デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




ユリウス・カエサルは女性にモテて、またお金の使い方をよく知っていたと『ローマ人の物語』の中では言及されているが、カエサル以降の統治者はインフラの構築や整備によくお金をつかった。
その多くが現在のローマ市内の設備に対してだが、ではローマ支配下の属州は誰がインフラにお金を投じていたのか。属州ではその土地に応じた統治をしていたとはいえ、基本は資産をもっている人間やビジネスで成功した解放奴隷がインフラの構築や整備にお金をつかったようである。



たとえば、ポンペイでは市長に当たる二人委員が2名、助役のような造営委員が2名いて、この4名は選挙によって選ばれるわけであるが、この4人だけで政治が動かされていたわけではない。彼らに加え、市会議員に当たる100名前後の市参事会員がいて、事実上市政を牛耳っていた。(ローマでの元老院議員みたいなものである)
市に生れた者がなれる市参事会員は終身制で、これは名門の証といえるもので、さまざまな名誉を享受できた。参事会員に欠員が出ると誰もがなりたがった。参事会員は、参事会からの任命制であった。
参事会員に任命されるため、町の目立つところに寄付をしていることを示すため、涙ぐましくも資産を投じる人たち、、、そうなのだ、彼らの真剣なアピールの大きな理由がここにある。町に住む人々のニーズを把握し、水道や浴場や劇場の工事代の寄付、興行の開催費の出費、道路の整備の寄付などで、名を知ってもらおうとしたのだ。解放奴隷は参事会員になれなかったが、解放奴隷の息子は市で生れた者ゆえ、息子の出世のために息子の名前で莫大な寄付をした解放奴隷もいた。
もちろん、人間が快適に過ごせるためのインフラ施設をつくるという古代ローマ人の思想も根底にあったからこそ、生活に根ざした施設がつくられたわけであるが、上述したとおり施設を作るにあたっては出世競争という現実的な動機も存在するのだ。



カラカラ大浴場もそういった現実的な動機、この場合は皇帝が皇帝でありつづけるためにつくられたのか、といえばもちろんその側面は否定できないだろうと思う。支配者が支配者のままでいるためには、市民になにかを還元する必要があるのはいつの時代も変わらない、が、古代につくられたそういった還元されたものが遺跡としてヨーロッパ、アフリカに未だに残り続けているのはローマ帝国のものが圧倒的に多い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )