ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

グリーグの生涯その2

2011年08月07日 | クラシック豆知識
グリーグは、ライプツィヒでの留学を終えてノルウェーに戻ってきた翌年、1863年にデンマークのコペンハーゲンに出ていきます。当時、北欧の音楽の中心となっていたのが、デンマークだったからです。ここでも、たくさんの出会いがありました。

中でもグリーグの作風を変える運命的な出会いといえるのが、ノルウェー国民楽派の作曲家で、「ノルウェー魂の化身」と呼ばれ、後にノルウェーの国歌になった曲を作曲したことで知られるリカルド・ノルドロークとの出会いです。当時グリーグ20歳、ノルドローク21歳、このほぼ同い年の若者二人は、ノルウェーにある魅力的な民族的音楽を芸術の高みに持っていこうと奮起します。

こうして、グリーグのスタイルであるロマン派的民族主義がこの時期に固まっていきます。このコペンハーゲン時代の三年間は、彼にとって大きな転機の時代でした。音楽的にもそうですし、私生活でもそうでした。歌手で従姉妹の二―ナと婚約したのもこの頃です。ここで、歌曲「きみを愛す」やピアノソナタ、ヴァイオリンソナタなど、数々の作品を作っています。幸せに満ちたグリーグの心情が音楽に表れています。


生涯を通じて仲睦まじく暮らしたグリーグとニーナ

1866年、ノルウェーに帰国したグリーグは、時にはニ―ナとともに、素晴らしい演奏家達とコンサートを次々と開き、ノルウェーの音楽家の若手代表として認められるようになっていきます。ハルモニスケ教会の指揮者に任命され、仲間とともにノルウェーに音楽アカデミーを設立、1867年には晴れてニーナと結婚し、公私ともに充実した生活を送っていました。そして完成したのがピアノ曲「抒情小曲集」の第一集です。この愛すべき作品集は、その後37年かけて第十集をもって完成します。全部で66曲もある小品集です。その第一集はこの時期に生まれました。一つひとつが豊かな雰囲気を醸し出し、その音楽を奏でると美しい山河を想像させたり、または、民族的な踊りを連想させたりします。この曲集は、出版社を大いに興奮させたと記されています。こうして彼は、ヨーロッパで大きな名声を得るようになっていきました。

今日はここまで。今度のコンサートで私が弾くことになっているグリーグの代表作「ピアノ協奏曲イ短調」についてはまた次回。どうぞお楽しみに!

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コメント (2)
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