ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

グリーグの生涯その1

2011年08月06日 | クラシック豆知識
エドワルド・グリーグは1843年6月15 日生まれ。ノルウェー出身です。

グリーグは、5人兄弟の4番目の子供で幼い頃、母ゲンネが弾くショパンやシューマンを聞きながら育ちました。6歳の頃から母からピアノを習い、ぐんぐん上達していきます。ゲンネの親戚に当時ノルウェーで伝説的なヴァイオリニストのブルという人がいて、エドワルドのピアノを聞き、とても感銘を受けてライプツィヒで本格的に音楽の勉強をすることを勧めます。

15歳だった少年は、こうして音楽の道へと本格的な一歩を踏み出していきます。メンデルスゾーンが創立したライプツィヒ音楽院は、1858年グリーグが旅立った頃は世界中から優れた音楽学生が集まってきていました。そこで彼は切磋琢磨して音楽を学んでいきます。

ただ、このライプツィヒ時代は、グリーグにとっていろいろな葛藤があったものと推測します。なぜなら、「私がほとんど始めた時と同じくらい何も知らずに音楽院を後にすることができたのは、私の気質のせいです。私は夢見る人間で人と競争する気持ちはなかった。どちらかというと鈍くてすぐに覚える方ではなかった」という言葉を残しています。

しかしながら、この時代の収穫は大きなもので、シューマンの親友のヴェンツェルに師事したり、有名なピアニスト、モシェレスに師事したりしてピアノの腕を磨いています。またこの間、たくさんの演奏会に出かけていて、ゲヴァントハウスで聴いたクララ・シューマンの演奏するシューマンのピアノ協奏曲から受けた感動が、のちにあの有名なピアノ協奏曲イ短調を作曲する原点となったと言われているそうです。

その留学時代、残念な事に重い肺炎になり、その後遺症で左肺が不全となってしまいます。それでも無事1862年に卒業して、ベルゲンに戻りピアニストとしてデビューしました。コンサートではシューマンの作品を演奏して好評を博したそうです。

今日は、ライプツィヒ時代まで。続きはまた次回。

参考文献:「GREIG ピアノ協奏曲イ短調」大束省三、日本楽譜出版社

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