水道橋公園にて
ここまで「ピーニエ(松)へ」というタイトルで10個ほど記事を書いたが、このピーニエはゲーテの『イタリア紀行』(高木久雄 訳)の「第二次ローマ滞在」の最後の方の記述に登場するものである。松は英語ではpine(パイン)、イタリア語ではpino(ピーノ)やpigna(ピーニャ)と(私の知る限りでは)言うそうだが、たぶんピーニエは松笠を意味するピーニャのことではないかと勝手ながら思っている。(そういえば、アッピア旧街道に平行するように走る通りが Via Appia Pignatelli といったけど、人の姓名になっていることもある Pignatelli って"松笠"が由来になっているのかも!?)
ローマの松や糸杉を初めて目にしたのは書籍(旅行ガイド書や塩野七生『ローマ人の物語』の特集本の中にあるような)の図版だったように思う。
それ以前に見る機会が無いではなかった。しかし美術館や教会めぐりばかりしていて視界に入ってはいたものの、自ら目を凝らしたり触れたりしようとしなかった。当然、風景の中のただの木としてすら、添景とも捉えていなかった。
しかし時が経つ間に、イタリアとローマのをテーマにした書籍やTV特集およびバロックからフランス革命期までのローマ絵を描いた絵などに自ら好んで触れていくうちに、私の中ではローマに行けたなら外したくない風景の一つが古代遺跡とともに立つ唐傘松や糸杉のある風景になっていった。
ガイドブックの表記ではローマ水道橋(Acquedotti)となっているクラウディア水道橋の遺跡のある水道橋公園に着いた時、今回の旅の町めぐり一発目で自分にとってのまさに絵のような唐傘松の風景を見れるのか!最も望んでいたものを散策開始日の最初に目に出来た!と思った。あとで確認すると実際のところは、水道橋公園の着くまでの朝のテルミニ駅前で唐傘松が画像でも確認できるような形で視界に入ってはいたようだ。ただ、水道橋公園の松を見てからというもの、旅の過程で遺跡のある場所に寄り添うように立つ松を見つめたり眺めたりするようになったのだった。
いつものひとりよがりだが、パンニーニやピラネージ、フラゴナール、ユベール・ロベール、ターナーといった画家たち、ゲーテやバイロンのような作家・詩人も、きっとこういったローマ近郊の姿を目にしていたのだと思う。もちろん、現地ではここに挙げた芸術家たちの名前など意図的に頭に想起しようとはせず、ここではないどこか、ではなく、ここでしかないもの、にただただ感動していた。そしてこの時に気づくはずもないのだが、水道橋公園の唐傘松の印象は、のちの私に思いもよらぬ効果を与えるのである。
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