽を表現してくれることを祈っています。午後からは私も北九州に行ってきます。

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早朝の病院

2011年08月01日 | Weblog
土曜日の夜から、ひどいジンマシンに悩まされ、かゆくて眠れない夜を二日過ごしました。どこか、日曜日でも開いているところがないか、イエローページを何度もめくって探しましたが、ありません。しかし、とても魅力的なクリニックをついに発見。日曜日は開いてないけど、ウィークデイの朝7時半から開いている皮膚科のクリニックが見つかりました。その名も「アロハクリニック」 さっそく今朝、行ってきました。多分疲れやストレス、また急激な温度差などが原因でおこったと思われるジンマシンだそうです。

朝7時半から診てくれるところって、救急以外そんなにないと思います。でも、かゆくてたまらなくて、耐えられない時は、救急ではないけど、一刻も早く症状を抑えたいと切望しますよね。私も、一刻も早くかゆみを抑えたいという事だけを考えて、夜中を過ごしていました。だから、朝の7時半から診てくれるなんて、本当に有難いです。もう、思考能力も低下するくらいかゆみがすごかったのです。

ちなみにこのクリニックの診療時間は朝7時半から午後2時まで、昼休みなしで診療されるそうです。私のように日中はいつもバタバタしている顧客(患者)にとってはとても有難いですね。

猫のランちゃんがグータラしているのを横目で見ながら、忙しくしているうちに、ジンマシンも悪化し、こんなありさまでした。でも、早朝から開いているこのクリニックのおかげで今日もこれから、無事、仕事ができます。

無理をせず、体調管理は万全でなくてはいけないですね。反省しています。

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