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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



寿月観







寿月観で説明された内容はこちらこちらの内容と同じなのだが、説明のしかたがなかなか込み入っていた。とくに白糸の滝と富士に見立てた三角の石の説明の仕方がおもしろかったように思う。











ここにも花菱紋の透かし彫りが


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寿月観












ここでの説明がなかなか興味深かった


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出発



下離宮への入口の御幸門(みゆきもん)。
花菱紋の透かし彫りがほどこしてある。









30人の参観となるとやっぱりそれなりの人数だ(笑)







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参観者全員の受付が済むまで少し待つ









待機所は暖房が効いていたが
この日は外でも十分温かかった









皇宮警察なんて組織名を目にしたのは初めてだ


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ちょっと足を伸ばせば行ける所であり、いつでも行けるような所でもあるが、それゆえに行ってみたい気持ちはあるもののいつしか行かずともいいやリストに入ってしまいそうになる所がある。私にとって修学院離宮はそんな場所の一つだった(笑)。



修学院離宮入口

 


 


 



なんだか気品ただよってる感じだ(笑)

 



私は13:30からの参観


御苑や離宮を参観したい場合、往復はがきで参観希望日と時間を伝え、参観希望者多数の場合は抽選、当選した人が参観できるが、最近では参観の時間帯によっては当日受付で参観できる所もある。ありがたいことにこの季節であるにもかかわらず私は当日受付で参観できた。



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キューバ・カストロ前議長の遺言「記念碑は作るな」(AFP)

社会主義や共産主義を標榜する国でこそ個人崇拝や権威主義がはびこり、その姿は酷いものだったりするが、なんだかこの遺言についていえば、どういった体制の国であれ過去であれ現在であれカストロ前議長の爪の垢を煎じて飲んでほしい指導者は山のようにいる。

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バンコクのウォンウィエン・ヤイにあるタークシン王騎馬像(再掲)

いまのタイは立憲君主制でラッタナコーシン朝の王様が即位している。ラッタナコーシン朝ラーマ9世(プーミポン国王)崩御のニュースは世界中で報じられ、一昨日ラーマ10世が即位することも報じられた。
柿崎一郎『タイの基礎知識』(めこん)を半分以上読んだが、タイで新国王が即位したタイミングもあり、著書の内容を非常に興味深く読めているように思う。
ウォンウィエン・ヤイにあるビルマから独立を回復させたタークシン王の騎馬像については以前も書いたが、上掲書にある「タイに住む人々」の章にある内容を読むと、この騎馬像に対する見方が自分の中で少し変化したように思った。
本の中で目を引いたのは、タークシン王は広東省の潮州出身の潮州系華人の血を引いていて、潮州系華人の支援を得てビルマ軍を追い出したことで、その後タイで潮州系華人が優遇されることになる、という記述だった。
さらに、ラッタナコーシン朝の初代の王ラーマ1世もまた、(タークシン王の後を継ぐかたちで)華人の血統であると称して清の皇帝に朝貢を行ない、タイ国内の潮州系華人の有力者は王族と婚姻関係を結んで勢力を強めていった、という事実は個人的に驚きだった。
実際、いまのタイには中国系タイ人も多く住んでいる。彼らの先祖はアユッタヤー朝の時期から既に商人として入ってきていたという。そのことを思うと、歴史というのは地続きなのだと改めて思う。

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ワット・ラーチャブーラナに続いて入場したワット・マハタートについて調べていると、やはりタイ国政府観光局のページに行き着いた。
ただ、今は『タイの基礎知識』を読んでいることもあって、タイ国政府観光局にある以前読んだ解説の文が、あたかも発見したかのようなまったく新しいものとして感じられてしまう。
そういえば、再発見ゆえにどうしてあの通り名の名前について突っ込んだことを書かなかったのか、と今にして思うページがある。それは「ナレースエン通り」についての記述であり、今更だがこの通り名は弊ブログでは“ナレースワン通り”と訂正した。(おそらく表記上はどちらも使えるものなのだろうが、)『タイの基礎知識』のなかにあるナレースワン王のアユッタヤー独立宣言およびその後の戦いでの戦功、そしてアユッタヤー王朝の繁栄の基礎を築いた記述を読み、またタイ語と英語表記を確認して私の中ではカタカナ表記する場合「エン」よりも「ワン」の方がいいように思えたからである。
ナレースワン王によるタイの救国物語は、ナレースワン王をタイの三大王の一人たらしめているところからして、今も語られることが多い。ゆえにアユッタヤーのワットの遺跡が集中するところの通り名にナレースワンの名が用いられることの意味は、移動の際自転車で通った通り、昼食を食った店があった通り、というだけではあまりにもったいない気がするのだ。たぶんこれからもタイの歴史と地名とが絡んでくる場合、この記事のような補足が入るだろう(笑)。

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